金曜日
「ヒカル早いな」
時間にルーズな印象のあるヒカルが時間前に校門に居るのを見て思わずつぶやいた本田。
「本田さん、それどういう意味?」
「まだ10分もあるのに居るからな」
「電車の時間だから早かっただけだよ。手合で遅刻出来ないから時間は守っている筈なんだけどな」
ジロッと睨むヒカルにスマンと謝る本田はそのまま来客用玄関へ案内して誤魔化す。
「そう言えば、本田さんは今日はスーツなんだ。手合でも見ないのに珍しいね」
「お世話になった先生の挨拶もあるから、一応社会人としての姿を見せないとな」
「ふーん、オレも一度学校に顔を出した方が良いかな?」
「中学なら同窓会まで待ってても良いし、話題にもなっているから安心しているだろう」
「そうかも」
そんな会話をしながら受付を済まして一旦職員室へ向かう二人。
本田が元担任と挨拶をしてから手の空いていた森下と一緒に部室に向う事になった。
「森下先生の息子さんがあかりの顧問とは意外でした」
「あかり。藤崎さんですか、彼女が熱心に部を造ろうとしていましたからね。
将棋も囲碁も私より強い生徒とが居てお飾りですけどね」
そう言うが、部員の多い将棋部の大会参加申請や選手の選出に手腕を発揮し、個性的な人物の多い囲碁側との融和などにも苦労してもそんな素振りを見せないのは新任なのに大したものだと同僚に見られていたのだ。
「森下先生に囲碁を教わったと聞いたけれど、直接会うのは初めてですね。森下先生へのお礼に教えましょうか?」
「和谷の様な弟子なら実家に来るけど進藤くんは違うからね。私も素質は妹もだが無くてプロでも無いから研究会にも行くこともないから会うとは思っていませんでした。それに教えるのなら成長の可能性のある生徒で充分ですよ」
そしてここが部室だよと着いた先には思ったより大きな部室があった。
そこには将棋部のトロフィーとと共に折り畳み式碁盤、将棋盤が積まれた棚から碁盤と碁石を取り出し時間まで時間を潰してくれと言って仕事があると一旦別れた。
「でもやっぱり友達は女の子だったか。あれだろ、髪をこう結わえた囲碁部だった娘」
「なんで本田さんがあかりを知っているんだ」
頭の両側に手を当てた本田に不機嫌そうに答えるヒカル。
「去年の文化祭で倉田さんの対局を一緒に解説してただろう」
「ああ、そっか」
そう言って納得した後黒を取ったヒカルが初手天元を打ってきた。
「一度オレも打ちたかったけど機会が無くて今日の本田さん相手が先番だから良かったよ」
ムウッと唸る本田にイタズラが成功したと笑みを浮かべるヒカル。
だが本田もただ唸るだけでは無い。あれからも初手天元を研究し様々な棋譜を調べていたのだ。
北斗杯予選の時と本田も違うのだ。
「遅くなりました」
そう言って駆け込んだのはあかりだった。後ろからは見学者だろうか数人の女生徒も居た。
更にヒカルを気にしながらも無関心を装って将棋盤を持ち出す将棋部員。
「ようこそ。僕が囲碁同好会長の加賀美光一。本田先輩に進藤さん忙しい中感謝します」
いえいえと二人は挨拶したがそのまま指導碁としてまずは、眼目が何とかというレベルまでにしてお近づきになりたいと言う女生徒とあかりと四面打ちで指導碁する事になったがその時に何時もの様に「あかり」「ヒカル」と呼び合ってしまった。
その呼びかけに女生徒たちが囃し立て、加賀美と一緒に来たあかりを気になっていた男子生徒はムスッとしていた。
そのまま二人は幼なじみだと言っていたが恋愛に興味のある年齢の女生徒には意味が無かった。
「莫迦だねェ」
そう言って置き去りにされて目の前の喧騒を傍観するしかなかった本田の前に徽章から1年とわかるスレンダーなショートボブの美少女が呆れたような視線を向けながらヒカルの座っていたイスに腰掛けてきた。
「失礼。わたしも囲碁部で松沢ゆみ。よろしく本田さん」
「よくオレの名前まで知っているな。それよりどこかで会ったか?」
「これでも元院生で最後に一組になったわ」
「そうか元院生か」
そう言って必死に思い出そうとする本田。
「最後の一組で直ぐにプロ予選で塔矢プロと当たって心が折れて辞めたからずっと一組だった本田さんは覚えていなくて当然よ」
そう寂しげに微笑みそれにまだ中一だった頃はチビだったしと付け加えた。
「これはどういう手順?」
話題を変える為に碁盤を見て複雑な盤面を聞いてきた。
「最初から並べるか」
初手天元からの石を並べ始めた。
「へ~っ、凄いね。初手天元なんてほとんどプロでも見ないのにこんな棋譜になるんだ」
「進藤が応えてくれたからな」
本田がそう言って去年の春には一時荒れて勝つ事に優先して相手を潰すような碁を打っていたと語る。
丁度門脇さんが願書の受け取りに棋院で会って対局したけれど、強かったがその棋風に違和感を覚えて、その前に打った時の感動が薄れたが今年再戦したら元に戻ったと言っている。
これを見ても判るように互いにどう打つか聞いてくるから、こっちも応えようとして成長するから進藤の指導碁は充実するはずだ。
「アイドルに会う気持ちで来たのでなければな」
最後にヒカルの周りの女生徒を見ながらつぶやいていた。
その頃ヒカルは上達法などの説明をしていた。
