午後7時15分 ???の屋敷 2F ???の部屋東京都内のとある場所に、ありえないほど広い敷地の中にそびえ立つ、古めかしい屋敷がある。その屋敷の住民は、本来は、ふたり。高校に通う年齢の若い娘と、その娘に仕える執事だ。もちろん屋敷のあるじなのは、執事ではなく娘の方で、彼女は今、酷く体調が悪いため自室で臥せっている、……筈だった。「やっぱりね。自称ジャーナリストが勝手に出てきて、ネットで中継始めると思ってた」ベッドの中で上半身を起こし、膝に掛けた毛布の上のノートパソコンから、彼女は、誰かが生放送中の現場の様子を見る。遺体写真投稿後に祭りになっていたスレで、犯人がああいう書き込みをして、その後、人通りがそこそこある場所の、空きビルの2階が異常に光り始めたのが発見され……あっという間に通報されて警察がすっ飛んで来たのだろうし、掲示板も更に祭りになって、野次馬が大集結することになる。そして集まった野次馬の中には、現地から中継を始める奴が、……予想通り、実際に、出た。今、画面の向こうの現場は、中々にぎやかなようだ。あのビルの周囲、結構広めに規制線が張られていて、規制線の内側では警察車両と関係者の行き来が激しく、外側は野次馬の数が凄まじい。肝心のビルの2階の様子は映せないらしく、警察車両と関係者と野次馬しか映っていない中継だが、人でごった返してる環境なのはとにかく伝わる。「今は、こういう時代なのでしょう、……それにしても、起きていてよろしいのですか? 無理をされて、本当に、回復出来ないほどに御身体が壊れてしまうのではないかと、……私めには、それが恐ろしくてたまらないのです」執事は、画面を覗いて感心はするが、それよりもあるじの体調が気にかかるらしい。そもそも、ノートパソコンを持って来る以前に、ベッドの中から携帯電話を使って掲示板を見るのにも難色を示した執事である。どうも、あるじが半分死にかけているとでも思っているらしかった。「大げさよ。私の体調が、今以上に悪くなる要素は無いわ。 ……そもそも、体調の良し悪しには関係なく、私は、見守らなきゃいけないでしょう? ……私が、召喚したのだから」全ての始まりは、今から2週間と少し前の、夏休み最初の日の夜。魔力強化の助言役として、彼女が偉大な悪魔を召喚しようとしたら、召喚の手順を思い切り間違えたことだ。本来願った者は召喚出来ず、代わりに喚(よ)ばれたのは、剣を握った『彼女』だった。絶望的な状況に追い込まれ、思い詰めるあまり、親と刺し違えて死ぬ寸前だったという、15歳の『あの子』だ。召喚後、抗う間もなく盛大に喚んだ側の魔力が消費され、その成果として、記憶や言語や常識が、一瞬で喚んだ側と喚ばれた側で交換され、……状況を把握した結果、自分も、『あの子』も、この世界での生を願った。願わざるを得なかった。召喚の結果、召喚した側に義務が生じてしまい、身体の壊れてゆく『あの子』を見捨てると、義務違反で召喚した側も生命を落とすようになっていた。ただでさえ魔力が少ない中、相性の良い生贄を探し回ったり、居場所を探知したりするのに魔力を費やし、……結果、それ以外の術符を作る余力が無くなった、が。魔力不足で動けなくなるほどに尽力したのなら、召喚した者の義務は果たしたはずだ、……と、召喚者本人は信じている。「それでも、魔力の自然回復まで寝込み続けるのは明らかです。御身体はお労(いたわ)り下さい、……紅子様」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後7時38分 都内 現地対策本部「うちの娘は、どうなってるんですか!!」対策本部のドアを開けるなり大声を出したおっちゃんに、捜査員達の注目が集まる。彼等の中から、初めて見る顔の男の捜査員二人組が近づいて来て、俺達を本部の片隅に誘導した。「毛利探偵……!! 説明しますので、どうか、どうか落ち着いてそちらにおかけ下さい。……そこの坊やも」おっちゃんも、俺も、苦りきった顔で案内に従い、椅子に座る。机を挟んで向かい合う位置に捜査員達も腰を下ろし、状況説明が始まった。「……すでにご承知だと思いますが、現場は、この本部から見て、はす向かいのビルの2階になります。 『2階が光っている』と、通行人から交番に申し出が有ったのが、6時38分頃。警察官が現場を確認したのは、そのすぐ後です。 その段階で、既に2階は真っ青な光に覆われ、様子はよく見えなくなっていたようです。 それで、毛利探偵には、確認して頂きたい物が有るのですが……」机の上に、大きなビニール袋がいくつも置かれる。透明の袋の中に入っているそれらの物品には、俺にも、おっちゃんにも、見覚えがあった。「これ、全てお嬢さんの物ですよね? 現場のビルの階段に、……2階に上がる直前の段に、綺麗に並んで置いてありました。 制服や肌着も、きれいに畳まれて置いてあったようです」「間違いないよね、おじさん?」おっちゃんは、俺の言葉に頷いた。「ああ、間違いない、……蘭の、うちの娘の物だ」捜査員側も頷き、更に問いかける。「……失礼ですが、毛利さんは、『犯人』側の書き込みは、……もう把握されているのでしたよね?」「ああ。もう、読んでいる。 