7月水曜日 日本棋院
「建物の改装だけでなく組織も変わって全然知らない所みたいだね本田さん」
「それでもオレたち碁打ちは変わらない」
この日の手合は二人とも勝利し対局室で本田の棋譜の検討をしながらノンビリと無駄話を続けていたのだ。
「院生も今度からABCと細かく分かれるし、何よりもコミが6目半に冬から変更が決定の上、大手合も無くなるという噂だし」
「塔矢元名人が引退してから海外に通用する棋士が減ったから強化をしようという話は前からあったと船村師匠が言っていた。それが北斗杯が毎年実施で若手の層を増やすのと強化に待ったなしで一挙に話が進んだという裏話を教えてくれた」
「それなら若獅子戦も続ければ良いのに」
「進藤が最後に初優勝で幕を閉じたからな。残念なのは確かだ」
(大手合や棋戦の予選システムの変更は塔矢、進藤ショックとも言われているんだがな)
大手合やまだ検討中だが棋戦の予選も現状の一次二次と低段者から勝ち上がるシステムから、勝ち星や棋戦の実績で昇段したりABCと予選をグループ分けをして早くから低段者と高段者を対局させるのは、段位システムの矛盾解消や若手の強化もあるがアキラ、ヒカルという実例で二段三段で最終予選やリーグ入りして敗退後シード枠に残らなければ再び一次予選から上る事への疑問の声が大きかったのも原因の一つであった。
「北斗杯の騒ぎが終わったら今度は本因坊戦のリーグ入りで進藤は又取材攻勢か?」
「週刊碁や囲碁関係なら良いけどね、芸能関係の雑誌は関係ない事しか聞かないから棋院の方で断ってもらうように頼んでいるよ」
「進藤も大変だな」
「本当に中国に行った和谷が羨ましいよ」
和谷は北斗杯で一緒に観戦をしようと話をしていた伊角が入口で北京で面識のあった団長の楊海と出会って和谷にも中国留学を誘われた事を知った和谷の両親がチャンスは早いうちに使えと自力に拘る和谷を説得して両親の資金援助で中国留学中だった。
同行の伊角は10日ほどで帰国したが和谷は1ヵ月以上滞在予定で今月一杯戻ってこないのだ。
「本田さんも高校は公立校でしたよね」
「あぁ、都立○×高だった」
「本田さんみたいに院生が居てプロにもなった人が居るのになぜ囲碁部が無いんだろう?」
「文武両道と言っても受験に有利な推薦を受けやすい運動系が優先だし、オレも学校で部活や指導碁をしていた訳でないからなぁ」
「そう、その指導碁。○×高に行った友だちが同好会を作ったけれど部員が少ないから宣伝を兼ねて今度指導碁に行くんだ」
「へぇ~、作ったんだ」
「部員が少ないから将棋・囲碁部として将棋部に付属した同好会だけどね」
「何時?」
「今度の金曜日。午後2時頃には行こうと思っているけど」
「予定が無いから母校訪問を兼ねて一緒に行っても良いかな?」
「指導碁と言っても無償で行くんだけど」
「関係ない。卒業後の母校孝行という事で」
「なら金曜日に午後2時で校門前で」
そう急遽指導碁の増員が学校側に知らない所で決まった。
「先生、期末テスト後の夏休み直前に友だちのプロに指導碁を頼んでも良いですか?」
「あかりにプロの友だちが居るの?」
「うん。中学卒業の時にOKを貰ったの」
「でもプロだと初段でもそれなりのお金が必要だし、部費は有って無い様なレベルの我校では」
「お金は要らないって」
「あかりそれって只の友達?」
「松沢君それ以上はヤボだよ」
放課後の部活であかりが顧問の森下先生に卒業式の約束を実施しようと提案した時ゆみが食い付いてきて思わず顔を赤らめて追及されたところを顧問の助け舟が出たのだ。
「実際無償は拙いから初段の謝礼だと相場は……」
「あのう、今は三段です」
申し訳なさそうに訂正するあかり。ヒカルもアキラに匹敵する昇段スピードを誇っているのだ。
「まさかその友だちって塔矢アキラ? でもあかりは海王中ではないし」
「ゆみは塔矢に御執心だからな」
「ライトはウルサイ!」
「仮にも先輩で同好会長の僕をそんな黒歴史で呼ぶとは」
胸に手を抑えて苦しんだ振りをするのは2年の加賀美光一。
彼女らの友人の彩矢の従兄で伊角によく似たイケメン。但し性格は軽い。
無所属だった所を他の男からの虫除けとして彩矢に強引に入会させられたのだ。
幼少の頃自らの名前の光からライトと自称したように色々と残念な2次元オタク。
だからこそ、友人二人のボディガードとして彩矢が彼に白羽の矢を立てたのだ。
本来スペックが高くて性格さえまともならハーレムも可能とは彩矢の弁。
だが光一は「僕は2次元の神になる」と言って恋愛(3次元)に興味を持っていなかった。
他に男子が一人だけで何とか男女を最低でも後各一名を確保して団体戦に出たいと思っているのがあかりの願いである。
その為の指導碁であるのだ。
「同じ学校出身の進藤三段です。テスト明けなら本因坊リーグ入りの成否もわかるから問題無いって言ってました」
そう小さな声で答えるあかり。
