「三国」時代に於(お)ける「発明王」は誰か?
諸葛亮、字は孔明である。
「正史」は以下の様に記述する。
『木牛流馬』と名付けた運搬車を発明し、山また山脈を踏み越えての「北伐」に於ける補給問題を、部分的にしろ解決した。
『連弩(連発式ボーガン)』を高性能化し、その活躍で兵力不足を補った。
大量生産の鉄剣を『刃金の剣』に改良する製法を発明した。出来た剣は、鉄の玉を詰めた竹筒を切断した。
これが「伝説」と成ると『饅頭』も孔明の発明だとされる。
さらには「演義」とも成れば、
南蛮軍が、生きた猛獣を使用して攻撃してきた時、火を吐く「ロボット」猛獣で対抗した。
「7度とらえて7度はなつ」の内の1回は「これ」で勝った、という事に成ってしまった。
繰り返すが『木牛流馬』『連弩』『刃金の剣』は「正史」である。
…… …… …… …… ……
尚「道術」と「科学」の境界が曖昧(あいまい)だった時代の「講釈」ファンにとっての孔明は、
霊験あらたかな道士であり「祈れば風が吹く」までにしてしまったためか、
「発明王」だったのは妻の黄月英だった、という「演義の『外伝』」まで創作されたりした。
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それでは「この」外史の諸葛亮は?
…… …… …… …… ……
「益州侵掠」に来た筈の劉備軍は、益州の中心である成都を先送りにして、他の侵略者である南蛮王、孟獲を追い払うべく雲南へと転進した。
四川盆地を離れ、山また山脈を乗り越えて、南へと転進して行く。
しかし、朱里発明の「木牛流馬」の威力で、補給は比較的には困難で無かった。
補給担当の文官である簡雍や法正(真名狭霧)たちは「木牛流馬」の台数で計算出来るため、安心して算盤を弾いていた。
ちなみに、算盤の発明者は関羽だという「伝説」がある。
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すでに1度ならず劉備軍、いや、もはや蜀軍と言うべきだろう、に破れた孟獲は、南蛮軍らしい戦法で戦おうと考えた。
「いしょいで、南蛮の本国から、猛じゅ―どもを連れて来るのにゃ」
かくて、虎・豹・象はともかく獅子や犀(さい)までが、何処の大サーカスかと言わないばかりに連れて来られた。ところが……
……この情報を入手した蜀軍側では、朱里の目が☆きらりん☆と光っていた。
………。
……。
…あおおおお―んん!!!
「この」時代には在り得ない筈の「コントラバス」を思い切り大音量にしたか如き大咆哮が響き渡る。
いくら「人工」つまりは作り物の“ろぼっと”猛獣(?)でも、1応は「三国志」の筈なのに、どうして“ごじら”まがいが登場するのか?
何処ぞの「天の御遣い」にでも「お告げ」を伺(うかが)って見るしか無いだろう。
いずれにせよ、猛獣を通り越した怪獣(?)が火を吐きながら前進して来ると、
本物の猛獣たちは、それこそ“さーかす”の如く見事にUターンして、遁走してしまった。
かくして「7度はなつ」は、また1カウントを加えたのである。
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同じ頃、曹魏陣営の拠点、予州許昌。
李典(真名真桜)が真剣に何かを製作していた。
帝都の巡察・警備を司る「執金吾」としては直属の上官に当る曹仲徳は、役目上も問い質してみたのだが。
「諸葛亮の『木牛流馬』に負けへん運搬車を工夫してみたいんですわ」
“黄巾”を討伐する際、荊州南陽で初見した劉備軍は、もう『木牛流馬』で物資を運んでいた。
その時から、この前「益州侵掠」の途上で許昌を通過した時まで、目撃する機会なら何度も有っただろう。
「そうか?あの「木牛流馬」に対抗するつもりなのか」上官としては、真桜を認めているが、仲徳は「正史」を知っている。
「頑張れよ。しかし、無理はするな」
………。
……。
…この「歴史」では『赤壁』以降、朱里と真桜は、同じ勢力に身を置く事になる。
その時「発明」はどうなったのか?『後世の歴史家』は、どう記述したのだろう?