日本棋院 対局室
「ここでのオサエは後にした方が良かったな」
「こっちを先にツケたら」
「でもそうするとここがこう来て黒が損するし。ハサんでもトバれて流れが難しくなるし」
「なるほど」
芹澤九段の研究会でヒカルが芹澤と対局した後の検討の一コマ。
なぜヒカルが研究会に出ているかというと。
「進藤」
「緒方さん」
手合の帰りに緒方に話しかけられていた。
「どうやら立ち直った様だな。近くの喫茶店に寄らないか?」
喫茶店で緒方の奢りでケーキセットを食べていると爆弾発言が出てきた。
「来年には結婚する。相手には同意してもらったが、棋戦が詰まっていて日時は未定だがな」
「なんでそんな事をオレに言うんですか?」
「佐為が消えた時のお前の様子を見て、オレもアイツが居なくなったらと思うとな他人事ではなかった。
それで後悔しない内に告白した。進藤のおかげで自分の心を見つめ直せれたから報告したんだ。
日にちが決まったら招待状を出すからお前にも来て欲しい。それに今言った様に婚約の切っ掛けの礼をしたくてな」
「礼なんて関係ないよ」
告白の切っ掛けとは言え他人には言えないし恋愛事情に口を出すのは鬼門だと鈍感なヒカルにも解りきっていた。
それでも緒方は一枚の名刺をヒカルに渡した。
「芹澤九段の名刺だ。本因坊リーグの常連で他のリーグ戦や最終予選にも出ているトップ棋士の一人だ。毎週月曜日に研究会を主宰している。紹介するから出るか?」
「うん。出るよ」
緒方の言葉に遠慮を忘れ喜ぶヒカル。
特に本因坊に関係がある事が嬉しい気遣いだ。
「ついでに桑原のジジイにも話しておいた。気が向いたら相手してやってくれとな。
年寄りだから研究会などはもうやっていないから気楽に相手してもらえ」
タイトルホルダーに何を言っているかと思いながらも緒方の配慮に感謝してこの日初めて研究会に参加したのだ。
「本当に緒方くんの言うように面白い棋風だね。何よりヨミが鋭い、これからも宜しく進藤くん」
「ハイ。お願いします」
夏休み進藤が新たな修行場所を得たのだ。これはまだ日程が未定だが塔矢アキラとの名人戦予選一回戦を控え有りがたい緒方からの褒美であった。
「全く今年の新入段で塔矢アキラと同年齢のまだ中学生とは末恐ろしいですね、芹澤さん」
「緒方さんによると囲碁を覚えて二年足らずらしい。経験不足だから公式戦でどこまで打てるかは見ないと評価は控えるけど将来が楽しみなのは確かだね」
「倉田くん並みの成長だね。これはうかうか出来ないのが増えてきたな」
二学期理科室
葉瀬中囲碁部には、将棋部の指導に向かう途中で安全牌と思っていた筒井がGFと歩いている姿を見た加賀の八つ当たりで入部した二人を含め三人の部活と、一学期までの華やかさが無い所に今日は大会前に三谷と仲直りしたヒカルが偶に行う指導する日であった。
「進藤先輩お願いします」
「将棋部でないんだからそこまで畏まらなくて良いよ」
「でも先輩はプロだし」
「それを言うなら小池は部長だろ。もっと自信を持ちな」
そう言って三面打ちを始めて指導を行うヒカルの顔は決して遊びではなかった。
「皆は棋譜並べといかなくても、詰碁集を解いたりしても勉強になるからこれを読んでみたら」
「悪いですよ。高いですし」
出された本を見て首を振りながら遠慮をする小池。
「もう、何度も読んだから気にするな」
笑いながらそう言って押し付けるヒカルに躊躇いながら受け取ると、本当に使い込んだ様子からプロとはこれほど勉強するのかと尊敬して冬の大会には頑張ろうと思ったのだ。
「あかりとも一緒に帰るのも久しぶりだな」
「ヒカルは囲碁の勉強や手合で休んだり早退が増えたし、私は成績が悪くて塾も頑張らないといけないから時間が合わないもの」
そう寂しく言うあかり。
「だから夏休みに誘いたかったけど広島に行って来る時には諦めた」
「広島?」
「因島。本因坊秀策記念館と虎次郎の墓がある所。若獅子戦で塔矢と打ったと改めて報告をしに行ったんだ」
「秀策……」
「大丈夫。佐為の事はまだ辛いけれど耐えられるから。あかりも居るし」
「えっ?」
最後の方は小声であかりには聞こえなかったようだ。
「それで一人で行ったの?」
「いや、とうさんに見つかって一人は許さないと何故か河合さんととうさんの三人になったよ」
苦笑いしてそう答えるヒカル
「それに河合さんが広島の碁会所で巨人のネタを振ったおかげでトラブって代わりに打ったら、相手は今年の世界アマ大会の日本代表で本番前に鍛えるからもっと打たせろと言われて離してくれなくて酷い目にあったよ」
「へ~」
あかりも言葉が無かった。
「それからとうさんたちは地酒が目的だけどついでと九州の囲碁神社に行ったし、それで勝負の神だから無関係ではないだろうから遅くなったけど」
そう言って合格祈願だとお守りをあかりに渡したのだ。
「わざわざありがとう。嬉しい」
