「原作」『真・恋姫†無双』シリーズ(新作)のオフィシャルサイトにて、原作者がおっしゃるには、
「腹黒くない女の子なんてこの世にいません!まぁ一番女の子らしい女の子ですよ、桃香は」
だそうです。
『-お揃(そろ)い-』
「頼む!これを着てくれ」
北郷一刀に「それ」を突き付けられた時、桃香は阿斗の育児中だった。
「あの、ご主人様?これは何でしょうか」
「『聖フランチェスカ学園』の制服なんだ。レプリカだけど」
「“れぷりか”?それに“ふらんちぇすか”って」
兎に角(とにかく)土下座せんばかりの一刀に聖母の如く微笑んで、受け取った服に着替えた桃香を、
一刀は自分の隣、姿身の前に引っ張って行って、何やら感動しつつ、泣いたり笑ったり忙しい。
「やっぱり、桃香が1番似合うよ。うん、うん。1番桃香が女の子らしんだ」
女として、悪く聞こえる言い方でも無い。少なくとも「現在」みたいな仲の男から言われれば。
「そ、そうだ。このままデート行かないか。」
「え?」
それでも阿斗を乳母に預けて、街中に出ようとしたが、
誘った一刀の方が、何やら細かい注文を出しながら悩み始めた。
「すまん。誘っておいて悪いけれど「ダブルデート」じゃ悪いか?」
「“だぶるでーと”?」可愛く首をかしげた。
「先輩と玉羽ちゃんを誘っても好いか?どうやら、その方がムードが出そうなんだ」
一刀の言い分を、どこまで理解していた桃香だったかは知らないが、
それでも、しっかり楽しんだ様には見えた。
少なくとも「ご主人様」を楽しませる事で自分も楽しむ事は、しっかり出来ていたらしい。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
今更ですが、アニメ~乙女大乱~第二席からの小ネタです。
『-白羽扇-』
「原典」『三国志演義』での諸葛孔明の「お約束」スタイルと言えば「4輪車」に「白羽扇」である。
荊州襄陽城内。水鏡女学院。
門内と玄関の間の前庭で、師弟は別れを惜しんでいた。
「三顧の礼」に応(こた)えて「伏竜鳳雛」は今、師母の手元から飛び立とうとしていた。
「さあ、もう、お行(ゆ)きなさい。貴女たちの選んだ御主君が待っていますよ」
愛弟子を抱き締めていた腕を解くと、朱里と雛里は大きく頭を振って1礼し、門外へと歩き出した。
門前に「4輪車」を用意して、桃香たちが待っていた。その車に乗り込む。
車の側に歩み寄った水鏡先生は、手に持っていた白羽の羽毛扇を1つずつ手渡した。
「持ってお行きなさい。「これ」を使う意味を、決して忘れない貴女たちだから」
白羽扇を抱き締めて「伏竜鳳雛」ほどの秀才が何の言葉も作り出せ無かった………。
……。
…襄陽と双子都市の間を流れる漢水を渡渉した「連絡船」を降りて、今1度、対岸を振り返る。
流石に長江本流には及ばない。対岸が見えた。未だ、名残惜しげに手を振る師母と姉妹弟子たちも。
今1度、白羽扇を大きく振り返して4輪車に乗り込む。
「「水鏡先生―。行って来ま―す」」
4輪は回転し始めた。歴史と共に。同志たちと進む道へと。
※
やっぱり「三顧の礼」は、「原典」『三国志演義』での名場面です。
未熟者が何度書いても書き足りません。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『-初恋回想-』
北郷一刀が通っていた『聖フランチェスカ学園』について「恋姫」たちは、
「天の国」にある「水鏡女学院」の様なものと理解していた。
問題は「当時」の一刀の状況が「現状」と大して変わって無い様に伝わっている、かも知れない事だった。
特に、男女比とかで。
「俺は剣道ばかりしていたよ」
時々、それでは納得してくれないが、
「だけど、俺自身の記憶だと、桃香より前に恋愛した記憶なんか無いんだけどな」
何故か遠くを見るような顔をした。
「我ながら情け無いよな。あの状況で、あんなにモテ無かったんだから」
「(…笑えないよな、及川とかも。結局、モテていたのは章仁くらいか…)」
「「それでは、本当にご主人様の初恋は桃香様なのですか?」」
どうしてか?本人以上に「そこ」に拘(こだわ)る何人か。
本人は、と言うと、桃色に成って意味不明な身悶(みもだ)えをしている。
いや、何とか聞き取れる科白は口から出ているのだが、
