炎が降り注ぐ。炎が焼き尽くしていく。前に広がる風景はそうとしか言えないほどに、圧倒的なものであった。
こちらにまで熱気が伝わるほどの火力。亡者の軍団は――――海亀の船と共に消え去っていった。自分たちの眼にも見えるぐらいに、亡者たちは戦姫の炎によって浄化された。
己の灰の中から再び孵る。炎の鳥――――不死鳥。嘶きこそ聞こえないが、焼き尽くされた敵船から幾つもの炎を身体とした小鳥が天空に飛んでいくのだ。
しかし――――その炎は、予想を超えて自分たちに結果のみを見せて、過程が分からない。
つまり―――この炎が戦姫アレクサンドラによるものであることは分かるのだが、彼女が如何なことになっているのかは分からないのだ。
亡者たちが、戦姫達の周囲に集まったところまでは見ていた。そこから先は―――殆ど分からない。目も眩むほどの赫光が輝いた後には、炎が舞い踊っていた。
そして、炎の柱が天空に二つ伸びた後には、太陽が作り出されそれが下に落ちた後には、現在の状態になったのだ。
「アレクサンドラ様……」
誰かの悲しげな声が耳に届く。この炎の中でも彼らが生きていると思っている存在が居ない。既に沈みかけている亀甲号が沈むと同時に――――何かが炎の中から飛び出した。
幻想的な炎の鳥ではなく、もっと大きな物体だ。朱色の鱗をした――――竜。
「火竜(ブラーニ)!?」「飛竜(ヴィーフル)!?」
誰かの悲鳴のような驚愕の声が重なり聞こえたが、しかしその驚愕はすぐさま呆然としたものとなる。
何せその竜は四十チェート程度の大きさの身体を空に投げ出しながら、その爪に東方剣士を抱えて、尻尾でアレクサンドラを巻きつけて、背中にヴァレンティナを乗せていたのだから。
盛大な炎の焚火から離れていたレグニーツァ船団。その旗艦、甲冑魚号の甲板にその火竜とも飛竜とも取れる竜は、降りてきた。
爪から逃れたというよりも下されたリョウは、甲板に降り立つと同時に、その竜を見上げた。眼にはやはり驚きが満ちていた。
そして戦姫アレクサンドラもまたこの竜の正体を測りかねていたのだが―――――。
「プラーミャってばこんなに大きくなって……ママは感涙が止まりません」
「そうじゃないだろ。そこは問題じゃない。それにしたってデカくなりすぎだ」
目頭を押さえながら言う大鎌の戦姫ヴァレンティナの言に返すリョウ・サカガミの姿を見て、「ああ、いつも通りだ」という安堵が全軍に伝わる辺り色々と深刻であった。
「雷渦の閃姫 Ⅱ」
「というか本当にプラーミャなのか? いきなりこんなに大きくなるなんてどうしたんだよ?」
甲板にて、こちらの視線を受ける竜の身体の大きさは先ほどの幼竜のそれではなかった。皆からの奇異の視線を受けながらも、ティナに頭を擦り付ける様子を見て、やはりこれはあの幼竜なのだと実感する。
「リョウとアレクサンドラの竜技の炎、最初に放たれたその炎を食べたプラーミャが大きくなった。そうとしか言えない現象を私は見ていましたので、これはプラーミャです」
記憶を辿ると自分たちが「カグツチ」を放つ前に聞こえたヴァレンティナの言葉は「成長」したのか「変化」したのかどちらにせよ体躯を増大させたプラーミャに対するものだったのだろう。
しかしながら、再び聞こえた声―――。「アメノヌホコ」の時にも聞こえた言葉を実行するためだけに動いていた自分たちには、それを見ることは無かった。
「子供の成長を見ずに、他の女にうつつを抜かすなんてひどい父親ですね」
「うーーーん。何というか真実の一端を突いているだけに迂闊に反論出来ない。まぁとにかく一時的なものなんだろうな。脱皮したわけでもないんだから」
父としてはプラーミャにはもう少し小さいままでいてもらいたいよ。と嘆くように言ってから首筋を撫でてあげると今度はこちらに頭を擦り付けてきた。
「…………ところで、君ら今の状況がどうなっているのか良く考えた方がいいよ」
「そんな冷たい目で見ないでくれ。ルヴ-シュ軍が、本隊を叩いているんだ。おまけに―――正直これ以上レグニーツァ軍は動かせないだろ」
焔の戦姫の異名とは正反対なサーシャの視線と言葉に答えながら、遠くを見る。1.5ベルスタ程まで離れてしまった海賊船団とルヴ-シュ軍の戦いを見てから、レグニーツァの戦士達を見返す。
皆の表情はやはり優れない。疲れ切っているのだ。今までの戦いに亡者の軍団との戦いがいつもの人間相手の戦いとは違い疲労度を格段に上げていた。
「それに……そろそろ動くんじゃないでしょうか。『狼』の懐刀が」
「アレクサンドラ様、ヴァルタ大河の水軍部隊が動き出したそうです」
ヴァレンティナの言葉が予定調和だったかのように、若い騎士が進み出て援軍が向かってきていると知らせた。
「国軍が動いたか……ならば僕らは待機しつつ捕虜や奴隷の移送に回っても構わないのかな」
「そういうことです、今のところは私たちは錨を下していてもよろしいかと」
「それでも海竜相手じゃ彼女も手こずるんじゃないかな?」
「積極的に援護したいのですか? 先程まで病人の身体だったのに」
ルヴ-シュ軍を放っておけ、少しは手伝うべきだという戦姫達の意見の不一致を見せながらも各船は、この場にて留まる形で休息を取ることになった。
元気のあるものたちを再編成して二、三隻を向けることも可能だろうが、とりあえずは休みだ。そしてヴァレンティナの言葉に気付かされたようでサーシャはこちらに向き直る。
「君とヴァレンティナのいちゃつきでイライラしていて忘れていたよ。リョウ、僕の四肢に嵌められたこの宝環……何なんだ? そしてあの竜技以上の威力の術は……」
「そこまで嫉妬されていたことに対して男冥利に尽きるとでも言えばいいのかもしれないが、まぁそれはともかく宝環に関しては、少し憶測を交えて説明する」
