先に動いたのは、やはりリキューであった。
双方睨みあったままの膠着。そこから一歩先んじ、リキューが飛び出す。
少年との間にあった10mにも満たない間合いを一瞬で詰め、すぐ懐に迫りよる。
そしてバーダックとの戦いの時と同じ感覚で、少年のさらけ出されている腹を狙って拳を振り抜いた。
『どわぁああああ!?』
少年の叫び声が響く。
予想外に無抵抗……というか、少年の反応する間もなくパンチが入り、そして少年の身体がぶっ飛んだのだ。
数m以上の距離を優に飛び越えて、ごろごろと床を転がる。
ギャグみたいに軽く吹っ飛ぶ少年の姿を見て、逆にリキューが拳を打ち抜いた姿勢で困惑する。
攻撃を仕掛けた側ではあったが、リキュー自身にそこまで少年を吹き飛ばそうという意図はなかった。
軽い小手調べにしか過ぎない一手であったにもかかわらず、予想外の効力を出していたのである。
色々な意味で思惑からずれた事態に、リキューは当惑していた。
その当惑は、吹き飛ばされた少年が慌てて立ち上がりながら叫んだ内容に収拾を付けることなる。
『速ッ!? 動きが目に見えないってどんだけ!? 常時瞬動とか? 有り得ねぇって! こんなん勝てるかー!!』
「速い? 目に見えない? ………ああ、そういうことか」
納得し、疑問が片付くリキュー。
つまり簡単なこと。リキューは少年の呟きから曰く、手加減の具合を間違っていた、ということらしい。
思えばリキューがこれまで戦ったことのある相手はサイバイマンなりニーラなり、最近ではバーダックと、後にも先にもどれも手加減の必要など皆無な人間ばかりである。
そしてどう見ても、目の前の少年は前述の輩らと同等の強さを持っているようには見えない。
彼らに対するのと同じ感覚で攻撃を仕掛ければ、その結果は火を見るよりも明らかであった。
元より、リキューに少年を仕留めようという気はない。
不審な侵入者である以上、フリーザ軍に属している人間としては気分のままに少年を殺したところで全く問題はないのではあったが、そもそも“殺す”という事柄に対して今のリキューは非常に敏感である。
日本人であった頃よりも歪に倫理観が強調されているリキューに、そういう無責任な上に理不尽な悪事というのを、ましてや自分が実行者になることなどは受け付けなかったのだ。
交戦状態にこそ内心望んで挑んではいたものの、少年の命を害そうという気は欠片もなかったのである。
そして殺す気がない以上、力の加減にはより注意を払う必要があった。
未必の故意で殺人を行う気など、リキューにはさらさらないのだ。当然であった。
こうして、また“気”の操作が苦手であるにもかかわらず、戦闘中に絶妙に手加減をする必要性を作るという、セルフ難易度上げを無意識に敢行しているリキューであった。
体勢を立て直した少年を眺めながら内心、力加減に四苦八苦していたリキューだが、しかしふと少年の様子を眺めて怪訝に思う。
リキューのパンチを受けて派手にぶっ飛び、さらに少年の言葉を受け取れば、少年はそのリキューの動きにも付いていけてなかったようである。
だがしかし、それにしては少年のダメージが少ないようにリキューには見えた。
レベルが違う攻撃をまともに受けたにもかかわらず、その足腰に淀みが見えないのだ。
思い返してみれば、打ち込んだ拳の手応えも何か、今までの人体や戦闘服を殴り付けた感触とは違った気がした。
(考えるより、先に動いた方が早い)
浮かんだ疑問を手早く解消する術を、ごちゃごちゃ考えるより先に実行する。
地を蹴って動き出し、3m程度の幅の通路の中央に立つ少年の横を抜けて背後を取る。そしてそのまま打点を微妙にずらした三撃を、少年の背中に見舞った。
なおこの過程の全てにおいて、リキューの多大な焦心を払った手加減が十全に発揮されている。
少年自身の語った言葉に、やはり偽りはないのであろう。
リキューが横を駆け抜け少年の背後へ移動しても、手加減を行ったためか幾らか反応をしていたようではあったが、しかしやはり少年はその動きに対応できていなかった。
そのまま順当に、やはり成す術もなく拳は三つとも少年の背中へ叩き付けられる。
がしかし、それはそのように見えただけだった。
リキューは驚愕した。
確かに、少年へ打ち込んだ三撃はそれぞれ、その背中へ狙い通り打ち込まれたように見えた。
がしかし、実際にはその背中には触れず、そのほんの僅か皮一枚程度の手前で、“何か”に遮られていたのだ。間を置かず打ち放った三撃とも、全てがだ。
その、まるで空中に突然した不可視の壁は奇妙な手応えをリキューに返しながらも、しかし1mmたりとも拳を進めさせずに、攻撃を完全にシャットアウトしていたのだ。
どういった技か?
それは衝撃までは阻めないのか、少年の身体がまた吹き飛ぶ。
しかし今度は先程とは違って余裕を持ち、空中で姿勢を反転させると、そのまま飛び退く軌道にあったベクトルを不自然に変えて、着地する。
リキューを見つめる視線には、先までの困惑や悲嘆といった感情ではなく、確かな余裕を浮かべていた。
打って変って自信にあふれた笑顔を見せながら、少年が口を開く。
『無駄無駄無駄ァ!! “スタンドはスタンドでしか攻撃できない!” いくらインフレの激しい世界だろうと、このルールは適用される!! てめえの攻撃は通じないぜ!!』
「スタンドだと? 何だそれは!?」
不可解な言動に突っ込むが、相変わらず少年が応答する様子はない。自信を持った表情をしたかと思えば、また一人で百面相を始めたのだ。
本格的に、戦闘の高揚感とは別に苛立ちを強めながら舌打ちし、構えを取る。
スタンドだが何だが知らなかったが、決定的とも言えるほど戦闘力に歴然な差があるのだ。
どんな技にせよ、そんなものが自分の繰り出す全ての攻撃を防ぎ切れるとは、欠片も思ってはいなかった。
リキューが動く。
小細工は使わず、真っ向から少年へ迫り、大振りしながら上体の“しなり”を加えて拳を突き付ける。
動きにこそ手心を加えてはいたが、その拳にはさして加減はない。
現に先の三撃を防いでみせられたのだ。おまけに完封宣言までされてそのままでいるほど、リキューの性格は穏やかではない。
先よりも強力な鉄槌の如き一撃が、少年へ迫る。
『ブリティッシュ・インヴェイジョン!!』
少年が叫ぶ。
そして拳はリキューの予想よりも僅かに早く、少年の手前10cmほどの空間で“壁”にぶつかった。
激突音もなく、空気の裂ける僅かな音だけを残して拳が止まる。少しだけ衝撃に少年の身体が後ろへずれるが、何かがストッパーになっているのか、吹き飛ばされずに済んでいる。
そしてリキューは“本当に”加減を抜いた自分の拳が止められたことに、目を見開いた。
(何だとッ!?)
