「虚影の幻姫 Ⅲ」
空は快晴。波穏やか。海の様子はただただ穏やかであり平素のものだ。だが、その海を走っていく船――――その船員たちも穏やかなのだが、一人だけ気分も胃の中も穏やかではない人間がいた。
青い顔をして、波を見ながら胃の中のものをもう盛大に吐き出していた。オロロロロという声が嫌でも耳に入ってくる。
背中をさする幼竜プラーミャは吐いている女性。ヴァレンティナ・グリンカ・エステス―――ティナを本気で心配している様子だ。
「盛大に嘔吐するMFレーベル(?)の女性キャラってどうなんだよ……ついこないだは、大丈夫だったはずだろ」
「つまりこれは酔ったからではなく、悪阻(つわり)というものですね。はてさて私のお腹にいる赤ちゃんの父親は果たして誰なのでしょうか?」
「あっ、やめて。そういう色んな意味で寒気がすること言わないで」
口元を拭いながら、こちらに笑いかけてくるティナが本当に怖い。
しかし、それ以上にティナは辛いのだろうと思い、口を吹いてからもらってきた野菜―――汁気が多いトマトなどに塩をたっぷり振りかけてパンで挟み食べるようにいう。
「あー……なんか塩気が利きますね。空っぽの胃に沁み渡る感じです」
「塩は貴重なんだからな。ゆっくり食べろ。まぁとにかく落ち着いたならばなによりだ」
「そうですね。お腹の中のもう一つの命のためにも死ねませんし」
「そういう風な冗談、本当にやめてくれ」
リスのように野菜サンドを頬張るティナは、先程から冷視線を感じないのだろうかと嘆きたくなる。
その視線の元は、御厄介になっている軍の最高責任者である。無論、船長は他にもいるのだが、それでもティナの同輩である相手が最高責任者だ。
レグニーツァ軍の総大将。戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィン―――サーシャは、険しい視線をこちらに向けてくる。
仕方なく弁明のために彼女の近くに歩いていく。
「何というか悪いな。色々と騒がせてしまって」
「もう慣れたよ。君が来てからというもの僕の領地はお祭り騒ぎの連続だ」
「お前もその片棒を担いでいるの分かってる?」
皮肉に皮肉で返すとサーシャは、痛いところを突かれたかのように顔を固くする。
事実、こうして出征する前にもそういうお祭り騒ぎを彼女は起こしたのだ。ティナとサーシャの言い争いから市庁舎から逃げ出した自分。
それから数刻リプナの街を適当に歩いていると、まるで賞金首を見つけたかのような騒ぎが巻き起こった。
何事と思いながら、見ると――――お触れが出ていた。
「まさか俺を捕まえると金貨百枚だなんて……」
「ご、誤解だよ。僕は金貨千枚と言ったのに、文官が『そんな余裕はありません』って言うから仕方なく百枚で手を打ったんだ」
「そこは重要な問題じゃない。そこが問題じゃない」
恥じ入るように顔を伏せるサーシャには悪いが、そういうことではなく―――まぁつまり捕り物騒ぎの大騒ぎは市民、兵士、全てを巻き込んでのとんでもないこととなり。
火つけをしようとしていた海賊共の斥候を見つけたり、誰かの飼い犬を探したり、野外で逢引きしようとしていた恋人達を注意したりで、一日中走り回っていた。
市民たちは海賊騒ぎで暗い気分であったのが晴れたり、兵士は「鈍った体を鍛えなおせましたよ」などと、いい気分転換になったようだが、追われた側はたまったものではなかった。
「でも結局、リョウを捕まえたのは私でもアレクサンドラでもなく、プラーミャなのですから世の中分かりませんね」
近くまで来たティナが抱きかかえた幼竜を撫でながら、そんなことを言う。
そう。結局この捕り物騒ぎの勝者はレグニーツァ住民にとって馴染深いフラムミーティオの息子であるプラーミャであった。
どこかの路地裏で息を整えている時に、この幼竜が空からやってきて自分の頭に乗ったのだ。
今のティナのように抱きかかえるようにしたらば、その目は寂しそうに見えたので帰るために仕方なく路地裏から出ると捕り物騒ぎの勝者が決まった瞬間となる。
「金貨百枚分の骨付き肉は美味しかったかな?」
サーシャの問いかけに対して、プラーミャは言葉を理解したのか首肯してくる。
その姿にふと考えることがある。あの巨竜。火竜山の主フラムミーティオは、サーシャという戦姫に戦姫ミーティアの「四魂」を与えた。
それはもしかしたらば、プラーミャとサーシャとの間で友誼を交わせという意味なのかもしれない。
事実、「四魂」のルビーを持ったサーシャには何となくプラーミャの言いたいことが分かるそうだ。―――栓もないことを考えていたらば、美女二人から少し変な視線を感じる。
「僕が魅力的なのは分かるけれど、戦場で美女に見とれるというのはどうかと思うよ。一瞬の油断が君を捕虜にしてしまうかもしれない」
「私の魅力を再認識するのは、構いませんけれどそんなに見つめられると色々と濡れてしまいそうです」
何がだ。ということを言わずに、美女二人の戯言を無視して周囲の軍船を見る。かき集められるだけかき集めたレグニーツァの船団の数は四十二隻。有志を募った武装商船なども含めたその威容の中央の旗艦に自分がいる。
たかだか傭兵風情である自分がいるということに場違い感もある。むしろ傭兵集団の中で動きたかったのだが、これに関してはサーシャが頑として譲らなかった。
旗艦が先陣を切るなんてありえないというこちらの言葉に対して、『それならば旗艦が多くの敵を担うべきだね。僕の船には、火砲を全て搭載するつもりだから』
その言葉通り―――この甲冑魚号というガレー船の威容は従来の船の装備とは一線を画していた。
両舷側の火砲八門に船首にも砲を着けて、それよりも目を引くのは―――甲板を拡張するような形で作られた大きな円形の台座である。
船首付近に一つ、左右に二つ。どでかい車輪か円形の小屋のようなそれからも火砲を叩きこむための装備であり、舷側からでは打てない射角に対応するためのものだ。
「投石器にせよ大弩にせよ。射角は変えられませんからな。そういう意味ではこの兵器は革命的ですよ」
「敵陣に突っ込み―――至近距離から砲撃を叩きこむ―――それがこの「ガレアス船」の役目なんだけど……それを旗艦にするのは不味くないか?」
「おや? サカガミ殿は我らの力を侮っているので?」
