最初に見えたのは、光であった。まるで自分を包み込んで癒すかのようなそれは、いつも願っていたものだ。
その光の向こうに自分と同じく赤い髪をしている角を持った青年の姿を見る。
幼い頃から願っていた何者にも負けぬ光。その姿を紅玉の剣士に見た時もあったが、だが目の前の人物は自分以上に異彩を放っていた。
何かが見える。隣に立つ黒髪の女の子。女性と言うには幼すぎるその人の手を取り微笑みあう姿。
手から雷を放つはずだったその手を握り合う彼らの姿を見た後に、何かが聞こえた。それはお互いの名前だ。
アズサ、ウラ……フタバ。この辺りの言葉ではない名前を言い合う彼らの姿はとても仲睦まじいものは唐突に見えなくなった。
何かの幻視は終わって、本当の意味での目を見開くと、そこには彼らの姿は無く人質とされていたルヴ-シュの貴族の娘……アデリーナが心配そうな眼を安堵のものに変えてこちらを見返していた。
「よかった。気が付かれましたのですね戦姫様」
「ここは……?」
どうやら自分は眠っていたようだ。着替えをさせられたのか、いつものドレスではなく、女物の平服を自分は着ていた。
そして敷物があれども、ここは船内ではなく甲板のようだ。つまり船の上に自分はいる。そして掲げられた旗から察して、ルヴ-シュ軍の船であることは間違いないようだ。
「アデリーナさん。私はどうして……! あの人は!? サカガミ卿は……!?」
自分の無事は確認出来た。だが同じく行動を共にしていた東方剣士の無事は確認出来ない。周りを見返しても人の壁があり、何人かが動いているのみであり
まだ起き上がることが少し億劫な自分では現在の状況が確認できない。
「………命の危険にさらされています………非常に危険な状態です」
「そんな……」
こちらの質問に対して眼を伏せて、悲しげな様子でいるアデリーナに対して絶望的な思いが湧きあがってしまう。
まだ色々なことを話してみたかった。自分の話し相手になってくれると思ったというのに、彼と同じく自分も少数の犠牲を容認できない人間だったのだ。
だから――――リーザともっと呼んでほしかったのに、その願いは無残にも散らされそうだった……のだが、何やら騒がしい。
ざわめいたとでも言えばいいのだろうか、何か凄く船が盛り上がっている。
主人である自分の無事を見たのもいるが、それは少数であり人だかりの中心にどうにも皆が注目している。
「…………って! なんだってこうなるんだよーー!?」
「自分の胸に問い質してみるんだね!!!」「理解したからといって納得できるとは限らないんですよ!!!」
……という、どうにもどこかで聞き覚えのある声と共に何かが打ち鳴らされる金属音が聞こえた。
そしてそれは人だかりの中心にて聞こえる。二本の足で立ち上がるも、どこかおぼつかない。その様子を見たアデリーナが肩を貸してきた。
「ご自愛ください。あなたは海の中で溺れていたのですから、まだ体は本調子ではないはずです」
「すみません。お手数お掛けします」
「そこまで畏まらずとも……」
そうして、何とか人だかりを割って皆が見ているものを自分も眼に収める。そこには――――。
戦姫二人の竜具を剣で受けて鍔迫り合いをする侍の姿だった。
一進一退の攻防は中々にいい勝負だ。いい勝負ではあるが……どういう状況だ。
それに対して何故か全員が騒ぎ立てている。これが原因かと思うと同時に、何故こんなことになっているのだろう。
「ですから言いました。『命の危険にさらされている』『非常に危険な状態』だと」
「想像していたのと違うのだけど……」
だが同時にイイ性格しているなと自分に肩を貸す女性に対して、感想を漏らす。
しかし自分を不安な気持ちにさせたことに対して、反感を覚えもする。
「よろしければ、こうなった原因をご説明させていただきますけど、よろしいですかエリザヴェータ様?」
「……お願いします」
何だかこの人も少し怒っている。と感じつつも、この状況を説明させてもらうためには、この人に頼むしかないと思いお願いした。
そうしながらも、戦姫二人の悋気を受け止める侍の苦労は終わっていなかった。
「鬼剣の王 Ⅰ」
三匹の海竜は消滅した。完全なまでの勝利を収めた。その感慨に耽る暇も無く、喉に塩辛さを感じた。
海水を飲んでいると認識した後に上を目指す。方向感覚が分からなくなるほどに弛緩した身体だが、とりあえず己の無事を確保しなければならないと思った矢先に、下の水底に眠るように堕ちていく紅の髪を持つ少女の姿を見る。
自分とは違い完全に意識を飛ばしている。ヴァリツァイフは己を発光させてこちらに助けを求めているように見えた。
水を蹴り、彼女の下へと急ぐ。下には岩などの漁礁が無く砂だけだが、それでも安心は出来ない。己の呼吸を計算しながらも習った泳法でエリザ……リーザの下へと急ぐ。
その豊かすぎる髪が水中に漂う様は幻想的で、伝説に語られる人魚や乙姫などを思わせるが、そんな感想を出す暇も無く彼女を救出すべく急ぐ。
足を動かし何とか彼女の身体を捕まえると、ヴァリツァイフは安心したかのように発光を終えた。
こちらとの接触で意識を取り戻すかとも思えたが、意識は依然ない状態だ。急いで海面に顔を出さなければならない。
(南無三)
祈りをすると同時に、光の方へと向かっていく。それまでに何も苦難が起こらないでいてほしい。
そうして海面に出ると同時に荒い呼吸をする。予想外に身体は疲労していた。そしてリーザの身体も筋肉の状態から極度の疲労であると感じた。
荒い呼吸を終えてから周りを見渡す余裕も出ると、この哀れな遭難者を見つけてくれる船は無いかと目を向ける。
万が一、海賊船がやってきたならばリーザを抱えてでも全員を殺すという意思でいたのだが、幸運は過分にあったようであり、左を見るとマルガリータ号がこちらに来た。
「戦姫様~!、サカガミ卿~~!」
こちらに気付いたらしく船縁から身を乗り出して、こちらに手を振っているのはあの時助け出した人質の内の一人だ。
良く考えていれば、あの時リーザの傍にて長剣を差し出したのも彼女だったか。
(保護された後に従軍をしたのか、剛毅な女だな)
