墓参りから3日後 日本棋院
塔矢アキラが対局室で待ち構えている所に進藤ヒカルが現れた。
声を掛けようとしたがヒカルの顔を見た瞬間にその気持ちが失せたアキラである。
それほどの今までとは別人の様な厳しい表情をしていたのだ。
そして、手合が始まり打ち掛けで進藤が席を外した時、アキラと和谷がその盤面を見た時対局相手の三段が聞いてきた。
「彼は今年の新入段ですよね。なぜこれだけ打てるんです」
その言葉の通り三段の黒の地を序盤から分断して荒らしまくっていた。
その強さは確かだが、森下研究会などで対局数の多い和谷には違和感の残る強引さの目立つ棋風であった。
そう、門脇が強さを認めても一年前の感動を得られなかったと内心思っていた碁がより顕著になっていたのだ。
次の日の職員室
あかりが日直で入ってくるとヒカルが社会科の教師に話し込んでいるのが聞こえた。
「ひだりの左にための字で為の佐為ね。平安貴族で天皇の囲碁指南か。いつの時代かを調べてねか。
まあプロになって試験は関係無いから良いか。大学の日本史の教授の友人も使ってみるから待っててくれ」
思わず振り返ったあかりの目には思い詰めたヒカルの表情が映っていた。
そのヒカルを見てあかりは決心した。
更に2日後。第十回若獅子戦。
進藤ヒカルは一回戦、二回戦を危なげなく勝ち進んだ。
危なげなくというよりも力の差を見せつける様な力碁であった。
今回も進藤の碁を見に来ていた緒方は終了後有無を言わさず引きずり出していった。
その様子に塔矢も和谷も他の出場者もポカンと見送ってしまった。
「あの棋譜は何だ? 先日の新幹線だけでない、去年の若獅子戦の方がワクワクさせたぞ」
RX-7の車上で緒方は聞いてきた
「オレは楽しんだらダメなんだ。天才の佐為の弟子として負ける訳にはいかない」
ヒカルのそんな歯を食いしばるような告白を鼻で笑い、自惚れるなと返した時に緒方のマンションに着いて部屋へ誘っていた。
「ニギリな」
そのまま碁盤を用意しヒカルを促す緒方。
「進藤が白か。始めるぞ」
打ち始めるがタイトルホルダーの緒方相手にヒカルが本気になっても簡単に勝てる訳は無い。
次々と緒方の黒に対し次の一手を読み切ろうと流れを見ていると突然涙があふれてきていた。
(佐為が居た。心を殺していたら見えなかった佐為がここに)
ヒカルのその様子を見てこれで大丈夫だと緒方も判断した。
「緒方先生。オレも楽しんで打って良いんですね? 佐為を呼び出すのには自分で打たねばいけないんですね」
「オレは逆に塔矢先生からの棋風から逃れる為に悩んだがな」
そう言って、いつかは師匠を越えるがそれでも時には碁盤で師匠に問う事も有る。
対局は手談とも言って一手一手が対局者との会話であり心をさらけ出すものだと語る。
棋風が変わっても師匠の影が見えてオレも悩んでいたがお前も佐為の影に捕らわれるなよと警告していた。
「続きを始めようか」
最後に緒方はそう言って再開した。
(ここからが本番か。生き返った進藤は手強いな)
それでも緒方は中押しで勝ったのだ。
「緒方先生ありがとうございます。おかげで目が覚めました」
「お礼を言うのならガールフレンドに言うんだな」
「ガールフレンド?」
「藤崎と言ったか、わざわざ棋院にやってきてお前が壊れそうだから助けてくれとやって来たんだ。感謝するんだぞ」
「あかりが……」
「ほら、心配しているだろうから帰りな」
そう言った時インターフォンが鳴ったのだ。
「緒方さん、進藤は?」
出てみると案の定アキラだった。
汗まみれで肩で息をする様子で走ってきたのは明らかだった。
「ずいぶんと急いだようだな」
