††恋姫無双演義††前ふり『聖フランチェスカ学園』体育館にこだまする、竹刀と防具、あるいは竹刀同士がぶつかり合う音、凛とした、しかし澄んだ声の気合。何時もの様な、剣道部の稽古風景。それが、一段落したところで、“唯一の男子部員”が部長に用件がある事を申し出た。といっても、部長も先刻承知である。なぜなら、生徒会経由の用事だったから。「すみません、不動先輩」手早く、道着を学生服に替えると、彼、北郷一刀は用件の場所へ向かった。ここは、聖フランチェスカ学園。数年前まで「お嬢様学校」として知られ、最近、男子学生を受け入れだした。その為、男女比が極端に偏っているとされる。それこそ、どこの「美少女ゲーム」だと言う位。一方、授業料etc.は私立の全寮制としては奇跡的に安く、そのくせ、学校施設の方は、その「安さ」からは不可能な程、豪華である。まあ「お嬢様学校」だけあって、OGやら父兄やらからの「寄付」が半端じゃないのだろうが。「例外は何故か未だプレハブの男子寮ぐらいだな(笑)」女子寮などは、まさしく「乙女の城」と云うべき豪華さ。剣道部に専用体育館があり、さらに一学園にしては分不相応な程の歴史資料館があったりする。実際、学外からの見学申し込みが1度ならずある程の資料館で、実は用件とは「ガイド」だったりする。では何故、一刀がといえば、彼が「歴史ファン」だがらだろう。より細かく言えば「三国志演義」のファンだ。実際、プレハブ寮の自室には「演義」が原作の小説やら、劇画やら「何とか無双」とかのタイトルのゲームやらを持ち込んでいる。もち論、資料館に展示されているのは三国時代のものだけではない。それなのに誰が彼を推薦したかと言うと、「まったく、及川のやつ。分かり易いんだからなあ」数少ない男子生徒仲間であり、一応、親友ないしは悪友が何故、張り切って申し出たかも明白だった。西宮市あたりの他校の文芸部だとかいう、一行5人中3人は成る程、美少女といっていいが、しかし、リーダーの少女は明らかに男子部員の1人と「バカップル」としか見えないし、残る1人の男子部員は及川曰く、「まちがいなく男の敵、別な意味で女の敵、つまり全人類の敵」で、結局のところ、勝手に自爆していた。しかし、流石に三国時代のコーナーへくると、一刀にも調子が出てきたこともあって、結構、会話が成り立ちだした。リーダーの少女に引きずられっ放しだった男子部員が、結構、一刀と議論を成り立たせていた。「…それでもし、三国の何処かに仕官するとしたら、「何」を選択するか。そう」「義」を選ぶのか、「覇」を選ぶのか、それとも「絆」を選ぶのか。ここで、リーダーの少女が、そばから割り込んできた。「むしろ、こんな時代はさっさと終わるべきだったのよ。戦乱の時代ということは、無名の民衆が犠牲になっていた時代という事じゃない」そうかも知れない。後漢帝国の人口は、5000万前後だったと、これは「正史」に明記してある。しかし、三国の人口は合計して、ある学者の説によると、500万そこそこだったとか。確かにそんな時代はむしろ早目に繰り上がった方が良かったかも。「そうなんですよね~。例えばこのフランチェスカみたいな「ハーレム設定」の方がよっぽど平和でいいんじゃないかと」「及川……(他校の見学者にまで、何が目当てで入学したか、誤解される事もないだろう)」そんな議論をワイワイとしていたとき、ふと、一刀は不審を感じた。同じ制服を着ているが、見覚えのない少年(?)そう、数少ない男子生徒は、ほとんど同じプレハブ寮に押し込まれている。それなのに、顔見知りでない。だから逆に、同じ制服を着ているのに見覚えがなければ、それだけで怪しい。それに、田舎の祖父に剣術を仕込まれた、その程度でも判る、こいつはできる。いや、危険だ。しかも、隠そうともしていない殺気で、まるで仇の様に展示ケースの中の「銅鏡」をにらみつけていた。ガイドを終えて、寮に戻ってきても、不審が脳内のどこかで、もやもやと漂っていた。その結果、竹刀を手に、資料館の方に出かけ…帰って来なかった。翌朝、資料館の近くに、見事にへし折れた竹刀だけが落ちていて、一刀の姿はどこにもなく、資料館の玄関の鍵は壊され、ケースはガラスの破片となって銅鏡がなくなっていた。立派に、強盗拉致事件であり、当局も動いたが、しかし、一刀も銅鏡もあの不審人物も手がかりは出て来ず…・ ・ ・ ・ ・ ・…中国の古都、かつての後漢王朝、そしてそれに取って代わった次の王朝の時代の、中華帝国の帝都に、日本からの修学旅行の一行が訪れていた。その中の1校は聖フランチェスカ学園だった。ガイドの説明を聞きながら、かすかな違和感を覚える。何か、べつの「歴史」を知っている様な。しかし今は、このガイドが説明する「歴史」が「正史」の筈だった。「…ここは本来、後漢王朝に変わる新たな王朝を開いたその初代皇帝の陵墓です」後漢末期、いわゆる「無双演義」の時代として知られるこの時代は、群雄割拠の動乱の時代であるのみならず、女性、それも乙女といってよい若き「天才少女」たちが何十人も「武将」「軍師」さらにはそれらの上に立つ「君主」として活躍したという点でも、中国史上、特徴ある時代です。この時「天の御遣い」として、突如歴史上に現れたこの陵墓の主は、その時代を動かす『英雄』でもあった「天才少女」たちのほとんどを、自分の後宮の妃に迎えました。その結果として、最悪の場合は何十年かに渡ったかも知れず、さらに最悪の場合は、当時の中国の人口を1桁少なくするほどの犠牲を伴ったかも知れなかった乱世を、結果としては数年で収束しました。そして、天下太平の名君として、後半生を全うした後、この陵墓に葬られました。その際、見ての通り、陵墓の前面に「天の御遣い」の後宮の「恋姫」でもあり、時代を動かした『英雄』でもある「天才少女」だった彼女たちの『英雄』時代の姿の像を祭った「祠(ほこら)」を並べたのです。その後、彼女たちの物語が「無双演義」の題名で「講釈」や「演劇」として広く普及するにつれて、「この通り「恋姫祠」は中国における代表的な観光スポットとなりました」「どうした、及川。解説に退屈してるにしちゃ、妙に神妙じゃないか」「そうなんや、一刀の事なんや」「ああ、アイツも連れて来たかったな」「そういう意味じゃないんや。何かこう…そうや、アイツが近くにいる様な気がしてならんのや」ふと、そよ風が吹いた、奥の陵墓の方から。--------------------------------------------------------------------------------ずっと、いろいろな方々の作品を楽しませてもらってきました。何か、自分でも投稿したくなり、いささか無謀な試みを始めてしまいました。無謀なりに、続くだけは続かせたいとだけは思いますので、どうか、暖かく見守って下さる様、お願い申し上げます。それでは、中国ものらしく、続きは次回の講釈にて。次回は講釈の1『桃園起義』~「天の御遣い」は光り輝いて落ちて来る~の予定です。