††恋姫無双演義††講釈の19『益州侵掠(その5)』~いざ成都~後漢帝国の人口は5000万前後だったと、これは「正史」に明記してある。しかし、三国の人口は合計して、ある学者の説によると500万そこそこだった。その学者の説では、その原因はこう説明されている。この人口を養っていたのは、黄河や長江の灌漑(かんがい)農業だったから。皇帝の責任と強大な「リーダーシップ」の下で、治水と灌漑が行われていれば、これだけの人口をこの時代の技術でも養いうる。それが大河の恵み。だが皇帝が放棄すれば「恵みの大河」は恐るべき暴竜に一変し、この王朝からすでに天命が去った事を思い知らせる。まさしく、飢餓(きが)も大洪水も天災などではない。天命を失った帝王による「人災」なのが中華帝国だった。・ ・ ・ ・ ・益州の主要部、四川盆地も例外ではない。いや、むしろ「モデルケース」とすらいえる。「四川」の名の通り、四方の山脈から流れ出る幾(いく)本もの流れが、この盆地のあちらこちらで長江に合流していた。… … … … … 幽州や荊州の出身者には、珍しいほどの長雨の中で、いつしか不安を感じていた。そして、その不安は当たりかけた。劉備軍の駐屯している近くで、堤防が悲鳴を上げ始めたのだ。地元の狭霧たちはそれを見越して、高目の土地を選んで駐屯させていた。桃香や北郷一刀たちは迷わなかった。劉備軍のほぼ全軍を挙げて、堤防の補強工事を始めたのである。その工事の最中、成都から使者が来た。成都にいる益州軍も補強工事に参加させて欲しい。と。「これって、もしかして」「ええ、認められたようです」「(…て、誰かが報(しら)せた?)」… … … … … いずれにせよ、益州の支配者なら当然の責任。それを果たそうとしていると認められた。劉備玄徳が「蜀王」となる、その時がついに来る。・ ・ ・ ・ ・その時。久し振りの晴天の下、もはや抵抗勢力も無く劉備軍は成都へ進軍する。開け放たれた成都の城門を前に、益州刺史の補佐官だった賈龍が出迎えていた。その賈龍が、桃香の前に膝をつき、両の手のひらに錦(にしき)を広げ、その上に乗せたあるものを差し出す。益州刺史の「印綬(いんじゅ)」―印章とそれを身に付けるためのひもを組み合わせて、皇帝から与えられる。刺史の戦死後、補佐官の賈龍があずかり益州を守ってきた。無論、桃香は「益州州牧」の印綬を新たに与えられている。すなわち、その新しい印綬のみが、これより有効である事を儀式によって示しているのだ。――― ――― ――― その情報は、中華を駆け巡った。トンデモない陰謀から身をかわすように、一旦、撤収中の曹魏軍へも。孫呉の復興を信じて、袁術陣営の「保護」下で好機を待ち続ける孫姉妹へも。――― ――― ――― 前任の州牧、劉焉が、いまだ滞在中の荊州の公安にも届いた。いや、わざわざ知らせてきたのである。その使者にたった胡蝶は、ある人物を伴(ともな)ってきた。たとえ今は「メイド」でも、同じ「董」姓から1度は相国まで昇った相手に対しての礼は失しない。いかにも当代の儒学者らしい、この人物が董扶である。劉焉に対し「西南に天子の気がある」と予言した占者はこの人物だ。もともと、この益州の名士出身である。迷走を繰り返す皇宮に仕え続ける気が元々なく、故郷に「天子の気」などという「占」が出たのを幸い、帝都から逃げ帰ろうとしたのが真相だった。それだけに、人望仁徳だけは余るほどあり、トドメに光り輝く「天の御遣い」を連れている「劉」氏の“お姫様”に対面して、あっさりと自分の「占」が予言したのは、この方だと認めてしまった。「前の牧は、私が説得して帝都に帰らせましょう。ただ、私めに故郷で平穏に引退する事をお許し下さい」賈龍も、全く同じ事を申し出た。「これを最後の任務としてお与え下さい」「でも…これからこの「蜀」にみんなが笑顔で暮らせる国をつくっていきたい。1人でも多くの人に手伝って欲しい」「お言葉を信じたいと思います。だからこそ、お邪魔をしたくありません」・ ・ ・ ・ ・それからしばらく後のこと。ここは、益州の州都、いや、もはや実質は「蜀王国」の王都かもしれない、成都。董扶とちがい、賈龍はあっさりお役御免とは、現実にはいかなかった。政務の引き継ぎ、1州に相応しい規模の量になる書類を引き渡し、その内容を説明しておいて、始めてその責任が終了するのである。かくて、一介の傭兵隊であったときには、想像もできなかった大量の書類に挑戦する事になった。もっとも実質的には、朱里や雛里、胡蝶たち、特に地元出身の狭霧たち、今はすっかり充実した文官たちが処理してくれたが。… … … … … 引き継ぎも無事に進み、賈龍は董扶ともども最後の任務に出発した。