―――朝日昇りつつ、世界を照らしていく。
しかしながら、だからといって即座に世界が暖かくなるわけではない。そして何より、今の季節は冬なのだ。
無論、冬と言っても初冬と言うのが正解であろう―――そしてブリューヌは温暖な気候である。
次第に暖かくなっていくのは余程の人間でなければ分かるだろう。
だが……だからこそ、自分はこの枯れ草色の草原に立つことにしたのだ。
自分がいる場所は戦士達の野―――ザクスタン風に言えばヴァルハラなのだ。
戦士達は朝と共に目覚めなければならない。例え、どんなに奮闘してもやってくる永遠の眠りがあるとしても、彼らは起きなければならないのだ。
寒さで惰眠を貪る事はあってはならない。
よって――――男は、唄う事にした。彼らを眠りから覚ますための、大いなる『人間賛歌』を歌い上げることにした。
「あさが来る~♪ きっと来る~♪ 何かあの辺から出てくる~ ひょっこり出てくる~♪」
自分考案の弦楽器―――この辺では三弦琴にも似たものを打ち鳴らしつつ歌い上げる。
「太陽よ。なぜにくる~♪ おまえはどこまでもやってくる~ 逃れられぬきしょー、さまたげられるねむり~~」
サビに入ろうか。と言う所で、平原にある全ての幕舎から人が這い出てきた。
『うるせぇ(うるさい)―――!!』
起床の第一声としては中々に悪罵が込められていたのだが、まぁとりあえず男女全ての幕舎から人が出てきたのは良い兆候であったので―――ウィリアムはとりあえず満足する事にした。
歌にたいする感想はあれではあったが、都合一週間もこんなことをやっていれば慣れたものであった……。
だが、自分の歌で人々に感涙を流させること出来ないのは悔しすぎた。
そんな内心の葛藤を抱えたウィリアム・シェイクスピアなるアスヴァールの吟遊詩人が現在厄介になっている軍団。
多くの幕舎を平和な草原に建てたブリューヌ有志連合軍とライトメリッツ軍の最近の朝の光景は、そんなものであった。
† † †
―――オルミュッツとの諸々の戦後処理を終えてライトメリッツからアルサスに戻ったティグル達であったが、予想以上のことがお互いに起こっていた。
アルサス待機組に関しては、何故だか知らないがアスヴァールよりリョウ・サカガミを頼って(?)アルサスにやってきた吟遊詩人ウィリアム・シェイクスピアがいた。
待機してアルサスにて練兵していた間にオルミュッツと一戦やらかした事にリムはあれこれ小言を主人に言っていたが、まぁそれは結局、『私の判断だ』という言葉で沈黙させられた。
『ならば、こちらも私の判断です』
そうして、不満を解消するかのように、吟遊詩人であり『銃士』である男を紹介された。連合軍初の傭兵として雇ったらしいのだが、客将である自由騎士リョウ・サカガミは露骨に嫌そうな顔をしたのが印象的であった。
『アスヴァールからの間諜だ。追い出せ』
『酷すぎますな。ギネヴィアの騎士―――今の私は一介の吟遊詩人でしかないのですから』
などと手持ちの弦楽器を打ち鳴らして悲しみと哀切を表現されると、その音色と真剣さを感じたのかティグルは入隊を了承した。
『まぁいいんじゃないか。俺もリョウのアスヴァールでの伝説を教えて欲しいしな―――歓迎するよ。楽聖』
『ありがとうございます。弓の領主殿―――やはり弓使いは話が早いですな。宰相閣下の引きとめをいなしたのも弓使いでしたから』
というティグルの言葉に、最終的にリョウも折れた。戦士としても優秀であることは保証されていたので、殊更反論は出来なかった。
そしてアスヴァールからの調略であったとしても、それはそれでいいだろうとティグルは考えた。
待機組に来た勇士は一人。それに対してライトメリッツに戻った方は三名もの勇士を雇うことに成功した。