そう言って喜ぶあかりが何もお礼が出来ないと残念がっていた。
「気にしなくて良いよ。それよりも時間が有れば明日の塔矢との一局の前にピリピリする気持ちを落ち着かせたいから打たない?」
「うん。良いよ私も打てるなら嬉しい」
「今日は森下先生の所には行きたくないし助かるよ」
「行かないの?」
「連絡もしたから大丈夫だよ」
次の日早くから日本棋院に向かうヒカル。
この日は冴木、和谷と森下門下も出席していた。他には越智や冴木の相手の芦原、和谷の相手の真柴も見えていた。
そして、この日は和谷から全勝を重ねていた伊角がプロ試験合格を早くも決まるという幸先の良い話題をヒカルは聞いた。
また森下、和谷の研究会で最近多く打っていた冴木もヒカル相手に負けが増えていたが、それでも実力が上がってきていつもは天然の芦原も馴れ馴れしく近寄って来なかった。
それは既に冴木と実力差があると無意識に認めているのだ。
遂に始まる対塔矢戦
「若獅子戦以来だな」
「座間先生との一局を見たぜ。惜しかったな」
「元王座だ一度の対局で倒せる訳は無い。だが二度目は違う」
「オレも同じだ。若獅子戦と同じと思わない事だ」
宣戦布告の後二人の対局が始まった。
ヒカルが黒で始まる対局は早碁とばかりの展開の速さを見せる。
(高段の棋士と変わらぬ手応え。前回がマグレでは無いこの対局がキミの実力。大会の三将戦の失望はもう無い)
(強い。少々の不利な形勢を無視して勝利を引き寄せる力はまだオレには悔しいが無い。だが塔矢それでも勝つ)
(まちがいない。キミはボクの永遠のライバル)
勝利の天秤の傾きが頻繁に入れ替わりどちらが勝つのか中々読めない。
それでもヒカルが徐々に押し込まれる。
最後まで諦めず打ち切った結果は黒の二目半の負けであった。
その後の検討で冴木や和谷も混じり白熱した物となる。芦原も流石にこの棋譜の前に軽口は立てずに真剣に参加していた。
ある意味森下門下を真剣に芦原が意識した瞬間とも言える。
駅前 塔矢行洋経営の碁会所 囲碁サロン
「桑原の爺さんとこの前打った棋譜がこれ」
アキラの目の前でヒカルが碁盤にそう言いながら石を置いていく。
「進藤。桑原本因坊を爺さんは無いだろう」
「緒方さんはジジイ呼ばわりだし本人が本因坊より爺さんが良いと言っているし」
「全く」
ヒカルの言葉に呆れたようなため息を吐くアキラ。
だが碁盤を見つめる視線は鋭く真剣だ。
名人戦予選対局後にこうしてヒカルは囲碁サロンでアキラと会って検討や対局を行うようになっていた。
「塔矢みたいに公式戦で高段者と本気で打ち合えるのはいつになるのか」
「公式戦とは言わなくてもこうして桑原本因坊と対局できる棋士はそう居ないから感謝しないと」
「そうだけど」
緒方からの言葉があったとはいえ、ヒカルの実力を認めたからこそ何度も桑原は若返りと称して対局していたのだ。
そのヨミの鋭さから芹澤もまた棋譜の検討を研究会以外でも行ったりしていた事の重大性を自覚していないヒカルにアキラは首を振る。
だが検討はそれとは別に真剣に始めていた。
徐々に議論が白熱していく様子に北島を始めとした見物の常連客はそろそろ何時もの状況と逃げ出していく。
始めこそ互いの石の見落としを指摘しあっていたのが何回感心しただの、見落としただのと子供のケンカレベルになってヒカルが帰ると言うパターンが早くも定着していたのだ。
「せっかく、サインの続きを書いてやる言ったのに断るから負けたんだ」
「それ関係ないから」
この日棋院近くのラーメン屋で再びヒカルと倉田が出会い、以前一色碁を行った碁会所で普通の碁で再戦をしていた。
周囲には当時を知っている客が集まり様子を眺めながら感心していた。
「個人的なサインはそれほどでもないが囲碁部には倉田さんのサインは欲しいかも」
「プロの進藤が囲碁部?」
「院生前は囲碁部に少し所属していてね、それで部員が少ないからプロからサインを貰えるような部だよと宣伝出来たらよいかなって」
「勝てたら考えてやるよ」
「11月の文化祭で何かアピールして部員獲得と行きたいが一年の時の劇でも集まらなかったし」
無駄話をしながらでも対応に間違いなく打ち合っている姿に客も感心半分追いつくのに必死が半分と言ったところか。
「ありがとうございました」
結局サインの獲得はならなかったようだ。
「進藤の中学は?」
「葉瀬中だけど、サインをくれるの?」
「聞いただけだよ」
倉田の言葉にガッカリして家路につくのであった。
あとがき
原作の初対局(こちらでは2回目)シーンとヒカル強化フラグでした。
三谷との関係改善で受験に関係ないヒカルは部に顔を出したりします。
加賀の八つ当たりはアニメの最終回のあのシーンが指導に向かう途中という事で補完して下さい。
尚緒方の婚約者はオトナの私生活とアオリのあった女性です。
文化祭は本能寺の劇と院生試験前の退部から10月の様な気もしますがここでは11月にしました。