午後6時15分 毛利探偵事務所 3F「工藤、……お前、ホンマ大丈夫か?」俺からの電話を取った服部の第一声が、こんな言葉で。――あぁ、こいつ、今日の昼の召喚者の書き込みは把握済みなのか、と、悟る。電話を掛けた俺の口から出てくる言葉は、どうしても弱気な内容にしか、ならない。「……ぁー、心配かけてすまねぇ。正直、大丈夫じゃないかもしれねぇけど。 今日の召喚者の書き込み、お前もう読んでるんだよな? 俺も、おっちゃん達も、その件で、今まで警察で聴取されてたんだ」答えは分かりきっているが、それでも確認はしておく。呆れたような気遣うような、そんな吐息交じりでの分かりきった内容の答えと、感心したようなこちらへの確認が来た。「そりゃあなぁ、……あの書き込み、昼やで? 夕方の今になっても俺が把握してなかったら逆に変や。 でも、予想通りお前も聴取受けてたんやな、おっちゃんだけやのうて。お前は小学生ってことになっとんのに、あの、性がどうこうっていう書き込みの内容で」服部が言いたい事は分かる。あの『サキュバス』の書き込みに言及する場合、性に関する言葉に触れずにいるのは、どうしても無理。小学1年生相手に話す内容ではない。捜査本部の考え方次第では、おっちゃん達を聴取する間、俺からは何も聴き出さずに放置する判断だって、有り得なくは無かった。「ああ、それは俺が気を回した。おっちゃん達にも、捜査本部の捜査員相手にも、片っ端から質問しまくったんだ。 『……ねぇ、今日の召喚者の書き込みだけど、文章の意味、僕は分からないふりしていた方が良いのかな?』って。 大人達は当然、文章の意味が分かっているのかを聞いて来るだろ? で、俺は『たぶん知ってる。人が赤ちゃん産むのに必要なこと、だよね?』って……。 結局、……その甲斐があったかどうか知らねぇけど、俺は書き込みを読んだ前提で聴取を受けて、きのうの『本人』との面会内容を全部警察に話したわけだ」電話越しに盛大に吹き出す声が聞こえた。「!! ……ィヤ、スマン、その方法は、……良く考えたな、工藤。警察から情報は取れたんか?」笑いのツボに嵌り掛けて、でも笑うどころでない状況だと気付いて笑いが止まり、すぐ真剣な声になって質問してくる。ここからが本題だ。俺が服部に電話したのは、大事な『アイツ』が巻き込まれた事件について、服部に話したいと思ったから。俺が警察やおっちゃん達から直に聞いたことも、おっちゃんに付けた盗聴器経由で聞いたことも、全て話しておきたい。「今日のあの書き込みに、少なくとも妃弁護士が分かる範囲では、嘘は書いてない、そうだ。言うべきか悩んでいたようだが、結局、妃弁護士本人は俺に認めた。 きのうの筆談内容もあの書き込み通りで、嘘は書かれてないらしい。 ……だから、書き込み内容に『サキュバス』にしか知り得ない情報が書かれていた事は、捜査本部も、おっちゃんも、妃弁護士も、共通の見解になってる」つまり『本人』は、13日の午後の覚醒以降、『他人の直近の性行為の情報を見抜く魔術』がずっと発動している状態で。その発動状態が止められず。それで、周囲の者、……病院関係者、警察関係者、周りの病室の患者や見舞客、両親等、近づいてくる者達の性行為の情報を延々と見続けていて。『本人』は、その事を、きのう14日に雇われた弁護士2名と、母である妃弁護士にだけ筆談で打ち明け、証明のため妃弁護士とおっちゃんの営みの内容を書いた。……そういう情報一切が、たぶん事実だ、と。「……そうか」服部の反応は、しばらく黙った後の、その一言だけだった。そんな反応になるのは、まぁ、……分かるから、俺はとにかく聞いた情報を明かす。「書き込みがどこの端末からなのかも警察は調べたそうだが、案の定、これまで事件に全く関与したことのない第三者の携帯からの書き込み、だったらしい。 捜査関係者も、『蘭』の家族も、『本人』に付いた弁護士も除外されて、……消去法で、あの書き込みは『サキュバス』側の誰かだろう、と。 今のところ、忘れ物の携帯電話を、召喚者が盗んだ線が濃厚らしい」「忘れ物か。……その見込み通りとして、盗んだ時の監視カメラとか、証拠当たれるんやろうか?」どういう場所に忘れられた携帯を盗んだのか知らないが、何も言わずとも、警察は監視カメラを全部調べ始めるだろう。