魔女二人は薄暗い室内で釜をかき混ぜる。
魔女とは学院に名だたる『魔女』のルイズ。そして数多くの禁制の秘薬の作り方を知る『香水』のモンモランシーであった。
二人はやがて完成した魔女の秘薬を前に、笑みを浮かべた。
「これが精霊の涙を使った幻の薬……」
「ええ、文献を調べに調べてようやく見つけた、先住の力を得た禁断の秘薬よ」
「ばれたら大事ね」
「ばれなければいいのよ。でも、水の精霊の加護を得た秘薬。効果は保証付きよ」
三角フラスコへと入れられた空色に輝く薬。それをモンモランシーとルイズはうっとりとした目で見つめた。
そして、ルイズは棚からコップを一つ取り出し、水差しでそこに水をそそぐ。
モンモランシーはそのコップへとフラスコの中身を傾ける。
「少しだけね。一度に全てを使う必要は無いわ。少しずつ使えば良いのよ」
「解ってるわ」
ルイズとモンモランシーはそう言葉を交わし、淡い水色となったコップの水を前に黙り込む。
夜の沈黙が二人を包む。
やがて、二人の魔女のうちの一人がぽつりと呟いた。
「どっちが先に飲む?」
そして二人同時に顔を上げ、視線をかわした。
「チェスで決めるのはどうかしら?」
「ルイズにわたしが勝てるわけ無いでしょう! くじで決めましょう」
「くじね。紙くじでいいかしら」
「もうちょっとおしゃれなのはないの?」
「この部屋を見渡してからそれを言って欲しいわ」
そう言いながらルイズは紙を用意しようと席を立とうとする。
そのとき、突然部屋の扉が開いた。
「ふぃー、良い湯だった。異世界に来てまで風呂に入れるとは思わなかったなー」
はたして誰に言っているのか、そんなことを呟きながら才人が入ってくる。
ここは寮のルイズの自室。そしてそこに住む才人は、ノックをするというデリカシーが無かった。
突然の来訪者に、二人は心臓が跳ね上がりそうになる。
だがそれがトリステインの秘薬法など知らない才人だと解り、ほっと胸をなでおろす。
「あ、モンランシー来てたのか」
誰がモンランシーよ、と言おうとしたモンモランシーだが、言葉が詰まり声を出せなかった。
才人が机の上の秘薬が入った水を手に取ったからだ。
「ちょっと汗かいたから水もらうなー」
才人は手に掴んだコップを一気にあおった。
□正しき少年の日々その1~わたしのかんがえたかっこいいるいずさま~□
モンモランシーは、目の前の光景に絶句してしまった。
なぜだ。なぜこんなことに。
「なんで……」
身体の底から振り絞るようにして、彼女は声をなんとかあげた。
「なんで豊胸剤で身体がちっちゃくなるのよ!」
秘薬を飲み込んだ才人は、モンモランシーの腰ほどの大きさの幼子に変わっていた。
なぜこんなことになったのだろう。
始まりは、家のつてで最高級の秘薬の素材、『精霊の涙』を手に入れたことだった。
秘薬作りを生業とするものにとっては、究極の調合材料。
これをいかなる用途に使うか。モンモランシーは『賢者』のルイズを頼った。
珍しい材料を見て目を輝かせるルイズ。そして導き出した答えは、水の精霊の力を借りた『豊胸剤』であった。
毎日少しずつ飲むことで、誰にも悟られることなく胸を大きくする。そのはずだった。
それが、どういうことか、一人の少年を幼児へと変えてしまった。
「って、何で服まで小っちゃくなってるのよ!」
モンモランシーは絶叫する。
「それは……その、精霊の力じゃないかしら」
そう曖昧にルイズは答える。
「何でもかんでも精霊の力って、小説じゃないんだから!」
「でも、先住魔法には『変身』なんて凄いものがあるし、人体も服も結局は土に帰る似たようなものだし、それに服の素材は動物の毛に綿花に虫の糸よ?」
「う、まあ、それは良いとして、豊胸剤がこんなことに……」
モンモランシーはフラスコにまだ大量に残った秘薬を眺める。