遠くの戦況のほどを見ながらサーシャにヤーファが規定した「魂」の有様を語る。
この世にある万物には魂が宿る。それは木でも石でも、人だろうと獣だろうと同じことだ。万物に宿る魂は四つの有り様に分けられる。
勇る魂「アラミタマ」親交る魂「ニギミタマ」愛しむ魂「サキミタマ」智恵の魂「クシミタマ」
これら四つの魂が正しく働き「一霊」となり、身体は「心」を持つ。
「心を持つものが悪行を行えば「マガツヒ」となり四魂は穢れていく、逆に善行を尊べば「ナオビ」となる。つまり人の心は悪にも善にもなる。ここまで理解できているかい?」
「まぁ何とか……それじゃこの宝環は「四魂」を分けたものなのか?」
戸惑った表情のサーシャに首肯をする。元々、あのルビーは戦姫の魂が凝固したものであると理解はしていた。しかし、それがこのような形になるのは―――。
「死にかけだった俺のご先祖を生き返らせたのは、神々の持つ神器だった。それは四肢に嵌められた「雷」を放つ環だったと聞いているよ」
「同じくこれもそういう類のものだとリョウは見ているのか?」
「正しくは分からないが……聞こえてきた声によればそうなんだろうな」
言いながら、クサナギノツルギに眼を向ける。この嵌められた勾玉と聞こえてきた声。全てはそれを伝えていた。
『神々にも生と死を与えた始まりの炎。火の赤子を創り砕き「神産み」を行え』
「その宝環はお前の病を「魂」の方面から癒しているんだろう。何にせよ道具は道具。使い方次第だよ」
「変なしっぺ返しがなきゃいいけど、というか外れないんだなこれ」
流石に人知を超えた竜具を扱う戦姫と言えども、二つもそんな道具を持つことには戸惑いを隠せないのだろう。
もっとも、これがあの竜王の意図した結果であるというのならば、知能において人間は負けたということでもある。少し屈辱だ。
「何はともあれサーシャの病が悪化せずに良かった。とはいえ、薬の治療は続けるからな。お前の言う通り変なしっぺ返しがあったら困る」
「とか言いながら、「私」に会いに来る理由が無くなるという心配をしていないのかな?」
「あんまり年下の男をからかわないでくれ綺麗なお姉さん」
猫のような半目でこちらを見てくるサーシャに顔が赤くなるのを隠せない。そうして火の赤子という単語に考えを巡らせる。
本当はカグツチとて母親を殺そうとは思わなかったのだろう。
だからサーシャに生きる力を与えたのかもしれない。己の死を自覚しながらも子供を欲するサーシャの両手足を保護するものは、そういうものに思えていたから。
「さてともう少し詳しい話は、帰ってからするとして……これからどうしたものやらだな」
「リョウとしてはどうしたいのですか?」
「見捨てるのも寝覚めが悪いな。上手くあの戦姫がやってくれるのならば、何も心配することは無いんだが」
二十隻程度と三十隻以上の戦い。それが上手くいくかどうかを見ていたのだが、やはり海竜に、苦慮していることがこちらからも見てとれる。
今も海中から突撃を掛けられたと思われる船が右側に傾く。舵を切ったわけでもないのにそうなるのだから、海竜がどれだけ脅威なのかが分かる。
だが何となくルヴ-シュの戦姫の人物評から察するに、余計な手出しをすればしたで何だかめんどくさい感じもする。だからと言って、このまま傍観も出来ない。
結局の所――――リョウとしては人命優先の気持ちが勝って、そこに赴くことにする。しかしながらレグニーツァ船団は、現在動ける状態ではない。
かといって流石に1.5ベルスタを跳んでいくことは無理だ。ティナのメザンティスの転移で赴こうとしたのだが。
その前に火竜の首が自分に擦り寄ってきた。それはいきなり大きくなり過ぎた自分の子供であった。
生りは大きくなっても行動は幼竜の頃と変わらないんだな。と思いながら……プラーミャを見て気付かされる。
「プラーミャ、ちょっとだけ父の頼みごとを聞いてくれるかな?」
「?」
首を傾げてきた火竜に軽い頼みごとをする。それを傍から聞いていた周りの人間を代表してサーシャが呆れるように言ってきた。
「君の勇名は、これ以上なく轟いているというのにこれ以上高まらせてどうするんだい?」
「無論、見目麗しき女ばかりのハーレムを築くための一歩―――」
「そんな野望は欠片も無い」
熱を込めた口調で戯けたことを抜かすティナの額を連続で小突き話を中断させたのだが、なぜかその様子をサーシャが恨めし気に見ているのが少しだけ気にもなりはした。
・
・
・
・
「イリーナ号中破。離脱を求めています」
「許可します。場合によっては乗員だけでも生かしなさい」
旗艦の甲板に立ちながら、戦況に対して正しき手段を講じる。海賊の船はもはや三隻しか無い。今にも沈むのを待つ船が何隻も周囲にあるが、それに関しては放っておく。
問題は、生き残った三隻だ。恐らく海賊船団の中でも近衛であり旗艦であろう大型のガレー船は、味方を多く失ったというのにまだ降伏もしていない。
当然だ。ここからの逆転は場合によっては可能なのだから。
海竜は、恐ろしき速度でこちらの船に体当たりをかましては、多くの船を沈没させていって、また敵味方の区別もなく海に落ちた人間を食っては、その血液が海を真っ赤に染めていった。
竜技『天地撃ち崩す灼砕の爪』を当てられれば、竜などものの数ではない。しかし当てるには確実に水面に出てきた瞬間を狙うしかない。
そしてそれを打つのに何も容赦しない場所。つまりは味方の船以外の船に食らいついた瞬間に放つ。
頑張っても『二発』が限度なのだから、無駄打ちは出来ない。仮に「通電」したとしても、その瞬間に水深いところまで潜り込まれては、完全なる勝利は得られまい。
