午後12時36分 東都警察病院 603号室事情聴取用に病院から提供された、空き病室。今室内に居るのは、佐藤 美和子と、ただドアの近くに無言で立っているだけの制服警官が1人と、それから、被害者の弟、計3名。その内の1人、佐藤 美和子は、携帯電話越しに取りあえずの聴取結果を報告していた。「はい。今、それだけは確認が取れました。被害者は、夢見 竜太郎さんに間違いないそうです。弟の星威岳 吉郎さんに、実際に談話室で確認して頂きました。 職業は俳優だそうで、弟さんの証言では、被害者から『仕事をクビになった後、伝手をたどって芸能事務所に入れてもらい、端役で出ている』と聞いていたとのことでした」喋りながら、体格以外は被害者と見間違えるほどそっくりな弟、星威岳 吉郎氏に視線を合わせる。兄の遺体を実際に見たばかりで、表情がまだ少し青いこの人は、しかし取り乱したり泣いたりはせず、最初から捜査に協力的だった。今だって、美和子が話す内容を理解して、しっかりと頷いてくれる。……警部に報告している内容に、変な事実の誤認は無いらしい。「ほぉ……、俳優か……。 ところで、他に被害者に家族はいないのか? 弟さん以外にも聴取は要るだろう。あと、父親が入院してからの御兄弟の動きも聞いておいてくれ」雰囲気で分かる。警部は、被害者の経歴に引っ掛かっている。美和子も、最初に聞いた時は違和感があった。失業した中年男性が真っ当な俳優になるというケースは、皆無とは言えないだろうがあまり聞く話ではない。とはいえ被害者の職業は、後でいくらでも調べられること。今は、それよりも先に聴取するべきことがある。「はい」真っ当な指示に了解の返事を返すと、警部の方から通話が切れた。美和子は携帯電話をポケットに仕舞い、メモ帳代わりの手帳とボールペンを取り出す。改めて、軽い会釈と共に、星威岳氏に向き合った。「星威岳さん。お兄さんの御家族の構成を教えて頂けませんか? 場合によっては、御家族のかたにも心当たりを伺わなければいけませんので」被害者の弟に対する質問としては常識的な内容のはずだ。でも、答えとして、言葉でなく嘆きと納得とが混じった溜息が返ってくる。言葉が出てきたのは、感情を込めたその息を吐き切った、その後。「刑事さんには言っていませんでしたね……。兄は、5年前の夏に、奥さんと娘さんと、あと義理の両親の5人を一度に亡くしています。兄以外が車に乗っている時に、事故に遭ったんです。 兄は夢見家に婿に行っていましたけど、婿に行った先がそういう事になったので、今、家族は居ません」「……そうなんでしたか。失礼しました」父親と息子2人、合わせて3人の中で、長男の被害者だけ名字が違ったのは、そういう事情か。どういう思いだったのか推察するのも野暮だが、婿入りで変わった名字を、今に至るまで元に戻すことは無かった、のか。「いえ。……それで『家族亡くしてストレスで激太りして、それ以来体重が落ちていない』って、言ってました。 で、うちの父が相当に心配して、父の隣の部屋に兄を住まわせたんです。父はアパートを1軒持っていて、そこの1階に住んでいますから」長男がそんな悲惨な経験を経て体格を大きく変えたなら、そのような親心は、全くおかしくない。聞き出した家族構成と住所を頭の中で整理する。被害者の父親は、同じアパートの隣の部屋に住んでいた。今は意識不明でここに入院中。被害者の妻子と義理の両親は5年前に事故死。被害者の弟はここに居て、誓約書の情報だと確か群馬在住のはずだが、……では、被害者の母親は?「……お母さんや、星威岳さん御本人はどちらにお住まいなんですか?」「母は、私が高校生の頃に亡くなりました。私は群馬で探偵をやっています」――群馬在住の、探偵。毛利さん達が銭湯で会ったのは、やっぱりこの人?毛利探偵達の証言に思い至りはするものの、美和子から話題に出すのはまだ止めておく。今は、もっと大事な質問が有るから。「お兄さんの顔を見て確認できる御家族の方は、星威岳さん、貴方だけということですか?」思索により少々の間を入れつつも、結局、星威岳氏は首を縦に振った。「そう、……なりますね。父は今、意識がありませんから」これで、被害者の弟から聞き出すよう警部から指示された2つの事柄のうち、被害者の家族の有無は、聞き出せた。一旦家族構成をメモしてから、美和子は顔を上げた。もう1つ聴取するように言われていたのは、父親が入院してからの被害者兄弟の動き。