双子のザクスタン女戦士。『アルヴルーン』と『エルルーン』この二人に関しては、ティグルとリョウは満場一致で配置を決めていた。
『双子の『戦乙女』は、私の部下なのか?』
『ああ、仮称『オルガ隊』とでも言うべきものに彼女らを配置する。意味は分かるな?』
『うん。責任重大だ。けれど二人はそれでいいのか?』
将としての訓練であり、これからのオルガの為を思ったものに対して、双子は自分に使われる事を良しとするのだろうかと考えていた。
歳が近いといえば近いし、身のこなしも良さそうだから、そこ―――『武』に対して不満は無い。問題は自分の下に居ることを許容するのかどうかと言う『気持ちの問題』である。
似た顔の双子だが髪色と髪の結い方で『どっちがどっち』か分かるのに尋ねるオルガ。
『異論は無いの。私の『勇者』を探すためにも『切り込み部隊』に入れられるのは歓迎』
『領主様の意向に従います』
小さな『エレン』と『リム』のような応答の言葉に、一同が視線を『元祖』に向けた。
視線の意味を理解して咳払いをするリムであったが、エレンは笑って『あんな感じだったかな?』と独り言を漏らす。
『分かった。私は平時はティッタさんと同じくアルサスの女中をやっているから二人にもそれをやってもらう。いいかな?』
オルガの命令に頷く双子。こうして彼女らの処遇は決まったのだが―――次いで現れた人間にリムアリーシャの『気』が膨れ上がった。
『……フィグネリアだ。よろしく頼む』
『いや意味は分かるが、何故に俺を前に出すよ?』
リョウの後ろから控えめに声を出して、自己紹介をした女戦士。別に『人見知りフィーネちゃん』などというわけではない。
見知った顔であり、色々と因縁が深い相手がいたからこそ、そんな風だったのだろう。
そして見知った顔の一人が、同じく見知った相手―――雇う判断を下した一人に食って掛かった。
『エレン、彼女が何をしたのか忘れたわけではないでしょう?』
『―――ああ』
『ならば何故?』
声こそ荒げていないもののリムは怒っている。口調といつもの畏まった口調、特に敬称を忘れて―――恐らく彼女らが『姉妹』だった頃のように言う所に動揺が隠せていない。
『私とて怒りが無いわけじゃないさ。ただそれを呑み込むぐらいには……私たちも大人になれたと思うんだ。姉さん』
無表情の『姉』の怒りを和らげようと微笑で語る『妹』。
傭兵団が解散してからの彼女らの苦境。だがその一方で……フィーネも苦しんでいたことを今の二人ならば理解できる。
あの頃には察すること出来なかったフィーネの気持ち。少女ではなく『女』として成熟してきた自分達ならば、あの頃のフィーネの苦悩が分からないわけではない。
『愛する男を殺せ』と依頼されたフィーネの心の苦悩が―――ティグルに対して、もしもジスタート王宮から良くない指令を出された場合。
それを突っぱねるだけの立場と力が今のエレン達にはあるが、あの頃―――ただの傭兵として動いていた自分たちではどうなるか分からない。
それと同じ事だ。だが、もしかしたらばティグルはそれすらも退けて、自分達を懐に収めていた可能性があった。
そしてヴィッサリオンも、その気になれば……フィーネを懐に入れられただろうが……。
『フィーネ。あなたは私達を疎ましく思っていましたか?』
『私が女としてヴィッサリオンに見られるためならば――確かにその考えが無かったわけではないね』
リムの疑問の言葉に対して、観念したのか前に出てきた隼の剣士は、自嘲するような笑みを浮かべて言う。
『けれど……ヴィッサリオンにとってあんた達は守るべき『宝』だった。いずれは蝶よ花よという『女の子』に戻したいとも語っていた』
自分の信じる『国』が出来上がれば、と付け足したフィーネの言葉に姉妹は対照的な表情を見せた。
『だから―――愛し、愛されなかった男に『殺されるならば』、それも運命だってね』
