マシュー・バニングスの日常 第五十五話 人気のない病院の裏庭まで無言で先導したアリサは、おもむろに向き直り、はやての目をまっすぐに見詰める。 はやての顔色はまだ青い。目にも涙が残ってる。 事情は知らない、知らないけど、おそらく連絡を見てからすぐに泡食って全速力で来たというのは間違いないだろう。 しかし、別の意味でも事情は知らない、そう、アリサにとっては知ったことではない。「ねえ、はやて。」「ごめんなさい! 本当に! 仕事で・・・」「うん、そうなんでしょうね。マシューもなのはもそうだろうって言ってたわ。」「ごめんなさい、本当にごめんなさい。」「ねえ、はやて、ちょっと顔上げて。」 はやては恐る恐る顔を上げ、無言のままアリサの言葉を待った。「・・・」「あのね、はやて。」「・・・」「私はね、マシューのことが本当に心配なの。」「はい。」「ちっちゃいころはそれこそいつ死ぬか分からないような状態だったしね。今は多少マシにはなったけどそれでもまだまだ健康じゃないわ。私はマシューのことをいつでも心配してる、本当に心配なのよ。」「・・・はい。」「マシューは今でも『本当は』健康じゃない。そんなことあんたは良く分かってるわよね。」「・・・はい。」「マシューはどうも正直に言わなかった。あんたを庇ってるみたいね。でも言葉の端々から分かることもあるわ。」「?」「あんた、近頃はほとんど家に帰って無いんじゃない?」「!」「一緒に食事できるのも一月に数回とか? いないのが普通で、マシューはいつでもあんたを待ってるだけみたいな?」「・・・」「そういう状態だってことで間違いないわね。」「・・・はい、そうです。」 やっぱりか。アリサは思った。 はやてが来ないのを不審に思ったアリサはマシューに近頃変わったこととか無かったか、はやてとケンカでもしてるのか、近頃の二人の生活はどんなもんなんだとか、根掘り葉掘り聞いていたのだ。そしてどうもマシューは言を左右にして曖昧なまま話を濁そうとする傾向が見られた。この前ミッドに来た時も、はやては非常に忙しかったし、もしもあの調子で今も仕事してるなら・・・と推測するのは容易。 しかし、その結果として・・・「そして結局、幸い軽傷だったとは言え、マシューが倒れた時も、連絡もつかないような状況だった、と。」「・・・はい。」「軽傷で済まなかったら、済んで無かったら! どうするつもりだったの!」 マシューが遠くで倒れて意識不明のまま苦しんでいつの間にか冷たくなってしまう。 それはアリサにとっては小さいころから常に想像しては怯えてきた、彼女にとって最大の恐怖だった。 そんなことがあるかもと考えるだけで体が震える。 だからそんな可能性は一片たりともあってはならない。 はやてにとっては・・・その最悪の可能性が実現しないように努力するという以上に・・・重要なことがあるというのだろうか? これまでアリサは、はやてもその恐怖を共有してると言う点では、自分と同じだと思っていたのだが。 しかしはやては・・・「・・・ごめんなさい。」 としか答えない。アリサはさらにイラつく。「謝ってほしいんじゃないわよ、はやて。どういうつもりなのか、どうするつもりなのか! それを聞いておきたいの。」「・・・それは。」「私はね、これまでは、遠いミッドにいてもあんたがマシューの傍にいてくれるから、いざというときも安心だと思ってたのよ!」「・・・」「どうなの! これからはもうあんたを信頼してたらダメってことなの?」「わたしは・・・」「やってしまったことは仕方ない、幸い軽傷で済んだわけだしね、でも問題はこれから! これからどうするつもりなの! はっきりと答えなさい! 今みたいな状態を続ける気? それとも改善する気はあるの? どうなの!!!」 返答次第では考えがある。 アリサにとっての優先順位は常に明確なのだから。 アリサがはやてを睨む。 はやてはその視線を受け止められず、視線を落とす。 そのまましばらく・・・もしかしたら十数分も沈黙が続いたかもしれない。 