にわかに信じ難い事態に、数瞬動きが止まる。
その隙を見出し、少年が動き出す。
『油断大敵!! もらったぜ! 無駄無駄無駄無駄無駄ァーー!!!!』
「ぬぐ!?」
突如としてリキューの顔面、いや身体全体に衝撃が走った。
一歩少年が踏み込んだと同時に、顔を含む上半身から下肢まで、少年と向き合っていた身体の前面が絨毯爆撃されたように満遍なく、打撲に似た衝撃を連続して受けたのである。
余りにも高速であるがゆえに、一篇に全体へ叩き付けられたかのように錯覚するほどの打撲連撃。
全くもってどういうことなのか理解できなかったが、リキューはさながら不可視のラッシュ、それも“尋常を凌駕する超高速の攻撃”を受けた。
そう表現するしかない衝撃を、少年が踏み込んだ刹那の間に体感したのだ。
思わず反射的に飛び退き、リキューは手を顔に当てて何かを払う様に動かす。
『よっしゃ、どうだぁ!! ………って、あっるぇー?』
「妙な技を使いやがって………」
飛び退いたリキューの姿を見て勝ち誇っていた少年だが、全くダメージを負った様子もなく厳しい視線を送ってくるリキューの様子を見て、目が点となる。
視線を険しくしながら、リキューは適当に衝撃の感触が残っているところを手でポリポリと掻き払う。
見当も付かない正体不明の攻撃に驚いたリキューではあったが、しかし全身に受けた“ラッシュのような打撲”など文字通り、蚊に刺された程度にしか感じなかったのである。
攻撃の正体をリキューは見当もつけれなかったが、どんなものであれ効きはしない以上、脅威なぞと認識できはしない。
盛大に少年が顔色を悪化させていくのを尻目に、リキューが考えることはやはり、自分の攻撃を防いだ奇妙な“壁”のことである。
動きも遅く、正体不明の攻撃も全く威力がない。これらのことからまず間違いなく、少年の戦闘力が自分以下であることは間違いないどころか、最下級戦士にすら劣るのことは明白。
にもかかわらず、その少年は自分の攻撃を完璧にシャットダウンしてみせた。
戦闘力がこんなにもちっぽけでありながら、自分の攻撃を“完璧に”防がれたのだ。
率直に言って、リキューは非常に不機嫌だった。
「手加減の必要は、ないみたいだな」
据わった目付きで少年を見つめながら、リキューが呟く。
その意思を感じ取ったのか、少年の顔色が真っ青になり、表情が絶望感溢れるものとなる。
「ッか!!」
『ぶ、ブリティッシュ・インヴェイジョン!!』
短い叫びで口火を切り、リキューが飛びあがる。
一瞬で間合いを詰め上げ、一回転したかと思った次には勢いの付いた蹴りを、宙から斜め下方への少年へ打ち放った。
肉と肉がぶつかる激突音はせず、ただいきなり宙で止まった蹴り足と、それに付随した不自然な空気の急激な動きによる破裂音だけが響く。
「はぁあああああ!!」
『どわあああああああ!?!?!!!?』
そのままリキューは間隙を作らず、宙に浮いたままパンチやキックを複合した一気呵成の攻撃を加えていく。
少年は情けない悲鳴を上げながら及び腰になってはいたが、その全ての攻撃を、やはり不可解で奇妙な“壁”を発生させて防ぎ切っていた。一撃を受けるごとにジリジリと踵が床と擦れ、衝撃に身体をよろめかせていたが、まるで誰かが支えているかのように踏ん張り、最初の一撃を受けた時と打って変わって耐え凌ぐ。
攻防の合間、リキューの脳裏にさらなる憤りが滲み出る。
一応戦闘力が最下級戦士以下であるということもリキューは苦慮し、もしも“壁”を抜けて攻撃が当たってしまった場合というのも想定して、最低限“壁”の反応が間に合うようスピードだけは落としてはいた。
が、しかしそれだけである。繰り出す攻撃の一撃一撃の威力、それ自体には一切の遠慮を取り除かれている。にもかかわらず、その全てを一様に防がれているのだ。
徐々に威力を繰り上げて、今ではもはや、それが本気に等しいものとなっているのにもかかわらず、である。
右腕から繰り出す拳撃。少年の顔面の手前30cmで止まる。
宙に浮いた姿勢を利用し、身体を曲げて放ち脇腹へ迫る、レフトニー。打ち込まれず、その手前の空間で動きが静止する。
くるりと縦横三次元に回転し、直上から脳天を狙って踵落としを打ち下ろす。寸前で停止。少年の足元が軋み、床が僅かに陥没する。
ポンと身を翻したと思ったが次、超高速連撃の連打を、左腕で正面から打つ。空気を切り裂き放たれる機関銃を遥かに凌ぐ連続攻撃だが、しかしその一発たりとも少年には触れれない。
舌打ちと同時に素早い切り返し。瞬速で上体を半回転させ、そのまま流れる様に右手で手刀を叩き斬る様に滑らす。これまでのラッシュ中最速の一撃だが、やはりストップする。
これら攻撃の一手を防がれることに、リキューの不快感は増していく。
(………こいつ、まさか?)
途切れなくラッシュを続けながら、ふとリキューは疑問を浮かべる。
リキューはエネルギー弾を形成して投げ付け、一旦ラッシュを切り上げて飛び退く。
少年の間近でエネルギー弾が爆発し、煙が立ち上るのを目に映しながら着地し、油断なく相対する。
はたして、思った通りに煙の中から、無傷の少年が現れる。エネルギー弾とてあの“壁”が防ぐことは、すでに分かっていたことである。
いや、“壁”ではない。リキューは訂正する。
(“腕”だな。おそらくは、見えなく、そして触れられない、もう一つの“腕”がある)
リキューは拳を二度・三度開け閉めし、これまでのラッシュの手応えを回想してそう結論付けた。
目の前の少年が操っているの不可視の障害は、“壁”ではなく“腕”であると、だ。
それは確かにデータを集めた上での推理ではなく、多分に勘に任せた思い付きに近いものであった。
だがしかし、その肉体を使った実践派であるがゆえの独特の推察手段でありながら、それは真実の淵を言い当てることに成功していた。
―――が。
(そんなことはどうでもいい)
リキューはその推察をどうでもいいと、自分で出した答えをあっさり切って捨てる。
そんなことよりも、断然して重要な事実を見出していたからだ。
それに比べたら、見えない“壁”の正体がもう一つの“腕”であるとかいう情報など毛筋ほどの価値もない。
ひゅんとリキューの姿が掻き消え、残像も残さず瞬時に移動し、下から上へ突き上げる重厚な一撃を少年の懐へ打ち出す。
