9月1日 午後9時10分 召喚者の屋敷 地下 個室 ねぇ、元太くん。いつもと比べてちょっとばかり怖い話だけど、『わたし』が話したい話を、話しても良いかな。 寝る前にするような話じゃないかもしれないけれど、無性に話したい気分なんだよね。 今からずうっとずうっと昔、ここではない世界、でのお話です。偉大な竜が創り上げた世界のお話。……うん、これまでもきみに何度か話した世界だね。 今から話すのは、その世界での、最初のお話。竜が、世界を創った時のこと。 はじめに、何も無い、本っ当に何も無い場所がありました。そんな場所に、どこからともなくやって来たのが、とてつもないチカラをもった竜でした。 竜は、そのチカラでもって、何もない場所に世界を創り出しました。 この世界の太陽と地球みたいに、陽射しを生む星と、陽射しを浴びる星を。 そして陽射しを浴びる方の星に、水と、魔力を含む大気、それから、色んな動物や植物達。 竜は、そういったもの達を一気に生み出したのです。 色んなものを創り上げた竜は、自分が創った星を見下ろし、生き物達に語りかけました。「私のチカラで生み出された生き物達よ。私は、世界を創った者として宣言しよう。 私は時折眠り、時折目覚めながら、この世界を見下ろす場所に居続けよう。 私の眠りが長く続くと、世界は調子を崩すだろう。その時は、お前達が私を起こすがいい。 お前たちの生き方に、私は何から何まで口は出すまい。 ただ私は、この世界の中で、生き物が生まれ育ち死んでいく様(さま)を見守ることとする。 ただし、世界を創った者として、ここにひとつだけ宣言する。 お前達がどうしようもなく苦しい時、自分の|生命《いのち》を捨てる選択だけは、この私が保障する。 だから、私のチカラで生み出された子ども達よ。 “どんな場合でも、誰であっても、自殺という選択だけは絶対に取り上げてはいけない” これは、私が創ったこの世界の者全員に与える護(まも)りであり、呪(のろ)いである」 ……竜は最初にそれだけを語って、自分の言った通りに世界を見守ることになりました。 さてさて、竜が創った世界では、自殺に関する考え方について、竜が言った通りの考え方“だけ”が正解になりました。 何しろ、世界を創った者の言葉だもの。お年寄りでも子供でも誰でも知っている、国の法律より重たいルールになったの。 ところでさ、元太くん。 この世界での話だけどさ、例えば、大人の人が、他の人をわざと殺したりとか悪い事したら、その人ってどうなるか知ってる? ……うん、警察に捕まるよね。で、法律の決まり通りに裁判にかけられて、大抵は刑務所に行ったりする。ごくたまに、死刑とか。ニュースで言ったりするよね。 今言った、ここではない竜が創り上げた世界でも、悪い事した人は同じような目に合うよ。 でね、その世界では、竜が最初に言った言葉が世界の決まり事だから、自殺する人を止めてはいけないっていうのが決まりだから、……牢屋の中の悪い人でも、その世界ではね、自殺だけは自由に出来たの。 それって、この世界の人にとっては、とてつもなく恐ろしいことに見えるのかもしれない。この世界では、牢屋の中では自殺は出来ないからね。 自殺が、他人を殺すのと同じくらいにダメな事だ、って考える人、この世界には居るけれど。 そういう人とは、絶対に分かり合えない考え方なんだろうねぇ。きっと。 ……あら、ドアがノックされてるね。 Reune(あるじ)が『わたし』を呼んでるんだ。多分『わたし』とお話ししたいんだと思う。 一旦この部屋の明かりを消しておくから、きみは先に寝ておいて。うん、だから、おやすみなさい、元太くん。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後9時16分 召喚者の屋敷 地下 大広間 あるじは、無言で、『自分』にA4の紙を手渡してきた。例の掲示板の書き込みだ。約10分前に書き込まれた文章を、印刷しここに持って来たらしい。 トリップは、粟倉 葉弁護士と同じ“◆Moto/.Prof”だが、書き込み自体は旦那さんによるもの。 まぁ、想定内だ。 本人が意識不明に陥っていても、事情を知っている近親者が代理で書き込むケースは、有り得ると思っていた。金輪際書き込んでこない確率も、同じくらいに有り得るとは思っていたけれど。 