「…初恋同士…」やっぱり意味が分からない。
そんな両親を見つめる阿斗は、思いっ切り無邪気そうだった。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『-先祖がえり?-』
劉備玄徳と言う歴史人物について『三国志演義』の描く様な“偽善者(?)”とは別の「正体」とかを論ずると、
何故か、祖先であると劉備本人が主張していた劉邦、漢帝国の初代皇帝の人物像に近付いてしまう。
その劉邦の若き日、田舎のケチな侠客だった頃。
行きつけの居酒屋などでは、無銭飲食の常習だった。
しかし、劉邦がホラを吹いていると「劉兄貴」の弟分とかが集まってきて、何時の間にか満員御礼に成っている。
結局の処は劉邦1人分の無銭飲食より、余っ程、儲かってしまうのだった。
「流石は桃香お姉ちゃんの御先祖さまなのだ」
張飛の実家は、劉備と同郷の肉屋(居酒屋兼業)だった。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『-安車蒲輪(あんしゃほりん)-』
始皇帝陵から出土した銅馬車に見られる様な皇帝専用車は「安車」とも呼ばれ、
蒲(かば)の穂で作られた「タイヤ」が付けられていた。
このことから、帝王が賢者や老人を「礼」をもって迎える例えの1つに「安車蒲輪」も使われた。
孫呉の魯粛と、主君である孫権は「安車蒲輪で迎えよう(孫権が帝王に成った時は)」と約束したと伝えられる。
ある時「天の御遣い」は、蓮華との睦言(むつごと)に交えて「安車蒲輪」の件を持ち出してみた。
「貴方の車には、子敬は乗らないわよ。自分で筋を立てて、筋を通す性質(たち)なんだから」
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
以下の小ネタに関しましては、投稿名RrrrRrr様の『江東に揺れる稲穂の海』の中の
華琳父娘のエピソードに、微妙に引っかかるかも知れません。
幸いにして『★3次創作について』等、ご寛容な表明をされております。
勝手ながらRrrrRrr様の寛容な御方針に甘えさせて頂くと共に、
『江東に揺れる稲穂の海』に支援のエールを送らせて頂きます。
『-大長秋-』
後漢王朝、4代の皇帝と後宮の后妃たちに仕えた曹騰は、ついに「後宮長官」とも言うべき「大長秋」にまで昇進した。
その曹騰が仕えた歴代の皇后の中には「贈り物は紙と墨に限る」と公言して、賢夫人と讃えられた人も居た。
やはり宦官で、皇宮内の「備品工場」の監督職だった蔡倫が、紙を発明したと伝えられる頃である。
さて、帝都「北宮」が「天の御遣い」の後宮として実質を伴う様になると、当然ながら、
大長秋以下の仕える側の組織や、その組織のための人材も必要になる。
とは言え、十常時とかの記憶も新しい「天の御遣い」たちは、それなりに頭を悩ました。
先ず「天の国」には居なかったから、と言う理由で宦官は無用とされた。
更に、曹騰(この「外史」では、華彬の祖母で真名華恋)の1時的ながら、大長秋への復帰が要請された。
そんな、ひと頃のある時、ふとした雑談のついでに「天の御遣い」は華恋に訊(たず)ねてみた。
蔡倫についての思い出話である。
「ああ。それからだけど。もう1つ、お願い出来ないかな。朱里や真桜も、この話を喜ぶと思うよ」
当然(?)蔡倫が就(つ)いていた職の現職は、真桜だった。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『-?が来る来る-』
「三国」の内の魏と呉の戦いは、少なくとも「正史」では、『赤壁』で呉が勝利して終わら無かった。
その後も、何度も勝ったり敗れたりを繰り返した。
特に、魏の張遼が活躍した「合肥の戦い」では、見事に「赤壁」の仇を討ったと言って好い。
呉王の孫権すら殺されかけ、以後、張遼を恐れた。
呉では母親が「遼来々」と子供を叱る、と言う伝説まで出来た、と伝えられる。
「…だからと言って、“今”の蓮華は霞を怖がらないよな?」
「?」
「(…「この外史」は『赤壁』で決着がついたんだから…)」
「『天の国』の話がどうかは分から無いけれど、子布のじいやの方が、余っ程、恐ろしいわよ」
