「貴方……私…剣」
また、この夢か。
俺はこの夢をよく見る。
黒髪ロングの美少女が、剣だの俺だの私だの言ってくる夢だ。
そしていつも、透けるように刀の姿が見えて――。
「貴方……私…貴方……の剣」
「また、この夢か」
目が覚める。
女の子が俺の剣、なんて思っていた時期が僕にもありました。
女の子が剣[おんな-の-こ-が-けん] 女の子が剣になる。主人公はそれを振り回す。誰も空気を読んで突っ込まないが、女の子でがきんがきん打ち合うある意味酷いジャンル。
あの夢を見た後、ベッドの上に横たわる男、一番合戦 刀市はけだるい感覚に見舞われる。
まるで全身の細胞が激しく運動した後のようだ。
「だり……」
だが、今日も今日とて学校である。
刀市は、鞄を掴むと、部屋から出て、一階に降りて行った。
この家には、刀市しかいない。
両親は行方不明。
刀市は、その理由を知らない。
「飯、食う気しないな……」
ぼんやりと呟くと、刀市は、食事を取らないことにきめ、着替え、歯磨きなど、身支度を手早く済ませて行く。
そして。
「じゃ、行ってくる」
誰もいない家にその声が響き、刀市は、学校へと向かって行った。
まばらに高校生たちがいる通学路。
「よお、刀市! 元気ないなどうしたよ!!」
そう言って声を掛けて来たのは刀市の友人たる、秋中良助だった。
『いちばんがっせん、かたないち? すげえ名前だな……』
『いちまかせ、とうじだっつの』
という会話は思い出すのに苦にならない鮮烈な思い出である。
「お前は今日も元気だな…」
幾分げんなりした様子で刀市が言うと、良治はさらにテンションを上昇させた。
「転校生が来るんだぜ!? これがテンション上げないでいられるか!!」
「は、転校生?」
良治が何故それを知っているのか疑問だが、聞き返さずにはいられなかった。
「だって聞いちゃったんだもんよ、職員室で、美少女が先生と話してたんだって!!」
「……ほほう、美少女とな? 詳しく話を聞こうか」
突如刀市の顔に生気が戻る。
それに対して良助もテンションをさらに跳ねあげた。
「職員室に日誌出しに行ったらな? ちょうど、美少女が明日からよろしくお願いします、先生が、君はB組だなって会話をしてたんだよ刀市君……」
「それは真かね? 良助氏」
「確かに」
その瞬間、二人は息を合わせて走り出した。
「ならこんな所でゆっくり登校している場合じゃねえ! 急ぐぞ良太」
「良助だ馬鹿!!」
◆◆◆◆◆◆
「えー、転校生を紹介します、入っておいで」
間延びした声で、担任教師が言い、教室の扉が開く。
そして、入ってきたその陰に、刀市は息を呑んだ。
「九十八 九十九で、にたらず、つくもです。今日からよろしくお願いします」
巻きあがる歓声も、悪友の声も耳に入らなかった。
ただ、刀市には、夢で見た少女だけが視界に映っていた。
「じゃあ、そこの端っこの席な」
その言葉に応えて歩き出す九十八九十九。
そして彼女が刀市の隣に来たとき、思わず刀市は問う。
「なあ、どこかで会ったことないか?」
その瞬間、口説き文句かと教室が湧きあがるが、九十九本人は、表情一つ変えず、刀市に答えた。
「そうかも知れないわね。一番合戦刀市」
「え、俺の名前……?」
自己紹介もしていない自分の名前を当てられて、戸惑う隙に九十九は席に着く。
その会話は、教室の騒がしさに、消えて行った。
そして、昼休みがやってきて。
何故か刀市は九十九と共に屋上に居た。
経緯としては、良助が購買から帰ってくるのを待っていたところに、九十九が現れたのだが。
「ねえ、刀市。貴方に聞きたいことがあるんだけど」
「いきなり呼び捨てかよ」
その刀市の言葉は華麗にスルーされる。
彼は思わず追撃を掛けようとするが、
「貴方、妙な夢を見ない?」
その言葉に、余りに覚えがあり過ぎて、しばらく何も言えなかった。
「なんで……、お前がそれを知ってんだよ…」