思案している最中にも、また一隻の船が海竜の突撃を受けた。こちらから右斜め上というところに位置していた船。そこに首を突っ込んだまま動けなくなる海竜を見て好機と見る。
先ずは一匹を処理する。船首に乗りながら、雷渦と呼ばれる鞭を振り上げる。
一つから九つに分かたれた鞭身は、それぞれが雷光に染まる。そして、味方の船に当てずに雷撃を海竜に当てる。
その瞬間は――――――。
(首を出した瞬間。放された魚が、水に潜ろうとする刹那の時に)
「『天地撃ち崩す灼砕の爪』!!!」
まともに食らえば何百年と生きる大木一つを真っ二つに出来る雷光、雷撃が再び海に潜ろうとした海竜を撃った。
海面に流れる落雷は、何度も拡散収束を起こし、その度に海竜を襲う。確実に攻撃は入ったはず。だというのに―――――。
海竜に入ろうとしていた落雷は、まさに雲散霧消という言葉が似合うように、かき消された。
内心の驚愕を言葉に出すことはしないが、それでも現象の不可解さに顔が変化する。どういうことなのか分からないが、あの海竜には何かがある。
竜技を相殺する何かが、あの海竜にはある。そして見ると、その竜には首輪と鎖が括り付けられていた。
まるで馬に装備させる騎馬鎧のようなそれを見て、これこそが正体なのだと、直観する。
だが、それを知ったところで、どうにか出来るわけではない。逆に絶望感が増しただけであった。
三匹の海竜は羊の群れに飛び込んだ狼の如く次なる獲物を求めて周囲を泳いでいる。水面に突き出た背びれでどこにいるかが分かるのだ。
唇を血が滲むほどに噛みしめながら撤退という言葉が出かけた所に更に追い打ちをかけるかのように、全員が絶望する事態が起きた。
雲がかかり陽が隠れた。と錯覚してしまうほどに大きなものが旗艦の上空に現れた。四十チェート程度の朱色の鱗を持った竜が現れた。
船員の何人かが神に祈っていたが、然もありなん。それは当然だ。
しかし――――その朱色の竜の背中には三人の男女が乗っており、背中からこちらの甲板に降り立つ。
見事な着地を見せつつも警戒は解かないでおくが、現れた人間は―――とりあえず援軍と呼んで差し支えないだろう。
「手こずっているようなので援軍にきたんだぎゃっ!!」
降り立った人間の内、男が―――真面目な顔で話しかけてきたのに、それが中断されたのは、男の頭に朱色の竜が乗りかかってきたからだ。
流石の竜殺しでもこのような不意打ちには弱いのか、意外な一面を見つつもその朱色の竜が見る見るうちに幼竜の体躯へと戻ってしまった。
甲板に倒れこんだ英雄は、起き上がりながら幼竜を抱き上げて、大鎌を携えた女に預ける。大鎌を携えた女は「あんまりパパの頭に乗っちゃダメですよ」などと幼竜を嗜めている。
その言葉に怪訝な思いを起こしながらも、目の前の男と連合相手の女はこちらに話しかけてきた。
「中々に手こずっているようだから助けに来たよ。流石に海竜相手に、君一人じゃ荷が勝ちすぎるだろ?」
「……それならば、あなた達が旗艦を襲えば良かったのでは?」
海賊船から響く笛の音のようなものは多分、竜を操っているものの正体だ。それを察していないわけではないだろう。
「なるほどお前たちルヴ-シュ軍を囮にした上で俺たちが施術者を倒すか。中々に斬新なアイデアだが……そういうのは俺は好かん」
「僕もだ。だからこうして、海竜を倒すためにやってきた」
「それで何か策はあるのかしら? 東方剣士」
アレクサンドラと共に前に進み出たカタナ持ちの剣士に聞き返すと彼は、首肯をしてから話し始める。
「君も同じことを考えていると見えるが話す。とりあえず空船を利用する。空の船ならばどんなことになっても構わない。それが海賊の損傷深いものだったらば構わない」
空船に――――目立つ「敵」を見させたうえで、おびき寄せる。その上で、火薬や可燃性の気体、粉塵などを充満させて火を点ける。
体当たりをかましてくるとしてもまだ「水素」を充満させられれば、水素爆発は可能だ。というリョウの意見に全員が瞠目する。
「つまり船自体を大きな……焼き釜にするというのですか……?」
「そんなところだ。ただ体当たりの威力次第では沈没させられる可能性は高いからな。出来るだけ手練れだけで動きたい。その他の人員は、火点けの役目として後方から火砲をぶっ放せ」
「馬鹿げてるわ……そんなことが本当に出来ると思っていますの?」
エリザヴェータとしては、そこまで乱暴な手立てを考えていなかった。無論、損傷を考えずに戦うために沈没させずに足場として残していたのはあるが、まさか船を投網にしたうえでそのまま焼き殺すなど「技術的」に不可能だ。
「出来るか出来ないかじゃないな。やるかやらないか。全員あの海蛇の腹に収まるか全員が五体満足で納まるかだ。決断するしないは戦姫エリザヴェータ・フォミナ。あなたに委ねる」
百か零か。とんでもないことを行う英雄の発言に、戦姫エリザヴェータを始め全員が不安を覚え―――はしなかった。
「戦姫様やりましょう。仮にサカガミ卿が、旗艦を叩いたとしてもそれはもはや目の前の現状を、変える手立てではないと思います」
仮に施術者を倒して操っているものを崩したとしてもそれで現状が変わる可能性は分からないのだ。
場合によっては誰にも操れない人食いの暴虐竜がこの海域にて暴威を振るうかもしれない。一番の脅威を叩くことで、打開する。
それを進言したカテリーナ号にて戦いを共にした騎士の一人は進言した。その結果、自分が打擲を食らい死んだとしても構わない。
その位に、意思を込めた言葉を聞きながら勝算が無いわけではない。相手はこちらの竜技を無効化するものを持っているのだ。ならば、人間の英知によって全てを決した方がいいだろう。
