午前10時52分 東都警察病院 703号室要求通りに毛利探偵とコナンが出て行って、『自分』と妃弁護士と、雇われた弁護士2人の、女性だけになった病室で、相談の時間が始まる。まずは弁護士達の改めての挨拶から、だ。「……では、改めて。はじめまして、『毛利 蘭』さん。七市法律事務所の弁護士、七市 里子(ななし さとこ)です」クリーム色のスーツを着た、ふっくらとした体型の中年弁護士は、微笑みながら会釈した。そして、グレーのスーツの、若い細身の弁護士が続く。「同じく、神代 杏子(かみしろ きょうこ)です。よろしくお願いします」……『よろしくお願いします』、と、言えれば良いのだけど、元の『蘭』の人格であればそういう言葉が自然だけども、今の『自分』にはそれは言えない。魔術が止まらない状態の『自分』は、今、敬語が話せなくなっている。日本語での、ですます調の喋りは完全に使えないと、きのうの段階で分かっていた。「一応、今、……『毛利 蘭』って名乗っていいのかな? ちょっと、ややこしい事件の後で、またややこしい目に遭ってしまって、……できれば筆談が良いんだけども、『お母さん』、頼んでたノート、持って来てる?」頭を掻いた後、溜息を吐きながら、言葉を濁しながら、それだけ告げた。きのう意識を取り戻した後、『日記用にノートとペンと下敷きを買ってきてほしい』と、病院に駆け付けた妃弁護士に頼んでいたはずだ。……ちなみに、この時に頼んだ品は他にも有る。こちらの依頼を忘れていなければ持って来ているはずだし、仮に忘れているのなら、今から買ってきてもらわないと困る。そうでないと話が進まない。「え、……ええ」話を振られた妃弁護士は、自身の鞄を広げ、中から依頼の通りの物を取り出した。新品の大学ノートとボールペンと、『蘭』が使った記憶がある、使い込んだ下敷き。差し出されたそれら全てを受け取って、『自分』の膝の上に乗せる。最初のページの下に下敷きを敷いて、罫線を引いてあるだけの真っ白な紙の上に、ボールペンを走らせた。何をどこまで打ち明けるか、また、打ち明けずにおくべきか、既に考えはまとめている。最初に、こちらから言いたいことを一気に書く、ということも、決めていた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~【これから筆談で書いていく内容に、嘘はないつもりです。ただ、話せないことはあります 何をどこまで話すか決めかねていて、後で話すかもしれないけれど、今は秘密にしていたい事柄もあります。その旨、ご了承ください 今、私は敬語が話せない状態です 書く分には問題は無いのですが、しゃべろうとすると、ただのですます調でも無理な状態です。だから、書き言葉はともかく、今の私の話し言葉はすごく失礼に聞こえると思います そういう風に敬語が話せなくなったのは、きのう意識を取り戻してからでした 8月11日に殴られるまでは問題無かったのに、意識が戻ったら、敬語を話したくても話せなくなっていたんです 話せない原因は、私にはすぐ分かりました サキュバスの世界の大体の流派では、魔術を使っている間は、基本的にはどんなに頑張っても敬語は話せないから 殴られたのが悪かったのか、殴られる前に魔術を使ったのが悪かったのか、原因はわからないけれど きのう意識を取り戻したときから、ずっと、私は魔術を使いっ放しで、今も、発動しっ放しの状態なんです その魔術の内容は、「近くに居る人の、直近の性行為の記憶を見抜く」、というものです 今のところ、私ひとりの努力では、この全自動発動状態は止めきれてません 看護師さんとかお医者さんとか、見張りのおまわりさんとか、他にもこの近くに来た人すべて、そういう行為の経験がある人全ての記憶に、私はきのうからずっと、さらされていました こういう行為の記憶って、サキュバスはともかく蘭には耐性がありません。