午前11時55分 東都警察病院 603号室ガラッ俺の手を引いた佐藤刑事が、ドアを開けた。おっちゃん達が居るはずの6階の例の空き病室に2人して入る。「ただいま戻りました」「戻りましたー」「ああ、2人ともご苦労」……俺が部屋を出た時は病室に居た、医師や看護師達が見当たらない。おまけに部屋の雰囲気が若干重い。俺達が『彼女』の病室に向かっていた間、ここでおっちゃんと警部達が、何かを話していたのか。佐藤刑事は、すぐに俺の手を離した。彼女がこの部屋の雰囲気に気付いたのかどうかは分からないが、余計なことは言わず、ただ報告があることを切り出す。「警部。本庁の方に連絡を入れたほうが良いかもしれないことが、行った先の病室で、ありました」「ん? ……何かね?」今ここに居るのは、目暮警部、高木刑事、佐藤刑事、おっちゃん、俺。俺は伝言を頼まれるその場に居たし、妃弁護士と『彼女』が把握していることをおっちゃんに明かしても、リスクは、まぁ無い。伝言内容をこの場で報告したところで、問題になりそうな面子は居ないわけだ。「今向かった病室で入院中の『本人』から、警視庁に苦情があるそうです。大阪府警ではなく、警視庁の方に。 『あとで、書面で苦情を言うかもしれない』と『サキュバス』事件の捜査本部に伝えてほしい、……と、伝言を頼まれました。 肝心の苦情の内容は、今はまだ秘密だそうです。弁護士さん方と内容をすり合わせていないそうで、その弁護士さん方が居る部屋で追及は出来ませんでした」「何だ、それは?」佐藤刑事の言葉に食いつくような反応を見せて、報告に聞き入っていたおっちゃんが、そんな声を出した。これまでの経緯と弁護士の反応から予想はしていたが、やはりおっちゃんにとっても、寝耳に水の事らしい。「毛利さん達も、内容は御存じないんですね」高木刑事の質問、というか、確認。おっちゃんはブンブンと音を立てそうな勢いで首を縦に振って断言し、俺はその言葉に続いた。「ああ! 俺は全く知らないぞ。一体どんな苦情なんだ……?」「僕も、分かんない」苦情の先が大阪府警なら、まだ心当たりは有る。『彼女』は、魔術で錯乱したらしい大滝警部に殴られたんだから。だが『彼女』はわざわざ『警視庁宛て』だと限定した。ならば、『彼女』が伝えたい苦情の内容は、完全に謎だ。この件は、ここで会話してももう進展は無いと判断したのだろう。目暮警部が話題を変えた。「……そうなのかい。 ところで先ほど、コナン君達がここに戻って来る直前に、病院から、この被害者家族の情報が来たんだが……。 君達、今朝、銭湯で、『星威岳という名前の探偵に話しかけられた』と言っていたね? その探偵、……『星威岳 吉郎』さんだったか、その探偵が今どこに住んでいるのかは、その時の会話では聞いていないかな?」警部は、俺がこの部屋を出た時には持っていなかったはずの黒いバインダーを抱えていて、それを撫でて示しながら俺達に問うてくる。今、何故この件なのか。わざわざフルネームを出して訊いてくるという事は、やはり朝会ったあの探偵は、被害者の家族の可能性があるのだろうか。「『東京じゃない場所に住んでる』っては言っていましたが。……どこに住んでいるのかは言ってなかった、と思います」「そうだったよね。 『以前東京で探偵の助手をしていた』、『おじさんが有名になるよりも前に東京から引っ越した』、『東京の頃の雇い主はもう亡くなっている』、って言ってたけど。……今の住所がどこなのかは言ってなかったよ? 結局……、朝に会った探偵さんは、被害者の弟さんだったの?」記憶を遡って、おっちゃんが答える。俺はその言葉に連ねる形で、あの時の会話を補足した。ついでに、どうしても気になった事を警部達に質問。詳しい説明が、高木刑事から返ってきた。「本当に君達が会った探偵さんなのかは、まだ不明だよ。病院側の資料と名前は一致しているけれど、同姓同名の別人の可能性はあるからね。 被害者の弟さんは病院経由で呼び出してもらったから、もうすぐここに来るらしいよ。そこで確認すれば、すぐ分かるんじゃないかな?」ガラッ!その言葉を受けて俺が何か話すよりも前に、ドアが開いた。当然の事ながら部屋に居る者の視線がドアに集中する。入室者は男性の制服警官だ。「警部! 監視カメラを調べた結果なのですが……。 現場の談話室内にはカメラは有りませんでした。廊下にはカメラが有り、部屋への出入りは全て撮れていたのですが。 