驚愕する刀市に対し、九十九は逆に晴れやかな顔になった。
「やっぱり! やっぱりそうなのね? 貴方が、私の――」
「え――?」
風に奪われよく聞こえない言葉が――。
『貴方……私…剣』
夢の言葉と重なった。
「お前……、一体…?」
その言葉すら、風の向こうに消えて行った。
「おぉぉぉおおおーーーーいぃぃぃぃいぃぃぃ! 刀市ぅい!!」
「空気、読め」
不意に屋上の扉を勢いよく開く良助。
が、一瞬にしてその表情が凍りつく。
「と、とととっとっとっとと刀市……?」
「んだよ?」
「く、くくく、っ空気よめ、って?」
「そのままの意味だろ?」
言うと、さらに血の気が引く良助。
「うわあぁぁぁぁぁあああっ! 刀市が早くも転校生に手ェ出したぁあああああああーーー!!」
俗に言う、ドップラー効果、というものを残しながら、良助は階段から消えて行った。
「うへぇ……、嫌な予感がする」
そのように吐き捨てた刀市に、九十九は興が削がれた、とでもいうかの如く、表情を無に戻した。
「邪魔が入っちゃったわね。まあ、今日はこれでいいわ。ただ、そうね――、今日の夜、学校に来てくれるかしら?」
「なんでだよ……?」
すると、九十九は刀市が寒気がするほどの笑みでこう言った。
「貴方の夢の理由がわかるわ」
そう言って、九十九は踵を返すと階段を降りて行く。
刀市は、一人屋上に取り残された。
◆◆◆◆◆◆
その日の夜、刀市は学校に向かっていた。
「くそ、あの女の思い通りに動いてるみたいで腹が立つな……」
本当は、行くつもりなどなかった。
が。
学校から帰り、ベッドの上で雑誌を読みながら刀市が舟を漕ぎ始め、寝に入った時、見てしまったのだ。
再び、そして今度は今までよりもずっと濃く心に残った。
目覚めたとき、刀市に、行かないという選択肢は、残っていなかった。
「鍵は……、掛かって無いのか」
学校の扉が開き、少なくとも九十九が本気であることを確信する。
本人が少なくとも本気でなくば、警備を黙らせるような真似は、できまい。
それが酔狂であるかは別となるが。
「だけどな……、そういやこっちに来てどこ行けとか言われてないな……」
思わず、九十九と自らの無計画さを笑いそうになるが、探せば見つかると断じ、刀市はまず教室に向かう事にした。
そこで、刀市は思わぬものを目にすることになる。
「ちょ、お前、なんだよこれ!!」
風切り音、そして、爆音。
拳を振り上げ、振り下ろす。
それだけの動作で教室の床は砕け、抉れる。
そこに居たのは、
熊のような化け物だった。
肥大化した腕、凶悪なまでの大きさと鋭さを持つ爪。
幸い、動きが遅いのを利用して派手に走りまわることで当時は無傷でいられるが、スタミナが切れたと同時、刀市は床のように粉砕されるしかないだろう。
「意味がわからねえよ!!」
少々頭を疑う転校生の悪ふざけが気になって付き合ってみたら、化け物に襲われる。
刀市にとって、これ以上の混乱は未だかつてなかった。
強引に扉を開き、廊下へ出る。
「くそ、なんなんだ……!! あの女が変な組織でも後ろに着けてんのかよ……!」
現状では全く意味のない考察を述べる刀市の顔に焦りが浮かぶ。
現状の不安に、ともすれば膝が折れそうになる。
ただ、口に出していないと不安で仕方がなかった。
そして、熊のような化け物は腕を振るモーションが遅いだけで、動く速度までは遅くはなかった。
教室の扉周りを丸ごと粉砕して廊下に現れる化け物。
刀市が息を呑む。
その時だった。
軽快な音楽と共に刀市のポケットの中の物が震えた。
「うわあああああッ!!」
驚いた刀市は思わずひっくりかえりそうになるが、なんとか耐えることに成功。
ただの携帯であることに気づき、すぐにそれを取り出した。
「携帯かよ……」
表示されていた番号は知らないもの。
だが、迷わず刀市は走りながら通話ボタンを押した。