そんな捜査は基本中の基本だからだ。だがあえて服部がそう言ったのは、……『魔術』と呼びたくはない、証拠を一切残さず物を盗むような『技術』が、召喚者の側に有るかもしれないから。こちらの科学技術ではどうにもできない『技術』を駆使して色々とやらかす相手は、警察にとって手強い相手に違いない。「さてなぁ……。 ……話は変わるけど、実はな、服部。あの書き込みを見た段階で、俺もおっちゃんも、『サキュバス』側の書き込みだろうと推測していたんだ。 『本人』、きのう病室で、『召喚者の事を喋らない理由を当ててみろ』っていう内容の問題を俺に投げてきたから。ヒント4つも付けた上で、な。 で、『答え合わせは、15日か16日にしよう』って、言ってきたんだ。……あの書き込みの冒頭に、その問いかけを踏まえていたとしか思えない箇所があった」――『明日か明後日、答え合わせをしようか。君の推理がどれだけ真実に近づいているか分からないけれど。まだ8月だもの、夏休みだから君は明日も明後日も暇でしょう?』それが、病室で俺に向けた、『本人』の最後の言葉。俺は『本人』の脱走を思い浮かぶことは無く、あの病室に居る『本人』との答え合わせばかりをイメージしていた。だがきっと、そのヒントを出した時点で、『本人』は召喚者のもとへ身を寄せること、答えをネットに暴露することを密かに心に決めていたのだろう。そして予定通りの脱走の後、『何故わたしが病院でずっと召喚者の情報を黙秘し続けたのか、答え合わせをしようか』と、書き込みの最初に書いた。「それ、初耳や。……ヒントの内容は?」そう言えば服部には、この『本人』が出した問題の件は話していなかった、な。きのう話す寸前でおっちゃんが乱入し、そのまま電話する機会がなく時間が過ぎていた、はずだ。「ヒント1つ目が、【『わたし』が悩み始めたのは、13日の午後に覚醒してから】 2つ目が、【『サキュバス』としてはよくあること、高校生としては有り得ないものを見た】 3つ目が、【人の名誉に関わること】 4つ目が、【コナン君には何もないから楽だ】 答えは書き込みを見れば一目瞭然だよな。……【他人の性行為を見抜く魔術が自動発動状態になってしまって、解決のため頼れる相手が、召喚者しかいないから】」書き込みを読んだ後で振り返れば、辻褄は合う。1つ目、魔術が自動発動状態になったのは、書き込みによれば13日の午後。悩み始めたのもまさしくその時からだろう。2つ目、『サキュバス』にとってよくあることなのかどうかは分からないが、高校生にとっては確かに性行為の情報に触れるのは有り得ない。3つ目、たしかに人の性行為の情報は、モロに名誉に関わる。4つ目、そりゃあ俺からは何の情報も得られないだろう。新一だった頃も含めて、……言いたくないが、経験は、……今の所皆無な訳で。「正直、……そんな分っかりづらい問題が有ってたまるか、って思うで。俺は」服部が率直な感想を言う。確かに、答えに当たるあの書き込みをみてから、ヒントを振り返って、そして意味を理解するような、そんな問題だった。ヒントだけで答えを当てるのは、かなり厳しい。……でも、手掛かりは、一応あるにはあったのだ。「ああ、俺もそう思う。でもな、服部。振り返ればその4つ以外にも手掛かりは無い訳じゃなかったんだ。 きのう、『本人』は、見えないはずの隣の病室のおっちゃん達の動きを言い当てていたんだ。……変だと思っていたんだが、その時は分からなくてな。 今日、俺が問い詰めたら、妃弁護士が認めたよ。……『本人』、魔術で掴んだ人の移動を検知できていたらしい。レーダーみたいに。 俺みたいに、……経験が無い人間は、魔術の特性上掴みようが無かったらしいがな」スマホの向こう、短く息を呑む音がする。「……、それ、つまり、非童貞と非処女限定のレーダーか……?」「あぁ。捜査本部の人間は頭抱えていたよ。 で、おっちゃんは妃弁護士と派手に喧嘩してた。秘密を守る義務があるのは分かっていても、……でも、秘密にされたことを受け容れ辛かった、らしい」「それは、……そやろなぁ」母親が娘の要請で秘密にしてほしいと言っていたことを、早々明かすわけにはいかない。弁護士であっても無くても、守秘義務を守るのは当然の事。