今更ながら、ジスタートに生きる女性は誰もが強いんだなと思う。そうして櫂に気を付けながら、こちらまで船を寄せてきた。
縄梯子が下されて、力を振り絞る。片手でリーザを抱えながら、片手で縄梯子を昇っていく。その速度は驚くほど速かった。
もっとも殆ど無意識の呼吸での動かし方だったので速度など認識出来なかったが、およそ人間一人を抱えた状態での運動力ではないと船員全員が認識していた。
「エリザヴェータ様」「戦姫様!」
「呼吸をしていない。外傷こそ無いが……とにかく手当を……」
見ると既に用意されていたらしく甲板の中央部。一番陽光が当たる場所に簡易的な寝台が用意されていた。
着替えはともかく今は脈を取ることの方が重要だ。従軍医師は他の船に折り悪く乗っているらしく治療は自分たちでやらなければならない。
横たえると同時に、戦う姫という異名にそぐわぬ細い腕を取り胸の辺りに手を当てる。
「脈はある……心臓も鼓動している……息だけが無いか……」
「休まなくてよろしいんですか?」
「まずは彼女の安全が優先。リーザの状態は俺のせいみたいなものだ」
鼻と喉を押さえると同時に、そのリップを施したわけなく紫色になった唇に口を着けて酸素を送り込む。
心臓が動いているのは確認している。後は呼吸のみだ。そんな意識で救命活動をした時に周りにいる騎士達が狼狽したのだが、リョウも疲労をしていて、そんなことに気付くことも出来なかった。
彼女に何度も呼吸を送り込み六度目になって―――。
「―――ごぶっ!」
咳き込んだように海水を吐き出した。すぐさま寝違えないように首を横にして海水を全て吐き出させた後には、リーザは自発呼吸をして正常な寝息を立てる。
その顔に張り付いた前髪を払ってから彼女の顔を見て、全身が脱力していくのを感じる。
「着替えは頼む―――――、俺は少し休ませてもらって構わないか」
安堵が全身を包むと同時に、太陽の暖かさで甲板に足を投げ出して休みの体勢を取る。
「しょ、承知しました…………」
少しだけ頬をひくつかせながらも船内に、着替えを取りに行った貴族の娘の姿を見た後に、甲板に寝転がる。
「―――――今ならば俺を殺せるぞ」
「それをすれば私共は戦士としての礼儀を失した上に、レグニーツァ軍に報復を仕掛けられるでしょうな」
第一、「眠り姫」によって首を刎ねられるだろうというナウムという「眠り姫」の副官は答えてくる。
冗談ではあったが、いっそのことそんな風に警戒されるだけのことをされたかったのだが、そんなことは無かった。
そうして青空と太陽を仰いでいたのだが、メインマストの尖塔。そこに二人ほどの人影が見えた。
どうにも見覚えあるものであったが、完全に弛緩しきった頭ではそれ以上の思考は無理だったのだが、鮮明になっていく度に嫌な汗が背中を流れていく。
「君のエザンディスの転移って移動先自由じゃないのか?」
「目測を見誤ることもあります。そこまで便利に思われましても困りますよ」
上にいるというのにそんな風な会話が聞こえるのは、全員がそこに注目していたからだ。
そしてその帆柱を倒してどこかに行くわけもなく下に降下してきた二人が自分の顔を覗き込む。
「……どの辺から見ていた?」
『人工呼吸四回目の時から♪』
声も表情も全てが怖い。たとえどんなに人命優先だとはいえ、これは彼女らにとってはどうにも許せないことだったのだろう。
一刹那後にはマルガリータ号の甲板に双剣と大鎌が、突き刺さった――――。
「そしてその後、あの大立ち回りが起こっております。いつの世でも女の嫉妬が争いを起こしますね」
伝えられたことを聞いた後に、エリザヴェータは己の唇に手を当ててそこに残っているかもしれない温もりを探っていたのだが、肩を貸している女性から少しだけ冷たい視線が寄越される。
「あ、あのどうかしましたか?」
「いえ別に、そんな純で乙女な顔をされると私としても嫉妬してしまいます」
「アデリーナさんも、もしかしてリョウのことを……」
「海賊共から私を助けてくれた男性に対して特別な感情を抱いて、何か不都合ありますか?」
無表情に見えて、頬を赤らめる彼女を見て
公的な立場に則るならば、彼女の行為はあまり褒められたものではない。
何せどう言ったところでリョウ・サカガミという傭兵はヤーファからの異国人なのだ。彼女の生家、すなわちジスタートの公職にあるものとしてもそういったことは、色々な禍根を残しかねない。
しかし、そういったことを言うほどエリザヴェータも無粋ではない。第一、自分が言うこと自体、本末転倒だ。
(これでもしもリョウが記憶喪失で、ただの卓越した剣技を持った素性不詳のヤーファ人だったらば、一も二も無く雇っていたところです)
その時の出会いでも自分は彼を友人―――以上の男性程度には見るはず。そんな風な「あり得ない出会い」を想像してから、とにもかくにも目の前に広がるそれを止めるために黒鞭を振るう。
鍔迫り合いをしていたリョウの身体に巻き付かせ、一挙に引っ張ってこちらに引き寄せる。攻撃を空かされた二人は身体をこちらに向けて険しい視線を向けてくる。
いくら同輩とはいえ年上の女性だ。まだ十七歳の小娘にそれは正直厳しかったが、エリザヴェータはこの「御局」共に勝たなければならないのだ。
と……若干失礼なことを思いながら口を開いた。
「『ウラ』は私の命の恩人です。たとえそれがあなた達であっても、危害を加えること私が許しませんよ!!」
「何処でその名前を………!?」
抱き寄せて捕まえた彼は、驚愕した表情をこちらに向けてきたが、それに対して今は多くを語らぬ微笑で以て返しながらその後には彼女らを睨む。
「ウラ? 何の話ですか? その人はリョウ・サカガミ、ヤーファの剣士であり現代のサーガに謳われる勇者にして私の伴侶です。変なこと言って誑かさないでください!」
ヴァレンティナの言葉に同調したかのように、飛んでいる幼竜が悲しげな声を上げている。まるで親を引き留める子供のように本当に切なげだ。
「その東方剣士は、レグニーツァが雇った傭兵にして僕の恩人である坂上龍だ。彼が望むならば僕の身体も差し出す位に恩義を感じている。だからその無駄な脂肪を後頭部に押し付けるな!」