「そんなことは無い。ただ戦姫に乗り込ませなくてもいいんじゃないかってことだ」
指揮船と攻撃船の区別ぐらいはあってもいいと思うのだが、船長であり軍団の指揮官でもあるパーヴェルキャプテンは、その強面な面構えで微笑を浮かべている。
彼とて自分がやろうとしていることがどういうことなのかぐらいは分かるはずだ。
「だが、戦姫様はそれをやろうとしているのだ。敵陣に突っ込むということはこの船が一番危険に晒される。必勝の策があれどもな」
「……誰も死なせない。俺の目の前に見える範囲でならば、俺は俺の剣を振るうことで全員を守る」
「ありがたいよ。我が船には生ける伝説が三人もいる。負ける気はしない」
魚鱗鎧(スケイルメイル)を身に纏った戦士に告げると同時に、戦場がみえつつある。
「やっと見えてきたか」
船首に向かうと、燦々と輝く太陽の下でおぞましき髑髏の旗を掲げる大船団が見えてきた。それに遮られてはいるが、向こうに三十隻程の軍船が見えた。
掲げる旗が違うのを見れば、あれこそが件のルヴ-シュ軍なのだろう。
「背後を取れたことを喜ぶべきかな。それとも陽光で目を焼かれかねないことを嘆くべきか」
「前者に決まっているよ。決めていた号令を発しろ。ルヴ-シュ軍と歩調を合わせて海賊を殲滅する」
角笛と銅鑼、太鼓をリズム良く発する騎士達。だが―――攻撃は始まらなかった。返事として出されるべきルヴ-シュ軍からの応答が無かったからだ。
いや、応答はあった。だがそれは決めていた発令暗号では「否」というものでしかなかったからだ。
唖然としながらも、海域には沈黙が降り立つ。海賊からの攻撃も、ルヴ-シュ軍の攻撃もない静寂な海がある。
狐に化かされたような気持ちで、海賊船からの不意打ちを警戒していると、戦場を迂回してきたのか一艘の小舟がやってきた。
甲板にやってきたルヴ-シュ軍の使者であると名乗った戦士に警戒をしつつも、此度の仕打ちの内容を聞くことにする。
「その前にこちらを、アレクサンドラ様にと」
懐に隠していた文をパーヴェルはダガ―で封を切ってから、サーシャに渡した。
内容を一読したサーシャは、ため息一つ突いてから、こちらに読むように言ってくる。
「いちいちぐだぐだと長ったらしい修飾文だな。書いたやつの人間性が透けて見える」
「要約すると……『人質交換』まで待てということですか……ったくあの子は、こっちは準備万端でやってきたというのに!」
「怒るなよティナ。というか海賊がこんなことに応じるのか?」
「分からない。だが、今は一刻の猶予というものを信じるしかないね」
ティナを宥めつつ、サーシャに聞くと彼女も少し怒っている風に見える。
「何か異変があればそれは交渉失敗ということでこちらは戦いを仕掛けてもいいんだね?」
「はい。戦姫エリザヴェータ様も、そこに関しては特に何もおっしゃっておりません。ご迷惑をおかけしているのは重々承知です。ですが御寛恕いただきたく思います」
平伏しているこのルヴ-シュの兵士の言を疑うわけではないのだが、何故ここまでするのか理解が出来ない。
特にこの男の態度もだ。頭を甲板に着けて、平身低頭のままでいるこの男が戯れに首を刎ねても構わないとも付け足してきたので、少し理由を聞くことにする。
「……捕らわれているものの一人は私の妹なのです。馬鹿なことをしていたとしても、後先考えなかった者だとしても……助けたいのです」
泣き出さんばかりのこの男の言葉に違う意味でのため息を船員一同漏らさずにはいられなかった。
だがこれで、士気が少し砕けたのも事実だ。即座にこちらとしては初のガレアス船による戦闘といきたかったのだが、それを台無しにされたのだ。
全員の士気に影響が出なければいいのだが。
「果たして上手くいくかな」
「その前に人質を返すつもりがあるかどうかということだ」
「殿方の獣欲というものは際限がありませんからね」
単眼鏡の向こうに見える細身のガレー船の船団。その内の一隻が進み出て、海賊の船と接舷するのが見えた。
だが、その人質交換は順調には見えない。剣呑な雰囲気が完全な闘争になるまで時間はかからなかった。
進み出たルヴ-シュ軍のガレー船に火砲が吹かれた。三つの砲弾がガレー船を海に沈めていく。
「交渉は決裂だ。海賊共は、最初から人質を返すつもりはない」
「戦闘開始! 打ち合わせ通りに動け!!!」
こちらの言葉にサーシャは号令を発した。これら一連の流れに怒りをぶつけたのは、ルヴ-シュ軍であった。
卑怯な不意打ちによって自軍の兵達が殺されたのだ。すぐさま報復を願う絶叫が聞こえていた。
それに構わずレグニーツァ軍は、戦闘行動を開始していく。
「私の判断が兵士達を無駄な死に追いやってしまった……」
「しかし如何に戦姫様といえどもあの火砲という兵器の前では足場を無くしてしまいます」
「だからこそ……彼らは、向かってくれた。その死に報いるためにも―――海賊共を殲滅します」
海に沈んでいくナターリヤ号の船員を救助するための小型船を派遣するためにも目の前の―――壁を壊さなければならない。
ルヴ-シュの戦姫、エリザヴェータ・フォミナは、報復の声を願う兵士の声を聴きながらも現実に対処しなければならない理不尽に苛まれていた。
(八十隻もの船団を打ち破る策なんて)
目の前には八十以上もの船の壁だ。ナターリヤ号はその陣地の奥深くまで進出してしまっている。
レグニーツァ軍には大見得を切ってしまったのだ。動かざるをえまい。だがそれは壮絶な消耗戦にルヴ-シュ軍に巻き込まれるということだ。
「戦姫様!!!」
物見の声が聞こえて何事かと問い返すよりも先に、こちらからは4ベルスタは離れているはずだったレグニーツァの旗を掲げた船が海賊の船団の真ん中に進出してきた。
力ずくの突破に、誰もが何も言えなくなる。次の瞬間には―――さらに何も言えなくなっていった。
楽の音のように小気味の良い破裂音が、自分たちの耳に届いた―――。
海賊の船団の真ん中にいきなり突破を仕掛けてきた船に、海賊達は一瞬呆けてしまった。
その船の異様さもそうだが、常識を無視した行軍に本当にこいつらは軍人なのかと思ったのもある。
「周りは敵、敵、敵だらけだ。こんな中にいきなり出てくるなんて正気の沙汰じゃないな」
「鋼の衝角(メタルラム)を作ることに協力してくれたプラーミャ殿には感謝の限りだね。さて―――では始めようか」