どうにか助けを呼べるかもしれないし、最悪生物兵器を扱うような組織が話しかけたとしても事態は進展すると考えたのだ。
「もしもし!?」
だが、その声はどうにも刀市の予想外のものだった。
『聞こえるかしら? 急いで体育館に来て!』
その声は、今日学校の屋上で聞いた声。
「九十九? 今お前なにやってんだよ! これはなんだ!? お前の仕業か? 冗談なら笑えねえぞ!?」
刀市にとって最も予想外だったのは、九十九の声に、焦りが混じっていた事であろう。
『これはこっちも予想外よ、ともかく急いで体育館に来て! 説明は走りながらでお願い』
その言葉に一応の信頼を置き、刀市は体育館へと走る。
『今貴方を追ってるのはクリーガーという化け物よ。魔術師が生み出した、魂を奪う生き物』
体育館にはもしかしたらそのクリーガーがたくさん待ち受けてるかも知れない、その可能性が刀市の頭をよぎるが、他に縋るものはなかった。
『それで、今回は密度の高い貴方の魂を奪いにきたみたい。こっちでもこんなに早く襲ってくるとは予想外だったわ』
次第に、体育館が近づくにつれ、刀市は九十九の声が聞こえなくなってきた。
ただ、心臓が早鐘を打ち、脈打つ音だけが頭に響いた。
「なんだこれ――」
妙な感覚が刀市を襲う。
まるで自らを縛っていた鎖が千切れて行くような、十倍の重力から解放されるような。
ただ、体が燃えるように熱かった。
じっとしていられないかった。
『扉の先で、貴方は全てを理解する。やることは、わかっているでしょう?』
刀市の手が、体育館の重い扉を開く。
「あ……、ぁ……、あ」
思わず声が漏れだした。
そこに在ったのは――、
地に突き立つ一本の太刀。
意図せずして、掴んでいた携帯が落ちた。
――貴方……私…剣……。
不意に蘇る夢の言葉。
すべてのピースが、ここにはまる。
――私は、貴方の剣。
理解した。
自分はこの剣を取らねばならない。
刀市はそう思って一歩ずつ前に歩いて行く。
九十八 九十九は、己が剣である。
自分が、使わなければならない。
精神の深い部分が叫んでいた。
敵を斬れと。
――ああ、わかっている。判っているさ! 自分を抜けって言うんだろ? 言われなくても!
思い切りよく、刀市は突き立つ刀を掴む。
その瞬間だった。
「え?」
刀市は太刀に吸い込まれていった。
視界が三百六十度に広がる。
本来の状態に戻ったかのような解放感が体を包む。
そして、いきなり、柄を掴まれた。
「やっぱり、貴方がそうなのね!? それじゃ、行くわよ」
一番合戦 刀市が九十八 九十九に引き抜かれる。
一番合戦刀市は、確かに一本の太刀となっていた。
――うふふうふふ、そんなのってありかよ!
刀市は振り回されながらも、直接響く声を受け取っていた。
『聞こえる? 私だけど、わかるかしら?』
「説明してもらえんだろな」
声として発声できているかどうかはわからないが、心中で呟く。
すると、意外にもちゃんと答えが返ってきた。
『まずは、貴方の事からかしらね。貴方は、刃の一族なのよ』
九十九は刀市を振り回しながら、言う。
「や、刃の一族? って待て待て、いてぇっ、いてぇっつの!!」
刀市を使って化け物の爪を弾く九十九に抗議するが、その声は華麗にスルーされた。
『武器に変わることができる特異体質、それが貴方よ。ただ、今ではその血も薄れて、武器に入り込むのが関の山、だけどね』
その言葉の真意がわからず、混乱する刀市に九十九は続けた。
『そして、魔術の使えない私達がクリーガーを倒すには、魂を直接武器にできる貴方を使うしかないの!』
そう言った時、九十九の上段からの振り下ろしが化物の腕を捉えた。
化物の腕が、血と共に宙を舞う。
「うわっ、キメェっ!」
『男の子でしょ? 我慢なさいッ!!』
と、次の瞬間、九十九の真っ向唐竹割が炸裂する。
刀市が頭蓋を叩き割った感触を得ると同時、化け物の、脳漿が飛び散った。