絶対に勝てると思っていたわけではない。勝てたのは―――恐らく偶然だった。
そして、恐らくヴィッサリオンにとっても……自分は『大事にしたい』人の一人だと気付いてしまい。それでも刃は違わず愛した男に突き刺さった。
『けれど生き残ったのは、私だった―――ならば、生きている人間として最低限の義務を果たす。それだけだよリムアリーシャ』
もう少し早めにするべきだったかもしれない。と付け足すフィーネ。
結局の所、お互いに心の中でのしこりがあり、それが戦姫になってからのエレオノーラの行動と心に『棘』を与えていたのだと気付かされた。
特に同僚である戦姫。ラズィーリスと呼ばれる戦姫の『父親』に対する行動と『言葉』が、フィーネには衝撃的だったのだろう。
『あんた達ヴィッサリオンの『娘』が信じた『王様』が、どれほどのものか―――その戦いとあんたらの行く末を見届ける義務があるんだ』
『……分かりました。配置は私に一存させてもらって構わないので?』
『好きにしな。メイドだろうと何だろうとやってやるさ』
勢いや良しな言葉だが、そのメイド服姿を想像した瞬間に―――何人かが口を押さえた。
全員の気持ちは一つであった……。
『イタすぎる』
奉仕するよりもされるほうだろう『姐御役』にそれは似合わなさすぎた。
『って何だって俺だけ蹴られるんだよ!?』
『他の子を蹴るわけにいかないからね。甘んじて受け入れなっ!』
怒りの矛先をリョウ・サカガミだけに向ける乱刃のフィーネの様子に全員が笑って、彼女もまた受け入れられた事が分かった瞬間だった。
そんなこんなで新しき人間、旧知の人間を加えた連合軍のある日の朝。
―――いつも通り、ウィリアムの調子外れの歌で目覚めて、始まった日に―――遂に変化が訪れた。
「エルルちゃん。アルルちゃん。お水お願い出来る?」
「了解なのです侍女長様」
「ティッタ様の手は料理をする為と王様を慰める手。冬の冷水で怪我させません」
そんなことを言うザクスタンの双子達が大瓶を軽々と持ち、川から多くの水を運んでくる様子は二日ほど周囲の人間を驚かせたが、都合一週間も経てば、この『銀の竜星軍』内部で驚くものはいなくなった。
ちなみにティッタは、『前例』とも言えるオルガの力持ちっぷりを知っていたので、そんなもんだろうと考えていた。
色々と間違っているかもしれないが、アルサスのメイド達は逞しすぎた。
そうして朝は過ぎていく筈だったのだが………今日は遂に待ち望んだ変化が起こった日でもあった。
だがティッタにとってはいつもと変わらぬ日でありながらも……聞かされたことを実現する日であった。
ティッタやエルル達が朝の支度をすると同時に兵士達も朝の支度を始めていた。そんな中で、朝の恒例行事ともいえるものはいつも通りであった。
「そんな無駄ものを使うよりも、もっと効率よいものがあるのだよ禿頭のものよ。この地では私の方が先達なのだから素直に忠告を聞いておけ」
「生憎だが、我々の好みには、こちらの『燻方』がいいのだよ。とはいえ、なんならばユーグ殿も含めて試食会でも開こうか?」
塩漬けの豚肉の燻製方法で揉める美形二人。事の大小に関わらず二人が張り合うことが多いのは立場が近すぎるからだろうか……。
そんな二人とは対照的にルーリックと『つるむ』ライトメリッツの騎士達とジェラールの家臣達は案外仲良しになったりしていた。
最終的には『林檎の木』を『チップ』にして燻製しておけという忠言で治まった。
「姐さん! もう一本!!」
「しつこいねぇ。まぁ実戦感覚を取り戻すにはいいか」
ライトメリッツ兵、ブリューヌ兵混合で、歴戦の傭兵にして美女でもあるフィーネに挑みかかる。
木刀、摸擬剣などでの乱取りは、いつでもフィーネの勝ちで終わる。ちなみにフィーネから誰かが一本取れば『賞品』が与えられたりする。
