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No.6379の一覧
[0] マブラヴ ~新たなる旅人~ 夜の果て[ドリアンマン](2012/09/16 02:47)
[1] 第一章 新たなる旅人 1[ドリアンマン](2012/09/16 15:15)
[2] 第一章 新たなる旅人 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:35)
[3] 第一章 新たなる旅人 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[4] 第一章 新たなる旅人 4[ドリアンマン](2012/09/16 02:36)
[5] 第二章 衛士の涙 1[ドリアンマン](2016/05/23 00:02)
[6] 第二章 衛士の涙 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[7] 第三章 あるいは平穏なる時間 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:38)
[8] 第三章 あるいは平穏なる時間 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[9] 第四章 訪郷[ドリアンマン](2012/09/16 02:39)
[10] 第五章 南の島に咲いた花 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[11] 第五章 南の島に咲いた花 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:40)
[12] 第五章 南の島に咲いた花 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:41)
[13] 第六章 平和な一日 1[ドリアンマン](2012/09/16 02:42)
[14] 第六章 平和な一日 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[15] 第六章 平和な一日 3[ドリアンマン](2012/09/16 02:44)
[16] 第七章 払暁の初陣 1[ドリアンマン](2012/09/16 19:08)
[17] 第七章 払暁の初陣 2[ドリアンマン](2012/09/16 02:45)
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[6379] 第七章 払暁の初陣 1
Name: ドリアンマン◆74fe92b8 ID:6467c8ef 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/09/16 19:08

 ある日の夜、武は霞とふたりで地下19階、鑑純夏の脳が収まったシリンダールームへと続く通路を歩いていた。

 それは、A-01部隊ヴァルキリーズがXM3の慣熟訓練を始めてから数日。武と冥夜が、『元の世界』で横浜の街を回ることになる日からは少し前。そんな日付のこと。
 もっとも、この日がなにか特別な日であったわけではなく、二人の行動も何ら特別なものではない。武と霞が彼女の部屋へ通うのは、何ほどのこともない、ふたりが毎日欠かすことのない日常の光景だった。

 冥夜が『この世界』に目を覚ました日。彼女と武、霞の三人は地下深い部屋、蒼い光の傍らで、『前の世界』を語り明かした。
 あのとき流した涙。森深い湖のように静かで、しかし熱く胸を揺らした喜び。
 大事な戦友たちの最期を知り、涙とともに呑み込んだあのときこそが、きっと武にとって、『この世界』が本当に始まったときだった。

 その夜以来、武と霞はこうして毎日純夏の部屋へと通っている。
 二人にとって半身ともいえる少女に、彼女が生身の『人間』としてこの世にあるうちに、最も大事な話を聞かせておきたい。そう思ったからだった。
 とはいえ、毎日そう長居することもできない。
 なにしろふたりともこの二週間というもの、山と積まれた仕事で非常にいそがしい身の上だったからだ。大事なことと思っていても、任務でもない私事にそうそう時間は割けなかった。

 武が『この世界』に来てから二週間。まずは207Bのメンバーとともに訓練兵として訓練を行ない、並行してXM3の開発。彼女らが総戦技演習で基地を離れてからはヴァルキリーズの訓練に、武は教導官、霞は開発担当として時間を費やしている。
 一番の時間を占めるそれらに加えて、折に触れては夕呼から『前の世界』や『元の世界』の情報についての詳細な聞き込みがあり、今後の計画、事件への対応についても頻繁に協議がある。
 教導官役を始めてからは書類仕事も多くなり、伊隅以下隊長たちとは訓練計画や新しい部隊戦術についてのミーティング、更に新潟の作戦についても細かく詰める必要があった。霞は霞で夕呼の研究助手としての仕事があり、やはり事情は似たようなものだ。
 無論、オルタネイティヴ4の責任者として様々な外部的折衝までこなしている夕呼のそれに比べれば、まだまだましというものであるが、それでも『前の世界』の同時期とは比べ物にならない多忙さであった。

 しかしそれでも、武と霞は毎日欠かさず空き時間を絞り出し、こうして足繁く通っている。
 それだけ大事と思うことであり、そしてまた、ふたりにとって楽しい時間でもあったからだった。
 そんなふうに考え事をしながら歩いているうちに、いつの間にか部屋の前へとついている。突き当たりでスライドドアが聞き慣れた開閉音を立て、いつも通りの燐光が目に入った。

「今日も邪魔するな、純夏」

 部屋の中央、蒼い光を抱くシリンダーに目を向けながら、武はそう声を掛けた。隣でぺこりと霞が頭を下げる。
 武はそのまま足を止めずにシリンダーのそばまで進み、あごに手をやって軽く首を傾けた。
 今日は何から話そうかとちょっと考える。話題選びにと思い出す今日の出来事。なんだかんだで一番に、今身近でもっとも賑やかな女性の姿が浮かんだ。
 色々と調子に乗ったあげく宗像中尉と雪村中尉の皮肉屋二人から十字砲火を受け、果ては泣きついた先の親友、涼宮中尉からもたしなめられるその様子。
 思わず武の口から笑いがこぼれる。吹き出した息とともに、自然と話も流れ出していた。



 一日に使える時間は短くても、二週間も続ければそれなりにたくさんのことが話せるというもの。『前の世界』や『元の世界』についての話は一段落つき、今は『この世界』での日々の出来事が話の中心になっている。
 武がXM3の教導官として着任してからは、自然この世界で出会った戦乙女たちについて話すことが多くなった。

 教導開始から数日、彼女たちの新OSに対する習熟の度合いは目覚ましいものがあり、その上達、順応ぶりは、武にとって嬉しい予想外だった。
 顔を合わせた最初に武が説明した通り、繊細な操作性能や即応性の向上は無論のこと、XM3の特性、その真価は、従来のそれとはまったく異なる戦術機動概念にこそある。
 『前の世界』の207Bと違い、ヴァルキリーズの隊員達は旧OS機での経験が豊富であるため、染み付いたその経験がかえって仇にならないか、武は気がかりだった。更に言うなら、そもそも自分に教導官など務まるだろうかということも大いに不安だったのだが、幸いどちらの懸念もほぼ無用のものとなった。
 そのふたつともに大きな助けとなってくれたのが、今日も一番賑やかな、と武が連想した部隊の副長、ポニーテールの黒髪が麗しい体育会系の凄腕衛士、速瀬水月である。