そして、動きが止まる。
「ふぅ……、はあ……、はあ……」
聞こえたのは、九十九の荒い息遣い。
そして、刀市は、落ち着いてきた今、剣から抜け出せることに気付く。
「っ……、はー……、戻れた」
刀市は刀から抜け出すと、床に尻もちを付き、一息ついた。
なぜか切れている息を落ち着かせて、刀市は九十九に向き直った。
「……もっと、詳しく説明、してくれるんだよな」
このようにして、強引に、一番合戦刀市は九十八九十九の戦いに巻き込まれることとなった。
◆◆◆◆◆◆
夜の広場に、化け物の声が木霊する。
『わかるかしら? 貴方のような刃の一族の最大の利点は、刃自身が意志を持つこと』
――やあ、俺の名は一番合戦刀市。
現在、九十八九十九が握っているのは、その身長を悠に三倍を超える片刃の大剣。
その大剣は、丁度九十九に持ちやすいような角度で地面に突き立ち。
どこまでも無骨で容赦のない鈍い輝きを持つそれは――。
――俺は今、斬艦刀に憑依している。
『要するに。どんな巨大な剣でも、貴方が協力してくれるなら、木刀のように振り回せるッ!!』
九十九の細腕で、あっさりと持ち上げられた。
そして、高く高く、月を二つに割るように振り上げられたその刃は。
あっさりとクリーガーを一刀両断した。
「まったく……、今日も疲れたよ」
九十八九十九は、クリーガーと戦う組織の亜流の人間、らしい。
代々刃の一族を使い、常ではない敵と戦うのだそうだ。
そして、刀市は刃の一族四代宗家の人間だ、と九十九は言っていた。
「……悪い、わね。無理矢理、付き合わせて」
そう、結局刀市はその話を聞いて、化け物と戦う道を選んだ。
「気にすんなよ。ただの悪態に反応される方が困る」
自分でもどうかしている、とは考えた。
だが、それでも、刀市には、目の前の少女の頼みを拒否することは、できなかった。
「そ。ありがと」
そう言ってそっぽ向きながら頬を赤らめる九十九に、刀市は笑みを返す。
「なによ」
照れかくしに、不機嫌を装う九十九を、刀市は笑ったまま見つめた。
「その言葉だけでも、十分だ」
「……」
結局、一番合戦刀市という人間は、お人好しと呼ぶほかないのである。
その結果として、夜は毎日外でパトロール、である。
基本的に九十九の所属する一族の組織がパトロールをしているが、刀市と九十九は、いつでも戦えるよう準備しておかなければならない。
「あー……、くそ、ねみぃ……」
故に、その日も刀市は机の上でぐったりしていた。
そんな彼の元に、九十九が歩み寄ってくる。
「大丈夫?」
そんな彼女に、刀市は体を起こす音なく答えた。
「おー……。だいじょーぶ……」
すると、九十九は刀市に呆れたように溜息を吐く。
「大丈夫じゃなさそうよ……? まあいいわ、お昼、食べましょ?」
刀市は、うーとかおーとか返すと、ゆっくりと立ち上がった。
「はい」
本来、立ち入り禁止の屋上。
差し出された弁当を、刀市は頭を掻きながら受け取る。
「悪いなぁ。毎日」
すると、九十九は首を横に振った。
「いいわよ。手伝ってるのに報酬がこれで良いなんて――、どうかしてるんじゃないの?」
その言葉に、刀市は笑って答えた。
「馬鹿にすんなよ? 朝三十分遅く起きれるだけで随分違うんだぞ?」
そう言って笑う刀市に、ぷいとそっぽを向ける九十九。
「それじゃ、いただきますっと」
刀市は、箸を掴むと、弁当の中身を片付け始めた。
こんな関係を始めて、もう一月になる。
結果として、刀市と九十九が付き合っていると言う噂が流れ、夜のパトロールと合わせ、日常生活も忙しくなった。
だと言うのに、大した報酬は貰っていない。
しかし、刀市は後悔していなかった。
心地よさすらあった。
異常とも言える行動であることは、刀市も自覚していた。
自分でも、なぜこんなに九十九に友好的なのかわからない。
だがしかし。
――悪くない。
少なくともそう考えていた。