いつも帰ってくる時間を過ぎても娘が家に帰ってこなくて、待ってる間に、この坊主が例の書き込みを見つけて、な。 ……念のためのつもりで、俺から、娘のその携帯に電話したら、アンタら警察が出たんだ」「……そう、でしたか。 書き込みを読まれた以上、御納得は頂けると思うのですが、……警察としては、今は現場を見守るほか、手がありません」前もって予想できた内容だったからか、そう言われても、おっちゃんはパニックになったりはしなかった。パニックになるのは、探偵事務所に居た頃にもう経験していたから、今更取り乱さないのは当たり前だとも言える。ただ、拳を強く膝の上で握り締めて、苦しい声で呟いただけだ。「分かってる。……分かってる。確かに、それしかないんだろうな……」わざわざ俺も指摘はしないが、現場の真下や真上や、横でもなく、はす向かいのビルにこうやって対策本部を設置したことからも、『魔術』のリスクに対する警察の姿勢が推測できた。『魔術』が失敗しても、被害が少なくなるように考えたのだろう。最悪の場合、建物ごと爆発する、と、書き込みが有ったから。『魔術』をどうにかする技術も知識もないから、遠巻きに現場を見守るほかない、と、そう判断しているのかもしれない。ただ、それ以外に、この本部を見て疑問が湧いた。「……ねぇ? いくつか質問して良い?」「何だい? 坊や」この本部の窓ほぼ全ての部分に、ブラインドが下りている。特定の窓ひとつに捜査員数名が張り付き、ブラインドの隙間を広げて、目視で現場を確認している、……そんな状況だ。「現場の光、青い光らしいけど、……放射線とかじゃないの? 見て、大丈夫? それと、ここの人達、現場のビデオとかは撮っていないみたいだけど……、録画記録、撮れないの?」「うん。あの光に、カメラやビデオを向けると、……どうも機械が壊れるみたいなんだ。中の部品が砂になってた。 放射線の測定器は壊れなくて、……放射線ではないらしいことは分かったんだけど、でも、得体のしれない物ではあるんだよ。 あの光に向けた時、壊れる機械と壊れない機械が有るみたいでね、外の道路で、今、色々と調べているところだよ。 とにかく得体は知れないから、……気になるなら、直にあの光を見ないほうが良いかも知れない。特に、君は子どもだし」「……そう、……!!」突然、乱暴に制する手が、俺の頭に乗った。おっちゃんの手だ。その手はワシャワシャと、不器用に俺の頭を撫で回す。注意の言葉と一緒に。「そういう光なら、お前は外を見ずに、黙ってジッとしてろよ? ……警察の邪魔にならないように、できるだけ口を利かずに、だ」「う、うん……」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~緊迫する者、願う者、好奇心だけの者、記録する者、その他諸々。現場に注目する者達にも、もちろん注目しない者達にも、平等に、その日の夜は過ぎていく。術式開始から約9時間半後。光が止んで、事態が動いた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~8月7日 午前4時 都内 とある雑居ビル 2Fまどろみながら、目を開く。全裸の『蘭』は、同じく全裸の『彼女』の腕を両手で握りしめたまま、床に倒れていた。肌と髪が異常に白い女の子、それこそ石膏像みたいな色だった、――細身の美人が、目を閉じた姿で、『蘭』に腕を捕まれた状態で、横たわっている。――ああ、……サキュバスの身体から、魔力も、生命力も、完全に抜けたのか。一瞬で得心し、術式が少なくとも失敗にはなっていないことを悟った。サキュバスの身体から魂を抜き出し、ホモ・サピエンスの身体の中の魂に、融合させる術式。発動の経過の中で、サキュバスの身体からは魔力は抜ける。それに失敗すると、魔力が抜けきる前に、この『蘭』の身体も、『彼女』の身体も、爆発に巻き込まれるはずだった。さて、こうして魔力が抜けきった以上、『彼女』の身体は1日経たずに砂になるはずで、『蘭』の胸を刺した故郷の剣も、魔力の足しに使った故郷の装束も、もちろん生贄の血や内臓も、同様に陣の中でとっくに砂になっていることだろう。何者かの集団が、ゆっくりとこちらに一斉に近づいて、その人達が息を飲み、全裸の2人の身体に毛布が掛けられ、握った手がほぐされて、『蘭』と『彼女』の身体は、別々の担架で運ばれた。運ばれる感触で、四肢がきちんとあることを悟る。半端に成功していたら、最低でも四肢のどれかがスライムみたいになっていた、かもしれなかったのだ。いくつもの声が、蘭の名前を呼びかけ続ける。返事を発する気力が湧かないまま、安堵と疲労感に包まれた『自分』は、目を開けたまま意識を落としそうになり……「らん!!」『彼女』の記憶も、『蘭』の記憶も、両方あるから分かる。多くの声の中のただひとつ、この声が誰なのか分かる。『蘭』の『実の父親』の、叫ぶような声だ。『自分』の瞳に、涙が浮かぶ。この父親に申し訳ないからなのか、それとも、こんな父親の元で生まれたかったからなのか、『自分』でも分からなかった。※4月19日20時34分初出 表記ミスを投稿後に修正しました 4月20日 捜査員の数に矛盾があったので修正しました