そしてその船のクルーたちは至極まっとうであった。この船はそれだけのことが出来るのだ。焔の戦姫は、甲板の中央にて黄金の小剣を振り上げて声を上げる。
「『砲戦準備』――――」
声に従い『砲列甲板』の船員達は砲弾を入れて火薬を仕込む。火種を導火線に着ける準備も完了している。導火線は発見されたものよりも短く次なるサーシャの声と同時に、放てるだろう。
突破を掛けられた海賊船達も、ようやくその船に自分たちと同じような装備があることを知って、顔を青ざめる。
遅ればせながら同士討ちを考慮しながらの遠距離攻撃の準備がされようとした瞬間に、サーシャは見透かしたかのように、黄金の小剣を紅蓮の小剣に振り下ろすことで最後の合図とした。
「赤炎の流星(フラムミーティオ)!!!」
声と同時に燃える鉄球は小気味よく船尾から船首の方に向けて、順番に吐き出されていく。
大音声の打楽器をいくつも打ち鳴らしたかのような音は出来の良い交響曲のようだ。もっともそれは海賊にとってははた迷惑な葬送曲であったが
それぞれの射角にいる敵船に正確に叩き込まれた砲弾の数々が、凡そ十隻の髑髏船を航行不能に陥らせた。
運が悪い船は一撃にして竜骨を叩き折られたのか二つに割れて海に沈んでいく。ほかの船も沈没する時間を遅らせているぐらいだ。
「ルヴ-シュ兵達を助けるためにも小舟を何艘か出すんだ。砲撃は続けろ!! 見えるのは全部敵であり的なんだ遠慮はするな!! 火竜山の竜王のご子息が作った炎を武器に海賊に煉獄の苦痛を味わせてやるんだ!」
「了解ですアレクサンドラ様!!!」「戦姫様をミーティア様のような悲劇の姫にはするな!!!」
指揮官であるサーシャの熱気が伝わったのか、意気を上げた甲冑魚号の砲兵達の攻撃は苛烈を極めて、十隻以上もの損害を出していった。更に言えば火砲を充填する前の弓、弩による矢や投げ槍が、海賊共に吸い込まれていく。
「まさか無理やり蹂躙戦に持っていくなんて……ちょっと印象を変えられてしまいますね」
「とはいえ、有効な策だ。さて―――このままこちらの思惑通りになってくれるかな」
船縁の射壁から周囲を覗き見ると、陣形を乱して勝手な行動を繰り返す連中と冷静に戦隊行動を取るのと半々だ。
奇襲の効果としては、不満ではあるが、それでも戦っているのは自分たちだけではない。
こちらの盛大すぎる合図と同時にレグニーツァ軍は背後を見せていた海賊船達に襲いかかっていた。
更に言えば自分たちが突破を仕掛けた時点ですら混乱が起こっていたのだ。もはやこいつらは烏合の衆となり果てている。
「戦は確かに数だがね。それを有効活用出来なきゃ何の意味も無いな」
怒号の音楽に、あちらも反撃を繰り出してきた。至近距離からの火砲の一撃が、甲冑魚号に当たろうかというのだが、既に回避行動を取っていた船には何の被害もなく側に盛大な水柱が出来上がった。
「―――火砲船は残り七隻だな」
「見えるんですか?」
「何となくだがな。それよりもルヴ-シュの人質がいる船がどれか見つけなきゃならない」
「……別に一緒に撃沈しても構わないのでは?」
「俺も正直賛同したいが……寝覚めが悪いだろ」
ティナの情け容赦ない言葉に視線でルヴ-シュの使者を示すと同時に、どの船かと考える。こういう場合。人質は軍団の指揮官の側か一番安全な場所にいる。
「一つ聞く。こちらから人質の姿は確認出来たのか?」
「はい。――――、その後こちらが接舷していた船に乗り込んだと見えたのですが……」
矢を防ぐ盾を空に構えて防御行動をしている使者の言葉に加えて、最初にどの船に見えたのかを聞く。
「あの黄色い髑髏船です」
それはここからも見えていた。至近ではないが、それでも赴けない「距離」ではない。概算ではあるが六百アルシンというところか。
丁度よく「八艘跳び」の進路が出来ている。他の連中には出来ないだろうが、俺ならば出来る。
「よし、このままじゃルヴ-シュ軍も思い切った行動出来ないだろう。俺が動いて人質を救出しよう」
「じっとしていられないのは分かりますけれども、まさか海中を行くわけではないですよね?」
「昔、俺の国の武士の一人は鎧を着けたまま船から船を飛んでいき、最終的には「神器」の奪取に成功したという伝説がある。それと同じことが出来るかな」
もっともその船はこのような大型船ではなく小型・中型船だったようだが、それでも弓の名手である宿敵との戦いに勝利するためにそのようなことが出来た東国武士の伝説はティナほどではないが、英雄譚に憧れる気持ちとしてあるのだ。
「サーシャ勝手な行動悪いけど俺は他の船を片付けるついでに、人質を助けてくるよ。いくら混乱しているとはいえ、数は海賊が多いんだからな」
「ルヴ-シュ軍を自由にするためですから、ご安心を」
面白がるようなティナの言葉にサーシャは驚きの顔をこちらに向けてきた。
「ちょっと待―――」
サーシャの戸惑った言葉を聞きながらも、甲冑魚号の船縁に足を掛けて、百アルシン先にある船―――もはや沈没する寸前のそれに向けて跳躍をした。
丁度よく甲板に着地をすると残っていた連中が驚愕していたが構わず沈没寸前の船縁に足を掛けて再びの跳躍。
今度は百五十アルシンほどはあるか、そして次なる船は五体満足だった。そして火砲船である。いきなり空から降ってきた男に甲板中から奇異の視線が注がれる。
「お初にして―――おさらばだ!!!」
名乗りとしては陳腐だったかもしれないが、次の瞬間にはこちらが振るった乱刃のそれによって命が絶たれたのだから。
十数名を切り殺すと同時に、やはり冷静さを取り戻した船長の一言で行動が再開される。
「て、敵だ!! 殺せ!」
「味方殺しの汚名を着たくなきゃ慎重になるんだな」
一人を相手に集団が一斉にかかってくる人数というのは素人であれば三人が精々である。こちらの警告を受けた海賊が止まった。
思考という停滞の時間が一刹那生まれる。その瞬間にリョウは斬りかかっていた。疾風神速という言葉の体現かのように前方の集団の合間を駆け抜ける。
駆け抜けると同時に、リョウが船首の舳先にまで到達すると前方二十数名が既に息絶えて倒れこんだ。
何が起こったのか、周りは分からなかっただろうが、見るものが見ればすれ違いざまに全員の急所を一撃必殺して殺したのだと理解できる。
痛みも感じさせぬ死撃を食らって倒れた仲間達の死体を踏みながら、他の海賊共がやってきたが、その時点で敗着の一手であった。