宙で停止する拳。その一撃もまた、“壁”ならぬ不可視の“腕”によって抑止される。
やはりと、この一撃の攻防でリキューは確信する。それは非常に不愉快な事実であり、より一層リキューの機嫌が傾いた。
『うぉおおお!! 無駄無駄オラオラドラララ無駄無駄ボラボラアリアリオラオラグロォオオリアァアアアア!!!!』
不機嫌な表情で止まったリキューに、少年の気勢がかかる。
そして、その咆哮に合わせてリキューの顔面を含めた上体に、先と同じ衝撃が襲いかかる。
熾烈で爆発的な勢いの打撃。
リキューでも不可能な切り返しの速度で繰り出される、不可視の“腕”によるラッシュ。
刹那の間に数千あるいは数万、いやそれ以上の億に至る回数の打撃が、執拗且つ偏執的に、繰り返し繰り返しリキューへ襲いかかる。
それにリキューが反応する間もない。
まさしく一瞬と表現する間に、想像を絶する数の攻撃がリキューへ叩き込まれた。
余りの打撃の数とその速度に、さながら巨人の手に叩かれたような錯覚を発生させながら、リキューは衝撃に流されて後ろへ飛ぶ。
『ぶっちゃけ、ぶっつけ本番のにわかコンボだったけど、成功SI☆TA☆ZE! どうだこの野郎!!』
イヨッシャーっと、上半身を奇妙に曲げて指を突き付ける姿勢を取りながら僅かに息を荒げて喜び叫んでいる少年であったが、しかしその歓声もすぐに途絶え、動きが凍りつく。
少年の視線の先には、ポリポリと痒そうに頬を掻きながら、一切のダメージのない健全な様子であるリキューの姿があった。
少年は何処か精気の抜けた笑顔を見せて、ですよねーと訳の分からん言葉を口走っていたが、リキューはさっぱり無視する。
リキューは心底憤っていた。
先程、少年の不可視のラッシュに先んじてリキューが放った一撃。
あれは、一切の加減を抜いた正真正銘の“本気の”攻撃だった。
だがしかし、少年は完璧な対応をして見せたのである。
単純なパワーに対して“腕”の耐性があることまでは、不愉快ではあったがリキューとて初期に理解していた。
リキューが怒りを抱いているのはまた別の部分。
これまで少年に対してリキューが放った全ての攻撃は、威力はともあれスピードだけには配慮し、手加減していたものだった。
だがしかし、先程の“本気の”攻撃は、その配慮も抜いていた代物であった。
つまり、移動し踏み込むその初速から少年へと放たれる鋭い矛先の如き一撃まで、一切の減速のない“本気”。
本来ならば、“腕”の反応も間に合わず攻撃がヒットする筈の一撃であったのだ。
だがしかし、現実には“腕”の反応は間に合い、“本気”の一撃をも防がれた。
疑念のきっかけを抱いたのは、少年へラッシュをかけていた時である。
全ての攻撃を防がれ続け、釣られる様に威力を繰り上げるいく中、気付かぬ内に攻撃の速度も上がっていたことに気が付いたのだ。
だがしかし、少年はリキューが無意識に威力と共に釣り上げていたスピードの攻撃に対しても、動じずに変わらぬ対応をしていた。
それが疑念を抱いた始まりであり、そして今確信したことであった。
睨みながら、リキューは胸中で憤り共に吐き捨てる。
(こいつ……俺の動き、攻撃に対して、完全に付いてきてやがる!)
屈辱であった。
戦闘力が圧倒的格下であるにもかかわらず、もはや手加減の一片もない攻撃をも防がれたのだ。
文句の言う僅かな隙もない、完封。
それはさながら、これまでリキューが必死に積み重ねてきた修練が、鍛え上げてきた己の肉体が、その全てが無意味であると言い捨てられたのと同じであった。
相手がまだ強者であるのならば、戦闘力の高い者ならばいい。
だが、目の前にいる少年はそうではない。ただ奇妙な“腕”を扱うという技を持つ、戦闘力など下の下である弱者だ。
少年はリキューにとって、誇張なく端的に述べれば、今までの全ての努力を否定する存在、と言えた。
それは怒りを纏うに十分な理由であった。
怒気に任せ、リキューは戦闘力を全開し、動いた。
ビリビリと全開にした“気”の余波で、ガラスどころか展覧ブロック全体が震える。
「うぉおおおおおおッ!!!」
『ぎゃぁああああああぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぇあああああああああああああああ!!??!?!!?!??!!!?』
音の壁なぞ最初の踏み込みのそのさらに手前で突破し、超速で少年にリキューが迫る。
瀑布の如き怒涛の連撃が、上下左右ありとあらゆる角度から少年に迫る。
しかし情けなさに壮絶な悲鳴を上げながらも、その全てを少年はやはり同じように“腕”で防ぎ切っていく。
バーダック曰く、単純と評されながらもその鋭さと威力は認められている攻撃が、圧倒的弱者である少年の前で全て正面から止められるのだ。
躍起になって攻めを加速させるリキューだが、しかしその攻勢は少年の“腕”を突破できない。
(どういうことだ? なぜ“腕”の動きが攻撃に追いつく!?)
疾風怒濤の連撃に少年が絶叫している合間、リキューは何よりも先に思う疑問を問答する。
“腕”がリキューの攻撃を防ぐことは、まあいい。それも屈辱ではあったが、強引にそういう性質の技であると片付けることもできる。
だがしかし、その“腕”がリキューの攻撃に対して追い付き防いでいることに、リキューは不可解であると回答する。
当然だ。戦闘力が低いということはイコールであらゆる能力が低いということでもある。たまに戦闘力に見合わぬタフネスを発揮するなどの例外はいるが、それが基本なのだ。
少年の戦闘力が低い以上、格上であるリキューの攻撃をその動体視力で捉えることなんて出来ないし、捉えたところで反射神経の反応が間に合う筈がないのである。
現にバーダックとて、戦闘力差のあるリキューの全力を見切ることは出来ない。膨大な戦闘経験によって、リキューの動きを予測したり誘導するなどしているから対等に渡り合えているのだ。
まだ最初の初撃や続けて背中から不意を打った時は、拳は少年のすぐ近くの空間で止められていた。
だがしかし、時を置き攻撃を重ねるごとに、その攻撃を“腕”で止められる間合いは、ドンドンと広がっていった。
最初の頃は文字通り皮一枚で止められていたのが、今では攻撃が少年の手前1mから2mの範囲でストップされてるのだ。
可笑しな話だった。実力を隠していたとでも言うのだろうか?