その賞品とは―――フィグネリアの色気ある「寝間着」姿での酌と言う……誰が発案者であるか分かり易すぎるものである。
ちなみに宿営地での綱紀粛清をする立場も務めるリムもこれに同意して、更に言えばフィーネもこれを諾とする辺り「まだまだだな」と誰もが感じていた。
ウィリアムはオリジナルの作曲・作詞の演奏を止めて朝に相応しい「テーマ」を幕営内に流していく。
一日を始めるに相応しく元気が出るものだ。ジスタート・ブリューヌで共に良く聴かれる音楽であって、誰もが時に歩みや動きを止めて聞き惚れるものだ。
芸術家としては甚だ不満だろうが、こうした従軍楽士というものの役目が分かっていないわけではない。
そうした事が起こっている中、竜星軍内では、国と国が『地続き』ではない、関係が薄い人間は何をしているかと言えば………。
―――釣りをしていた。川に釣竿と糸を垂らして―――大物がかかってくれないかという気持ちでいた。
自分達がここに来るまでに雨が降り、更に山からの雪解け水も加わってか、それなりに増水して魚の食いつきも悪くなっているのではないかと思うほどである。
何より、ここで釣れなければ陣内の人間達から『自由騎士に剣才あれども『釣才』なし』などと言われた上に、『次に釣れなきゃ、頭をルーリックみたいにしてやる!』とヤーファで釣果無しを『ボウズ』と呼ぶことからそんなことを言ってしまったのだ。
売り言葉に買い言葉と言えばそれまでだ。しかし、偶には『焼き魚』でも食いたい気分なのは誰もが感じていた。
(『ぬし』を釣れば祟られるからな……とはいえ、仕方ない)
禁断の手である雷の勾玉を出してリーザがやっていたような釣りをしようかと思っていた時に何かが流れてきた。
一瞬、流木かと勘違いしたが、エルルとアルルが瓶を担いで、それを対岸から追っていた。
「若大将ーーー!! あの人を捕まえてーーー!!」
「王様に御用の方なのーーー!!」
呼びかけられて、捕まえられない理由を何となく察する。とはいえ、それとは関係無く今は人命救助である。
エルルとアルルに対岸を挟んで並走しつつ、下流にある適当な川の踏み石をみつけて、そこに先回りして、飛び乗る。
「素は軽―――」
御稜威を唱えて、溺れつつも流れに必死に抵抗する少年を捕まえてエルルとアルルの方へとそのまま飛んでいく。
どうやら意識ははっきりしているらしく、大地に下ろした少年騎士は咳き込んでから佇まいを正して助けられた礼を言ってきた。
「申し訳ありません。騎士殿……人間、無謀な事をするとろくなことにならないことを身を以って知りました」
「何でまた溺れたんだよ?」
「その……双子―――エルルさんとアルルさんが、もの凄い跳躍力で対岸に渡ってきたもので―――男として負けてられないと…意地を張ってしまいました」
同じような年頃ゆえか、婦女子にカッコの悪い事を言ったことで頬を掻いて苦笑している。
頑丈そうな皮と銀で作られた鎧に小剣二本と小弓を持った少年。着ているものと持っているものとがブリューヌ、ザクスタン、ムオジネル……三国ごっちゃまぜという感じで来歴を特定できない。
ただ韋駄天の術を人前で無闇に使ったエルルーン、アルヴルーンを少し叱っておく。
『ごめんなさい』
少年―――黒茶色の髪をしたのに頭を下げる双子。それを受けて少年は気にしなくていいと言った。
そんな少年の笑顔を見て、二人して安堵するのを見つつ、少年少女の情ある行動だけに構っていられないとして、聞くべきことを聞くことにした。
「それで君は何処の誰なんだ。俺は『銀の竜星軍』にて傭兵を務めているものだが、君が伯爵閣下に何の用事でやってきたのか知らなければならない」
