8月24日 午後1時5分 召喚者の屋敷 地下大広間召喚者の装束の紅子は、もちろん、掲示板の書き込みを印刷して『彼女』に見せた。文章を読み終えた『彼女』は、少しだけ興奮した顔で筆談用ノートパソコンへ向き合う。“◆Moto/.Profさん”は、間違いなく『彼女』と同じ世界の出身。この書き込みで確定したと、紅子は判断している。この人が書き込んだ解答は、何から何までが正しい。年の数え方の文化や氏名だけでなく、約200年前の神話(歴史)の内容を丸ごと言い当てるのは、あの世界で生きた経験がなければ無理だろう。『彼女』も、多分その判断は同じだ。その上で頭が切れる『彼女』の意見を、紅子は知りたいと思う。今まで、共に話し合い、考えを巡らせて、これからの方針を練り上げてきた。今更その構造を変える気は無い。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【これで決まりですね この人が私と同じ世界出身で、間違いないです】【私も同感よ 警察は、どう動くと思う?】【そうですね 私たちは、もちろんあの世界の文化の知識があるから、これだけ読めば一発で判断出来たわけですけれど、警察の判断材料としては…… 本当に同じ世界の出身者である確率が非常に高いけれど、厳密には確証を持てないというところでしょうか どちらにせよ、警察がこの書き込み主の身元を調べるのは、やる、かも、しれませんね】【? 警察が厳密には確信できないと、そう考える根拠は?】【私達はあの世界のことを知っています、でも警察の人達は違うんですよ 私の種族の特徴=他人と交わらないと生きていけないということ、この点は、警察も、毛利家の人も、小嶋家の人も、知らされています 元太君を誘拐した時、こちらが公園で手紙を残して明らかにしていますから 一方、これを書き込んだ人は、問2の解答の解説で、世間に公表されてない私の種族の特徴、……他人との性行為が必須の種族だ、って、言い当てています この部分だけ見てみたら、警察にとっては、書き込んだこの人はかなりそれらしい相手です けれど、警察の知識としては、そこしか判断材料がない】【なるほど、あの世界の知識を当てはめて真偽を判断できる人間は、警察側に居ないものね 貴女も、入院中に、自分の世界のことをベラベラ喋ったわけでは無い】【そういうことです 特に「サキュバス」という通称自体がヒントになりますからね、元々の生態にちなんであなたが与えた名前だと、私は最初に世間にバラしています ここの掲示板の人達は、私の生態についてもかなりの考察をしていますよね ああだこうだ言っている推理は、ほぼ外れていましたけど、中にはズバり正解もありました 「R18な行為をしないと死んじゃうような生き物なんじゃねーの?」って】【そうね】【警察にしてみたら、掲示板をヒントに考えた適当な書き込みが、たまたま警察が一点だけ知っている未公開情報と合致した可能性、厳密にはゼロではないんです そういうところまで含めて考えてしまえば、警察には 100%の判断は付かない もちろん、これだけの長文を書かれたんだから、異世界出身者の可能性が極めて高いように感じるでしょうけど、100%ではない】【それで100%判断が付く時があるとすれば、それは、私達が、この人の書き込みを認めるリアクションを示した時しか有り得ない】【まさしくそういうことです だから、極めてそれっぽい相手には間違いなくて、だからこそ書き込んだ人の身元とか調べるかもしれませんけれど、あくまでこの人はそれっぽい相手のまま 書き込み主の身元を調べるだけではなく、行動確認とか尾行とかは有るかもしれません でも、警察にとって、この人に実際に接触を取って真偽を確認する、という選択だけは有り得ないでしょう】【警察がこの書き込み主に接触をして、それを私たちから検知されたら、その瞬間に、捜査員ごと魔術で昏睡、下手したら呪殺…… 内調にあんな新聞広報出させた国、そんな国の捜査機関なのに、そういうリスクはおそらく取れない 民間人巻き込んで呪い殺された、あるいは昏睡させられた、って分かった瞬間、世間からどれほど叩かれることか】【出来れば、書き込み主の身元を調べるだけ調べて接触をしない、という動きを、警察には取ってもらいたいですね で、警察が調べた身元に関する情報を、こちらが魔術で盗み見れば、楽になります その情報をベースに、書き込み主を突き止めて、念のためその人を起点に魔術を掛ければ良い どっかの捜査員が接触したら秋まで昏睡してしまうような、条件付きの昏睡魔術】【そういう流れになるのなら、出来ることなら淫夢の符が使い物になっていて欲しいところ 捜査本部+政府機関の常時観測と分析をしながら、貴女の身体に都合の良い遺体を探しつつ、その人への昏睡魔術の維持でしょう? 