斬ったのは何も―――人だけでは無かったのだ。殺到した海賊共の重みは通常ならば支え切れていただろうが―――斬られた「甲板」には無理だったようで船首の半ばから崩れ落ちて海へと落ちる。
それに巻き込まれないように既にリョウは退避するように飛び跳ねて、海賊の後ろに降り立った。崩れる甲板と共に海へと落ちていく海賊。
船首が半ばから無くなり、既にバランスを欠いた船の沈没はまつばかりだが―――それを許さないかのように、プラーミャが炎を吐きつけている。
外からも見えている船内の砲列甲板の連中に対してだ。火薬に引火したらしく船のあちこちから火柱があがり、沈没の時間が早まったようだ。
「全く早すぎますわ。追いかけるにも体力いるんですからね」
「君だったら追っかけてくれると思っていたんだ。信頼しているんだよティナ」
同じく沈みゆく船の縁に立つ貴人の姿を確認すると同時に、次なる船の姿を見る。今度は味方の船だ。五十アルシン先にあり、接舷した敵船と格闘戦を挑んでいる。
そこに足を向けようとしたが、ティナがこちらの袖を引っ張って、何かを要求してくる。表情から何を要求されているのかは分かるのだが、今いるのは船上であり戦場なのだ。
場違いではないかという気持ちでいながらも、女一人の重さを守れず何かを守ることなど叶わないだろうな。と思い直して、ティナを抱き上げる。
「アレクサンドラがいたらば嫉妬で斬りかかってきてますね」
「勘弁してくれっ!!」
笑う彼女の言葉に応えながら再びの跳躍。碧海、碧空を切り裂き戦姫と侍が飛んでくるなど誰も予想はしていなかった。
それは無論、味方であっても同様だった。海賊共と戦っていた雷魚号(カムルティ)のクルーであり戦士達は、やってきた援軍の姿にギョッとする。
「何か頼みたいことはありますか?」
甲板に下したティナが、エザンディスを構えながら、こちらに報酬の内容を聞いてきた。
少し遅れつつもやってきたプラーミャから刀を受け取り、答える。
「戦姫の異名を轟かせる戦いぶりを優雅にそして残酷に行ってくれ」
「承知しました」
言うと同時に、船首と船尾まで走っていき途中で乗り込んでいた海賊を切り殺しながら到達する。カムルティの戦士達は精強であり、海賊共を乗り込ませないようにしていたが、如何せん数に差があった。
船首付近の縁から敵船に乗り込み船尾からティナが乗り込んだ。
背後を取られた海賊達は、鮮やかすぎる手並みに驚く限りであり行動を遅らせている。
接舷から乗り込もうとしていた海賊達は、横からの襲撃にあっさり倒れていく。カムルティの戦士達の剣がこちらにも届いて来るが、それはこちらを掠めるだけで致命傷にはならない。
白刃が水飛沫のごとき輝線を描くたび、双葉の大鎌が赤黒の軌跡を虚空に刻むたびに血飛沫が上がっていく。
無心のままに振るった乱撃兵術が終わったのは、ティナのエザンディスと鬼哭がぶつかりあった時だった。
「敵甲板戦力は沈黙しましたよ。内部戦闘をお任せします」
「承知しました。オステローデの戦姫様」
流石に軍団長はこちらの素性を理解していたらしく、疑問も何もなく敵船を完全に制圧しにかかっていく。
「状況は?」
「いいですよ。もっとも私たちは全滅の危機でしたが」
鬼哭に付いた血を拭いながらカムルティの軍団長に詳しい戦況を聞く。
ガレアス船による中央突破は、敵を完全に混乱に陥らせて陣形も何も無くならせていた。しかし中央の危機に際して、右翼左翼のいくつかの船が舳先を翻して向かってきた。
今、自分たちがいるのは左翼側であるが、混乱しきった海賊船を仕留めるのは簡単だ。もっともそれは―――ルヴ-シュ軍も積極的にせめていたらばの話だ。
挟撃をしているとはいえ、一方が手控えていては、どうにもならない。
「流石に数の厚みも違いますからな。不運なものが何隻か出ました……何故、ルヴ-シュ軍は積極果敢に攻めないのか理解に苦しみます」
軍団長の不満は、戦おうとしなかったルヴ-シュ軍に向かっている。その事情は連絡船を通して全船に伝えられていると思っていたが、戦場に絶対は無いなとひとりごちる。
「その事なんだが――――――ということなんだ」
「サカガミ殿は、そのことを伝えにここまで?」
「いや、俺はルヴ-シュ軍を動かすには人質を取り返すのがいいと思って独断でここまでやってきたんだ」
カムルティの軍団長に説明をすると、彼は自分たちもそれに参加すると言ってきた。
「あなたの健脚でも残り三百アルシンを跳ぶのは苦痛なのでは? いや、それ以前に戦姫様の友人にそこまで苦労を負わせたくはありません。雷魚号はこれよりリョウ・サカガミ―――あなたと共に人質救出作戦を行わせていただきます」
「いいのか?」
パーヴェルキャプテンよりも若輩の自分より二、三ほど上だろう若い騎士の言葉に若干驚いてしまう。
「戦姫様がいれば、そのようなことを命じてくるでしょうから、それに……こんなことで勝ち戦の目を崩したくはありませんので」
確かに、これ以上まごついていると海賊共に立て直しのチャンスを与えかねない。激を飛ばしたところで他の国の軍が動くことはありえない。
やつらの後顧の憂いを断つことで動かす。
「リョウ。件の海賊船―――二隻に護衛されています」
「種類は?」
「ガレー船ですが、火砲装備が一隻に投石器装備が一隻」
「トレビュシェットか……」
横一列―――少し左右の二隻が前に出ている形の海賊船を相手に一隻で挑むには――――。
「投石器装備に接近しろ。火砲の方に無理に接近すると不味い」
「だが投石器も脅威です……」
「あれは長距離型だ。間合いが詰まっていれば、打っても当たらないよ」
ザクスタンから提出された資料を諳んじてアスヴァ―ルのラフォールの話から察して、投石器装備のガレー船に真正面から突っ込むように言う。
「臆していては何も出来ん。流れ弾は臆病者に当たるなんて格言を知っているならば、恐れず進め」
「怖くないのですか?」
「怖い。俺は弓が苦手過ぎて長距離兵器というものを上手く扱える連中は天性の殺人者だと思っているクチだ。だがそんな連中と戦う時も来るんならば、せめて虚勢でも何でもいいから進むしかないんだよ」
情けないことを告白しながらも、睨みつけるはトレビュシェットを装備したガレー船。あれから石弾が飛んできたとしても自分はそれを切り捨てなければならない。