「上達するのに一番は強い人と対局する事だけど、いつまでたっても上達しないのも居るけどね」
「ひっど~い、ヒカルが教えたのって最後の大会前でそれも男子がメインだったじゃない。後は引退後に後輩の小池くんたちで私とはほとんど打ってないのに」
「誰もあかりの事とは言ってないぞ」
ニヤニヤとあかりをからかうヒカルと素直に反応する彼女を見て一緒に居る女生徒たちは目で会話していた。
『本当にただの幼なじみ?』
『もしかしてこれ、惚気?』
『あたしたちは当てられているだけの存在?』
などなど、既にお気楽生アイドルに接触という気分ではなかった。尚男子組は既に砂糖を吐いて本田の方に移動していた模様。
そうは言ってもプロで何度か既にイベントに出たり中学の後輩などで指導碁を行ったり。かつて自分自身が佐為にゼロから教えてもらった経験から解り易い指導であった。
何よりも囲碁の楽しさを彼女たち初心者にも伝わるような教え方である。
「私の時は置き石を何個しても全部取るのに、随分優しいんじゃない?」
ジロッと睨むあかりに対しヒカルは。
「石をやっと置けるレベルと一応囲碁になるあかりと同じ扱いでないのは当たり前」
などと悪びれていない。
「そうだ先生も一局打ちませんか?」
そのまま「自分はヘボだから」と渋る森下と打ち始め。
「石の流れを見て感じて歪みが無いように感覚を信じて打つのです」
そうヒカルのアドバイスに森下もゆっくりと打つ。
かつて、海王の三将と勝たなければいけないと佐為に代わりに打ってもらった時の事を思い出しながらそれぞれの石の意味を解り易く問う形で置いていく。
残念ながら棋力は当時の三将ほどでは無くそこまでの棋譜ではないが持ち時間を気にしない分が補ってくれて見る者が見れば素晴らしい出来だった。
「皆も棋力が上がればこの棋譜の意味が判るようになるから頑張ってね」
最後の森下との一局は本田達も見て感心していた。
砂糖を吐いていた男子生徒もプロの表情のヒカルを見直してただのバカップルではないと評価を上げていて「藤崎さんの相手に相応しいかも」と思い直し始めていた。
なお女性陣は同学年はヒカル目当てがメインの為に諦めて帰ったのが多いが、2年生はそこまで本気でなかったから微笑ましく思うのとからかいがいがるという悪戯心の両方から残る者が結構いたのだ。
中には観賞用には部長の光一も居るしという意見の猛者も居た。
そしてついでに男子も残りなさいと凄むお姉さま方の活躍で晴れて囲碁同会の人数だけは大会出場分の確保となったのだ。
その日の下校は自然とヒカルとあかりが一緒に帰宅となり並んで歩く姿が誰の目にもお似合いに見えた。
何より学校では誰にも見せた事の無い笑顔で片思い中の男子も諦めざるを得なかった。
本田に二人の関係を問いただす女性陣も居たが幼なじみとしか聞いていないとしか答えようが無かった為にそれ以上は後輩の女生徒とお近づきになれなかったのは真面目すぎる欠点だった。
新入生の三大美少女のうち彩矢は性格で落伍し、今回夏休み前にあかりが本命が居る事が判明。
多くの男子が涙を呑み最後のゆみに人気が集中したのだ。
「男どもがウザい」
「ゆみ折角の美人が台無し」
「不思議だな~テニス部には言い寄って来ない」
そして。
「「幼なじみなんて言い訳信用しないからね」」
「えっ?」
「金曜日は真っ直ぐ帰ったの?」
ゆみの追及に顔を赤くしてゆっくりと答える。
「駅前の……」
思わず身を乗り出す二人。
「囲碁サロンという碁会所で塔矢くんとヒカルの対局を見た後検討も聞いていたの」
ダーッと突っ伏すゆみと彩矢。
聞き耳を立てていた周囲も似た反応だった。
「あかり~、期待させてその返答は無いじゃない」
彩矢の恨めしげな声にあかりは慌てて言い訳をする。
「だって塔矢くんも一年でリーグ落ちするんだよ。ヒカルだって必死なんだよ」
それでも仲の良い三人娘だった。
テニス部部室
「まっ、あかりならそんな処だわ。まともにデートが無くても一緒に居れば幸せというタイプだからね」
「久美子は中学は一緒の囲碁部だったわね」
「今も休みは結構一緒よ。進藤君と時間が合わなくてヒマと言って遊んでるの」
「それって結局付き合ってるってこと?」
「ノーコメント。あかりに聞いて」
答えていると同じような発言である。
とある男子生徒の会話。
「お前は葉瀬中出身だろ。藤崎さんの彼氏の事知っていたんだろ」
涙目の某生徒。
「だってあの二人は中学時代は付き合っていなかったのは事実だし。でもほとんどカップルというよりも夫婦みたいな物で下手な事を言ったら馬に蹴られると全員一致で余計な事を言わないと何時の間にか決まっていたからなァ」
「それを早く言ってくれよぅ」
「でも実際に見ないと納得せんだろ」
「最後の希望はゆみさんだけだ~」
こんなんで某男子生徒の希望が叶うのだろうか?
あとがき
公認バカップル誕生編。
後に本田経由で和谷や伊角にも情報が流れます。
ヘボと言っても飽く迄もプロから見てで興味が無くてもアマ初段上位ぐらいは一雄さんもあると設定。将棋も同程度で新任教師なのに不慣れな顧問も任されています。
そして一度女生徒が入れば今後も初心者の入部も楽になるでしょう。