トリスタニアに夜が訪れる。
夜間の犯罪を防ぐために城下町の所々にかがり火が掲げられ、夜の闇を必死に払おうとしているが、その火の光は街の奥深くまでは行き渡らない。
城下町の大部分を占める平民街では、貴族の屋敷で使われているような灯りの魔道具は使われていない。
魔道具は未だ貴族が使う高級品であり、首都トリスタニアと言えど平民街で監視もなく夜間放置していては、盗難にあってしまうのだ。
それに対して貴族街では、貴族達が己の所有する住処を周りに誇るように、灯りの魔道具がいたるところの屋敷につり下げられていた。
国が貴族街の道に置いた灯りなど、わずかなかがり火しかないというのに、王城を囲むように広がる貴族街はまばゆく光輝いていた。
その貴族街の一画、トリスタニアの徴税官チュレンヌの屋敷で、ある貴族達の密談が交わされていた。
庭に面した一室。壁には銀細工の入った室内用の照明魔道具が部屋を照らしている。
部屋の中には黄金や宝石の散りばめられた置物が、いたるところに置かれていた。この一室だけでいったいどれほどのお金が注ぎ込まれているのだろうか。
首都を担当する徴税官の屋敷とはいえど、ここまで豪華な調度品が揃えられた部屋はそうそうない。
あるとすれば宝物庫であろうが、ここは庭へと続くベランダのある開けた部屋だ。部屋の中央には大理石作りのテーブルが置かれている。
その豪華な部屋の中には、三人の男がいた。
一人は扉の前に立つ、無地のマントを身につけた軍人風の男。この屋敷の主の私兵である。
残る二人は、いかにも上流貴族といった豪奢な服とマントを身につけ、これまた立派な漆塗りの椅子に座っていた。
その二人の上流貴族の一人、この屋敷の主であるチュレンヌ徴税官は、扉の前に立つ男へと言葉を投げかけた。
「なに、あの清掃員がやつの家にとな……」
「は。娘の店に張り込んでいた者によると、店からやつの家へ向かったとのこと。おそらくやつの娘の知人かと」
部下の報告を聞き考え込むチュレンヌ。
彼は、ある事情からジャンヌの家とその勤め先を部下に監視させていた。
そして今その部下から、ある清掃員がジャンヌの勤め先から出ててジャンヌの家に姿を現したとの報告を受けていたのだ。
「このわたしを足蹴にしよって、平民と糞拾い風情が腹立たしい……」
思い出すのはあの『魅惑の妖精』亭での一件。
ジャンヌを連れてこようとしたところで平民が邪魔をして、あろうことか徴税官である自分を蹴り飛ばしてきたのだ。
その隣にいた清掃員のメイジも、部下に向けて椅子を投げつけてさらには杖を抜き風の魔法を振るってきた。
「うむ……そうだな」
平民と清掃員などというくだらない連中が、偉大な徴税官に逆らったのだ。
それがまた姿を現した。
少し考え、チュレンヌは清掃員に罰を与えることに決めた。
「その女を殺して、やつの家に死体を投げ入れろ。良い脅しになるだろう」
「承知致しました」
命令を受けた男は、静かに部屋を退室していく。
残されたのは、チュレンヌとその向かいで座る上流貴族の男。
その貴族の男は、チュレンヌに言葉を向ける。
「チュレンヌよ」
「は、法院長殿」
法院長と呼ばれた男は、手に持ったワイングラスを弄びながらチュレンヌに問いかける。
「して、やつは口を割りそうか?」
対するチュレンヌは頭を振って否と伝える。
「ただ、あの拒みようでは何かを知っているようではありますな……」
「ふむ、ではどうする?」
「やつは元暗部のメイジでありながら、今はゴミ焼きなどという地位に満足しておるようです。人を殺すのが怖いのでしょうなぁ。ならばこそ、娘に関わる人間を殺してみせて、脅しをかけましょう」
「街中ではしてやられたと聞いたが、できるのか?」
すでにジャンヌを攫うのに失敗したということをチュレンヌから聞いている。
女二人に邪魔され、その場に城下の警備兵がかけつけて動きづらくなったとも。
「あのときわたしの部下達を叩き伏せたのは平民の娘。今回狙うのはその連れのただの清掃メイジでございます。使っていたのも『エア・ハンマー』程度。抜かりありません」
「そうか。ふふ、期待しておるぞ……」
男は喉の奥で低く笑うと、グラスの中身を一口で飲み干した。
夜の小道をアンは一人歩いていた。
ジャンヌの父はなかなかの話し上手で、つい長居をしてしまった。
清掃員としての取り留めのない会話だったのが、執政の評判というものが気になるアンは彼の話に耳をかたむけ、茶を三杯もおかわりしてしまった。
ジャンヌの家を出た頃には日はすっかり落ちきってしまっている。
アンは小さな杖で『ライト』の魔法を操りながら、夜道を進む。
向かうのは、城への渡し船が置かれている隠し水路。
ジャンヌの家から水路までの道のりを半ばまで進んだ頃だろうか。
アンは己に近づく足音を聞き、その場で足を止めた。
次の瞬間、脇道から五人のメイジ達が杖を構えて飛び出してきた。
