「ねえ、あれ……」
「まあいやだ」
道端で何やら奥様方は、怪訝そうに眉を顰め、倒れている男を指さしながらひそひそと話し込んでいる。
人が倒れているのにあんまりな態度、しかしある意味納得できる光景だ。
なにせ道の端で力なく四肢を放り出している件の人物は、全身包帯で包まれ、手には刀。
およそ真っ当な相手とは思えない、ヤクザくずれか犯罪者にしか見えなかったからだ。
変なことに巻き込まれたくないと思うのは当然のこと。遠巻きに嫌そうな顔をしている奥様方も、普通と言えば普通の対応である。
とはいえ、普通とは若干ずれた感性をした人物も、中にはいる訳で。
「ん、あれって」
藤堂夏樹は昔から都市伝説と縁がある。
初恋の相手は口裂け女だったし、幼馴染はくねくね。
妹はメリーさんの電話で、クラスメイトには猿夢やらひきこさんがいる。
多少変なのと遭遇したところで、今更驚くことでもない。
「あー、またかぁ……」
高校二年生の六月のこと。
そろそろ夏の兆しが見え始めた日和。夏樹は下校の途中で道端に転がっている、というか行き倒れている男を見つけた。
「……はら、へった」
ぐぅ、と大きな腹の音。
体調を崩して倒れているのかと思えば、単にお腹を空かせているだけらしい。そこは安心だが、微妙な気分はどうにも晴れない。
というのも、夏樹が見つけた男性は普通ではなかった。
彼の風体は異様の一言である。
直ぐ近くに倒れている自転車。体に巻き付けられた包帯。そして何より、手にした刀。
周りの人たちは行き倒れた男をヤクザか犯罪者のように見ており、助け起こそうという者は一人もいない。皆、危険なことに巻き込まれたくはないのだ。
しかし夏樹は、苦笑しながら頬を掻いた。
なんだかんだ経験を積んでしまったせいだろう。男の放つ気配からか、それとも直感か、彼が何者であるかを察してしまった。
「……やっぱりほっとくとまずいんだろうなぁ」
自転車、包帯、刀。
ここまで揃えばもはや言い訳は通用しない。
なんというか。
この日、藤堂夏樹は、トンカラトンを拾った。
◆
トンカラトンとは、赤マントや口裂け女と同じく、刃物を以って人を殺す危険な怪人系都市伝説である。
全身に包帯を巻き、日本刀を持った姿で、「トン、トン、トンカラ、トン♪」と歌いながら自転車に乗って現れる。
人に出会うといきなり「トンカラトンと言え」と言い、そのとおりにすれば去っていくが、言わないと刀で斬り殺される。
ただし普通の人間でもトンカラトンの包帯を左手に巻きつけておくと、仲間とみなされ斬られないそうだ。
そして、トンカラトンは斬った者を自身の包帯で包んでしまう。
こうすることで、斬り殺された人間は復活する。
ただし、新しいトンカラトンとなって。
ただ、この都市伝説に関しては、原典が非常に曖昧である。
トンカラトンの名が広がったのは、某怪談アニメで取り扱われたのがきっかけだという。しかしそれ以前にトンカラトンを知っている者は殆どおらず、「あれはアニメオリジナルの都市伝説? それとも実際にあるの?」と長らく議論がなされてきた。
一説には、スタッフの住む故郷で流れていた都市伝説とも言われているが真偽は不明。その正体はようとして知れない。
ちなみに「トンカラトン」の名で一番有名なのは都市伝説ではなく、豚肉料理のお店だ。
トンカラというのは、豚のから揚げを指す言葉だからだ。グッ○○三がその名もずばり「トンカラトン」という豚肉料理を作っていたりもする。レシピもネットで公開されているので興味がある方はどうぞ。
また古い歴史を紐解けば、トンカラで出てくるのは「からくり」。トンカラトンカラというのは、機織りやからくり人形が動く時の擬音である。
怪異と関連付けるとすれば、「トンカラリン」。
熊本や広島にはトンカラリンと呼ばれる古代遺跡が存在している。
この遺跡は用途不明。排水路や祭壇、地下ピラミッドなどいろいろな説はあるものの、詳しいことは分かっていない。
ただ、幽霊の出る怪異スポットとしても有名な場所である。
色々あげてみたが、ここで「トンカラトン」「歌いながらやってくる」「包帯」「刀」といったキーワードを踏まえ、一つの歌を紹介したい。
ある年代の人ならば絶対に聞いたことがある。
『ド・ド・○リフの大○笑ー♪』
某お笑い番組のオープニングテーマである。
ちなみにこの歌、替え歌だということはご存じだろうか?