鋭利な銛のような返しを着けたカムルティの船首と船底の衝角は丁度、雷魚の顎のようになっておりこの船の由来を想起させる。
その雷魚の突撃噛み砕きの前に、投石が行われた。遠い耳鳴りのような音が響く。大きな物体が高速で飛んでくる際に起こる音だ。
雷魚号ではなく後続にいたルヴ-シュ軍に放たれたものだ。普通ならば見過ごすところだが、当たればどんなことになるか分からない。
自軍の被害と同盟相手のことを考えれば―――あれを無力化すべきだ。
よってリョウは、船の上を擦過しようとした瞬間、帆柱を駆けあがりマストの頂点で跳躍して上空を飛んでいた石弾を「斬る」。
斬られた石弾は、途端に慣性を失いルヴ-シュのガレー船とこちらの船尾との間の海域に着水した。
一瞬のことであり誰もが目を疑っただろうが、それでも、必中の石弾は効果を上げずに沈んだのだ。
「斬り捨て御免」
甲板に落ち鞘に刀を戻しながら、鍔鳴りと共にそう言うと全員が歓声を上げた。
「我らには勇者が着いている!! 戦神トリグラフの如き現人神がいるのだ!! 恐れず突き進め!!!」
雷魚号の船員たちは意気を上げて進んでいく波を掻き分けて進む雷魚は文字通り電光石火のごとく海を逝く。
「まさかあんなことをするなんて無茶も過ぎますよ」
「リプナの沖合での戦いを思い出したんだよ。あの時もサーシャと一緒に火砲の砲弾を切り捨てたらば連中、呆然としていたからな」
敵方の行動停滞を目論んだ結果だがまさか現人神などと称されるとは、味方から化け物扱いされたいとかはないが、それでも持ち上げられると困る。
鞘で肩を叩いて照れ隠しをしていたが、ティナはこちらの内心を機敏に察しており。
「可愛いですわねリョウ。そんな風に恥ずかしがらなくてもよろしいでしょうに」
からかうように頬を突いてくるティナに、どうにもこうにも言えなくなる。そんな風にしている間にも、海賊船との距離が縮まる。
雷魚の顎が海賊共に食いついた。正面からの激突に船は盛大に揺れたが混乱はあちらの方が大きい。
片やこちらは、既に戦闘状態だ。簡易的な縄梯子や釣床(ハンモック)を敵船に掛けることで足場とした。
怒号と共に騎士達が足場を渡っていき海賊の甲板に躍り出る。血飛沫と共に臓物が飛び出ていくさまは正に戦場のそれだ。
遅ればせながら海賊船に降り立つと同時に、一人の海賊を見つけて歩いていく。近づいてくるこちらに顔を青ざめるが、抵抗は無意味だとして武器を捨てた。
「一つ聞くぞ。客船クイーン・アン・ボニーの連中。特に貴族の娘達はどの船に乗っている―――正直に答えなければ」
船縁十チェート分が木端に変わった。丁度海賊の後ろだったその箇所を脅しの意味も込めて、居合抜きと共に千断した。
更に顔を青ざめた海賊はペラペラと喋ってくる。あの黄色い髑髏船はルヴ-シュ軍を騙す「サギ船」とのことで、既に人質でありいずれは自分たちの夜の相手である女は護衛の火砲船に全員乗せられている。
「撃沈される可能性もあっただろうに、随分と豪胆だな」
「ふ、フランシスの頭は、国すら乗っ取るつもりでいたんだ。ここでジスタートの戦姫を降して、その後に街をおもうまま―――」
「取らぬ狸の皮算用。というやつだな。考えが甘すぎる―――黒髭も、そしてお前も」
「ひっ!」
殺されると思い怯んだ海賊の延髄に手刀を叩き込み意識を落とす。流石に白旗を上げてここまで喋った相手を殺すのも忍びなかったので、慈悲として気絶させた。
「捕虜はいるかな?」
「罪人を全員殺していては国家が破綻しますわ。更生の見込みがあるかどうかは……レグニーツァの法務官に任せましょう」
「それが最善か。目的地は定まったが……逃げるよなぁ」
見ると二隻の海賊船は付近から逃げ出し遠くに見える十数隻に合流しようとしている。
不味いと思いながら、せめて伝書でルヴ-シュ軍に人質がどこにいるのかを伝えようとした瞬間に、轟音が聞こえた。
いかんと思ったのも束の間、追撃を仕掛けた後続のルヴ-シュ船に砲弾が直撃してしまった。失態だ。こちらが火砲船を叩き潰すべきだったのだ。
火煙を上げて、砕けていくガレー船。その間にも該船が遠ざかっていく。
「リョウ! あれに乗りましょう! カムルティの皆さんは、トレビュシェットで該船に牽制を」
「簡単に仰らないでください。我々にとっては未知の兵器なのですよ」
「未知の兵器ってもやり方は普通の投石器と同じだ。なんでもいいから救出作業を行いつつ該船への砲撃頼む」
そうして、追撃船の内の一隻、波濤を掻き分けて海原を往く細身のガレー船に飛び乗る。
甲板に飛び乗ると同時に、誰何の声を上げられた。
「レグニーツァの使者だ。あんたらもそれなりに知っているだろうが、あの火砲船に人質が乗っている」
「……そうなのか?」
どうやらここまで戦闘をしていなかったのか捕虜の尋問もしてなかったのか、いずれにせよ彼らは髑髏船を追う予定だったのだ。
「黄色い髑髏船を追っていたらばやられるぞ」
呆然とした言葉で再度問いかけてきた兵士に答えると、耳鳴りのような音が響いた。
回頭をした海賊船の投石器が空の詐欺船の周囲に盛大に落ちる。水柱の大きさが威力を物語っている。そして二撃目。波を掴んだ雷魚号をクルーの正確な石弾が詐欺船に叩き込まれた。
悲鳴が聞こえる。その中に―――女の声は無かった。次いで三撃目を火砲船に「わざと外して落とす」と、確かな声が聞こえた。
「当たりですね……!」
「カテリーナ号、全速前進!! 目標・敵火砲船!!」
ティナの浮かべた笑みの後には、ルヴ-シュ軍の船―――カテリーナ号とやらの速度が上がる。
如何な火砲船と言えども舷側さえ晒していなければ、そうそう当たりはしない。背中を見せて遁走へと入っている海賊船に衝角を向けて突進する軍船。
「シュトゥールム・プラルィーフ!!!」
「意味は?」
船長の発した号令の意味。聞きなれないジスタート語だったので隣のティナに聞く。
「『疾風の如く突破しろ』。口汚く言えば『女の鞘に剣をぶち込め』と言うところでしょうか?」
「最初はともかく二回目の通訳が悪意に満ちているように思える」
「リョウの剣を私の鞘に込めますか?」
「それはまたの機会だな」
その時、火砲船の船尾に体当たりが食らわされて先程と同じく白兵戦となる。衝撃で船体が揺れるが、そんなことで身体を揺らす鍛錬不足はこの船にはいなかった。