これは胸を大きくするための薬。間違っても美貌を保つための若返りの薬ではないのだ。
「ほら、男の人の胸が大きくなるのっておかしいでしょう。文献には女性が飲んだ場合の効果しか書かれていなかったし。だから効果が反転して、身体が小さくなったとかじゃないかしら」
「そんな無茶苦茶な……」
あまりの事態にめまいのする頭を抑えながら、モンモランシーは小さくなった才人を見る。
少年の才人と同じような、つんつんした黒髪。
独特の黄色い肌は日焼けがなくなりわずかに薄くなっている。
そして、大きな瞳をくりくり動かしながら、周囲を見渡している。
彼も状況を掴めていないのだろうか。
とりあえず話しかけてみよう。そう思った瞬間、部屋にノックの音が響いた。
「ミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 麗しきミス・ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール!」
続けて風邪を引いたようながらがら声が部屋に響く。
ルイズの愛の奴隷、マリコルヌである。
突然の来訪者に、モンモランシーは慌てふためく。
「ど、どうしましょうルイズ!」
「……慌てないでモンモランシー。部屋の外で話を聞いてくるわ。大丈夫、部屋には一歩もいれさせないから」
そう言ってルイズは部屋の扉へと歩いていく。
そして扉を開けると、入り口を塞ぐようにして立つ。
「なんの用?」
「おお、ルルララヴァリエール今日も霜降りのガリア牛の様に美しい」
「な・ん・の・よ・う?」
「うむ、それなんだがね」
マリコルヌはポケットから布きれを取り出した。
「サイトが浴場に手袋を忘れていってね」
サイトのやつ、外すなって言ったのに。そうルイズは心の中で舌打ちをした。
「だから僕がはるばるこうやって君の部屋まで訪れたということさ」
手袋を用があったのは本来サイトに対してなのだが、そこでルイズを呼ぶのがマリコルヌのマリコルヌたるゆえんであった。
「そう、ありがとう。帰って良いわよ。というか帰りなさい」
「そうしよう。……おや、ルイズ。その子は一体」
「その子って、え、あ、こら!」
ルイズの後ろにはいつの間にか小さくなった才人が来ており、ルイズの身体の隙間から部屋の外へ頭を出していた。
才人はきょろきょろ頭を動かし廊下を眺める。
「ど、どうしたんだい。その子は。どことなくサイトに似ているけれど……は、まさかサイトと種付けして子供を!」
「んなわけあるか!」
ルイズはマリコルヌの言葉に、全力で足払いをかけた。
廊下の上に豪快にマリコルヌが倒れ落ちた。
だが彼はその傷みにも負けずにさらに言葉を続ける。
「じゃ、じゃあもしや麗しきミス・フォンティーヌが妊娠出産した子供を預かって……」
「それも違う! というかこの前までちいねえさま学院にいたでしょ!」
ルイズが倒れるマリコルヌの頭の上で腕を大きく振るうと、マリコルヌの背後で爆発が起き、彼は廊下の上を二転三転と転がる。
その様子を眺めていた小さな才人。
マリコルヌの必死な表情を見て、才人は笑い出した。
「あははははは、るいずおねーちゃんあのぶたさんおもしろーい」
「おねっ……!」
「ああ少年そんな可愛い顔で罵声を浴びせるのはやめて! 僕そっちのケはないから! 目覚めちゃう!」
「ってあほか!」
さらにルイズはマリコルヌに爆発の魔法を浴びせた。
床板が衝撃でわずかにはがれ、埃が廊下にまき散らされる。
背の小さな才人は、その舞い上がった埃をまともに顔に浴びてしまった。
「えっくち!」
埃を鼻に吸い込んでしまい、可愛らしい仕草で才人はくしゃみをする。
その次の瞬間、マリコルヌは小さくなった。
部屋へと戻ったルイズ。
