第2部 記憶に悩んだ彼女の話+脅して殺した誰かの話-9 午後12時49分 東都警察病院 703号室コンコン! ……ガラッ「失礼しまぁーす」『彼女』の病室のドアをノックして、返事が聞こえてくる前にドアを開けた。部屋の中に居る面子、ベッドの上の『彼女』と、妃弁護士と、雇われた女性弁護士2人、計4人が一斉に、ドアから顔だけ出した俺、江戸川 コナンの方を見る。「何かあったの? コナン君ひとりだけで来るなんて」『蘭』に近い声で、『彼女』は、不思議そうにこちらに問い掛けてきた。俺がおっちゃんと一緒にこの病室を出たのは、10時50分代。談話室での遺体発見と警察の聴取を経て、佐藤刑事と共にミルクティーを渡しに来た、それが11時45分くらいだった。それから約1時間後の今、殺人事件の捜査が終わったならば、俺はおっちゃんと一緒にここに戻ってくるはず。俺がひとりここに来るのは、違和感が確かにあるのだろう。「えっとね、小五郎のおじさんが捜査に協力しているんだけど、僕が邪魔になるから、この部屋で待っておくように言われたんだ。 ……僕、ここに居て良い? 音楽聞きながら部屋の隅っこで立っておくから、さ……」今、おっちゃんは捜査の協力で、この部屋の隣の705号室に向かっている。談話室に入って行った被疑者候補の1人、ベビーカーを押した女性が、監視カメラを調べた結果、談話室を出た後で705号室に向かい、今もそこに居ると分かったから。守衛控室までは、俺はおっちゃんに同行しても大丈夫だったものの、その後の事情聴取まで付いて行くのは、おっちゃんからも目暮警部からも止められた。「構わないよコナン君。『わたし』は、お母さん達とは大体筆談だから。書いてる文章を覗き込んで来なければ」『彼女』は微笑み、手に持ったノートをひらひらと示して見せる。そのノートに書いた筆談で、弁護士達とやり取りを交わしているということなのか。弁護士達は互いに目配せをしてから、俺に向かって無言で頷く。俺は自分から持ち出した約束通り、部屋の隅、……ドアの真横で壁に寄りかかった。『彼女』を含む女性達はまだ、俺から視線を外さない。「……ところで『蘭姉ちゃん』、僕が持ってきたミルクティー飲んだ?」ポケットから出したイヤホンを握りながら、部屋を見て気付いたことを何気なく質問した。『彼女』の付近、どこをどう見てもミルクティーの缶が無い。俺がミルクティーを持って来てから、今まで、昼食が出ても不思議でない時間帯だ。それと一緒にでも飲んだのか。「飲んだよ。お昼御飯と一緒に。看護師さんが、食器を回収するついでに、缶を捨ててくれてね、……!! ぁ! この部屋の見張りに立ってた婦警さんが、移動するみたいだね、……隣の病室の方に。高木刑事を含む何人かと一緒に」「ちょっと、『蘭』……!!」予想通りの答えの会話の最中、突然『彼女』の様子が変わった。前触れなくビクリと肩が震え、小さな気づきの叫びの後、声色が『蘭』よりも低い『サキュバス』のものになり、その発言の途中で、慌てた妃弁護士が『彼女』の発言を遮る。――俺、おっちゃん達の聴取先が隣の部屋だってこと、言っていないはずだよな!?「え!? ここのドア開いてないのに、何で分かるの?」真横のドアを見て確認してから、俺は驚きの声で質問した。この病室のドアには、ガラス窓の部分は一切無い。ドアが閉まっている限り、廊下で誰が歩いているのかは一切見えない構造。今ここに居る『彼女』が、本来、おっちゃん達の移動に気付くはずがない。「ちょっと、口が滑ったね、何でなのかは言えないなぁ。 ……当ててごらんよ、探偵くん? 最初に君がここに来たとき、『わたし』が出したヒントと密接に関わってるから」『彼女』は自身の手で口を拭い、挑発するような笑みを俺に見せて、告げる。声色は完全に『サキュバス』のそれだ。