 部隊の突撃前衛長として隊内最強の戦闘力を誇る速瀬であるが、今回のXM3慣熟に於いても最高の適性を見せ、技倆の伸長著しいものがあった。
 もともと有り余る運動神経と無手勝流でならす衛士である。『コンボ』や『キャンセル』、『先行入力』といった異世界概念についても、その野生じみた勘でほとんど理屈抜きに呑み込んでみせた。
 その上でそういった新概念がとても性にあったらしく、一刻も早く修得して使いこなすべく一日中訓練に励み、とにかく頭抜けた速度でものにしていったのだ。

 そして、それが部隊全体にとっても大きなプラスとなった。
 まりもの教えようを思い出しながら務めた武の教導も、思いのほか目の届いたしっかりしたものであったが、やはりゲーム仕込みの武が感覚的なものをこちらの人間に伝えるのは簡単とはいかない。そこを自力でどんどん開拓していく速瀬が補ってくれたのである。

 もっとも、そうやって熱中した結果として誰よりも早くレベルを上げると、今度は一転勝負勝負と突っかかりだしたのが何とも。基本的に地味な訓練よりも派手な模擬戦などを好む彼女であるし、強い相手を放っておくことはできないとかで大変かまびすしい。
 雰囲気作りも多少あるかもしれないが、冥夜に一蹴されたのがすごく悔しかったのだろうな、と武は思う。素性不明の相棒についてはちょくちょく問い詰めてくるし、例の模擬戦についてもよくよく見直しているらしい。
 今の冥夜相手に旧OSで一対一。そりゃあ勝てるわけないなと思うのだが、負けず嫌いの彼女の気持ちはわかる。雪辱を果たしたいのも理解できる。しかしそうはいっても相棒の素性を話すわけにはいかず、そもそも冥夜は現在基地にもいないわけで、結局なんやかんやで矛先が武に向いてきたというわけだ。
 武とて衛士として試し合いの類は決して嫌いではない。が、今は忙しいし疲れもあるし、真剣勝負はちょっと遠慮しておきたいというのが本音だったので、詰め寄られるのは少々困りものだった。

 とはいえ、いい話だけで終わらないのは実に速瀬中尉らしいというか、ある意味むしろ安心できることかもしれない。
 『前の世界』で、彼女から胸ぐら掴まれて叩き込まれた衛士の流儀。次の機会、桜の木の下で胸ぐらを掴んできた酔っ払いは、その瞳に涙を浮かべていた。
 はっちゃけていながら、きっと色んなことを考えている。そんなふうに思って、武は尊敬する女性の姿を改めて心に描く。
 伝え語りは進んでいった。


 毎日忙しい武だったが、訓練中やミーティングの時などでしかヴァルキリーズの皆と関わらないというわけではない。食事や休憩などの時間でも、霞と共になるべく一緒に過ごせるよう意識している。
 その中で彼女達──特に『前の世界』で知り合わなかった人達と積極的に話をし、それなりに親交を深めてきた。
 それは戦友として彼女達との距離を縮めたいという素直な思いからでもあったし、衛士の流儀に従って、先に逝く仲間達の命を語り継ぐためということでもあった。すでに間近に迫っている作戦で、誰かが命を失わないとは限らないからだ。
 ただ、そういうことだけではなく部隊の教導官として、また作戦行動を共にする相手として、その気質をよく理解しておく必要があったということが第一の理由になるので、任務の内には違いなかったのだが。

 とにかくそういうわけで、『この世界』で初めて顔を合わせた彼女達のことも徐々に身近になってきており、そういった話題もおみやげ話の内に大きな割合を占めていたりする。

 例えば雪村中尉は生粋の軍人一族に生まれたそうで(なんでも祖父は帝国軍の元中将だそうだ)、幼い頃から彼女も軍人となるべく英才教育を受けてきたらしい。
 けれど生来のひねた性格からか、とは彼女の弁だが、とにかく帝国軍の忠義心とかそういったものにあまり馴染めず、かといって軍人となる以外の道も見い出せず、流れ流れて国連軍に居着いてしまって、今や家族とは疎遠なのだとか。
 彼女はそうした話も冷ややかな毒舌混じりで語り、決して怜悧な態度を崩さない。
 しかしそれでいて伊隅大尉の副官を務めているのは伊達ではないというか、とても気配りの細かい一面も備えていた。

 他の隊員達についてもここまでの何日かで色々と話をし、随分と印象を確かにしてきている。純夏に伝えた話も様々だ。

 詳しい事情はまだよく知らないが、今あまり上手くいっていないらしい高原姉妹のこととか、ひまがあれば昼寝やひなたぼっこにいそしんでいる高坂少尉のこと。麻倉が明るいわりに意外と気弱な性格してることとか、天然極まりないぼけ女、築地の武勇伝の数々とか。
 もちろん伊隅大尉や速瀬中尉ら、旧知の先任達についても同様だ。
 『前の世界』で聞き知っていたこともあれば、あるいは知らなかったこともある。新たな一面も見られたかもしれない。
 着任した日には、歓迎の余興にと風間少尉がヴァイオリンの演奏を披露してくれた。
 『前の世界』ではついに聴くことがなかったその音色。そもそも武には生でヴァイオリンの演奏を聴くなど初めての経験だったが、素人にもわかる素晴らしいものだった。
 夜の桜並木が目に浮かび、細めた視界が思わずぼやけた。
 そんな感動も、できうる限りそのままに純夏に伝えようと言葉を尽くした。

 そういう今の話をしながら、思いつけば『前の世界』や『元の世界』の出来事にも話題を伸ばす。感じた景色を心に浮かべながら、武はゆっくりと話していく。
 もちろん身体を失った純夏にその声を聞くことはできない。武が話しながら心に描いた記憶と想いを、霞が受け取って心伝えにしてくれているのだった。

 そして霞自身も通訳をしているだけではない。
 時折武が話をふって、口数少ない少女も自分の感じたことを語るようになっていた。
 207Bの訓練に参加して、ヴァルキリーズのみんなにも毎日可愛がられて、自分自身の思い出というものに少しの自信が持ててきたのかもしれない。
 たどたどしくも嬉しそうに(武視点)自分のことを話す霞を見ながら、武は優しい想いに目を細めた。