今まで何でもない風な顔をするの、すごく大変でした それで、この件で今、私が認識している問題があります 問題1点目は、この魔術を止めたいんだけど、止めるのが難しそうだ、ということ 2点目は、この魔術で見えた記憶の中に、かなり高い確率で違法行為しているらしい記憶があったこと 1点目の解決策は、思い付いている方法はあるんですが、その方法の詳細は、今は伏せさせてください 2点目の詳細についてですが、ラブホテルの中の女性の記憶で、彼氏と一緒に違法薬物らしい物を摂っている、そんな記憶でした この女性、今は居ないんだけど、どうも、今朝の8時位まで私の部屋の見張りに立っていた婦警さんの記憶っぽいんです、位置的に 私、これからどうしたら良いんでしょうね? とりあえず、私が相談したかったことは以上です あと相談事とは別に、弁護士さんに2点質問があります サキュバスの事件は、どれだけ報道されていますか? 坂田さんの、大阪のゲテモノ料理屋さんでの事件が、結構大きめに報道されたのは確認していますが、そこから先は分からないので それから、サキュバスの事件に巻き込まれた形の、毛利蘭については、身元に関する情報はどれだけ報道されているんでしょうか? 返事は筆談でお願いします。しゃべりだと失礼な言葉使いになる、って事だけじゃなくて、この病室の盗聴が怖いのも、筆談を選んだ理由ではあるから】~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午前11時15分 東都警察病院 703号室筆談で書くと決めていたことを、『自分』が結構な時間を掛けて書くだけ書いた、その大学ノートの文面を、弁護士達が読み込んでいく。予想はしていたが、無表情のままで読んでいられる内容ではなかったようだ。七市弁護士はギョッとした表情をして、神代弁護士は恥ずかしさから赤くなり、そして妃弁護士は、……溜息を吐きながら頭を抱える。RRRR RRRR……突然、着信音が鳴り響いた。音が聞こえてくるのは、……妃弁護士の鞄の中から、だ。周囲に軽く会釈して、鞄の中から携帯電話を取り出した彼女は、「あら」、と声を上げた。「さっき出ていったお父さんから電話みたい。何かしら? ……どうしたの、貴方? え!? 何ですって!? ……え、ええ、分かったわ」一体、何を夫から聞いたのか。実に狼狽えた声を出した妃弁護士は、しかしすぐさま我に返って会話を続けた。一言二言のやり取りの後、携帯電話を顔から離して手で覆い、『自分』に向けて告げる。「『蘭』、……ここの6階の談話室で、人が殺された、って。お父さんとコナン君が、第1発見者になったみたい。 『ミルクティーはちょっと待っていてくれ』って、お父さんが。『警察の捜査に協力しないといけないから』って」雇われた弁護士2人は、思い切り目を剥いた。事件の発覚に至るまでの流れは、きっと皆、自然に想像がついている。自動販売機のミルクティーを買いに行った時に、談話室内の遺体を見付けたのだろう。とすると、比較的早い時間に遺体を見つけ、今に至るまで電話できない状況になっていたのかもしれない。「それは、……仕方ないなぁ。『とりあえず今日の昼ごはんのついでになるくらいまでは待つから』って、お父さんとコナン君に伝えて」少し考えて、頭を掻きながらそう答えた。嘘を吐いてもどうしようもない事柄だし、理由自体はもっともだ。そもそも『ミルクティーは待っていてくれ』で、『持って行けない』と言っている訳では無いのだし。「分かったわ」妃弁護士は頷き、また携帯電話での通話に戻った。『自分』が言った通りの事を毛利探偵に伝えている、その姿を、『自分』はひとまず視線から外す。雇われた弁護士の内、若い方が、『自分』を凝視していたから。何やら思う事が有るらしい視線を受け止め、小首を傾げた。……神代 杏子弁護士は、どこか感心しているような、あるいは驚いているような口調で『自分』に言う。「落ち着いているんですね。『毛利 蘭』さん」父親が殺人事件に遭遇しているというのに、『自分』がさして驚いたり動揺したりしなかったから、それを不自然に思われたのか。あの探偵の、日頃の殺人事件遭遇率を知らなければ、よほど肝が据わっているか、情が薄いのか、それくらいに感じてしまうのだろう。「慣れているから。うちの『父』、しょっちゅう事件に遭っているから。……警察の人から『歩く死神』って言われるくらいだから」『サキュバス』の人格融合が無い、元の『蘭』の人格でも、あの2人が事件現場に居合わせたというだけでは、取り乱したりすることは無い。今日の、談話室の事件でも、きっといつものように、毛利探偵とコナンは、事件を解決してここに戻ってくる。きっと。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~午前11時16分 東都警察病院 603号室「……ああ、分かった。