特に、性的な話題を含む内容を、他人に明かすわけにはいかなかったというのは、分かるのだが。だが、おっちゃんの頭に、その事実がまだついていけてない。……たぶん、俺自身も、事実をまだ受け入れ切れてない部分は、ある。「『本人』、あの病室に書置き残していったんだ。最後に、『いつ戻るのか分からないけれど、いつか蘭は戻ってくるでしょう』って書いてあって。 『蘭姉ちゃんが戻ってきたとき、両親が仲悪かったら悲しむよ』って言う方向で俺はフォローしたんだけど、なぁ……」口論の挙句、妃弁護士は泣き顔で自宅へ去り。おっちゃんは、俺にコンビニで買った夕飯を与えてこの3階の部屋に放置。今は2階の事務所で、……たぶん酒浸り中。もしかしたら、いつになるか分からないという、その『蘭』の帰還よりも前に、夫婦仲が壊れてしまう方が早いかも知れない。RRRR RRRR・・・・・・突然、着信音が鳴った。今使っている新一のスマホでなく、コナンの方のスマホだ。「悪ぃ服部、コナンのスマホに電話だ。……いったん切るぞ」「おぅ」プツッ断りの言葉を入れて服部との通話を切り、鳴っている方のスマホを取る。電話を掛けてきたのは、……何だ、阿笠博士か。「どうした、博士?」博士には、『サキュバス』の事件のことはまだ何も話していない。だから、その事件絡みの電話ではあり得ない、と、当然、思っていた。キャンプか何かの誘いだろうかとでも思っていた俺の言葉に対して、返ってきたのは想定もしない博士の報告だった。「新一、ワシの家のポストに手紙が入っておったんじゃが……、その手紙が……。 切手も消印もない手紙で、宛先が『阿笠 博士 様』と『工藤 新一 様』の連名になっておってな、『親展 17日までにお二人御揃いの場で開封下さい』と書いてある。 差出人が蘭くんの名前なんじゃが……」「……何だって!?」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午後8時30分 都内 某アパート 高木の自宅RRRR RRRR……テーブルの上で鳴り響く、プライベート用の携帯電話の受信画面を見て、警視庁捜査一課の刑事、高木 渉は軽く息を吐く。「……佐藤さんからか」元々は丸一日非番のはずだったのに、昼に本庁まで呼び出されて聴取を受けた。その聴取が終わったのは1時間半くらい前。聴取後は真っ直ぐに帰宅して、今は自宅で夕飯を食べていた。あの人の携帯には、本庁から解放された時に様子を案じるメールを送った。その返信は今に至るまで無かったから、この着信は相手からの初の反応になる。「もしもし、僕です。……大丈夫ですか? 佐藤さん」何が大丈夫なのか、とか、具体的な内容は触れない。言わなくても、意味は通じる。高木と同様に佐藤も聴取で呼び出されて、あの書き込みを読まされているはずなのだ。だから『本人』に、自分達の交わりの記憶を見抜かれたことも、……それを『ハニーロード』のカップルとしてネットに暴露されたことも、知っている、はず。「何とか、落ち着いたわ。心配かけてごめんなさい。 私はさっき聴取が終わって、今家に帰ってきたんだけど。……そちらの聴取の終わりはちょっと早かったのね。高木くんは、今、家に居るの?」大事な先輩刑事の声は、かなり沈んで落ち込んでいるようだが、あくまで落ち込んでいる声だ。泣いたりはしていない。強いて言えば無理して涙をこらえている可能性はあるものの、この会話の流れでその詮索は無粋の極み。とりあえずは、問いかけに答える。「ええ、帰宅済みです。今は夕飯を食べてました」その言葉に、佐藤刑事は元気の感じられない声のまま、こちらが気付いていないことを知らせた。「そう。 ねぇ、テレビ見てる? 日売テレビでテロップが出てる、……『ホワイトムーン』の件の当事者が逮捕されたって」『ホワイトムーン』の当事者、――誰を指しているのかは明白。自分達と並べてあの書き込みに記載されていた婦警だ。無問題だった自分達とは対照的に、米花町のラブホテルで、彼氏2人と共に薬物に手を出した疑惑のあるKというイニシャルの婦警。高木の目の前にテレビは有るが、電源は元々つけていなかった。慌ててチャンネルを取る。「え!? ちょっと待って下さい。 ……本当ですね」日売テレビは、収録物のバラエティー番組を放送中らしい。