††恋姫無双演義††講釈の16『益州侵掠(その2)』~蛮王は貪(むさぼ)り食(く)らう~益州巴郡の将、厳顔(桔梗)は、捕虜となっても、その態度を崩さない。降伏したのは、どうせ、あれだけ完全に包囲されたのでは、部下を皆殺しにされて、結局、巴城を落とされるだけという現実を突き付けられた、だからに過ぎないと。「さっさと斬らんか、侵略者ども」捕まえている方が、困惑していた。「どうしたら、信じて貰えますか」桃香などはむしろ悲しげだ。「そうじゃな。美辞麗句をいかに並べても、その場だけのことじゃろう。ならば実績を示してもらおうかの?」「実績ですか」「そうじゃ。南蛮のやからが、この益州を困らせているのは本当じゃ。やつらの乱暴をやめにして見せられるか」・ ・ ・ ・ ・後漢13州の1つ、益州には四川盆地のみがあるのではない。その南に雲南の高地が広がる。「現代」ですら、山々の間にいくつもの少数民族が伝統を守り続けている。しかし、すでにこの時代、この地にも、益州に属するいくつかの郡がおかれていた。つまり後漢帝国の行政範囲にはなっていたのだ。さらにその南「現代」なら「中国」と「ラオス」「タイ」「ミャンマー」の国境をまたいで拡がる領土を支配する、南蛮王、孟獲が雲南を侵略している。「彼女」の主張では、雲南は「漢」ではない。彼女が支配する南蛮と同じ土地、同族、すなわち南蛮だと。奪われたから「漢」から奪い返すのだと。――― ――― ――― 「にゃ―にゃ―にゃ―」見た目には「わがままロリっ娘」が「ジャングルの女王様」の“こすぷれ”をしている様にしか見えない。だが、例えば見た目は「あの」鈴々で、中身は「張飛」だったりするのだ。まさしく「コレ」が南蛮王、孟獲。いまだ、後漢帝国ほどの「国家」という概念に到達していないはずの、“南蛮”各部族を統一している「王」なのである。孟獲(真名美以)は、あの小さな体のどこに入るかをすら、超えた量の「ごちそう」(あくまで南蛮基準、益州とて漢のはしっこ)をぱくついていた。まるで、これが目的で、益州に攻め込んだ。とでも誤解されそうな光景。いや、支配するつもりなのが、南“蛮”と“半分”同族の雲南部族だから、“蛮人の王”らしく「見せ掛けて」いるのか(?)この「わがままロリっ娘」「ジャングルの女王様」に益州の官軍が雲南から追い出されたのは事実。益州刺史の戦死後、補佐官だった賈龍が何とか四川盆地を死守しているが、それが精一杯で、反撃の余裕もない。――― ――― ――― 「蜀」の国づくりのためなら、遅かれ早かれ、果たさなければならない義務と責任。同志一同に異存は無い。むしろ、長江の下流の方から、転進する方向を迷わせるような使者が来た。「荊州東方の夏口。揚州からの侵掠を受けたり」――― ――― ――― 孫堅(真名水蓮)は孫呉軍の勢力を伸展させるため、黄巾の乱以来、転戦してきた。まずは、将軍朱儁の官軍に加わって、黄巾と戦った。荊州南陽郡に、敵の首領を求めて、南陽郡城の城攻めに加わった。その後、黄巾の残党を討つ、朱儁の官軍に同行し、そこそこの功績を上げた。その結果、郡太守の官職を得て、それに応じた軍権を認められた。そのうち、董卓に対する連合軍が結集すると、拠点のある江東地方(長江下流域)に近い(あくまで中国的スケール)淮南地方(淮河南方)で拠点と勢力を拡大しつつあった、袁術軍に誘われる形で、連合軍に参加した。無論、ここで功績を上げて、さらに軍閥として成長するつもりだった。しかし、1番手柄は曹操軍に取られた。最初に決起を呼び掛けた当人でもあるだけにその差は大きい。その次は公孫賛軍の傘下にいた劉備軍であり、益州州牧にまで大抜擢された。いくら、漢王朝の“お姫様”とはいえ。それでも、破虜将軍の「名分」は得た。この「名分」を活用して、勢力を伸ばそうにも、江東の北には、今しばらく下風に立つしかない袁術軍がいる。「四代三公」の袁家が蓄積してきた人材、資産、兵力には、新興軍閥では、まだまだ追い付けない。機嫌(きげん)を取り損ねたら、江東の拠点すら危ない。東は海、南はこの時代では「中国」の範囲内でなく「南蛮」と意識されている未開発地帯。ならば、西の荊州を狙ってやる。だが……・ ・ ・ ・ ・「水蓮どの。何をあせっておいでだ」「祭。もう「漢」という「国家」はあてにはならない」この「呉」が私たちの国。この呉の国を私たちで守るしかない。雪蓮、蓮華、小蓮。