そんな、ある日の夜。
また、クリーガーを屠り、帰るだけ。
少なくとも、刀市はそう思っていた。
だが。
その時、九十九と刀市は、苦戦していた。
黒い人型の、今までにないクリーガー。
その腕を、刃に変え、刀に変化した刀市と九十九に襲いかかっていた。
「……っ、このクリーガー、剣技を使ってる……!?」
そう、目の前のクリーガーは、巧みに刀市をいなし、九十九を追い詰めていた。
『ぐっ、ぎぎぎぎ、まじぃぞ!? 俺もいつまで持つか判んねえっ!!』
そして、苦戦している理由はそれだけではない。
「こう狭いと……っ、大剣も太刀も使えないなんて!」
そう、現在いるのはビルの最上階。
わざわざ警備員を襲いに来たのだ。
そして、そのおかげで、長物の太刀や前回使用した巨大剣は使用できない。
今九十九が持っているのはただの打刀だ。
重量もリーチもなく、また、刃の一族の利点を全く生かせはしない。
要するに、身体能力に勝るクリーガーを相手に、九十九はその剣技だけで戦わなければならないのだ。
勝てる相手では――、なかった。
一合、二合と剣戟が続くたびに、鈍い痛みが刀市に広がる。
そう、長くは持たないことを当時は自覚した。
『ぐ、っが……。駄目だ、まずい! 一回退け、九十九!!』
だが、九十九は答えない。
ただ、剣戟が続く。
『おいっ、九十九、聞こえてんのかおい!!』
その瞬間、クリーガーの縦の斬撃が迫り、九十九は刀市で防ぎ、つばぜり合いが始まる。
九十九は、苦しげに、言う。
「ごめん……、逃げきれそうもない」
答えなかったのではない、答える暇などなかったのだ。
それほどの余力もなかったのか、と刀市は愕然とした。
その時だ。
刀市に激しい痛みが走る。
『うっ、くぁああああああああッ!!』
刀身に、罅が走る。
そして、刀市は。
根元から、完全に断たれた。
そして、刀市を断ったクリーガーの刃は、九十九へと迫る。
九十九は、刀市の踏ん張りにより、刃ではなく、根元。
剣で言えば柄たる部分が、九十九の方に直撃する。
「っ、うぅっ!」
九十九は、その強靭な腕により、ビルの窓に直撃。
窓が割られ、九十九は夜空に飛び出した。
『九十九っ!!』
体を二つに折られた痛みに耐えながら、刀市が叫ぶ。
すると、九十九はその声に応えてか否か、ビルの縁に指を掛けることに成功。
『九十九っ、大丈夫か!? おいっ、九十九!?」
夜風が肌を撫ぜる中、九十九は、苦しげに、言った。
「ごめんね、刀市」
刀市を握る手が、開いて行く。
『お前っ!! まさか……!?』
その手が、完全に、開かれた。
「逃げて……」
刀市は、風邪吹き荒ぶ宵闇の中へと、落ちて行った。
「ちっくしょっ! 九十九っ」
カラン、と音をたて硬い地面に転がった刀市は、刀から抜け出し、思わず叫んだ。
急いで、最上階に向かわなければならない。
そう、自然に思って――。
「何故だ?」
疑問に思った。
刀市と、敵の力量差は激しい。
なのに武器にもなれない刀市が行ってもどうしようもないではないか。
――俺が行っても、死ぬだけだ。
その通りである。
なのに、足は勝手にビルへと向かっていく。
――何故、俺は、彼女の所に行きたいんだ?
答えは、出てこない。
思わず、立ち止まってしまった。
そして、考える。
――彼女がいなくなったとして。俺が困るのか?
自分を戦いに巻き込んだ女。
彼女が死んだなら、自分に平穏が戻ってくるだけだ。
それに、クリーガーと戦うのは自分たちだけではない。
だから、彼女が死ねば、戦いの場から、解放される。
だけど、刀市は九十九の元に向かいたかった。
――彼女がいなくたって……、弁当を作る手間が増えるだけだ。
彼女がいなくなったとして。
――彼女と、会う事がなくなるだけだ。
彼女がいなくなったとして。
――照れてそっぽを向く彼女の姿が……、彼女の微笑み見れなくなる――。
――だけ?
――だけだと?
