午前10時10分 阿笠博士の家――最悪な手紙だ。あまりの内容に、誰も何も喋れず、重苦しい空気が生まれる。長く長く沈黙が続き、それを破る形でようやく生じた声は、うめき声の混じった博士のもの。「つまり、新一の幼児化を、……『サキュバス』は『分析の魔術』で経緯ごと見抜いておって。 ……厄介な因果を持つ人間、つまり新一が『蘭』くんの身近に居ることを知っていながら、『サキュバス』はそんな『蘭』くんを融合相手に選んでおった、と……」確認するように手紙の内容をまとめ上げたその言葉に、俺も灰原も、頷く。最初から何もかも『サキュバス』に俺のことを知られていたなんて、信じたくなかったが、――この内容を読めば、認めるしかねぇ。「そうとしか読めねぇな、この手紙……。 ……そういや、最初の、『蘭』が融合する前のネットへの書き込みで、『サキュバス』はあの黒づくめ組織に触れていたから、な。 たぶん、俺と、……あの組織との因果は、キッパリ見抜かれていたと、……思っていいんだろうなぁ」脳裏に、今月6日の掲示板での書き込み内容がよぎる。今や大昔のように感じてしまうが、わずか10日前、『蘭』が攫われる前に繰り広げられた、一般人と『サキュバス』とのやり取り。魔術の生贄用に沼淵が殺されたことに関して、“沼淵を殺すくらいならあの組織の者をぶち殺せ”と揶揄した一般人が、あのスレッドに居たはずだ。――ふるさとに蛍見に行って捕まったぶっちーコロコロするくらいなら時たまウロついてる全身真っ黒けの厨臭い変態集団もぶち殺しとけよ あいつらマナー悪いし真夏でもコートとかマジキチwwwwくっさwwwwww――言ってる対象が誰なのかはわかる。 一応、確定死刑囚から捕まってない犯罪者まで、世間に知られてる分は検討したからね。 殺る順番とか誰を殺すかとか、生贄にする上での相性とかあって、対象外になった人達がかなり居るけど。あの書き込みから考えて、『サキュバス』は、あの黒づくめの組織の存在自体を把握済み。組織の存在を知り、かつ俺の正体が誰であるのかも分かっているなら、当然どんな経緯で俺の身体がこうなったのかまでもを見抜いていると考えるのが、自然だ。「弱み、握られたわね。よりによって『蘭』さんに融合した『犯罪者』に。 ……ある意味では一番知られてはいけない相手に、『江戸川 コナン』が『工藤 新一』だと知られた」そう溜息交じりに呟いた後、灰原は言葉を切った。そのまま数度小さく息を吐き、心を落ち着かせたらしい、……灰原は、俺を見つめつつ問う。「どうするの? 求められている通りに『彼女』に会うの? それとも、会わないの? ……いっそ会う事なんて考えずに、この手紙を持って、FBIかどこかに保護を求めるのも考える? 得体のしれない相手に、知られてはいけない秘密を知られたんだから。 もし『彼女』に会うとするなら、貴方が1人で今日か明日の夜、ここの庭で待つことになるのよ?」灰原の言う通り、FBIに保護を求めることも取り得る手だ。『サキュバス』や召喚者が、俺の秘密をずっと誰にも漏らさずにいる保証なんてどこにもない。知られるべきでない秘密を知られた時点で、俺も灰原も危機なのだ。……だが。融合前の蘭の姿を思い出す。俺が『新一』として電話を掛けた時、電話口で俺を想って泣いていた――「…………。 会う、『あいつ』に。明日じゃなくて、今日の夜に。 探偵失格かもしれねーけど、……人格の混じった『蘭』が、俺の正体を知った『あいつ』が何を考えてこんな手紙を送ったのか、直に会って訊きたいんだ」灰原は、一言「……そう」とだけ言って頷いた。俺が喋った理由を、あまり信じていないような口振りで。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~博士の家に行く理由を、『夏休みの宿題と工作』だとおっちゃんに告げてた以上、誤魔化しは効かせなければならない。急ピッチで夏休みの宿題と工作をこなしつつ、灰原や博士と話し合った。――人払いを相手が要求している以上、指定の時間に、庭に出ておくのは俺だけ。灰原と博士は家の中で待つ。 念のため俺は探偵バッジと盗聴器を身に着けておき、灰原と博士はそれを通して会話を監視。 