サーシャの言葉に同調したかのように、朱い炎と黄金の炎が吹き上がり、若干やっかみのような想いが嫉妬のように燃え上がった。
一触即発。とはいえどちらも決闘のお題目としては馬鹿らしいもので、ルヴ-シュ兵は例え主であっても味方をする気にもなれなかったが、戦姫二人と戦うかもしれない主の動向を見守る。
海賊共を完全討伐していないというのに、こいつら何やってるんだ。という空気を読んだのかリョウは、エリザヴェータから離れて彼女らの対峙の中央にて両者を手で制した。
「待て待て、三に……四人とも武器を収めろ。今はまだ戦闘中だろ。ティナ、サーシャここはルヴ-シュ軍の船なんだ。一応俺たちはお客なんだから静かにしていよう。リーザとアデリーナさんも騒がせて申し訳なかった。けど、俺はレグニーツァの傭兵だからそこまで礼を重ねなくていいよ。雇い主から勝手に動いたのは俺だし、気持ちは嬉しいけど彼女らの懲罰は当然なんだよ」
上手い―――。四人の乙女たちとは別のマルガリータ号の船員達はこの男の話術に舌を巻く思いだ。
お互いの立場や礼節を再認識させることでお互いに牙を強く出させないための話し方であるが……見方を変えれば、気の多い男のその場しのぎの言い訳にしか聞こえない。
そんな風な哀れみと嫉妬の半分ずつを東方剣士に向けながらも事態が円満に収まることを願う。最初に動いたのは、エリザヴェータ曰く「御局」達であった。
「……申しわけなかったね。ただ……一つ言わせてもらうならばそこの銀髪の人に人工呼吸をやってもらうっていう選択肢もあったんじゃないかい?」
「女の唇に遠慮が無かったと今は思う。けどリーザが気を失ったのは俺の責任だったから、その時は俺自身の手で救い出したかったんだ」
拗ねるような声で言うサーシャに、確かに今考えればそういう選択肢もあったと感じるが、緊急事態だったからゆえだろう。
「『温羅』、あなたの想い嬉しいです。けれどあなたはレグニーツァの預かりだったこと忘れてはしゃいでしまい申し訳ありません。しかし、この御恩は忘れませんし、交わした友誼も覚えておきますわ」
「君に必要なのは、同性の友人だと思うけど、それでも俺で良ければ話し相手になるよ」
胸の前で手を合わせて言ってくるリーザに想われて悪い気もしないし、彼女が何故俺の『隠し名』を知っているのかということに関しても、色々と聞きたいような気もするが。
今は……置いておこう。何でもかんでも気を回しても散漫になるだけだ。そうして残った問題に対して、向き直る。
「それでどうします? エザンディスで転移しても構いませんけど」
「ビドゴーシュ公爵という人物はどんな人なんだ?」
海賊船三隻と戦闘に入っているジスタート国軍の指揮官の人物評価を聞くことにする。
もはや虐殺の体すら見せつつあるも、抵抗も無く白旗も無く波に漂う船に長距離兵器が吸い込まれていく。
「武勇に文治に優れていますが、少しばかり短慮な方ですね。そして王位継承権はかなり高いです」
「……君と同じかな?」
言わんとすることを理解したヴァレンティナは微笑を浮かべながら言ってくる。
「さぁ? ただ相応しい相手でなければ膝を折るということをされないプライドが高い殿方にも思えますよ」
ティナはやはり人を良く見ている。その人の能力や性格を完全に掴んでいる。
謀略家であるのは理解しているが、俺の前で俺以外の男のことを……こう……少しだけ嫉妬もする。
「私も嫉妬したけれど、あなたも嫉妬するんですね。嬉しいですよ」
「別に嫉妬したわけじゃない。他国の人間に「はいはい。そういうことにしておきましょう」―――」
猫のような顔をしながら、こちらの苦い顔を見てくるティナから目を逸らしつつ、敵船に眼を向ける。
しかしティナはまだ言ってくるので観念する。
「ならばビドゴーシュ公爵=イルダー・クルーティスに己の力を見せつければいいんです。そうすれば私の下した人物評価に「ただしリョウ・サカガミより劣る」と付け加えますから」
「君ってどちらかといえば悪女の類だよな。まぁそんな人間こそが俺には必要なのかもしれない」
どう考えても操作されていると思いながらも、それに抗するだけの力がありつつもそれに抗しない。
ある意味では野心的な人間でなければ自分は何も出来ないとも理解しているから――――。
「んじゃ、今回の次第を聞くためにも黒ひげは生け捕らなきゃならないな。ティナ、海賊船の旗艦まで転移頼む」
「仰せのままに」
再び、何やらこちらに言い募ろうとしたサーシャの声に二人ほど加えながらもティナによる転移は、滞りなく行われた。
一瞬の浮遊感の後には、同じく甲板に降り立つ周囲を見回すと、そこかしこに矢やめりこんだ巨岩や樽弾の類によって滅茶苦茶になっている。
古戦場―――という表現が似合うほどに壊されつくした船に生きるものは、ただ一人だった。
ジスタート水軍も、怪訝に思ったのか攻撃を中止している。当然か、何の抵抗もなく逃げることもしないのだ。何かの罠を勘ぐっても仕方ない。
だが船室から現れた男が一人。面識こそ無いが、それでもこの男だと理解出来た。
「あんたが黒髭か?」
「そうだ。どうやら本当だったようだな。最初は部下の見間違いも見当していたが、本当に貴様だったとはな」
こちらはあちらを知らないが、あちらはこちらを知っている。
名乗りがいらないことは幸いだ。何よりこの男は既に「諦めている」。
「この船にはお前以外の生きるものはいないな。度を越した屍術の使いすぎは、お前の周りにも降りかかるのさ」
「このような副作用があると話さなかったのは俺を利用するためだったな。いいだろうさ。尋問されるぐらいだったら全部語ってやる」
言うと同時に、右手が腐り落ちる。既に半分この男も死につつあるのだろう。そして三隻にいた人間達は黒髭のしっぺ返しを諸共に食らって、既に死に絶えたのだろう。
そうして死につつある男の喉から怨嗟混じりの告白が続けられる。
自分たちにこれらの武器を与えたのが普通の「若者」にしか見えないバンダナを着けた人物であり、その男は不気味な気配を与えていたとのこと。
海竜もまたその男から譲り受けたものだと言ってくる。