あの子たちや、冥琳たちが笑ってくらせる国に、この呉の国をしたい。あの子たちが、私たちのように戦う事の無い国にしたい。「そのためなら、むしろ今はあせられるな。下手な真似をしたら、お子たちにツケを回す事になりかねぬ」結局、孫呉軍は、袁術陣営にけしかけられる様に、長江をさかのぼった。長江が荊州の領内から、東の揚州に流れ出す手前に位置する、夏口の城を攻囲したのである。――― ――― ――― 荊州の軍閥、劉表に対し、劉備軍は借りがないわけでもない。荊州水軍を拝借して、益州入りした。また、荊州の名士や兵を相当連れ出した。その「借り」を取り立てられたら、この場合、援軍に引き返す「義理」がないわけでもない。しかし、まだ最初の1勝を上げたばかりで、ここで引き返しては、全てが水の泡(あわ)……そのとき「天の御遣い」は少しだけあわてて、すぐに冷静さを取り戻した。「多分、俺たちが援軍に行くまでに、孫呉軍は撤退するよ。孫堅の不運を見殺しにするみたいだけど」… … … … … 荊州からの続報は、劉備軍がまだ巴城に居座っている間に届いた。「援軍に及ばず」夏口の城を攻囲中に、孫堅は不慮の事故にあい、あっさり戦線を離脱したらしい。そのまま、孫呉軍は撤収していった。――― ――― ――― ここに「わがままロリっ娘」がもう1人。だが声だけは可愛く言っている科白は、翻訳すれば「○○屋、おぬしもワルじゃのう」その「○○屋」もとい側近の張勲(七乃)が主君である袁術(美羽)に吹き込んだ“悪事”というのが……孫呉軍が、海賊退治から身を起こし、新興軍閥となるまで築いて来た、その勢力のほとんどは、実にあっさりと袁術陣営に横領(おうりょう)された。その口実は「孫呉は当主を急に失い、跡継ぎはまだ未熟」真っ赤なうそでもない。そして、現時点では「四代三公」の“ポテンシャル”に逆らうには元々、力不足。だが、袁術陣営の「保護」下に一旦、入っただけで、再起を諦(あきら)めるなどとは、孫姉妹とその同志たちを、見くびり過ぎていたのである。――― ――― ――― 曹操の「魏」軍は、予州潁川郡から兗州へ、着実に拠点と勢力を拡(ひろ)げていた。「そろそろ「現在」の帝都、洛陽から何か言ってくる頃かしら」とはいえ、当面の問題もいくつかある。予州から兗州の東、徐州の州牧である陶謙に対し、侵掠するにせよ、外交交渉するにせよ、接触する時期だった。・ ・ ・ ・ ・さらに、曹魏の勢力圏は、徐州だけではなく、沛国にも近付きつつあった。「私だって、積極的に不孝娘に成りたい訳でもないわ」沛国に向ける軍を、徐州方面とは別に編成しようか、その事を含めて軍議にかけていた時、急報が飛び込んで来た。「徐州軍らしきもの、沛国を急襲!」一瞬、華琳だけでなく、沛国の曹夏侯一族の出身者たちが、殺気立った。ところが…「待って、華琳姉さん。落ち着いて」「仲徳?!貴様にも親だぞ」「分かっているよ。春蘭さん。でも、華琳姉さんにここで、自分を見失ってもらうわけにはいかないんだ」「仲徳?あなた変よ。あなたこそ、いつものあなたじゃないみたい」「秋蘭もそう思うか。ええい、この大事に仲徳までおかしくなるとは」……何と言われようと、これだけは許すわけには行かない。「曹操」の弟であると、自覚できた時から、これだけは「正史」通りにしてはならないと思い続けてきた。この「虐殺」だけは。「(どうする。俺の「正体」をバラすしかないのか?)」――― ――― ――― 巴郡から、劉備軍は転進した。益州の主城“成都”のある西ではなく、雲南の山また山脈が連なる南へ。桔梗も、元のまま、巴城の軍を率いて参加していた。「しかし、お主らの「お館様」も奇妙なお方じゃな。ほんに「天の御遣い」でもなければ知らん様な事を」確かに「天の御遣い」だから知っていたのだ。孫堅の不運を。むしろ、見殺しにしたような後味すらあった。…孫策には、いつか弁解できる機会があるかな。そんな事を考えてみたりする、北郷一刀でもあった。--------------------------------------------------------------------------------「三国志」である以上「呉」や「魏」を無視もできません。当面は“三国”を右往左往しつつ『益州侵掠(その?)』~いざ成都~(妄想中)を目指します。それでは続きは次回の講釈で。次回は講釈の17『益州侵掠(その3)』~七たびとらえて七たびはなつ~の予定です。