同居の身内は弁護士の旦那さんしか居ないようだったから、代理で書き込んでくる確率が一番高そうな人が、順当に代理してきた、という構図だ。 その旦那さんが書き込んだ内容を、上から順に辿る。 ◆Moto/.Profは、本日意識不明になった。うん、知っている。知っている! 19歳の通り魔に刺されて意識不明でかなり生命が危ないってこと、それから、……!! ――心が崩れそうになる、こんな所で躓いてはいけない。まずは文章を先に読み解こう。 近親者が◆Moto/.Profの異世界事情をどこまで知っていたか。この箇所には初耳の情報がある。 高尾山の遭難以後に、両親と祖母に異世界関係のことを打ち明けたらしいのは、分かっていた。今日入手した資料の中に、大学時代の日記があった。 当初に打ち明けられた面々は亡くなっているのか。本人の年齢が今は60歳超えているのだから、その親・祖父母の世代は亡くなっていてもおかしくない。 で、こちらが出した問題の解答は、……全て正答だ。性格な答えが出るか不安だった問4も、予想以上に詳細。まさに満点解答だ。 警察にとっての粟倉弁護士の扱いは、“異世界の知識があるかもしれない人”から、“間違いなく異世界の知識がある人”に変化するだろう。 あるじが廃校舎で佐藤刑事に与えた異世界の情報は、警察にとって、一般には未公表の知識のはずだ。 それと一切の矛盾の無い解答を言い当てたという事実は、◆Moto/.Profが以前から知識を有していた事を、一目瞭然に証明した事になる。 書き込みの最後1/3は、夫婦宅から盗まれた資料について。棚が丸ごと自宅から消えたなら、流石にどんな人でも即座に気が付くか。 『自分』達が盗んだかもしれないと思い至っていて、警察には非協力的な態度を貫く気が有って、その上で処罰感情が皆無だというのなら、……この部分は書き込まずにいて欲しかったとは思わなくはない。 だが、旦那さんの立場ではこういう書き込みになるのも理解は出来る。旦那さんにとって、資料を盗んだ犯人が誰なのかは一切分からないからだ。 警察やら公安やら、もっとおっかない存在やらが犯人という線を考えた場合、窃盗の事実を公表しないのはマズい。 貴重な資料が『サキュバス』の敵対者に渡ったのかもしれないのだから、『サキュバス』にその旨を確実に知らせなければならない、はずで……。 こうして、盗んだ者が『自分』だろうが、それ以外だろうが、どちらにせよフォローは出来ている形の文章に落ち着いたのだろう。それなりの逡巡の末に書かれた内容に違いなかった。 ――異世界の資料が『自分』達の管理下に置かれるなら、◆Moto/.Profにとっても、『自分』にとっても、好ましい事。 末尾の文章を噛み締めながら、この大広間の隅の方に視線を向ける。 あるじが、本日午後に行使した魔術は、合計で3回。内訳は、粟倉 葉弁護士の身体状況分析、粟倉家所蔵の異世界資料の場所調査、それから、異世界資料の窃盗。各1回ずつだ。 しばらく体調不良に陥るのを承知であるじが盗み出した棚は、中の資料を何一つ失わないまま、この場所にこうして安置されている。 ――あぁ。 どうしようもなく胸の内に湧き上がってくる感傷を、ただ、目を閉じて耐える。 粟倉 葉弁護士に加護や治癒を与える方向には、あるじの魔力は使わなかった。そうでなく、資料の確保に魔力を使うという決断だった。 そうなったのには理由があった。あるじの魔術で緊急手術中の身体を分析した時、とんでもない事実を初めて見抜いたからだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後9時25分 召喚者の屋敷 地下 大広間 床に座る『自分』の横、あるじもまた立膝で座している。 ノートPCのキーボードを静かにタイプする気配に、目を開いて画面を見た。打ち込まれて出た文字は、あるじのやさしい配慮だ。【あなたは泣いても良いのよ。私と違って、泣いてもそうは困らないから】 かつてのあるじは、涙を流せば魔力を永遠に失う身体だったという。そしてサキュバスはというと、嘘を吐くと一時的に魔力をかなり失う種族だった。 召喚された時に仕組みが変わった。ふたりの間で、知識・言葉・魔術、等々、様々なものが交換される中で、魔力の有り方もまた変化した。 今のあるじは、涙を流せば魔力が一時的にかなり失われる。