貴族街、チュレンヌ徴税官邸宅。
庭に面したある一室で、二人の男が祝杯を挙げていた。
「いやいや、まさかトリスタニアの外とは思いませんでしたな」
太った中年の貴族、チュレンヌが銀の盃を片手に笑っていた。
この日の昼のこと。元魔法研究所実験小隊の男を拷問したところ、指輪の所在とそれを知る隊員についてはいたのだ。
実験小隊の元隊員達は領地のない下級貴族出身であり、そのほとんどがトリスタニアに住んでいたため、チュレンヌ達は首都を中心に捜索をしていた。だが、その男が言った指輪の所在はトリスタニアではなかった。
「実験小隊小隊長、ジャン・コールベールか」
リッシュモンにはその男に関する記憶があった。
非合法な仕事を行う小隊の中においてただひたすら冷徹さを貫いていた若きメイジ。炎蛇の二つ名を持ち、トライアングルながらもその戦闘能力は軍のスクウェアメイジ以上。任務の為ならば女子供も容赦なく焼き捨てる、まさしく最高の駒であった。
だが、ダングルテールの一件を機に小隊を止め出奔。どういうことかトリステイン魔法学院の教師の座についていた。
そう、指輪は今トリステイン魔法学院にあるのだ。
「しかし、魔法学院ですか。手が出せますかなリッシュモン殿」
「ふふ、私を誰だと思っておる。高等法院の命令書を使えば、学院の教師一人縛り上げるなど造作もないこと」
そう笑ってリッシュモンは銀杯のワインをあおった。
旨い酒である。三十年物の高級酒であるが、それ以上にこれから手にするであろうアルビオンでの栄光を考えると酒がとても旨く感じられるのだ。
「して、チュレンヌよ。指輪の子細を知る者の口封じはしておるのだろうな」
「もちろんでございます。法院長殿より頂いた資金で、裏に名の通った傭兵メイジ達を雇い入れておりますゆえ。例え炎の魔法に長けた小隊員と言えど、数の力にはかないますまい」
拷問を受けた男が言うには、小隊長が指輪を持ち去ったことを知っているのは他には隊長補佐のみ。
それらのことを全て吐かせた後、男はすでに首を落とし土の中に埋めてある。
「今頃娘共々屍を晒していることでしょうな……」
「くくく……後は指輪を手にしアルビオンの皇帝の元に行くだけ。ハルケギニアの全ての富が我らの手に落ちるのも夢ではない」
「――そのような未来など貴方達の前にはありませんわ」
男達の会話に割り込むように、庭先から女の声が響き渡った。
「何やつ!」
闖入者の声に、チュレンヌは部屋のベランダを開けて庭を見た。
そこにいたのは、清掃メイジの服を身に纏った一人の少女。部下が殺害に失敗したという、かつてチュレンヌに魔法を放った清掃メイジであった。
彼女の後ろには、闇に溶け込むような黒い衣を身に纏った女性と、軍用の戦闘装束を着込んだストロベリーブロンドの少女が随行していた。
「貴様! ここを徴税官の邸宅と知っての狼藉か!」
杖を抜き少女に凄むチュレンヌ。
だが少女はそれに一切ひるむことはなく、悠々とした態度で彼らに告げた。
「うつけ者。わたくしの顔を見忘れましたか!」
「何……?」
少女の言葉に、眉間に皺を寄せるチュレンヌとリッシュモン。
その時、高等法院長であるリッシュモンの脳裏に、一人の王族の姿がよぎった。
王城の玉座の間。
王族のドレスを身に纏うトリステイン一の美貌。
若くして王として威厳を持ち高官達を従えるトリステイン第一王女の姿。
「ひ、姫さま……!」
リッシュモンはその王女の顔が、目の前の少女と瓜二つであることに気付き叫び声をあげる。
「……殿下!?」
リッシュモンの言葉で、チュレンヌもこの清掃員がトリステインの姫、アンリエッタであることを悟る。
突然の王族の来訪に、男二人はその場に膝をつき最敬礼を取った。
アンリエッタはその二人を見下ろしながら、彼らに向かって蕩々と言葉を語りかけた。
「チュレンヌ徴税官。王家から与えられた徴税官という地位を悪用し、己の欲のままに狼藉を尽くし、挙げ句の果てに金のためにトリスタニアの市民に手をかけた悪行の数々。すでに明白です」