リキューは攻勢を積み重ねながら思考を重ねる。
普通ならば、このあたりで“腕”という考えから“壁”という考えに、予測を戻すのだろう。もともと大してデータを集めて結論したものではないのだ。
だが野生の直感で“腕”だと見抜いたリキューは、理論的な理屈を無視して不可視の障害が“腕”であると確信したまま、思考を続ける。
攻撃を止める間合いが一定していないのは、“腕”が少年の意思で動かされているという証である。リキューは勘に近い閃きでそう考える。
だがしかし、そうであるならば仮に“腕”が一瞬で動かすことが出来る代物であったとしても、その動きは最低限の前提として、少年の知覚が追い付かなければいけない筈である。
少年の意思で“腕”が統制される以上、統制する側の少年が迫りくる攻撃を認識しなければ、“腕”の動かしようがないに決まっているからだ。
そしてその肝心の、少年がリキューの攻撃を認識するということ。これが有り得ないのだ。本気で動くリキューの攻撃を、少年がその片鱗とて掴むことなど、絶対に出来はしない。
それが絶対的な戦闘力の数値差というもの。
少年自身の言葉を使って表現すれば、それがルールであり、この世界に適用される不文律なのだ。
幾ら思考を重ねたところで、結局答えが出されることはない。
答えを導き出すだけの情報をリキューは集めていないし、そもそもそこまでより深く思索を重ねる前に、リキュー自身が考えることを放棄したからだ。
ドンと、一つ強烈な一撃を最後に叩きつけることでラッシュを終えて、そのまま宙に回転しながらリキューが飛び退く。
『た、助かった……もう俺のライフポイントはゼロだぜ……………』
直撃こそ一切防ぎ切ったものの、拳撃の雨による影響はそれだけではない。
元よりその動作一つ取っても、音速を遥かに超越しているリキューである。その攻勢とて例外はなく、一発一発の拳を防ぐことは出来ても、付随して生ずる衝撃波や“気”の余波といった類に、少年はその身体を激しく疲弊させていた。
とはいえ、やはり少年に具体的な目立った外傷はなく、余波もまた奇妙な“腕”という技のように何らかの手段で防いではいたようである。
息を激しく乱しながら少年はジリジリと後退り、逃げる隙をその眼を大きく開いてリキューから探そうとしている。
「ごちゃごちゃと考えるのも面倒だ………一気にケリを付けてやる」
リキューが両手を胸の前で向かい合わせる。右手と左手で囲いを作る様に、合間に僅かな空間を残して構える。
“気”を高める。全身の“気”を励起させ、そしてその何割かに方向性を作ってやり、手に集める。
集まり高まる“気”に、構えを取った両手が発光を始める。少年がちょ、それ勘弁と何か戯言を言っていた気がするが、リキューはスルーする。
「くらいやがれッ!」
叫び、両手を広げて少年へ突き付けた。
そしてリキューの伸ばされた両掌から、高め集められた気功波が光線のように放出された。
輝く光流は光の道筋を描きながら、一直線にムンクの如き表情となっている少年へと突き進む。
『ぶ、ぶぶブリティッシュ・インヴェイジョンッッ!!』
狼狽の極致を体現しながら少年が叫び、自身も顔の前で腕を重ねる。
気功波が迫り、着弾する。
閃光、衝撃。
「はぁああああああッ!!」
『ぬぎゃががががーッ!?!?!?』
少年の前方の空間でやはり“腕”に阻まれながらも、激烈に気功波がしのぎを削る。
こめかみに血管を浮かべながら、リキューは力任せに“壁”を突破しようと、さらにパワーを送り込みながら奮起する。
少年は絶叫しながら持ち堪えているものの、その身体全体が堪え切れていないのか、ズリズリと靴を擦らせながらもドンドン通路を後退していっている。
(本当にその“腕”が俺の全力を受け止めきれるのか、出来るものならやってみせろッ!!)
この時のリキューが冷静でなかったことは、それは確かなことではある。
実際に度重なる、リキューからしてみれば一方的に自分がコケにされた攻防の応酬により、頭に若干血が上っていたのだ。
だがしかし、それでも一部に冷静な部分も残ってはいた。
気功波が“腕”を突破出来る兆候を見れば、即座に威力を抑制しようとする考えも持ってはいたのだ。
繰り返して言うが、リキューに少年を殺す気は欠片もないのである。
が……その気遣いも無意味なものなのか、後退こそさせれど、一向に気功波が“腕”を突破する気配は見せなかった。
馬鹿に出来ない威力を打ち込んでいるにもかかわらず、“腕”を突破することが出来ないのだ。
あるいは本当に、全力にすら耐えるというのだろうか?
だがしかし、そんなことをが認めることは、これまでの年月で培ったリキューのプライドが許さなかった。
ゆえにリキューは、自分で自分にかけていた最後の枷を解く。
―――全力の全開、MAXフルパワー。
「だぁあああああああああああッッッ!!!!!!!」
正真正銘の全力。
咆哮と共に身体に残る力をありったけ絞り出し、送り出せる全ての“気”を両掌へと注ぎ込む。
光が強まり、より太く、より激しくなった光流が放出される。
少年の身体が、極限にまで振り絞られた気功波によって一気に吹き飛ばされる。
(その“腕”を、突き抜けろォーー!!)
リキューのプライド、あるいは誇り、もしかすれば生きてきた証とも言える力を込めて、ただそれだけの意思を込めて、“気”が迸る。
光が、展覧ブロックに溢れた。
パラパラと、微振動に震える通路に、砕けて粉塵となったチリが降る。
全身の疲労に激しく息を荒げながらも、最後の意地を賭けて、地に膝を付けることだけは堪える。
「ちく、しょうがッ……」
結果は残酷であった。
リキュー渾身の気功波は、“腕”を突破することは出来なかった。
“気”と共に込めたリキューのプライド、誇り、それら諸々は、気功波が“腕”に弾かれると同時に粉砕されたのだ。
完全敗北。肉体的な疲労もあれど、なにより精神的にリキューは叩き潰されていた。
重度のショックに見舞われているリキューであったが、しかしこれによって万策が尽きたものとなった。
MAXフルパワーでも“腕”を突破できないという事実がある以上、もはやリキューの攻撃は一切通じないということなのだ。
少年自身の攻撃とてリキューに何ら痛痒を与えない代物であるから、すなわち現状を顧みれば千日手になってしまうということである。
どちらも防御力はともかく、決定的な攻撃手段に欠けているのだ。
このまま膠着状態が続くのであろうか? その可能性が最も高かった。
だが、事態はそうは運ばなかった。
あることにリキューが気付くことで、事態はさらに急変する。
失意に塗れながら、しかし意地だけを張って少年の方向をリキューは睨み付ける。
少年は通路を遥々と吹き飛ばされ、その突き当たりまで飛翔し激突。その余りある運動エネルギーで壁をぶち抜いていた。
バチバチと剥き出しにされた配線コード類がショートしながら、ぶち抜いた壁の中の空間から少年が這い出て来る。
しかしその足取りはまるで酔っぱらった人間みたいにふらつき、壁に手を付けながら、しきり咳を繰り返していた。
その姿を見て、不審げにリキューは眉を顰めた。脳裏に、ある一つの考えが浮かぶ。
(いや、まさかな………)
内心否定しながらも、リキューはとりあえずその考えに従い、行動する。
すでに今生で培った精神的な補強材の大半がブレイクした後で、その動きは力の抜けたものであったが、それでも少年にしてみれば素早すぎる動きであった。
しゅんと風を切り、遥々と少年が駈けた距離を瞬く間に消費して、その勢いのままに少年へ右チョップを振り下ろす。
『ごほッ……ぐ、ブリティッシュ・インヴェイジョン!!』
これまで通り、宙に止められるチョップ。ここからさらにラッシュへ移ったとしても、その結果はこれまでと同じであっただろう。
しかしリキューはラッシュをかけずに、そのままチョップを宙に止められた状態から、さらに力を加え始めた。
『ぬぐ、ごほごほ!? ぜーぜー、無駄無駄無駄!! 幾ら力を込めたって、スタンド以外のものがスタンドに触れることは絶対にできない!!』
少年が歯を食いしばりながらも、叫ぶように言い放つ。
リキューもそれは理解していた。
“スタンド”というものが何かはいまいち分からなかったが、察するにこの“腕”が、その“スタンド”であるのだろう。
これまでの攻防で、散々そのことを身を以って体験したのは、他ならぬリキューであるのだ。
リキューの目的は力比べではない。これはただの前振りである。
チョップを形作り競り合っていた右手を、するりと動かす。そして丁度チョップをせき止めていた“腕”、いや“スタンド”を握りしめる様に形を作ると、握力を込めて捉えたのだ。
力比べは、正確に“スタンド”の位置や形を把握するための準備でしかなかった。
っげと、少年の顔が崩れる。待、と何か言葉の切れ端が漏れた。
だがそれよりも一足早く、リキューの行動が先制する。
リキューはそのまま“スタンド”を握りしめたまま、右腕を振り回したのだ。
それに合わせて、少年ものぉおおおおお!? と叫びを上げながら身体を振り回される。それはまるで、少年の見えない糸をリキューが掴んで振り回しているようであった。
“スタンド”への衝撃は少年自身に降りかかる。そのことをリキューは自分の目で見ていた。
そしてそのままリキューは、“スタンド”を捉えたまま腕を振り抜き、釣られて振り回されている少年の身体を通路の壁に打ち付けた。
どかんと音を立てて、少年が壁を突き抜けて、その向こうの通路へと飛び出る。
そちらは展覧ブロックではなく、十分に照明が点けられ通路は明るい。リキューは暗い空間から慣れぬ内にいきなり目に入った光に、目を細める。
げほげほッ! と少年が激しく咳き込みながら通路に倒れ伏し、身体を震わせていた。
そう。ダメージを受けているのである。
(まさか本当に、たったこれだけのことで、だと?)