「考えてみれば色々と今回は不可解なことがありすぎた。アスヴァ―ルの軍船はともかくムオジネルの商船の人間は乗り込んだ時には殆ど死んでいた。奴隷や人足を得られたのも全て裏で糸を引いていた連中がいたんだろうさ」
「それを不審に思わずにここまで来たという時点でお前の敗着だ。まさに悪魔に唆されたな」
「一番の悪魔はお前だリョウ・サカガミ。少なくともお前さえいなければ二つの領地は手に入れられた……いや、それもまた天運か。エリオットとジャーメインのどちらにもアスヴァ―ルを統べる天命がないようにな」
皮肉と共に酒を煽るも、喉に血が出ない穴が出来てそこから酒が零れる。もはや残された時間が少ないものの、酒の味だけは残していきたいのか。
「何にせよ……俺は負けた。戦姫にではなく、東方より来た悪魔によってな」
悪意を隠さぬ言動だが、既に声も枯れつつある。そして、片手で腰のサーベルを抜き払い、何をするつもりなどとは言わずにこちらも構える。
「最後に言い残すことはあるか?」
「無いな。ただかつて仕えていた主家の為にも……貴様に傷を着けてやりたいものだ!」
言葉と同時に走りながらサーベルを振るおうとするそれを前に、リョウは前に出ながらの居合抜きを放つ。
黒髭フランシス・ドレイクとて騎士として剣の覚えはあり、それなりの使い手ではあった。
だが剣と剣の戦いとは即ち、理による叩きあい。偶然やら運やらが絡むこともあれども、それらが介入しない場合にはより高度な理によって叩き潰される。
そしてフランシス・ドレイクにはそれが無く、水飛沫のような輝線が走ると同時に、首と胴が離れるという現実が突きつけられた。
「見事」
言葉を最後に、砂になって風と攫われていく。胴のいた場所には怪しげな気を放つ宝珠が落ちた。
「これが……」「死者操術の玉……」
ティナの呆然とした言葉を聞きながらも、鬼哭の刃を下にして、その宝珠を砕いた。
瞬間、全ての人間の魂が解放されたかのように思える一陣の風が吹いて、後には、これまた砂粒のような粒子に変じて宝珠も風に攫われた。
こうして―――全ての悪夢は、終わった。
「それでどうしますか? この後の処遇は」
「取りあえず。三隻の船は沈めた方がいいな。如何に死霊を解放したとはいえ、船に残る残念が新たな死者を呼ぶ可能性もある。沈めた上でここの神官・巫女達に、魂鎮めをさせるのが献策だな」
「ということは……ようやく終わりましたのね」
「ああ。ただ……プラーミャの親の仇を取れなかったのは残念だ」
安堵の表情を見せるティナに言いながら、未だにこの地にいるだろう敵の姿が見えないことに焦りもある。
だが、急いては事を仕損じる。まずは一歩ずつだ。
――――その後は、主に語ることは少ない。レグニーツァ軍とルヴ-シュ軍の損傷著しいこともあってか、海賊の本拠地。
ジスタートよりも遠洋に位置する場所を知った国軍に後処理は任せた。
本拠地である群島諸島はアスヴァ―ルやブリューヌの領海にも跨る可能性があり、いずれは領有権問題も出てくるだろうが、一先ずはそこを制圧し、拠点化せねばならない。
イルダー・クルーティスなどは、敵がいないことに不満を言っていたそうだが、軍の目的は本来こういったことなので粛々とやるはず。
不満だったのは恐らく俺と競えなかったからだろう。場合によっては排除も目論んでいたかもしれないが、イルダーは武人としてただ単純に剣を競いたかっただけに思えた。
そして今回これだけのことをやったのだ。ジスタート王宮にいずれ自分は召喚されるはず。その時にはサクヤの渡してくれた書状をアスヴァ―ルの時と同じく見せるだけだ。
三隻の船は火砲で沈没させた上で、簡易的ながらも念仏を唱えて死者の魂を鎮めた。信じている宗教は違うからどれだけの効果があるかは不明だが、とりあえず簡易的に行った。
戦利品は捕まえた海賊の奴隷化などを除けば、大きなものとしては投石器と火砲だ。これまた所有権問題が出てきそうだが、ルヴ-シュとレグニーツァの職人達は優秀だ。
模倣は可能だ。火薬の製法もご丁寧に見つけたらしく、半年以内には量産化できるだろう。
そしてリプナの街に戻ると同時に――――――。
住民たちから熱烈な歓迎を受けた。近海を荒らしまわっていた海賊が完全に討伐されたのだ。嬉しくないわけが無い。
そして小さいながらも被害が出たが、概ね犠牲者なしの大勝利と言っても構わないのだ。
ルヴ-シュの方は違うだろうが……それは今後のリーザの手際にかかっている。
「で、何で俺は……ここにいるんだろうなぁ」
「宴に参加したいのは僕も同じだ。けれども今は、色々と事情説明をしてほしい」
「私も同感です。ヴァレンティナにだけそういうヤーファの神話事情を説明して何故私達には言わないなんて選択がありますか?」
リプナ「市長」―――ドミトリーの執務室にて、何故かまたもや尋問というか一種の質問攻めを食らう羽目に。
しかも今回は戦姫三人である。逃げ場は無いと見て間違いないだろう。昼間を過ぎて夕刻へと向かおうとしている時間。
何故かこのリプナへの帰還にルヴ-シュの戦姫は着いてきた。それ自体は構わないのだが……。
(いや、構うか)
まだ色々と処理が残っているだろうに余所の領地に押しかけてきていいわけがないのだ。どんな言い訳をしたのかは分からないが、まぁとにかく紅髪の戦姫はここにいた。
とはいえ自分も彼女に聞きたいことはある。そういう意味では武官であるナウムやアデリーナさんには少しだけ同情もするが、それは些末事だ。
「まずは……ティナとの……あれらの技に対する固有名詞を着けないか?」
「竜技とは似て非なる『技』……あれらはリョウの故郷の神々に関するものなのですよね? ならば『神技』とでも呼称すればいいのでは?」
「仰々しくないか? 一応それで今は通すが……『神技 アメノヌホコ』に関してだが……」
最初に虚無がありて、その虚無に降り立ちし二人の神『イザナギ』『イザナミ』の兄妹神は己の持っていた一振りの矛を使い虚無を掻きまわして、『オノゴロ島』を作り上げた。
ヤーファの創生の地―――オノゴロにて、契りを結び夫婦となった二人の手によって様々な『神』という『大地』が作り上げられ、今のヤーファが形作られた。