「……分かりました。その提案お受けします。ですが私はあなたを全面的に信用しているわけではありません。信用させたければ――――行動で示しなさい」
「何の真似か……なんては聞かない。ただ一太刀で済んだらば、その時は―――こちらの提案全面的に受け入れてもらうぞ」
言うと同時にエリザヴェータは竜具を腰に差してから、隣にいた女性から長剣を受け取り抜き払う。逆にリョウは己の剣を飛んでいる幼竜に預けた。
「舐めているんですか?」
「いいから何でも打ってこい。時間が無いんだからな」
無手となったリョウ・サカガミの姿。どう考えても一太刀では終わるまい。もしくは拳闘によって戦姫を昏倒させる腹なのかもしれないが、それにしては構えも取っていない。
半分は戦姫への気遣いと半分は目の前の勇者のその常人離れした術法を見れるのではないかという期待。
それらを思いながらも、状況は動いた。身長に差があるというにも関わらずエリザヴェータが放ったのは上段からの振りおろしだった。相手を兜ごと叩き割るほどの斬撃の程は、疾風にして大打のもの。
振り下ろされる長剣。それを前にして手が伸びた。盛大な音が響く、振り下ろしの際にエリザヴェータが移動した甲板がしたたかに叩かれた音。
その後に響く―――甲高い金属音。振り下ろした剣身が半ばから無くなり、肉を切り裂くことも骨を砕くこともなく甲板が叩かれた。
半分の剣身は、リョウの手元にあった。掌に収まる血に濡れたそれを驚愕の眼でエリザヴェータは見上げた。
「我が国に伝わる「活人剣術」の秘奥、「白刃取り」の極みの一つ「白刃断ち」力任せでは至れぬ術理。如何かな戦姫エリザヴェータ・フォミナ?」
勝鬨を上げるでもなく淡々と技の理を話すリョウ・サカガミを前に、エリザヴェータは敗北を悟る。
例え、こちらが竜具を使ったとしてもこの男は勝利を獲れる。そんな想像は夢想では終わるまい。
「リョウ!」
「問題ないよ。剣を握るのにこのぐらいの傷。支障は無い」
同じく淡々と心配して駆けつけたヴァレンティナに言いながら、己に御稜威を掛けて治癒を施す。
正直、強がりではあった。本来ならば技としてはこちらも無傷で済むところであったのだが、予想外の膂力を感じて刃が掌に食い込みながらも一刹那の内に砕いた。
今の怪力を見るに竜具による付加効果以外を感じるが、それ以上は特に何も言わない。己の驕慢で怪我を負ったのだから内心での自戒はしておくが。
「戦姫様、空の船にサカガミ殿が言う準備は済ませました。如何なさいますか?」
「予定通りに、ナウム。あなたが退却の指揮をしてください。私と―――リョウ・サカガミとで囮の役目をさせてもらいます。よろしいですね?」
「是非もない」
短時間の決闘の間にもルヴ-シュ軍は、リョウの指示を実行していた。そしてエリザヴェータも目の前の剣士の提案を受け入れた。
「……あなたは何故、ここまでしてくれるのですか?」
「見捨ててほしいのか? それとも本当に協力はいらなかったか? 俺は俺の出来る範囲のことをあえてやらないほど意地の悪い人間じゃあない」
怪訝な顔をするエリザヴェータに対して、本当に余計な手出しだったかとも思うが、だがその一方で本当に断らない辺り、人格的にはいい子なんだろう。
特に我儘を言われたわけでもない。何が何でも自分だけでこなそうという気概は買うが、それでも現実を直視出来るようだ。
「余計な事だけど君が色々と秘密にしていたせいで、こっちも苦労させられた。何でもかんでも自分ひとりでやろうという気概は、この場においては失策だよ。力を貸してほしければちゃんと言う。手伝ってほしければ差しのべられた手を取る。でなければいざという時にだれも助けてくれない」
「ちなみに聞きますけど、あなたにも苦手なこととかあるんですの?」
「弓は大の苦手、不得手とか優しく言える類じゃない。だからここから海賊船長の額を打ち抜けと言われても無理だな」
「近づけても四百アルシン―――それが出来る相手もそうそういませんけれど……、その顔から察して嘘では無さそうですね」
今の自分はとても人には見せられない顔をしているに違いない。子供の頃からの色々な苦い思い出が頭を過ぎて、苦虫が千匹いても足りない。
そうして軽い話をしながら海竜の動きを誘導しつつ、後方に避難船が移動していく様を見てから――――、即座に動き出す準備をする。
ルヴ-シュ軍が仕込んでくれた「爆雷」の一つ目は、先程体当たりをかまされた味方の船の船首から斜め上に存在していた。ここからは百五十アルシンと言った所か。
「ティナ、いざという時には頼む。俺よりもルヴ-シュの兵士達を」
「ええ。御武運を、その後でしたら迎えに行ってもいいですよね」
微笑を少しだけ零してから、足場を使って飛んでいく。海竜―――というよりも、海賊達は、戦姫二人と剣士一人が移動していく様子を見たらしく、吹かれる笛の音の音に従い並走してくる。
ここまで思惑通りに行くとは、思わなかった。その間にもマルガリータ号は、移動していく。三隻の船が精一杯漕ぎ出されていく。
足の早いガレー船が、予定通り動いていく。海賊船には既に矢玉も何もかも無くなっているのだろうか、投擲兵器の一つも飛来しなかった。
「損失を埋められるかしら……」
走りながら少し嘆くようなエリザヴェータの声を聞く。それも仕方あるまい。このままいけば計「四隻」の軍船が藻屑と消えるのだ。
答えずにまずは最初の船に辿り着く。既に無人になっており、人の気配は無いが硫黄の匂いが鼻を突く。
ここから先は―――釣りをするようだ。釣り針はリョウ、釣り糸は戦姫エリザヴェータ、そして釣り上げた後の「締め」はサーシャに任せる。
「―――来たぞ。手筈通りに」
