8月6日 午前1時55分 大阪 道頓堀 『料理屋 天界』営業時間外の料理屋に忍び込む二人組。20代半ばの男と、10代半ばの少女。――こんな組み合わせの情報を字面だけなぞってみたら、この社会の普通の人は、売上金目当ての泥棒なんかを連想するのだろうか。そんな想像の中で描かれるのは、年上の男の方が主犯で、年下の女を従えている、頭の足りないコソ泥ペア、くらいの図式だろう。まぁ、実際は全く違うんだけど。……と、分厚い布地を床の上に広げながら、現に店に不法侵入している当の二人組の片割れ、15歳の『彼女』は心の中で呟く。実際のところ、主犯は未成年の『彼女』の方で、成人の彼は従犯どころか完全なる被害者だ。そもそも、この店に忍び込んでやりたい事は泥棒ではない。そんな事よりも遥かに大それた、この社会が忌み嫌う行為。窃盗目的の不法侵入者なら、暗闇の中をレジや金庫目当てに素早く走り回るのだろうけども、この料理屋は、今は明るかった。正確に言えば、電気は点けていないけれど、空間の中が明るくなるようにしていた。今のところここは、質の悪い術符で作った結界の中。外から見た場合の遮光としても、内側の照明としても、結界の術符は、現時点では十分に機能を発揮している。さて、床の上に布地を敷き終え、埃を落とすつもりで両手をはたいた。それから、数秒の沈黙。覚悟を決め、布地を指差して彼に告げる。「上半身全部脱いで、その上に横になって」およそ10歳年上の彼は、……逡巡はしたが抵抗はしなかった。息を吐いて気合を入れ、勢いで恐れを誤魔化し、服を一気に脱いで捨てて、あおむけに寝転がってくれた。この場所に連れて来た段階で、彼の口数は極端に少なくなっていたから、覚悟はしようとしてくれていたのだろうか、と、想像する。布地の上に半裸を晒す彼の顔色は、青を通り越して白かった。目をきつく閉じ、じっとしようと努力はしているのだろうが、全身まるごと恐怖に震えていた。その身体を見下ろし、元職が、この国の、……治安系の公務員だけあって貧弱な身体つきではないのだな、と、思いはするが、その思考も声には出さず。『彼女』は黙って膝を着き、腰に佩いた剣を抜く。この環境には、――結界が展開された営業時間外の料理屋、という空間には、『彼女』が行うことを咎める者は誰も居ない。二人きりの場所で、彼が抵抗しない今、これからやる行為を止められるとしたら、それは『彼女』の決断でしか有り得ない。「……苦しませは、しないよ。一瞬で終わらせるから……」今更中断する気は無いというのに、覚悟を決めていたというのに、声に感情の揺らぎが出てしまうのは何故なのだろう。未熟から来る動揺か、それとも、作法通りの作業を続けると、失われてしまう物への未練か。作法通りの作業とはすなわち、力を込めた言葉を唱え、剣を振り下ろしてしまうこと。やり遂げれば、色々な意味で、『彼女』は後戻りできなくなる。彼に告げた言葉は、実際に行われていた物の模倣だ。これから先の作法も、途中までは模倣が続く。『彼女』が目指した職業で、職を任ぜられた時、どんな奴でも最初に必ずやらされるという、儀式の、――処刑の儀式の模倣。もう、絶対に叶わない進路だが。合法的な形で、生きている相手に剣を振り下ろす日常も、『彼女』が元々就きたかった仕事に就いていたのなら、たぶん、有り得た。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~8月6日 午前2時頃。道頓堀の料理屋で。後の犯罪史に残る『彼女』の事件の、最初の犠牲者は、この時生じた。前代未聞の事件だった。荒唐無稽な被疑者の事情も、その後の経緯も、何もかもが。多くの者を巻き込み、また後味の悪さをも残した大事件の、最初の被害者が、この料理屋で『彼女』に殺された彼だったのだ。※4月12日 初出 7月1日 文章を全面改訂しました 2016年5月6日 しっくりこない言い回しを修正しました