『本人』と話をする時、『本人』が犯罪行為の支援を求めてきた場合は拒絶する。 但し、犯罪ではない行為の支援である場合は、内容によっては検討する……そんな方針を決めて、それ以外にもいろいろなことを話し合い、……時間が来た。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後9時30分 阿笠博士の家の庭手紙に書いた通りの時刻、俺がたった1人で立っているだけの庭で。俺の1mほど前方、何もないはずの空間が突如赤く光り出した。融合魔術の時とは違う色の、強烈な眩しさに思わず目を細め、瞬間、その光の中に『本人』は現れる。――魔術の、光か……一瞬で光は収束し、庭は、闇に包まれた空間へと戻る。出現した『蘭』は、……黒いワンピースの上に灰色のローブを羽織った『蘭』の姿の『彼女』は、俺に向けて何でもない風に片手を上げて挨拶。元の『蘭』よりは低い、『サキュバス』の声で。「こんばんは。まずは手紙に書いてくれた通りに、ここで待ってくれていたことには感謝するよ。 ……最初に言っておくけど、ここでのやり取りは『わたし』と君だけではなくて、召喚者も聞いていると考えてほしいかな。魔力があるから、機械に頼る以外にも聞き耳を立てる手段は有るのさ。 今の君だって、盗聴器は着けているでしょう? 工藤 新一くん」微笑みながら俺に告げる言葉の中身は、表面的なにこやかさとは裏腹の露骨な釘刺しだ。俺が工藤 新一だという事を、『彼女』も召喚者も知っている。そして、この場所の会話は、召喚者には秘密に出来そうにもなく。更に、……当て推量がたまたま当たった可能性もあるが、俺の身体に付いている盗聴器を魔術で見抜いている可能性も、否定はできない。「俺がこうなった経緯は、アンタらは、……『サキュバス』と召喚者は、どれだけ見抜いているんだ?」盗聴器の話題には触れず、暗に俺の正体を認める形でそれだけを問う。分析する魔術とやらの性能を確かめる意味でも、これは確認しておかねばならないのだから。『彼女』は、腰を落として俺に目線を合わせた。俺の背後の博士の家を、右手で指し示して告げる。「君と、あの家に住んでいる哀ちゃんが、黒づくめの恰好した変な人達と、……何か触ったらひどく大火傷しそうな因果があるって事は分かってる、かな。 君もあの子も、あの変な人達と因縁があって、元の姿からかなり若くなってるんだよね? あと、『サキュバス』が生贄用で殺した沼淵さん。……あの人も、昔は同じ黒づくめの人達と因果があったみたいだね。 それから、毛利 小五郎探偵に弟子入りしてた色黒の院生さんも、工藤 優作さんのお宅に住んでる院生さんも、……思いっきり、同じ相手との因縁を抱えてる、かな」つまるところ、おおよそ俺があの組織について知っていることは、丸ごと『彼女』も魔術からの知識として知っている、ということ。FBIや公安の人達のことも見抜いている辺り、――本当に洒落にならねぇ!俺の顔が思い切り引きつるのを感じる。『彼女』は笑って、そんな俺をフォローするように更に告げた。「……まぁ、でも『わたし』自身の生命が危ない状況なのに、君達のそういう面倒事にわざわざ首を突っ込む気は無いよ? ものすっごく面倒な薬(ヤク)のネタみたいだし。 警察とかにそういう秘密をぶちまけたところで、新一くんだけが危険になるだけだ、って、分かっているからね。だから、誰にも言わない。 何だかんだ言って、今の『わたし』は半分『蘭』だもの。新一は、……死なせたくないなぁ」これまでずっと『サキュバス』の低い声だったのに、最後の辺りだけ『蘭』のような喋り方。俺を死なせたくないという、その言葉を、一瞬、本当にそう思っているものだと信じ込みそうになり、……ズルいな、と思う。『犯罪者』が人格に半分混ざっている段階で、探偵として、その主張を頭から信じるわけにはいかないだろうに。俺は動揺を悟られないように肩をすくめる。「そうか? 正直、今までの『お前』の喋り方に、『蘭』の気配はあまり感じられないんだが……。 と言うか、『アンタ』、手紙に『会って話したいことがある』って書いてたろう? 一体、何を話すつもりで来たんだ?」『彼女』は、こんな俺の心の動きを見透かしているのか。