さらに、主君や文官も日常の政務に落ち着き、軍の再編成も一段落した、この段階で、ある懸案事項が浮上した。ある意味では、公私混同かもしれないが、しかし、この「蜀」に国づくりをするならその覚悟を示す事になる。つまり、幽州や荊州など、益州以外の出身者たちがそれぞれの故郷にいる家族を引き取る事。主君である桃香自身、楼桑村に母を残してきた。無名の兵たちにも、それぞれ故郷に残してきた誰かがいる者もいる。できるだけ、そうした誰かがいる者は後に残してきたが、それでも、故郷に誰かを残して、この「蜀」まで付いて来た者もいたのだ。今までは、流浪の傭兵隊だったが、ここに来て落ち着いて生活できる拠点を得た。ならば、ここで家族とともに暮らす「家」を持つべきではないのか。・ ・ ・ ・ ・だが、この懸案事項には「蜀」の外の事情が、絡(から)んでいた。ここ「蜀」は、後漢も西南。となりの荊州からならともかく、ほぼ反対の東北の幽州から家族を呼ぶとなれば、その途中の各地方の情勢も考えなければならない。例えば、江東(長江下流)の治安状況とか。なぜ江東かといえば、この時代の陸上交通と水運の地位に関係する。長江は大河である。東海岸沿いに南北に物流を運んでいる、この時代なら大型船が、蜀の巴郡までそのままさかのぼれる。ならば、その「大型船」で、巴郡から幽州の最寄りの港まで往復してしまうのが、なにかと面倒が無い。まして、今のこの乱世に後漢13州の西南から東北までを往復するなら。ただし、海賊とか妙なやつらが、水上にまでウロウロしていなければの話である。「海賊なんか、ついでに退治してくるのだ」「残念ながら、鈴々ちゃんと愛紗さんには、治水工事の指揮で予定が詰まっています」四「川」を守る軍なら、戦争の無い時には重要な任務である。間ちがいない。さらに、愛紗と鈴々は劉備軍の武将の中でも最古参であり、なにより桃香の「妹」であり、いわば「二枚看板」だけに、可能な限り速やかに、蜀の兵にも民衆にも馴染(なじ)んでもらいたい。その意味での共同作業でもある。「ですから、護衛は当然付けますが、その指揮は桔梗さんにお願いします。つまり、迎える蜀の側の代表でもあります」「依存は無い。海賊相手になら、いくらでも豪天砲を使おうぞ」じゃが、幽州で「顔」の通じていた者を連れていかんと、儂(わし)では先方が信用して付いて来てくれんかも知れんぞ。なんせ、乱世じゃからのう。「そのための証人は簡雍さんにお願いします」どうせ、自分でも、自分の家族を迎えに行く事になっていた。他にも、自分で自分の家族を迎えに行く者は、無名の兵まで含めて何十人かいた。逆に桃香たちのような、責任ある立場の者が動けなかった。そのため、簡雍には手紙や伝言も託(たく)された。… … … … … さて話を戻して、長江の治安状態である。かつての孫呉水軍が袁術陣営に横領されたとはいえ、解散したわけではない。袁術陣営とて、治安に関して手抜きしても支配する側の不利益だ、ぐらいは心得ているらしい。少なくとも、桔梗が護衛している限りは無事だろう。あとは、船を準備して迎えに行く事になった。・ ・ ・ ・ ・長江沿いの巴郡の港。益州水軍の軍港でもある。桔梗が指揮し簡雍たちが乗り込んだ、堂々たる軍船が長江を下っていく。見送る桃香が、どことなく未練がありげに、北郷一刀には見えた。「桃香…」一刀は、部下たちに聞こえないようにして、話しかけた。「俺だけには弱音を見せてもいいんじゃないか。もう幽州へ帰らないという決心をするという事だったものな」「これからは、この「蜀」が劉備玄徳の故郷です。それにご主人様は「天の国」から落ちて来られて、お1人」「でも、桃香たちがいるさ。桃香にだって俺だけではなく、仲間たちがいるだろう」「そうです。そして、これから「蜀」を本当に、故郷にして育っていく……私たちの子供…」なぜか、桃色になる桃香。そして、なぜか一刀まで……--------------------------------------------------------------------------------ゲームならここで「拠点イベント」でしょうが、「恋姫」なのに、なかなか“らぶらぶ”がなくて、申し訳ありません。それにしても、曹仲徳ならずとも「歴史」の暴走といいたいくらい、「三国」のトップをきって、「蜀」は建国されてしまいました。ところで、あとの「二国」はどうなっているでしょう。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の20『曹魏は名分を得て躍進し 孫呉は断金の交わりにて再興す』の予定です。