「報酬は後で考えるとして藤崎君の元学友なら許可も出しやすいでしょう。一度日程を確認して下さい」
そう話を締めくくる森下だったが内心では一度父親に確認した方が良いと思っていた。
新任国語教師兼将棋・囲碁部顧問、森下一雄。彼の父親はプロ棋士森下茂男九段。
和谷の師匠であり研究会でヒカルとも繋がっているがそこまでは本人も知らない。
実際腕前はヘボでヨセと目算が何とかという筒井レベル。将棋も駒の動かし方がわかる程度。
前任者が定年のために教員と顧問両方になったのである。就職難のこの時代に親からの手解きが役に立って運が良かったと言える。
「ふーん、進藤三段ね。随分親しいわね」
「幼なじみだし同じ囲碁部に一年の時に所属してたから。直ぐに院生になって退部したから……」
既にあかりもゆみが元院生で囲碁を長く打っていなかった事を知っていたのだ。
気まずそうに視線を向けるあかりに気にするなと肩を組む。
「それで本当に幼なじみ?」
「ゆみもしつこい」
これ以上は本気で怒りそうなあかりに降参のポーズをして指導碁を行うゆみ。
― 付き合うってオレは良く判らないけど、ハッキリしているのはあかりの事が好きだ
実は北斗杯の後、あかりはヒカルから告白を受けて付合い始めていたのだ。
「オレは囲碁優先ばかりであかりを寂しくさせるかもしれない。学校にも行っていないから時間も話題も合わないかもしれない。デートもほとんどないと思う。
でも好きだ。離したくないと思うのは我が侭だけど本当の気持ちだ」
「私もずっとヒカルが好き」
そうは言っても少し前まで中学生。それもドップリと囲碁に浸かった生活のヒカルと幼なじみに好き好きオーラを出した結果他の男子から告白もされていなかったあかり。
まともなデートも無くてこれで付き合っていると言ったらゆみも彩矢も怒ったかもしれない。
実際に告白後直ぐに来たあかりの誕生日は平日もあって放課後喫茶店で待ち合わせした後プレゼントが判らんとあかりに選ばさせる無神経さだ。
あかりは一緒に買い物と喜んでいるが姉の詩織などは後から聞いて呆れていた。
この時のプレゼントとして一応他にお守り袋に入った白の石も別に渡していた。
「この黒石と対になる白石をあかりが持っていてくれたら勝てる気がするんだ。貰ってほしい」
一緒に選んで勝ったヘアリボンより嬉しかったりする。
お守り袋の白石はパスケースに入れてある卒業式に金子が撮ったツーショットの写真と共にあかりの宝物となっていた。
そして二人は普段は手合のある日にヒカルが早く出てあかりと一緒に駅まで歩くのが唯一の接点と言って良かったりする。
そして勉強や研究で煮詰まった時には祖父の家に行くヒカル。
特に手合で盤外戦を仕掛けられて不機嫌になって勉強しても身に付かない時などは。
「ばあちゃん、教えて」
そう言ってプロになってから真面目に習っている書や茶を飲みに来るのだ。
真面目と言っても不定期だから上達は察すべきレベルだがそれでも祖父に教わっている英会話よりはましな上達具合である。
偶に日曜に行った時は。
「ヒカルも遊びに来たの?」
着物を着付けてお茶を嗜んでいるあかりが居たりする。
「あかりもこっちに来いよ」
そのまま縁側へ誘い出し初夏の日差しの中あかりの膝枕で昼寝と洒落込むヒカル。
「もーっ、ヒカルったら強引何だから」
口では文句を言いながら優しく寝入ったヒカルの髪を梳くあかり。その瞳は優しい。
ヒカルもギスギスした雰囲気が消え穏やかな寝顔になっている。
そんな二人の様子から平八たちも幼なじみから卒業したのだと悟るが黙って見守っているだけだがそれだけでは終わらない。
当然両方の両親にも知られるわけだが。
「まったく、あの子は」「あらあら、うふふ」
母親たちは呆れるやら奥手の二人がと微笑ましく見守る一方。
「母さん、後は任せた」「娘には10年早い」
逃げたり、吠えたりの父親と悲喜交々の進藤、藤崎家である。
普段は囲碁の勉強に研究会だ手合だと会えず、休日は北斗杯以降顔が売れてイベントのゲストにも呼ばれるのが多くなったヒカル。
あかりも最近は期末試験前の勉強だと忙しく指導碁の招待は久しぶりの出会いの場になるのだ。
そんな小学生の恋愛だが熟年夫婦だかわからないような二人が学校で会ってただで済むはずと思う方が間違っているが誰も指摘する人物が居なくて金曜日が来た。
あとがき
原作アフターです。
棋戦のスケジュールは実際と違って塔矢のリーグ入りに倣っています。
実際はこの時期から色々変わっていて難しくて調べきれなくて開き直りました。
本田が学生服姿だったのでオシャレな私立校ではなく制服のある都立高と妄想。
それならあかりの志望校と一緒にしちまえとOBにしました。
森下の息子一雄も年齢その他が不明だがプロ試験当時和谷を送る程度の運転経験あり。
なら当時は大学生で父親と違って堅実な公務員を目指した教員にしました。
そして、色気の無いヒカルに春が来ました。