雛壇芸人が能天気に笑っている映像の上部、言われた通りの文字が出ている。ひとりでに、高木の口からはそのテロップの文字が読み上げられていた。「『警視庁 現職の女性警察官(26)を逮捕 覚せい剤取締法違反などの容疑 知人の警察官(26)と会社員(27)の逮捕状も請求』 『病院から脱走したサキュバスの ネット掲示板への書き込みで発覚 「魔術で見抜いた」として ホテルでの薬物吸引を指摘していた』……」事情を知らない人にとっては、後半部はよく分からない内容だろう。ただしネットで事件情報を追いかけている多数の一般人にとっては、あの書き込みに真実味があることを知らせる内容になる。書き込みの内容が一応真実であると捜査で裏が取れていて、かつ警察がマスコミに情報を流さない限り、こんな内容のテロップは流れない。覚せい剤の使用有無は尿検査で一発で分かるし、ラブホテルの使用状況も監視カメラを押収すればすぐ判明するから、冤罪の恐れは極めて薄い。「こんなテロップになった、って事は、マスコミに報道の自粛を要請したりはしてない、ってことよね? 夜のニュースでこの事を集中的に掘り下げるのかしら? 経緯も一から説明し直す形になって、魔術の内容にも触れるのよね? ……もちろん、私達のことも」『本人』の、病院からの脱走は既にニュースになっている。その後の書き込みは、当然だが直後からネットで大騒ぎになっていた。そして今の、婦警逮捕の情報。もう報道されても問題無いと警察の上層部が判断したから、こんなテロップが出ているのだと推測できた。「そう、でしょうね。正直な話、魔術の内容に触れずに説明する方法が思い付きませんから。 『直近の性行為を見抜く』って、言わないと、……一般の方には事情が分からないですからね」高木の脳裏に、『性行為』という単語が連呼されるニュース番組が想像で浮かぶ。よく分からずに単語の意味を聞いてくる子どもと、凍り付くお茶の間の光景も。……巻き込まれているのが知り合いの女子高生でなく、自分達が記憶を覗かれた当事者でなく、ただの一般人ならば、笑える1コマなのかも知れない。「ところで、聴取の時に言われたんだけど、ね。 外部の人にとっては、私達に比べて『ホワイトムーン』のカップルの方が大問題だから。……そっちの方がインパクトが有るから、だから私達の方は目立たずに忘れ去られるかもしれない、って。 あの書き込みのせいで、私達の付き合いが上の方まで知れ渡ったけれど、私達には、お咎め受けるようなことは今の所何も見つかっていないから。 だから、私達の名前はもちろんのこと、所属も年齢も一切伏せる、って」警察は元々職場結婚が多い組織だ。独身同士で、不倫も二股も無く、純粋に自分の責任で付き合っていた成人の男女の仲を、監察が咎めるはずがない。例の書き込みで仲が暴露されたことを咎めようにも、周囲の人間が魔術の存在に一切気付いていない状況で、それを理由に罰するのは理不尽に過ぎる。とはいえ、佐藤の言葉は多分に願望が含まれていて、……若干楽観的だと感じたものの、高木はその内容には同意する。「そうなると、いいですね。 『あの子』も、何も違法なことしないまま、保護できれば良いんですけどね……」言いながら、これこそ現実味の薄い願望だと、高木は思った。これまでも、これからも、自分の生命に関わる事には『彼女』の態度は真剣だ。生存のために拘置所の被告を2人殺した子が、これからも犠牲を出さないと、誰が保証できるのだろう?恋人との仲を暴露されたことに怒りは無いが、そんな風に人を殺した存在に、知り合いの女子高生が巻き込まれたことが、自分にとっては残念でならなかった。「……そう、ね」一応同意する佐藤の声も、現実的な難しさを理解しているらしく、強さは無い。警察の者として認めたくないが、今の警察には、『彼女』と召喚者を止める手立ては皆無。あの書き込みを見た一般人も薄々思っているだろう。警察に出来ることは、すぐ砂と化してしまう証拠の残骸を掻き集めながら、『彼女』がこれ以上、重大事件を起こさないように祈ること。それだけ、なのかもしれなかった。 ※12月23日 初出 12月29日 後半部のシーンを加筆しました。 2015年4月4日 誤字を訂正しました。 なお、次話で募集したモブキャラ名が出ます。