実はちゃんと原曲があり、そのリズムに笑える歌詞を当てはめたものなのだ。
そしてその原曲は『隣組』。
戦時歌謡(国民の戦意高揚や、国の軍事政策を宣伝するために制作された楽曲)である隣組は、明るい曲調から戦後も歌い継がれた。
ちなみにその歌詞とリズムは、
『トントン、トンカラリン♪ と隣組♪』 (著作権消滅の為そのまま記載)
怪人トンカラトンが口遊むものと殆ど一緒である。
戦中戦後に歌われた『隣組』。喧伝するのは当然ながら軍人だ。
つまり「全身包帯に覆われた刀を持つ怪人」とは、「戦後生き残った傷痍軍人」の象徴であり、この都市伝説は戦後の素行の良くない日本軍人による暴虐がイメージとなっているのではないだろうか。
とまあここまで語っておいてなんだが、殆ど根拠のない与太なのであまり気にしないでもいい話だ。
大事なのは、トンカラトンは斬ったものをトンカラトンに変える。ただその一点である。
◆
「っかぁ、うまかったぁ!」
何の因果か行き倒れていたトンカラトンを助け、夏樹は彼を近くの牛丼チェーン『吉田屋』へと連れていった。
どうやら金がなくてしばらく飯を食べていなかったらしい。見捨てるのも寝覚めが悪いし牛丼を奢れば、トンカラトンは物凄い勢いで口の中へ詰め込んでいく。
四杯目の牛丼を食べ終え、お茶を一気に呑み干し、ようやく一心地。
トンカラトンは満足げな笑みを浮かべていた。
「ごっそうさん。わりいなぁ、ここ三日なんにも食ってなかったからよぉ」
腹をさすりつつ礼を言うトンカラトン。
そういえば口裂け女の時も初めは食べ物奢るところから入ったような。なんというか、自分はあんまり成長していないのかもしれないと、夏樹は微妙に傷ついていた。
「いや、まあほっとくわけにもいかないからいいんだけどさ。でもトンカラトンさんは」
「金剛寺嶽(こんごうじ・がく)だぁ」
「あ、名前ちゃんとあるんだ」
このトンカラトンの名前は、金剛寺嶽というらしい。
六月だと言うのに黒のロングコートを纏った彼は、左腕とコートの下に包帯を巻きつけており、ついでに顔も半分くらい包帯で隠している。厳めしい顔つきも相まって、ぱっと見かなり怖い。
刀は出し入れが自由らしく、今は消してある。刀を自在に消したり出したりするところを見なければ、単なる厨二病患者と断じたことだろう。
「で、その金剛寺さんは、なんであんなところで行き倒れてたんだ?」
「ああいや、財布落としちまってなぁ。旅先なもんで金も下ろせねえし、一応目的在って来てるからすぐには帰れねえし。警察頼んのもあれだしよぉ。正直、お前のおかげで助かったぜぇ」
「意外と普通の理由だ……」
しかも結構間抜けな理由である。
まあでも勢いで助けてしまったが、変な人……変な都市伝説でなくてよかった。
「ていうか、旅行中?」
「ちげえよ。んな気楽なもんじゃねぇ。ちと探してる奴がいんだ」
気楽な調子で語り続けていたトンカラトンだが、その問いに目をぎらつかせる。
探している奴。そう言った彼は、獲物を狙う猛禽のような、宿敵か親の仇を見つけた武士のような、ひどく物騒な気配を醸し出している。
「この街に、トンカラトンが現れたと聞いたぁ。俺は、そいつを、追っている」
つまり今回のお話は、藤堂夏樹ではなく、一匹のトンカラトンの物語である。
◆
金剛寺嶽は、使い古された表現ではあるが、いわゆる「普通の高校生」というやつだった。
成績は特によくはないし、女にモテたためしもない。剣道部だったため運動はそこそこだが、それだって何処かの大会で優勝できるほどではない。
少々以上に負けん気の強いところはあるものの、嶽は本当に普通の高校生で。
しかしある日、部活を終えて下校する途中、聞いてはいけない歌を聞いてしまった。
『トン、トン、トンカラ、トン♪』
歌を歌いながら、自転車に乗って現れる、全身包帯の怪人。
不気味なそいつの存在に嶽は足を止め、それがいけなかった。
『トンカラトンと言え』
当時の嶽には都市伝説の知識などなく、だからその問いに何も答えを返せず。
ざしゅう。
袈裟懸けに斬り裂かれ、彼は地に伏した。
