8月11日 午後2時 毛利探偵事務所 3FRRRR RRRR……「服部、突然電話してすまねぇ。今、時間あるか?」「……工藤、お前大丈夫か? 電話越しでも分かるくらい元気無いで」精神的に落ち込んでいるのは自覚しているが、こうやって服部に心配されるくらいに、俺の調子は悪く聞こえるらしい。ひょっとしたら、自覚以上に、俺は精神的にヤバいダメージを受けているのかもしれない。先程おっちゃんから聞かされた大ニュースは、結構きつい内容だった、から。「ああ、分かってるんだが、……かく言うお前も声に元気が無えじゃねぇか。 ところで、『大滝さんが東京に来てトラブル起こした』って、聞いたか?」「さっき、聞いたで。俺も電話しよ思てたんや。 大滝はんがそっちの病院に、『本人』の事情聴取に来たんやろ? 坂田はんが死んだときの様子の供述取るために。 で、大滝はんが病室で錯乱して、よりによって『本人』の顔を殴って、『本人』がまた意識不明になっとる、て」「……ああ、そうらしいな」あの事件から、5日が過ぎた。あの事件を起こした『本人』は、最初は意識不明の状態で、その意識がはっきりしたのが一昨日の昼だ。今も『本人』は、病院に入院しているが、俺は、意識が回復した後の『本人』とは会えていない。『本人』の人格が、変わったらしい。身体の見た目は、左胸周辺の皮膚が白っぽくなった以外、これまでの『蘭』と同じ。おっちゃんや妃弁護士との血縁関係は鑑定中だが、染色体は人間そのものなのは確認されている。だが、『蘭』の声色が少し変わり、口調は『どこか面影があるけど違和感がある』程度に変化したそうだ。当然、おっちゃんと妃弁護士はかなりのショックを受け、更に、『このまま会うとコナン君がショックを受けるから』と、小1の筈の俺の面会を禁止した。もちろん、俺は『覚悟は決めてるから』と言って、夫婦を説得している最中だった、のだが……「大滝はんが錯乱した理由、聞いたか?」「ああ、おっちゃんから聞いた。おっちゃんは、警察から事情説明を受けたから。 大滝さん、『本人』から魔術を食らったんだろ? それで錯乱して『本人』をぶん殴った、って」あの夜、坂田元刑事を拘置所から連れ出したときのことを、大滝さんが、『本人』から、聞き出そうとしたらしい。『本人』は嫌がって話したがらなかったそうだが、かなりしつこい追及にイラついて、大滝さんの手を取ったそうだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午前10時35分 都内 東都警察病院 703号室「……そんなに見たいなら見せてあげる、まだ『サキュバス』だった頃の力が残ってる。 『サキュバス』のほうの記憶を見せるくらいなら、この身体に魔力が残ってるから。 体質が合わなかったら、……少し錯乱するかもしれないけれど、廃人にはならないはずだから」「何を……?」『本人』は大滝の目を見つめ――同じ病室にいた刑事達は、『本人』と大滝の手が、やがて身体全体が、うっすらと青い光に包まれるのを見た、という。8月6日の夜中、おそらくは0時~2時の間。どこかの屋外で坂田に向き合った、自称15歳の『犯人』の記憶に、大滝は触れた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぬるい風が吹いていた。屋外の、――たぶん公園らしい場所の街灯の真下。緑色のベンチの真ん中に、坂田 祐介は座っている。元々着ていた私物のシャツと長ズボンの上、『自分』が貸した灰色のローブを羽織っているが、そもそもの体格の違いのせいでローブのサイズが微妙に合ってない。そのローブの合わせ目を手繰り寄せて握り締め、顔色も青ざめてはいたが、坂田の声は、落ち着いていた。「つまり、君がこの世界で生きていくためにどうにかしないといけなくて、生きていくための術式の生贄に、この世界の人間が要るっていう事なんやね? その生贄探しで、この国の罪人を調べまわって、それで、……僕と、もうひとりが選ばれたって」身長160cm無いくらいの『自分』は、そんな彼を見下ろす形で目の前に立っていた。頭部以外のほぼ全身、衣服から露出した四肢どころか服の下も包帯だらけで、かつ、その包帯の下は皮膚のどこかしらが時折裂ける様な痛みに苛まれているが、……表面的には、坂田同様に、声はどこまでも静かだ。「そういうこと。恨みたいなら恨んでもいいよ。 貴方に謝罪することは絶対に出来ないから。……そういう言葉、絶対に言っちゃいけない決まりだから」殺す側の割り切ったその言い草に、殺される側は、長く、長く、息を吐いた。組んでいた腕を解き、頭を掻きながら、考えをまとめながら、『自分』に告げられたその言葉は、恨みではない内容で。「……せやね。 恨みの、言葉、無い訳やないけど、……君とここに居ること自体、夢なのか、正直自信が持てへんのやけど、 ……夢やなかったとしても、僕を外に連れ出した君のチカラを見れば、正直、恨んでもどうしようもないとしか思えへん」「そう?」坂田は頷き、改めて『自分』を見た。指の先まで包帯を巻いたサンダル履きの両足、七分丈の黒いズボン、左の手が握り締める濃灰色の仮面、右腰の剣の柄を常に握り締める右の手、半袖の麻の上着、そして唯一、包帯を巻いてない顔、……『自分』の姿を嘗め回すように見て、噛み締めるように諦めの言葉を吐き続ける。「うん。