「失礼しました。自分はブリューヌ南部マッサリアを修めるマルセイユ家のものです。武公ピエールが孫、文公ヨハンが息子 『ハンス=マルセイユ』―――奸賊テナルディエを討つために伯爵閣下の陣営に入らせていただきたく参上しました」
(あいつには『仁星』でもあるのかね―――)
頭を下げて言ってきたハンス少年の自己紹介を聞きつつ、ティグルに対する評価を改めておく。
そうして再び対岸を『飛び』、竜星軍幕営内に戻る事にした。
彼が本当に登用されるかどうかは分からないが、まぁ会わせて損はあるまいとして、年少組を連れ立って歩いていく。
ある意味では『大物』を釣り上げた自分だが、果たして剃髪を免れるかどうかが疑問であったりもした……。
† † † † †
「……宰相閣下、私はあなたに失望しておりますよ……」
「言ってくれるなロラン。だが国の防人たちに恨まれるのは、今更だ」
宰相の執務室に着席するなりロランは、目の前にいる猫顔の男に言い放つ。それを受けても淡々とするボードワンに歯軋りしたくなる。
現在の王都における政治機能は、「貴族絡み」の陳情を、二大公爵に任せてそれ以外を合議で決めているという有様なのだ。
――――王都に着くなり、寝込んでいるだろう陛下の見舞いではなく、見たくもない奸賊の場所に案内されたときには案内した人間に激怒しそうになったものだ。
そこを抑えて、アスフォール、オルランドゥと共に聞くことにしたのだが、誠に実の無い話であった。
『貴卿の息子が、王都に無断で何の咎も無いというのに、他の領土に軍団を引き入れたことに対しては、何も無いのか?』
アルサス領主の怒りの矛先は、『テナルディエ』だけに向いているだけではないかと問いかける。
皮肉交じりのそれに対して、笑みを浮かべて咎ならばあるではないかと言うテナルディエ。
現にアルサス領主はジスタート軍を引き入れて、ブリューヌに存在している。彼は多くの貴族連中から彼が捕虜として捕まり、身代金を必要としていることを聞いていた。
それゆえにアルサス領主の行動に先んじて行動を起こしただけだと言ってくる。
『あの弓だけが取り柄とかいう軟弱な小僧のことだ。小僧を捕虜とした戦姫の色香に絆されて、領地を売り飛ばすことぐらい考えていただろう』
『預言者でもあなたの側にいるのか? とはいえ、その軟弱な小僧の行いであなたは嫡子を失ったわけだからな。怒りもひとしおということか』
ギロリと目を剥いて睨み付けるテナルディエだが、そんなもので怖気づくロランではない。
ブリューヌの騎士は文武に優れていなければなれぬ狭き登竜門なのだ。たとえブリューヌを代表する貴族だろうと、対応は変わらない。
『―――まぁフェリックス卿の気持ちはともかくとして、現にブリューヌにジスタート軍を引き入れたヴォルン伯爵に対して多くの民も良い感情をしていない。征伐はともかくとして、彼の目的―――フェリックス卿を追い落とすだけではないならば、それを探ってほしいのだよ』
『おや、ガヌロン殿は随分と慈悲深いですな?』
『何かお考えでもあるのですかな?』
南部国境付近を守っているアスフォールとオルランドゥが、そんなワザとらしいことを言ってガヌロンを挑発する。
意図がわからないわけではない。この二大が表面上はともかくとして王権を狙うために日々ろくでもないことをしているのは既知。
もしも一騎当千のジスタート軍を自陣に入れることできれば、それはフェリックスを追い落とす強力な力となりえる。
打算だけで動く人間が、そんな風なことをするわけがない。だがそんな挑発に対して、悪魔のような『顔』をしたガヌロンは苦笑しつつ、口を開いた。
『先に語ったとおり、テナルディエ公爵にも非が無いわけではない。悪事というものは風のごとく伝わるのだからな』
テナルディエ公爵にとって一番の誤算は、己の所業が『悪事』として全土に伝わったことだ。