「ティナとの神技はつまり「原初の世界創造」というに相応しいものなわけだ。あの声の語る通り」
「成程。つまりリョウと私は一杯子作りして、二人で精一杯 国を造れということですね」
「すごい読解力。おまけに超訳!! どんだけ自分に都合のいいところだけ抽出しているのさ!」
自分抱きをして何を想像しているのか身体をくねらせるティナに頭を抱えてしまう。
「で、カグツチってのは何なんだい?」
「分かった説明するから、その双剣を俺の喉に突きつけないで、バルグレンが気を利かせて炎を抑えてくれているからさ」
『しーしーどーどー』とサーシャを宥めながら、『神技 カグツチ』に関して、説明をすることに。
ヤーファ……オオヤシマを国産みしたイザナギとイザナミは次いで多くの同胞を産み始める。
つまり子作りである。様々な子供を産んできたイザナギとイザナミであったが、何度目かの時に炎の赤子を生み出す。
イザナミの産道を焼きながらこの世に生まれ出でた炎の神の名前こそ『カグツチ』
その赤子によってイザナミは死に絶え、それに激怒したイザナギは、手に持っていた「トツカノツルギ」にてカグツチを斬り砕いたとされている。
「神々にも生と死を与えた炎の赤子……ゆえに『原初の炎』という表現なんだろうな」
「成程。つまり僕の産む子供はすごくやんちゃなんだね。たとえ僕が死んだとしてもリョウは怒らず殺さず強い子に育てて」
「なんで相手が俺と言うことで固定なのさ!! そして育児の為の教書を作るな!」
お腹をさすりながら、頬に手を当てて朗らかに笑うサーシャに顔を覆いたくなってしまう。
「で、タケミカヅチってなんですの? この二人並に良い神様なんですよね!?」
「……期待に沿えるかどうかは分からないが話すよ。だからこの鞭で喉を縛り上げるのやめてくれ」
ヴァリツァイフも気を利かせて、帯電率を下げているのだが、それでも密着している分びりびりと痺れる感覚を覚えてしまう。
イザナギ、イザナミの時代から少しだけ時間を進めて、ある所にオオクニヌシノミコトという神が国を造り上げていた。
そんなオオクニヌシノミコトという神の前に天上の神様―――タケミカヅチという雷神にして剣神という神が現れて、国を譲れと言ってきた。
「タケミカヅチという神様は元々はトツカノツルギで砕かれたカグツチの欠片から生まれたそうだ。まぁ武神にして軍神というのがこの神様だけど……ってリーザ。どうしたの?」
「何か……二人の説明より凄く色気が無さ過ぎますわ。何で私の神技だけそんなのなんですか……」
神話に対して色気って何さ。と思いながらも……まぁ二人のものと比べれば女の子の神様に関わりは無いと考える。
「そんな落ち込むなよ。ただ俺はあれに関しては、「不完全」なものだと思うな。もう少し上の威力があったはずだと思う」
フォローを入れつつ思い出す。リーザとの神技に際して、語られた言葉はあったが……その言葉通りならばあの程度の威力なわけがない。
確かに鎧竜を一刀両断も出来たがそれ以上のもののはずだ。しかしどういう所で差が生まれたのやら……。
「それはもちろんリョウとの愛の深さでしょう。最初から邪険に扱っていたあなたでは、リョウとの繋がりも完全ではないのでしょう」
「だ、だけどそれは当然じゃない。私はルヴ-シュの領主なのよ。もしかしたらば国に害意を齎したかもしれないんだから」
ティナは今回の事に関して凄い怒っている。それを止めようともしないサーシャも、思う所はあるのだろう。
俺の為に怒ってくれているのは嬉しいが……。
「まぁリーザの気持ちも分からなくもないよ。俺は色々と問題ばかり起こす素性が知れぬ東方人だからな。俺とてヤーファでそんな噂を聞いたらば警戒心を持つ」
「その場合、リョウはどうするの?」
「とりあえず話を聞きにいくかな? 別に言葉が通じない獣や植物じゃないんだ。己の眼でその人物を見る。それだけだな」
「だから私はリョウに対する認識を改めました。リョウ……温羅(ウラ)は私にとって大事な人です。ルヴ-シュに来てくれれば最高位の賓客として持て成します」
リーザもそういう少数を抹殺するような考えは本当は好かないのだろう。しかし、彼女にとって第一はルヴ-シュの民を守ることだ。
そういう意味では間違いではない。リーザの信頼を得たのは……結局、自分が胸襟を開きすぎているからなのだろう。
ヤーファには害意は無いが、それでも「余計なお世話」を焼きに来たことをどう思うかは、その土地の人次第でしかない。
ため息を突きつつ、自分もリーザに対して質問をする。自分の『隠し名』であるものを何故彼女は知りえたのか。
「私にも分からないのですよ。ただ眠っている最中にみた夢とも幻視とも取れるその中に出てきた青年の姿が……少しだけあなたに似ていました」
「黒い肌に、赤い髪の―――」
「双角を持った人でした……その人が黒髪の、これまたあなたに似た女の子に『ウラ』と呼ばれていましたので、迷惑でしたか?」
「いや、ただ俺の隠し名でしかないからな。リョウでもウラとでも好きに呼んでくれていいよ」
リーザがみたものは、想像では補えないものだ。間違いなくご先祖様のことだろう。
多分だが「雷」という属性が、彼女との間に少しだけの深い繋がりを与えたのかもしれない。これに関しては想像でしかないのだが。
「ではウラと呼ばせていただきますよ。それにしても発動条件がリョウとの親密さにも関わるならば、これから仲良くしましょう♪」
「いや、それだけじゃないと思うけど……まぁ多分、うら若い乙女の真摯な願いとか、強い想いに俺の剣は反応するんだろうな」
それが本当の意味での発動条件だ。笑顔を見せながら言うリーザに自分の推測とかを語ると―――。
『うら若い乙女?』
「そこのドレス女二人は、何で僕を指さしながら疑問符を浮かべるんだい?」
余計な油を注いでしまったと思うぐらい次の瞬間には、息ぴったりに年長者を指さすティナとリーザ。それに対して年長者であるサーシャは、笑顔で怒るという器用なことをする。
演出なのかそれともサーシャの意思なのかは分からないが、背後でバルグレンの炎が燃え上がっている。
「だ、大丈夫だってサーシャはまだ若いよ。今年で二十二だったら別に気にするなよ」