トンカラトンに斬られた者は包帯に全身を巻かれ、トンカラトンにされてしまう。
そんなことはもちろん知りようもなく、けれど伸びてくる包帯に嫌なものを感じた嶽は、朦朧とした意識の中で必死に抗う。
包まれるたびに無理矢理剥がし、再び包まれ。
それを何度か繰り返し、けれど無情にも彼は全身を包帯に包まれ。
気付けば彼は、トンカラトンになっていた。
ただ何かの偶然か、それとも必死の抵抗が功を奏したのか。
嶽はトンカラトンになりながらも、ちゃんと自意識を保っていた。
容姿も化け物になった訳ではなく、血も赤い。「トンカラトンの力を宿した人間」というのが一番適した表現だろう。
それでも、人の枠から食み出た存在であることには変わりなく。
金剛寺嶽は、家族や友人に何一つ告げることなく高校を中退、そして失踪。
その後の彼の行方はようとして知れなかったという。
◆
「つまり、トンカラトンに斬られてトンカラトンになったと」
「まあな。人間の頃の意識は持ってるが、やっぱり俺はトンカラトンなんだろうなぁ」
トンカラトン……金剛寺嶽はどこか寂しげに呟く。
あやかしに遭遇し切り伏せられたことで都市伝説となってしまった男。
人から怪異に変わってしまった者ならいくらか知っている。それでも、その胸中がいかなるものかは夏樹では想像もつかない。
だから何も言わず、けれど同情の言葉を吐くのも違うと思って、夏樹はただまっすぐに嶽の目を見た。
その対応で間違いではなかったようだ。彼は何処か愉しげに口の端を釣り上げていた。
「と、話が逸れたな。その後は、来日してたアメリカのとある富豪の下で、用心棒の真似事やらをしてた。五、六年はいたか。ま、ちょっと前にデカいポカやらかしてクビになったがなぁ」
高校を中退した後、彼はトンカラトンとしての異常な身体能力を生かし、とある富豪の下で合法非合法問わず仕事をしていたという。
用心棒やら人攫いやら様々な命令をこなし、しかし以前、大きなミスをしてしまったせいでクビになった。正確に言えば、富豪を見限って出ていったらしい。
嶽はそれからしばらく流浪の生活……と言えば聞こえはいいが、無職となった彼は就職活動もせず定職に就かず旅をしていた。
幸い貯蓄もあり、気楽な生活を楽しんでいたのが、最近になって事情が変わる。
金剛寺嶽は、とある都市伝説の怪人を、風の噂で耳にした。
曰く、『この街にトンカラトンが現れた』。
己を怪異へと変えた仇敵。
彼はいてもたってもいられず葛野市へ訪れ……しかし財布を落として冒頭に至る。決死の覚悟を抱きながら、食うもの食えずに行き倒れとは中々あれなオチであった。
「ほんと助かったぜぇ、あー」
「夏樹。藤堂夏樹」
「おぅ、夏樹。わりいな奢ってもらって」
「いや。これ以上のことはしてやれなくて申し訳ないけど」
「はん、そっちは俺の事情だぁ。端から手出しさせるつもりなんざねぇ」
軽く鼻で笑い、嶽は店を出ていく。
おそらくは、いや、間違いなく。トンカラトンを倒す為に。
その足取りはしっかりとしていて、揺らぎは全く見られない。
なのに何故だろう。彼の背中は、やけに頼りなく見えた。
◆
つまり金剛寺嶽はトンカラトンだった。
トンカラトンに斬られ怪異となり、それから五年は経ったか。
彼はとある富豪の下で、非合法な仕事に従事していた。
雇い主はお世辞にも真っ当とは言い難い、犯罪めいたことでも平気にやる男だった。
そういう男の子飼いならば、下される命令もそれに倣う。
嶽の仕事は、男の邪魔になるものを斬り殺すこと。目標を探して適当にふらつき、出会ったならば斬り捨てる。たったそれだけ。
結局は人ではない者になってしまったのだろう。人を殺すことに罪悪感はない。
斬って殺して、飯が食えて屋根の下で練れれば十分。
つまりはトンカラトンと同じ。
斬られて怪異に身を堕とした、それ以上に、彼は「遭遇した誰かを斬り殺す怪異」以外の何者でもなかった。
けれど離れる気にはならなかった。自身が化け物だという自覚があったからだ。
怪異となった彼は、自我こそ残ったが、何者でもなく。