これに関しては、戦傷者や逃亡兵に対する対処がものを言うのだが、五頭の竜が辺境に行ったらば、『一匹残らず殺されて総指揮官も敗死』などという事の顛末はどんなに隠そうとしても無理な話だった。
息子にかけた期待と保険が―――全て裏目に出た。親心を出した事が最大の仇となるなど、如何に非道な男とはいえ許容できる事態ではなかった。
『ゆえに治めるべきところがあれば、治めるように私が取り計らおうと思う。我らは皆、ブリューヌ王家の臣なのだからな』
言った方も言われたほうも欠片も心から思っていない言葉。だが、一つの案として受け入れておき、仮に彼らがそれでも公爵との決戦を望むならばどうするのだと聞く。
『その時は止むを得まいな。騎士として為すべきことを為すのだよ』
その前にガヌロンの腹心とも言えるグレアストがアルサス伯爵と『会談』をすると言って来たので、それ次第でもあると伝えられた。
そうして――――両公爵からの王代としての命令を聞いた後に、アスフォールとオルランドゥと分かれる形でロランは宰相の執務室へと向かう。
これは二人とも示し合わせていたことだ。
おそらく両公爵は自分たちを陛下および陛下に近いものに近づけさせないつもりだと気付いていた。
アスフォール、オルランドゥに適当に言って公爵派の案内係から離れて、宰相の部屋に向かった。
邪魔が入るかと思われたが、ここに来るまで特に妨害を受けなかった。
『どうやら、予想通りお前が来てくれたようだな……護衛の兵士に道を『作らせて』おいて良かった』
―――そういうことだったらしい。深刻な表情で安堵のため息を突いた宰相との会話が始まったのだ。
「つまりボードワン様『も』、ヴォルン伯爵を排除したいのですか?」
「……少なくとも、何の伺いも立てずに外国の軍を引き入れている彼を認めるわけにはいくまい」
「貴族絡みがやつらに握られている以上、彼の陳情は通りますまい……!」
分かりきったことを繰り返すボードワンに憤怒を抑えて返す。
「今、王宮が伯爵を認めて官軍だと宣言し、騎士たちと一体となれば、奸賊を追い落とせるのです!! 彼の伯爵には陛下も勇者と認めた自由騎士がいるのですよ!!」
「つまりロラン。お前は―――ヴォルン伯爵の資質ではなく自由騎士だけを認めて国の大事を決めよというのか? 例え自由騎士が認めた貴族であろうとも、そこに下心がないと言えまい。現に『大陸』アスヴァールの実権を握ったタラード将軍は、なかなかに野心的な人間だぞ」
自分の知らない情報を挙げられてはロランもそれ以上言えない。自由騎士の『目』と『心』だけで、義の有無を決めていいのかどうか。
そこなのだ。
何事も『最悪の事態』を考えて動かなければならない。政治の世界とはそういうものなのだ。
そうして自分たちが『戦争』を、宰相閣下と陛下が『政争』を生き抜いてきたのだから、その判断も素直にとはいかないが、頷けるというもの。
「……今は耐えてくれロラン。『時』が来るまで我らは刃を研ぎ澄ましておかねばならない……」
「!?―――私はただの平民から騎士になったものですから、領地持ちの貴族達の機微は分かりかねますが……それで王宮に尊崇の念が集まるとは思えませぬ」
時というのが『何』であるかは分かっているが、それまであの奸賊達の暴虐が下にいる者たちに多くの困難を与えるのだ。そう考えれば激発したヴォルン伯爵の心も何となく分からなくもない。
そんな自分の苦悩を知ってか知らずか、宰相は頼みごとをしてきた。
「ああ。だからこそロラン―――汝に『密命』を託す―――デュランダル、ドゥリンダナ―――そして王家に在りし『第三の宝剣』―――『ジョワイユーズ』、それを『持つもの』を探せ。そこに―――今は『昏倒』した陛下の『心』がある――――」