「だったら結婚してくれ」
「直球だなオイ……異国人の俺がこの国で立場ある君と結婚するのは不味くないか?」
「子作りしよう」
「何だか最近打ち切られた作品を思い出すワンフレーズ。だからあんまり焦るなって……これから俺よりいい男に出会えるかもしれないだろ。焦ったっていいことないって」
真剣に言ってくるサーシャはサーシャで色々とあるのだろうが、自分とてそんな短絡的な行動には出られない。
などと三人の女性から交際を求められるという状況は、この部屋の本来の主であり、リプナの長であるドミトリーの登場によって、終わりを告げた。
「アレクサンドラ様、そろそろ宴の準備が出来ております。ルヴ-シュや王宮の方々もご到着しつつありますので、そろそろお召変えを……」
「もうそんな時間か……仕方ない。この話の続きはまた後ということで…リョウは礼服あるかい?」
「アスヴァ―ルで仕立ててもらったものと、ヤーファのものがあるが、どっちがいいだろう?」
「郷に入っては郷に従えという格言は君の国由来だよね。ただ君の考え次第だ……ムオジネルの賓客もターバンを外さないからね」
「承知した」
とりあえず王宮のものもいるのだ。自分がどこからやってきた人間かを良く示すためにも、「烏帽子」ぐらいは着けておくかという考えを固める。
そうして―――違う「戦場」へと赴く用意をすることに……
「一人で着替えられます?」
「とりあえず君の助けはいらないな」
笑顔でヴァレンティナの茶々入れを断りつつ女性陣とは違う着替え場所へと向かった。
・
・
・
「そうか、サーシャは無事だったんだな」
「ええ、リプナの市民たちにも元気な姿を見せていたそうです。無茶をしたわけではないですよエレオノーラ様」
椅子から腰を浮かせて、その報告を受け取った銀の戦姫は、胸を撫で下ろす。
最初は、彼女自身が戦場に出るとは思っていなかった。代官を立てて行われるものだと思っていたのに、出立の直前に届いた伝書で知った。
だが使者曰く「ご心配なさらず。戦姫様は別に無理をしたわけではありません。寧ろ元気なぐらいです」と朗らかに言われたので、病気はどうしたのだろうという疑問が残るばかりだった。
疑問が氷解したのは、戦場に赴いたのちに聞こえてきたある男の噂。その男が、恐らくサーシャを癒したのだ。
その男に関して、考えると自然と表情が苦いものになる。
「……噂ではオステローデの戦姫もこの男に関わっているそうだが、何というか……好かないな」
「好かない?」
金髪の副官であるリムアリーシャ……リムの疑問に対してエレンは答える。
「巷では『戦姫の色子』などと呼ばれているそうだ。そんな男がサーシャの周りにいるなどサーシャの評価を下げるではないか」
「ですが相当に腕も立つそうですよ。今回の海賊討伐においても常に前に居て友軍の危機を救ってきたという話ですし」
「それも好かん理由だ。本来ならば、サーシャと共に戦場を駆け抜けるは私の役目だったというのに……」
どうにも納得がいかない答えだが、リムは目の前の主人がそこまで不機嫌な理由を何となくは察していた。ようは尊敬していた「姉」が「男」に熱を上げる姿など「妹」としてはあまり見たくないのだろう。
特にアレクサンドラは、そんな恋や愛に溺れるタイプには見えなかったので、エレンは少しだけ神聖視していた節がある。
そんな人を夢中にさせる男が、いくら人格的に且つ武芸者として優れていたとしても認められないだろう。
そしてその男は―――エレンと同じ剣士だ。得物の長短、形状の違いはあれども同じ存在を尊敬すべき相手が頼っているなど受け入れられない。
「私的な感情を公的に向けるのはどうかと思いますが」
「分かっている。どちらにせよ……リョウ・サカガミと会うことになるだろ。一度ぐらい会って礼を言ってやらなければならない」
礼と言うのが「御礼参り」のことでは無いかとリムは考えながら一応釘をさす。
「喧嘩も売らないように」「それは相手次第だ」
リムに返しながら、今頃リプナの街では戦勝の祝宴が続いているのだろうと思って―――酒の一本でも送ってやるべきだったかと夕焼けから夜へと変わろうとしている窓の外を見る。
・
・
・
宴と言っても宮殿内部における祝宴ではなく一種の立食パーティーを野外で行う。リプナは港町なので港に近い所では多くの飲食店が、明日のための英気を養うための料理を作っている。
またレグニーツァの公宮においても主はいなくともささやかな宴をしているらしい。しかしその殆どはこちらの街―――もはや祭も同然の所にみんなしてやって来た。
思い思いの相手と飲みあい、それぞれの相手とダンスを踊り、そして情が通いあえば「愛」を睦みあう。
「それがこういう無礼講の宴のいいところですよね。ということでリョウ、私をエスコートしてくださいな」
「別に構わないけど……。ヒールが高すぎないか?」
ドレス以外には装飾品は着けていない。いつも髪に乗せていた赤薔薇も無く、その青みがかった長い黒髪こそが最高の装飾品であり、それを映えさせるのが着ている衣服。
純白のドレス。いつも着ているものとは違い白薔薇だけの意匠を適度に盛り込んだそれを着ているティナ。
野外ということもあってかあまり裾が長いものではなく、どちらかといえば短いスカートタイプのものになっている。
そしてその美脚を映えさせるための靴の高さが、少しだけ不安になる。
だが、自分にあまり腰を落とさせないために履いているのだということは分かったので、それ以上は言わないでおく。
怪我をしたならば、自分が何とかすればいいだけだ。腕に腕を絡ませて、パーティーの中心。多くの上流階級が少しだけ毛色の違う宴を催しているところを赴く。
現れた自分とティナの姿に両公国の関係者と王宮関係者達は様々な視線を絡ませてくる。それを風と流しながら、リーザとサーシャ、そして王宮に近いと言われている「交渉役」パルドゥ伯の前に向かう。
「この度の海賊討伐見事でした。アレクサンドラ様、エリザヴェータ様」
「白々し過ぎるよ。けど……ありがとうございます。サカガミ卿。あなたの助けもあって無事に終わりました」