否。
断じて否。
「彼女が――っ、それだけのはずが、ないだろうがぁああああああッ!!」
◆◆◆◆◆◆
九十九は、痛む肩を押さえながら、敵をなんとか凌いでいた。
振り下ろされる斬撃を、飛んで避け、横からの斬撃を屈んでかわす。
そして、何度攻撃を凌いだ時だろうか。
激しく後ろに跳んだ時、思わず九十九は尻もちをついてしまった。
どうにか立ち上がろうとするが、それは叶わない。
既に、九十九の体力は限界に達していたのだ。
肩の痛みと相まって、九十九の膝には、力が入らずにいた。
ゆっくりと、黒い影が、近づいてくる。
九十九は、腕を使って必死で後ずさるが、そう経たずに、大きな机に背が当たる。
そんなことお構いなしにクリーガーは近づいてくる。
「もう、ここで終わりかぁ……、刀市、生きてる、かな……?」
九十九は、最後に、初恋の人の名を、呼んだ。
そして、無慈悲にも黒いクリーガーは、その腕の刃を、
「あああああぁぁぁぁぁあああッ!!」
振り下ろせなかった。
九十八九十九にとって、一番合戦刀市は、初恋の男だった。
刀市と同じように、九十九も、刀市の夢を見ていた。
幼少から厳しい訓練を重ねてきた九十九には、刀市に思いを馳せて生きてきた。
いつの日か会う事ができる、刀市だけが、九十九の縋れるものだった。
そして、それが恋心に代わり五年。
ついに。
九十九は刀市に出会う。
九十九は、彼に拒絶されることに怯えていたが、刀市は嫌な顔一つせず、九十九を手伝った。
それは、九十九にとっては夢のような日々であった。
好きな者と一緒に戦う事が出来たのだ。
誰よりも長く時間を共有できた。
最後まで、素直に振る舞うことはできなかった、だが。
確かに、夢のようだった。
故に、悔いはない。
彼は逃がした。
だから、ここで散る。
そう、覚悟した。
だが、だがしかし。
まだ夢は終わらない。
「俺がッ!! 手前をッ、ぶっ倒す!! そして!!」
硬い床を突き破り。
「俺がッ、九十九を守るッ!!」
宵闇の中、漆黒の学生服を靡かせて。
満月を背に、彼は、確かに立っていた。
◆◆◆◆◆◆
月の光を背に受けて、感情が高ぶるのを刀市は感じていた。
体が熱い。
全細胞が、歓喜の声を上げる。
目覚めよと。
否、目覚めたと。
全細胞が、刀市を祝福していた。
――其は鉄。
――其は金。
――其は銀。
――其は白金。
――其は魔なる鉄。
――其は聖なる金。
――其は魔を祓う銀。
――其は神が打ちし、聖なる剣。
――其は、敵討ち果たし、弱きを守る、鋼の武者なり!
――ああそうだ。
――この俺、一番合戦刀市は。
一番合戦刀市の理由。
それは、お人好しだからなどではない。
――一番合戦刀市は。
九十八九十九、それが理由。
――一番合戦刀市は!
彼は、夢に現れる彼女に。
「九十九が好きだああああああああああッ!!」
とうの昔に惚れていたのだ。
「おおおおおぉぉぉぉおおおおおッ!!」
刀市が吠える。
一足飛びに、刀市は敵に零距離にまで迫っていた。
そして、その右腕が突き出される。
ただの、高校生の拳。
その拳はクリーガーに傷一つ負わせられない。
そのはずであった。
「この身一つ、一匹の――!」
――戦い方などわからない。だが、俺の細胞に打ち重ねられた経験が、教えてくれる!
機械が擦れる、耳障りな音。
刀市の腕が、チェーンソーに、変わる。
「刃あああッ!!」
そのチェーンソーは、甲高い音を立てて、クリーガーの腕を吹き飛ばした。
そして、そのまま刀市は足を跳ね上げた。
その時には、刀市の足は、チェーンソーに変わっている。
上段回し蹴りが、防ごうとした刃と擦れ合い。
「その位、斬れないと思ってんのかぁああああああッ!!」
今度は、刀市が、敵の刃を一刀両断した。
そして、そのままの勢いで一回転。
ガンハンマと化したリボルバーのシリンダーの付いた巨大な腕が、裏拳気味にクリーガーを、捕らえる。
「ファイアっ!!」
連続する爆発音。
クリーガーが、吹き飛ばされる。
そして。
「逃がすかっ」
刀市の右腕が、アンカーに変わる。
機械音が響くと同時、鎖に繋がれた穂先が射出。
鎖が、クリーガーに巻きついた。
そして、巻き取り。
宙に浮くクリーガーが、急速に刀市に近づいて行く。
刀市が咆える。
「パァイルゥッ、バァンカぁああああ!」
刀市の左腕の杭が、轟音を上げて敵に、突き刺さった。
振り抜かれた腕から、抜けたクリーガーが後ずさる。
そして、破れた窓から、転落した。
「立てるか?」
刀市は振り向くと、九十九に手を差し伸べる。
肯いて、九十九はその手を取った。
「え、ええ。でも、貴方、さっき言ってた……、その、好きって……」
刀市は、ビルの下の風景に気を取られ、その声がよく聞こえなかった。
「ん? ああ、とりあえず下に行こう。まだ、生きてる」
「え、あ、そうね」
刀市は、地上へと走り出した。
そして、今。
ビルの前の中庭で、ぼろぼろになったクリーガーと九十九、刀市は相対していた。
「しぶといな……」
「どうする気?」
聞いてきた九十九に、刀市は手を差し出した。
「え?」
「手を」
そう言った刀市に、怪訝そうにしながらも、九十九はその手を握る。
「これで、いいの?」
刀市は、力強く肯いた。
「ああ……!!」
刀市の、握られていない方の腕が、変わる。
刀市は、一振りの刀である。
故に、使い手に握られて初めて、その真価を発揮する!
