「‥‥最悪のタイミング、かな」
淡々と言う、隣に浮かぶ平井。それが、わざと感情を押し殺しているのだとわかって、しかし悠二は応える。
「‥‥いや、本当に最悪なのは、僕達が間に合わずに、入れ違いで『星黎殿』に突入される事だ。"間に合った"って、いい方に考えよう」
正直、“感情”では鉢合わせは避けたかった。
本当なら、彼女達が到着するより早く着けるのが一番良かったのだが、それは口にしない。
情報が届いてすぐに動いたのだし、何より、それを今言っても何にもならない。
「大丈夫です」
平井とは反対側の隣に浮かんでいたヘカテーが、彼女達を真っ直ぐに見据えたまま、凛と言い放つ。
「迷うつもりは、ありません」
その、強い輝きを湛えた水色の瞳に一瞬惹き込まれる。
これが、ヘカテーの強さ。
無垢で純粋。揺るぎない意志と、一途な想い。
だからこそ危うくもあるが、これが、自分が憧れ、守りたいと思った少女の、気高い強さ。
普段の、無邪気に甘え、どこかぬけている可愛らしい姿も、今の、眩しいほどに一途な姿も、どちらもヘカテー。
その、自分が愛した少女の在り様を見て、温かな嬉しさを感じ、また決意を新たにして眼下の"仲間達"に目を向ける。
(‥‥あそこがいいな)
ヴィルヘルミナ達からすぐ近くの岩場、かつてメリヒムを『カイナ』ごと海中から引き上げた場所を目で指し、ヘカテーと平井を伴って、降下していく。
迷うつもりはない。
だが、仕方のない事とはいえ、今まで共に戦ってきた皆に何一つ伝えないまま道を進む事に、わずかな"しこり"のようなものはあった。
どうせ、こうなった以上は隠せはしない。
伝える。
自分達の、覚悟を。
「‥‥この意味、わかってるわね?」
まず最初に、フィレスが口を開いた。
以前の事と合わせて、一番衝撃が少なかった事が要因だろう。
「‥‥まだ、何一つ詳しい事情はわかっていないのであります」
それに、半ば反射的にヴィルヘルミナが応える。
「‥‥ふん、別に何か都合が悪くなったわけでもあるまい」
物事のほとんどにおいて迷いを示さないメリヒムが鼻で笑い。
「‥‥そーね。ブン殴ってから話を訊く。やる事に大した違いは無いわ」
「むしろ、わざわざ『星黎殿』に殴り込みなんざかけなくてよくなった分、マシかも知んねーぜ?」
その気性とは裏腹に、冷静に物事を捉えるマージョリーとマルコシアスが、自分達のやる事を、簡潔に周りに示す。
「‥‥‥‥‥‥‥」
シャナだけが黙って、降りてくる三人を睨み付ける。
誰もが、その心中とは無関係に、戦士としての動きを取っていた。
「久しぶりだね」
「何者だ」
対峙して最初の悠二の軽口には応えず、アラストールが訊く。
今まで一緒に戦ってきた者が今、こうして対峙している理由として最も高い可能性‥‥あるいは、希望的観測として、確かめるためだ。
"何者かの洗脳を受けた"かどうかについて。
「何者‥‥か。正直、自分でもよくわからないよ。今の僕がどういう存在なのか。いや、完全な新種、とでも言えばいいのかな?」
ふざけた物言いと、悠二の半歩後ろで、悠二が言うに任せて黙って並ぶヘカテーと平井が、この少年達と向かい合っているという違和感をさらに助長させる。
「‥‥何故、我々に何も言わずに消えたのでありますか?」
今度はヴィルヘルミナが、核心的な質問を投げ掛ける。
目の前にいるのが、『坂井悠二達』なのかどうかを見極める、核心的な問い。
「ヘカテーを探すため‥‥‥そして、僕自身の目的のため」
ヴィルヘルミナの問いは、悠二と平井、そしてヘカテーの双方に向けられた問いだったが、やはり応えるのは悠二。
「目的?」
「どういうことでえ?」
当たり前のような答えの後ろに付け足された単語に反応して、マージョリーとマルコシアスが怪訝な声を上げる。
「話すより、見せた方が早いかな」
悠二の力が僅かに練られるのを感じた全員が、身構える中、悠二が一言、告げる。
「この、炎を」
その瞬間、一帯を包み込んでいた陽炎の世界が、変質する。
奇怪な紋章、封絶を埋め尽くしていた炎、それらの色が、変わる。
燦然と輝く『銀』から、全てを染め上げ、塗り潰す『黒』へと。
「‥‥アラス、トール?」
シャナが、胸元のペンダントが呆けてしまった事に気付いて、答えを促した。
アラストールだけではない。ヴィルヘルミナも、マージョリーも、フィレスも、メリヒムさえもが目の前の事象に心底意表を突かれて、茫然自失に陥っていた。
「これが、今の僕の炎。目指す理想の証」
そんな皆に一切構わず、悠二は穏やかに語りながら、まるで見えないマントでも引っ張るかのように、右腕を斜め上に振り上げ、さらに一気に真横に振り抜いた。
瞬間、
少年の全身を黒の炎が包み込み、すぐに消える。
宙に残るのは、異形異装へと変わった、何者か。
「そして、これが今の"余"を現す姿」
身に鎧ったのは、厚き凱甲と、緩やかな衣、その全てが緋色。
後頭から、髪のように長々と伸びたのは、漆黒の竜尾。
それに合わせるかのように、ヘカテーと平井も自身に炎を纏い、姿を変える。
大きな白い帽子とマントに身を包む、星の輝きを舞わす水色の巫女。
