「ふぅ‥‥‥」
背後で桧皮色の火の粉となって散る"駝鼓の乱囃"ウアルの消滅を感じながら、ヨーハンは柱の一つに背を預ける。
表情にこそ出はしないが、相手も流石に"紅世の王"。長時間戦うのは心身共に消耗する。
(でも、思ったより力を温存出来た。これなら、上手く動けば行ける‥‥かな)
今のヨーハンは、ほんの少し前のメリヒムよりは遥かにマシとはいえ、それなりに力を消耗しており、回復する当てもない(メリヒムの真似事をする気にもなれない)。
"この後"の事も考えると、力はいくらあっても足りない。
(‥‥‥"嵐蹄"、フェコルー)
『星黎殿』の守護者たる、強大な嵐の使い手。
あれだけ派手な突入を掛けたのに、未だにその姿を現さないという事は、この状況でなお、『星黎殿』を『マグネシア』を包んでこれ以上の侵入を阻む事に専心しているという事だ。
おそらく、この『星黎殿』の中核たる指令部‥‥自分がこれから向かう先で、である。
「よっ、と‥‥‥!」
勢いよく踏み出し、歩きだす。
(ここからが、本当に大変だ)
全く、厄介な友達を持ったものだ、と嘆息しつつ、苦笑する。
大扉を抜け、また長い道を歩く。自分に、鉄壁の『マグネシア』を突破する事は難しいだろう。
"隙を突く"ためには、ここから先は今までよりずっと慎重になる必要がある。
そう、気を引き締めて踏み出す、その中で‥‥
「っ!?」
小さな、違和感。だが、何か怖気を誘う感覚に襲われる。
(何だ、これ? 足元から‥‥違う、もっと下からだ)
足下から感じるその微弱な気配、その理由が"絶大な力を隠し切れずに漏れだしている"のだという事を、世に知られた自在師たるヨーハンは、即座に感覚で理解する。
"それ"に気を取られていたせいなのか、
「これは、随分とまずい所まで入り込んで来たものだ」
それとも、常のヨーハンであっても気付けなかったのかはわからない。
だが、この時、事実としてヨーハンは気付けなかった。
(っ! ‥‥‥後ろ!)
声に反応して、普通の使い手ならまず不可能な練度の自在式の防壁を、自身の周囲に取り巻く。
振り向いた時、ヨーハンの自在式は確かに、背後から迫りくる無数の自在式を阻んでいた。
だが、それも一瞬。無数の自在式はヨーハンの防壁に阻まれて、突き破らず、まとわりついて、
「なっ!?」
"侵食"する。自在式に巻き付いてその紋様が描き変えられていく。
侵食に連動し、琥珀色のヨーハンの自在式の色も変化する。ヨーハンの周囲を取り巻き、蝕むその輝きは、深い緑。
瞬く間にヨーハンの自在式全てを奪い、捕らえた深緑の輝きは、即座に力を解放する。
ヨーハンの足下から、深緑に輝く水晶がせりあがり、包み込み、鎖す。
「"螺旋の"‥‥‥!」
全ての言葉を言い終える事なく、ヨーハンは強大な力と綿密極まる技巧の水晶に封じられた。
残されたのは、一切の自由を奪われたミステスの少年と、その少年に向けて右手をかざす、薄い衣を纏った紫の短髪の少女だけ。
「‥‥‥皮肉なものだな。私の手で一度救い出した者を、今度は私の手で封じる事になるとは」
少女・"螺旋の風琴"リャナンシーは、かつて変質した『零時迷子』に封じられた『永遠の恋人』ヨーハンを、坂井悠二の頼みによって救い出した事を思い出す。
そういえば、彼らとの出会いは、ヨーハンがきっかけであった。
(悪く、思うな)
ヨーハンに背を向け、リャナンシーは行く。
「‥‥さて、行くとするか」
彼方を見て歩を進めるリャナンシーの手に、薄く深緑の輝きを放つ毛糸玉が握られていた。
「はぁあああ‥‥‥!」
フィレスの両肩の、鳥とも人とも見える肩当てが、周囲の風を凄まじい勢いで吸い込んでいく。
ひとしきり風を呑み込んだフィレスが、一度軽く目を瞑り、刮目する。
「ふっ!」
刹那、琥珀の輝きを舞わす圧倒的な暴風が、フィレスがを中心に渦巻いた。
「行くわよ!!」
その風を纏った、力の弾丸と化したフィレスは、そのまま美麗の獅子を標的に定めて飛翔する。
「させん!」
それを迎え討たんとするプルソンは、すでに辺り数ヶ所に『ファンファーレ』を潜ませている。
「謳え!!」
忍ばせたラッパ、その内の二つから、破壊の音弾がフィレスを襲う。
確実に着弾の軌道にあるその攻撃に、フィレスは避ける素振りも見せない。
ただ、真っ直ぐにプルソン目がけて飛び、
(‥‥‥‥‥‥‥)
"それ"が、フィレスの周囲の"風を貫いて"至近にきた途端、
「ここぉ!」
先ほど呑み込んだありったけの風を纏った拳、圧倒的な爆圧を伴った拳撃で、音の衝撃波を余波も残さず散らした。
(よし、"これ"ならいける!)