緊張感からなのか、誰かの唾を飲む音が聞こえた。もしかしたらば自分かもしれないとしながらも、リョウはやってきたガレー船と海竜の位置を測ってから、海面に飛び込んだ。
真下に、蒼鱗の生物を見ながら、丁度首の付け根にクサナギノツルギを突きたてた。一撃では斬れない。剣の半分も埋まらないが、確かな肉を切り裂く感触。
痛苦に身を捩ろうとした海竜の身体に黒鞭が纏わりついた。その黒鞭が雷撃を発すると、傷口からの電気に昏倒したのか抵抗が無くなる。このまま切り裂ければいいのだろうが、先程の竜技の不発を遠くから見ていただけに、そこまで冒険は出来ない。
サーシャとの共鳴技も、海の中にまで通じるか分からぬし、発動するかも不明だ。確実な死を与えるためにも。
「引っ張れ!!!」
指示をすると同時に、海竜の身体が海面から持ち上げられる。しかし、持ち上げるといってもそれを甲板までは無理だ。
船の内部に収めるためにも、船腹に風穴を開ける。海竜全ての身体を寸分違わず入れられる穴を空ける。
首から尾までの穴を空けて船の中に収める。ここでその穴をふさぐためにも、足の早いガレー船を横付けするというのが、この作戦の要だが、その前に自分としても出来るだけのことをする。
斬った船の木材―――確かな形を保ったままのそれを再び―――ガレー船に嵌め込んだ。
(『戻し斬り』―――試してみるもんだな)
斬るも戻すも決して楽な作業ではなかったが、先程までの作戦よりは、確実性が増したと思いながら、船に爪を引っ掻けて、甲板まで飛び戻る。
「相も変わらず非常識な剣腕だね。けれど確実性は増した」
言い終わりと同時に、サーシャはメインマストに火を着けて更に甲板全てに炎を走らせていく。
同時に、次の爆雷船に向けて走った時に、ルヴ-シュ軍のガレー船が横付けさせられた。
瞬間。四つの燃える鉄球が、爆雷船を直撃すると同時に――――強烈な爆風が自分たちを襲った。断末魔の絶叫が火爆ぜる中でも聞こえて、その海面で燃える炎から血の紅が広がっていき、竜の首が水死体として浮かんだ。
「上手くいったが……威力が過剰すぎたか」
「ルヴ-シュ軍の人間達も無事なようだ……爆発に巻き込まれる前に海に飛び込んだり、ヴァレンティナの転移で逃げたようだしね」
「海竜はこっちに向かっている。この調子でいければいいんだけど―――そうなるよなぁ」
海賊も馬鹿ではない。今度は片方の舷側ではなく両側から襲わせるような指示を出している。
正直言えば、それでも始末出来そうだが、少しばかり難儀しそうだ。そして―――今度こそ犠牲が出るだろう。作戦の要である三人が三人ともそう認識した後に、エリザヴェータ・フォミナは、一度だけ眼を伏せてから、こちらに向き直って、決然とした面持ちで言ってきた。
「……ここまでやってくれれば、もう十分です。ありがとうございました戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィン、ヤーファの剣士リョウ・サカガミ、不才の身である私にしてくれたこの御恩、生涯忘れません!!!」
言うと同時に振るわれる雷渦ヴァリツァイフの一撃が船を二つに分けた。この船に爆雷は無かったが何かの引火物があったのか、二つに分けられた船の境界で炎の壁が、出来て自分たちと戦姫エリザヴェータを分かつ。
それはまるで、冥府に流れる河の境界にも思えて、あの雷の戦姫が何をやろうとしているのかが、分かる。
「アントニーナ号及びペトルーシュカ号の船員に伝えます!!! 必ずやレグニーツァの戦姫とヤーファの剣士を無事に陸に送り届けなさい。これは厳命です!! 私は、海竜に決戦を挑みます!!! その後は後詰のビドゴーシュ公爵の指示に従いなさい!!」
声を張り上げて、言いきったエリザヴェータ・フォミナは出来上がっていた爆雷船への道を飛んでいく。
瞬間、完全に真っ二つになった足場の船から横に並列していたガレー船。どっちがアントニーナ号でペトルーシュカ号か分からぬそれにサーシャと共に、乗り込む。
甲板に降り立つと同時に、一人の戦士が進み出て己の名と船の名前を告げた。
「ペトルーシュカ号の船長、セルゲイ・ディアギレフです。只今よりこの船は、反転をしてルヴ-シュ沿岸、もしくはレグニ」
「待ってくれ。あんな命令を唯々諾々と受けるのか?」
セルゲイの言葉を途中で遮りながら、言い募る。こちらの言葉に少しばかり、眉根を動かしながらもセルゲイ船長は語る。
「戦姫様のご命令です。何より厳命なのですから従う他ありません」
「ふざけるな。お前たちは主の命令ならば死ねと言われればそれに従うのか? 犬になれと言われれば犬になるのか? それが臣としての態度か? 答えろ!」
「……現状、これが一番の策でしょう。戦姫様が海竜二匹を始末した後に我々が本拠を叩くのが……エリザヴェータ様がこの作戦の前に言っていたことです」
「その際に出るだろう死者と生者の勘定の中に自分を入れなかったのか?」
「はい。それこそが我々が本来承っていた命令です」
櫂を漕がずに前へ向かおうともしないペトルーシュカ号とは反対に雷の戦姫は海面に浮かぶ木材なども利用し、時に鞭をロープとして使うことでどんどん進んでいく。
二隻目をもう少し近場に設定しておくんだったという後悔をしつつ、唇を噛みしめてその姿を見ているセルゲイの姿を見てから、声が掛けられる。
「ヴァレンティナの転移による救出はまだかかる。どうするんだい?」
「敵の眼を欺く。海賊共もこっちの動きを分かっているから竜をこちらに向けていない……だったらその後で、『馬鹿』を連れ戻すことぐらい容易い」
「どうやって? もう五百アルシンの距離があるんだよ?」