流石にちょっと魔力がきつい せめて捜査本部宛ての観測が、警察幹部に淫夢見せてからの記憶の抜き取りで代替できるようにならないと】【そうですね】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後1時53分 召喚者の屋敷 地下大広間あるじと一緒のタイミングで、床の上の同じ物を見つめながらの溜息が出る。敷いた布に描いた解析の簡易魔術陣、……の、ど真ん中の灰。淫夢の符を解析に掛けた後の残骸だ。あるじは、召喚者として掲示板に書き込みに行く前に、小田切刑事部長の自宅に転移して、刑事部長の枕に仕掛けた淫夢の符を回収して来ている。符をここで解析して分かった事は、今回は、捜査情報の抜き取りに失敗してした、ということ。符に描いた魔術陣の構成に失敗していたとか、そういう想定内の失敗ではなかった。枕の中に仕込んだ符は、最初は順調に発動していて、眠る小田切刑事部長に淫夢を見せていたらしい。魔術陣の起動プロセスが進み、記憶を抜き取る寸前になって、夢を見ていた本人が外部要因で覚醒してしまった。――まさか、ムカついた実の息子さんに蹴られて、夢の最中に起こされるなんてなぁ……。あの刑事部長さんに、やたらロックなドラ息子が居るのは知っていた。けれど、そんな息子が実父を蹴り起こしてしまうのは、『自分』もあるじも予想外だ、流石に。息子さんが寝室から去った後で本人は寝直したから、枕の中の魔術は再起動した。で、最初から発動し直した符の魔術陣は、記憶を抜き取る直前で魔力切れ。刑事部長に淫夢を見せるだけ見せておいて、肝心の記憶自体が盗めないまま、という結果に終わる。小田切刑事部長に精神的なダメージは与えられたかもしれないが、『自分』としては何とも消化不良な結末だった。符の魔術陣の構造は、淫夢を見せる前半部分と、記憶を抜き取る後半部分に分かれる。前半部分は自信があったけれど、後半部分は複雑なので成功するかは未知数。『自分』としては、動作の確認をするつもりで符を仕込んでもらっていた。……今回、そもそも後半部分の起動にまで至らなかったのだから、目当ての動作確認は全く出来ていない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後2時5分 毛利探偵事務所 2F警察が行う『サキュバス』事件の捜査には、制約が掛かっている。他人に漏らしてはいけない情報を漏らすのは駄目、“◆Moto/.Profさん”に接触するのは駄目、魔術の知識を得ようとするのも(多分)駄目。こういう禁止事項を破ると、捜査員が昏睡状態にさせられてしまう。魔術で、組織内の情報を見抜いていく『相手』と、何の対抗策も無く戦わなければいけない構図。……それくらい、一般人でも掲示板の書き込みから推察可能だ。おっちゃんや俺達、つまり『蘭』の家族から情報を得ようとすることについては、制約は掛かっていない、と思われる。というのも、今、実際に、捜査員が探偵事務所に聴取に来ているからだ。元太の誘拐事件が発覚した日にもここに来た、ベテランと若手の刑事2人組が。『本人』達から攻撃されない範囲を探して、出来うる限りのことをやってやろうという姿勢なのか。警察の行動としては、まぁ分かる。「入院していた『本人』から、出身地の世界のことを、何か伺っていないでしょうか? この人の解答の内容と合致している部分があったり、……逆に矛盾している部分があったとしても、それはそれで、手掛かりになるのですが」『サキュバス』は、以前、手紙で、自らの種族の特徴として、異性と交わらねば死んでしまう身体だったと書いていた。“◆Moto/.Profさん”は、書き込みの解答の中で、そのものズバりの内容を笛の民(イルンクス)の特徴として語っている。