ルイズは遠い遠い日の思い出を夢として見ていた。
それは、池の小舟で一人泣く夢。
憧れの少年に慰められ、手を差し伸べられる夢。
ルイズはその幼い日の情景を空から見下ろし一人見ていた。
少年に手を取られ屋敷へと歩いていこうとする夢の中の幼いルイズ。
それに向かいルイズは淡々と告げた。
「逃避はあなたの行くべき道じゃないわ」
その声に幼いルイズはゆっくりと振り返り空を見上げた。
――ほんとうにそれでいいの?
幼いルイズは、空のルイズへと向けてそう呟いた。
――あなたはそれでほんとうにいいの? まじょでいいの? わたしは……。
幼いルイズは少女の姿へと変わりルイズを正面から見据える。
対するルイズは夢のルイズの言葉をどうでも良いという様子で聞く。
――わたしはおうじさまに救われ愛されるおひめさまでいたい。
そう告げた夢のルイズの言葉をルイズは鼻で笑って流した。
そしてルイズは空の上から庭へと降り立ち、手を繋ぐ少年と少女の二人の元へと歩いていく。
「救われるのを何もせず待ち続ける悲劇のヒロインとか、もう古いのよ」
そう言って、夢の中のルイズの傍らにいる少年の首に腕をかけ、無理矢理少年を奪い取った。
「騎士と一緒に並んで戦うお姫様が良いの、わたしは」
腕の中の少年はいつのまにか才人に姿を変えていた。
□風雲ニューカッスル城その13~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
風韻竜がアルビオン大陸を背に空を滑空していた。
翼は広げたまま動かない。
行きよりも一人と一匹分増えた重みに加えて先の戦闘での疲労。『変身』の精霊魔法を何度も使ったのも拙かった。
シルフィードは飛びながらもゆっくりと落ちていた。
だが、向かうのは地上。落ちることにさしたる問題はなかった。
シルフィードの背の上では少年少女と魔獣達がぎゅうぎゅう詰めで落ちないよう身を寄せ合っている。
進む方向を指示するのはシルフィードの主では無く、傍らにヴェルダンデを控えさせたギーシュだ。
「ヴェルダンデ、素敵な宝石の匂いはこっちかい? おお、そうかい流石きみの鼻は優秀だね。よしシルフィードくん、そのまま真っ直ぐ進んでいってくれ」
ギーシュの指示にきゅいとひと鳴きして返すシルフィード。
ギーシュの背後では、キュルケ達がニューカッスル城の脱出直前に城の者から渡された治療薬で傷の手当てをしていた。
人間用の塗り薬が火トカゲに効くのだろうかと頭をひねりながらフレイムに塗るキュルケ。
彼女達の中で唯一まともな治療魔法を使えるタバサは、一番の重傷であるルイズに水の秘薬を使いながら治癒の魔法を使っていた。
『風』のトライアングルであるタバサ。だが『雪風』の二つ名で知られる彼女は『水』の魔法も得意としていた。
血を失い青ざめていたルイズも、治療の甲斐あって血色の良い顔で寝息を立てている。
ルイズは気絶していた。
シルフィードに乗り込みギーシュに今朝のうちに伝えていたこれからの進路の再確認を取ると、そのまま横転したのだ。
格闘の心得があるルイズだったが、流石に軍部の隊長格のスクウェアメイジを相手取るには無理が大きかった。
彼女を助けた才人は、一人無言で自分の体の至るとことにできた切り傷に薬を塗り布を当て、ルイズの荷物の中に入っていた包帯を巻いていた。
「どうしたの、サイト。だんまりしちゃって」
才人の様子を見たキュルケは、手鏡で顔が傷ついていないかを確認しながら彼に訊ねた。
才人はキュルケの方へと顔を向けるとぽつりと呟いた。
「……マジで死ぬかと思った」
「は?」
「マジで殺されるかと思った。なんだよもー剣で斬り合うってこんなに怖いのかよ! ゲームと全然違うじゃねえか。聞いてねえぞおいデルフ、デルフ聞いてんのか」
背中に背負った長剣を外すと、おもむろに手の平で鞘を叩き始めた。
才人は生まれて初めて味わった恐怖に、今更になって混乱していた。
彼が命のやり取りを体験したのはワルドと剣を結んだ先の戦いが初めてであった。
港町で傭兵を斬り捨てたときも、騎竜に石を投げつけたときも『ガンダールヴ』の力に任せるままの一方的な戦いであった。それが、ワルドという強敵を前にして初めて死の恐怖を体感した。
真剣を握ったときに覚悟していた。戦場に行くと決意し覚悟していた。
だが、当たれば即死というワルドの魔法を前にそんな覚悟はどこかに吹き飛んでしまった。
鞘からわずかに曇り一つ無い刀身を見せたデルフリンガーは、面倒くさそうに声を返す。
「うるせーなー。剣握っておいて今更怖かったとか馬鹿じゃねーのか」
「しかたねーだろーが。何だよあの髭親父の馬鹿みたいな強さは!」
そんな少年と剣のやり取りを苦笑しながら眺めていたキュルケは、サイトがデルフリンガーを鞘にしかと収めるのを見てから彼に再度声をかけた。
「サイトはこういうの初めてだったの? あんなに剣使うの上手いのに」
「そうだよ。日本じゃこんな物騒なことまず起きない」
「あら、そうなの」
「そもそもこんな刃物を持ち歩いていたら、危険人物とみなされてお縄になって牢獄送りだ」
「変わってるのね」