なんとか気を取り直したはやてが何か言おうとした。 そのとき・・・☆ ☆ ☆ 裏舞台における謎の会話。「いやー見事に失敗したな。」「申し訳ありませんドクター。」「私も『上』からも関係各所からも滅茶苦茶に怒られてしまったよ。彼の治療の評判は圧倒的で、彼の治療を受けた患者には結構地位の高いものも多いし。特に地上関係からの猛抗議が『上』に行ったらしいなあ。そういえば基本的に海所属の筈の彼が地上の病院でも勤務してるのはおかしいなとは思ってたが、あれはほぼ彼の厚意で行ってる状態だったらしいね。その彼に地上の管轄で危害を加えたりされたら今度こそ彼は地上勤務を辞めてしまうかも知れない、せっかく来てくれてるのにどういうつもりだ!って、まあ本当に激怒したらしい。」「そうですか。」「実験体の回収が主目的だったんだ、こちらとしても彼を巻き込んだのは不本意だって言い訳も聞いてくれないね。」「重ね重ね申し訳ありません。」「なに私も悪かった。AMF下で治癒魔法を使うだけで血を吐いて倒れるとはね・・・直接整形術が彼の肉体に負担をかけるとは聞いていたがあれほどとは・・・彼の体の弱さを見誤っていたよ。記録としては知っていたつもりだったが、どうやら彼は本当に病人らしい。」「はい、そのようにしか見えませんでした。」「そうか・・・しかしやはり彼の治療データは欲しいね。だがこれも困難な作業になりそうだ。強引に行くと簡単に、肝心の目当ての彼は死んでしまいそうだし。」「・・・彼には偽装も通じませんし。騙して近づくのも非常に困難です。以前地上本部で近付こうとした件に今回の件、完全に彼は私達に対しては警戒するようになってしまったと思われます。」「ふむ、アプローチを変えてみるか。彼本人は可能な限り避けて、本局病院コア治療部のデータバンクだけ専門に狙うかな。」「そうなると・・・」「うん、情報戦だね。クアットロに頑張ってもらうか・・・これまでは別の手もあるだろうって色気を出してたからね。今度はこれだけに本格的に絞るとしよう。」 携帯端末にスカさんからメールが来てた。 お見舞いメールが物凄い量来てたのでその中に埋もれてしまっていたのだな。 心無い襲撃者は全く許せない、君が無事で本当に良かったと心から安堵してくれてるのが文面から伝わってくる。 うん、スカさんはやっぱりいい人だなあ。 心配したのも本当、安堵したのも本当。ただ・・・それとこれとは別というだけ。☆ ☆ ☆ 久しぶりの高町家。 フェイトさんはまだエリオが入院してるし今日は来てない。 ゆえに二人きりで高町家にやってきたわけだが。まあ後から姉ちゃん来るが。もしかしたら八神も。 ただいまーと高町、おじゃましまーすと俺。 しかし今はまだ翠屋の営業時間中で無いのか、考えてみたら。 恭也さんも美由希さんもいないなあ。 そういうわけで高町と二人きり、リビングで茶を一服。 しかしこうして二人きりで静かに向かい合って茶を飲むとか、こいつとは珍しいシチュエーションだな。八神とは基本シチュなのだが。 そうだ八神だ、ううむ心配だ。「八神、大丈夫かな。」 思わず言葉が漏れる。「アリサちゃん、あんまりきついこと言わなければいいけどね。」「そうだなそれだな。姉ちゃん切れると容赦なくなるからな。」「仕事が忙しいっていうのも、考えものだね・・・こんなことも起こっちゃうわけだし。」「うわ、お前がそれを言うか? ワーカーホリックの高町さん。」「でも今回は、偶然近くで仕事してたから間に合ったんだよ。」「だろ、そういうことだ。」「え?」「良い方に回ることもあるし、悪い方に回ることもあるし。今回、八神はタイミング悪かったけど、それであいつの仕事否定する理由にはならないだろー。」「マシュー君はそう思うんだ・・・」「まーね、なんつっても長い付き合い、多少の波乱があっても問題なかろう・・・と思うわけだ。」「・・・はやてちゃんのすることならどんなことでも許しちゃう?」「いやそれも違うだろ。