午前11時45分 東都警察病院 703号室ドンドン!!「ミルクティー持って来たよ! 開けてー!」勢いの良いノック音と共に、コナンの大声が、突然にドアの向こうから聞こえてくる。病室内の全員で顔を見合わせた。もう小五郎達の事情聴取が終わったのだろうか?――いや、コナン君の後ろからついて来ているのは……『自分』が気付いたことを知らせるべく、弁護士達を手招きする。声をできるだけ落とし、今『見える』情報を、告げる。「……お父さん、来てないよ。女性刑事らしい人がコナン君と一緒」え? という顔を示した弁護士達に構わず、『自分』はひとまずドアに向けて声を張り上げた。説明は後で良い。あまり長くドア前で2人を待たせたら、逆に不審に思われそうだ。「どうぞ!」ガラッ!ドアが開く。ミルクティーの缶を持った江戸川 コナンと、顔見知りの女性刑事、……佐藤 美和子刑事が、予想通り立っている。色々と思うところはあったが、……主に魔術で見えた情報に関して、思うところはあったが。『自分』は、心の内の葛藤と疑問を伏せて、ドアの横に立つふたりに微笑みを見せた。魔術のことで秘密を抱えるのは今更だ。今後、会話を交わす中で葛藤を解消するチャンスはあるかもしれないが、どう転ぶにせよ今は平穏を装ったほうが良い。「『蘭姉ちゃん』、ミルクティー持って来たよー」『自分』の葛藤の元になっている刑事、――佐藤 美和子刑事は、ドアの横から動かない。ミルクティーの缶を握ったコナンだけが動いた。小走りで『自分』に向かって来た彼から、缶を受け取る。掴んだ途端、ひんやりとした冷たさを感じた。わずかだが表面に水滴も付いている。まるで自販機から買った直後のようだ。「ありがとう。……これ、冷たいね。買ってすぐ持って来たのかな?」「うん。最初は、缶を買う前に遺体を見つけたから、買う暇が無かったんだけどね。 ……事情聴取でね、自動販売機に向かっていた理由を話したら、目暮警部が『先にミルクティーを買って、持って行ってあげなさい』って僕に言ってくれたんだ。 遺体が見つかった談話室には入れないけれど、他の階の談話室の自動販売機は使えるから」そんな流れでミルクティーを買ってきたのなら、今『自分』が握り締めているこの缶は、本当に買ってきたばかりの物。なるほどまだ冷たい訳だ。そこで、雇われている弁護士のうち年上の方、七市 里子弁護士が口を開いた。彼女は軽く膝を曲げて、コナンに目を合わせてから尋ねる。「毛利探偵のほうは、まだ警察の人達の所に居らっしゃるのね?」――ふむ。質問した本人には自覚が無いだろうが、『自分』には都合が良い質問だ。これからの会話の、おおよその流れが読める。『蘭』の父親は、おそらくまだ捜査に協力している。佐藤刑事がここに来たのは、コナンに付き添う保護者の代わり、だと思う。だとしたら、コナンの返答の後に、……『自分』が会話を主導する機会が生まれる。「うん。おじさん、今はまだ下の階で目暮警部達とお話をしてるよ」コナンは頷き、想像通りの内容を即答。心の中で身構え、でも慌てないように気を付けて。何でもないように装い、『自分』は言葉を発する。ドアの横に立っている佐藤刑事を見つめながら。「で、……『お父さん』の代わりに、その人が来た訳だ」若干、違和感があったかもしれない。喋り方に『サキュバス』の声色が強く出た。部屋中の人間がこちらを一斉に見つめて、空気が若干重くなる。「う、うん。佐藤刑事、僕に付いていくように警部に言われたから」ともあれ、『自分』に向けられた視線は気にしない。ただ、考え込む様子は隠さず、返事を呟く。「……そう」――さてさて。この刑事相手に、会話を引き延ばせるかな……?『直近の性行為の記憶を見抜く』魔術は、対象を選ばない。最初から、佐藤刑事に対しても作用はしていた。その魔術について、『自分』の心に引っかかっている事柄が、ある。もっと集中して、時間をかけて記憶を丹念に覗いて、事実を確かめておきたい。だから、出来る限りはこの刑事をここに引き留める。不自然にならないように会話を引き延ばす種は、幸運なことに今の『自分』の元に有った。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午前11時48分 東都警察病院 703号室「……あの、私に何か?」