西京河南府。後漢をはじめ、いくつかの王朝が帝都とした洛陽は、北宋時代は、こう呼ばれていた。
この時代の帝都である、東京開封府に次ぐ、地方の有力都市の1つであり、
この時代の交通事情と、開封からの距離からすれば、かっこうの「観光地」でもあった。
それは、帝都開封の「東西南北」に反乱軍の、戦火があがったこの時ですら、
この地を訪れる「観光客」が減(へ)りこそすれ、完全には絶(た)えない事にも現れていた。
理由の1つは、この当時から「講釈」や「芝居」で、開封の庶民にも親しまれた、ある「演目」にゆかりの地である事もある。
その「観光客」の中の1人である「大刀」の関勝にとって、ここを訪れた理由は、単なる「観光」だけではない。
近く下る「予定」の官命を前に、自分の中にあるものに向かって、何かを問い直したかったのである。
… … … … …
河南府の近郊、ここは、後漢をはじめ、歴代王朝の陵墓の地。
その中の1つだけ、なぜか、陵墓の前面の「祠(ほこら)」に参拝者が群がり、それを見込んだ「みやげ物」まで売られている。
――― ――― ―――
後年、日本からの観光客が訪れるようになると、一目見て「前方後円墳」だなどと言う。
実際、後年の日本の考古学者の中には、倭国からの使者が、この陵墓を見てお手本にした、と言う説を唱えたりする者もいる。
――― ――― ―――
しかし、この時代も(後年も大部分の)「観光客」のお目当ては、陵墓の前面に並んだ、数十ほどの「祠」だった。
1つの祠には、1つずつの「像」がまつられている。
ある像は、文官風の衣装に身を包み、いかにも知略に長けた軍師らしい“ポーズ”をとっている。
また、別のある像は、凛々しくも武装を着こなし、得意の武器を構えて、いかにも「無双」の武将といった“ポーズ”をとっている。
そうした中の1体が、今回の関勝の「お目当て」だった。
力強く「青龍偃月刀」を振りかざし、千里を行く「汗血」の名馬を駆り、黒髪をなびかせたその姿。
その凛々しい“ご先祖”の姿を前にして、今、関勝は自分に問い直したかった。
官命の通り、山東の「賊」宋江を討つべきか、いなか。
しかし、その関勝の感傷を、追い付いてきた部下が、だいなしにしてしまった。
「しかし、美人ばっかりですな~」
「貴様、ほめているつもりか」
「いえいえ、尊敬しておりますよ。なにせ、あの乱世をたった数年でおさめてしまった英雄にして、天下太平の名君ですからな。この御陵の主は」
「だが「天の種馬」だとも言いたいんだろう」
(……この「ひがみ」さえなければ、理想の上官なんですがね)
部下の方は、上官から逃げるように「観光客」にまぎれて「祠」が並んでいる中の奥のほうへ行ってしまった。
一番奥、陵墓の「前方部」の直前に並ぶ、3つの「祠」。
劉備玄徳。曹操孟徳。孫策伯符。
「三国」の英雄であり、当時の「芝居」「講釈」の人気「演目」“恋姫無双”のヒロインたちである。