 穏やかな声を響かせながら時間が過ぎる。
 こうして話している間は、壊れかけた純夏の心もわずかなりとも明るく安定をみせているようだ。
 そうした報われる事実があり、話をすることは楽しく、過去を思い描くことは自分の戦う理由を革めてくれることでもあって、短い時間は武にとって貴重なものだった。

 しかし、それでも胸に疼きがはしるときはある。

 こうして話す純夏はまだ生きている。生身の欠片がここにあり、ほんの少しでも想いに動く心がある。
 オルタネイティヴ4完遂のため、その彼女を『殺さ』なければならない。最後の身体を奪わなければならない。
 とうに決めたこと、不可避の事実でありながら、やはりどうしても心にわずかな引っかかりがあった。
 この世界の純夏は、『前の世界』の純夏とも『元の世界』の純夏とも違う。けれど目の前に純夏がいたならば、どんな世界の純夏であっても幸せにしてやりたいと強く思う。そう誓った。
 だというのに、はたしてそれができているのか。過酷な運命を強いる罪を、純夏のためだと誤魔化しているのではないのか。
 そばにいることを気付くこともなかった自分。その命を守ることのできなかった自分。
 報い償う方法が、もっと他にあるのではないのか。

 どうしてもときに浮かんでしまうそんな考え。それをむしろ侮辱だと振り払う。
 たった数日の恋人は「ありがとう」って言い残した。
 その笑顔も、その涙も、強く強く心に焼き付いている。
 結末は悲しかったが、その生命は確かに輝いていたのだ。


 霞が何かを訴えるように、あるいは頷くように武を見つめていた。
 もう切り上げる時間だった。訓練の後に急いで寄ったが、次は夕呼に呼びつけられている。
 気持ちを切り替えて、「また明日な」とひとこと。霞を促して、武は蒼い光に背を向けた。




 さて、ここまでのところは武と霞にとって、この数日特に変わりばえのしない日常の一幕である。
 日々思いを新たにさせてくれる大切な時間ではあるが、ふたり以外の何かに係わるわけでもない。
 思わぬ変化があったのは、この後だった。


 元来た通路を戻って、武が夕呼の部屋に入ろうとしたとき。部屋の中には明かりが点いていなかった。
 呼び出しの時間にはぴったりだったのだが、当の夕呼はまだ来ていないらしい。
 仕方ない、部屋の中に入って待つか。そう考えて武は足を踏み入れ───そこで違和感を覚えた。

 室内に人の気配は感じない。変わったところはない。だが既視感があった。
 武は霞を背中にかばい、身構えながら口を開く。


「鎧衣課長……ですかね?」


 名指した言葉に暗がりで気配が乱れた。感じられた微かな戸惑い。少しの間があって、部屋の奥から歩み出てくる人影がある。
 通路からの光にあらわになったのは、案の定武の知った顔。忘れがたい飄々とした顔だった。今は総戦技演習で基地を離れている美琴の父親、世界を股に掛けて暗躍する凄腕の諜報員───鎧衣左近である。

 『前の世界』では、武が彼に初めて会ったのは11月の末、クーデターも間近の時期だった。比べると、『この世界』では一月近く早い対面となる。
 予想外に早い対面という意味では、月詠らに顔を合わせたときも同じだったが、そのときよりもずっと武は警戒の念を強くしていた。
 あからさまに殺気を発していた彼女達に比べて、今目の前にいる相手は一見穏やかだ。だというのに、その奥には遥かに剣呑なものを感じる。
 武は月詠達のことは知っている。何よりも冥夜のことを大事に思っているという、彼女達の芯の部分を知っている。だが、目の前の男のそれは知らない。何を考えているのか、目的は何なのか、『前の世界』での関わりからは結局何もわからなかった。
 だから『前の世界』では味方であっても、状況の違ってくる『この世界』ではどうなるかわからない。そしてその剣呑な男は、目的遂行の為には実の娘であっても犠牲を厭わず、都合の悪いものは排除するだけだと言い切る覚悟を持った人間なのである。

 怖い相手だった。
 だが、それでいてどこか憎めない相手でもある。
 仲間の父親として敵に回したくないという気持ちもあるし、そもそも美琴をパワーアップさせたような自由すぎる言動は精神的に脅威だった。応じる武にしてみれば、なかなか思いもひととおりとはいかない。


「───シロガネタケル……か。香月博士から聞いていたかね?」

 警戒する武を一瞥して確認し、鎧衣は問い掛けに答えまた問い返す。一見和やかな調子だが、ゆるめた口元とは裏腹に、目がまるで笑っていない。霞が武の裾をぎゅっと掴んだ。
 無理もないと武は思う。表面の戯けた態度に惑わされなければ、その下の静かな圧力がはっきりとわかった。心を読める霞なら怯えもするだろう。
 前の自分はそれもわからなかった。感じた苦さに唇を少し歪め、震えを押し殺して武は答える。

「ええ、帝国情報省外務二課の鎧衣課長。神出鬼没の煮ても焼いても喰えない人だって聞いてます」
「ふむ……そのように評されるとは悲しいな。麗しき博士のためならば、この身を捧げることもいとわぬ覚悟だというのに。我が身の不徳を嘆くべきか……」

 武の答えに肩をすくめて韜晦する鎧衣。しかしそうしながらも足は止めず、武が気付いたときにはもう懐に入られていた。
 身構えていながらあっさりと間合いを割られ、あらためて背を震わす武だったが、さすがに頬を抓もうとする腕は押さえた。あながち演技でもない息を吐いて言う。

「……勘弁してください、本物ですよ。あらためてはじめまして。極東国連軍……んん、香月副司令直属、白銀武です。そちらもオレのことは知ってるみたいですね」
「おお、これは失敬。帝国情報省外務二課の鎧衣左近だ。息子が世話になっているようだね、白銀武君」
「いえいえ、こっちこそ娘さんにはお世話になってます。勘の良さやサバイバル技術はほんとに超一流で、いざというときほど頼れる仲間ですよ。もっとも普段は誰かさん譲りらしい話の聞かなさ加減で困らせてくれますが───」