確かに初動が遅れたことで、もはや彼女との距離はかなり離れている。背水の陣のつもりか自分の渡った通路を砕いていく戦姫の様を見て、ならばやるべきことは一つだと思う。
「泳ぐ」
一言で斬り捨てたこちらの言葉に、全員が呆然とした。そうしてから――――後方の船団と合流を果たそうとしていくペトルーシュカ号の姿は、海賊、エリザヴェータ共に見えていた。
(良かった……どうやらごねずに行ってくれましたのね)
安堵を半分に、失望を半分と言った面持ちでエリザヴェータ・フォミナは、爆雷船の甲板の中央にて来るべき時を待つ。
それにしても分からぬものだ。自分の死にざまが海の上になろうとは、戦姫になってから自分は自分だけでやってきたはずだった。
無論、従うべき意見があれば、それには従ってきたが……周りにいるものは、能力が高く信頼出来たとしても、自分と同じ視点でものを見てくれる人はいなかった。
先代の戦姫は随分と優秀な人間だったようだ。武官はともかく文官は、自分の能力よりも高いものを求めていた。自分と同じく「少数」の視点を持ってくれなかった。
色の異なる双眼で世界を二回「隻眼」で見てから……決意をする。例え、周りに不満があっても己の責からは逃げない。
瞳の色で世界は変わらずとも、自分の気持ち次第で世界は色を変えるはずだから――――。
「さて、では始めるとしま――――――」
瞬間、何かが海から飛び上がるように飛沫を伴いながら甲板に乗り込んできた。
「!?」「凄く驚いているのは分かるけれども、まぁ生きた人間なんで安心してくれ」
張り付いた前髪を掻き上げて、乗り込んできたものは己の素性を明らかにしてきた。
「あ、あなた何でここに!?」
「泳いできた。そして馬鹿なことをやろうとしている女を止めに来た」
ずぶ濡れの身体に服を絞っている様子は、男のいつも通りな行動にも思えた。見たことは無いが。
「ルヴ-シュ軍の最高責任者は私です。アナタは私の命令に従えないんですの」
「だから俺が来た。海の者とも山の者とも分からぬ人間ならば君があれこれ気を回さなくていいだろ。最初にも言ったが……何でもかんでも自分一人でやろうとするな。今の君には助けが必要だろ」
青年は、海竜の速度よりも早く海を泳いできたと言う。疑問は尽きぬが、それでも先程までの失望が無くなる。少しだけ嬉しい気持ちもある。
「二体を倒す術……ありますの?」
「君の竜技(ヴェーダ)が、あの海竜に効かなかったのは見えていた。とはいえ武器や電撃そのものが無効化させられているわけじゃない。先程の釣りの応用だ」
「私のヴァリツァイフで動きを止めるというの? その前に体当たりを仕掛けられたらどうするの?」
「その時は、二人そろって海の藻屑だな。その前に海竜の腹に収まるか」
速さが肝要だ。というこちらの意見に頷くルヴ-シュの戦姫。エリザヴェータ・フォミナに言うが早く海竜はこちらの両舷側を漂う。
先ほどの轍は踏まないという意識が見えてくる。しかしながらそれは敗着の一手だ。船縁を飛び、眼下にいる竜の頭上に飛ぶ。
鎖環で武装した「鎧竜」は上に向けて口を開いた。落ちてくる間抜けな獲物を食らう意図だろうが、それをリョウは裏切った。
空中で回転をして頭から背中に飛び、その身体に―――鎖を避けて剣を突きたてた。身を捩って抵抗する海竜だが、それに負けじと、先程よりも深く剣を突きたてる。
眼が眩むほどの衝撃を浴びながらもリョウは、斬撃を身体に落としていく。再生力も考えて深く深くされど正確に斬を放つ。
身体の半分までを切り裂いた時点で耐えかねたのか、海竜は海に潜った。この小さき生物が海の中では呼吸出来ないことをしっての行動だ。
なにくそと思いながらも、決して離れはしないという思いで、柄を押し込んで足場の安定を図る。この剣に捕まっていれば問題は無い。
そして、ここからが本当の釣りだ。エリザヴェータの黒鞭が黄色く発光しながら、水中に潜り込んできて軟体生物の触手のように海竜に巻き付いた。
最後に先鞭が、自分の剣に巻きついて身体の内部に電撃を送り込む。同時に勾玉を雷に変えていたお陰で、その効果は一層極まって、海竜を感電死させた。
しかし、生き残っていた一匹は、仇討のつもりかそれとも電撃に気付いたのか水中にいる自分、焼け焦げた海竜の身体に乗っているこちらに突進を仕掛けてきた。
逃げるにせよ立ち向かうにせよ剣を引き抜かなければならない。そう思って剣を抜いた瞬間に、黒鞭が自分の身体に巻きついて水中から引き揚げていき、間一髪のところで竜の頤から逃げれた。
海の青の後に空の蒼を見ながら受け身を取るべく下を確認するとそこには戦姫エリザヴェータの安堵した姿が。
「死体を引き揚げなくてよかったですわ」
「そういうことか――――――ッ」
甲板に着地すると同時に、大きな振動が自分たちを襲った。自分を釣り上げて少し力を使い果たしていたのか、よろめいたエリザヴェータの腰を手で支える。
「二体目も同じくいきたいが……、もう船内が砕かれたな」
足場を気にせずに戦うことは不可能ではないが、失敗すれば終わりだ。俺一人の命だけで済むのならばどうとでもなるが、今この場には守らなければならないものがある。
「……最後にいくつか聞いてもいいかしら?」
「最後とか不吉なことを言うな。まだ手はある―――」
と言いたかったが見ると状況は悪化していた。死んだはずの海竜達にまで有効なのか、死体となり邪竜となったものが生き残りの海竜に加わり三匹の竜が、この船を周回して食らいつく瞬間を待っている。
しかも……かなり離れている。それはエリザヴェータの鞭が届かない範囲だろう。「詰み」だなという言葉が心中に出てくる。