サーシャが苦笑をしながらも、それが礼儀だと理解して紅いドレスの裾を摘まんで一礼をする。同じくエリザヴェータも、紅紫(マゼンタ)のドレスを同じくしてこちらの礼に応えた。
「で……何で、ヴァレンティナはひっついているのかな?」
「もちろん『妻』たるもの『夫』のエスコートで社交界に出るのが当然じゃないですか、だから雇い主であるあなた達にも同じく礼をしたでしょ?」
「いつからそんなことが決まったのかお聞かせ願いたいものです」
剣呑な睨みあいになろうとしている三人から、抜け出す形でもう一人の賓客に挨拶をすることになる。
「ヤーファより参りました。リョウ・サカガミと申します」
「堅苦しくならなくて結構ですよサカガミ殿。王の代行として参りましたユージェン・シェヴァーリンです。とりあえず一献どうぞ」
灰色の髪を長く伸ばして、同じく顎鬚も灰色の―――四十を超えていると見られる男性にお酒を薦められて、グラスを打ち合うと同時に、飲み干す。
「この辺りのお酒はどうですかな?」
「なかなかにいいですね。ただ私には少し甘い気もします」
そうしてとりあえずこちらも持参した酒を注ごうとした時に、機先を制してパルドゥ伯は、違う酒を薦めてきた。
「ではこちらはどうでしょうか? なかなかに強いですから倒れられぬように」
そうして注がれた酒は―――澄んだ水のような色をしている―――、一気に煽ると喉を焼き尽くさんばかりの熱を感じる。
「これはなかなか……」
「火酒(ウォトカ)というものでして、この辺りでは身体を温めるにはこれが一番なのです。郷里の酒とどちらがよろしいですか?」
「いやこれは凄いです。とはいえ私だけ酌をされるのも失礼なので、こちらをどうぞ」
取り出した酒枡―――檜で出来たそれに、清酒を注いでいく。
「閣下、まずは自分が毒――――」
「失礼なことを言うな。サカガミ殿は、何も疑わずに飲んでくれたのだ。私が疑うわけにいくか」
側で控えていた従者の言葉に申しわけないと頭を下げながら言ってきたユージェン殿に、こちらこそ恐縮する思いだが、それを一気に煽るこの人は自分が暗殺されるという意識が無いのだろうか。
「これは……旨い。いや、私としては火酒よりも好きですな。もう一杯いいですかな」
まさか手酌をさせるわけにもいかないので、ユージェン殿にお注ぎしますと一言いってから、枡に三分の一そそぐ。
「コメから作ったものですから口に合うか心配でしたが、その様子では良さそうですね。とはいえ冷(ひや)だけでは身体を冷まします」
「ほうつまりこれは温めても飲めるのですか?」
「火酒は無理ですか?」
「ここまで酒精が強すぎると、火にかけただけで燃え上がりますよ」
確かにと思いながら、お互いに持ち寄った銘酒を飲み干すと同時にパルドゥ伯は切り出してきた。
お互いに胸襟は開き切ったからだ。
「―――ヴィクトール陛下は今回の事で、あなたと会いたいと申しています」
「先に断っておきますが、私はヤーファにおいては今のところ官職とはほぼ無縁です。仕えていた女皇陛下から暇を出されてしまったので」
「ええ、あなた自身は知らなかったからかもしれないが、ジャーメイン王子の政体こそがジスタートが支援していたのですよ。サカガミ卿のことはそれなりに知っていましたよ」
眼を鋭くしながら言ってきたパルドゥ伯の言葉にため息を突きたくなる。
「……あの陣営の防諜がザルなのは知っていたが、まさか俺のことまで知られていたとは……」
ジャーメイン陣営で、それを言ったのは戦争も終盤に差し掛かっている時だっただろうか。如何に兵力に於いて上回っていても情報戦で負けたらば何の意味もないと。
自分にも「忍者」としての技能があれば、一も二も無く教えていたのに。
「だからこそ王宮としては、あなたの思惑を知りたかった。あのままジャーメイン王子をアスヴァ―ルの政体に乗せていれば、あなたの国にとってもジスタートにとってもよかったはずですが……」
「パルドゥ伯爵、いえユージェン様。あまりリョウの事を疑わないでください。リョウはただ単にそこに戦火があったから止めたかっただけです。まるで国益だけのためにそんな介入したかのような口ぶりはやめてください」
「ティナ。ユージェン殿の疑念はもっともだ。君だって王位継承権があるのならば、俺を疑うべきだ」
自分の為に怒ってくれているのは嬉しいのだが、それでもこの人の疑念には自分で答えなければいけないのだ。少しだけ気色ばんでいるティナを慰めてから、パルドゥ伯爵に向き直る。
「いや、すまない。ヴァレンティナ殿の言うことも本当は一つの可能性として掴んでいたのです。ですが今、少しだけあなたの人間性を垣間見た気がしますよ」
「戦姫の色子と呼ばれていることですか?」
自嘲しながら巷での嫌な噂を言うと伯爵は微笑を浮かべながら口を開く。
「そこまでご自分を卑下なさらずとも、口さがないものには勝手に言わせとけばいいのですよ。私も昔は「王に嫌な進言ばかりする厄介な側近だ」などと言われましたが、そんなことは己の行いに自信があればどうとでも撥ね退けられますよ」
「……とりあえずヤーファに西方侵略の意図も無く、その上で俺は武者修行の一環として西方に来たのです。その事はいずれ言いますし、女皇陛下の書簡も渡します」
「承知しましたよ。東方剣士リョウ・サカガミ。では―――若い者は若い者どうしで楽しまれるとよいでしょう。良い夜を」
失礼をするとしてここから退こうとしていたユージェンを引き留めてティナは、一応酌をすると言う。
「私も失礼な事を言ってしまったので、とりあえず一杯だけでも酌をさせてください」
「ありがたいが、私も妻と娘がいる身なので正装した若い娘から酌をされたなどと言えば……嫉妬で出禁をくらいそうなので勘弁してくれるかな」
後でティナに聞いたのだが、ユージェン殿の奥さんと娘さん。特に娘はやんちゃな女の子らしく、礼儀作法を教わるくらいならば剣を振るっていたいとかいうタイプらしく、そんな家族の父親の悲哀を少しばかりその顔に見た気がした。
堅苦しい挨拶もそこそこに、様々な催しを戦姫達と見回っていく。
サーシャと流れの楽団の演奏を見ていた時に、気になることを言われた。
「三絃琴か……懐かしいな」