その様子にリキューはある意味、今まで以上のショックを受けた。擬音に表せば、ガーンとでもいう音が大きく出ていただろう。
そう、“スタンド”を超えて少年を攻撃することなんて、実は何てこともなかったのだ。
どういう理屈かは知らないが、精密かつ瞬速でリキューのラッシュの全てを見抜き、受け止め、渾身のMAXフルパワーとて防ぎ切った“スタンド”。
だがしかし、それは完璧な防御力を誇っていながら、一方向へ限定されたものであったのだ。
気功波によって少年が身体ごと吹き飛び壁に激突し粉砕した際、“スタンド”はその恐るべき威力の気功波を完全に防ぎ切っていた。
だがしかし、気功波を防いでいたために“スタンド”は少年が背後の壁に激突した時には対応できず、そして“スタンド”の守りがなければその身体自体の戦闘力が極端に低い少年は、壁との激突でダメージを負っていたのだ。
つまり、“スタンド”を使わせている間に別方向から同時に攻撃を加えてやれば、ただそれだけで少年は打撃を被るのである。
そして当人である少年自身は戦闘力が極小であるために、ただ壁に叩きつけるだとか、そういった行為だけで大ダメージとなるのだ。
あまりに呆気なさすぎる攻略法であった。フルパワーまで出した自分の労力は何であったのか?
リキューは愕然とショックを受けてしばし本気で落ち込むが、ギリギリのところで精神のリカバリーを果たす。
経緯はどうあれ、膠着状態をいい意味で打ち破ることが出来たのだ。少年から自分へ攻撃する手段がない以上、この勝負は決まったと同じである。
少年自身のダメージも二度の壁抜き、特に二回目の叩きつけでのダメージが大きく、これ以上の攻撃は命に障る危険もある。感情はどうあれ、もうリキューに少年へ攻撃する意思はなかった。
「勝負は付いた。もう貴様も無駄な抵抗はするな」
ただ話を聞く筈が、何故こうも大事になってしまったのか?
頭の片隅でそんなことを他人事に思い浮かべながら、リキューは少年を取り押さえようと手を伸ばす。
そこには油断と怠慢が確実に存在していたが、しかしそれ以上に予測不能な要素の発生により、リキューは致死の不意を打たれることとなる。
リキューは、すでに少年の“射程距離”に踏み入っていた。
『ブリティッシュ・インヴェイジョンッッ!!』
「なに!?」
倒れ伏していた少年が急に起き上がり、叫びを上げる。
すぐ傍まで近付いていたリキューは、その様子に思わず驚き声が出た。
まだ抵抗する気なのか? すでに少年に一片の勝ち目も見当たらないゆえに、内心面倒だとリキューは思った。
しかし、その余裕を持った思考を維持できたのもそこまでだった。
バキャンッ! と、今まで聞いたことない異質な、何かが壊れるような音が響いた。
同時にリキューは激痛を伝える信号が脳内を迸り、内外から大量の血を噴出した。
「ぐぎ、がふッ!?」
激痛に声が出ようとした瞬間、大量に吐血する。
頑強な戦闘服。そのバトルジャケットからアンダースーツまで全てが一様に破壊され、内側の肉体まで同じように傷付けられていた。
まるで無造作に引き裂いたかのように、強度だとか戦闘力だとか、そういった全ての要素を無視しての破壊。
特に胸部から腹部にかけての損傷が酷く、内臓にまで届く深い裂傷は大小多く、それこそ無数にリキューの身体に発生し、蝕んでいた。
あの奇妙な音が響いた時それに引きずられる様に、まさに一瞬でこの状態となったのだ。
全くもってリキューには現状が理解不能ではあったが、ただ自分が重傷であるということだけは否応なく理解した。
予測を大きく乖離するダメージに、リキューはその場に両膝を落とし、腕を付いた。内臓まで傷付けられたその証左に、色の黒ずんだ血を吐きだす。
ブルブルと、さらに激しく消耗した様子を見せながら、息荒く汗を多く浮かべながら少年が言葉を吐き捨てる。
『く、くそッ。し、真性のリアル戦闘民族なんかと………ガチで戦ってられるかっ、ての…………』
「貴、様………待ち、や……がれッ!」
ズリズリと身体を引き摺りながら逃げていく少年に、リキューは全身を血に塗れながらも、重傷を圧して手を伸ばす。
少年はその姿に、さながらゾンビかバーサーカーの様なイメージでも抱いたのか、表情に慄きを浮かべつつも舌打ちを打つ。
『しつ、っこいんだよッ!! ブリティッシュ・インヴェイジョンッ!!!』
「待ッ」
少年が叫ぶと同時、いきなり少年の身体の真下にパックリと穴が開いた。
突如として床に出来た穴の中へと少年の身体は落ち、抑止の声を上げるも、リキューの伸ばしたその手が届く前に穴は閉じる。
またもや発生した、“スタンド”というものと同じく、奇妙不可解な技。
ともあれ、重要な事柄はただ一つ。リキューは少年に逃げられたのだ。それも、置き土産に手痛い洗礼を頂いた上である。
「ちく………しょう……………」
ゴポリと、一際大きく吐血するとリキューは倒れた。
べちゃりと自分の血潮で形成された血の池に身体を浸して、そのまま意識が昏睡レベルに近づく。
ダメージは深刻であった。本来ならば自身の戦闘力の高さ、それに由来する“気”の守りによって、より強固に守られている筈の肉体内部。
先の少年が放っただろう攻撃は、その戦闘服の防御力なぞ遥かに上回っている“気”の守りごとリキューの身体を引き裂いたのだ。
これまでの攻防から見て、想像の埒外にあった“切り札”であった。よもや、戦闘力の高低という絶対的な基本法則を無視して攻撃できる手段があるなどとは。
それはリキューの知りうる知識において、この世界では絶対にある筈がないことだったのにもだ。
力が抜けていく。
“気”がどんどん減ってゆき、血が身体から流れ出ると同時に、活力とも呼べるリキューの生命の根源が消えていく。
身体の芯の底から冷えていく感覚を朧に覚えながら、リキューは薄暗い闇に意識を囚われていた。
(死ぬ、のか?)