「一度囲碁サロンに行って居なくてそれならと、携帯の電源も切れているし」
「何を心配しているか知らないが居るぞ」
その時後ろから進藤が出てきた。
その目の輝きを見て立ち直った事を理解したアキラ。
「塔矢。オレは逃げない」
それは宣言だった。
「ずっとこの道を歩き、未来へ進む。待っていろ」
「追ってこい進藤」
ここに改めて二人のライバル宣言がなされた。
「進藤は早く帰れ」
そこで緒方は二人を追い出すのだ。
『彼女の事を忘れるなよ』
すれ違いざまにボソッと言われた言葉に真っ赤になるヒカルを訝しげにアキラは見た後に緒方に視線を向けるといたずらに成功した子供の様な顔をしているのを確認して、玩具にされているなと悟り同情をしたがその反応も込みで緒方は笑ったりもした。
その隙にヒカルはそのまま逃げる様に去って行ってアキラと緒方のやり取りなど意識もしていなかったのだ。
そして一旦自宅に帰り土産を持ってあかりに会いに行くヒカルの表情は輝いていた。
「どうしたの?!」
玄関でここまで走ってきたとわかるヒカルに目を丸くするあかり。
「緒方先生に聞いた。心配かけてゴメン、そしてありがとう。もう大丈夫だから」
「ヒカルがヒカルでいてくれるだけで良いの」
ヒカルの言葉に首を振りながら答える。
「それで遅れたけれどあの時買ってきたお土産を貰ってほしいんだ」
「良いの?」
「もちろんだよ」
包みを開けて出てきたのはストラップであった。
「可愛い。ありがとう」
本当に嬉しそうなその表情に改めてあかりが可愛いという事を自覚したヒカルはそのまま逃げる様に帰ったのだ。
「ヒカル……」
そのままあかりは右手を頬に当てて見送っていた。
(私は期待をしても良いよね)
「あかり~、早く扉を締めなさい」
「は~い」
家の中から姉の声がして慌てて戻ったのだ。
(佐為。オレは佐為を忘れない。だけど心を殺さずに正直に生きるよ)
家の途中の公園で改めて今後の生き様を誓うヒカルであった。
若獅子戦三回戦
本田敏則は震えていた。
一回戦は見ていなかったが二回戦の進藤、越智戦を終盤を見た時、その成長による力の差よりも院生時代と違う容赦の無い打ち筋に背筋が冷えた思いをしたのだ。
今からその進藤と打つ。緊張よりも恐れが先立つ己を必死に鼓舞していた。
開始前の進藤を見て違和感を覚えたが、対局を始めると直ぐに分かった。
院生時代やプロ試験の進藤であると。
強さは越智戦の時と一緒だが全てを否定するような打ち方では無くこちらの意思に応える様な対局であった。
結果本田の中押し負けだが打ち切ったと言う満足感を得る事が出来たのだ。
今年のプロ試験には良い経験になった。
準決勝は塔矢との対局である。
最早ヒカルには佐為の為に絶対勝たねばならぬという気負いは無い。
ただ今ある自分の力を出し切るだけと、それだけを考えアキラに食い付く。
多くの高段者が敗れる中、新初段のヒカルは一歩の引かずにアキラと戦う。
だがそれでもアキラに及ばず投了する時見学者たちからも緊張の抜けた溜め息が出るほどの熱戦だった。
「ネットのsaiがキミだ。出会ったころの進藤ヒカルがsaiだ。今日の碁を見て確信した」
見学者が居なくなってからアキラはそうポツリと漏らした。
「オレはsaiじゃねえよ」
「判っている。だがキミの中にもう一人の影がチラついている。バカな事を言ってスマン」
「いや、良いよ」
(佐為聞こえるか? 佐為の存在を自力で悟る奴が居た。お前が幻でないと証明したんだ)
アキラの言葉は何よりもヒカルには嬉しかった。
今回も若獅子戦の優勝は塔矢アキラに決定した。
和谷アパート宅