「はあ!」
メイジの一人が赤く光る魔法の刃でアンに斬りかかった。
アンは驚くこともなくそれを避けると、右手に持っていた小杖を袖の中に落とし、腰に下げていた杖剣を抜いた。
そして止まることなく流れるような動きで杖剣を振るう。
アンの杖は襲いかかってきたメイジの杖へと当たり、その杖を覆っていた『ブレイド』の魔法ごと杖を真っ二つにした。
『ブレイド』の魔法は岩をも割る。しかしアンは、ルーンを唱えることもなく杖剣でそれを切り裂いたのだ。
その間にも、他のメイジ達は杖を構えながら走り寄りアンを囲んだ。
杖を斬られた男をアンは蹴り飛ばすと、アンはルーンを口ずさみながら杖剣を両手で握り八相の構えを取った。
包囲よりわずか遠くに位置していたメイジが、アンに向けて魔法の矢を飛ばす。
本物の矢のごとく一直線に飛ぶ魔法の矢だったが、ルーンを唱え終えたアンの魔法に突き刺さり、消え去った。
アンが使ったのは『アイス・ウォール』の魔法。死角からの魔法から、そそりたった氷の壁がアンを守る。
その詠唱の素早さと氷の壁の厚さに、メイジ達はアンがただ者ではないと感じ取った。
『ブレイド』の魔法を杖に纏わせているのは残り二人。
杖剣を構えるアンは、その二人のメイジへじりじりと近づいていく。
このまま近づかれたらこちらが先に斬られると察知したメイジ達は、杖を振りかぶりアンへと斬りかかった。
杖剣を振るって二人の斬撃を叩き落とし、再び構えを戻すアン。
先ほどのようにメイジ達の杖が斬られることこそなかった。だが、メイジ二人は『ブレイド』を伝って杖に響いた衝撃から、アンが自分よりはるか上の剣技の使い手であることを悟った。
一連の動作の間、アンは呼吸の中にルーンの詠唱を混ぜていた。
空に向かって切っ先が向けられている杖剣から氷のつぶてが飛び出し、氷の壁の影から表面にまわって魔法を放とうとしていたメイジの肩を抉った。
「ぐ……」
つぶてを当てられたメイジは杖を落とすことこそなかったが、強い痛みで詠唱が中断してしまう。
近づく者は杖で捌き、遠くの者は魔法で対処する。
一対五という状況ながら、アンは襲撃者を完全にあしらっていた。
構えには一分の隙もなく、杖剣を振るったかと思えばいつのまにか詠唱を終わらせ魔法を放っている。
襲撃者はチュレンヌ徴税官の元で汚れ仕事を任されている戦闘慣れしたメイジ達である。
その彼らをもってしても、アンを殺すための糸口が見えていなかった。
こうなれば一斉に魔法を撃つか、とメイジ達が目配せをしている最中。道の陰から突如怒鳴り声が響いた。
「何をしている!」
横道から、平民の傭兵が三人かけよってきた。
いずれも女性ながらも戦なれした雰囲気を帯びた傭兵達。腰の皮ベルトには、短剣と短銃がそれぞれ一つずつ吊り下げてある。
突然の邪魔者に襲撃者達の動きが止まる。
傭兵達はアンの元へと駆け寄っていくと、言葉を交わすこともなくアンを守るようにメイジ達の前に立ちふさがる。
そして傭兵の一人、金髪の女が短剣を抜き、目にも止まらぬ早さでアンの正面に立つメイジの前へと踏み込んでいた。
「ふっ!」
剣先がメイジの右腕の肉を骨の近くまで切り裂き、吹き出す血と共にメイジの手から杖が落ちた。
傭兵達は迷うことなくアンの味方に付いた。そのことをいち早く理解したメイジの一人が、杖を傭兵へと向ける。
だが、メイジがルーンを唱え終わるよりも早く、傭兵の銃弾がメイジの肩を貫いていた。
夜の静寂に火薬の弾ける音が響き渡る。
杖を向けるメイジを前にひるまず銃口を向ける傭兵達。その正体に思い当たったメイジが、苦々しく呟いた。
「メイジ殺しか……!」
それに答えるように傭兵が引き金を引く。
銃口を向けられていたメイジは咄嗟にそれを感知し、横に飛び退いてそれを避けていた。
ルーンの詠唱という手間もなく、鉛玉を撃ち込み傷を負わせる平民の武器。襲撃者達は戦慣れしていない貴族とは違い、その恐ろしさを十二分に理解していた。
状況はいつの間にか四対五。
傭兵三人はいずれも銃と剣を使いこなすメイジ殺しで、メイジ達の標的であるアンは手練れの杖剣使いだ。
「引けい!」
メイジの一人がそう叫ぶと、メイジ達はその場から一斉に走り去っていた。
それをじっと見ていた金髪の傭兵が、他の二人の傭兵に小さな声で指示を出した。
「追え。気づかれないようにな」
指示と共に足音もなく二人がメイジ達の去った道へと走っていく。
腰に下げた短剣と銃には止め金具がつけられておらず、金具の音が鳴ることもない。
彼女達は傭兵ではない。トリステイン王女直属の隠密であった。
その隠密の長、金髪の女性アニエスは、道の真ん中に立つ氷の壁を魔法で溶かしているアンへと敬礼した。
アンは氷を溶かす魔法を使い終えると、刀身についた汚れを払うかのように杖剣を軽く一振りし、ゆっくりと鞘へと杖剣を収めた。
□暴れん坊君主□