アンリエッタの言葉に最敬礼の姿勢を取りながら震え上がるチュレンヌ。
どうしてこうなったのかと全身から脂汗を流した。高等法院長の下についていれば安寧が約束されていたのではないか、と焦燥する。
「そしてリッシュモン高等法院長。貴方はかつて二十年前、ロマリアからの裏金を受け取り疫病と偽り村民もろとも村を焼き捨て、それをひた隠しにしていたと聞きます。ついには、何も知らず火を放った哀れな衛士達を国賊レコン・キスタでの地位を得るために手にかけるとは……、慈悲深き始祖にも許されぬ悪行です」
まさか、とリッシュモンは焦りの表情を浮かべた。
まさか、この姫殿下は全ての企みを見抜いていたのか、と。
「ましてや、関わりのない娘の命まで狙うとは言語道断! 貴方達に貴族としての誇りが欠片でも残っているのならば、潔く腹を切りなさい!」
死の宣告を告げるアンリエッタ。
対するリッシュモンは、強く歯を食いしばり礼の姿勢を解き、立ち上がった。
「おのれ暴君め……」
そううめき、懐から手の平大の杖を取り出す。
チュレンヌも彼に続き床に放った杖を拾って立ち上がり、屋敷に向けて声を上げた。
「このような場所に姫さまがおられるはずがない! 出合え! 出合え!」
チュレンヌの声に、屋敷にいる私兵達が続々と集まってきた。
私兵達はチュレンヌとリッシュモンを守るように庭に広がっていく。
「姫さまの名を騙る不届きものだ! 斬れ! 斬り捨てい!」
メイジ達の集団を前に、アンリエッタは無言で腰から杖剣を抜いた。
そして両手で杖剣の柄を握ると、ゆっくりと八相の構えを取り、手の中で柄をひるがえす。
刀身に掘られたトリステイン王家の紋が、月の光を浴びて小さく輝いた。
私兵達が動き出す。
剣の腕が自慢のメイジ達がアンリエッタに群がっていく。
岩をも一刀で切り伏せるブレイドの魔法がアンリエッタを襲う。
だがアンリエッタはそれを魔法も使わず杖剣の一振りで払った。
王家としての由緒正しい歴史などは存在しない、彼女の杖剣。
だがそれは、最新の魔法技術によって作られた最大級の業物。
アンリエッタが杖剣を振るうたびメイジ達のブレイドの魔法は薄れていき、やがてブレイドの魔法と共にメイジ達の杖が次々と切り裂かれていった。
杖を失い抗う術を無くしたメイジ達は次々とアンリエッタに斬り捨てられていく。
その最中にも、アンリエッタはルーンを唱えていた。
重ね合わせる属性は水、水、水、そして風。
彼女の強大な精神力を元にスクウェアの魔法が顕現する。
それは雨であった。
メイジ達の頭上から、月光と貴族街の灯りを受けて煌びやかに輝く水の雫が落ちてきた。
メイジ達は酸の雨かと思い盾の魔法で頭上を守った。
水が足下を濡らすが軍靴を履いているから問題ないとメイジ達はそれを無視してアンリエッタ達に魔法を唱えようとする。
だが、突如彼らの足下が凍り付いた。
彼らの靴を濡らす水は、恐ろしいほどの冷たさであった。
ただの水ではない。水ならばすぐにでも凍り付くような低温。
弱い火の魔法で雨を防ごうとしたメイジの一人は、たちまち火の熱を奪い取られ、その身に雨を受けた。
すると、服を通って肌に触れた魔法の水は、メイジの全身に凍傷を起こした。
雨が異様なほど輝いていたのも、空気中の水分が凍り付いて結晶となっていたためだったのだ。
雨を受けてひるんだメイジ達に再びルーンを唱えるアンリエッタ。
新たな魔法が唱えられたことで魔法の水は消え去るが、次に放たれたのはこぶし大ほどもある氷塊の雨であった。
まるで戦場のような魔法の嵐に、次々とメイジ達が倒れていく。
雹をかいくぐったメイジも、長さ五メイルもある水の鞭をまとったアンリエッタの杖剣に吹き飛ばされていった。
炎を得意としていたジャンヌの父の魔法が人を殺すことに特化していたのだとすると、王女アンリエッタの魔法は人を蹂躙することに特化していた。