―――体が寒い。
―――頭が重たい。
―――意識が眠気に襲われる。
―――力が出ない。
―――どんどん明りが消えていく。
―――思い出が遠ざかる。
離別を、無を、消失を、そんなものを連想するイメージが、リキューの脳裏に次々と展開されていく。
死。ただシンプルなその一字が、リキューの眼前に押し付けられていた。
―――ピクリと、血の池に沈むリキューの身体が震える。
(し……死ん、で…………)
ぎしりと、力なく開かれていた手の指が動き、拳をかたどる。
油の切れたネジを回すように、リキューの頭がゆっくりと動き、面が上がる。
ッカと、その瞼が勢いよく開かれた。
「死……んで…………たまる、かぁッッ!!」
喉元までせり上がってきた血の塊を、吐き出さずに堪え、そのまま一飲みして身体に押し戻す。
ぎちぎちと異常を訴えて言うことを聞かない身体を無理矢理動かし、その場に突っ立つする。
ぼたぼたと、溜まりから付着したものと今も傷から流れ出ているもの、二種類の血が垂れ流れる。
リキューは死の淵からさらに一歩先の、さらなる彼岸への踏破の過程から自力で舞い戻った。
なおも大量の出血を起こしている、放っておけば、もはや今度は死へ踏破と言わず瞬間移動してしまうだろう全身の傷に対し、筋肉を隆起しさらに“気”を集中させて対処する。
痛みを伴ったものの、盛り上がった筋肉が物理的に傷口を圧迫、塞ぎ込み、さらに“気”をつぎ込んで強引に生理環境を整える。
力技にも程がある手段ではあったが、とりあえずの止血は果たせた。たらりと目元に流れた一筋の血を親指で拭い、リキューは良しと判断する。
実際には文字通り止血しただけで状態は全然良くなかったのだが、リキューは頓着しなかった。
それ以上に、少年の追跡を優先したのだ。
消耗著しくも、リキューは身体を奮起させて腕を振り上げると、そのまま振り下ろして床を叩き割る。
一撃で砕けるタイルブロック。
通路の底抜きを行い、瓦礫と共に一階下のフロアへ舞い降りる。
顔を乱雑に動かして少年の姿を探すが、しかしその場には影も形もなく、何処へ行ったのか手がかりもなく、行方は分からなかった。
リキューは、完全に少年を見失ってしまっていた。
当てなく探し回るには、リキューのコンディションが最悪であった。さすがにこれ以上に下手な負担をかければ、比喩ではなく死ねる重体である。
(くそったれめ………何かいい方法はないのか? 奴の居場所が分かる方法はッ)
遥か記憶の彼方に残る日本語を使う。
戦闘力という大原則を無視して完璧に攻撃を防ぐ“スタンド”に、防御を無視して重傷を与える奇妙な技。
リキューがここまで少年を追い捕らえようとする理由は色々あった。それこそ人間の心の内である。単純に一言で表せるほど分かり易いものではない。
だが結局のところ、今この時のリキューに限って言えば、その根底を占める最も大きな理由は意地であった。
ここまで抵抗されて、追い詰めるどころか逆に追い詰められて、もはや理論的な理屈だとか理性的な判断だとかよりも、なによりも意地を張って、そしてそのために動いているのだ。
子供染みた、そんな拙い感情のために、重体の身体を張って少年の後を探しているのである。
サイヤ人というのはそんな子供みたいな精神の人間ばかりであり、そしてリキューもそんなサイヤティック・メンタルを培っていたのだ。
とはいえ、いくら意思を猛らそうとも、リキューに少年を探し出すいい方法は思い付かず、そしてそう長い猶予も残されているほど傷も甘くはなかった。
くらりと気が遠くなったと思った瞬間、身体がふらつき、そのまま傾いて壁に頭をぶつける。
止血したとしても、すでにリットル単位で血が流れているのだ。貧血になって当然である。
加えて“気”を高めて、幾らか物理法則を無視して生理機能を維持し重傷の身体を動かせているものの、傷が本当に治った訳でもない。
幾らサイヤ人が生命力の高い種族であろうと、カバーし切れるレベルを大きく逸脱している。
リキューの受けているダメージは、とっくに許容値を突破しているのだ。
ふらふらと揺れる頭に手を当てて、意識を保つように務める。
と、ふと打った衝撃に加えて貧血に酩酊気味のリキューの頭に、天啓が走った。
「―――これだ!」
にやりと、リキューの口の端が釣り上がった。
展覧ブロックから一つ位置をずれ、煌々と明かりの焚かれているブロックの通路。
その誰もいない無人の通路。その天井にパックリと穴が広がった。
穴から人が通路に飛び降りると、即座に穴が縮小し閉じる。飛び降りた人間は、リキューと相対していた“スタンド”を操る少年である。
少年は直前に重力が弱まったかのように減速して柔らかく着地すると、ひーひー言いながら歩き始めた。ダメージが大きいのだろう、その身動きには淀みが受け取れる。
が……どういう訳だろうか?
ただ普通に、若干歩くよりも速い程度の早歩きの動きしかしていないにもかかわらず、少年はまるで滑っているかのように不自然に、その一歩一歩が大きく間隔を空けていたのだ。
一歩一歩が大きい分当然その移動速度は速く、早歩き程度の動きしかしていない筈の少年がまるで幅跳びしているかのような光景で、通路を駆け抜けている。
さながら狐に化かされているかのような光景である。ただ歩いている動作をしている人間が、短距離走選手並みの速度で動いているのだ。
『このぐらい距離を離せば十分か? アイタタタ……とっとと一時退却して担当変えてもらわんと、あんなインフレ種族を相手にしてられるかっつーの』
ぜってーもうここには来ねぇぞと言いながら長い通路を駆け、少年は懐をゴソゴソと探る。
すでに何度も縦に横に穴抜けをして建物の中を逃げ回っていたために、完全に撒いたものと判断していたのだろう。
しかし、何かを取り出そうと懐を漁りながら、無警戒にL字角を曲がった瞬間のことである。
踏み込もうとしたその先で、突如として通路が爆砕した。
『ゲェエーーー!?』
驚き慌てふためきながら、少年は表情を派手にブレイクさせながら飛び退く。
べたりと背中を壁に貼り付けて、どどどどどどど!? と、文字通り泡を食った表情で粉塵立ち込める通路の方角へ視線を向けている。
ゆらりと粉塵の中から、人影が現れる。
「見つけたぞ、クソガキめ」
全身を僅かに乾き赤黒くなった血で染め上げた、ボロボロに破壊された戦闘服を纏った尾を持ったサイヤ人の少年。
すなわちリキュー本人が、自分の頭に装着していたスカウターを操作しながら、その場に立っていた。
リキューが頭に手をやったとき、その手は自分の身体ではない、不可解な感触を返していた。
この時初めて、リキューは自分がスカウターを付けたままであったことに気が付いたのである。
本来フリーザ軍所属の者であっても、戦闘員ではないリキューにスカウターが配布されることはない。
スカウターは戦闘補助道具。
戦闘員以外には必要ないのだから当然である。
この時偶然にも装着していたのは、リキューが研究用に申請して取り寄せた物。自室で実際に本物を身に付けて具合を確かめていた際に電源を切ったまま、今の今まで外し忘れていたのだ。
これは研究用のために一般の物と異なって、デバックモードやその他のオプションが組み込まれているスカウターである。しかし、その性能自体は一般配備されているものと何ら遜色ない。
少年の追跡に関して、何ら問題はないということである。
方法さえ見つければこちらのものである。リキューは意識を鮮明にし、早速スカウターの電源を入れて、サーチをかけた。
が、しかしその捜査は初っ端から躓くこととなった。
少年の戦闘力は極めて低い。これがリキューの見立てであり、そして実際に本当のことである。
これが何を意味するのか?