力勝負は分が悪い、が、ありったけの風を両の拳一点に集中すれば、対応出来る。
不可視の多角攻撃は、周囲に巡らせた風をセンサーにすれば良い。
(後は、接近して『インベルナ』でプルソンを包めば、私の独壇場になる!)
典型的な遠距離タイプに接近出来る確信を得たフィレスは、さらに速度を上げる。
「くっ‥‥‥‥!」
プルソンの方も、接近される事の不利と、接近されかねない脅威に当然気付いている。
下がりながら、四方八方から『ファンファーレ』による衝撃波を次々に放つが、悉くフィレスの風を纏った拳に阻まれる。
そして、元々スピードならフィレスが上、逃げ続けられるはずもなく、みるみる距離を詰められていく。
(あと二発弾いて‥‥いける!)
後僅かで『インベルナ』を仕掛けられる間合いにプルソンを捉えられる。
その確信を持って、二発音弾を弾いて距離を詰めるフィレス。達人にこそその効力を発揮する必殺の『インベルナ』を繰り出そうとした、まさにその瞬間だった。
「っ!?」
僅かに、震えたのだ。
出発前にマージョリーから全員に渡されていた、栞が。通信と、仲間たちに何かあったら反応する自在法が込められている。
メリヒムは、同じ戦場にいる。シャナたちは、まだ悠二たちに追い付いてすらいない。
この状況で、栞が反応する可能性があるとすれば‥‥‥‥
(‥‥‥ヨー‥‥ハン?)
最愛の、恋人。
殺し屋・"壊刃"サブラクの手で、一度は限りなく消滅に近づき、幾つもの幸運が重なって奇跡的に自分にの許に帰ってきてくれた‥‥二度と手放したくない人。
その身に、何かがあった。
フィレスにとって何よりも恐ろしい予感が脳裏に浮かんで、一瞬で茫然自失に陥った。
"プルソンの目の前で"。
ドンッ!!
「っあ!?」
その胸に、プルソンの『獅子吼』が直撃し、見えない大砲の弾をぶつけられたような陥没が唐突に起こって、フィレスは痛痒すら感じる間もなく吹っ飛ばされた。
下からプルソンを追撃していたフィレスは、上からの衝撃を受けて斜め下に吹き飛ばされ、地をぶち抜いて『星黎殿』岩塊部へとたたき込まれる。
「何に気を取られたのかはわかりかねますが、あの局面で気を抜かれるとは」
激痛が全身を蝕み、今まさにプルソンが、自分を殺そうと迫って来ている。その状況下においてなお‥‥‥
「ヨー、ハン‥‥」
フィレスの心中を占めるのは、何より大切な一人の少年の安否。
「‥‥残念です、このような幕切れとは」
フィレスがたたき込まれた際に空いた穴を、空からプルソンが見下ろす。
そして、大きく息を吸い込む。
絶対絶命の危機に瀕して、フィレスもようやっと自身の‥‥否、"二度とヨーハンと会えなくなる"危機を自覚する。
だが、避けられない。防ぐ事など、もっと出来ない。
「さらば、"彩飄"フィレス!」
奔る獅子の咆哮。フィレスにはどうしようも出来ない一撃を、
ドォオオオオン!!
横合いからの破壊の力が、貫き、薙ぎ払った。
七色の光を撒き散らす、圧倒的な光輝の『虹』。
「‥‥‥‥‥‥‥」
私情などに振り回されはしない。
自分の使命を理解しているから、その使命に準ずる事を、自分の意思で決めたから。
それなのに、抑えられそうにない。
とどめを邪魔された事に憤激したわけではない。
かつての怒りが呼び起こされたわけでもない。
ただ、剣を構え、長い銀髪を靡かせて立つその姿が。
"立ちはだかる"
自分たちの夢を阻むその姿勢を見せ付けられたように感じて‥‥‥
我慢する事をやめた。
「"虹の翼"、メリヒム‥‥‥!!」
「‥‥‥‥‥‥‥」
助かった‥‥‥らしい。
かなり癪だが、今回ばかりはあの男に感謝せざるを得ない。
(‥‥‥‥ヨーハン)
わからない、ヨーハンの身に何が起こったのか。
いつもこうだ。
"あの時"、ヴィルヘルミナと再会し、悠二やヘカテーたちと初めて会った時も、自分はヨーハンの身に何が起こっているのかもわからず、暴走した。
(痛ぅう、やっぱりダメかぁ‥‥‥)
立ち上がるどころか、身動き一つ取れない。
プルソンに至近で食らわされた『獅子吼』の威力は、それほどのものだった。
(‥‥‥今は、出来る事をやるしかないわね)
ヨーハンの安否はわからない、確認も出来ない。
なら、それを知らない自分に、出来る事をやるだけだ。
("こっち"に専念出来るのは、ある意味好都合)
‥‥‥そして、身動きの取れない自分が、守備兵に見つからないように祈るだけだ。
「 されば踊ろう 休まずともに まずは踊ろう 今ここで♪」
『詣道』を行く悠二たち一行。
"祭礼の蛇"の神体へと着実に迫る一行の最後尾を、ロフォカレがリュートを掻き鳴らしながら歌い行く。
目深に被った三角帽と襟を立てた燕尾服、上品な白の手袋で肌の一切を隠す"彼女"。
ふと、一瞬、その三角帽の縁から黄緑色の髪が一房流れ、すぐ戻る。
前方を歩く『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の誰一人、その事実に気付かなかった。