……だって、そんな格好した、そんなチカラ持った存在に、そんな風に言われても、悔しさとか湧きようがない。 それに……」「それに?」「……君をミスって喚んだ魔術師さん、『生贄は罪人にせぇ』って言うたんやろ? 僕が嫌がって、それがもし君に受け入れられたとして……、別に生贄に選ばれてしまうのは、罪人やない、ちゃんとした普通の人やないの?」少しためらい、促されて話し出したその声には、自分の地位に対するはっきりとした卑下が含まれていた。罪人である自身の生命を一般人よりも低く見ているその問いかけを、『自分』は、そもそもの前提から否定する。「嫌がっても、殺すしかないんだけどね。召喚者の魔力の都合で、一般人とかの生贄、あまり探せなかったから。 罪人の中では、生贄にするのに魔術的な観点で相性が良さそうな人、坂田さんと、もう1人の人しか居ないのに。 ……だから、貴方が嫌がろうが、殺すしかない。嫌がっても、殺さないのは、ありえない」「……へぇ」坂田は、再び諦めの息を吐いて背もたれにもたれ掛り、ローブの布地を握り締めた。抵抗する意思が完全に消え失せている彼に、半分は補足のつもりで、もう半分は愚痴のつもりで、内情をぶちまける。「正直な話、拘置所から連れ出す前に、貴方かもう1人かどちらかでも急死されたりしたら、本当にピンチになると思う。 死んで時間が経った遺体を生贄にするのと、誰かを自分の手で殺して生贄にするのとでは、手間と時間が段違いだから。 誰かを殺す方法を取らないと、……その方法でないと、時間が足りずに私が消えちゃう。最初から分かってた」『自分』の身体は、壊れていっている。特に召喚者の居た場所から離れている今、身体の劣化の速度は増していく。四肢の末端から頭部の方へ、体表から内側へ、裂傷が増す形で崩壊は進んでいくだろう。あと1日弱で、耐えられないほど痛みが強くなることが予想できていた。痛みで動けなくなったら、それで終わりだ。「ええっと、……ちなみに、もう1人の生贄って誰? 罪人なんやろ?」「貴方も知ってる人、だと思う。貴方と一緒に逮捕された、東京の拘置所の、沼淵って人」告げた瞬間、坂田は豹変した。「ええ!? 沼淵が? ……ハハハハハ!!」その激変ぶりに、思わず一歩後ろずさってしまう。右腰の剣の柄を強く握り直して構え、それでもあくまで落ち着きを失わないようにして問いかける。頭を抱えて嗤(わら)っている彼に。「……何か、ツボに嵌ったの?」「その条件やったら、アイツはともかく、僕はまだ納得して死ねる!!」4人を殺し、5人目以降を殺せなかった元刑事は嗤う。眼鏡の下、涙すら浮かべながら、嗤いながら、叫ぶように理由を告げる。「へ?」「だって、沼淵が間違いなく死ぬのも、確定するやないか!!」殺しそこなった実父の敵の未来を知れたからか、あるいは、どこまでも復讐に絡んで終わる人生への自虐か、どちらにせよ。『自分』の目の前で、魂の底から、彼は嗤った。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午前10時36分 都内 東都警察病院 703号室「……!!」大滝が我に返ると、ベッドに倒れこむ『被疑者』が目の前にいて、大滝自身は血相を変えた刑事達に取り押さえられていた。魔術のせいで錯乱して被疑者を殴ったのだと、後にそういう結論に落ち着いた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後2時3分 毛利探偵事務所 3F「これから、妃弁護士も、おっちゃんも大変だろうな」他人事のようにそう言うと、通話相手から指摘が来た。「おいおい、お前も大変やろ。……ショック受けとんの、声聞いただけですぐ分かる」「……お前も、な」共に溜息をつき、心を落ち着かせて。しばらくして、服部が口を開く。『本人』が意識不明なのは大ニュースだが、それに至るまでの流れにも看過できない点があるのだ。「まあな、……これで、『ねーちゃん』が『ねーちゃん』や無うなったのは確定した。少なくとも、常人に無いチカラ持っとるんはハッキリしとる。 加害者が被害者の人格が融合するんは法の想定外、ちゅーことで、坂田や沼淵の件は刑事罰は受けへんのやろけど」もっともな話だ。そもそも人格が融合する術の存在を、この国の法は一切考えておらず、従って被害者と加害者の両方の人格が同居している存在を裁けるはずがない。「そうだな。……今、そもそも『本人』が意識を取り戻すのかどうかも分からねえけど。……なあ、服部」「何や工藤?」話題を変えて、問いかける。自身でも現実逃避だと感じつつ、将来に関する問いかけを。「『本人』、いつか大阪の『天界』か、坂田の墓のどっちかに、花を供えに行きたいって言ってたらしいんだ。 いつになるか分からねーけど、もし、もし、……それが出来るようになったら、お前も付き合ってくんねーか? たぶん、俺や、おっちゃんと一緒についてくると思う」それが、どれだけ先になるか分からない。意識を取り戻すかどうか分からないし、仮に意識が回復しても生涯ずっと入院しっぱなしの可能性だってある。それでも、今は希望を込めてそんな未来を話したい。少なくとも、今は。「……せやな。和葉も一緒に会って、そう出来ると良えな……」【 第1部 瀕死で足掻いた彼女の話 完 / 第2部へ続く 】※4月26日14時19分初出 投稿後に表記ミスを修正しました。 4月29日 表記ミスを修正しました。