(※作者よりお知らせ:前話の最後当たりの部分を投稿翌日に追投稿しております。御了解下さい) 午後9時42分 阿笠博士の家の庭正義感のあまり声を荒らげて、こちらの言葉でクールダウンした、見た目小学1年生の探偵くんは、余計険しい視線をこちらに向けてきていた。『蘭』の記憶の通り、――あぁ、こんなヤツだったなぁ、と。彼のその熱さが懐かしく、いっそ微笑ましさすら感じる。「君らしい言葉だねぇ、自首を勧めてくる、って。 今の問題を解決できれば、……ぅーん、今は当然無理だけど、これからベストなルートを掴み取れたなら、……いや、うーん……」『サキュバス』の声色で苦笑して、首を傾げて、迷うように言葉を濁しておく。自首を求めてくるのは探偵としては自然ではあるのだけれど、本当に当たり前なのだけど。……こちらの身体にややこしい事情があるからこそ、「自首する」と断言はできない訳で。「何を迷ってんだよ!? ……お、お前の言う『ベストな方法』が成功しても、自首できない理由があるのか?」さすがに声量を落としていたものの、探偵くんの言葉の勢いは相変わらず強く。ただ喋った内容に、『自分』は内心で意外さを感じた。この流れでは、こちらの態度に激高してキレるのが自然だと思うのだけど、そうでなく、『自分』が迷う理由を訊いてきた、その点に。キレる気力が無いのか、それとも、こちらから情報を引っ張り出すのを優先しているのか、……彼の様子を見る限りは後者だろうか。さっき一度爆発したとはいえ、こちらの長々した台詞に耳を傾ける方が多い、ように思える。この庭での会話、彼にしては大人しいのだ。『蘭』自身を巻き込んだ得体の知れない『相手』――、だから、感情をぶつけるよりも、情報を出来る限り入手する、そんな戦術を取っているのか。「うん、まぁ、ためらうだけの事情はあるね、『サキュバス』の生態面で。 えっと、……ちょっと長い説明になるんだけど、話に付き合ってくれるかな? これからの『蘭』にも関わりかねないのだし」ともかく迷わず思い切り頷いた。そして、――情報開示の始まりかな? と、心の中で身構える。話の流れ次第で、こちらの事情を開示することも有り得ると、事前にあるじと擦り合わせていた。いずれ他者に打ち明けねばならないこと、それをこの場でこの探偵くんや、……たぶん盗聴してる博士や哀ちゃんに先行して明かす形になっても、さして問題はない。事情を知ったところで、たぶん彼等は何の影響も生み出せないのだから。「……俺が信じるかどうかは別だぞ」己を守るように腕を組んだ彼は、浅く息を吐いてから『自分』を睨むようにこちらを見詰める。話を聞く気だけは有るのだと、そんな条件付きの了承の言葉。なるほど、無条件には信じない、と。「それは、分かっているさ。 ひとまずは取っ掛かりとして、……君達ホモ・サピエンスが、生物として最低限死なないために必要なモノ、3つ挙げてみて」また苦笑いを顔に浮かべて、『自分』は口を開く。自首出来ない事情を明かす場合、どういう流れで開示するのか、それもある程度は決めている。手始めに話題にするのは、純粋な生物学の知識の話。彼なら即答出来るだろう問いだ。「色々と定義は有るんだろうが、そういう訊き方に答えるとするなら、大気と、水と、食糧、だな」想定通りドンピシャの正答。大気が無ければ窒息して死に、水が無ければ渇きで死に、食糧が無ければ飢えて死ぬ。どれかひとつでも欠けてしまうと、ホモ・サピエンスは生命を維持できない。「正解。この3つの全部無いと、君達は遅かれ早かれ死んでしまうね。『サキュバス』も、その点は、ホモ・サピエンスと一緒。 でもね、『サキュバス』には、これが無ければ死んでしまう、ってくらいに必要な要素が、元々もうひとつあったの」『自分』は片膝を地面に着けて、目線の高さを彼と完全に合わせてから微笑みを向けた。右手の指で「1」を作り、突き付ける。ここからが本題だ。『サキュバス』を『サキュバス』たらしめる、――ホモ・サピエンスとは別種なのだと決定付ける、生き物としての差異の話。彼は肩をすくめて、笑みをいなして真顔で答えた。「それ、もしかして、魔力、か? これまでの経緯を考えるとそれしか思いつかねぇよ」――さすが探偵。勘が良い!小さな拍手と笑顔で、『自分』は、その答えが間違っていないのだと示す。だけども完全な正解では無いのも事実だから、それを指摘する言葉も一緒に。「半分、正解だね。でも、半分不正解だよ。魔力は絶対に必要だよ、その点では君は確かに正解なんだけど。 ……たぶん絶対に分からないと思うけど、追加で質問。その魔力って、『サキュバス』はどこからどうやって体内に取り込んでいたんだと思う? ヒントは、8月6日の、最初のほうの書き込みの中のワンフレーズ」『サキュバス』という名から着想を得たならば、正解を出す可能性も無くは無いのだけど、それは相当な難易度の高さだ。どんな書き込みを指しているのかは分かるだろう。『蘭』との融合魔術を掛ける前、坂田と沼淵の殺害を自白した書き込みだ。こちらが念頭に置いているのは“交渉の中で、召喚者は私を『サキュバス』と呼び続けた。その名が、私の生態に合っているから、らしい”という文章だが。「8月6日? ……大気から、じゃ、ねーんだよな。