特徴がない。つまり表示される“どの戦闘力が”少年であるか、分からないのだ。
リキューの眼前のレンズには幾つもの戦闘力と、その持ち主の所在地が克明に暴きたてられている。
少年の戦闘力は確実に1000を下回る。リキューが自分のその見立てを信じて戦闘力を除外したとしても、しかし戦闘力が一桁クラスのものでも、その表示は数多くあるのだ。
惑星ベジータに居住しているのは、戦闘力の高いサイヤ人だけではない。フリーザ軍から配属された非戦闘員も多い。
まだ少年の戦闘力が高ければ分かり易く、見分けも付いたのだが。
スカウターはあくまでも索敵ないし測定機であり、通信機でしかない。個々人の識別機能などないのだ。
とはいえ、思わず舌打ちしたリキューであったがこの問題は早々に解決した。
リキューの現在位置から、妙に速い速度で遠のく戦闘力の反応を捉えたからだ。
その戦闘力は数値が一定しておらず、3前後の数値から11程度までを間断なく上下していた。
ダメージから考えて移動速度に疑問があったものの、しかし動きから見てこれが少年の反応であろうと見当を付けたのである。
そして反応が向かう先へと先回りし、間の邪魔となる壁という壁を破壊して追い付いた現在。
リキューは見事、珍しく理論的に当たりを引き当てたのであった。
「本当に、手間を、かけさせ、やがって」
インターバルを短く、激しく肩で息をしながら、リキューは目の前の少年を睨みつけた。
少年もリキューほどではないがダメージが大きく、どういう訳かは知らなかったが先に見た時よりもさらに疲弊しているようであった。
そこまで弱まっている以上、リキューとしては自分の身体のこともあり、さっさと抵抗を止めて口を開いてほしいと心中で願っていた。
とはいえ、あのリキューに大打撃を与えた“切り札”の存在もある。
これまでの経緯を見れば、少年がここまで来て大人しく言うことを聞いてくれるとも思えなかった。
(くそッ……面倒な手間がかかる)
リキューは睨んだまま内心で毒づいた。
少年を殺す気はない。それは死にかけるだけの重傷を負った現在でも変わらない。
リキューにしてみればこの怪我も、自分の油断と行動の結果であり、責任は全部自分にあるのだとキッパリ考えている。
怪我の恨みや、逆上して命を奪う気などないのだ。なぜならば完全な自業自得なのだから。
が、しかし。それではリキューは結局、この局面を打破するものとして取れる行動がないこととなる。
これ以上のリキューから攻撃を加えることはその大小を問わず、疲弊の様子から見て少年の命を奪う危険がある。
殺してしまう危険性がある以上、手出しは出来ない。つまりリキューに許されるのは、精々が口頭での説得程度、ということだ。
とてもではないが、リキューは目の前の少年が言葉で説得できるとは思えなかった。
『こん畜生………ここまでかよ。ぶ、ブリティッシュ・インヴェイジョンッ』
スカウターに表示される少年の戦闘力が、変動する。
3を下回っていた数値が、9前後の値へ。その数値は確実に少年の消耗を映しているようで、先に見た時よりも落ち込んでいた。
本当にどうすればいいものか? 力に頼らずどうやって話し合いに持ち込めばいいか、リキューは身体の傷も合わせて頭痛を起こす。
このまま膠着状態を維持しても、先に倒れてしまうのは少年以上に重体であるリキューである。
今まで一度たりとてリキューの言葉に反応をしない、目の前の強情な少年の態度を、どうやって可及的かつ早急に解きほぐせばいいというのか?
「貴様も、いい加減に俺の言葉に答えろ。くそッ」
半ば、投げ捨てる気分のままにリキューが言葉を述べる。
実際それは応答を期待したものではなく、八つ当たり同然の言葉であったのだが、しかし少年は反応するように口を開いて、言葉を放った。
『だから、何言ってんのか分かんねぇよ畜生!! 日本語喋りやがれ!!!!』
「………………………………………………………………………………………は?」
やけっぱちの様に叫んだ少年の言葉が耳に届き脳が内容を理解してから、リキューが長い沈黙の末に言葉を漏らした。
ふとリキューが思い返す。
成程。確かにリキューは、少年への第一声から今の今まで、ずっと発し続けていた言葉は“共通語”であった。
それも致し方がないことであろう。リキューが赤ん坊としてこの世界に転生してから、今日この日までの十四年間。共通語はずっと使い続けていた言葉である。
むしろ十年以上使うどころか、聞いてもいない言葉である日本語を覚えていることが凄い。それも知的なスペックの高いサイヤ人の身体のおかげだろう。
とはいえ、それもこの場にだけ限って言えば良いこととは言えなかった。
下手に日本語の記憶が完璧だったために、少年の言葉を聞き取り内容を普通に理解してしまい、リキュー自身が同じ言葉で会話しているのだと何時の間にか錯覚を抱いてしまっていたのだ。
そもそも共通語が通じないという事態がほぼ有り得ないことであるために、リキューの勘違いも仕方がないことではある。それだけこの世界では言語の壁は薄い認識なのだ。
まぁ、やけにコロコロ切り替わる表情豊かな少年自身にも、錯覚を抱かせた原因として少なくない責任はあったのだが。
くらりと、リキューは一瞬……ほんの一瞬であるが、身体の傷やその他諸々の要素で気が遠くなる。
片手で額を抑えながら、その内心に止めながら呟く。
(もしかして……もしかしてだが。ひょっとして、だ。俺は、めちゃくちゃ無駄な苦労をしたんじゃ………ない、のか?)