その点だけで、“◆Moto/.Profさん”が異世界出身者の可能性が跳ね上がっている。だけど、警察としてはそれだけでは確定出来ない。判断材料がせめてもう1つあれば、断定出来るのだ、と、――この刑事達は最初にそう言った。『サキュバス』が、何か自分の世界のことを語っていたなら、それが“◆Moto/.Profさん”の解答内容と合致していたなら、それは十分断定に値するのだ、とも。20日から体調不良になっていたおっちゃんは、きのうようやく体調を回復させた。刑事達と会話をしても問題無い状態だ。看病していた妃弁護士は自宅に戻り、ここで聴取を受けているのはおっちゃんと俺の2人だけ。妃弁護士も、もしかしたら別の場所で話を聞かれているのかもしれない。俺の横に座るおっちゃんは、捜査員の問いに軽く首を横に振る。「……『アイツ』、入院している間、元の世界のことをあまり話していなかったんだ。 俺達に向けて、『サキュバス』の実家は料理屋を兼ねたような宿屋だと、一度言っていた、……くらいだな。父親はそこの主人で、実の母親は後妻だった、って。 こちらとしても、そこまで詮索してねぇんだよ。『本人』が故郷の話をすること自体嫌がっていたからな」――初耳の内容だ。おっちゃん達夫婦が面会に来ていた時に話していたのか、『本人』が。ずっと知らされていなかった身の上話に驚きを感じるが、流石にこの場でその追及はしない。俺はそこまで空気を読めない馬鹿じゃない。とにかく、書き込みを読んでからずっと思っていた事を口に出す。「おじさん、名前のことは手掛かりになるんじゃない?」「……名前?」若い刑事が、案の定食いついてきた。「うん、僕、『本人』が病院から抜け出す前の昼間に、おじさん達と見舞いに行ってて。……『サキュバス』自身に本当の名前が無いのか、尋ねたことがあったんだ。(※作者註:第2部-1参照) 『サキュバス』って名前自体、召喚者から付けられたものらしいから。元々の、本当の名前があったんじゃないか、気になってて。 そしたらね。……名付けの仕組みが、この日本とは違う、って、『本人』が話してくれたんだ」あの時のやり取りを思い出す。『本人』と、おっちゃん達夫婦と、俺。計4人しか居ない病室の、8月14日の会話。俺が問い掛け、『彼女』が答えた。――えっと、うまく言えるか分からないけど……、『サキュバス』っていうのは元々の『貴女』の名前じゃないんだよね? 『貴女』自身には、名前は無いの?――君の言う通りだよ。元々『サキュバス』には、別に本当の名前が有った。これから名乗ることはまず無いだろうけどね。――何で、名前を使わないの?俺の問いかけに、『本人』は少し考え込んだんだった。思考の後に出てきた、嫌悪感を隠さない『アイツ』の反応は……。「元の世界のフルネームって、『誰々の孫の、誰々の娘の、誰々』らしくてね、全部父方を辿っていく名前なんだって。 自分を示す『誰々』の部分を命名したのも父親だから、名乗るのも呼ばれるのもすごく嫌だ、……って、『本人』は言ってたよ」目の前の事務所の机には、今日の掲示板のやり取りを印刷したA4用紙が、内容をまとめて読めるように広げられている。刑事達がわざわざ持参した物だ。今から約1時間前の“◆Moto/.Profさん”の書き込み、問2の解答部分を指差した。【問2.以下は、今の世界での私の身分を、元の世界の言葉で表した名前(ただしかなりの変則式)である。元の世界の表記に関わらず、今回は、単語の頭文字を大文字としている。 この名前を、意味をできる限り細かく示して訳せ。なお『Succubus』は『サキュバス』とすること。 Succubus Vain Reune Na Karuruban Kurau Irunkus 解答2.訳は、「主(あるじ)の配下の、カルルバン出身の、イルンクス(笛の民)の、サキュバス」】「ここの部分。かなりの変則式で名前を書いているらしくて、で、解答がこれだよね? 一応、『本人』が病院で言ったことと、矛盾はしないんだと思う」こちらが言わんとすることが分かったのだろう。ベテランの方の刑事が軽く自身の膝を叩いて、心から納得した声を出す。「本当の名前の書き方が、お祖父さんとかお父さんとかの名前を繋げる方式だったなら。そういう文化なのに、あえて、出身地とか種族を名前に使ったなら。 