荊州は原典『三国志演義』の前半中では、比較的平和な他地方の難民や知識人の避難場所ですが、「赤壁」以降は北に「魏」東に「呉」そして西に「蜀」と囲まれた、三国による争奪の地となります。このことを予見した孔明は「まさに用武の地」と評価しました。--------------------------------------------------------------------------------††恋姫無双演義††講釈の40『覇王襲来』~赤壁へと続く道(その1)~荊州の州牧、劉表は錯乱する気力も尽きる思いだった。北は「魏」東は「呉」さらには西の益州から南の荊州南部は「蜀」に取り囲まれ、気が付けば「天下三分」のど真ん中に位置してしまったのである。おまけに、自分を支えてくれている荊州「名士グループ」が信用できない。流浪の「傭兵隊長」を蜀の国主に仕立てたのは、彼女たちの「仲間」なのである。しかも、そういう状態の主君に取り入る、そんな部下もいるものであって、劉表にある事を吹き込んだ。――― ――― ――― 蜀の成都。城中の「会議室」である。「荊州州牧は、表向きは阿斗さまの誕生をお祝いしたいと言っています」ところが、その「名目」で、桃香と一刀に阿斗を連れて荊州を訪問して欲しい。と要求してきていた。ところが、護衛の兵は最小限でと。その滞在中だけは蜀からの侵掠がありえないという、露骨におそれての要求だった。無理も無い。朱里。雛里。蛍。胡蝶。そして紫苑。いずれも、現在も劉表がその上に乗っている軍師や文官と同じ「荊州名士グループ」の出身である。それだけに、劉表の側近もその優秀さを知っている。それに「グループ」つながりから疑えば、劉表政権の内部すら蜀の間者だらけに見えかねない。反対に蜀の側でも、劉表側の情報は豊富に入っている。荊州の州牧、劉表は錯乱する気力も尽きる思いでいるらしい。――― ――― ――― 「まさに兵を用(もち)いるべき地、というべきね」華琳は地図を囲む部下たちを見回した。現時点で魏、呉、蜀の「三国」に囲まれているだけではない。元来、後漢13州のほぼ中央に位置し、西の益州以外の方向は平野が開け、長江、漢水、洞庭湖の水運が四方に延びる。華琳ほど積極的な群雄が荊州に拠点を置いていれば、ここから四方に出撃しているだろう。だが現在の荊州州牧、劉表は錯乱する気力も尽きる思いでいるようだった。それならば、三国による荊州争奪戦になるだけだ。三国中、荊州を確保した勢力が他の「2国」を中央突破した形になる。いや、それゆえに、荊州が三国の決戦の地になる可能性も少なくない。「渡せないわ。呉にも蜀にも。この曹孟徳が覇王と成るか、成れないかが、この荊州で決定するわ」華琳の宣言に部下たちが呼応する。しかし、その中には華琳の弟が欠けていた。――― ――― ――― 荊州の東の境に近く、長江と漢水が合流する夏口の地。孫呉の初代、孫姉妹の母でもある水蓮が、無念ながら戦線離脱した因縁の地である。何度目かの孫呉の夏口侵掠が、冥琳の指揮下、陸路と長江の水路から迫りつつあった。――― ――― ――― 結論として、蜀では、劉表からの要求を受けた。ここまで、露骨に蜀からの侵掠をおそれている以上、拒否すれば魏に降伏とかしかねない。むしろ、向こうから呼び出したこの機会を、説得する好機にすべきだろう。軍師たちの何人かがそう提案し、桃香も賛同した。北郷一刀は内心、いやな予感がしないでもなかったが、主君たちの決断が割れるのはもっと危ないと思い、「天のお告げ」は控えた。まあ完全に「歴史」通りなら、危険だが何とか助かるだろう。――― ――― ――― 予州潁川郡にある「現在の」帝都、許昌。しばらく、冀州の魏城にいた丞相曹操が許昌に戻って来ていた。… … … … … 少年皇帝のご機嫌を伺(うかが)い、溜(た)まっていた政務を片付ける。その間にも、曹魏軍が続々と集結していた。