あまりにも嫌過ぎるその可能性を胸中で具体化させて、リキューはその現実に意識が傾いた。
主に払った労力や重傷的な意味で、アホらし過ぎる。
何か頭痛を堪える仕草で動きを止めたリキューの姿に、もしかして逃げられるんじゃねとか少年が呟く。
この上さらに逃げられれば、もう救いがないどころではない。
リキューは刹那的な憂鬱に苛まれながら面を上げると、視線を向けた。
逃げようと蠢いていた少年が、まるで見られたくないシーンが母親に見つかった息子のように動きを止める。
リキューは、重い口を開いて言葉を投げかけた。
『言葉、通じるか?』
『………はい? 日本語?』
あるぇー? と少年がリキューへと視線を向けている。
リキューの予想は、全く嬉しくないことではあったが見事に的中した。
凄まじくアホらしい出来事の幕は、これで下ろされることとなったのであった。
『なに? それじゃ、あんたがトリッパーなんかい!!』
『トリッパー? なんだそれは?』
日本語で話しかければ、あとは簡単だった。本当に。
もう攻撃する意思がないことを伝え、ただ聞きたいことがあるだけだという皆を明かすと、少年もおk、把握したと奇妙な訛りで同意した。
少年自身もう限界で、というか最初の最初から戦いは勘弁であったらしい。
俺はどこかの地上最強の生物じゃないんだっつーの、とは少年自身の言葉。どういう意味なのか、リキューにはさっぱり分からなかったが。
少年は名を勝田時雄と名乗った。リキューも同じ様に名乗り、そしてとりあえずの疑問として、何故日本語を使えるのかと時雄に尋ねたのだ。
それに対して時雄は、そりゃ俺は日本人だからと、薄々リキューが予測していた答えを返した。
服装などから見て、そうではないのかと思っていたのだ。顔立ちも少しばかり彫りが深いように見えるが、アジア系のそれである。
むしろそっちが何で日本語が使えるん? サイヤ人でしょ? と尾を指しながらキャッチボールのように返された質問に対して、さらに続けて聞こうと思った言葉を呑み込みながら、リキューも答えた。
自分は確かにサイヤ人であるのだが、サイヤ人として生まれる前に、日本人であったという記憶を持っているのだ、と。
上の言葉は、そのリキューの台詞に対して時雄に返されたものであった。
内心信じられないだろうと思っていたために、その返答はリキューの予想外だった。
実際、自分がそんなことをいきなり言われたとしても、妄言や戯言にしか思えないからだ。
訝しげに尋ねるリキューに対して、えーなんて言えばいいかなーとぼやきながら、時雄が口を開く。
『要するにトリッパーてのは、ぶっちゃけて言えば日本人のことだよ。日本人。いや、正確には違うけど』
『日本人だと? 俺はサイヤ人だぞ?』
『元日本人ではあるでしょうが。細かい挙げ足取るなって』
はっきり言って、リキューの疑問は解消されるどころか、ますます増えていた。一つ聞けばどんどん疑問が増えていくのだ。
だがしかし、残念ながら全ての疑問を解消するには時間が残されていなかった。
いきなり咳をしたかと思ったら、リキューが血を吐きだしたのだ。
『どわぁ!? イキナリ何だ!? ビックリかッ!?』
『まずい。ぐ、き……傷が、開き始めた』
『傷ッ!? てかそういや俺がアレ使ったっけ!? イヤイヤイヤイヤイヤむしろ何であんた生きてんの有り得ないって、つか手当てしてなかったんかい!?!?』
『ぐ、ぎぃ、がぁ………』
時間を忘れて話しに没頭していたためか、無理を通していた身体に限界が来たのだ。
必死に血眼になって“気”を操作し維持しようとするが、そもそも元が壊れている状態となっている生理機能を“維持”するのは、いくら“気”をつぎ込んだところで限界があるのだ。
塞き止められていた出血が、また流れ始める。サイヤ人の脅威の生命力によってすでに幾らかの傷口は塞がり始めてはいたが、焼け石に水であった。
誤魔化していた傷の反動が、ここにきて一挙にリキューへ牙を剥いていた。
ばたりと堪えることも出来ず、リキューが倒れる。倒れた場所から、またリキュー自身の血で溜まりが形成されつつあった。
もしかして俺か俺のせいなのかと、冷や汗を流し慌てながら、時雄が懐から何かを取り出す。
取りだした、掌に収まるようなサイズの黒い何かを、時雄が焦りながら弄くる。その様子を霞がかかったような視界でリキューは見ていた。
『来い来い来い来い、よしキターーー!!!』
辺りを落ち着かぬ様子で見回していた時雄が歓喜の声を上げると、グイっとリキューを引っ張って負ぶさせて歩き出す。
がんばれ死ぬなファイトーてか俺もちょやばいって、と何か声が響くもの、すでにリキューは答えることもできなかった。
なんとか重い瞼をこじ開けて見てみれば、時雄に負ぶさり進む先。
そこに“穴”があった。
あの最初、リキューが展覧ブロックで薄闇の中で相対し、時雄が飛び出てきた“穴”である。
一体いつの間にあったのか、時雄がやったことなのか。
もはやそんな思考も持てず、ただリキューは時雄が自分ごと“穴”へと入るのを見るだけだった。
そして視界が“真闇”に包まれた。
『こ、こんな時に言うのもなんだがな』
息を乱しながら“真闇”の中で、まあ恒例だしなと時雄が呟く。
おほんとワザとらしい咳をすると、時雄は言った。
「ようこそ、トリッパーメンバーズへ………だ」
いつの間にか、唐突に、兆候もなく、視界が変わっていた。
“真闇”ではなく、柔らかい自然光に似た照明に照らされた、人工的な広い空間。
何かの用途かは分からないが機械類が所々に設置され、時雄とリキュー以外にも数人、人の姿が見えた。
そこは明らかに“穴”の中でも、先程までいた惑星ベジータでもない場所であった。
しかし、リキューが確認できた情報はここまでだった。
抵抗の余地なく意識が断たれ、がくりと首が傾く。
おい待てってもうちょっと頑張れおい。言葉が投げかけられた気がしたが、しかしリキューはそれを聞き取る以上に深い奈落へと意識が落ちていた。
誰か手伝ってくれー。そんな最後が間延びしたように聞こえた台詞が、最後に聞き取れた台詞だった。
リキューはこの時初めて、トリッパーメンバーズ本拠地“リターン・ポイント”へと踏み入った。
―――あとがき。
つ・つ・疲れた、いぇい。
全開の鬱憤を晴らすように書き込みまくったら、最後には燃え尽きた。作者です。何気に過去最高の量じゃん。
物語的には起承転結の転ですかね? 作法守れてるか知らないから適当にケテーイ。
この話こそ俺式スタンドバトル。原作風味を出しつつのアレンジ! ………風味、出てますよね? スタンドは決して一方的には負けないと思うこの頃
感想が前回多くて驚き。作者は平伏一頭のままに感謝の意を示したい所存。アザーッス!!
今回の投稿で板変更。見てくれる人がどれだけいるか気になるこのごろ。
感想と批評待ってマース。
PS
リキューがスタンド身に付けかって意見が散見できましたけど、仮に本人スタンド得たら、それはどんなスタンドだと思います?
だって本体である本人が厨スペックのサイヤ人だしなー。
遠近両方カバーしてるし? 下手なスタンド身に付けても、使う機会がないことこの上ナッシングですよ旦那。