 なんとか戯言混じりの会話を渡り合う武だったが、軽い言葉とは裏腹に以前より与太話が少ないな、などと考えていた。そして、その分だけ笑顔の下のプレッシャーが強い。
 初めの対応で警戒させたのか、あるいは『白銀武』に関して得てきた情報が以前と違うのか。XM3の件や、まして転移実験のことなどが嗅ぎつけられているとは思えなかったが、この相手だけはわからない。
 そんなことを裏で考えながら、武は適当に会話を引き延ばす。そうしているうちに、ようやく武達を呼んでいたはずの張本人が姿を現した。

 入り口で話している武達を無視して、夕呼は部屋の明かりを点ける。相変わらず散らかった部屋に、地球を象ったオルタネイティヴ4仕様の国連旗が浮かび上がった。
 つかつかと歩いてその旗を背後にし、二人を睨み据える夕呼。

「……あんた達、人の部屋で騒がしいわよ。白銀もそういう不法侵入者はいちいち話なんかせず、さっさと基地の外に叩き出しなさい。いちいち相手するから調子に乗るのよ」
「おやおや、つれないですなあ。博士のご機嫌を伺うために、はるばる地球の裏側から飛んできたというのに」
 あからさまな嫌味にも、鎧衣は全く堪えたそぶりを見せなかった。むしろ楽しげな声で応じる始末で、夕呼はますます眉間にしわを寄せた。

「真面目な話だったら聞いてあげるわよ。こっちは忙しいんだから、さっさと本題に入りなさい。今日は何しに来たわけ?」
 鎧衣は肩をすくめ、両手を広げて残念とばかりに息をついてみせる。
「ふう……潤いに欠けるというものですが、博士がそう言われるなら仕方がない。真面目な話ですがね…………実は最近、大西洋上に伝説の古代アトランティス文明と思───」

 言葉通りに笑みを消し、真面目そうに語り出す鎧衣だったが、最初のつかみを言い切ることもできなかった。
 与太話と判断した瞬間、いきなり夕呼が背を向けたのだ。思わず言葉を止めた鎧衣を尻目に、夕呼は部屋の奥へと歩いていく。
 デスクの引き出しから、黒光りする拳銃が取り出された。
 硬質な音を立ててスライドを操作し、夕呼はそのまま無言で帰ってくる。据わった目でひとことだけ言った。

「───で?」

 鎧衣の薄笑みがわずかに引き攣ったように見えた。
 大西洋上の古代アトランティスとやらは魔法のようにどこかへ消え失せ、一転しっかりと真面目な話が始まる。

 XG-70の引き渡し交渉は順調にいっていること。
 夕呼が行なった国連への打診。そこから推測されるオルタネイティヴ4の進捗。各勢力の反応。
 国連宇宙総軍への糸。工作のほのめかし。

 一ヶ月早いというのに、武達の前倒しのせいで内容は『前の世界』のそれと共通点が多い。重要な話ではあるが、やはり以前と同様に「それだけじゃないでしょ」と夕呼が問い詰めた。鎧衣は珍しく、本当に困ったような苦笑いを浮かべる。

「いやいや、実のところ本当に、香月博士のご機嫌を伺いに来たというのが本音なんですがね。なにしろ最近やけに慌ただしい。何が起こったのかと気になりもするでしょう。それに───」
 一拍置いた合間で横に滑る視線。本当に面白がっているのか、アルカイックな笑いなのか、読めない目で鎧衣は武を見据える。背中で霞が身体をこわばらせた。
「───噂の白銀武を一度見ておこうと思いまして。話してみればなかなか面白い若者だ。ですが、どうも幽霊には見えませんね」
「噂?」
 鎧衣の言葉に夕呼が問い返す。武も少々疑問に思った。死人である白銀武のことを鎧衣が嗅ぎつけているのはおかしくないが、言い回しからして何か妙な雰囲気だ。

「ええ。城内省の情報部が、彼の経歴を洗おうと相当派手に動いてますから。こちらの将軍家縁の娘、その周辺から号令が掛かっているようですが、どうもちょっと尋常でない様子でしてね。彼、一体何をしでかしたんです?」

 ───月詠さん……、何してくれてんだ。

 即座に原因を察して顔をしかめる武。夕呼が横目を寄越す傍らで、空気に構わず鎧衣が続ける。

「しかも埒があかなかったらしく、調査の対象が博士や第四計画そのものになってきてまして……。どうでしょう。計画も順調に動き出したようですし、迷惑なようならこちらからひと声掛けておきますが」
「はっ、よく言うわ。畑違いの連中に出張られて迷惑なのは、むしろそっちの方でしょうが。こっちには関係ないから、やりたければそっちで好きにしなさい」

 出された提案をあっさりと一蹴する夕呼だったが、相手は特に落胆した様子もなかった。当然というように軽く頷き、それでは本題も終わりましたし、と手短に話を切り上げて暇を告げる。
 土産と称して手のひらサイズのモアイ像を武に手渡すと、踵を返して出口に向かった。だが、そこで思い出したように肩越しに言い残していく。

「そうそう。どうやら近く、新潟でひとつ大きな実験をなさるそうで。もしも予言が当たることになれば、情勢が一変することになるかもしれない。期待させていただきますよ博士、それに、白銀武君───」

 最後に置いていった言葉は、まさしく不吉な予言のように殷々と響いた。



 不法侵入者が堂々と部屋を出て行ってから少しして。普段通りに三人が残った部屋で武は大きく息をつき、強張った肩の力を抜いた。
 見れば夕呼も凝りをほぐすように首を回しており、霞はようやく武の裾から手を離したところである。それぞれに理由の違いはありそうだが、誰にとっても疲れる相手であるのは確かなようであった。

 そうしてひと息ついた後、夕呼は思い出したように持ち出した拳銃を机に置く。装填した弾丸を抜く動作はそれなりに板についていて、武は少し驚いた。もしかしたら、ひそかに練習していたのだろうか。
 負けず嫌いだからな、と武が呆れたところで、手ぶらになった夕呼が話を始める。
 元々の用件と、闖入者が置いていった用件。
 といってもちょうど新潟の件で大方重なっており、そう手間が増えるわけでもなかったのだが、さすがに城内省のことは睨まれた。『前の世界』の未来情報を絶対視するわけではなかったが、余計な不確定要素だったことには違いないからだ。
 もっとも、「どうせ向こうがとっくに話を付けているから、これ以上考える必要もないでしょうけど」と夕呼が言うので、睨まれただけで特に対策などは講じられなかったが。