しかし海賊とて今度はそれなりに準備していたらしく矢に投槍などが投じられて、水際で乗り込むことを防ごうとしているが―――。
「無駄な抵抗だな!」「同意です!」
言うと同時に駈け出して、船首から船尾へと乗り移る。
投じられたハンモックを斬ることで兵士を落とそうとしていた海賊を一刀両断。橋頭保を確保すると共にルヴ-シュ軍が展開するまで守備をする。
「あらぁっ!!」
無論、海賊もそれを許さないとばかりに、かかってくるが、鈍い攻撃を食らうほどこちらも暇ではないので、急所を正確に斬っていく。
五分の間にルヴ-シュ軍は火砲船に乗り込み戦列を成して海賊に襲いかかる。
「この船にいる人質―――アデリーナ殿達を見つけるんだ!!」
声を聴きながらも、恐らく船内にいることは間違いない。怒号が響きながらも、斬音が静寂を齎していく。
「東方の奇剣――――やはり、お前は!!」
隊長格の言葉が耳に届きながらも、無心のままに殺劇を繰り広げていると、海賊はまだいるにも関わらず静寂が降り立つ。
鎌の一撃が、海賊の身体を上下に分けたティナも気付く。船室から幾人もの令嬢―――と見られる薄汚れた女達が出てくる。
下着だけの格好のものもいれば、ドレスが裂けているのもいる。数にして十数名。中には轡を掛けられているものもいた。
そして彼女らは鎖と縄で繋がれており、人間の扱いではない。その現状に絶望しきった顔のものもいれば、気高さを忘れないものもいる。
「剣を捨てな!! こいつらがどうなってもいいのかよ!?」
彼女らの背中に槍や剣を向けている外道共の言葉が届きルヴ-シュ軍は歯ぎしりをする。
しかしながら、ルヴ-シュ軍が剣を捨てる中、自分たちはそれをしなかった。
「サカガミ殿、義憤は我々も同じです。ここは一先ずあちらの要求を」
「残念ながらその必要は無いよ。悪いが俺はそのつもりはない」
後ろのルヴ-シュ兵の諌める言葉を聞きながらも、そんなつもりはリョウには無かった。
「聞こえなかったのか!? 武器を捨てろ!!」
「断る――――というか、その女達とて覚悟を決めているだろうさ―――いざとなれば死ぬ覚悟がな」
「……何だと?」
「轡を嵌めているのは自決されることを嫌ってだろう。そして轡をしている令嬢は随分と目が輝いている。たとえこの場で死んだとしても構わないという目だ。その覚悟を汚すことは俺には出来ないな」
言葉を連ねながら、御稜威の言霊を合間に挟んでいく。他者―――特に十数人分への「負荷」を掛けるとなると時間も必要だ。
「だったらどうするってんだ? そういう女以外もいるんだぜ」
「確かに―――ならば覚悟を決めろ。あんたらも貴族(ノーブル)の娘だってんならば、辱めを受けるよりも死を選べ。誇りよりも命が大事ならば、俺が助けてやるよ」
横にいるティナに眼で合図をした。こういった場合の対処は事前に話していた。そうしてから前方の全員を威圧する。
摺り足で一歩を踏み出すと同時――――東洋の神秘が令嬢に刃を突きつけている外道共に降りかかる。
「素は重、背に野槌、十重の大岩、二十重の大山、火圧し、地歪め、風鈍る!!」
外道の身体全てが重くなり、突きつけていた武器が下がる。しかしこちらがそいつらを一掃することはどう考えても遅すぎる。
呪術を受けたと感じた全員の奇異の視線がこちらに向けられた。注意が数秒こちらに注がれた瞬間。
彼らの背後に死神が現れた―――――。
可憐にして妖艶なる死神。彼岸花を思わせるその死神はその手にもつ大鎌を振り回し、首を斬りおとした。
それでも三人が残っていた。三人が後ろに眼を向けた瞬間に人質三人に繋がれた鎖をリョウは斬りおとした。
錠を外された令嬢三人に、細剣(レイピア)を投げ渡すとすぐさま背後の外道三人を貫殺しきる。
周囲にいた海賊達もあまりの早業に呆けていたが人質全てが奪われると思い、出てきたがあまりにも遅かった。武器を持たない令嬢達の前に進み出てリョウは剣戟を放つ。
殺す必要は無い。得物を全て破壊することで威圧する。流石に防戦においてそこまでリョウも強気には出れない。
刃を砕かれ鳴り響く甲高い金属音で、殺到しようとしていた海賊共が静まり返る。「鬼」の「哭く」声にも似たそれを聞いた一人が騒ぐ。
「こ、こいつ! ま、間違いない! 竜殺しだ!! アスヴァ―ルで、み、見たぞ! 百人殺しの現場で、こいつは―――」
喚いていた海賊の一人の首を一瞬で跳ね飛ばして更なる沈黙を要求する。
「俺が何者であるのかを察するとは、頭の血のめぐりが良すぎたな」
噴水のように血を流す死体を冷たく一瞥すると、もはや海賊達の戦意は失われていた。
寧ろ、戦意があったのは人質である令嬢の中でも轡をされていた連中であり、その手に持った剣が海賊を一人、また一人と殺していくと白旗を上げた。
「ぶ、武器を捨てる!! 投降する!!! だから殺さないでくれ!!!」
全員が殺される前に平身低頭してもう素っ裸になることで敵意を示さない行いは清々しいまでに白旗だった。
所詮、軍人でもない連中の意思などこの程度なのだ。
「久しぶりだなぁ。こういう化け物を見るかのような視線は、お陰で無駄な血を流さずに済んだよ」
「お互いにね。それにしてもリョウってば本当に戦いとなると冷静ですよね。ちょっと怖いくらいです」
「十人ほどの首を笑いながら刎ね飛ばした女に言われてもなぁ」
血に塗れた二人の姿に海賊は更に肝を冷やして甲板に額を打ちつけて、敵意の無いことを示す。
「全員を拘束しろ。この船の装備品は全て奪ってしまえ――――と、本当に助かりましたよ。ありがとうございますサカガミ卿、北東の戦姫様」
「お気になさらず。――――色々と不安になることを言って申し訳なかった」
敬服する騎士隊長に軽く言ってから人質となっていた令嬢たちに頭を下げる。自分の言動が彼女らの不安をあおったのは事実ですから。
「顔を上げてくださいサカガミ卿。縁も所縁もない私達を助けるために、ここまで来て下さったあなたを責める気持ちなど私達にはありませんから」
「そう言ってくれると助かる」
保護した女性達にティナが布を包ませていく。混乱している人はいないが、それでもこういう所では女性の方が色々と都合がいいだろう。
自分に礼を言ってくれた轡を嵌められていた令嬢たちは、視線で何かをこちらに訴えている。