ヴァレンティナの救助を待つのみかという気持ちで腰を甲板に落ち着かせてから彼女の言葉に答える姿勢を取る。
倣うように彼女もスカートの裾に気を付けながら甲板に腰を落ち着かせてきた。
「アナタは……何故そこまでして私を助けたがるの? 人質といい今回のことといい……」
「俺にとっては女が死ぬという現実は何よりも耐え難い。それを回避出来る方法を俺が持っているのならば、別に躊躇う必要は無い」
侵略だのなんだのという他意は無いとエリザヴェータに言いながら、彼女の瞳を見る。今更だが彼女の瞳の色は左右で違っていることを認識した。
「女性が死ぬことが耐えられないの?」
「お袋が死んでからだな……色々と苦労していたというのに、それを表に出さずに死んでしまった。だからかな……最初は君を助けたいとは思わなかったけれども……お袋みたいに苦労している女を助けないわけにはいかない」
「無理しているように見えました?」
頬を一掻き、髪を一掻きして赤くなっているエリザヴェータ。ティナの人物評価とかを真に受けていたわけではないが、何というか普通の子だなと思えた。
肩肘張り過ぎた生き方は、この子には似合わないとも思える。だがそれでもそんな生き方をしなければいけない理由は何となく分かる。
「ティナでもサーシャでも同輩に協力を求めるのを嫌がっている風だったからね……同輩というには少し年上なのかもしれないが、他の戦姫には君と同年代いるんだろ?」
「……白状しますけど、私は友達が少ないのです。友達は欲しいですけど、何というか上手くいきません」
「その眼か」
間髪入れずに言うとエリザヴェータ・フォミナは、片方の目を手で覆いながら少し陰に籠った声でエリザヴェータは言う。
「ええ、今はそんなに関係ありませんけど地位が上がっても、誰かとの関係が上手くいくとも限りませんね」
その人の人間性を知らずに外見的な特徴などで、相手を敬遠する。そんなことはどこの国、地域でも変わらぬものだ。
自分もそんな風な経験あったし、何よりそんな相手と接することも多かった。エリザヴェータ・フォミナの話を聞きながら、思い出すは故郷でのことだった。
『坂上の若殿は鬼の血が濃い―――』
そんな陰口をたたかれることもあった。だが、自分の周りにはそれ以上に友が多かった。
何よりも、正式にお仕えすることになった時にも言われた。陛下―――咲耶の言葉が耳に蘇る。
『幼時の頃より知っていたけれども、あなたがそんな風だったなんて初めて知りました。リョウがそんなことを気にする必要は無いです。生まれや血だの出来る出来ないだけで人を区別することは、私の治世においてはもっとも愚か―――』
求められるのは、己の人間性と力のみ。力だけでは心は歪になり、心だけでは何も守れない。
『リョウ、あなたの力と心を私に下さい―――』
そうして捧げていた「刀」と「魂」をこの地に向けろと言われた。
「君は随分と繊細みたいだが、自分が思うよりも他人はそんなことに関心を抱かないと思うぞ。地域によって差はあろうが、それでも……まぁ誰か信頼できる相手の前でぐらい普通の女の子でいても構わないと思う」
思い出すは初めて会ったとき、山の中で「サクヤと呼ぶがいい!」などと敬意を求めない感じで言ってきた女の子だった。
「ならばリョウ・サカガミ、その……私と……」
「サーシャとティナとの仲を取り持つぐらいはするぞ」
中でもサーシャは三人ぐらいの戦姫とそれなりの友誼を結んでいると聞くので、悪い友人を作るよりはよかろうと思って提案したのだが、彼女は意気込んだ様子でこちらに食って掛かる。
「違いますっ!! 私には領地経営などでの相談できる相手がいません。そういうわけでヤーファからのご客人であるあなたは私と友人になってもらいます!! いいですか!? 返事は「『はい』、もしくは『応』」で!!」
「逃げ道が無い……こんな一方的な交際申し込まれたの初めてだぞ……というか近い、近い」
勢い込んでこちらに近づいてきたエリザヴェータ・フォミナの顔の美しさも然ることながら、その紅の髪の豊かさに見とれる。
そして何より自分の胸板に当たる胸にどうしてもエリザヴェータ・フォミナにいけない感情を抱いてしまいそうになる。
そんなティナに見られたならば「刈り取られたいんですか?」などと怖い笑顔で問いかけられそうな場面の終焉は、遂に痺れを切らした海竜三匹の突撃によって訪れた。
「こりゃ覚悟を決める時だな……」
「最後にもう一つ聞いてもいいかしら?」
「いくらでも聞け。俺の命運は尽きようとしているんだからな」
「私の瞳を見てどう思いました? 素直に言ってください」
「そんな人間もいる。それだけだ」
正直言わせてもらえば、自分の元職場には色々とびっくり人間ばかりだっただけに眼の色云々などどうでもいいのだ。
陛下など『見ろリョウ、私の眼を左右違う色に輝かせられるのだぞ。すごいと思わないか!?』と言ってきたので『人間一人、五体満足に二つの眼しかないのです。それで遊ぶんじゃありません!!』と何故か自分が彼女を怒る羽目になった。
「むぅ………」
「君は眼に関して褒められたいの? それとも蔑まれたいの?」
「邪険に扱われるのも嫌ですけど、常のものとして扱われるのも嫌なんです」
特に自分の領地では吉兆のものなのだという彼女に対して、「めんどくさい女」という感想が出かかったが、何故か彼女は笑っている。
何かおかしかったのだろうか。
「ごめんなさい。まさかそう返してくるとは思わなかったから……あなたの故郷では私の眼は特に珍しくないのね。私もヤーファに生まれたかったです」
「その場合、俺は叱らなければならない女が二人に増えるから勘弁してほしい。まぁ猫にはまれにある瞳の色だな」