若獅子戦が終わりプロ試験の少し前に和谷は念願の一人暮らしを始めたのだ。
この日、引っ越し祝いに院生の本田や奈瀬がやって来たのだ。
「取りあえず碁盤と碁石があれば良いし、毎週土曜はプロが集まる事になっているんだ」
「オレもその研究会に来ても良いか?」
「あぁ、歓迎するよ。小宮や奈瀬も来いよ」
本田の言葉に快諾する和谷だが実力の劣る奈瀬は躊躇っていた。
「そう言えば進藤は来るの?」
「今週は修学旅行で棋院にも森下先生の所にも来ねえからまだ話していないんだ」
「修学旅行~!?」
奈瀬も自分で聞いた質問の回答に奇声を発してしまったのだ。
「考えてみればまだアイツは中学生なんだよね」
同時刻京都
本来クラスの違うヒカルとあかりは班が違って自由時間でも一緒になるはずではなかった。
そこは、ヒカルと同じクラスの金子とあかりの親友の久美子の協力で自由時間の行動計画を調整して同じになるようにしたのだ。
「全くあれで付き合っていないって言われてもね」
「あかりは意識しているだろうけど、ヒカルはどうでしょうね」
「ふん」
土産物屋での二人のどこの夫婦かというような態度を見ての金子、久美子、三谷の反応である。
「ヒカルも正倉院には随分興味持っていたって?」
「何時見れるか判らないが中にある碁盤を展示されたらと思ってね色々聞いたりしただけだよ」
「ふーん。でも平安より前の時代でしょう」
「だけど似たものを使っていたから見たいんだ。それよりも映画村で女子は江戸時代のお姫様や十二単の仮装をしたっていうけどあかりはどんな格好をしたんだ?」
「私は十二単。帰ったら写真を見せるわ」
「楽しみだけど、昔は良くあんな重くて暑い格好をしたよな」
「女は何時の時代でも美しくなる努力をするものなの」
「へ~っ、あかりもか?」
ニヤニヤとからかうヒカルにブツ真似をするあかり。
「はいはい、お二人さん独り身も多いんだからいちゃつくのは後にして買い物をしようね」
金子の台詞に二人は仲良く抗議するが気にもせず買い物を促し他の班員も来るように手を振るのは流石班長というべきか。
三谷のグループは二人に当てられさっさと別の場所へ賢明にも移動していた。
「あっ、これは?」
そんな中ヒカルが見つけたのは学生向けにはやや地味で高価な店舗であった。
店員に聞くと流石に平安からではないが江戸時代から続く老舗の昔ながらの手法の品であった。
「この絵は?」
スッと滑らかに開かれた扇子には透かし絵が描かれていた。
「これは藤の花ですね」
店員の言葉にヒカルは思わず見つめ直した。
(佐為。藤原繋がりで藤の花を持っていても良いかな?)
そう心の中で問いながらも既に買う心算になっていた。
その様子に佐為を忘れられなくてもある程度傷は癒えて直視できているのだと安心したあかりだった。
「大丈夫頼るのではなくて、プロの姿を見てもらうための覚悟だから」
あかりの頭を軽く叩き、そう心配を笑い飛ばす。
「うん、もうバカにして。っていつの間に私より背が高くなったのよ」
「まぁまぁ、この扇子を一つお願いします」
その値段に思わず引きつりながらも思い切って買ったのだ。
「ヒカル小遣いの残り大丈夫?」
「大丈夫さ」
虚ろに笑うヒカルに仕方が無いわねと帰ったら返してねと少し渡したあかりにますます頭が上がらないヒカルであった。
こうして修学旅行後にヒカルは手合時に扇子を持つ姿が見られるようになったのだ。
あとがき
佐為喪失後ヒカルは目の前で笑顔で消えたので碁は荒れたけれど、辞める心算にはなりませんでした。
最強初段の肩書フラグは折れました。
アイテム。藤原の扇子を手に入れました。