どこまでいっても、トンカラトンでしかなかった。
「おーい、お疲れさん。これ、差し入れな」
金剛寺嶽は、夕暮れの公園で、どかりとベンチに腰を下ろしていた。
トンカラトンが現れたという話は、この公園一帯で語られていた。だから待っていればいずれ姿を見せるだろうと考え陣取ってから丸一日。彼を訪ねたのは都市伝説の怪人ではなく、ハンバーガーの袋を大量に抱えた藤堂夏樹その人だった。
「お前は……夏樹、だったか」
「うん。いや、この公園に変な人がいるって聞いたから。多分金剛寺さんだろうなぁと」
「はん、変な人とはご挨拶じゃねえかぁ」
夏樹の登場は嶽にとっては意外だったが、当の本人は大して気にした様子もなく隣へ座る。
そしてバーがショップで買ってきたハンバーガーだのポテトだのナゲットだのドリンクだのを取り出して、ほとんど無理矢理渡してついでに自分もハンバーガーを喰い始めた。
「……お前よぉ、怖くねえのかぁ?」
嶽の風体はどう見ても真面ではない。
普通に考えてもヤクザ崩れか犯罪者。正体はトンカラトン。はっきり言って外見も中身もお近づきになりたいタイプではないだろう。
そう自分でも思うからの問い。しかし夏樹は実にあっけらかんとした様子でハンバーガーをかじっている。
「うーん、あんまり。もっと怖いの知ってるし」
「もっと怖いの?」
「そう。世の中広いんだぞ?」
「そんなもんかぁ」
「そんなものです」
「変な奴だなぁオイ」
「いや、トンカラトンに言われても」
「ちげぇねえ」
都市伝説とか、古くから生きる鬼とか、世を滅ぼす鬼神とか。藤堂の姓を関する身、今更一介の都市伝説に怯える筈もなし。
それに、そもそも金剛寺嶽という男は怖いとは思えなかった。
この風体で、体付きもがっしりしていて、顔も厳めしくて。
なのに何故か、まるで道に迷った子供のような頼りなさがある。
声をかけてしまったのは、多分そのせいだろう。
「なあ、金剛寺さん」
「嶽でいい」
「んじゃ嶽さん。なんで、トンカラトンを追ってるんだ?」
「あん?」
「なんていうか、気乗りしない? 違うな、えっと。……積極的に会おうとしてる訳じゃないというか。本当は、会いたくないように見えたから」
「……お前、よく見てるな」
「そうかな?」
夏樹は自分でも何を聞きたいのか分からない、纏まらない問いを零した。
ハンバーガーを乱雑に食べながら、嶽は考え込んでいる。別に答える必要はない。だからそのまま無視されても夏樹としてはよかった。
「……俺はよぉ、トンカラトンなんだぁ」
けれど飯を奢ってもらった礼か、それとも何か思うところがあったのか。ポツリポツリと、嶽は話してくれた。
「斬られて、化け物になったってことじゃねぇ。雇い主の下で、命令されるままに斬って。自分でなんも考えてこなかった。だからよぉ、俺は“出会った誰かを殺す怪異”、それ以外の何者でもなかった」
人でなくなったから、普通の生活はできないと思った。
偶然ではあるが、ヤクザものに拾われ、人殺しを生業とした。
そこに躊躇いはない。人でなくなった時点で、良識など残っていなかったのだろう。
殺すことになんの感慨もなく、金の為生活の為、当たり前のように斬ってきた。
つまりは、自我が残っていたとしても、彼はトンカラトンでしかない。
流浪し、出会い、殺し。
それだけが、金剛寺嶽を構成する要素だった。
「だが一年くらい前か。俺は殺そうと思った高校生に、返り討ちにあっちまったぁ。殺しを生業としてたくせに、笑えるだろぉよ」
「いや、そんなことは」
「気ぃ遣うな。んでよ、そいつに負けて、考えちまったんだ。俺は結局なんなのか、何者で在りたかったのか、ってなぁ」
トンカラトンだった。
けれど初めて怪異に斬られ、包帯に包まれ、眷属にされようとした時。
金剛寺嶽は抵抗した。本当は、トンカラトンになりたくなかった筈なのだ。
なにに人の中にはいられないといじけて、金だとか生活の為と嘯いて、トンカラトンと変わらぬ何かにまで身を落とした。
そういう自分に、気付いてしまった。
「……じゃあ、嶽さんは、どう在りたかったんだ?」