怒らないといけないこともあるだろが・・・今回のは運悪かっただけでね?」「・・・そう、だね、うん・・・」 とかなんとか話してるうちに一時間ほど経過。 遅れて姉ちゃん到着。 八神はいない。「あれ、姉ちゃん、八神は」「知らないわよ!」 うわ切れてるよ。「まだ話済んで無いのに! また連絡が来て! また仕事だって! 緊急事態で! ほんとに行かなくちゃいけないって! はいはいそれは本当なんでしょうよ! それが一番大切なわけね! まったくもうなんなのよ!!!」「あちゃー・・・そういう状況か。」 思わず眉をしかめる。ううむ色々タイミング悪いなぁ。「でもさ姉ちゃん、八神はだな、そもそも」「はやては私達みたいに親兄弟もいない、だから仕事頑張るんだってそれは分かるわよ! でもどうなのマシュー! あそこまで仕事仕事に専念して他の時間全部犠牲にするみたいな! ほんとにそんな必要あるの?!」「あー・・・しかしまあ八神には八神の考えがあって」「分かった黙ってて。」 俺の発言を容赦なくぶった切る姉ちゃん。「あんたはどうにも・・・はやてを庇うわよね。この件ではあんたの言う事信用出来ない。なのは!」「は、はい!」 高町に矛先が向く。姉ちゃんの迫力に思わず身をすくめる高町。「あんたのミッドでの収入ってどの程度?」「え?」 意外な質問にきょとんとする高町。「いいからキリキリ答える!」「う、うん、えっと、月給でいいのかな?」「あんた一人だったらミッドで普通に暮らせるくらいの額は貰ってるんでしょ?」「うん、それはもちろん。」「っていうか・・・この前、ミッドの図書館で色々調べて分かったけど高レベルの魔導師で武装隊から教導隊ってエリートのあんたは・・・ぶっちゃけた話、実はかなりの高給取りでしょ? 違う?」「え、えっと・・・うん、実はそうかも。」「で、はやては中央直属の捜査官だったのよねもともと。」「そうだね。」「調べて分かったけどこれって下手したら、あんたよりエリートコースよね?」「そうかも。」「しかも中央の上級キャリア試験に受かって上級管理官資格まで持ってて・・・」「えっとだな姉ちゃん」「黙ってなさい! 本来はやては捜査官だけでも裕福に暮らせるだけの収入あったんでしょ。違う?」「・・・それは、そうかも。」「生活のために仕事するって範囲を超えてるわよね? 明らかに過剰に仕事に入れ込んでるわ。」「いや待て姉ちゃん。」「黙ってなさい!」「いや黙って無い。いいか八神には八神の考えがあってそうしてるんだ。横から色々言うべきじゃない。」「それであんたをずっと放置して一人にしてたまに帰って甘えるだけで全然面倒も見ないで、あんたを犠牲にしてんじゃない!」「俺は犠牲になってるなんて思って無い。俺がいいってんだからいいだろ!」「それに今回みたいにあんたが倒れても一週間も顔も見に来ないなんて!」「一回の失敗で全部否定するのは良くない。今回は運悪かっただけだ。」「違うわね。はやてが今みたいに仕事第一で突っ走ってる限り今回みたいなことはまた起こるわよ!」「そんなの分からないだろ。」「分かってからじゃ遅いのよ!」 しばらく睨みあう。高町が横でおろおろしてるが俺たち二人の目には入って無かった。「マシュー、あんたもうはやての家に寝泊まりするの止めなさい。意味無いわ。あんたの体調が悪いときとかに安心だろうって思ってたけど、ほとんど帰ってきてないわけだし。あんたが留守番してあげてるだけじゃない。病院の寮の方がマシだわ。」「それは俺が決めることだろ。いいかとにかく八神には八神の考えが」「どんな考えよ!」「・・・それは。」「私が訊いても何も答えなかったわよ、はやて。あんたにはちゃんとどういうつもりでいるのか説明してんの?」「・・・いや、その・・・」「やっぱりね。あんたにも全然説明しないで・・・一方的にあんたに甘えてるだけじゃない。あんな子だとは思わなかった、見損なったわ!」「そこまで言う事は無いだろ?」