「? 何でしょうか?」
「何故、私たちが―――武芸を嗜むと分かったのですか? 参考までにお聞かせ願えますか?」
どうやら彼女らは自分が、レイピアを渡したことが怪訝なようだった。説明をするのは簡単だが、まぁ言ってしまっていいものかどうか、少し悩む。
「筋肉の付き方、手にあるタコとかからそれ相応の術法は嗜んでいるように思えたのでね。細剣を渡したのは護拳がついている武器がそれしかなかったんだ」
扱いに苦しんだようには見えなかったが、選択を間違えたかと思っていたのだが、どうやらそうでないようだ。
「ありがとうございます。私達はこれから様々な者たちに色々言われるでしょうが、それでも―――あなたのような勇者の食指を動かしたともなれば、まだ女として捨てたものではないと生きています」
「ちょっと待て、先程の言葉のどこにそんな要素があった? いやまぁ強く生きてくれと言うことは可能だが、それでもいやしかし……」
確かに人質の身体を凝視して、武芸を扱えるものに当たりを付けていたのは事実だが、その最中にティナやサーシャと同じく女らしい身体に色々思ったりしなかったり――――。
「すごく心の中であれこれ思い悩んでいるのはわかりますけど、はっきりとそんなことは無いと言ってあげればいいじゃないですか」
「これから彼女らだって色々あるだろ。もしかしたら出家させられるかもしれないんだ。だったらアスヴァ―ルで懸命に生きていた遊女たちみたいに自分の名前を貸すのもいいと思っていたんだよ」
心の中の葛藤を見透かしてきたティナは、少し怒っている様子だ。しかし本気で嫉妬はしていない。
彼女も元は貴族なのだから彼女らのこれからの苦境が想像は出来るのだろう。
完全に戦意を無くした海賊共を連行する作業を見ながら周囲の状況を見るとルヴ-シュ軍は元気を取り戻して今までの鬱憤を晴らすかのような攻勢に打って出ている。
それに対してレグニーツァ軍は小休止。というか同士討ちを避けるための再編成作業に入っていた。
「マルガリータ号が来られるぞーーー!! 元気があるものは戦姫様の船に乗れよーーー!!!」
一艘の小舟に乗ってきたルヴ-シュ兵が海面に漂いながら、こちらに戦姫が乗る船がやってくると伝えてきた。
よってどうしたものかと考える。この場に留まるか、去るか。
「なぁティナ。エリザヴェータ・フォミナって戦姫はどんな人なんだ?」
「ヒス女です」
「……君のその人物評価を一言で断じるのやめた方がいいと思う」
余計なお世話かもしれないが、と付け加えてティナの言葉を検討する。
彼女の評価が正しいかどうかはともかくレグニーツァとの軍議における約定の感触、そして文の内容から察して、あんまりお近づきにはなりたくないかもしれないと感じてこの場は辞することにした。
「行かれるのですか? せめて我々でレグニーツァ軍までお送りさせていただきたいですし、エリザヴェータ様にもお会いしていただきたいのですが」
「上手い事言い訳しといてくれ」
少し焦っているカテリーナ号の責任者に言ってからティナの手を握りしめると一種の浮遊感を感じて、その後には――――船から二人と一匹はいなくなった。
遅れて到着したドレス姿の女性。戦姫エリザヴェータは、カテリーナ号の責任者と話して、事の顛末を聞くと少し不機嫌な顔になった。
「女性たちは丁重にエスコートしなさい。その上でカテリーナ号は捕虜を連れて戦線の離脱を許可します」
不機嫌な顔を消してから決然と命じるエリザヴェータ。
既にルヴ-シュの港町にはムオジネルの奴隷商人が待機している。この海賊共で損害を被ったのはザクスタンも同様なので捕虜がどのように扱われるかは、彼らに任されている。
「これから色々あるというのに海賊共が安堵した表情なのが気に食いませんね」
「万軍を相手にして勝利を収めた英雄の威光と畏怖ゆえかと」
恐れながら言ったカテリーナ号の責任者は、主への忠義と、戦士としての礼儀の狭間で揺れながら語った。
その言葉を聞いてから、指示を全て出し終えてから旗艦へと戻る。そうして遠くのレグニーツァの旗艦の方を見る。
「二度も姿を見せないとは、よほどやましいことでもあるのかそれとも彼女が会わせないのか、どちらにせよ。その顔は絶対に今度こそ拝見させていただきます」
宣言をしてから、この戦場はまだまだ続くと予感をしている。一度は算を乱して最新技術を披露することもなく終わるかと思っていた海賊団も反抗に出ているのだ。
この灼熱と閃雷鳴り響く戦場で――――出会う可能性はある。そう確信をしてからエリザヴェータは五隻ほどの塊となってやってきた海賊船。
おそらく人質を奪い返しに来たのに向き直り敢然とした様子で戦闘再開を告げた。
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その噂を聞いたのは、領地の巡回をした―――ジスタートとの国境近くにある村でのことだった。
最近、夜な夜な動物たちの悲鳴が響き渡っており、また山に入った村人達が恐ろしい姿をした怪物を見たと証言してきた。
見間違いの可能性は無いのか? そうジスタートとの国境近くのブリューヌ領土アルサスを治めるティグルヴルムド・ヴォルンは尋ねたが、それが数十人単位ともなればもはや見間違いではすまされない。
「竜の可能性もある。みんな申し訳ないが暫く山には入らないでくれ」
「承知しました。ティグル様お供はいらないのですか?」
「ああ、夏の季節に男手は必要だろ。俺は暇をしている領主だ。こういう時にこそ動かなければならない」
父・ウルスとの会話は今でも覚えている。それを思い出して山に入っていく。
愛用の弓―――家宝の黒弓ではないが、それでも自分が信頼している得物と矢筒を多めに持った。
山はティグルにとって一番の戦場だった。平原での一騎打ちこそが戦の主流と言えるブリューヌにとって異端であることは分かっている。
しかし、そんなことはティグルには関係なかった。普通の貴族ならば害獣駆除などは領民を徴兵して山狩りをして莫大な費用がかかるところだろうが、自分ひとりで為せるというのならば、それは良い費用節約になる。
(竜の可能性と言ったが、どちらかといえば浮浪者の類なんだろうな。食い物がなくて、山で生活をしているというところか)