 夜空も見えない地下深く、元ハイヴの懐にあって、武と霞は南洋に戦う仲間達を想う。今このとき、人類の未来に最も近い場所で。
 総戦技演習で冥夜が重傷を負う、その前夜のことであった───








 第七章  払暁の初陣


 2001年11月9日


「───極東国連軍白銀武少佐、本日付をもって、A-01連隊第1中隊長として着任します。今更ではありますが、今後ともよろしくお願いします」


 敬礼とともに発されたその言葉はとても明確な内容であったが、それでも即座に理解できる者は少なかった。いつものミーティングルームに、少しの間沈黙が漂う。戸惑うヴァルキリーズの隊員達を前にして、しかつめらしくしながらも、武は胸の内でため息をつく気持ちだった。
 その様子を、部屋の隅で夕呼が愉しそうに眺めている。
 すぐには質問がこない様子なのを見て、そのまま説明を続けようとする武。階級なしから一気に出世することになって正直戸惑わされたのは武も同じだったが、それでも実情を考えればさほど想定外というわけでもない。
 とはいえ型破りには違いないよな、と武は昨夜のことを思い浮かべた───




 時刻は午後9時をやや回った辺り。武と冥夜は無事『向こうの世界』から帰還した。
 ふたりが実体化するや否や、駆け寄ってくる夕呼の姿。抱え込んだ大荷物に驚いた様子を見せるが、それよりもなによりもと、言葉もそこそこ武から目的の書類をひったくるように受け取ってしまう。あとはもうふたりには目もくれず、貪るように読み始めた。

 夕呼が自分の世界に入ってしまったので、ただいまの挨拶は代わりに霞に告げる。
 「……おかえりなさい」と、少女は夕呼の代わりに迎えてくれた。疲れにかいくらか顔色に翳りは見えたが、ほっとしたような表情は穏やかだ。
 ふたりの存在を捉え続けるために丸一日気を張り続けだったわけで、身体は大丈夫かと武は心配だったが、どうやら『前の世界』のときよりはいくらか余裕があるようだった。
 武の方もほっとして、下ろした大荷物から紙袋をひとつ取り、向こうで選んだ白いうさぎのぬいぐるみを手渡す。
 大きなうさぎを抱きかかえて、少しよろける霞。慌てて冥夜が手を出して支えた。
 ぬいぐるみを抱きしめながらありがとうございますと頭を下げて、その辺りが限界だったらしい。霞はふらふらと実験室に置いてあったソファーに身を横たえた。
 すぐに規則正しい寝息を立て始める。
 ぬいぐるみを抱きかかえた可愛らしい寝顔に、武と冥夜は思わず微笑みを浮かべた。まるで『向こうの世界』の続きのような、平和で穏やかな姿に思えたのだ。
 その眠りを邪魔しないよう、ふたりは音を立てずにそっと離れる。
 そうしてそのまま佇んでいた武と冥夜だったが、しばらくしてようやく夕呼が帰ってきた。今更ながら、ねぎらいの言葉を掛けてくる。

「ふたりともご苦労様。望み通りのものよ。これで00ユニットが起動できる」
「そりゃよかった。でも先生、その割には……」
「ええ、副司令。その割には顔色が優れぬ御様子ですが?」
 やけに淡々とした夕呼の様子に、そろって疑問を口にするふたり。問われて夕呼は軽く息をついた。
「まあ、わかってた結果だしね。さすが私だけあって、最高に興味深い論文ではあったけど、この先山積みの問題を考えるとあまり浮かれる気にもなれないわ。とりあえずは当面の───」

 『前の世界』での喜びようとは打って変わった夕呼の愁いた面。最重要であるはずの00ユニットに関してはひとことで流し、これからのことについて話を進めていく。
 まずは目前に迫っている新潟の作戦について、武と冥夜をどう扱うか。
 そう前置いて切り出されたのが、武を少佐としてA-01の隊長につけるという話だったのである。


「ちょっ、いや、……って、そんな無茶な!」

 寝耳に水な夕呼の言葉に、思い切り動揺する武。
 もちろん最初の対面の際にできるだけ高い階級が欲しいと願ったのは武の方であり、これは数式が手に入った時点で昇任させるという約束通りの話なのだが、正直おまけの願い事だったので半ば忘れかけていたのだった。
 その上伊隅大尉を飛び越して少佐、まして彼女の代わりにA-01の隊長などと、いくらなんでも無茶が過ぎてあっさりと呑み込めるわけがない。
 隣で聞いていた冥夜も似たような態度だ。
 自分のことではないので、武のように取り乱してはいないが、それでもそれはどうかと言葉を添える。
 当然のことだろう。『前の世界』で共に戦った時間は短かったが、伊隅みちるは武と冥夜にとって恩人であり、またこの上なく優れた指揮官であったのだ。
 たとえ別の世界の彼女相手であっても、そうそう代わりが務められるとも、そして務めようとも思えない。

 とはいえ、ふたりが渋っても夕呼は小揺るぎもしなかった。「何よ、あんたが持ち出した交換条件でしょ」とのたまい、もう決まったことだからと辞令を渡してくる。
 顔をしかめつつそれを受け取った武だったが、目を通して思わず呟いた。

「……A-01連隊第1中隊?」
「そうよ。第9中隊ヴァルキリーズはそのまま。別にあんたに伊隅の代わりをやれって言ってるんじゃないわ」

 武の呟きに答える夕呼。見てみれば意外と真剣な顔だ。

「今じゃ中隊ひとつしか残ってないけど、A-01はもともと連隊規模の編成。これまで数が減る一方だったけど、別に増やしたっておかしいことはないでしょう? あんたはそこのお飾り中隊長兼名目上の部隊長。00ユニットの完成が見えた以上、A-01部隊もじき表舞台に出る。そのときあんたを使うのに、このポジションだと色々都合が良さそうなのよ。そういうことだから、部隊指揮をする必要はないわけだけど、まだ何か問題ある?」

 説明する夕呼の目をまっすぐ見返して、武は力なく息を吐いた。どうにも不安な物言いだが、どうやら本気であるらしい。
 その不安の一つに促され、武は隣に立つ冥夜に目を向ける。少し間を置いて一段低い声。

