「あ……?」 ぞくり、と背が震えた。死の恐怖か、いや、違う。それは何度も感じている。今にも失禁して泣き出して、子供のように助けて、とわめきたくなる。だが。これは違う。これは。 那珂は、機関が故障するかもしれない、と一瞬考える。そんな場合か、と考えながら、朝潮に覆いかぶさる。その瞬間、青い空が、真っ青に燃え上がった。爆音、衝撃波。確かに装甲でそれは無視できる。桜色の装甲に、瀑布のごとく、X線、ガンマ線、アルファ線がたたきつけられる。波にさらわれ、ごぼごぼと息を吐いて、朝潮の体を離さないために抱きしめた。 核攻撃だ。そう那珂は考える。そんなことをやろうと考える人々は、もう九州にはいない。つまり。「あは」 勝った。賭けに勝った。腹の底から喜びがこみ上げる。波間に顔を出し、機関に火を入れ、叫んだ。「やった、やった!」 呉鎮守府か、横須賀かは知らないが、彼らが来たのだ。合流できる。そう考えて、朝潮を海に横たえ、スカートを裂いて作った止血帯をきつく巻く。ともかく、救難信号をだそう、と考えて、装置をほとんど反射的に作動させる。しまった、どこに伝えるのだ、と考えて、でも、電波妨害下だから問題はないか、と考えて、顔を上げ。「そう都合はよくいかないかぁ。人気者は困っちゃう」 低く笑う。レ級の姿は、ない。だが、しかし。残りはまだいる。激烈なウォークライを喉から吐き出し、びりびりと鼓膜を震えさせる。臓腑を震わせる。「今日は那珂ちゃんのライブに来てくれてありがとう」 にっと、那珂は笑う。「アンコールだね」 砲を構え、酸素魚雷を扇状に放ち、彼女は前に進む。私はどうだっていい、だから。この子を帰らせるために、こいつらは倒さなければいけない。「ヴァルキリー1、こちらアクィラ1、作戦完了だな」「ああ、護衛、感謝……おや?」「どうした、ヴァルキリー1」 ヴァルキリー1もなにも、B-70ヴァルキリーは1機しかいないじゃないか、と言いたいのをこらえ、アレクサンデルは通信に応じる。核爆弾を四発投下して、今頃は黒い雨が降っているのだろうか、そう思いながら、何事かを言おうとしている彼の言葉を待つ。「こちらヴァルキリー1。アクィラ1、IJN、帝国海軍の救難信号だ。このすぐ下だな。助けに行ってやってほしい」「こちらアクィラ1、ヴァルキリー1、護衛に6機を残し、降下を開始する。よろしいか」「こちらヴァルキリー1、了解。死ぬなよ」 おそらくは見えていないのだろうが、アレクサンデルはヴァルキリーのパイロットに敬礼する。ヤンキーには数々の悪徳があるが、最大の美徳、仲間を見捨てない、という部分がある。それに対して敬礼した格好だった。「聞こえていたな、アクィラ2,3。降下を開始する。美人に恩を売るチャンスだ」 やれやれ、私も染まったかな、と考えながら、下降コースをとる。仮に助けるにしても、低高度にとどまる時間が長くなれば長くなるほど、こちら側の危険が増す。高高度はいざ知らず、低空は深海棲艦の空なのだから。 重巡ル級2、駆逐イ級1、倒せない相手じゃない。そう考えながら、那珂はハーネスの先を、つまりけん引され、動くたびに苦悶の声を上げている朝潮を見る。ああ、くそ。どうする。おそらく切り離せば朝潮が殺される。だが、お楽しみをしている間にくそったれの深海棲艦は殺せる。確実に殺せる。まだ酸素魚雷は残っているのだから。どうする。と考えた瞬間、首を振った。「艦隊のアイドルは絶対そんなこと、しないよね!」 そう。してはならないのだ。時々姉に痛い子扱いをされても路線変更をしなかったのに、たった一つの命がなくなるかも。というだけで路線変更をしてどうする。最後にはあきらめて姉妹の縁を切ろうかと思ってたけど、アイドルになりたいならしかたないよね、などと言われたことを思い出して少し泣きたくもなったが、そこはそれである。「……切って、ください」 波を切る音。