「では、お父さんがここに入院した詳しい経緯は、分かりますか? きのう搬送されたとのことですが」まず、聞き出したいそのものズバリでは無く、若干遠まわしな問いかけを投げる。先に父親の搬送経緯を訊いて、次に兄弟の動きを訊く、という風に、順序立てて訊いた方が答える方もやりやすいだろうと、思いたい。……星威岳 吉郎氏は、遠い目をして、頭を掻いた。「兄から、聞いた話になりますが……。 きのうの、朝になる前の時間帯、……夜中の3時半くらいに、父が兄に電話で、『耐えられないくらい腹が痛いから救急車呼んでくれ』と言った、らしいんです。 驚いた兄が父の部屋に入って、119番に通報している最中に、父は意識を失って、……この病院に搬送されて、盲腸だと分かって、あれよあれよという間に手術になった、そうです」伝聞形で話す内容は、少々歯切れが悪い。兄の夢見氏はずっと父親に付き添っていたが、弟の星威岳氏はそうでなかった、という構図が実に分かりやすい。それぞれの住まいの位置関係からして、そうなるのも当然か。父親と長男が同じアパートの住民で、次男のこの人だけが離れて暮らしているんだから。「星威岳さんは、お父さんが手術をしている時に病院に駆け付けたんですか? それから現在まで、どこに居らっしゃいましたか?」この問いには、打って変わってハッキリとした口調の答えが返ってきた。「いえ、私は、当日は仕事の依頼があったのですぐには来られなくて、夕方にここに駆けつけました。面会時間が終了する間際で、手術はとうに終わっていましたね。 面会時間が終わってからは、兄弟そろって一旦ここを引き上げて、兄の家に帰りました。 その後は兄の家に泊まるはず、だったんですが、夜、風呂に入る直前にこの病院から電話を頂きました。父の容態が急変した、と言われたんです。 また慌てて兄と一緒に病院に向かって、……結局朝になったら父の身体は落ち着きましたけど、私も兄も、夜はこの病院で、交代でしか眠れませんでした」最後辺りの喋り方には、ほんの少し愚痴が混ざる。父親本人を責めるような意図は無くとも、思わず愚痴りたくなるくらいに疲労が溜まる経験だったのだろう。「では、……今日の朝になってからは、貴方方御兄弟はそれぞれどちらに行かれたんですか?」会話の流れに沿って、更なる問い掛け。病院がこの人に連絡を取った時、病院の外に居た、と聞いている。少なくともこの弟さんは、今日にどこかに外出していて、兄殺害の知らせを受けて病院にすっ飛んできた、……はず。「兄は、今日は、……おそらく最期まで病院にずっと居続けたと思います。仮眠を取るとは言っていましたが、どこに出掛けるとかは言っていなかったので。 私は、病院を出て、まず銭湯に行きました。きのうの夜は風呂に入れなかったし、人に会うなら小ぎれいにしようと思ったんです。 父がこうなる前から、以前東京に住んでいた頃の仕事の関係で、今日の午前10時に人に会うことになっていましたから。だから銭湯の後は、そちらに。 実を言うと、……警察に相談しようと思っていた事柄がありまして」一度、言葉が切れた。言うべきかどうか若干迷っている様子が見て取れる。『銭湯に行っていた』という証言から、美和子は、毛利探偵達に会ったのは間違いなくこの人だと確信する。が、それよりも気になるのは、最後に言及した『警察に相談しよう思っていた事柄』だ。事件に関係が有っても無くても、警察に相談を考えるような内容なら、ここで話してもらった方が良い。美和子が視線で続きを促すと、……意を決したのか、初めて聞いた事件が詳しく打ち明けられる。「私は、1年ほど前まで東京で探偵の助手をしておりました。私を雇っていた探偵のかたは病気で引退してすぐ亡くなられまして、それを機に、私は群馬で独立しています。 東京時代の探偵事務所は、もちろん雇い主の引退で閉まったんですが、その後、全く同じ場所で、雇い主の甥に当たる方が税理士事務所をはじめられました。 実は、……最近になって、その税理士事務所に、私宛の脅迫状が届いているそうなんです。2週間くらい前から、差出人不明で何通も何通も。 探偵のかたも、甥のかたも、同じ金田(かねだ)という名字でして、宛先の文面が『○○番地3階 金田事務所』宛てだから、拒否しようが無いそうで」「そんな手紙、確かに拒否できないでしょうね」『金田“探偵”事務所』宛ての手紙なら、『税理士事務所』宛てでは無いと判断がつく。しかし単なる『金田事務所』宛てなら、税理士事務所宛ての手紙と区別が付かない。