「……先生、そのお飾り中隊はオレ一人ですか?」
「今のところ御剣とあんたの二人編成ね。とりあえず初仕事は新潟になるから」
 何気なく返された予想通りの答えに、武は眉をひそめる。
「冥夜は負傷中ですよ。リハビリに三週間必要なんじゃなかったんですか?」
「あたしの都合で参加してもらう必要があるのよ。走ることはできなくても、戦術機くらい動かせるでしょ? 足はペダル踏むだけなんだから。桜花作戦なんかに比べれば朝飯前の任務でしょうが。そのくらいこなせないんじゃ、この先とても使えないわよ。どう、御剣?」

 そう言って振る夕呼に対して、冥夜は少し押し黙った。垣間見せたわずかな逡巡。けれどすぐに顔を上げて、問題ありませんと答える。
 その横顔に陰りは見えない。しかし、武の胸から不安の雲は晴れなかった。
 確かに夕呼の言う通り、桜花作戦などとは比べるべくもないが、予定される新潟の作戦も決して気楽なものではないのだ。それでも冥夜がそう答えたならばと、武もそれ以上は口を挟まなかった。
 武が同じ立場なら同じように答えただろうし、命懸けなのは皆同じなのだ。むしろ技量や経験からして、初陣となる207Aの仲間達の方が、負傷している冥夜と比べてもなお危うい。そう理性では思える。

 涼宮茜、柏木晴子、麻倉優、高原明日香、築地多恵。
 死の8分。全員が無事であったなら、それはきっと僥倖であるのだろう。
 だがしかし、それでも彼女達に対しては、戦場から遠ざけようなどという考えは浮かびすらしなかった。
 とはいえ冥夜の方がずっと付き合いが長いし、怪我もしているし……最期に引いたトリガーは───




 話しながら頭の片隅に思い出した。
 向かいに並ぶ207Aの面々。
 冥夜はここにいなかったがその時の乱れた思いが連想され、武は回想を中断した。

 絡みついた糸くずのようなもやもやした引っ掛かり。冥夜に対する侮辱だとすら思える不安の種。
 後で考えて解きほぐそうと、あの時は脇に置いたそれだったが、そのまま今まですっかり忘れていた。新しい中隊と部隊長の話から、夕呼が次の話に切り替えて、そちらに完全に気を取られてしまったからだ。
 それはある意味何のことはない話。しかし武にとってはとてもとても重要な話。
 嬉しくもあったし、何かを失くしてしまったような、哀しみに似たものも感じた。
 それはきっと───と武が考えたところで、怜悧な声が掛かる。余所事が遮られた。

「───少佐、表向きの部隊長職であることは理解しましたが、そうすると少佐は作戦には直接参加しないということですか? それとも第1中隊に補充の人員が?」

 いつもの通り、有能な秘書然とした趣をみせる雪村中尉の問い。間近に迫った新潟での作戦において、武の立ち位置についての疑問である。
 今までの様子から、武は作戦に参加するつもりだと理解されていた。
 だが、ここにきて少佐に任官。とはいえヴァルキリーズの指揮を執るわけではなく、かといって指揮下にも入らないのなら、まさか一人で戦場に出るつもりなのか。それはいくらなんでも無謀に過ぎるだろう。
 冷静な言葉の中にそんな意図を感じて、心配されていることを意識しながら、しかし武は軽口混じりで答えた。

「……一人でもやってやれないことはないですけどね。ひとりで戦うわけじゃありません。今のところ補充人員はありませんけど、相棒が任務から帰ってきましたから、第1中隊はエレメントで出ます。相棒が訓練に参加するのが今日だけになるのは問題ですけど、オレの方でヴァルキリーズの力はしっかりと把握しましたから、それに合わせてくれるでしょう。オレ達は遊撃として勝手に戦わせてもらいますけど……大丈夫、一個小隊分くらいは戦えますから足手まといにはなりませんよ」
「…………」

 微笑みながらの返答は充分無茶なもので、質問した方が詰まってしまう。
 だが、武の言葉は冗談のようで重みがあった。冥夜の怪我は心配だったが、それでもなお確かな信頼と自負がある。控えめに言ったからこその軽さなのだ。
 そんな武に釣られたか、雪村も呆れたように口元をゆるめた。

「……わかりました。我々は我々で好きにすればいいということですね」
「ええ。こっちも余裕があれば適当にフォローします。まあ、初陣が慣れるまでカバーするくらいは」
「8分くらいは、ですか?」
「それ以上は過保護でしょう。どのみちBETA相手じゃみんなヤバいのは変わらない」
「……そうですね」
 含みながらの掛け合いがあって、それから少ししんみりとした口調になる。いったん言葉を途切れさす雪村。
 しかし神妙な表情はあまりもたず、彼女はまた皮肉げに口端を持ち上げた。
「ですがなににせよ、あくまで出向いた先に相手がいてこその話……ですからね。どんな与太話が根拠か知りませんが、首尾良く獲物がかかることを祈っておきましょうか」


 部屋の隅に立つ夕呼にも目を遣りながらの台詞。雪村はそれで言葉を止め、夕呼は肩をすくめている。
 武も上司を見ながら息をつき、それから前方に視線を戻す。今までのところで他に誰か聞きたいことは、と首を巡らせた。

 特に声は上がらない。
 今の掛け合いのおかげか、場の緊張も解けている。
 幾人かは何事かありそうな様子だったが、用件は別のことなのかここで手を上げる様子はなく、どうやら新しい少佐の着任については問題ないようだった。
 もっとも、もとより武は仮にも教導官。XM3の性能も衛士としての技倆も疑いようはなく、この十日間教導に関しても十分な働きをみせ、部隊にも溶け込んできた。現場指揮官が替わるわけではないのなら、少佐の地位は特に違和感のあるものではなかったということかもしれない。

 とにもかくにも了解が行き渡ったことを確認した武は、話を明後日に迫った作戦へと移す。


 武と冥夜の記憶に基づいた、新潟でのBETA迎撃作戦。
 この作戦の予定は、オルタネイティヴ4の研究成果によりBETAの行動予測が成立したものとして数日前には部隊に伝えられ、以来それを想定して訓練が行われてきている。
 目的はXM3の対BETA戦における実戦データを収集すること。加えてXM3の有用性を帝国軍に知らしめること。
 部隊の作戦とは関係ないが、もちろん未来情報を利用してオルタネイティヴ4の足場を固めることも含まれる。
 『前の世界』の場合と違い未来情報への信頼性は問題ないわけで、今回はそれを最大限利用するべく、オルタネイティヴ計画権限で真っ向から帝国軍上層部と話をつけてある。その結果、今日の時点で既に防衛線から抽出された帝国軍の迎撃態勢は組まれており、ヴァルキリーズの作戦予定地点には記録、実験用の機材が万全の状態で準備されていた。