「何も話さず分かってもらおうとか甘えてる以外のなんだってのよ! とにかく私は納得できないわ!」「・・・分かったよ、ちゃんと聞く。今度こそちゃんと・・・」「なるほど、あんたもちゃんと話そうとしてたのに、話せなかったわけ? それともはやてが話さなかったのかしら?」「とにかく俺が今度、きちんと話すからさ・・・」「話さず逃げるようなら縁を切るって私が言ってたって伝えときなさい。」「ちょ!」「そのくらい言ってやらなきゃ、あの子なにも話さないわよ。」 ・・・やはり客観的に見て問題ありってことかな、今の俺と八神。 話さないまま、うやむやにしたまま過ごしてきたことを。 今度こそはっきりさせねばならない、か。 しかし。「とにかく、今度こそ、きちんと、話すからさ・・・」「最後のチャンスだとも言っときなさい!」「姉ちゃん・・・」 重苦しい雰囲気のまま、俺たちはしばらく沈黙していた。 そこに。「ただいまー。」 気付けばもうそんな時間か、翠屋の営業終わったみたいだな。高町一家が帰ってきた。「あ!」 急に高町家の末っ子が声をあげる、ああそういえばいたな。「ご飯の下ごしらえ頼まれてたの忘れてた! 急いでやらなきゃ!」「それは大変。よし手伝うよ。」 ちょっと姉ちゃんから離れたかった。 ちなみに姉ちゃんはもちろん台所仕事なんてしない。「うんお願い! このエプロン使って。」「りょうかーい。で、何からする?」「うわー、ご飯も炊けてない!」「おいおいそこからかよ・・分かった俺が炊く、何合だ?」「えっとね・・・」 高町に指示されながら一緒に台所仕事に勤しむ。 うーん高町とだと新鮮だな。八神とだと・・・半年前まではいつもの風景だったのだが。 ハァ・・・ あああーーー! やめやめ、八神の事はまた今度だ。 今は考えない考えない! 帰ってきた桃子さんが、一緒にエプロンつけて台所仕事してる俺たちを見て、うわー新婚夫婦みたいねーとからかう。 この人のこういう発言いつもは困りものだが今は雰囲気変えてくれて実に助かった。 その発言をうけて士郎さんと恭也さんが顔を見合わせて、まあマシュー君なら別にいいよとか言い出すし・・・おいおいちょっと待った、そこはお前なんかに娘(妹)はやらん!ってところじゃないんですか? 美由希さんが姉ちゃんにどうでしょう解説のアリサさん、マシュー君の嫁としてうちの末っ子に可能性はありますか、とか聞いてるし。 姉ちゃんも、そうね、なのはだったら全然問題無し、むしろこちらからお願いしたいところとか待て姉ちゃん。 こら高町そこで無言で赤面するな、いつもみたいに「それはない!」って言えよ! マシューが18になったらすぐになのはと結婚させても私としては大歓迎とか頼む待て姉ちゃん自重してくれ! あらあらそうなのそれもいいわねーだったら婚約だけでもしとく?って桃子さん乗らないで下さい! でもま、雰囲気は明るくなり、楽しい夕食になったのだが。 しかし・・・いかんな姉ちゃん完全に高町派に切り替わってるというか・・・八神株大暴落だな、姉ちゃんの中で・・・ 私としてはなのはが妹になってくれれば嬉しいしみたいな話を事あるごとにしてくれる。 それにまた高町家の皆さんが乗るし・・・ これはちとまずいかも・・・姉ちゃんと高町家の皆さんが結託して陰謀を進めれば気付いたら高町と・・・なんてことになりかねん。 高町は嫌いじゃない、嫌いじゃないが、俺は八神のことが・・・ あー そういえばそれもちゃんと言って無かったか、もしかして。 うし ちゃんと言おう、それも。 まずは直接、八神に、面と向かって。 これまでみたいに、なんとなくのままじゃあ、ダメだよな。 はっきりさせよう。(あとがき) さらに仕事が入り八神墓穴を掘る、状況悪化。マシューの気持ちだけが頼り。でもアリサ切れたまま。 さてそろそろ「VS八神」に入れそうなのですがその前に・・・ちゃんと各人の思いを整理するために・・・ 視点を変えてマシュー以外の各人の気持ちを描いた話をしてから「VS八神」に入ろうと思います。