いつの間にやら子供は一人から二人へと増えていた。
「……これ、マリコルヌかしら。風上の」
部屋の奥で一人待っていたモンモランシーは、ルイズが入り口から連れてきた金髪青目の幼児を見てそう言った。
「感染った……」
先ほどモンモランシーがそうしていたように、ルイズは頭を抱えてうめいた。
風上のマリコルヌ。良く言うとぽっちゃり、悪く言うとデブの彼は、水の精霊の加護か何かか、余計な脂肪が取り払われた状態で幼児へと変わっていた。
顔の脂肪で薄目がちになっていた目はぱっちりと開き、柔らかそうなもちもちの肌はそのままにぱわわんとした顔をルイズに向けていた。
「マリコルヌって痩せたらこんなに可愛かったのね……」
そんなマリコルヌの幼い顔を見て、モンモランシーは素直な意見を述べた。
「あのね、わたし昔何回かマリコルヌに会ったことあるの。家の付き合いでね」
マリコルヌの頬を突っつきながらルイズは言った。
「その頃のマリコルヌはちゃんと痩せていて……ああ、これよりは少し大きな歳の頃よ。普通に美形で使用人達の人気も高かったの」
「それが何であんな豚に」
本人を前にしてマリコルヌを豚と呼ぶモンモランシー。ルイズに感化されていた。
「そこまでは知らないわよ。まあ下手に美形なのよりは太っていた方が殴りやすくて良いんだけど」
そう虐待前途で話すルイズ。
彼女は既にマリコルヌに対し悪い意味で遠慮というものがなかった。
秘薬の被害者がまた増えたか、と改めて頭を悩ませる二人だったが、またもや部屋にノックの音が響いた。
「ああもう! 今度は何!?」
先ほどとは違いルイズを待たずして部屋の扉が開く。
あまりの事態に動転して鍵を閉め忘れたのだ。
部屋の主の歓迎を待たずに部屋へ足を踏み入れたのは、大きな杖を片手に抱えたタバサであった。
「薬。もう出来てると思って」
共犯者の一人の登場である。
実はタバサも秘薬作りに一枚かんでおり、入手が困難な高所の薬草を使い魔のシルフィードに乗って調達を行っていた。
調合は今夜実行。それを聞いていたタバサは、こうやってルイズの部屋までやってきたのだ。
だが、タバサは、部屋に見知らぬ二人の子供がいるのを見て警戒を深めた。
この場にはルイズとモンモランシーの二人しかいないはずだ。才人も調合の間は外に追い出すと言っていた。
タバサは杖を構えたままルイズ達の元へと歩いていく。
そして、ルイズのマントを掴んできょろきょろと辺りを見渡している金髪の男の子の顔を覗きこんだ。
「……可愛い」
タバサの反応は、素直なものだった。
タバサは杖を脇へと抱え、金髪の男の子の肩を両手で抱きかかえる。
「持ち帰っていい?」
「駄目だから! それマリコルヌだから!」
マリコルヌ、と聞いた瞬間タバサは腕の中の男の子を全力で突き飛ばした。
軽い幼児の身体は力の弱いタバサの突き飛ばしすらもこらえることが出来ず、部屋の床板の上を転がっていった。
マリコルヌは一瞬何が起きたか理解できず仰向けになりながらぽかんとした表情を浮かべる。
そして。
「びぃえええええええええぇぇぇぇん!」
肩と背中の痛みに、泣き出してしまう。
「あ……」
タバサは咄嗟にとってしまった行動に、しまったと眉をひそめた。
いくらマリコルヌでも子供相手にやりすぎた。
泣き続けるマリコルヌに、同じくらい小さな才人がかけよっていき、よしよしと頭を撫でた。
腹の底から鳴き声を上げていたマリコルヌは、才人の介抱の手にやがて泣き声を止めるマリコルヌ。
そして、むっくりと上半身を起こすと、涙目でタバサの方を見つめる。
「ひどいやたばさおねえちゃん……」
目を潤ませながら涙声でマリコルヌはそう言った。
それを聞いたタバサは、ルイズとモンモランシーの方へと振り返る。
「……持ち帰っていい?」
「いや駄目だから!」