 もっとも、今し方皮肉屋の副官が仄めかした通り、帝国軍にはかなり強引に要求を呑ませてあって、その感情はいささか悪化している。もとより帝国軍と国連は不仲の間柄だが、予知が外れた場合、その断絶は更に深くなってしまうだろう。
 武達のループが実はループではないこともあり、これだけ大規模に動くのは博打的ではあるのだが、これまで身近な部分で検証してきた武と冥夜の未来情報は確かなものであったし、どのみち00ユニット完成の目途は立っている。万一当てが外れても、オルタネイティヴ4の失墜などという最悪の事態には繋がらないだろうとの読みがあったのだ。

 なお、今回BETAの捕獲作戦は行なわれない。したがって、『前の世界』では痛恨の犠牲を出した、あの自作自演のBETA襲撃も起きえない。夕呼が『今回』は必要ないと判断したのだ。
 未来の指針がある以上、XM3のデモンストレーションの方が優先度が高いということだろう。
 それにあのBETA襲撃は横浜基地の引き締めが目的だったのだから、何も犠牲を出さずとも代替する手段はある。
 武としては、ある意味心置きなく作戦に臨める状態だった。


 もちろん、それについてはこの世界、今回の作戦には関係のない話。武も表に出しはしない。
 具体的な作戦内容については実際の指揮官である伊隅が担当し、タイムスケジュールや戦場の詳しい情報などが彼女の口から言い渡された。それを聞きながら、武は『この世界』で初めての実戦に思いを馳せる。

 侮りはないが、無用な怯えもまた身のうちにない。微かな恐怖とともに湧き上がってくる静かな高揚。
 いまだ横浜の地にいながら、戦場の空気が近いことを肌で感じる。
 未来は外れないだろう。そんな確信があった。
 守るべきものがあり、勝ち取らねばならないものがある。スライドの地図上に今は遠い戦場を見据え、武は拳を握りしめた───








 2001年11月10日


 夜天にばら撒かれた星々は超然と高みに瞬き、対するに地上では、人工の光の中で人々が忙しく立ち働いている。

 仮設の幕舎に指揮戦闘車両、戦闘ヘリ、更に戦術機を運搬する大型トレーラー───自走整備支援担架などが数多く並び、兵士達が走り回る前線司令部。
 新潟の地、佐渡島ハイヴを望む防衛線の後方に設けられた幕営地は、夜間にもかかわらず騒然としていた。


 その中心からは離れた場所、大分喧騒も薄れた山間のガレ場に、野戦服姿の人影、御剣冥夜の姿があった。
 張り詰めたような厳しい表情で、手に持った抜き身の刀をじっと見つめている。

 どれだけそうしていただろうか。
 夜気の冷たさが段々と身体の熱を奪い取っていく。大きく吐き出した息は白く染まり、鏡のような刀身を曇らせた。
 その様に冥夜はぎりっと奥歯を噛みしめて、いったん刀を下ろす。そこからまたゆっくりと正眼に構えを取り、柄を絞るように握り込む。
 深々と息を吸い込んでピタリと静止し、そうして一転、寸瞬の後には大きく動いていた。

 大上段に振りかぶっての斬り落とし。握りを返して刀を滑らせ、逆袈裟に斬り上げる。
 間髪入れず稲妻の如きに斬撃を重ね連ね、荒く強い呼気が、鋭く風を切る音が響き渡った。
 踏み込みはやや浅いが、それでも傷めているとは思えない、複雑で力強い足捌き。それを追うようにひらめきながら、体捌きは安定して揺るぎない。
 その揺るぎなさに、積み上げた業前の凄まじさが顕れていた。

 そうしてしばしの鬼気迫る舞。
 最後に一刀の突きが放たれた。
 裂帛の気合いが夜の闇を震わせ、冥夜は突き終えた姿勢で動きを止める。
 水平に貫かれた刃も、意思あるが如く空間に静止した。だが。

 ───荒い。

 心中でそう吐き捨てて、冥夜は眉間に皺を寄せる。見事な剣舞も、当の本人からすれば不本意なものだったらしい。
 と、そこで前に出した右足が膝から崩れた。はっとなって、冥夜は思わず地面に手をつく。堅い土の感触は冷たくて、自分の不甲斐なさが思い知らされるようだった。
 それを払い散らすように目をつぶって頭を振る。立ち上がって再び刀を構えた。
 振りかぶり、振り下ろす。振りかぶり、振り下ろす。
 余計な力はいらない。斬線のみを意識して、冥夜はただ一心に没頭した。



「───こんな時でも鍛錬は欠かさないんだな。でも、足は治ってないんだからほどほどにしとけよ?」
「……心配するでない、重々承知している。しかし、よく私がここにいるとわかったな」
「いや、会議が終わったんで出歩いていたらなんとなくさ」
「そうか───」

 背後から声が掛けられたのは、冥夜がもうずいぶん汗を流してからだった。
 近づいてくる気配には気が付いていたのだろう。冥夜は前を見据えたまま自然に答える。
 同じく自然に受け答えた武はその返事に表情をゆるめ、近くに転がる手頃な岩に腰を掛けた。そのままそれ以上は何も言わずに、ただ鍛錬に打ち込む冥夜を見守る。


 冥夜にとってしばらくぶりだったはずの昨日の訓練。武は冥夜の調子を心配していたが、どうやら負傷の影響は最小限で済みそうだった。
 最初こそある程度の違和感が拭えなかったが、XM3は一旦慣れさえすれば、旧OSよりもずっと操縦を簡易なものにしてくれる。機体側の最適化もあって、そう時間もかからずアジャストすることができた。
 だが、それでもやはり不安はあったのか、あるいは何か他の理由なのか、昨日から冥夜の様子が少しおかしい。なんとなく神経質というか、いつも毅然として落ち着いている冥夜らしくないなと武は感じていた。
 そういうわけで、この前線司令部まで出張ってきている夕呼や霞、ヴァルキリーズの皆との詰めを終えたところで、冥夜のことを探していたのだ。