被害者本人を含めて、4人の出入りがあった模様です」つまり、犯行の決定的瞬間を映したカメラは無い状況か。部屋の出入りを基に、誰が殺害したのかを絞り込むことは可能だが。被害者本人を覗いて、実質的な容疑者は3人。数は多くはない。犯人を特定できるだろうか。「……警部、被害者の弟さんには私が対応しましょうか?」これまで黙っていた佐藤刑事が提案する。警部はその言葉に、バインダーを渡しながら応じた。「ああ、そうだね。頼む、佐藤くん」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後12時8分 東都警察病院 4階 廊下結局、被疑者の弟への連絡のために佐藤刑事を6階に残し、その他の面々が監視カメラの確認に向かうことになる。監視カメラのモニターが配置されている場所は、4階の守衛控室。この病院ではそこが、実質的な監視ルームだという。「4階は、患者さんが使わない部屋ばっかりなんだね」歩きながら、俺は純粋に感想を言った。この階は、廊下を歩けば一発で分かるくらいに、部屋の大きさや配置が他の階とは違う。『4(シ)』は『死』と発音が通じる。ここに病室を置くのは不適切だと、病院の設計段階から配慮していた、ようだ。「そりゃなあ。この階は、機械室と倉庫と、守衛の控室がまとまっているからなぁ、……って、何でお前が監視カメラの確認に付いて来るんだよ」まるで今俺に初めて気付いたという風に、おっちゃんはこちらを睨みつける。おかしな話だ。エレベーターに乗る時からずっと、俺はおっちゃん達に付いて来ていたのに。やりとりを聞いていた目暮警部が、こちらを振り返る。歩みを止めて、静かな声で俺達に告げた。「構わんよ毛利君。この子なら一緒でも。……この事件で最後だろうから。 コナン君、きみが事件に関わるのは今に始まった事でないからな。今更な事だろう」――ちょっと待て!? 『この事件で最後』? どういう意味だ?「え!? ……あ、ありがとうございます、目暮警部」聞き逃せない言葉の意味を警部に問い質しそうになる寸前。俺の発言をおっちゃんが目で制する。『後で事情を説明するから今は黙れ』、と、表情で訴えていた。……『この事件で最後』、おっちゃんと警部が了承していること。まさか、事件への協力はもう止めるとか、そういう類の約束でも交わしたのか? 俺が『蘭』の部屋までミルクティーを届けに行っている時に!?確信に近い推測が、俺の頭の中で固まるが、この推測が当たっているのかおっちゃんに聞き出す暇が無い。高木刑事が開けた守衛控室の中に皆が入って行く。腹を括って、俺も部屋の中へ足を踏み入れた。もし俺のこの推測が正しいのだとしたら、……なおさら、今はこの事件の解決に集中するべきだ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午後12時11分 東都警察病院 4階 守衛控室「監視カメラの映像はどうかね? 現場に、人の出入りが4人あったというのは聞いたが」壁の一面がたくさんのモニターに占拠された部屋。その一角で、捜査員3人が画像の確認に当たっていた。警部達が入室すると手を止めて、その内の1人が警部に報告する。「はい。監視カメラに映っていたのは4人です。 その廊下の監視カメラは、部屋の中を覗かない配置でした。談話室に出入りした者は分かるのですが、誰が加害者なのかまでは……」被害者は、あの談話室のかなり奥に座っていた。そんな配置の廊下の監視カメラなら、犯行状況なんかが映されることはなかったのだろう。「その4人が、部屋に入った時間帯は?」「あ、はい。この画面に出します、……ちなみに、画面の表示時刻にズレは有りませんでした。 最初の1人の入退室の後、しばらく誰も入らずにいて、それから被害者を含む3人の入室がまとまっています。 まず、9時ちょうどに部屋に入って10分後に出た、この人が1人目です。……被疑者の内には入らないでしょうけど」捜査員が示した画面、映し出されたのはツナギ姿の中年の女性だ。片手にモップらしきものを抱え、もう片手にバケツらしき物を下げたその姿は……「どう見ても清掃員ですね。この清掃員は完全にシロでしょう。そもそも被害者と接触していませんから」高木刑事の言葉に、皆が頷く。被害者とは接触が全く無い上、死亡推定時刻にも全くぶつからない時間帯。