佐藤 美和子は、少し迷って、そう言った。訳有りの『被疑者』が、長時間自分を凝視したまま黙っているのは変だ。ベッドの上の『彼女』は、美和子の言葉を受けてようやく沈黙を破る。『毛利 蘭』の口から出てきたのは、美和子の知る女子高生とはまるで違う声色の喋り。内容も予想外だった。「佐藤 美和子刑事、そこのドアを閉めてくれないかな? この身体の、ひとつの人格を持った『被疑者』として、『わたし』の事件を担当する部署宛てに伝言を頼みたいことがあるから」――『被疑者』、の人格。……『サキュバス』の、声。思いもかけない言葉。思考をフル回転させつつ、周囲の反応も伺う。『本人』以外にここに居るのは、『蘭』の母親を含む、いずれも弁護士バッジを付けた女性3名と、コナン君だけ。それぞれの顔を見るに、……伝言を頼むことは、彼女等も了解していない、ようだ。ともあれこの面々なら、ドアを閉めても問題はないだろう。無論、何かあった時にすぐ外に飛び出せる位置に立つべきではあるが。言われた通りに病室のドアを閉めて、『彼女』に向き合った。『サキュバス』の事件の担当部署は、今は、拘置所被告殺人事件の捜査本部、になる。その本部宛ての伝言を頼まれること、それ自体は内容によってはやぶさかではないが、それよりも前に訊いておきたい疑問がある。「警察の職員として、『サキュバス』の事件の、……捜査本部への連絡は可能ではあるけれど。『被疑者がこう言っていました』、って、伝えることは出来るけれど。 でも、何で私に? この部屋の前に立っているお巡りさんも、伝言は受けてくれるでしょう」台詞の途中から、弁護士達の注目が集まる。しまった、と思い、少し言葉に詰まりながらも取り繕って、言いたいことをどうにか言い切った。『彼女』自身は、『サキュバス』という名詞を一度も発していない。美和子の側が『サキュバス』という単語を出したのだから、これはカマ掛けに引っ掛かったのと同じ。……いや、確か、毛利探偵の『うちの娘が入院している事情を知っているのか』という問いかけに、高木が『ええ、我々3人は知っています』といったやり取りが、先ほど、六階での事情聴取の際にあったはず。つまり、『目暮・佐藤・高木は、毛利 蘭の事情を知っている』という事実は、……毛利一家には知られてもいい情報、のはず。「警察にはあまり居ないと思うけど、伝言を頼んだそばから忘れるような人、居ないとも限らないから。でも『蘭』の記憶する限り、少なくとも佐藤刑事はそんな風なバカじゃないから。 それにしても、……『蘭』が『サキュバス』の事件に巻き込まれた事、貴女は知っているんだね」冗談めかしているのか真面目なのか分からないものの、一応の内容を理由にしたうえで、『彼女』は確認をかけてくる。弁護士達は相変わらず表情の変化が目まぐるしいが、『彼女』自身は一貫して無表情だ。「え、ええ。毛利探偵にも同じ質問をされたから答えたけれど、……私は、『あなた』の事情を知っているわ。目暮警部も、高木刑事も」だから、自分の台詞は失言ではない、と、美和子は言外にそんな意味を込めて答える。弁護士達がわずかに肩の力を抜いた。だが『彼女』は相変わらず表情は変えずに語り掛けてくる。「『わたし』の情報は秘匿されているらしいね。少年事件だし、警察でも捜査に関わっている人達しか、『わたし』の身元の情報は知らないと思う。 でも、貴女が『わたし』の件の捜査に今も従事しているのなら、今日コナン君達が遺体を発見した事件の捜査で、ここに来るはずがない。 おそらく貴女達は、以前は『サキュバス』の事件に関わってた。今は関わってない。……違うかな?」まるで『彼女』に追撃されているような感覚を覚えた。低い声でつらつらと述べられていく推測の、その内容は全て正解だ。坂田被告と沼淵被告が殺害された件が騒がれていた頃、……毛利 蘭が巻き込まれたと分かるまでは、美和子達は捜査に当たっていた。そして今、その件には関わっていないからこそ、この病院で新たに起きた殺人事件の捜査に、目暮警部達と一緒に出てきている。この『彼女』にどう答えるべきか。捜査に関わっていなかった、と、嘘を吐く事は出来ない。