8月14日 午後9時36分 召喚者の屋敷 地下大広間トイレの中で必死になって構築した転移魔術は、途中『誰か』が魔力を流し込み支えるように構築を補助し、そのため暴発することなく安定した効果を発揮した。『自分』はその魔術の流れに従う事を当然選び、『自分』の身柄は視界の一瞬の暗転の後、願った通りの場所に移る。魔力の増強があっても、術に使った符の材料の悪さは若干祟った。転移後に襲ってきた目まいのため、『自分』はそのまま床に座り込む。懐かしい、地下室の床に。「“……Yura, Kerufe‐fira?? (……貴女、大丈夫なの??)”」真っ黒いローブと、同色の仮面を着けたひとが、『サキュバス』を召喚したあの方が、『自分』を見下ろしてそう言った。これまた懐かしい『サキュバス』の故郷の言葉で。だからフラフラした頭を抱えつつ、『自分』は一言だけ同じ言葉で応じ、それから以後はほぼ日本語に切り替えた。目上の喋る言葉に合わせるのは『自分』の故郷の礼儀だ。「“Kerufe-nan, esti ……(大丈夫です、今は……)”。 ……本当にありがとうございます、Reune(あるじ)。貴女の協力が無くば、ここには来れませんでした」『サキュバス』の魔術の流派に限った話ではあるが、以前ハツカネズミの血を符に多用したように、哺乳類の体液は、術の符を作るのにほぼ必須と言って良い。ホモ・サピエンスの女性は、『サキュバス』の種族と違って、大体の人が定期的に『血を流す』。『自分』の身体はちょうど『その時期』だったから、破いたノートの上に自前の血液を使って、転移魔術の符としたのだった。ただ、そんな符は簡易の極みで、その効果も安定しない。この部屋を狙った術式の発動に召喚者が気付き、かつその追加で魔力を流してくれなければ、安全にこの部屋に到着することは、ほぼ出来なかったと言って良い。「ところで、何が有ったの? ここに来たということは何か問題があったのでしょう?」目まいが少々マシになった『自分』は、顔を上げて仮面を着けた顔を見つめる。見上げた先に見える光景は、何もかもが懐かしい。あの日、召喚の門に吸い込まれた後、この室内に展開された魔術陣の上で、こんな風にへたり込んだ『サキュバス』は、この方に向き合ったのではなかったか。黒い仮面を着け、絶対に『サキュバス』に素顔を見せることはなく、名を明かすことも当然無く、必要なときは『サキュバス』の故郷の言葉で『Reune(あるじ)』と呼ぶように命じた召喚者。女性だろうとは推察しているが、『自分』に向き合うときは、常に両目しか分からない形の仮面を着けているから、その素顔なんて一切分からない。「ええ。困り事が生まれました。『わたし』が生きる上での重大な困り事です。 ……今のこの身体では、『わたし』は生きていけないかもしれないのです。魔術のせいで、この身体は、また重大な危機に瀕しています」「……どういうこと?」仮面の下の目、数度瞬きの後、当たり前の問いかけが来て。『自分』は、当たり前のように口を開いた。警察病院に居る間、警察にも弁護士にも家族にも話せなかったこと。『自分』の危機について、この方なら打ち明けることが出来る、頼ることが出来る、と。そう心底思ったから、こうやって転移の魔術で、ここに逃げて来たのだ。※読者の方へ募集している事があります。詳細は感想掲示板をご覧ください※