ヒントと言われて、……何なのか思い当たる事はあるが、念のため確認しておく。「……それは、召喚者のことを言わない理由の、4つのヒントの事?」――【その理由が出来たのは、きのうの午後に覚醒してから】・【『サキュバス』としては見たことがあるもの、『高校生』としては有り得ないものを見た】・【人の名誉に関わること】・【コナン君には何もないから楽だ】……午前にここで『彼女』から言われたヒントが、俺の頭にちらつく。そのヒントを出した張本人は、明確に頷いた。「そうだね。探偵なら考えてみると良いさ、……『音楽』を聴きながら」その顔から、挑発の笑顔は消えない。まるで俺が音楽でないものを聴いている事を、分かっている風な喋り方。……俺は、『彼女』達から目を離さずにイヤホンを付け、思考に集中することにする。確かに、俺の耳のイヤホンからは音楽は流れて来ていない。代わりに聞いているのは、犯人追跡メガネのツルから聞こえてくる音声。おっちゃんに付けた盗聴器が拾っている、隣の病室で繰り広げられる会話だ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後12時51分 東都警察病院 705号室 コンコン…… ガラッ「失礼します」目暮警部と高木刑事を先頭に、毛利 小五郎は病室に足を踏み入れる。小五郎の更に後ろには、先ほど命じられてついてきた婦警。突如ゾロゾロと入室した計4名を、若い女性の怪訝そうな声が出迎えた。「……何ですか? 探偵さんと、……刑事、さん?」監視カメラの記録と同じだ。映っていたのと全く同じ青いカーディガンと黒い長ズボンを着た、長髪の若い女性。映像の通りのベビーカーもそばに有る。その女性は有名探偵の小五郎にまず気付き、それから警部達が無言で示した警察手帳に視線が釘付けになって、言葉が疑問形で終わった。女性と小五郎達以外で病室に居たのは、真ん中のベッドで酸素マスクを着けて横たわっている若い男性と、ベビーカーの中の赤ん坊。両方とも眠っているらしく(男性の方は寝ているのではなく意識が無いのかも知れないが)、どちらも入室してきた者達への反応は一切示さない。――この被疑者、患者の妻か、……それ以外なら姉妹ってとこか?小五郎は病室を眺め、心の中でそう呟く。心の中でのみの呟きで、今はしゃしゃり出ない。女性に対して事情を説明したのは警部だった。「ええ。すいませんが、ちょっとお話を伺いたいことがありましてね。 先ほど、この病院の6階の談話室で、人が殺されているのが発見されました。その捜査の一環で、我々が話を聞いて回っておるんです」「え!? 談話室……?」女性は驚愕し目を見開き、同時に更なる疑問を示した。高木が補足を入れる。「ジュースの自動販売機がある部屋です、ここの一つ下の階の」「ああ!! あの部屋ですか、あの部屋で人殺しが…… あ、……それで、私のところに来られたんですね!? 私、あの部屋に今日入ってますから」どこの話なのか合点がいったのだろう、彼女は自身の手を軽く叩き、声を上げた。おまけに自分に殺人疑惑が掛かっていることに、自然と気付いたのか。声は驚き一色に染まっていたが、顔色は少々青ざめていた。……まぁ、こんな態度ならば警察からの事情聴取を拒否することも無いだろう。怪しまれたら余計に疑いが掛かることくらい、分かるはずだ。「そうです。 監視カメラを解析した結果、貴女だけでなく、部屋に入った人が複数いるのが判明しました。それで、部屋に入った人ひとりひとりに、まず事情を伺うことになりましてね。 ……失礼ですが貴女のお名前は? そちらで眠られている方の御家族ですか?」ベッドの上の男性に視線を向けながら、目暮警部は女性に問うた。何か思うところがあるのだろうか、警部は『部屋に入った人が複数』とは言ったものの、『部屋に入った人が2人』とは言っていない。