「治安が良いんだよ。剣なんて持っていたら喧嘩のとき殺し合いになるだろ」
魔法のない世界ならそういうものかもしれない、とキュルケは納得して才人から視線をずらした。
彼の横では治療を受け終えたルイズが眠りこけている。
ルイズは横たわりながら身をよじり、寝言を言うかのようにうめいた。
何だろう、とルイズの顔を覗きこむキュルケと才人。
次の瞬間、不意にルイズの腕が伸び才人の首を刈って彼を胸に抱き寄せた。
「ちょ、おい、ルイズ!?」
逃げ出そうとする才人だが、竜の背で暴れるわけにもいかず才人はルイズに抱えられるまま動けずにいた。
「あらあら」
起きているときには見られないルイズと使い魔の仲の良い抱擁の姿に、キュルケは思わず笑みをこぼし二人の様子を眺めていた。
ルイズが目を覚ますと、そこは竜の背ではなくベッドの上だった。
体にかけられたシーツをはぎとり身を起こすと、急な目覚めで血の回りきっていなかった頭がぐらぐらと揺れた。
頭を片手で押さえつつ、ルイズはベッドからゆっくりと降りた。
靴を履いていなかったらしく、床から伝わる木の感触を素足で捉えた。
靴はどこだ、と視線を下ろしたところで彼女は気付いた。血に塗れたドレスを着ていたはずが、いつのまにか荷物の中にしまっていたはずの服に替わっている。
床の上に置かれた自分の靴を見つけて履いたところで、ふと脚の痛みが消えているのに気付く。
ふとももに負った傷は深かったはずだ。『風』のメイジであるタバサに治療しきれるとは思えない。
ルイズは立ち上がって周囲を見渡す。木でできた素朴で狭い一室。
小さなベッド、机、椅子。椅子の上には誰かが座っている。
腕を組んで眠りこけている少年。才人だ。
ルイズはその姿を見つけると、彼の肩を掴み揺り起こした。
「サイト、サイト、起きて」
「……んあ? あー……ああルイズ、大丈夫だったか」
「ええ。それよりも、状況を説明して」
起こされた才人は目をこすりあくびをかみ殺すと、顔を上げてルイズに言った。
「ここは例のフネの中だ」
「……そう、見つけたの。じゃあ今は海の上?」
「いや、トリステインの岸辺。沈む前に漂着したらしい」
「そう。……まあ船底に穴が開かないよう落としたからそうでしょうね」
そう簡単な会話をかわし、才人は膝を叩いて椅子から立ち上がると、扉に向けて歩き出した。
「外行こう。歩けるか?」
「ええ、大丈夫」
めまいが消えはっきりした視界でルイズは才人を追う。
失った血も魔法で補われたのだろう。貧血の兆候もない。
扉を開け部屋から出ると、夕暮れの空が目に入った。
どれだけ眠っていたのだろう、とルイズは思いながら顔を下げると、開けた海岸線が視界に映った。
砂浜ではマントを着た貴族が数人と、鎧を着込んだ兵士達が何やら話している。
貴族はこのフネに乗っていた者だろう。兵士達はこの領地を治める貴族の私兵だろうか。ここはアルビオンに近い国境付近だろうから警戒も強いのだろう。
ルイズはフネを見渡し降りる場所を見つけると、フネから降りて海岸へと足を踏み出した。
浅い海の上を歩き、砂の上に足跡を残しながら兵士達の元へと進む。
そして、兵士達へと自分の名を名乗る。ヴァリエールの名を聞いて兵士達は顔を見合わせた。
兵士達と話していた金髪の貴族は、そんなルイズの方へと振り返って笑みを作った。
「おお、目が覚めたようだなミス・ヴァリエール」
「はい、お久しゅうございますウェールズ殿下」
貴族達の中心で兵士と話をしていたのはアルビオンの皇太子、ウェールズ・テューダーだ。
スキルニルが化けていた者とは違う、輝くようなブロンドに整った顔。正真正銘の王子であった。
「お困りですか?」
横目で兵士達を見ながらルイズはウェールズに訊ねた。
「いや、大丈夫だ。今、亡命の話をしていたところだよ。内乱以降こうして逃げてくるアルビオンの者は多かったらしくてね。問題なさそうだ」
ルイズに笑顔を見せながら言うウェールズ。
だが、その表情はどこか暗く沈んでいる。
「すでにニューカッスル城は総攻撃を受けたらしいね。情けないことだ。王国の最期に立ち会えずこうしてのうのうと生きているなど」
「そのことですが、ウェールズ殿下。ジェームズ陛下より書を授かってきました」
「父上から?」
ウェールズの声にうなづきを返すと、ルイズは後ろに振り返り、フネの上でこちらを眺める才人に叫んだ。
「サイト! わたしの荷物持ってきて!」
へーい、と返事を返した才人は、鞄を携えてフネから降りてきた。
才人から荷物を受け取ったルイズは、鞄の紐を開け中から金のあしらわれた黒塗りの筒を取り出す。
筒の先端をひねると蓋が取れ、中から筒状に巻かれた羊皮紙が飛び出す。ルイズはその羊皮紙を取り出すと紙を広げて両手でウェールズに差し出した。
それを受け取ったウェールズは、紙に書かれた文を読んで苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「父上……」
「陛下から承ったアルビオン王国最後の指令。それはただ一つ。『アルビオン王家の血を絶やすな』です」
ルイズはウェールズの顔を真っ直ぐ見据えながら言った。