水曜日 手合い日
この日は越智と一緒の手合いがある日で入り口で出会った。
「進藤にしては早いな」
「越智こそ相変わらず送り迎えの車で余裕だな」
メガネをクイッと上げて語る様子は和谷などは生意気などと嫌うがヒカルは全く気にもしていなく平気で話しかけるのだ。
塔矢アキラを通してヒカルを意識する越智にはそれが腹立たしかったりもする。
「それで越智の今日の相手は?」
「大手合で次郎丸二段」
「次郎丸? 苗字、名前どっち?」
「次郎丸康子。ボクたちより2期上の18歳の女性だ」
ため息を吐きながらもう少し碁界の事も調べろとどちらが年上か判らない会話をしていた。
「それで進藤の相手は?」
「王座戦一次予選で真柴二段」
「ふ~ん、なら進藤は楽勝か」
「誰が相手でもやってみなくては解らないよ。一手読み間違うだけで引っ繰り返る事もあるし」
そのまま対局室に入り時間となる。
この日は京都で買った扇子を始めて持つ日でもある。
(全く新入段なのにこのヨミの深さは何だ?!)
序盤から模様を崩されて囲碁にされない真柴は戦慄した。
それでも一期先輩で昇段したばかりとは言え曲りなりにも二段が初段相手に無様な負けは出来ないと足掻いた。
中盤から盛り返したがそれでも実力差を覆す事が出来なかった。
「負けました」
「検討をする?」
真柴の投了発言の後に発したヒカルの言葉に悩んだが、プライドを捨てても相手の考えを盗まないと強くなれないと思い直し了承した。
「なぁ、和谷の友人ならオレが院生仲間から嫌われているのを知っているだろう。何故検討しようなんて言ったりしたんだ」
「和谷は関係ないよ。結構面白い碁を打ったから興味が出たんだ」
「面白い……」
今まで下手とか弱いとか若手仲間からも言われていたが面白いと言われたのは初めてだった。
ヒカルの勉強を聞いてみると秀策の棋譜並べを基本に和谷の師匠の森下九段の研究会にも出ているという話だった。
そして真柴の方は師匠の所と話してから中韓の棋譜も検討していると言った途端に目を輝かせて入手方法を尋ねるヒカルに思わず引く程だった。
そしてその好奇心と毎日の棋譜並べを苦にしない性格が強くなった理由かと漸く納得した真柴だ。
検討も終わり今までの鬱屈した気持ちが少しは晴れた真柴と別れたヒカルは丁度飛び出していった越智を見かけたのだ。
負けたのかと思い敢えて声を掛けず残った盤面を覘いたのだ。
「うん? どうした」
対局者の次郎丸が尋ねてきた。
「勝ったんですか」
「まあな」
「見ても良い?」
「どうぞ」
モデルみたいな長身で長い髪をそのまま流し外見は女性らしく美人だが、短い会話でも判る男らしい性格のギャップに思わず笑いそうになたが何とか堪えるヒカルだった。
そのまま碁盤を見た所は越智の地を作る前に速攻で攻められて形になる前に次郎丸の白に殺されている姿だった。
「ねえ、下で一局打つ?」
ヒカルの意外な言葉に目を丸くし、そのまま面白い奴と思い同意していた。
「じゃあ、邪魔されない様に隅で打つ?」
「うんいいよ。そういえばここで元学生三冠の門脇さんとも打って、今年プロ試験を受けると言っていたな」
「へえ、門脇ねぇ」
座席に着くとき本当に思い出したかのように言うヒカルに人脈が広いなとも思った。
「そう言えば自己紹介がまだだった。進藤ヒカル初段今年の新入段で越智と同期」
「あたしは次郎丸と、知っているか。しかし、二年しか経っていないのに進藤くんに越智くんと顔の知らない院生出身がプロとは年寄りになった気がするよ」
そのままニギッてヒカルが黒になり打ち始めた。
(今回も早い。そして力碁で今まであまり見ないタイプだ)
(なんて奴。こちらの攻めを受け流して主導権を握れない)
気が付くと攻めていたはずが最初の石が死んでいた。
(これはっ!)