 しかし、こうして今様子を見てみて、特に心配する必要はなかったかと武は思う。
 戦いを前にした昂ぶりからか、普段よりはやや荒く感じるが、冥夜の動きは怪我をしているとは思えぬほど芯の入ったもの。
 一心不乱に素振りを続け、荒い息とともに紅潮した肌から汗を散らし、冷たい夜気がそれらを白く染め上げる。


 武がそばに腰を下ろしてから二百ほどを数え、ようやく冥夜が素振りを終えた。
 刀を鞘に収めて武の隣にしゃがみ込み、取り出したタオルで流れ出る汗を拭う。そのまま無言でうつむいて、そうしているうちに荒れた呼吸も整ってきた。頬に添えられた手に隠されて、その表情は窺えない。
 なんとなく声を掛けかねて、武は夜の景色に目を移した。

 司令部の置かれた一角からはそれなりの距離があり、辺りはしんと静まりかえっている。
 夜空には満天に輝く秋の星々。
 人が飛ぶことを許されない空は、皮肉にも『向こう』のそれより澄み渡って美しかった。
 少しの間目をとどめて、武は果てない深淵に思いを馳せる。

 燦めく星から意識を戻せば、山間に吹く風はそれなりに強く、頬を冷たく撫でていく。
 意識をしてみれば、あらためて感じる少しおかしなことがひとつ。その風が強さのわりにとても静かなことだ。
 山の中だというのに、梢を鳴らすざわめくような葉擦れの音がしない。繁る木々が生み出す含んだような潤いにも欠ける。
 それはまるで、草原を渡る風のような静けさだった。

 だがそれもさもあらん。
 月明かりもない夜の山では目立たないが、今武達が望む景色には風を遮る木々の姿がほとんど存在しないからだ。
 原因は言うまでもなく、BETAの侵攻にある。
 佐渡島ハイヴ建設時に集中したBETA群は、山々の木々も人の街の営みも根こそぎ容赦なくなぎ倒し、その後にも度々の侵攻と帝国側の応戦が繰り返された。
 ハイヴの建設から早三年。結果としてこの新潟に残されたのは、山野を問わず荒れ果てた大地ばかりというわけだ。

 だがしかし、そんな惨状にあっても、ここはまだBETAの支配域ではない。
 蹂躙の爪痕にも、砲弾の惨跡にも、草花の種はたくましく根付いて芽を伸ばす。丈高い木々の姿は見えずとも、そこは決して死の荒野ではなかった。
 武の足元にはガレ場の小石を割って雑草が背を伸ばし、吹き付ける風はわずかでも生命の匂いを運ぶ。
 ハイヴの勢力圏でもなく、G弾の威力圏でもない。守るべき人類の居場所。それは───


「───タケル」


 冥夜から名を呼ばれて、武は考えに耽っていたことに気が付いた。
 押し殺したような重い呼び声。武は思わずはっとなり、慌てて横を向いて問い返す。

「……あっ、ああ……わるい、冥夜。なんだって?」
「…………、いや……」

 こちらを向いていた冥夜は沈んだ顔つきをしていた。目が合った途端、また押し黙ってうつむいてしまう。
 別のことを考えていたせいもあって、冥夜らしからぬその様子にどう対応すればいいのかわからない。
 武はしばらくおろおろして、ようやっとなんとか口を開いた。

「……えーと、その……冥夜。……足の怪我のこと気にしてるなら大丈夫だと思うぞ。充分乗れてたし、今だってあれだけ動けてたじゃないか。BETAをぶった斬るのに何の問題もないって」
「…………そうではない……」
「え?」
「……足のことは支障ない。万全ではないが、戦うには足りる」
 答えを聞いて武は首を傾げ、それからもうひとつ思いついたことを聞く。

「じゃあ先生に言われたことでも気にしてるのか? そりゃ気持ちはよくわかるけど……やっぱり言われたろ。今更気にしてもしょうがない。割り切るしかないことだぜ」
「違う。……いや、それも気にならぬわけではないが……、そうではない」
「それなら───」

 ───それなら何が?
 と武が口にしかけたところに、一際強く風が吹き付けた。
 その風の冷たさに、武は言い掛けた言葉を止める。冥夜が自らの手を顔の前にかざした。

 夜風が纏めた髪を揺らす中、じっと手のひらを見つめる冥夜。


「……震えて、いるな」

 独り言のように微かな呟きは、隣に座る武の耳にも届いた。けれど言葉ははっきり聞こえても、その内容がはっきりしない。
 惑う武の横で、冥夜はその手を握りしめた。苦いような、悲しむようなその横顔。虚空に紡ぐように、弱々しく言葉は続く。

「足の状態に不安はない。……だというのに……怖くて、たまらないのだ。恐怖で……身の裡の震えが止まらぬ。戦うことが、明日、この命を失うやもしれぬことが……。とうに覚悟などできていたはずなのに、一度は死んだ今になって、初めて……自分の命が惜しくなった。死ぬことが、怖くなった……」

 武に話そうとしているような、それとも迷う心が漏れ出ているような、そんな曖昧な言葉の連なり。

「今まで、自らの意思を貫くことこそが……生の意味だと信じてきた。それこそが命の重みだと信じてきた。……いや、その思いは今でも変わらぬ。だが、それでも私は、私こそが、誰よりも……命の意味を軽んじてきたのではないのか……?」

 そこまで言って冥夜はまた押し黙り、力なく細めた目で夜の闇を見つめる。その横顔は憂いに曇り、武もまた得体の知れぬ衝撃を受け息を乱していた。
 通り過ぎる風音だけが時を刻み、そのままどれだけたったか。冥夜がようやく武の方を向く。
 静かな、そして真剣な声音で尋ねた。


「タケル、そなたはあの平和な世界で生まれ育ったのであろう? そなたにとって、帰るべき場所であったはずだ」

 その瞳の悲しさは何を映したものか。

「その故郷を失ってまで、何故そなたは戦うのだ。平穏でいられたはずの自分を捨てて、何故このような世界で命を懸け……戦うことができるのだ? タケル、そなたは───」



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