午前7時15分 毛利探偵事務所 3FRRRR RRRR……夏休みの、朝。ラジオ体操と朝食を終えて二度寝を堪能しようとしていた俺は、横になって5分後にスマホの着信音で起こされた。「……服部か、どうしたんだ朝から?」「とんでもない事件が起きたで工藤!!」「……ぅるせーな服部、電話越しに大声出すのはやめてくれ。俺は起きた直後なんだぞ」初っ端の怒鳴り声は耳に悪い。この調子で話されると俺が難聴になる。抗議を受けて自身の興奮状態を自覚したらしい服部は、声量を落として事情を説明し始めた。「おぅ、スマン。……今、俺の携帯に連絡が入ったとこなんやけど、とんでもない殺しが起きたって」「……誰が殺されたんだ?」「人殺して首になった元刑事の坂田はんが、『天界』で、殺されたのが見つかったって」一気に眠気が吹っ飛んだ。誰が、どこで、何故、殺された?「はぁ!? 何だって?」「スマン、説明が足りんかったな。『天界』ちゅーのは料理屋や。道頓堀にあるゲテモノ料理屋で、旨いゴキブリの佃煮で有名なんや。 この間、俺も和葉や家族と食いにいったんや」「そりゃ確かに有名になりそうな店だが、……そんな物を、家族で食べに行ったのかよ。 ってか、何でそんな所であの刑事が死んでるんだ!?」大事件を起こしたあの刑事が、そんな場所に居るはずがない。と、言外に込めた意思をくみ取った通話相手は、それを否定せず更に話し続ける。「どう考えても大事件やろ? 坂田はんな、自殺未遂での怪我の治療終えてから(※作者註 原作19巻参照)、逮捕されて免職になっとんのや。 今は、拘置所に居るはずの人間やったんやで?」「そりゃそーだ……、あの刑事、結構人殺してただろ?」あの事件で殺害された人数は、確か4人。5人目を殺そうとして、こいつに止められて、紆余曲折あったが身柄を確保されていた、はずだ。「ああ、そやから独房に居ったのに、夜0時くらいの真夜中に、突然、拘置所から消えたらしいんや。 拘置所が大騒ぎになったんやけど、一向に見つからへん。 で、今朝になって、料理の仕込みに来た『天界』の大将が、店の1階で死んでる坂田はんを見つけて、通報したんやと。 詳しくは聞いてへんのやけど、遺体の様子はホンマにズタボロだったそうや」「……独房や料理屋に、手掛かりは残っていないのか?」拘置所から坂田を連れ出した何者かによる、殺人事件。大阪府警は、間違いなく血眼になって現場を検証しているはずだし、遺留品を全力で分析しているはずだ。そうしていないとおかしい。これは、前代未聞の、途轍もない重大事件なのだから。「大滝はんから聞いた話なんやけど、坂田はんの消えた独房の中は、カピカピのティッシュだらけだったそうや。 料理屋にも遺留品はあるらしいけどな、……詳しくはまだ教えてもらってへん」「ティッシュだらけ? 独房が?」「俺も驚いて聞き直したで。ティッシュの色は赤だったんやて」「……そうか」それは、平次に話したという大滝さんの言い回しが不味い。単に『カピカピのティッシュだらけ』とだけ聞けば、確かに、その、変な意味で誤解する。「直前の看守の見回りではそんなモンなかったそうや。 『今鑑定中やけど、おそらく血液やろ』って大滝はんは言うてた。 色も匂いもそんな風に染まって乾いたティッシュが、独房にぎょーさん転がってたそうや」「変な遺留物だな、……それ」ナニまみれのティッシュでなくとも、血まみれのティッシュは、それはそれで不自然だ。服部は更に、他にも変な状況を教えてくる。「ああ。言い忘れとったけど、坂田はんが居なくなる少し前に独房の監視カメラが壊れたらしいで。 で、故障に気付いた看守が、独房に向かって、坂田はんが消えたのに気付いたんやて。 看守が到着する前、独房からは将棋の駒音みたいな音が聞こえた、て。 独房の床は、見てみると穴が空いとったらしい。壁にも穴が空いてたそうや」「……なあ服部。普通、拘置所の独房の床や壁に、穴があるはずないよな? 