進藤得意の打ち回しで石の働きを化けさせる黒石の働きだった。
それもプロ試験で見抜かれて苦戦した越智戦の経験からより巧妙になっていたので次郎丸も気が付かなかったのだ。
(だがまだまだ)
それでも攻め続ける次郎丸。
だが中央が左辺が分断され白が防戦に回っていく。
下辺右隅がそっくり黒に取られ遂に防戦一方となっていく。
「進藤の奴遅いな」
和谷は特に約束していなかったが手合いが終わったら話しをしようと思っていたのに出てこないので棋院に入る事にしたのだ。
進藤の勝利を確認して空席だったので階段で降りて各階確認しようとしたら2階の一般対局室で見慣れた前髪を見付け近寄ったら院生仲間だった次郎丸との対局中だった。
その複雑な盤面に和谷は声が出ない。若獅子戦から又強くなっていると、そして相手の実力にも。
そしてしばらくすると投了となった。
「あれっ。和谷じゃない。今日は手合は無いけどどうした?」
「おー、和谷くんじゃない。久しぶりだね」
今までのピリピリした対局は何だったという二人の呑気な台詞に思わず脱力する和谷。
「どうしたって、進藤に話があって探したんだよ。で何でこんな所で次郎丸さんと打っていたんだ」
「うん。越智との対局が面白かったから打ってもらうように頼んだんだ」
扇子を掌に軽く叩きながら何でもない様に言う。
「お前も大概に図々しいな」
そう言って呆れたようなため息を吐き、その時にヒカルの扇子に気が付いて聞いてみる。
「これ? 修学旅行で京都で買った」
和谷に見せる様に持ち上げ軽く言う進藤が何故か眩しく想えて何も言えなかった。
「やれやれ、修学旅行とか聞くと本当に年取った気になるよ」
首を振りながら楽しそうにそのまま立ち上がって次郎丸は立ち去って行った。
「それで話って?」
「いやもう今日は遅いから日曜にでもオレのアパートに来てくれ」
「和谷のアパート?」
「お前は昨日森下先生の所に来なかったから話をしていないが今は一人暮らししているんだ」
「へ~っ」
「地図を描いてやるから来いよ」
「日曜ね。わかった」
日曜日 和谷アパート宅
「修学旅行で不戦敗か。何か意外だな」
「伊角さん、それだけではないよ。学校の囲碁大会で見学に行ったりその前にも部活で指導したり余裕が出来たみたいで却って手強くなっているよ」
そう言いながら待っているがヒカルが中々やって来なくて和谷がそろそろイラついてきた。
「進藤の奴は携帯が持っていないし、迷ったか、忘れたか?」
そう言った時にタイミングを計ったかの様にインターフォンが鳴る。
「遅いぞ進藤」
「アパートの名前が間違っているから迷ったんだ」
「へっ?」
良く見ると確かにメモった地図にはコーポではなくメゾンになっていた。
「進藤久しぶりだな」
謝りながら中に案内すると伊角が待っていた。
「伊角さん! いつ帰ったの?」
和谷をほっといて伊角の下に駆け寄るヒカル。
「今週だ」
苦笑しながらも答える伊角。
「それで進藤。伊角さんにも話したが」
「毎週土曜日にね。OKだよ」
和谷のアパートで毎週若手の研究会があり院生の本田や小宮。プロでは冴木さんや岡田さんが参加すると教えられ、やる気になる進藤。
「ねぇ和谷、次郎丸さんも呼ばない?」
「げっ」
和谷の様に声を出す事は無かったが伊角も渋い顔だった。
「伊角さんも嫌がるとは珍しいね」
「男っぽいと言えば褒め言葉だがそれに加えて桜野さん並みの押しの強さに皆負けてね」
「特に和谷は気になる女の子を取られたりしたしな」
和谷のしみじみとした台詞に伊角が茶化したりもした。
「まあ奈瀬も他に女性陣が居たら参加しやすいから一度声を掛けるか」
ため息を吐きながらも同意する和谷。
「でもあれだけ強いのに全然知らなかった」
女流の大会ならそれなりに行っているが、若獅子戦はプロ初年の一昨年は2回戦が倉田さん。
去年は冴木さんで今年が塔矢と2回戦で負けているから進藤は知らないんだとも和谷に言われたりした。
女流枠ではない一般枠での入段だから本当に実力はある。
奈瀬も女流枠もあと一歩でオレと同じで中々入段出来ないから焦る気持ちは解るとは伊角である。
「それで進藤。オレの為にも一局打とう」
「伊角さん?」
「去年のプロ試験…… ハガシの反則で投了した進藤との一局。もう一度打ち切り改めてスタートとしたい」
「わかった。オレも伊角さんと打ってけじめを付けたいと思っていた」
和谷だけが見ている中もう一度プロ試験の再開が始まった。
ただし、両者は共に一年前から遥かに実力が上がっており、和谷も置いていかれてなるものかと必死に盤面を見ていた。
投了後に中国での練習や中国棋院での棋士の生活を聞いたり実際に打った棋譜を並べて三人で検討したりと時間が経つのも忘れて夕日が眩しくなってようやく中断してヒカルが帰る事になった。
「しっかし、門脇とも打っていたとはな」
「ゴールデンウィークの最後にか」
「若獅子戦で越智にも勝ったし、次郎丸にも手合日に後から打って勝っているし成長が未だに止まらない」
「和谷、俺たちも負けれないな」
「あぁ!」
最後の和谷の返事には決意だけでなく苦味も混じっていた。
「これからメシに行くか」
「伊角さんの奢りで?」
「和谷の方が稼ぐようになっているんだ、割り勘だよ。中華は飽きたから和食だな」
最後に二人はアパートを出て行ってこの日は終わった。
あとがき
不遇な真柴君の昇段時期が不明だから若獅子戦後と優遇してあげました。
北斗杯後には二段は確かですから。
低段者のキャラが不足しているから某少女マンガからゲスト出演。
女流棋士で北斗杯の一次予選の和谷の相手もいるけれど名前が不明なんですよねぇ。
伊角さんも資金不足で少し早く帰ったようです。