敵の砲撃音。弾着のしぶき。その中から、声が、聞こえた。「わた、私を、朝潮をおとりにしてください。おね、おねがいします」 ふうふうという呼吸音。回避機動のたびに苦痛にゆがむ顔。懇願するかのような声に対して、那珂は空いた左手でち、ち、ちとばかりに人差し指を振り、口を開いた。「ダメ!」「だ、ダメって。しん、死んじゃいます。死んじゃうんです、死んじゃうんですよ!」 その一言で、ぶつ、と何かが切れた。「ああああ、もう!これだからいい子は!」 砲撃。彼我の距離は5㎞以下だ。駆逐イ級の外皮をけ破り、赤黒い肉をまき散らし、絶命の声を発させ、那珂は声を張った。「馬鹿正直に!」 最後の魚雷を放つ。扇状に放った魚雷のうち一つが、殺到しようとしていた重巡ル級の足を止め、砲を狙いやすくしてくれた。散布界に敵が入る。首をねじ切り、血を吹き出したのを確認。残り1。「私よりちっちゃい子が!薄汚い大人に使われて!」 敵のウォークライ。ぐいい、と体を傾け、敵の至近弾をかわす。破片が腕に突き刺さり、砲を取り落としそうになる。「死んじゃったら……嘘じゃないの! 戦争が終わるまで生きて!薄汚い大人がクソジジイになって! 足が立たないんですね、ってあざわらって! せいせいしますって言ってやるのが! あんたたちの仕事でしょうがッ! 死ぬことなんか那珂ちゃんが許さない!」「でも、でもっ」「うるさい!」 殴られたような衝撃が、走る。海面にたたきつけられ、ぐるぐると世界が回る。ひどく、頭が痛い。「あ……」 手を、頭に這わせる。血が、べったりとついている。「顔はやめて、って言ったのに」 薄く笑い、はっとなる。引きちぎれたハーネス。くそ、動け、こんなところで、ちくしょう、うごけ、と体をののしり、立ち上がる。 勝ち誇ったようなウォークライが、他人事のように聞こえた。だが。 大気を切り裂く音が、聞こえる。真っ赤な星が翼に描かれた怪鳥が、天高くから舞い降りてくる。射撃音。一瞬、重巡ル級の動きが、止まった。いまだ、やれ、という声が、聞こえる。痛みで気絶しそうな全身を叱咤し、20・3cm連想砲の引き金を、絞った。発砲音と、衝撃。体勢が整っていなかったため、ぐるん、と腕が引きちぎれそうな勢いで持ち上げられる。だが。悲鳴のようなウォークライ。びゅうびゅうと血を噴き上げる、敵の下半身。に、と思わず笑うが、ああっ、と声を上げる。「朝潮ちゃん!」 発作的に駆け寄ろうとして、つんのめる。まるで訓練生みたいなことをやってる。と思わず苦笑いし、微速全身。「……」「ど、どうしたの、大丈夫?」「……おしっこ、漏らしちゃいました」「大丈夫大丈夫、分かりっこないよ!」 そう言って笑いながら、予備のハーネスをかけ、朝潮に気遣いの声をかける。そして。再び轟音が、響く。3機編隊。ミグ25だ。「おーい!」 童女のように、赤い星を付けた怪鳥たち、いや、戦友に手を振る。「おおーい!」 ジェットエンジンの音。すぐ上を、彼らは飛び越えていった。「さて。帰んないとね。結構痛いと思うけど、我慢してねー」 おおい、という別の声が、耳に入る。「まったくもう、あの子たちったら、帰りなさいって言ったのに」 一生分の運を使い果たした気分だ。そういいたいのをこらえながら、前進する。また、戦うために。 そして、救難信号には、所属の符丁がついていた。あの鳥たちが生きて帰れば、呉鎮守府か、中央か、どちらかはわからないが、間違いなく連絡がつく。佐世保鎮守府には、生き残りがいる。そう示せるのだ。「確かなの?」 霧島と熊野にそう聞かれた那珂は、頭を縫われて痛いってば、と騒いでいた時とは打って変わって、まじめな調子で、答える。あの後、深雪と荒潮に回収され、朝潮とともに収容されたのだ。「うん。あー、えっと、はい。