税理士事務所に手紙を出した顧客が、単に宛先を省略したり間違えたりして書いたのかもしれず、半ば脅迫状だと思っていても念のため開封せざるを得ない。美和子の理解の言葉を得た星威岳氏は、思い切り首を縦に振った。「でしょう? 『封を開けたら星威岳宛と分かる脅迫状が、毎日届いて気味が悪い。脅迫状の内容を見に来てほしい』と連絡を頂いていたんです。今日の10時に、その税理士事務所をお伺いしていました。 ……ぁあ、すいません。ここでお見せできたら早いんでしょうけど、手紙は税理士事務所に置いてもらっているままですね」そりゃあこの場で見せてもらえるなら、それはそれで美和子達警察には都合は良い。が、税理士事務所にあると分かっている以上、それは問題にもならない。「いえ、事務所から提出して頂ければ良い話ですから。後でその税理士事務所の住所を教えて頂いたら、こちらから伺います。手紙の内容は覚えていますか?」被害者の弟の表情に、恐怖感は浮かんでいなかった。どちらかというと恐怖というよりは気味悪さに顔を染めつつ、あまり感情を込めずに記憶していた文面が復唱される。「『ホシーダケ! オマエのせいでオレのジンセイがメチャクチャだ! ブッコロシテヤル!』っていう内容でした。 全部同じ文面のカタカナ書きで、パソコンか何かで打った手紙が何通も何通も。字体は手紙ごとに違っていて、真面目だったりポップだったり。 正直、人の人生を壊すような心当たりは、全く無いんですが……。それと、えっと、こちらが税理士事務所の名刺、です。私の方からも、この事務所に事情を話して、警察が来ると前もって伝えた方が良いですか?」懐の中から差し出され見せられた名刺は、正確には税理士事務所の代表である税理士の物だ。言うまでもなく、事務所の住所・電話番号、共にバッチリ載っている。米花町の1丁目に存在する事務所で、税理士の名字は教えられた通り金田姓。礼と共に名刺を受取りながら、美和子は言う。「そうして頂けるなら、ぜひお願いします。事件に関係するのかどうかは、手紙を頂いて捜査しないと分かりませんので」殺人が絡む話だ。警察からの連絡のみでも税理士事務所は協力するだろうが、当事者からの根回しで提供がスムーズに出来るなら、それに越したことはない。名刺に載っている情報をすべて書き留め終え、書き損ないが無いかしっかり確認。それから星威岳氏に名刺を返す。これで、聞き出しておくべきことはひとまず全部聞いたことになる。こちらから話していないことは、……毛利探偵との銭湯でのすれ違い疑惑、くらいか? いや、でも今わざわざ話すべき事柄でもないか、とも思い直す。毛利探偵にもプライバシーがあるのだし、と。取り敢えずの聴取は、ここで〆ていいだろう。「星威岳さん、ご協力ありがとうございました。後で話をお伺いすることがあると思います。その時はまた御協力お願いします」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~※登場人物まとめ(被害者家族編)※夢見 竜太郎(ゆめみ りゅうたろう):被害者。ひどく太っている中年男性。警察病院6階の談話室で刺殺された。室内のテーブルに突っ伏して寝ているときに、背後から刺された模様。死亡推定時刻は14日の10時20~30分前後。 5年前に婿入りした先の家族が全滅→激太り→父の隣に転居→(3~4年経過)→会社をクビになる→俳優(※実はゲイビデオの男優)になるという人生を歩んでいた。星威岳 吉郎(ほしいだけ よしろう):被害者の実弟。被害者と顔がそっくりだが、体格は中肉中背。 約1年前まで東京で探偵の助手をしていたが、雇い主が探偵事務所を廃業後死亡したため、今は独立して群馬で探偵をしている。 2週間ほど前から、東京で助手だった時の事務所に、星威岳宛ての脅迫状が送りつけられていた。星威岳 銀次(ほしいだけ ぎんじ):被害者の実父。高齢者。都内で、自身が所有するアパートの1室に在住。 13日の午前4時に盲腸で警察病院に担ぎ込まれ、緊急手術を受けている。以後、容態が悪化したり落ち着いたりを繰り返しつつ、501号室で意識不明のまま入院中。※9月7日~9月16日初出 11月25日 第2部ー11~12を統合・大幅改稿しました 作者の事情により、11月27日(木)と28日(金)の投稿が出来ないことが確定しました。 26日(水)に第2部-8~10の3話を同時に更新、29日(土)に第2部-11とエピローグの2話を更新します。