サーシャの言葉で視線の先を見ると、三つの弦が張られた楽器を見ている。自分の国にも似たようなものがあるが、それでもやはり国が違えば音色も違うのか見事なものだった。
「この辺ではどんな田舎にも一つはある楽器でね。僕もむかし母親に習わされたよ。こんなことが生きるために必要なのかと思っていたけれども今思えば何一つ無駄なことは無かった」
「俺も昔は剣だけを習っていればいいと思っていたが、それだけじゃなく色々と本も読めと言われた。唯一、弓だけは身に付かなかったが」
母親からは御稜威や文字の読み書き、外国の言葉も習い、師の一人でもあった父からは剣だけでなく色々なことを習った。
「違う領地を治める戦姫もこれに関しては自信があるとか言っていた」
「その戦姫って、前に言っていた人か?」
頭を飾るルビーのティアラを少しずらしながらサーシャは答えてくる。
「エレオノーラ・ヴィルターリア。ブリューヌとの国境近くのライトメリッツという公国を治めている戦姫だ。リョウとは長剣使いどうしだし、仲よ―――くならないでほしいなぁ……」
そのティアラの輝きが色あせるほどに暗い表情を見せるサーシャに苦笑をする。
「出しかけたものを飲み込むような真似はやめろよ。ただまぁ多分だけどその戦姫と俺は……合わないんじゃないかな」
言葉と同時に、楽団の演奏が終わりを告げた。
サーシャの言葉を疑うわけではないのだが、何となくそんな気がする。楽団の楽器はそれぞれ違うもので音色も違うが奏であわせると見事だが、弾いている人間どうしが仲良しとは限らない。
楽団の三絃琴を扱う女性と、名称は分からないが同じようで違う弦楽器の男性が睨みあっていたように――――。
―――――リョウ・サカガミとエレオノーラ・ヴィルターリアとの仲は良くないものになると予想をしていた。
・
・
・
・
「ティグルは何か事業を始めないのか?」
「事業……それをやるにはやはりお金が必要なんだ。何とか溜め込んでいるんだが、その後が問題なんだ」
セレスタの居館の執務室において、対面に座りジスタート文字の翻訳をしてくれている女の子の言葉に答える。
手を組んでため息を突きたくなるのは、何度となく考えては実行に移す段になれなかったもの。
しかしながら、何とかして実行に移したい事の一つである。
「馬を買う相手がいない……放牧をするための農耕馬だから、本当に信用ある相手じゃないと駄目だ」
「牛や羊じゃ駄目なのか?」
「それも考えたが、やはり馬だ。いざという時に乗り物としても使えなきゃいけないものは馬なんだ」
戦争の際の騎馬、旅人や商人の買い付けの際に使うものとしてもやはり馬が一番なのだ。
「ただでさえ平地が少ないアルサスなんだ。一つの家畜で様々なことが出来なければ、儲けが出ない……ただ馬を買う相手を探さないと……」
「―――幾らあるんだ?」
「これぐらい……オルガの領地ならば『ティグル、これだったらば番いの馬を三百頭は買える』え?」
こちらの言葉を遮って資料を読んだオルガは、どんぶり勘定だが、そのぐらいは買えると言ってきた。各村に十頭ずつ与えたとしても、二百頭ぐらいは使えるとあっさり言うオルガ。
彼女の領地には、どれだけの馬がいるのだと思うがそうではないと言ってきた。彼女のコネである。
「私の―――領地と親しくしている部族はいわゆる遊牧民なんだ。騎馬民族と言えば分かるかな」
「話だけならば、けれどいくら何でも三百頭を……こんな額で」
彼らとてジスタートの従属民族として税金も納めているだろうに、自分が求めるような駿馬を三百頭も出せるのだろうかと感じる。
「私が話を通せば割引が利く」
少しだけふんぞり返るオルガ。ティグルとしても嬉しいことではあるが、少しばかり不安要素もある。
「顔が広いのは理解したが……それは正しい取引なのかな?」
「商売の鉄則は正しい相手と交易をすることだ。その上で騎馬の民族ほど馬に関して詳しいものはいない」
そして、ティグルは少しだけ考え込む。自分の領地にはマスハス以外のコネは無いと言っても良い。
彼を伝って良い商人を紹介してもらうのも一つだろうが……何でもかんでも父の伝手を使うだけでは自分は本当の領主とは言えない。
そして目の前の女の子も、領主として何かを出来ないかを手探りなのだ。
「ものを直に見ることが出来ればいいんだけど……。とりあえずここを通る「隊商(キャラバン)」に伝言を頼めばいいかな?」
「その書状は私が書く。無論、連名ということで構わなければだけど」
「ああ、……やっぱりジスタート方面に行ってどんな馬か見たいな。いやオルガを疑っているわけじゃないんだ」
「分かってる。これはティグルの父上の代から興そうと思ってきた事業。それを失敗させたくないという思いがあるということも、けれども私を信用してほしい」
眼を輝かせてこちらを見てくるオルガ。とはいえ、ここまで連れてくるだけでも重労働なのだ。駄馬では海路、陸路ともわたりきれまい。
あからさまに悪いものを掴まされるわけは無いだろう。と思って―――オルガの一計に乗った結果。
――――――ティグルは予想以上の良い商いをすることになって、同時に彼女がただのジスタート貴族では無いのではという疑念を持つが、それはまた後々の話である。
あとがき
望 公太先生 ご結婚おめでとうございます。そして「異能バトルは日常系のなかで」アニメ化おめでとうございます。
前回の投稿から一日後にまさかの激動だよ。しかも幼なじみって……まぁ俺にも幼なじみはいましたが、今じゃ疎遠ですぜ。
俺を本格的なオタク趣味に引きずり込んだ元凶のような人でしたが、今はそれに感謝ですね。でなければ世界は広がらなかった。
では感想返信を
>>yuoさん
感想ありがとうございます。リョウの修羅場はティグルにも負けじ劣らず(笑)
ただティグルと違うのは、リョウはそれを何とか収めようとするところですね。まぁ収めたら収めたで色々と角が立ちますが、それを何とかしてこそ男の甲斐性(間違い)
何とかクオリティを維持して書いていきたいと思っていますので、今後とも続きを期待していてください。
ではでは今回はここまで、お相手はトロイアレイでした。