張昭こそ、孫策そして孫権を補佐した孫呉の老臣の筆頭だろう。
「赤壁」の前に降伏を進言してしまったため『演義』でこそ、孔明に論じ伏せられる役を振られてはいるが、
孫策が突然に倒れた後、未だ涙する孫権を叱咤して、主君を継承させたのは張昭だ。
その後も、決して完璧な主君とも言い切れない孫権が迷走する度に、張昭に叱られて自分を取り戻していた。
「そうだったな、じゃあ…蓮華が酔っ払ったら「張昭来々」の呪文が効くかな」
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
改めまして、投稿名たつ様の『恋姫†遊記 ~ドキッ☆美少女だらけの西遊記!?~』に
支援のエールを送らせて頂きます
『-誰のための強さ-』
天下13州の内、北西に当たる涼州出身者たちとの雑談の中で「天の御遣い」は、
その涼州の更に西北の境に位置する「両界五行山」の魔王についで言及した。
正し「この」時代、中国に仏教は伝わっていない。
そのため、蒲公英たちは三蔵法師の事を、道士か何かとでも誤解した可能性があったが…
「面白いわね」偶々(たまたま)居合わせた華琳が興味を持った。
何処に興味を持ったのか? 愛紗と桃香に、代わる代わる視線を向けていた。
「美しく無いわね。「両界山」の魔王とやらは。誤解しないで…」
華琳は続けた。
「“今”の封印されている魔王は美しくないの。何のため以前に、誰のための強さか意味の無い力の持ち主」
ここで華琳は、恐ろしく魅力的な微笑をした。
「(…確か…あの笑顔…)」
北郷一刀は「英雄ただ2人」のエピソードを連想した。
「でも、ご主人様の予言した『西遊記』とやらの孫悟空は美しいわ。三蔵とやらが本当に正しいかじゃ無いの」
ふさふさと金髪を振って、
「力に意味があるのが美しいの」
「うーん…関係が有るか、分からないけれど…」あえて一刀は口を挟んだ。
「俺が「向こう側」で剣道をやっていた時に聞いた話なんだが。『神の手』と言われた武道家が弟子に言った言葉らしい」
『力無き正義も虚しい。正義無き力も虚しい』
「その通りよ」
大きく頷(いて)いて華琳は、愛紗と桃香を振り返った。
「私が“関羽”を欲しがる程、愛紗が美しかったのは、自分のためだけの強さじゃ無かったから」
恐ろしく可愛らしい笑顔で続ける。
「私は危うく、美しく無くしてしまうところだったわ」
確かに、関羽雲長が最も美しかったのは「千里行」の時だったろう。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
アニメ版~乙女大乱~第三席は「士は三日会わずば刮目して見よ」のエピソードでした。
『-三日会わずば-』
「天の御遣い」が興味を持っても、彼の優しさから聞こうとしない過去の1つが、
「呉下阿蒙」時代の亞莎の事だった。
ところが、ある時、亞莎の方から蓮華に学問を勧められた頃の話を始めてしまった。
一刀のつもりとしては、眼鏡が似合っている事を褒(ほ)めただけの筈だったのだが。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
『-大長秋(その2)-』
後宮の運営で不可欠な事項の1つが、寵愛の当番を割り振る事だ。真面目な話で。
まして「天の御遣い」の後宮は、毎晩の寵愛が2人組とか3人組に成るのが普通だった。
そうなると「後宮長官」とも言うべき大長秋が、皇后に次ぐNo.2の貴妃や、他に複数の孫娘を後宮入りさせている祖母、
というのは、十常時時代の悪夢に繋(つな)がる危険が在った。本人たちの悪意、善意に関係無く。
そのため華恋は、後宮運営のKnowHow伝授に専念し、
「当番」の方は、后妃たち当人の話し合いに任せる事に成ったのだが。
古代中国の官吏は「洗沐(沐浴して髪を洗う)」と言う名目で、5日交代の休日を取る。
何時の間にか「髪を洗う」順番の官吏が異常に少なくなる日が、月に1度か2度、発生する様に成った。
と言うのも、官吏たちの自衛策である。
何せ「この日」は、上官たちが「最重要会議」だったから。
後世で言う処の「休日シフト」を偏在させてまで「会議中」の上官の分まで、仕事を片付けていたのだ。
曹仲徳とか司馬仲達とかの「やれやれ」が聞こえそうである。