行けそうになったらすぐに持って行く」そう締め括ってから、おっちゃんは妃弁護士との通話を終えて、無言で目暮警部に小さく頭を下げた。警視庁から来た目暮警部と高木刑事と佐藤刑事、遺体発見時に談話室に駆け付けた看護師2人と医師、それに俺とおっちゃん。『本人』の病室と全く同じ間取りの6階の空き病室に、これだけの人間が集められている。集められた目的は、遺体発見時の状況を、さっきここに来た警部達が聴取するため。その前に、おっちゃんが妃弁護士に電話したいと言い出して、……その通話が終了して、今に至る。「えっと、毛利さん方がこの病院に来られたのは、……『お嬢さん』のお見舞いですか?」若干言葉を選びながら、佐藤刑事が俺達を相手にそう訊いた。「ああ。ちょうどここの真上の部屋に入院中だ。……うちの『娘』が入院した経緯は、知っているのか?」おっちゃんは真剣な顔で頷き、逆に刑事達に訊き返した。あえて佐藤刑事が『お嬢さんの見舞い』なのか質問してきたからには、警部達は今の『蘭』について、事情を知っているのだろう、と、予想は出来る。予想は出来るが、それでも、念のため確認しておかないといけない事柄だ。「ええ。……我々3人は知っています。ところで、どんな用事であの談話室に居たんですか?」高木刑事の回答と、それから、これもまた当たり前の質問。俺が答える。「僕達、入院中の『本人』からミルクティーを買ってくるように頼まれたんだ。 『入院中の7階には自販機は無いけど、この階の談話室にはある』って、看護師さんから聞いたから、あの談話室に行ったんだよ。 ちなみに『本人』は病室で、おばさんと、別の弁護士さんとで話し合いしてるよ。男の人には言いづらい内容の相談事があるんだって」刑事達は皆、……かなり、何事かを言いたそうな顔をする。『本人』の相談事の内容が気になるのだろう。でもこの件で、ここで俺達を追及しても効果は無い。俺も、おっちゃんも、当の『本人』が何を話しているのか知らないのに。「ほう、そうだったのかい。コナン君。 ……さて。毛利君とコナン君、それから看護師と医師の皆さんも、……事件の経緯を細かく聞いてもよろしいかな? 最初に遺体を発見したのは毛利君達だったね?」結局警部の手で話は本題に移る。こういう事件での目撃者への事情聴取は、しつこく、かつ、細かい。証言内容への些細な気付きが、事件解決の糸口になりうるから。もっとも元刑事のおっちゃんにとって、そんなのは百も承知の事。嫌な顔は全く見せず説明を始めた。「ええ。私達は、うちの『娘』から、ミルクティーを買って来るように頼まれていました。 『娘』の病室の看護師さんから、自販機は6階の談話室にあると教えられて、あの談話室に向かったんです。 談話室に入って、私が小銭を出して、坊主に渡して、自販機に向かって歩いて、……坊主が突然、突っ伏していた、あの被害者の脈を取り始めたんです」軽く身振り手振りを交えながら記憶を掘り起こしていく内容に、俺の記憶と突き合せてもおかしなところは無い。そして説明の結果として、案の定俺に向かって大人達全員の視線が集中。あの時、俺が感じたことは説明しないと分からないのか。当時談話室で考えたこと、やったことをそのまま話す。「うっすらだけど、あの男の人の方から、血の匂いを感じたんだ。 あの人、自販機に背中向ける形で、椅子に座って、机に突っ伏していたよね? もしかしたら、寝ている最中に具合悪くして、血を吐いたのかな、って思って」仮に被害者が生きていて、腕を触られたことを咎められたとしても。俺が心配そうな表情を作って事情を話し謝れば、たぶん許されるだろう、と予測していた。ただ心配性で世間知らずな小学1年生が、匂いを嗅いだという錯覚のせいで変なことをしただけだと、そういう結論になって許されるだろう、と。……そんな予測は結局、悪い意味で外れた訳だが。「それで、坊主が『脈が取れない』って騒ぎ始めて……」おっちゃんは、また、記憶を元にした説明に戻る。おっちゃんも脈が無い事を確かめたこと、俺が人を呼ぶように言って、おっちゃんが看護師と医者を呼んだこと、その間に被害者のリュックサックの不信点に気付き……俺もところどころ口を出しながら、説明が続いた。※7月1日~7月21日初出 11月23日 第2部ー4~6を統合・大幅改稿しました