最初の、蘭に融合する前の『サキュバス』の身体は、ここの大気と相性が悪くて崩壊しかかってた、……だろ?」やはり難易度が高すぎたか。この推理は正解にかすってすらいない。あるいは『自分』が『蘭』の身体だから、あまり倫理観がぶっ飛んだ推理は無意識にセーブしている、のかも。『自分』は努めてにこやかな顔で、答えを明かした。「よく覚えているね。身体が壊れかけてた話は事実だけど、でも推理は大ハズレ。 答えはね、難しい言い回しを使うなら、……異性との性的接触で、魔力を得ていたんだよ」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後9時50分 阿笠博士の家 2F どっかの部屋「「はぁ?」」一瞬ギョッとするほどタイミングがぴったりだった。博士の口から洩れた声が、盗聴器が掴むコナンの声と、全く同時に被った。哀は慌てて真横に座る博士を見上げる。……表情が固まったまま、顔色は一気に赤くなっていた。――この程度の会話で。工藤君も博士も初心(うぶ)すぎる、……と、思うが、思ってしまうが、決して声には出さない。彼らの名誉のために。「博士、大丈夫?」「お、おう……」手加減してそれだけ言ったら、博士は一応我に返った。顔は赤くなったままだったが、とりあえず博士はこれで大丈夫。ただ問題は、庭に居る彼だ。彼には、流石にこちらから声は掛けられない。――工藤くんは、凍り付いたまま、ね。きっと……博士と哀が一緒に居るこの部屋の机の上、モニターは真っ暗で、ただコナンと『彼女』の会話を捉えたスピーカーだけが、正常に機能している状態だ。庭に隠し置いていたカメラは、『彼女』が出現した時に一斉に動作を停止した。融合魔術同様、転移の魔術も、動画に撮ることは出来ないらしい。盗聴器は壊れなかったため、結局ずっと庭でのやり取りだけ盗み聞きすることになり、今に至る。「『サキュバス』はね、身体に、他者から受けた精を魔力に変換する、言うなれば変換回路を持っていて。 定期的に誰かと交わり、受けた精を魔力に換えて生命を維持してた。 ……言い換えれば、定期的に異性と交わらなければ生命を維持できない、そんな生命体だったんだよ」ある程度喋った『彼女』は言葉を切った。対する彼の声らしい声が一切聞こえてこない。たぶん、まだ凍り付いているのだろう。何拍か置いた後に聞こえてくるのは、結局『彼女』の声だ。「この一連の事件の、いっちばん最初。 異世界から『女の子』を召喚した召喚者は、……召喚した『女の子』がそんな生態だったから、だから『サキュバス』と名付けたの。 この世界の“サキュバス”って、性行為に関する想像上の化け物、だったからね」それは知っている。彼も博士も哀も、一応、伝承上の“サキュバス”がどんなものかは調べた。日本語では“夢魔”とも訳される悪魔。寝ている者を襲って誘惑し精力を奪い取る、そんな存在。――誰かと交わらないと生命を落とす種族の子には、確かに向いている名前ね。「も、元々の生態が、何で自首をためらう理由になるんだよ!?」ようやく喋るくらいに調子を取り戻したらしい、上ずった声のコナンが、至極当たり前なツッコミを『彼女』に向けた。ああ確かに、そもそもコナンは『何故サキュバスが人格再分離後の自首をためらうのか』を訊いていた、はずだ。それが何故、『サキュバス』の元々の生態の話になるのか。まだ、話は繋がってない。「話は最後まで聞こうね? さっき訊いたよね? 今のこの身体の『わたし』は、魔術の自動発動のせいで、放っておけば魔力の欠乏から生命の危機に瀕してる、って。 それに対応するベストな方法が何なのかも、もう言ったね? ……それは、『サキュバス』用に新しい身体を創って、融合した人格を再分離するという方法」「……あ!!」穏やかに、たしなめるように『彼女』は言い、コナンは気付いたことがあったのだろう、声を上げた。今の『彼女』の身体の魔力不足という危機、そして、元の『サキュバス』の身体に存在していた魔力の変換回路の存在の話。共通点は、魔力、だ。「明言するよ。今の『わたし』のこの身体に、その変換回路はまだ作られてない。だから、今、誰かと寝ても何にもならない。 新しく創る『サキュバス』用の身体は、もちろんこの世界で壊れなくて、なおかつまた魔力欠乏にならないように、元々の身体と同じ、魔力の変換回路も練り込んでて。 ……そんな都合の良い身体を創った上で、人格を再分離したら、どうなるかな?」『彼女』の声から笑みは消えていた。至極真面目な声で出される謎掛けは、先ほどとは打って変わって分かりやすい。即座に答えるコナンの声が、スピーカー経由でこの部屋にも聞こえてくる。「『蘭』は、その身体で元の人格を取り戻す。 『サキュバス』は、定期的に誰かと寝れば魔力を維持できる、……つまり、魔力不足にならない身体に分離する」そして話は繋がる。これまた答えの分かりきった問いが『彼女』から突き付けられた。「大正解。それが、人格の再分離が成功したとしても自首をためらう理由だよ。 定期的に誰かと交わらないと死んじゃうような、そんな身体を得た、ホモ・サピエンスとは違う女の子を、……そんな15歳の女の子を、これまでこの世界の司法は、扱った経験、有るのかな?」※1月18日 初出 1月31日 誤字を修正しました