嘘を吐くと、体内の魔力量はそのままに、行使する魔術の効き目が、一時的に少し落ちる。 『自分』は逆。嘘を吐いた時は体内の魔力が一時的にかなり失われ、涙を流した時は魔術の効き目が一時的に少し落ちる。 だから『自分』が嘘を吐くのも、あるじが涙を流すのも、禁忌。後に回復するとしても、魔力量が完全にゼロになったり致死すれすれまで少なくなるのは、とても危うい事だ。 が、『自分』が涙を流す事への禁忌度合はというと……、現状では、嘘を吐くよりはまだ重い禁忌では無い、と、思う。 今はあるじと違って魔術の使用を控えているし、そもそも効き目の落ち具合もそうキツい訳では無い。 以前に病院から脱走した時、目に涙を浮かべたその日に、(あるじの補助付きとはいえ)この屋敷に転移で戻って来る事が出来た、その程度のこと。「すいません。あるじ。どうしたって、『私』、今、不安定みたいです。 『蘭』にとっての、あの探偵くんとの再会みたいに、『サキュバス』にとっては、あの弁護士と話す事が、予想以上に心の支えになっていたみたいで……」 タイピングで答えるべきは答えるべきなのだろうが、そうするように指は動かず、手はあるじのローブの裾を掴む。 何で『自分』はこんな迷惑を掛けているんだろうか。この御方は今も体調が優れてはいないはずで、『自分』もそれを自覚している。 ――なのに、何で、こう、すがる様にささやき声が出るんだろう。『自分』がこんな態度を示せば心配されるじゃないか……!! かなり進行した大腸がんを患っている。肝臓と肺に転移済み。メスを入れた痕跡が無く、投薬治療の痕跡も無く、本人も無自覚だと思われる。 そんな身で何か所も通り魔に刺されたのだから、まさしく生命の危機だ。緊急手術で大腸を切除した時、たまたま患部が含まれていたので、生検すれば医師が癌に気付く余地はある。 ……それが、数時間前に見抜いた粟倉 葉弁護士の現状だ。「何で、魔術が万能でないんだろうって、思うんです。治癒の術式で癒せたら、どれだけ良かったか。 そもそも、何で今日になるまであの人の身体を調べようともしなかったんだろう、って……!!」 そんな風に病に侵された臓器が多い以上は、『自分』もあるじも、下手に手は出せないというのも、また明らかだった。 『自分』達の治癒の魔術は、術を掛ける対象の体内で、生命力を移動させるものだ。健康な臓器の有り余る生命力を、病気の臓器に移して回復させる構造。 癌のある臓器は当然、そうでない臓器も含め身体が全体的に弱くなっている人相手に、こんな仕組みの魔術を使う余地は一切無い。 事前に癌を見抜いていれば、手紙でそれとなく検査を受けるよう勧めていただろう。相手の寿命に期待することも無かった。 これまで警察の捜査情報を覗いたり、異世界の資料の在り処を調べたりはした。でも、粟倉弁護士本人の身体は調べなかった。『自分』達の落ち度だ。 『自分』はともかく、相手はずっと健康体だと無意識に思っていた。病気に気付くこともなく、無邪気に語り合う日を願っていた……!【泣いて良いのよ。貴女の心のためなら。私は、貴女を支えて、守るために居るのだから。 むしろ今は無理せずに泣きなさい。事実を受け止めるために、明日からは、もう泣かないでもいいように】「……は!!」 はい、の返事が出せず、しゃくり上げる呼吸になって、そのままあるじに肩を支えられる。 背中を撫でられながら、声も無く、『自分』はしばらく泣いた。※5月13日 初出 5月15日 最後のシーンを加筆しました。 5月16日 誤字を修正しました。 今更ですが、今後の話の進み方について注意喚起です。 原作では有り得ない主人公で、原作では有り得ない話の進み方をしてきました。これからも完結までそういう路線は続きます。 第1部プロローグで明記したように、関係者の多くに後味の悪い終わり方をします。 特に、警察サイドと主人公サイドが両方同時にハッピーエンドになることはありません。 警察にとってのハッピーエンドは、『サキュバス』と召喚者双方の確保、及び、魔術の解明・無害化です。 主人公サイドのハッピーエンドは、召喚者が逮捕されないまま、『サキュバス』の生命が確保され、かつ児童自立支援施設送致と社会生活が成し遂げられること。 この2つが両立することは、論理的に有り得ませんよね。逆に、どちらも叶わないままという事態は有り得る訳ですが。