「分かんねぇ。でもよ、多分。トンカラトンであることに問題はない。ただ俺は、俺で在りたかったじゃねえか。そうは、思う」
もはや化け物であると知っている。だから、トンカラトンであることを否定しようとは思わない。
けれど、俺は俺でありたい。
遭遇した者を斬るだけの怪異ではなく。自分の意思で何を斬るか選べる、そういう男で在りたかった。
だから金剛寺嶽は、トンカラトンを追う。
「だからよぉ、俺はトンカラトンを追ってんだ。追って、俺を化け物に変えたやつを斬って捨てる。そうして初めて、俺は俺に為れる。俺としての一歩を踏み出せる……まず最初に、そうしなきゃいけなかったって、気付いたんだぁ」
嶽は口いっぱいに頬張ったハンバーガーをドリンクで胃に流し込み、おしぼりで手を拭いて、ゆっくりとベンチから腰を上げた。
ちょうど話し終えたタイミングで、歌が聞こえてきた。それを聞いた彼は、獰猛な、獣の笑みを浮かべている。
『トン、トン、トンカラ、トン♪』
噂通り、夕暮れの公園に現れる奇妙な影。
自転車に乗って、刀を携えた、全身包帯に包まれた巨躯の怪人。
陽気に物悲しい歌を口ずさみながら、トンカラトンは、今再び金剛寺嶽の前に姿を現した。
眼前の怪異は、確かにトンカラトン。かつて嶽を怪異へと変えた仇敵に他ならぬと、あやかしと為ったこの身が叫んでいる。
全身をこわばらせる彼を尻目に、自転車から降りた怪人は、お決まりのセリフを口にする。
『トンカラトンと言え』
あの時は、どう返せばいいのか分からなかった。
今は対処法を知っている。「トンカラトン」と答えれば、都市伝説の怪人は去っていく。それだけで命は助かる。トンカラトンは、危険ではあるが対処自体は容易だ。
けれど、考える。
金剛寺嶽は、かつてトンカラトンに斬られ怪異となった。
思えば、この怪人こそが、嶽の在り方を捻じ曲げたのだ。
ならば返す言葉など、正しい答えなど初めから決まっている。
「そっちこそ、トンカラトンと言え……ま、言ったところで斬るがなぁ」
嶽は抜刀し、切っ先を突き付け、不敵に高らかに宣言する。
逃げもしないし、逃がしもしない。
此処で、歪んだ己と決着をつける。
その為に、来たのだ。
『……お前は、余計なことを言ったぁ』
正答を得られなかったトンカラトンの気配が目に見えて変わる。
同時に、嶽の気配もまた。
張りつめる空気。互いの手には刀。現代にあって、両者はまるで時代劇の1シーンのように睨み合う。
時代遅れの決闘。何故が不思議と、笑みが漏れた。
トンカラトンは八相に構える。殆ど自意識のない怪異だと言うのに、その構えは堂に入ったものだ。
対して嶽は正眼。普段なら刀をだらりと放り出した無形をとる。だというのに正眼の構えを取ったのは、多分、相手がトンカラトンだったからだろう。
かつて高校生の頃、剣道部員だった彼は、抵抗さえできず斬り伏せられた。
あの時の借りを返そうと、嶽は敢えて剣道でも一般的な正眼を選んだ。
互いの意識は研ぎ澄まされ、長く短い対峙。
ひゅるりと風は吹いて。
それが合図、両者は同時に動き出した。
『オォォォォォォォォォ!』
裂帛の気合と共にトンカラトンは斬りかかる。
巨躯でありながらその進撃は驚くほどに速い。身が竦みそうになるほどの一太刀を前に、しかし嶽は冷静であった。
トン────振りかぶる。
嶽は自身の動きを確かめるような丁寧さで刀を振りかぶる。
仇敵と対峙しながら、驚くくらい落ち着いている。相手の動きがよく見える、負ける気はしなかった。
カラ────左足で地を蹴り、一気に踏み込む。
表情は変わらない。だが、トンカラトンは驚愕したように見えた。
それも遅い。既にこちらの間合い。嶽はただ静かに、透き通るような心のままに刀を振り下ろし。
トン────斬り伏せる。
三拍子。
お手本のような美しい挙動で、嶽はトンカラトンを斬って伏せた。
トンカラトンの原典は曖昧だが、この手の「自分が殺した相手を眷属に変える」タイプの怪異には、定番ともいえる対処策がある。
吸血鬼に血を吸われ眷属となったものが、その支配を打ち破る方法はご存じだろうか?