旧袁家勢力圏からも黄河を超えて動員されており、天下の北半分から集結した兵数はすでに20万余に達していた。… … … … … 華琳にしても、初めて率いる大兵力である。無論、武将・軍師に不足はしていない。ただ、弟の仲徳だけが、いまだ魏城から動けなかった。・ ・ ・ ・ ・「華佗先生。俺はまだ従軍できませんか?前線に出て戦うつもりはありません。ただ、姉に助言したいのですが」「せっかく助けた患者に、自殺されたくはないな」「しかし、先生も「天の国」から来たのなら、知っているでしょう。今度の戦いは「赤壁」に成る危険性があります」――― ――― ――― 巴郡から荊州の江陵まで、蜀の水軍が長江を下って来ていた。しかし、荊州の主城、襄陽まで直に水軍で向かうには、漢水と長江の合流する夏口の孫呉軍が問題だった。余計な摩擦を避けるため、江陵からは陸路を取る事になった。江陵から襄陽へと行軍する蜀軍の兵数は、荊州側を刺激しない程度に抑えてある。しかし、指揮の方は「五虎竜鳳」をそろえてきたから、戦力としては決して弱くは無い。少なくとも、劉表の側近に妙な考えを起こさせない程度にはなっている。中軍には、阿斗を抱き締めた桃香と寄り添う一刀。各所に愛紗、鈴々、朱里、雛里、星、紫苑、翠が配置され、堂々と進軍して行った。――― ――― ――― やはり、無理があった。魏城から許昌まで移動する間に、仲徳は発熱していた。おそらく、華佗が付き添っていなければ、許昌までもたどり着けなかったろう。「しかたないわ。今回、仲徳には許昌の留守を守ってもらうわ」無論、病床の仲徳を守り、かつ、少年皇帝の周囲での妙な事、先だっての「董承事件」のような妙な事を、思い止まらせる程度の抑止力になる程度の兵力は置いて行く。それでも、20数万余の大軍で、進発して行く事になる。――― ――― ――― 「おお、これは可愛い」桃香の胸の中の阿斗に微笑みかける劉表は、まったくの好人物とも見えた。ただ、やけにやつれた様にも見えるが。・ ・ ・ ・ ・早速、荊州側から、許昌での動員についての情報が開示された。あれだけの大軍を天下の北半分から集めていれば、隠せるはずも無い。たとえ移動中でも「伏竜鳳雛」が見逃す情報でもなかった。――― ――― ――― 揚州合肥城に駐屯する揚州州牧、劉馥(りゅうふく)の活動が急に活発になり始めた。この情報を得た呉の蓮華は、当然ながら許昌の大軍と関連付けた。その結果、夏口の冥琳を呼び戻していた。… … … … … 「これは陽動でしょう。陽動で無かった場合は、曹操に取っては下策です。上策は、荊州を直撃する事です」冥琳は蓮華の御前で断言した。「では引き揚げさせたのは、間ちがいだったとでも」「いいえ、この建業の守りが手薄になれば、下策ではなくなります。それを見逃す曹操でもないでしょう」――― ――― ――― 荊州襄陽城。蜀軍と劉表陣営との協議は、双方の軍師や側近が「荊州名士グループ」でつながっている事も手伝って、それなりに進捗してはいた。しかし、結論と合意にいたるか、どうかは別の話だった。要約すれば、劉表の側近たちの言い分は、「蜀軍が援軍として、当てにならないようなら、魏に降伏する」である。「だったら、連れてくる兵数に文句を付けるな。こっちに乗っ取られる心配と、曹操の脅威のどちらが怖いんだ」とでも言い返したいところだが。ともあれ、やっと、後続を蜀の勢力圏から動員する件について、荊州側からの同意を取り付けた。この時点ではまだ間に合うだろうと、協議ではそう推測していた。20数万余の大軍では、それだけ機敏には動けなくなるはずだ。――― ――― ――― いくら華琳や、その軍師・武将が優秀でも、20数万余の大軍は適切に分割して指揮する必要があった。そのため5個の「師団」に分割した。(“師団”にあたるヨーロッパ語を直訳すると“分割”である)そして「1個師団」ずつ順番に進発する手はずを整えた。