左の肩当てのついた、青い胸甲鎧を纏った、軽武装の翡翠の姫。
三人が三人共、異装へと変わる。
「称して余、"祭礼の蛇"坂井悠二」
「"祭礼、の、蛇"?」
悠二の名乗りを、数秒固まった後になぞったアラストールが、
「っ"祭礼の蛇"だと!? 馬鹿なっ!?」
その意味する所を理解して、しかし許容できずに叫んでいた。
ただ一人、事態の推移を飲み込めていないシャナが、その真名の意味するところを、ゆっくりと、確かめるように呟いた。
「‥‥‥『創造神』‥‥‥」
遥かな太古、この世に渡る術が見つけだされ、無数の、力の大小、望みの高低まで様々な徒達が、無数、己の望みを思う儘に『顕現』できる楽天地へと飛び出した。
その中に、紅世の世界法則の体現者たる『神』の一柱、『創造神』"祭礼の蛇"も"当然"混ざっていた。
何故ならば、彼は『造化』と『確定』という、踏み出し、見いだす権能を司る神だったからだ。
『創造神』は、三柱の眷属と共に現れ、あらゆる望みを、新たな流れを、求められるまま、力のままに、多くのものを同胞らに与えた。
善悪は関係ない。余地を埋め、未踏に踏み出す。それこそが、彼の神としての存在理由だった。
「だが、己が権能に溺れ、世界の在り様にまで手を出した彼奴は、太古のフレイムヘイズらの手によって『久遠の陥穽』の彼方に葬られた。ゆえに‥‥」
シャナに伝え、同時に、自分に言い聞かせるように語っていたアラストールが、一拍溜め、怒鳴る。
「貴様が"祭礼の蛇"であるはずがない! 貴様が坂井悠二‥‥"ミステス"であるならばなおさらだ!!」
そう、悠二の胸に未だ点る、灯りを見て、怒鳴る。
「‥‥大体、あそこは神さえ無力な世界の狭間。いくら『創造神』とはいえ、帰還出来るはずがない」
メリヒムが、手にした細剣に力を込め、冷淡に呟く。
「‥‥ユージ、何であんたが、その『御伽話の神様』の真名なんか名乗ってんのよ」
「冗談にしちゃ、ちぃーと笑えねえぜ?」
マージョリーとマルコシアスが、伝聞で聞く『神殺し』について呟き、悠二に探りを入れる。
「‥‥そうだね。僕は『彼』にその名を名乗る事を許されただけ、全く同じ存在ってわけじゃない。でも‥‥‥‥」
先ほどとは変わって、また普段の口振りに戻った悠二がそこで一度区切り、
「"これ"は、僕達が共に歩む証でもある」
狼狽したまま口を開かないヴィルヘルミナの脳裏に、先ほどのアラストールの言葉が反芻される。
「僕の望みと、『彼』の大望は、重なる」
"『創造神』と共に歩む"。
その意味を、ヴィルヘルミナだけでなく、フィレスが、マージョリーが、メリヒムが飲み込んでいく。
『この世の在り様に手を出した彼奴は‥‥』
その予感に違わず、悠二は告げる。
世界への怒りを、燃え立つような意気に変え、立ち向かう喜悦と共に、腹の底から誓う。
「この世の本当の事を、変えてやる」
そう、他でもない、今まで共に戦ってきた‥‥
"守りたい存在に"。
「"討滅の道具でしかない"皆も、その中にいる。どこまでも戦って、いつの日か倦み疲れ、倒れて消えていく‥‥そんなフレイムヘイズの宿命も変えてみせる」
咆える口の端から、黒い炎が漏れた。
皆が皆、少しずつ"わからされていた"。
この少年には、操られている者の持つ"自分のなさ"が無い。
それどころか、確固とした目的、強靭な意思、そして、身震いするほどの気概すらも感じる。
"目の前の存在が坂井悠二だ"と、徐々に認めていく。
そして、もう一つ。
悠二の望み。本来ならば馬鹿な望みと笑い飛ばすような、“子供の傲願”。
それを、目の前の少年が心底から望み、全力で目指す在り様を見せられ、言葉を失う。
『どこまでも戦って、いつの日か倦み疲れ、倒れて消えていく‥‥』
復讐に生きてきたマージョリーが、その戦いの日々で、かけがえのない存在を失ったヴィルヘルミナとメリヒムが、その願いと、目指す姿に僅か怯み、言い返せない。
自身と恋人の安寧のみを願ってきたフィレスは、その優しさに怯み、言い返せない。
そして、それに『創造神』が絡めば、冗談にはならない。
そして他でもない、今まで共に戦ってきた“信頼”が、無謀な願いを叶えかねない、そんな気にさせる。
そんな中、
カッ
ただ一人だけ、踏み出した。
黒衣を纏い、大太刀を突き付けた、シャナが。
「‥‥‥‥‥‥」
私はフレイムヘイズ。
「‥‥‥‥‥‥」
そうあるよう望んだ。だからある存在として私は選ぶ。
「‥‥‥‥‥‥」
たとえ、この少年の願いが、優しさが、自分にも向けられていたとしても。
「‥‥‥‥‥‥」
でも、とても恐い。
目の前から感じる、強烈な違和感が、ではない。
ただ、"坂井悠二を斬る事"が恐い。
「‥‥‥‥‥‥」
でも、恐いなら、覚悟しよう。
私はアラストールのフレイムヘイズ。
私がそうあるよう望んだ。だからある存在。
「‥‥‥‥‥‥」
戦うよ?
何を言うつもり?
"それ"を言ってはいけない。
私はフレイムヘイズ。
私は‥‥戦う。
でも‥‥‥‥‥
「同情されるような道を、選んだ覚えはない」
胸が、すごく痛いよ。
‥‥‥‥‥悠二。