午後9時45分 毛利探偵事務所 3F「何やそれ! 結局その被害者は、人違いで刺し殺されたんか?」俺の説明で事件のあらましを一通り知った服部の、呆れ果てた声がスマホから俺の耳に響く。やはりそんな風な声が出るような、とんでもない理不尽な事件だったのだと、……今日振り返って、改めて思う。「ああ、太っているかどうかの違いはあったけど、兄弟で顔がそっくりだったから。殺された方はひどいとばっちりだよな。 生き残った弟の星威岳探偵も大変だろう、犯人は探偵がきっかけで殺意を持ったわけだし、それに……」被害者の職業を言おうとして、寸前で迷い、結局口を噤んだ。殺害された夢見氏は、どうやら生前はAV男優だった可能性が高いのだ。今日警察病院で発生したのは、曲がりなりにも殺人事件。ニュースを話題にするネットの掲示板では、報道の記事を情報源にしてスレッドが立つ。そのスレで、前々からネットで通販されているという商品のパッケージ写真が晒され、話題になっていた。ひねりのない本名に近いニックネームと、大写しになった俳優の顔と体格、……俺が見る限りほぼ間違いなく俳優が被害者本人だった。そういう掲示板で話題になっているのだから、たぶん警察も、弟の星威岳さんも、被害者がどんな職業だったのかはすぐ知る事態になるだろう。「それに、何や?」当然に、服部は俺に言葉の続きを促す。……小さく溜息を吐き、俺は、夕方に追加で知った別の情報を言った。これもこれで、話題に出す意味はある情報だから。「おっちゃんと夕飯食べている最中に、ここの事務所に星威岳探偵が電話してきたんだけど、盲腸で入院中だった星威岳探偵の父親も、……今日、亡くなったそうだ」「つまり、その星威岳探偵は、実の兄貴が刺殺された後に、父親を盲腸で亡くした、と。 それは、……確かに大変そうや。てか、何でその探偵がそっちの事務所に電話してくんねん」同情と、的確なツッコミ。被害者の弟がこちらに電話して身内の不幸を知らせてくるのは、服部にとって違和感が拭えないくらいに不自然なのだろう。「……ああ、それは、単にお礼の電話を掛けてきただけだ。 おっちゃん、その談話室での殺人事件の第1発見者になった上、警察の捜査に協力したから。その事を、星威岳探偵は警察から聞いて、初めて知ったんだとさ。 警察の聴取でおっちゃんの事を聞いてびっくりしていたら、父親が危篤になって病院に呼び出され、病院に戻った直後に父親に死なれて。 霊安室で葬儀社の車を待っている最中に、おっちゃんへのお礼を言ってないのを思い出して、携帯で事務所の番号調べて電話したんだと。 『……ひょっとしたら、次から次から色んなことが起こったから、星威岳探偵は混乱してるのかもしれない』って、おっちゃんがボヤいてた」電話の途中から、おっちゃんは相手を刺激しないよう、とにかく相槌だけ打ちながら相手が通話を終えるのを待っていた感じ、だった。現実が受け止められなくなっても不思議でない、そんな事の連続の中に、あの被害者の弟は居る。相手が突然電話を掛けてきてひたすら話し続けた事に対して、おっちゃんの心に本人への憐みや同情心は湧いても、敵意までは湧いてこなかった模様だ。「……ああ、それは混乱しとるんやろな。 話変わるけど、入院中の『ねーちゃん』はどうやったんや?」そういえば今日の『蘭』の事はまだ何も話していない。俺に出された謎の事も、ヒントの事も、何も。それも服部に話そうとして喋りかけ。……しかし、この時は話題に出せずに終わらざるを得なくなる。「ああ、そのことなんだけど……、悪ぃ、誰か来た、切るぞ」ここの1階下、2階の事務所から足音が駆け上がってくる。走り方からしてほぼ間違いなくおっちゃんの音だ。勢い良くこちらに向かって来るその音を把握しつつ、俺は通話を切ったスマホを充電器に繋ぎ直し、数秒後。ドタドタドタドタ! バタン!!「おい坊主! まだ寝てないよな!?」予想通りにこの寝室のドアを物凄い勢いで開けて、おっちゃんは俺に向かって怒鳴り散らした。一体何があったのかは分からないが、――表情からしてたぶんロクなことじゃないな。俺は逆に問いかける。「……どうしたの、おじさん?」「今連絡があった! ……『蘭』が病院から消えた!!」「え!?」言葉の意味を認識した瞬間、驚愕の感情が俺を支配する。――なぜ、なぜ今晩『あいつ』が病院から消えるんだ!? 明日か明後日答え合わせをしたいと言った『本人』が……!?「急で悪いが、お前は、ここで留守ば、……いや、博士の家に泊めてもらえないか頼んでくれ! これから、俺が何時に帰って来れるかは分かんねえんだ!」おっちゃんも半ば混乱しているのだろう、言っている途中で小学1年生を1人夜に放置する危うさに気付き、言い直した。だが我に返った俺は、頭をフル回転させておっちゃんに提案する。――博士の家で事件から置いて行かれるより、病院に行った方がマシだ! 行った結果、例え手掛かりが得られなかったとしても……!「……待ってよおじさん! 僕も病院についてく! 僕、この格好で今すぐ出れるから!」この事務所の風呂は壊れていた。だから朝銭湯に行ったけども今夜は入浴しておらず、かつ、まだ俺はパジャマを着ていない。都合の良いことに、俺はスマホひとつ引っ掴めば、すぐにここから出掛けられる格好だったのだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後10時10分 東都警察病院 703号室入院患者が突然消えたために、鑑識を始め多数の捜査員が出入りする室内。【どこで】消えたのかと、【どうやって】消えたのか、が推測できるが故に、鑑識は、病室のある場所を執拗に調べていた。個室であるこの病室の、トイレである。監視カメラの記録を見る限り、廊下の監視カメラは正常で、かつ、患者本人が部屋を出入りする様子は映っていなかった。一方、病室のトイレは、壁が変色しており、床が砂まみれであり、そして何より。『本人』が書いたと思われるノートが、蓋を閉めた洋式便座の上に広げてあった。トイレの壁の変色は、かつて『毛利 蘭』が保護された時の、魔法陣が展開された後の床の変色に似ていた。トイレの床の砂は、同様に『毛利 蘭』が保護された時、床が砂まみれであったことを思い出させるものだった。そして便座に広げてあったノートの文面を見れば、ここで『誰が』『何を』したのかが一目瞭然であったのだ。【ふたつの人格が混ざった、今の、わたしの決断です ひとまず今は、サキュバスを召喚した人の元へ向かいます だから、ここからまた、召喚の陣を開いて向かいます これから更に決断するために、必要な知識を探しに行きます いつ戻るのか分からないけれど、いつか蘭は戻ってくるでしょう】【 第2部 記憶に悩んだ彼女の話+脅して殺した誰かの話 完 / 第3部へ続く 】※11月1日初出 11月29日 改稿しました 第2部終了時点の登場人物一覧を挟んでから、第3部へと続きます。第3部は12月7日までに開始予定です この第2部は、安価スレだった頃にお題を募集した三題噺でした。お題は「名前」「推理ミス」「記憶」です またモブキャラの氏名やストーリー展開の多くの部分を、当時書き込んで頂いた安価レスに基づいて創作しています