山賊であれば、目撃者を殺して金品を奪っていたりするだろう。ティグルはそんな当たりをつけて山の半ばほどまで登っていった。
証言によればこの辺りのはずだ。矢を番えて何か動くものがいないかと視界を広げていく。弓手にとって目の良さというのはただ単に「見える」ものだけではない。
空気の流れ―――触覚。匂いの強弱―――嗅覚。目に見えるもの―――視覚。
それらを総合して放つのだ。強く引っ張るだけでなく己の全てを矢に込める。そういう作業なのだ。
ティグルの「眼」が、何かが動くのを感じた。照準を合わせるとその先にいたのは――――鹿だった。大きな鹿が、木々の間から飛び出してきた。
だが、その鹿がただ単に出てきたのではないことは理解していた。怯えている。何かから逃げているという感じだ。
そして鹿に遅れて何かが飛び出してきた。目を爛々と輝かせて、鹿を追う「ナニカ」、昼間だからこそ分かる。夜ならばお伽噺に出てくる怪物を思わせただろう。
しかしその正体は―――人間だった。薄汚れた旅着を着けて鹿を追っているものに警告の意味を込めて足元に矢を放つ。
「待ってくれ。こちらはブリューヌ―――」
警告の後の名乗りは最後まで言えなかった。旅着の裾から剣呑なものを取り出した人間―――少年は、こちらに向けて走ってきたのだ。
三百十アルシン―――あちらからして仰角であるからさらに距離はあるだろう。その距離を踏破して少年はこちらに斧を振り下ろそうというのだ。
「風と嵐の女神エリスよ……」
祈りを捧げて、必中の矢を射掛ける。耳鳴りのような音を響かせて矢が空間を走った。少年の持ち手を狙った矢は少年が二百六十アルシンに達しようという時に当たるはずだった。
だが―――――――。ばたん!と少年は、前のめりに倒れた。後には山の地面に突き立つ矢が一本と鳥と虫の鳴き声だけの普段の山の中に戻る。
しかし、鳥と虫の鳴き声以外の音が聞こえてきた。それは盛大なまでの腹の音だ。
無論、ティグルのものではない。まさかと思いながら、少年の近くまで下りていくと更に大きく聞こえてきた。
「大丈夫か……?」
「お……」
「お?」
「お腹が空きました……」
その言葉の後には少年は、動かなくなってしまった。死んだわけではないだろう。なんせ腹の音は未だに鳴り止まない。
沈黙を破ってティグルはため息を一つ突いてから、少年を担ぐ。良く見ると少年が持つ斧が木こりが持つようなものではなく煌びやかな装飾を施した戦斧の類だと気付かされる。
そして旅着が担いだ拍子に外されて―――少年ではなく―――「少女」なのだと気付かされる。
「女の子……」
自分より二つは下かもしれない身長、薄紅色の髪に、閉じられた瞼の睫毛の長さ、身体の軟らかさが性別を告げる。
「人騒がせな……とはいえ、どうしたものかなぁ……」
この旅人の処遇をどうしたものかと考える。人的被害を出したわけではないし、金品を強奪したわけではない。
行き倒れではあるが、今の村々は種蒔きの時期であり、こんな行き倒れを食わせる余裕は無い。無論、下の村に余裕があれば別だが領主としてそんなことを命じたくは無い。
「ティッタには迷惑を掛けるかもしれないけれど、仕方ないよな」
アルサスにおいて一番余裕のある家は自分の家なのだ。不審者を下の村に預けるのも悪いと思ってティグルは、下山を開始した。
あとがき
病に侵されていなければ最強であっただろう戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィン堕つ。きっと出立の前に死兆星が見えていたに違いない。
ロリコンに世紀末覇王のような慈悲は無かったわけであるが、それにしても本当に死んでしまった。
そしてウルス……何グルさんなんだ……新キャラ登場の上に主人公まで退場―――――というのは、冗談でいや本当にすみません。
魔弾八巻流し読み程度ですが、大体は読んでいます。申しわけありません。細部までまだ読み込んでいませんが、分かる限りでは激動ですね。
ブリューヌ内乱、アスヴァ―ル継承戦争、そしてジスタート継承戦争と……宇宙世紀の如く次から次へと戦争が起こるなぁ。(苦笑)
でなきゃ戦記ものじゃないよ。というツッコミは分かってます。そして本作におけるヒロインの一人でもある鎌子ことヴァレンティナ。
こいつがラスボスかと思わせるぐらいにとんでもないことをしてくれやがった。いやまだ「盛った」とは明確に書かれていないんですが、とんでもねぇ。(自分の見落としかもしれませんが)
ラスプーチンの如き策謀だよ。ヴァレンティナ……おそろしい子! ティグルとのフラグありでも果たして生き残れるかどうか……何か殺されそうだな。
そして反対に鞭子ことエリザヴェータ。いい子だなぁ……。
いや生まれとかから察して、エレンに敵愾心むき出しとはいえ、いい子だろうなとは思っていたんだけれども、本当にいい子すぎて涙が出てくる。
ではでは久々の感想返信を。
孤高のレミングさん
感想ありがとうございます。そしてまさかの戦鬼読者とは嬉しいです。
近くのBOOKOFFに売っていないだけに富士見レーベルのライタークロイス以上にみんな知らないだろうなと感じてここまで説明してきませんでした(ネタバレを防ぐためです)が、少し説明させていただきます。
あの作品の要所要所に魔弾に繋がるティストを感じさせたのが、この作品のきっかけでもあるんですよ。
温羅に力を与えたイザナミ、それがどうにもティグルを要所要所で助けるティル・ナ・ファ(仮)を思わせました。
またティグルが弓だけの器用貧乏(?)に対して、温羅は剣以外の扱いを同じく父親から教わっていないという主人公ですから。
リョウはそんな温羅の遠い子孫なんです。だからティグルと対になる感じです。
そしてティグルとの合流は……すみませんがもう少し先ですね。「その頃のティグルさんは……」的に外伝を書いていくと思いますが、合流するのは内乱時ですんで待っていてください。
ついでに言えばリョウは三人ぐらいのヒロインとしかいい感じにならないと思います。
この時点でハーレムという人もいるかもしれませんが、まぁ今の風潮で言えばリョウはハーレムとはいきませんね。
ではでは今回はここまで、今回のあとがきは本当に書くこと多すぎた……。新刊発売されたから当然ですけど、それでもこんな長いあとがきまで読んでくれた方に感謝をしながら、お相手はトロイアレイでした。