捜査本部内で秘匿されるべき被疑者の情報を何故知っているのか、絶対追及される。沈黙したとしても、『彼女』の個人情報の漏えい疑惑が掛かるのは同じ。……結局、事実を喋るのが最善、か。「……顔見知りが関わっている事件の捜査に、捜査員として従事するのは好ましくないから。 『毛利探偵のお嬢さん』が『サキュバス』の件に巻き込まれたと分かった時点で、私達は納得して捜査から外れた。私が話せるのはそれだけ」もっともそれは、警視庁内の捜査体制に限った話だ。大阪府警から面識がある者が派遣されて来て、数日前に『サキュバス』と何やらトラブった、という話は今日この病院に来る前に聞かされていたが、ここでは言及しない。その件のツッコミが来て藪蛇になる前に、美和子は『彼女』に対して言葉を続ける。「警察の職員として改めて質問。伝言の内容は、何?」その質問に、『彼女』は、フッ、と軽く息を吐いた。これまでの前置きが長い割に、捜査本部に伝えるべき肝心の内容は、至ってシンプル。「『警視庁相手に、後で、書面で、苦情を言うかも知れない』、と。大阪府警でなく、警視庁に。 どんな内容の苦情か、今は話せないし、弁護士とも意見をすり合わせないといけないけれど。いつになるかも分からないけれど。 『苦情があるから、書面で苦情を言うかも知れない』と。……それを『わたし』を担当する、そのサキュバスの件の捜査本部まで伝えてほしい」……弁護士達の安堵の表情から推測するに、苦情の内容は彼女達も把握はしているのか。ただ、伝言を頼もうとした『彼女』の行動が、突拍子も無かっただけで。伝言内容自体は、捜査本部まで伝えることは問題無い。むしろこの内容なら、捜査本部に伝えない方が問題化する。また、苦情の内容が何なのかの追及も不可能だ。流石に当の弁護士の前で、『弁護士と意見をすり合わせていない事柄を明かせ』とは言えない。「……分かった。『後で、書面で苦情を言うかもしれない』ということ。捜査本部に伝えるわ。話したいことはそれだけ?」『彼女』は即答した。「ええ。それだけ」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 午前11時53分 東都警察病院 703号室「……びっくりしたわ、突然伝言を頼みだすんだから」コナンと佐藤刑事が、病室から出て言ったのを見送ってから、『蘭』の母親は、溜息交じりにそんな言葉を吐き出した。雇われ弁護士2人も、黙って同意の頷きを見せる。見張りの婦警が、実は彼氏と一緒に違法薬物に手を出していたらしい件は、いずれ魔術のカミングアウトと一緒に、苦情の形で警視庁に知らせる、方向が良いと思う。で、さっき佐藤刑事にああいう伝言を頼みこんだのは、記憶を見た『自分』のとっさの判断。「ぅん、前置き無しに苦情を言うよりは、前置きを入れたほうが良いのかな、って思って」そこから先、『自分』は本当の理由を言いかけて、……言葉に出す前に、言うべきでないと判断、沈黙する。――『わたし』が知った情報は、今は『わたし』が抱え込んでおいた方が良い、かな?佐藤 美和子を呼び止めた、本当の理由。それは魔術で、丁寧に彼女の記憶を見ておきたかったから。で、……結局のところ、呼び止めて記憶を見ただけの成果は、有った。佐藤 美和子刑事は、後輩の高木 渉刑事と良い仲だ。2人してラブホテルに行った程度に良い仲だ。本来どこも問題のないはずのカップルだ。独身成人男女、互いの同意付き、違法行為もしていない。そんな2人の直近の性行為は、8月7日の夜。雑談で、『蘭』が巻き込まれた事件の情報を話題にしたのは頂けない、が、その前日(6日)に共に捜査に関わっていたなら、部外者に秘密を明かした事にはなるまい。ただ、問題はある。あのカップルにとっては割と大きめの、問題がある。2人が、その夜、肝炎をうつし合っていて、たぶんまだ2人ともそのことに気付いていない、という事だ。魔術に絶対はない。ただ、丁寧に記憶を覗いて解析した結果、肝炎の感染は、ほぼ間違いないと言えた。※8月3日~8月17日初出 11月24日 第2部ー7~8を統合・大幅改稿しました 2015年3月15日 時系列上矛盾する文章を修正しました