自由騎士の如く託されたものの大きさ―――それを理解し、再びの戦いに挑むには―――己は一度、『死ななければならなかった』。
† † † † †
「俺はかまわないとは思っている。リムが言う何処かの貴族が味方したというわけでなければ、そこまで兵站の消費は多くないだろうからな」
「よっぽどお腹が減っていたとは思いますけどね」
ちょっとした大きさの鍋のシチューが空となったものを見せながら、言うティッタ。だが怒っているわけではなく、もうお代わりはいいのかという意味だったが、この若武者にとってはそうは取られなかった。
「す、すみません奥方様! ここまで殆ど食わずで来ましたので……ですが! 戦働きでは必ずや閣下のお役に立ちます!」
奥方などと言われたティッタだが、それに対して顔を赤くしつつも、アルルとエルルを嗜める辺りに分かっている。
幕営内の軍主要人物は特に反対意見は無かった。ハンスの顔にティグルは無き老公を、そしてジェラ―ルも、既知であったことがそれを円滑にした。
「お前は私に隠しているだけで他の交友関係もあるんじゃないか?」
銀の竜星軍の責任者の一人であるエレンのジト目と共にこちらに問い掛けてきた。それに苦笑しつつティグルも答える。
「いや、俺自身、領主になってからはマスハス卿ぐらいとしか交流していなかったんだよ……父親が生きていたころはあちこちに連れまわされたけど」
その一環の一つ。狩猟祭におけるある『顛末』が、あの老公に評価されていたとは思わなかった。
殆どの人間が、ティグルを責めていたのだが、そこに価値を見出されているとは…。
「我が故郷、マッサリアの海は、時に『黒赤狼』『森原人』の賊が襲い掛かります。そこにてブリューヌの合戦礼法など意味を為しません。求められるべきは、誰にも負けぬ『力』それだけであり、爵位も礼儀も二の次なのです」
そう言い放つハンス。亡くなったピエール卿は、いずれ『海洋騎士団』の一員としてティグルを招きたかったといつも呟いていたと伝えられる。
しかし折り悪くも、武者修行や見聞行などをする前に父ウルスは亡くなった。結果として、自分が南海に赴くことは無かった。
これでリョウのように父親が存命で家督を相続していなければ、そうした経験で、自分の戦いはもう少し楽だったかもしれない。
考えてもしょうがない仮定ではあるが、このブリューヌにブリューヌ人として自分を認めてくれていた人がいることが嬉しかった。
「だが……ピエール様は亡くなられたんだな?」
「―――はい」
祖父から頼まれたこととはいえ、ハンスは勇戦する親族を置き去りにして、ここまでやってきたのだ。
父親こそどうなったかは分からないが、ここに来るまでにマッサリアが砕かれ、ピエールが敗死したのは聞こえてきたはず。
それに耐えるように身を震わせるハンス。その心情が分からぬ者はここにはいない。
誰もが何かを失ってまで、この乱世を生き抜いてきたのだ。だからこそ……ハンスという若武者をティグルは引き入れることにした。
「顔を上げろハンス。お前も見たのならば分かるとおり、テナルディエ公爵は竜を使い、黒い魔獣を使いこのブリューヌを混乱に陥れている元凶―――私は、それを正すためにも友である『自由騎士』『戦姫』と共に戦うことを決意したんだ」
「ヴォルン閣下」
「いずれマッサリアは、取り戻す……その為にも逆賊テナルディエを討つ。力を貸してくれ」
「―――兵の一人もいない私ですが、微力ながら―――全力を尽くします」
感極まり拝跪したハンスの姿。それをリョウは見つつ、彼ならばティグルを支えてくれる『武臣』となれるだろうと思う。
そんな大体の連中の思惑が少し気に入らないのかルーリックが何ともいえぬ表情をしているのが、気がかりである。
「気になるならば腕試しをすればいいだろう」
「ティグルヴルムド卿の判断に、ケチをつけたくはありません」