日頃、脱走防止のために看守が確認してるはずだ」「せやな。そもそもその手の建物は、大抵コンクリートで頑丈にできとるはずや。 仮に看守が聞いた音が、穴を空ける音やとして、……将棋の駒音程度の音で、どうすれば穴が空けられるのか、さっぱり分からへん。 ……まあ、穴の大きさとか大滝はんから聞いてへんから、詳しいことは分からへんのやけど。 遺体の様子とか、坂田はんが居た独房の状況とか、詳しい事分かったらまた連絡する」「ああ、頼む」さっぱり分からないのは、俺も同じだ。不自然な証拠と手がかりを残しながら、誰が、何故、どうやって、あの元刑事を殺害したのだろう?~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午前11時55分 大阪府警 本部長室「結局、死因自体は、心臓を刺されてほぼ即死やったようです、が、 上半身に着ていた物を脱いだ後に刺されたようで、綺麗なまんまの服や肌着が、死体の周りに転がっとりました。 あと、独房に有ったのと同じような赤いティッシュも、大量に残っておりました。 ティッシュをぶちまけて、その上に衣類が転がって、その上に死体っていう順のようです」朝から今までの真面目な捜査の結果として、一通りの分析結果は集まる。所轄署に立ち上がった捜査本部から、本部長と刑事部長に、ひとまず報告が上がる程度には。「ということは、身体がズタボロやったんは死後の傷か?」服部本部長の問いかけに、報告者は頷いた。「はい。 検視の結果では、心臓を刺した後、注射器か何かで身体の血を抜いて、それから心臓の刃物を抜いて、硬い棒状の何かで全身を殴りつけ、その上で消化管をもぎとったそうです」「……ひどいな、これは」写真を見て、遠山刑事部長が呟く。料理屋の1階、床の上に倒れていたという坂田の死体の有様は、報告内容通りの無残さだ。刑事事件をいくつも見てきた経験からしても、誰かが意図的にこれほどまで痛めつけた遺体は、滅多にない。「まぁ、『天界』の大将も最初はショックで吐いていたそうですから……。 大将が言うには、『天界』は夜中0時に最後の客が帰って、それから店員も色々片付けとかの作業をして、0時半には客席から人が居なくなってたそうです。 それで、朝5時に店の仕込みに来た大将が死体を見つけて通報した、と」「『天界』があるの、道頓堀やろ? 坂田が拘置所から居なくなったのは0時頃、道頓堀の方の監視カメラに手掛かりは有ったか?」大阪拘置所に監視カメラは山ほど有った。が、『坂田の独房内のカメラ等、肝心な物は全部直前に壊れていた。壊れた原因は不明』――という報告が、既に上がっていた。『天界』は、道頓堀という大阪有数の繁華街にある。そちらにも、路上の人の動きを見る監視カメラの1つや2つ、絶対にあるはずだ。拘置所と同様に壊れている恐れはあるにしても、はなから諦めて監視カメラを調べない、というのはおかしい。「それが、……偶然、『天界』の出入口を見つめてる監視カメラがあって、午前2時頃、店のすりガラスの向こうで、変な物が撮れてました。 詳細は鑑定中ですが、一見見た感じだと、スケボーに人が乗って跳ねてたような動きでした。 数秒間だけ店の電気がついて、そんな物が見えて、……すぐ電気が消えて、変な物も消えとりますが。 他には、目ぼしい手掛かりは、何も」今の報告の言い回しに、本部長は違和感を覚えた。店の中に、『誰か』が入り込んだのは違いない。店に入る、その時の場面が撮れていたのなら、今、絶対に報告しているはずで……「……そんなのが撮れてるのに、誰かが店に入るのとかは、撮れてないんか?」「はい。今言ったのと同じ監視カメラが、記録してました。 ……店員が夜中に店の戸を閉めてから、朝に大将が仕込みに来るまで、正面の出入り口からは、誰かの出入り自体は有りません。 他の場所から出入りの痕跡が無いか、調べてはいるんですが、……今の時点では痕を見つけきれてないようです」なるほど、それならば、監視カメラの内容の報告は、先ほどのような言い方になるのだろう。