まさしく暴君。彼女が杖を一振りするたび戦慣れしているはずのメイジ達が薙ぎ払われていく。
アンリエッタが杖剣を振るう後ろで、ルイズも全力で暴れ回っていた。
杖も剣も持っていない平民と侮り悠々とルーンを唱えていたメイジは、一瞬で距離を詰めたルイズの蹴りで顎を砕かれた。
ルイズが履いているのは金属が仕込まれた、戦闘用の靴だ。
相手が金属鎧を着込んだ傭兵だったならばそれを防ぐこともできたのだろうが、ここは戦場ではない。
メイジ達が来ているのは厚手の服であり、その上からルイズは蹴りを叩き込み骨を砕き折っていった。
獣のように飛び跳ねるルイズに危機を感じたメイジは、遠くからの魔法で彼女を止めようと大きく距離を取った。
そんなメイジに向かってルイズは右手の指を向ける。
次の瞬間、突然メイジの右手が轟音と共に弾け飛んだ。
正体不明の爆発。
王女は水の鞭を振り回しているため、王女の魔法によるものではない。
だが、ルイズは杖を手にしていない。
理解の及ばぬ攻撃を受けて恐慌状態に陥るメイジ。
その彼の背に、刃が突き立てられた。
音もなく背後に忍び寄っていたアニエスが、短剣を突き刺したのだ。
彼女は隠密だ。
戦いの中でも突如姿を消し、相手の背後に這い寄る。
派手に立ち回るアンリエッタとルイズの影でアニエスは右手の刃を振るう。
二人の死角からメイジが魔法を撃とうとすれば、左手の銃を放ち、銃声で己に注意を引く。
魔法のような華やかさは無いが、その剣と銃は紛れもなく本物で、メイジ達の意識を次々と刈り取っていく。
そんな二人に背後を守られ、アンリエッタはメイジの群れを薙ぎ払いリッシュモンとチュレンヌを追い詰めていく。
彼らに近づくにつれ、メイジ達は精鋭となっていく。
風のトライアングルメイジが、『ウィンディ・アイシクル』の魔法を放つ。
三十もの氷の矢が一斉にアンリエッタへと襲いかかる。
アンリエッタはそれを己の周囲に展開した粘性の高い水の壁で絡め取り受け止めると、魔法を解除することもなくメイジの元へと踏み込む。
メイジは魔法を同時に二つ以上使えない。
それがブリミルの四大魔法の原則。
だがアンリエッタの手にはブレイドの魔法をも切り裂く杖剣が握られている。
一閃。
上段から振り下ろされた杖剣は、杖を持つメイジの右腕を切り落としていた。
絶叫を上げるメイジをアンリエッタは蹴り飛ばし、彼女は屋敷の部屋の奥へと逃げていたリッシュモンを睨み付けた。
鋭い眼光に怯むリッシュモンとチュレンヌ。
しかし、最早逃げることは不可能と覚悟したチュレンヌ達は、ルーンを唱え始める。
だがそれよりも早くアンリエッタが唱えた『エア・ハンマー』の魔法が、彼らを叩き伏せる。
横転し部屋の高価な調度品へと突っ込む二人の男達。
それでも致命傷には至らなかったのか、ふらふらと身を起こす。
そんな彼らを睨んだまま、アンリエッタは己の影へと声を放つ。
「成敗!」
王女の言葉と共に姿を現したアニエスは、左手の銃でチュレンヌの眉間を撃ち抜ぬく。
血を吹き出しながらチュレンヌは力なく倒れていく。
そして一拍の間に、アニエスはリッシュモンの前へと踏み込んだ。
ルーンを唱える隙も与えず、アニエスは短剣でリッシュモンの胴を薙ぐ。
ぐらりと揺れるリッシュモンに向けて、アニエスはさらに短剣を突き刺した。
心の臓を深々と貫いた刃は、リッシュモンの命をしかと絶った。
ゆっくりと崩れ落ちていくリッシュモン。
アニエスはそれをまぶたの裏に焼き付けると、短剣の血を振り払い鞘に収める。
そして、アンリエッタへと向き直り、膝をついて自らの主に礼を掲げた。
それにわずか遅れるようにルイズが部屋の中へと姿を現す。
すでに庭のメイジ達は全滅していた。
アニエスにならいルイズは王女へと礼を取る。
アンリエッタはただ静かに杖剣を振り刀身に付いた血を飛ばす。
そして、ゆっくりと杖剣を鞘に入れていく。
鍔が鞘に触れ、小さな金属音が響いた。
それは戦いの終わりを告げる音。