実に単純、「自分を吸血鬼に変えた者の血を逆に吸い返す」。支配する者を打ち倒すことこそが、普遍的な解決法なのである。
金剛寺嶽は今ここにそれを為した。
かつて己を怪異へと変えた仇敵。過去を乗り越えた彼は、転がる死骸を眺める。
曰く、トンカラトンは斬ったものを眷属に変える。
だが、と鼻で嗤い、彼は背を向ける。
「てめえなんぞ、仲間にゃほしくねぇ。此処で朽ち果てていきなぁ」
トンカラトン以外の何者でもなかった。
しかし彼は、ようやく此処に長く続く悪夢と決着をつけたのだった。
◆
あれから三か月。
自身の仇敵を倒した金剛寺嶽は、満足そうに葛野市を去っていた。
今回に関しては夏樹が何かをしたという訳でもない。ただ嶽が己の意地を見せつけたというだけである。
ただ、敢えて変わったことを上げるのであれば、一月に一通手紙が届くようになったくらいか。
「なっき、それなに?」
戻川高校。
休み時間に教室で手紙を読んでいると、幼馴染の根来音久美子が興味深げに聞いてきた。
夏樹は視線を文面に向けたまま、なんとも曖昧な笑みで答える。
「友達からの手紙。時々、送ってくれるんだ」
「ふーん。あ、もしかして女の子!? ひどいなっき、浮気なんて。おじいちゃんに言いつけてやる!」
「お前は一体何を言っているのか。あと、それほんとにやめてください」
勿論冗談だ。お互い笑顔、険悪なところなど欠片もない。
こういう気の抜けたことが出来るのはやっぱり久美子だけなので、有難いなぁと思う。言うのは恥ずかしいから言わないけれど。
一頻り燥いだ後、再び夏樹は手紙を読む。決して上手いとは言えない字だが、自然と笑みが零れた。
『よう、夏樹。元気してるか。
俺は相変わらずいろんなところを旅している。
昔とは違って、都市伝説の怪人やらよく分からん化け物に襲われている奴らを助けながらな。
あれだ、感謝されるってのは中々悪くない。
なんかいつの間にか有名になってて、“バイシクル・サムライマスター”とか呼ばれたのはビビったが。
しばらくは人助けしながらこういう生活を続けようと思っている。幸い金は前の仕事のおかげでたんまりあるし、日銭を稼ぐのには困らないしな。
また葛野に寄ることがあったら飯でも食いに行こう。今度は俺が奢ってやるよ』
どうやら、元気でやっているようでなにより。
縛る鎖を……いや、トンカラトンなら包帯か。
縛る包帯を自ら断ち切り、自由になったトンカラトンは、今日も今日とてふらふらと。
相変わらず流浪の日々は続いているようだ。
まあ、友達が元気ならこっちも嬉しい。久美子が変な目で見ているけれど、夏樹はくすくすと笑い続けた。
これで、トンカラトンのお話はおしまい。
刀と意地と、あとなにか。
振り上げ、踏み込み、斬り伏せる。
つまりは三拍子、トン・カラ・トンで幕が下りる。
包帯は断ち切って自由になって。
どうやら今は気ままに流離っているご様子だ。
封筒の中には、写真も同封されていた。
手紙を読み終えた夏樹はそれを取り出し、映った男の笑顔を見た瞬間、思わず噴き出した。
写真には自転車に乗って、全身に包帯を巻きつけた、刀を手にした奇怪な人物。
顔の半分は隠れているが結構楽しそう。その上、周りにはたぶん大学生くらいの男女が嶽を取り囲み、やはりみんな笑顔だ。
旅をしているとは聞いていたが、そんなところまで行ってるのかよ。
思わず夏樹はツッコんでしまう。
「おいおい、ニューヨーク図書館前で記念撮影とか、ワールドワイド過ぎるだろトンカラトン」
ニューヨーク市に所在する、世界屈指の規模を有する私立の図書館。
その正面玄関で、現地の大学生たちと仲良さげに写真を撮るトンカラトン。
シュール過ぎて笑えてくる。
どうやらトンカラトンは今、アメリカにいるようです。