この清掃員は、たまたま清掃作業で談話室に入り込んだ、だけだろう。「ええ。実質的に事件に絡んでくるのは、その後に入室した3人です。被害者本人を除けば、犯行を行ったのは2人に絞られます」説明と同時に、捜査員は録画の再生速度を上げた。表示時刻がみるみるうちに1時間進む。続いて談話室に誰かが入って行ったのは、画面上の時刻が10時10分まで進んでから。その人が、否、その人『達』が入室する寸前のタイミングで、動画を静止された。「この画像に映っているのが2人目です。ベビーカーを押した女性のようですね」モニター上、部屋に入って行くのは2人だが、容疑者を絞り込むという意味では、1人だ。絶対に犯人には成り得ない存在、……ベビーカーの中の子を勘定には入れず、捜査員は、画像上の女性のみを指し示した。上は白地の服の上に青いカーディガンを羽織り、下は黒い長ズボンを穿いた、若い長髪の女性だ。右脇に結構大きめの白いバッグを抱えつつ、両手で赤ん坊入りのグレーのベビーカーを押している。「見た目に明らかな刃物は、さすがに無いですな」「だが、大きめの荷物を持っているようだ。この女性、凶器を隠し持てない訳ではないだろう」おっちゃんと警部の言う通り。映像を見る限りベビーカーの下部に荷物入れは無く、ベビーカー自体も刃物を隠して入れられる様な構造ではない。あの被害者の背中の刃物、もしこの女性が隠し持っていたとするならば、隠し場所として最も考えられるのは脇のバッグだろう。……とりあえず、今のところの意見はこれだけだ。警部から無言で促された捜査員は、再生速度を速めた。10時16分の表示が出て、更なる入室者を映したところでまた映像が止まる。今度は白いTシャツに黒い長ズボンの、太った中年男性が、薄いイエローの毛布片手にあくびをしつつ部屋の中へ。「これで、部屋に入ったのが3人目です。部屋を出た映像がありませんから、この人が被害者でしょうね」服、体格、顔、そして抱えている毛布の色、……間違いない。「あの毛布、被害者の私物だったんですね」高木刑事の感想。俺はすかさず、気付いた内容の指摘を続けた。「でも、リュックが無いね。発見された時、背負ってたのに」モニターを見ている全員が、ハッとした表情を見せた。映し出された被害者は、どう見ても毛布しか持っていない。発見時、突っ伏していた被害者の背中には、ナイフと、その上を包むように背負わせたリュックサックがあり、更にその上に毛布が被さっていた。毛布は、見ての通り被害者の私物。では、ナイフだけなくリュックサックも、……加害者の物?折り畳めるタイプのリュックサックだったなら、ナイフ同様、普通に荷物の中に入れて持ち運びは普通に可能だ。さて、更に映像の再生が進む。10時21分、先ほどのベビーカーと女性が談話室を出た。入室時と比べて、格好や荷物に目立った変化はない。最後の容疑者候補の入室は、その2分後の10時23分。水色のシャツと濃緑色のズボンを着た、白髪の老人だ。怪我の治療中なのか、ギプスを付けた右手首を白い包帯で吊っている。またこの人も、怪我をしていない方の肩に、大きい紺のカバンを下げていた。「4人目の入室者はこの人物です。腕を怪我しているようですね」「……だが、完全に手ぶらというわけではないからな。無関係とは言い切れんよ」警部の言う通り。寝ていた被害者を後ろから刺す、という行為は片手でも出来る。手荷物に凶器を隠し持っていた恐れが排除できない限り、シロとは言えない。老人は、10時29分に談話室を出た。画像の早送りの後、10時54分の表示が出ている時刻となり、談話室に入って行く人間が2人映し出される。俺と、おっちゃんだ。「この時に、談話室で事件に気付かれたのが、毛利さん達ですね」「ああ」モニター上、おっちゃんが談話室を飛び出したところで、映像が停止した。犯人を絞り込む手掛かりとしてはここまでで十分だろう。これからは、被害者本人を含め、あの談話室に入った者達がどこから来た誰なのかをハッキリさせねばなければならない。RRRR RRRR……携帯の着信音が鳴った。鳴っているのは、……目暮警部の携帯か。鳴り続ける端末をポケットから取り出し、警部は電話に出る。「目暮だ、どうした佐藤くん? ……被害者の弟が来たのか? ああ、被害者の身元は看護師の証言の通りで間違いない、と」※8月24日~9月7日初出 11月25日 第2部ー9~11を統合・大幅改稿しました