右腕に光が集まり、機械部品を成し。
刃が造られ、それは完成した。
「銘、一番合戦刀仙市永」
それは、小刀のような刃の形をした、巨大な刀。
およそ、人一人分ほどの大きさのそれを、ぴたりと敵に向けて。
九十九を抱えあげ。
巨大な鍔たる部分から、光が漏れ出した。
「参るッ!!」
その光に引き摺られるように、刀市が加速して行く。
そしてそれは、驚異的な速度に達し、敵に到達。
巨大な刃が、突き刺さる。
だが、それでもなお動こうとする敵に、九十九が悲鳴に似た声を上げる。
「まだ、動くって言うの!?」
だが、刀市は動じていなかった。
まだ、これで終わりではないのだから。
「パージ」
排気音が響き、金属の擦れ合う音と同時。
柄から、刃が離れる。
そして――、
「オーバードライヴッ……!!」
残された刃が、爆発した。
「終わった、のね」
「ああ、終わった」
静けさを取り戻した中庭で、二人は呟いた。
「ねえ……、刀市、貴方は何者なの?」
その言葉に、色々と刀市は考えてみたが、答えなど、一つであった。
「俺は一番合戦刀市。九十八九十九、お前の、剣だよ」
◆◆◆◆◆◆
あれから、一月。
「ねえっ……、刀市……!」
『なんだ?』
「刀に変わりなさい」
『なんで?』
「私は……! チェーンソーなんて……! 振りまわしたく、ないんだけどっ」
『がんば。大丈夫、使いこなせてんじゃねーか』
「それでも、刀の方が……っ!」
『俺はチェーンソーの方が再現しやすい。っつか、刀なんて鈍らにしかならねえよ』
「チェーンソーとか、パイルバンカー、ガンハンマのっ、方がっ、難しいと思うんだけど!」
『うるせー、俺だって背筋が寒くなるようなポン刀になりてーよ、ってあぶねえ』
九十九の頭部に敵の爪が迫る。
と、その瞬間、九十九の持つチェーンソーに、腕が生え、そこからさらにもう一つチェーンソーが造りだされる。
そして、敵の爪とかち合い、それを一刀両断した。
そこに現れるのは、月光を背にした、鈍く輝く刃持つ男。
「おいおいそこな熊野郎。九十九に傷一つ付けてみろ。熊鍋にしておいしく頂くぞこらッ!!」
「……馬鹿ね」
一番合戦刀市のチェーンソーが、静かな夜に、低い唸りを上げた。
―――
ドリルを、出せなかったのが最大の心残りである。
どうも兄二です。
今回の話は、ただ、ガンハンマとかパイルバンカーとかチェーンソーとか出したかっただけです。
そして、後一作書いてやっとクリーガー編、というか前の光になって消えた彼の続きが書けます。
あれなんですよね。お話のリンクがあるから続編が書けない罠。
一番合戦刀市君について。
一応ごく普通の高校生だが、刃の一族な両親を持つためこのザマ。
両親は、刃の一族として活動中、もしくは戦死。
ちなみに刃の一族とは、魂の虚数空間内に無限の金属を持つ者の事。
昔は体を武器に変えるほどだったが、今では容量が減り、自身と武器の繋ぎにして、武器と同化する事しかできない。
しかし、刀市は隔世遺伝か、九十九への好意を認めたせいか、使用領域が拡大。
体を武器に変えることができるようになった。
ちなみに、九十八九十九と触れ合う事で本来のスペックを発揮する。
一番合戦刀仙市永、いちまかせとうせんいちなが、の刀仙は、一番合戦一族の始祖の名である。
そして、市永は刀市の銘であり、始祖の名から一文字とって、一番合戦刀市、なのである。
それではここで書き逃げと相成ります。
ではまたどこかで。