ここで、細かい情報の中で、曹魏軍が徹底的に秘匿した情報が2つあった。それは、最初に進発する、いわば「第1師団」に関してである。まず、幹部クラスについては、華琳以下、春蘭・秋蘭・桂花・季衣・流琉・稟・風・凪・真桜・沙和や霞たち、最も優秀な軍師・武将がそろっていた。さらには、騎兵の割合が高い。旧董卓軍・旧呂布軍の涼州兵や、旧袁紹軍でも長城近くに出身地を持つ騎馬に馴染(なじ)んだ兵を集め、歩兵や補給部隊とのバランスぎりぎりまで、騎兵の割合を高めていた。この編成の結果「第2師団」以下を置き去りにする速度で進撃が可能になっていた。そして、竜鳳の軍師すら予想を裏切られる速度で、荊州に接近していたのである。――― ――― ――― 流石に「五虎竜鳳」が、完全に奇襲を受けるはずは無かった。情報をつかんだ蜀軍は、荊州北部の博望へと急行した。(…マズイぞ。どんどん「正史」の「赤壁」に近付いている…)北郷一刀は、内心、次第に焦(あせ)り出していた。一刀の態度に、まず桃香が不審を覚え、他の同志も妙に思い始めた。それを半分ごまかす様にして、こう言った。「襄陽の情報に気をつけて欲しいんだ。特に…もしかしたら、劉表に何かあるかも知れない」………。……。 …劉表の側近の1人でもあるが「水鏡」と親しい「名士」でもある、伊籍という文官が自分で急報を運んできた。「わが主が急逝(きゅうせい)されました」「それで、残った荊州政権はどうなっている」「蔡瑁・張允といったものたちが、降伏論に傾(かたむ)いています」蔡瑁・張允は地元の有力豪族である事もあって、劉表を支えてきた政権内の有力者でもあり、荊州水軍を指揮している荊州軍閥の実力者でもある。それが降伏論に傾いているとなると、ここ博望あたりにグズグズしている間に、敵中に孤立する危険すらある。「急いで、退却しましょう」竜鳳の献策に異議は無かった。………。……。 …退却中にも、今後の戦略を模索していた。「いっそ、襄陽を、この際に乗っ取って」などといった過激な意見も出たが、「そんな無理をしても、荊州軍が、わが軍の指揮に従う確実性がありません」「今一番、確実な策戦は、蜀の勢力圏まで退却する事です。蜀水軍を待機させてある江陵まで急ぎましょう」こうなると、後に残して来たら人質にされかねない、阿斗や璃々を陣中に連れて来ていた事が幸いだった。――― ――― ――― 「そう。降伏するのね」華琳は、上機嫌だった。「孫子の兵法」曰く「戦わずして降伏させるのが善の善」なのだから。「劉備はどうしたの」「一旦、襄陽に立ち戻り、わが旧主、劉表の棺にあいさつすると、そのまま立ち去りました」「それだけ?」・ ・ ・ ・ ・なぜか、曹魏軍はかつての黄巾軍なみの暴虐な軍だという、流言飛語が襄陽とその双子都市に流れ、多数の難民が蜀軍の後を追いかけて行っていた。・ ・ ・ ・ ・「(絶句)」「分かったわ。誰がそんな流言を流したかは知らないけど、本当の魏軍は民衆をいじめたりしないわ」銅銭1枚を略奪しても打ち首。直に全軍と城内全部に布告しなさい。――― ――― ――― 少なくとも、蜀軍が流した流言ではないだろう。この結果を見れば。蜀軍は余りにも多数の難民を抱えた結果、退却離脱しようとする軍事行動からすれば、ノロノロとしか言いようのない速度にまで落ち込んでいた。(…マズイぞ。本気(マジ)で「長坂」に成り始めている…)--------------------------------------------------------------------------------次回は「原典」“演義”通りなら、趙雲と張飛の見せ場になるはずです。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の41『長坂虎豹』~赤壁へと続く道(その2)~の予定です。