トリスタニアの夜は再び静けさを取り戻した。
ジャンヌの父の死から数日の時間が過ぎた。高等法院長の内通という事件で王政府が動き、その被害者であるジャンヌの父の葬式は、王女の手で行われた。
葬式の最中、ジャンヌの前に姿を現した王女は、まさしくジャンヌの知る不良清掃員と同じ顔をしていた。
だがそれにジャンヌが今更驚くことはなかった。
命の危機にかけつけてくれたアンは竜にまたがり貧乏貴族の三女などとは思えぬ綺麗な衣装に身を包んでいたからだ。
そして、父から伝え聞いたアン水の魔法の腕。
アンの正体は市井で評判の君主、王女アンリエッタなのだろうと確信があったのだ。
ジャンヌの友人としてではなく、王女として姿を現したアンリエッタは、ジャンヌに一つの提案をした。
「貴女のお父様の貴族の位はジャンヌさん、貴女が引き継ぐことになります。ですから、貴女が望めば魔法を学ぶための学院へ通うこともできます」
そして父と同じように魔法を世に役立たせるための職につくこともできると。
ジャンヌはその場で答えを返すことはなかった。
自分の一生を決めることだ、安易な思いつきで答えるものではない。
ジャンヌはまだ二十歳も越えていない若い少女だ。
だが、幼いときから大人に混じり生きるための銭を稼ぎ、地に足をつけた生活を続けて来た。
同じ年頃の娘が持つような魔法への憧れはそれほど強くない。
そもそもメイジである父に魔法を教わることもなかったのだ。
「――よし!」
葬式を終えて幾日が経ったころ、彼女は顔を両手で叩いて気合いを入れ、『魅惑の妖精』亭へと訪れていた。
「あら、ジャンヌちゃんじゃな~い。その格好は……」
店の主、スカロンがジャンヌを迎え入れる。
彼もジャンヌの父の葬式には参加しており、ジャンヌがメイジの道を歩むかもしれないということを聞いていた。
だが、今ジャンヌが着ている服はこの店の給仕として働くための色気のあるドレスだった。
「お店を続けてくれる、ということで良いのかしらん?」
「はい、急にメイジとか学校とか言われても、私にはきっと向いていないだろうな、と。やっぱり私は身体を動かして働くのが一番だなって」
「あらあら~、嬉しいわ~。ジャンヌちゃんみたいな人気な子が居てくれるのは助かっちゃう」
そう言いながらウインクを飛ばすスカロンに、ジャンヌは笑みを返す。
今更魔法なんて覚える必要はない。そうジャンヌは結論をつけた。
火を医のために使うという半ばで終わった父の研究も、魔法好きの書生ファンション――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様に任せておけば良い。
貴族としての生活がしたくなったら、この店で若い貴族の男でも籠絡して妻になってしまえば良いのだ。
「……よし!」
ジャンヌは気合いを入れて店の仕事を開始した。
「レコン・キスタは国そのものだけでなく人々の生活までも脅かしてしまうものなのですね」
アンリエッタはマザリーニを連れて王城の中庭を歩いていた。
「掲げるのは体制刷新、聖地奪還。でも実際には平和に暮らす父娘の安寧を奪い去るだけ……」
「甘い理想を掲げるものは得てして裏によからぬ実情を抱えているものですな」
渋い表情でそう告げるマザリーニ。
彼は四十数年間生きてきたが、絶対的に正しい理想を掲げて、裏もなくその通りに動いている執政者というものを見たことがなかった。
綺麗事だけで世の中は上手く廻ってくれない。
「悲しいものですね。わたくしも正しい統治者などにはなれないのでしょうね」
「私は昔から姫さまには期待しておりますがな」
此度の事件も、ダングルテールの虐殺という事件に執着するアニエスの復讐心を利用する形にならなければ、きっと難航していたことであろう。
それでもレコン・キスタの手からこの国を守るのは王女の義務。己の手を汚してでも不幸な民を一人でも救わなければならない、と心に誓うアンリエッタであった。
□暴れん坊君主 完□