金目銀目の猫は確かに吉兆を呼ぶものだ。そういう意味ではヤーファとルヴ-シュは似通った地域なのかもしれない。
となれば吉兆を呼ぶものを死なせるわけにはいかない。せめてティナが来るまでは時間稼ぎをしなければならない。彼女だけでも守る。
そうした想いは――――エリザヴェータも同様だった。今までは自分の命一つで全ての人間を守ろうとしていた。
それは自分の誇りを賭けたものであり、自分などいなくても後に代わりは出るという捨て鉢な想いもあった。
幼少期に自分を助けてくれたのも傭兵であったが、この歳になってからの自分を和らげさせたのも、傭兵であった。
この青年ともっと話がしたい。自分のことをもっと知ってもらいたい。
死にたくない。もっと生きていたい。先程までの自分の想いを捨て去るほどに、この青年と話がしたいという思いが出てくる。
強い想いに応えたのか――――握りしめたヴァリツァイフが黄雷を自然発生させて、甲板に落ちていく。それだけで誘爆しそうであったが、その前にクサナギノツルギが黄雷を纏め上げている。
既に自分の頭には響きつつある声、どうやらまだ彼女との信頼とか情とかが自分と繋がっていないようだ。
利用するわけではないが、彼女の想いを引き出すためにも、リョウはとにかく艶っぽい言葉を吐くことを「強要」された。
「エリザ「リーザ、いつまでもそんな風に長い名前やら君だの呼ばれたくないので、これからは私をそう呼ぶことを許可します」―――リーザ」
「なんでしょうかリョウ?」
「君は、絶対に死なせない。ヤーファの騎士……サムライは『姫』を守ることを至上の命題としているから、君を守る」
彼女の金目銀目を見つめながら語った言葉に嘘偽りはない。だが少し恥ずかしかった。しかし―――反応は即であった。
雷の勾玉が反応を示し、刀身を倍以上にまで延伸させる。そして、己の身体に戦鬼と称された先祖「温羅」と同じく八種の雷神器が装着される。
リーザもまた己の頭に響く声に反応して、軟鞭を天空に掲げて直立させ硬鞭となる。「鋼鞭(クスタル)」という形態変化に従い、棒状の武器となったそれに雷が落ちる。
天空より落ちる雷が船を砕き石を頭上から落とされ散逸する魚のようになろうとしていた海竜達は、動けなくなっていた。
不可視の力により海から中空に持ち上げられていく様は遠くにいる敵味方問わず全ての船員達が見ていた。
輪のように閃雷が舞っている。その輪に捕らわれているのが海竜であり、そして輪の中心にいるのがリーザとリョウだった。
もはや動くこと叶わぬその様を前にしても戦姫と戦鬼は容赦しなかった。
戦鬼は雷の神剣に己の四肢から発せられる雷を載せて斬突を生きている海竜に雨霰と放ち、戦姫は己の持つ硬鞭に己の雷気を載せて斬打を肉ある死んだ海竜に凄烈に放った。
黒環と鎖ごと焼き叩き斬る様は、それを託した相手からしても恐らく驚きであったはずだろうが、それは今は関係ない。
完全に死んだ竜を戦の神への生贄とした後に、海に落とす。10アルシン下へと落ちた竜の後を追わせるかのように骨だけの死んだ海竜を落とす。
『神薙神威・建御雷神』
言い終わると同時に、逆手に持った剣と硬鞭を手に勢いよく落ちながら10アルシン下のボーンドレイクに対して、突きたてた。
苦哭すら上げられぬほどの威力と死者すら消却する冥獄の雷が海上を光り輝かせて、その後には海竜がいたという痕跡は全て無くなっていた。
ただ一つだけ証拠を上げるとすれば、その瞬間。雷が当たり海面で燃えていた船が、完全に沈没を果たしてその上空には白雲から雷が数刻放たれていたことを全員が見ることとなる程度――――。
あとがき
まさかの原作イラストレーター「よし☆ヲ」先生降板。
なんてこった……今まで、先生の描く戦姫ヘソ出しルックをネタにしていたというのに、これでは次の絵師次第では大幅なネタ変更を――――、いや失礼。
何はともあれ今までお疲れ様でした。また何かの機会に先生の絵を拝見したいです。
そして後任絵師が恋姫†無双で有名な「片桐雛太」先生とは……ロランTS……などという無粋なネタは考えていない。(爆)
にしてもこの絵師交代もそうですが最近のラノベ業界がちょっと慌ただしいような気が、私はします。
GA文庫の信奈が富士見ファンタジアで刊行されたり、中国でラノベ発行停止になったり(これはあっちの体制の問題ですが)、富士見でドラリミ打ち切りだったり、キリヒト登場……ってこれに関しては別に問題ないのかな?(謎)
業界的には色々と動いている。動いているがそれがいいことなのかどうか分からん。ただ最近、私は昔友人に薦められて読んだ「時空のクロス・ロード」が無性に読みたい気分だ。
スレイヤーズ、オーフェンばかりを読んでいた自分のジャンルの間口が広がった作品だったと今では思える。
うん。無駄話が過ぎたな。では感想返信を
>>孤高のレミングさん
再びの感想ありがとうございます。
実際、梓のように弓を引いての御稜威を唱えられない辺りにリョウの限界があります。(温羅も妖術は苦手でしたから)
作中で何度かリョウが口に出す生臭坊主はぶっちゃけ戦鬼の川楊智也の子孫です。
その生臭坊主からは「妖術を習え」と言われていましたが、身に付けられたのは式神程度の技術のみですから。後は肉弾戦で叩くのみ。
弓が使えない弊害は、こんな所にも出てしまうんですね。ティグルの登場が待たれる。
あと三次創作に関してですけど、言っちゃなんですがこの作品を参考にしてレミングさんの自由に思い描いた作品を書けばよろしいかと。
むしろリョウは設定こそあれですが、性格的にはどこにでもいそうなオリ主ですし、私としてはレミングさんの書く魔弾SSが見たいところです。
ではでは本日はここまで、お相手はトロイアレイでした。