納得した本部長は、更に報告を促す。「そうか。……他に、分かったことは?」「はい、……拘置所や現場に大量に残っていた赤いティッシュの正体は、案の定血染めでした。ハツカネズミの血です。 それと、拘置所の独房に空いた穴については、床の穴ができたのは消灯後のようです。 真下の階が雑居房で、『上の階にぶち抜くような穴は、寝るまでは無かった』て、全員が言ってます」「その雑居房の面々は、事件当時は、何か目撃はしてないんか?」そう質問したのは刑事部長の方だ。「……全員、寝てた、らしいです。夜中でしたから。 あと、床や壁に穴ができた分、コンクリートが下に落ちるはずですが、何故か見つかってません。 他には、……拘置所も、『天界』も、細かく調べてますけど、不審な指紋や体液は今のところほぼ採れてません。 ただ、独房から、一つだけ、看守でもない女性の体液が、……卵細胞を含む体液が採取できました。もちろん、今、解析中ですけど」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後1時 寝屋川市 服部家「……現時点での大滝はんの情報は、今言った感じや。 まさかお前、『天界』の中でスケボー使って跳ねたりせえへんよな?」冗談めかした言葉であっても、相手にとってはどうやら洒落にならないボケであったらしい。通話相手のちっさい探偵から、半分キレたツッコミが来た。「んなわけあるか!! お前から話を聞くまで店の存在自体知らなかったんだって!! 大体俺はここ1週間東京から動いてないぞ!!」「スマン、冗談や」ハハハ、と笑って誤魔化すと、コナンが溜息を吐き。それでとりあえず、話題は変わった。大滝警部からの情報を聞いた、感想へ。「しっかし、聞けば聞くほど訳が分からない事件だな」「そやな」『訳の分からない事件』、……それ以外に、どんな言い方が有るのだろうかと、平次は思う。手掛かりはあるにはあるが、トリックも犯人の目的も一向に分からない状況の、この事件に。……ププッ ププッ……「……他から電話掛かってきた。大滝はんや。いったん切るで」「おう」コナンの側との通話を切って、割り込みを掛けてきた警部につないで話しかける。「……もしもし? 事件は進展があったん?」「平次君大変や!! 今、東京から連絡が入ったんやけど……」 ただ事でないことが起こったらしいと、声を聞いてすぐ分かった。「何があったん?」告げられたのは、なるほど確かに途方も無く重大なニュースだった。坂田がああやって死んだ今となっては、余計に重大になる事件の知らせ。「昼の12時頃、沼淵紀一郎が、拘置所から消えた!! 東京高裁で裁判中で、小菅の拘置所に居ったはずやのに!!」「……何やて!! 沼淵て、坂田はんの事件の時に捕まった強盗殺人犯やないか!!(※作者註 原作19巻参照)」坂田の事件に、ばっちり関係していた奴だった。3人もの人間を手に掛け、逃亡先の大阪で坂田に監禁され、坂田の犯した罪を被せられそうになった、凶悪犯。坂田同様、今は、拘置所に居るはずの人間である。「そや。 今のところの連絡では、沼淵の独房では、坂田が消えた時と同じように、赤く染まったティッシュが散乱してて、独房の壁と床に穴ができてたらしい」「……どう考えても、坂田の事件と関係あるやんけ」平次の当たり前の感想を、大滝は肯定する。「そやな、こっちも同じように考えてる。大阪府警だけで解決できる事件やあらへん、って。 今は、第一報が入っただけなんや。また、なんか分かったら連絡するで」「分かった。頼むで」それだけ喋ったら、相手の方から電話が切れた。平次は息を吐き、更に息を吐き、頭をクールダウンさせて、一言。「……工藤にも連絡するか」※4月12日 初出 4月29日 第1部―1~3までを統合しました 2015年2月8日 服部家の場所のミスを修正しました(大阪市と書いていましたが、正しくは寝屋川市)