そのことに小五郎はすぐ気付いたが、当然ながら黙っておくことにする。こういう言い方にしたのは警部の判断だから、従うべきだ。「私は蜜葉 鐘衣(みつば かねい)と言います。寝ているのは私の主人です」やはり夫婦だったのか。ではベビーカーの中の子は……「では、そちらのベビーカーのお子さんは、蜜葉さん御夫婦のお子さんですか?」引き続きの警部の質問に、蜜葉 鐘衣さんはあっさり頷いた。「ええ、娘です。1歳と1か月になります」「そうですか。蜜葉さん、場所を変えてお話を伺いたいしたいのですが」この警部の言葉に対して、被疑者である彼女は、うんとは言わなかった。嫌悪というほどではないものの、困惑が強く浮かんだ表情で、出てくる言葉の歯切れは悪い。「事情が事情ですし、協力します、けど……、私の母がもう少ししたらこの部屋に来るので、それまではここに居ても構いませんか? 母にこの子を預けてからにしたいですし、主人には誰か家族がついてた方がいいと思うし……」――確かに、無理に移動はさせづらい、な……小五郎は黙って思考する。『1歳の子を警察で預って、責任持ってお母さんに引き渡すので聴取に来て下さい』とは、……言える訳が無い。容疑が固まって連行するならまだしも、今の段階ではそんな提案はまず無理。「御主人、体調が思わしくないんですね?」この発言は高木刑事だ。ベッドの上の男性を見つめつつ、確認するような口調で問いかける。被疑者の夫らしいその若い男性は、目をずっと閉じており身体も微動だにしていない。眠っているのか意識が無いのか、小五郎の目では判別がつかない患者だ。どちらにせよ酸素マスクを着けている以上、自力呼吸が出来ない重病人には違いない。「あまり長くないそうです。クロイツフェルト・ヤコブ病っていう、難しい病気で、ええっと、……狂牛病が人にうつった事例らしいです。日本では相当珍しいって聞きました。 ……うちの主人、バカなんです。警察の方なら調べれば分かる事でしょうけど、体調おかしいのに病院行かずに、万引きして捕まって、裁判中に病気が分かって入院して……」病名だけでなく、入院に至るまでの経緯までも、耐え切れずに零すような口調で告げられる。今まで散々夫に振り回され、苦労してきていたのだろう。愚痴でバカだと言いたくなるほどに。「万引き、……ということは、窃盗罪ですね。御主人の、その窃盗についての判決は確定してるんですか?」どう反応していいか一瞬迷ったようだが、高木は更に会話の糸口を探し、質問する。問われた側は、愚痴染みた口調のまま答えた。「地裁の判決は出たけど、高裁の判決はまだだったそうです。……盗癖持ちで、盗んだ瞬間のビデオまで撮られてるくせして、裁判ではみっともなく足掻いてたんです。本当にバカみたい」――ああ、確かにそれは、……バカだな。小五郎はまたベッドの上の患者を見やる。バカだバカだと論評されている本人は、……妻の説明からするとおそらく公判停止中の被告人でもあり、ひとりの子の父親でもある彼は、そんな会話を知る由もないまま眠り続けている。「ご主人の事情は分かりました。……では、お母さんが来るまでに、ここで少々話を伺ってもよろしいですか?」目暮警部がまた口を開き、会話を本題に戻す。蜜葉さんは小さく頷き、ベビーカーの子を指して言った。「構いませけど、でも、この子が泣いた時は中断させてくださいね。今はお昼寝中だから大丈夫だと思いますけど」「……ああ、そうですね、それも構いませんよ」流石に警察でも、聴取を理由に泣いている1歳児を放置するほど冷たくはない。そうなったら逆にお母さんになだめてもらいたい位だ。「ありがとうございます」※9月28日~10月12日初出 11月26日 第2部ー14~15を統合・大幅改稿しました