ずっと腰を落とした姿勢でいるため目線を合わせたままの顔は、こちらの真剣な目を受け流すように微笑み、問いに問いで答えた。「今の『わたし』の身体の問題、分かるはずだよね? インターネットで、召喚者にきのう書いてもらったから。思い出して、言ってみて」何故そんな言い方をするのか。謎に感じつつも、その問いには即答する。あの書き込みも、これまで何度も読み込んだ。丸暗記に近いくらい、書き込み内容は頭に入っている。「あの書き込みによれば……、 『他人の直近の性行為を見抜く魔術』が自動発動中で、魔力の消費が止められない。このままだと『アンタ』の身体から魔力が枯渇して、今の人格も身体も壊れて廃人になるしかない。……って、書いていたよな?」俺の訊ねるような言葉を受けて、『彼女』は頷いた。「その通り、よくまとまっているね。それで召喚者のところに逃げてね。色々と話し合って解決の手順が見えてきて、分かったことなんだけど……。 色々と、仕込んでおく前に君に訊ねておきたいことがあってね、工藤 新一くん。 君は探偵だよね? それも、魔術の無い本来のホモ・サピエンスだけの世界ならば、非常に優秀な探偵さんだ。……だから、君に質問」その顔から微笑みは消え去っていた。あくまで低い『サキュバス』の声で、『蘭』の姿をした『彼女』は、俺の目を見つめたまま問いかける。「生命の危機を回避する方法は、ふたつ、思い付いていてね。 ベストだと思う方の手順が順調に進んでいけば、『蘭』は元通り、『サキュバス』の居ない人格を取り戻して、両親の元に帰ってくると思う。 そういう風に、人格を再分離する魔術で解決できるように、また生きてる誰かの人格も巻き込まずに済むように、これから色々仕込みに掛かるから。 でも、その手順の中に、……殺人はぎりぎりで回避できるにせよ、これまでの『蘭』ならしないような、他人を悲しませる手段が、絶対に必要なんだ。 おまけに、戻ってきた『蘭』が『サキュバス』と融合している間の記憶を失っているなら、融合中にどんな事をやらかしたのか、全て忘れているとするなら。 ……君は、それでも『蘭』の帰還を待っていてくれるのかな?」問いかけの前提を頭の中で整理する。――人格は再分離、他の生きている誰かの人格も巻き込まず、人を悲しませる手段、『蘭』は帰還時に全て忘れている…… これから誰を悲しませるのか、『サキュバス』の人格が何に宿るのか、思い付くものはあるものの確証は持てない。 ただ拘置所の収容者を殺してまで生きようとした『彼女』が消滅する方法を選ぶとは思えず……、『サキュバス』は生存を望むのだろうと気付いた瞬間に、俺は叫んでいた。 「俺は、……俺は『蘭』が戻ってくるのを待つさ! でも、それだけで帰ってくるのは『蘭』だけじゃねぇ! 『サキュバス』、お前もだ! 周りを散々巻き込んで、踏みにじって生きようとするヤツが、何も裁かれずに生きていくとしたら、……俺は絶対に許せねぇ!」「ちょ、……ちょっと、ご近所さんに聞こえるよ。ここ、屋外なんだから」 こちらの剣幕にギョッとして、『彼女』は一歩後ずさった。両手を小さく上げて、俺に声を落とすように仕草で促す。 ……そんな反応で急速に俺の頭が冷えて話に返り、頭に血が上がっていたことを自覚。 後ろに下がった形の『彼女』は、その位置のまま見上げるように周囲の家々に視線を向けていた。ひとしきり見渡した後に「……ふぅ」と溜息を吐いて、更に言葉を続ける。 「えっと、取りあえず、魔術で探知できる限りご近所さんに気付いた人はいないみたい、だけど。声は落とそうね? 今、結構興奮していたのかな? 言葉の意味が微妙に変だったんだけど。 『サキュバス』には、『蘭』みたいに大手振って帰れる場所はないんだけどなぁ、君は、『蘭』の帰還と一緒に自首しろと言いたいの?」 「あ、ああ。……そういう事だ」 フォローを兼ねた確認に、俺は取り繕うように頷く。俺が言いたかった意味を、まさに『彼女』は汲み取っている。 ※1月12日 初出 1月13日 最後の辺りが分かりづらかったため、微修正の上、会話を追加しました。 1月31日 誤字を修正しました。 4月6日 会話の中に矛盾を発見したので修正しました。