それなら、確かに、この書き込みでは変わった方式で名前を書いた、ってことになるな」「うん! それに、この答えが本当だとしたら、お祖父さんの名前やお父さんの名前も、『本人』の名前も、全く触れずに名乗った、って事でしょう?」結局のところ『サキュバスの本当の名前』は、分かってはいないのだ。『主(あるじ)の配下の、カルルバン出身の、イルンクス(笛の民)の、サキュバス』。出身地や種族名は分かっても、肝心の『個人を示す名前』は分からない。よって、『サキュバス』個人を指示す名としては、これまで通り『サキュバス』と呼ぶほかない。『本人』が嫌悪した、実父から与えられた元々の名前では、呼ばれようが無い。誰も『その名』を知らないのだ。「なるほど。確かに、矛盾はしないな……」俺以外の男性3人が一斉に頷く。そう。あくまで矛盾はしないという結論が導かれる、それだけの推理だ。“◆Moto/.Profさん”が異世界出身者である確率が高くなるけれど、かといって異世界出身者だと断定するには至らない、それくらいの情報。しばらく聴取が続く。最終的には、……俺達が今持っている情報だけだと、そこまでの判断しか出来ない、という結論に至った。新たな情報が出て来るなら別だが、今分かっているだけの情報で判断できるのはそこまでだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後6時 東都警察病院 603号室RRRR RRRR……午後6時きっかり。入院中の高木 渉は、TVをBGMにベッドに伏せていただけだったから、充電器に挿しっ放しのスマホの着信音にはすぐ気が付けた。スマホに手を伸ばして画面を見る。電話を掛けてきた番号は、――佐藤さんのスマホだ。身体を起こす。電話に出ない理由が有るはずない。「はい、高木です」「佐藤です。目暮警部から聞いたわ、今日から入院したんだってね。 入院早々にごめんなさい。今、仕事のことでお話ししていい? 周りは大丈夫? 手紙を送りつけてきた、『あの子』の事件なんだけど」先輩が何の事件を指しているのかすぐ悟り、無意識に息を呑んだ。先日、この人の自宅に手紙を送りつけてきた、……『サキュバス/蘭さん』の事件。「……!! 大丈夫ですよ。今のところ、僕は個室に居るので」携帯電話類の音漏れは怖い。入院先が大部屋だったとしたら、部屋を出てどこかに移動しなければいけないパターンだ。都合の良い事だが、病院側の都合で(たまたま大部屋が埋まっていたらしい)、少なくとも今晩は個室入院が確定。部屋に居るのは高木1人だけだから、通話に支障はない。今日の昼間に、『サキュバス事件』について、インターネットの掲示板で動きがあった。高木自身もリアルタイムで書き込みを見たから、書き込まれた情報だけは知っている。その件だろうか。「そう。もしかしたら高木くんも知っているかもしれないけれど、今日、インターネットで色々あって。 実は、……インターネット以外でも色々あったの。 何があったのかは、あなたが職場に復帰してからじゃないと話せそうにない事でね。だから職場に戻った時に、何があったのか訊いてちょうだい」――? 一体、何があったんだ?入院中に心労を与えるのを回避したいから、今の自分には教えないと判断したのか。あるいは、入院中の者を除外する条件付きで、『彼女』の側から情報開示でもあったのか……?追及したい気持ちはもちろん湧き上がる。だけども、こういう言い方で情報を伏せられたら、何があったのか質問も出来ない。「……分かりました。早く身体を治せるように頑張ります」何があったか気になるのなら、とにかく療養に集中しろ、……そんな意味を込めた捜査本部の判断なのかも知れず。今の立場で言える言葉を、高木は、本心から愛する人に告げる。対する美和子さんからは、どこかすがる様な雰囲気すら含んだ、祈りを込めた一言が返ってきた。「お願いよ。今は病気を治す事に専念してね。……お願いだから」――本当に、何があったというのだろう……?※9月22日 初出 9月27日 シーン追加+既存の文章が荒い気がしたのでいろいろ修正しました。 9月28日 最後のシーンだけいろいろ修正しました。 頭が良いように推理を書き連ねるって、とっても難しいですね。青山先生がいかに凄いか分かります。 登場人物の考察とかに何か穴があるようでしたら、遠慮なくご指摘願います。