赤い星を描いたミグ25がね、私たちを助けてくれたんだよ」「ミグ25……そんなのを持っている部隊、あったかしら」 そういいながら、霧島はネットワーク寸断前に共有されていた戦力配置図を呼び出す。そうして。「……ああ、あった。イ号集団迎撃前後に岩国の海兵隊基地に空軍のB-70ヴァルキリーと、ミグ25が下りてるわね。確かに対馬の方角から来たのね?」「んー、それはちょっと自信がないけど……。ログはそうなってるね」「……霧島さん。事実だと考えていいのではありませんの? 放射性降下物も確認されています。間違いなく岩国の核が投下された、と考えて良いと思いますわ」 その熊野の声を聞いて、霧島も不承不承納得した。核爆弾の投下そのものは対馬攻略時に行ったことはあるが、さしたる効果を上げず、むしろ兵力が減った、と認識して突入したところ逆撃に遭い、武蔵を沈められ、多数の負傷者を出したのである。「……呉鎮守府や岩国の米軍が展開している可能性がある。という事よね」 思案する。どうする。北ルートで侵攻作戦を行っているのであれば、福岡に陸路で陸軍が入っている可能性もある。そうであれば、どこかしらの港に接岸して負傷者を後送してもらうか、それともエルドリッジの海峡通過の支援を要請するか。そもそも要請ができるのか、という問題はあったが、何等かコンタクトを取ってくるであろう、という想像はつく。「……少し、ここで待機します。呉鎮守府か、米軍か……場合によっては陸軍からコンタクトがある可能性があります」 深海棲艦の電子妨害が弱まっている。そのことから考えて、このあたりに調査に来た場合、ビーコンの信号を受信できる可能性がある。さらに言えば、敵がこちらから引いた、という事でもある。「まあ、判断保留ってことだね」「そういう事です」 そう言って、医務室の丸い椅子に霧島と熊野は腰を下ろす。「……朝潮ちゃん、どうなってるの」 そう那珂に問われ、霧島はああ、という顔を作る。「手術は終わったわ。腕は……運び出した工廠設備があったから、それで作ってつなげ直したのよ。ちゃんと癒着すれば間違いなく動くはずだわ」「そう……よかった。海に長く漬けられてたから、感染症にかかったりとかしてたらどうしようかと思った」「まあ……ほかの艦娘たちと違って、ばっさり千切れちゃってたから……腐ってたところを切るだけの体力が残ってたのもあるし」「だけど、しばらくあの子は使い物になりませんわ」 そう熊野は言う。霧島は驚いて熊野の方を見る。こんなことを、今この場で言うような子だったろうか、という衝撃があった。那珂も鼻白んだ様子で、それを見ている。「事実じゃありませんの。それに、消耗品の駆逐艦を守るためにあなたが沈んでしまっては元も子もありませんわ」「ちょっと……」 那珂も、この言葉を聞いて目を見開いている。確かにその通りなのだ。駆逐艦は良くも悪くも消耗品。養成に時間のかかる巡洋艦や戦艦に比べればプライオリティが低い。言い方は悪いが、命の価値は低いのだ。確かにそれは事実である。事実ではあるが、口に出して言うのは憚られることだ。しかし、訓練課程で実際に教育されることでもある。 しかし、熊野ははっとした様子で口を覆い、不快気に眉をしかめる。自分の口から出た言葉に驚き、痛みを覚えている。そんな風がある。「ごめんなさい……そんなつもりでは……」「……熊野さん」 この様子を見て、疲れて精神がささくれ立っているのを見て取る。霧島は立ち上がり、口を開いた。「命令します。今日はもう寝なさい。それにね」 そう言って、一瞬間を置く。「大人の悪い真似をする必要はないのよ。ここには今、私たちしかいないのだもの」 大人の悪い真似。その言葉を吐き出して、霧島はふうとため息をつく。子供たちを戦わせる現実に心をささくれ立たせ、心無い言葉を浴びせてきた大人たちに対して、皆思うところがある。だから、その思うところをぶつけてやるためには、生き残るしかない、という事も。