「いえ、剣の腕と弓の腕―――それを皆さんに教えたくあります。でなければ私はここに受け入れられませんから」
リョウとルーリックの会話を聞いていたハンスは、挑戦的な笑みを浮かべて『戦士』の一人として受け入れてもらうために、ライトメリッツ『いち』の弓取ルーリックに挑み、剣はリムアリーシャが検分することになった。
流石に得手『一番』どうしでは『ハンデ』をどれだけ着けても、正確な実力は測れないだろうということからだった。
『ハンスくん! ファイトーー♪』
「うん! 見ていてね二人とも!!」
双子からの応援を貰いながらそれに奮起するハンス。まぁそれはいいとしても、今後のことを考えて何処の隊に所属させるかが気になる。
幕営から数人がいなくなり指揮官級どうしの話し合いに自然となる。
そこから更に、ハンスの腕試しの為の試験官と野次馬根性な連中がいなくなると、ティグルとリョウの二人だけになった。
「ハンスなんだが……何処に入れるのが最適かな?」
「オルガ隊だな。適正とか以前に、年齢が近い同士の方がいいだろうさ。あいつは俺ほど『一人遊撃』が出来るほど武に卓越していないし、かといって軍団指揮させるには年齢も知り合いも少ない」
ユーグ卿が集めた兵士達の中にどれだけ、マッサリアの後継者『ハンス』のことを知っている連中がいるか分からない。
そういう状況では、適正よりも知り合いや気心の知れた人間同士で組ませた方がいいだろう。
そうしている内に、どこかで『一人立ち』させて指揮させたとしても、誰も文句は言わないはず。
「―――ここに来て結構経つが、未だにテナルディエ公爵に動きは無いな」
「マスハス卿も来ていない―――膠着状態だな」
だが、こういった時に限って厄介な事態は起こるのだ。何気なくリョウは分かっていたので、気を緩めることはしなかった。
「ハンスも聞いてきたが……銀の『竜』星軍というのは中々に面白い名前だ」
「由来を聞けば馬鹿らしくなるがな」
ティッタが残していったお茶を飲みながら、幕営に張られている『軍旗』二枚を重ねたが故の名称決めのことを思い出す。
おそらくエレンはかなり前から考えていたと思われる連合軍の名称、発表された当初はリムは少し戸惑っていたが、それでも最後に少し一悶着あった。
銀もいいだろう。星というのも悪くは無い。しかし、それでは自由騎士のいる意味を察せられないとリムは抗弁してきた。
おそらく撤回させるために、エレンにとっての鬼門であるリョウの存在をどこかに入れなければ意味が無いとしたかったのだろうが――――。
リョウは別にどっかに無理やり含めなくてもいいんじゃないかとしてきたが、頑として譲らぬリムの態度に、裏側の事情を察するのだった。
そんなリムに対してエレンは涼やかな笑みを浮かべて、以下のようなことを言ってきた。
『心配するな。それに関してはサーシャと共に案を出し合った―――お前が反対することを見越した上に誰を『ダシ』にするのか分かっていたようだからな』
結果として呼び名こそシルヴミーティオという名が残ったが、文字で書くとそこには『昇竜』の一文字が加えられていたのだった。
そんな自軍の由来を象徴するように、プラーミャとカーミエも着いて来たりしていた。
カーミエは、アルサスの住人であるのだから仕方ないが、プラーミャに関しては――――。
『獅子は我が子を千尋の谷に放り込んで、鍛え上げるという話があります。故に母として私はプラーミャと断腸の想いで別れます! 次に会うときは千尋の谷を上って竜王としての格を上げたとき――――』
などと語るも、子であるプラーミャは久々に会えたティッタに喜色満面で引っ付いていたりして、話を聞いていなかったりした。
途中で言葉を打ち切ったヴァレンティナの表情は、どこぞの禁忌人形(?)のように絶望しきっていたりした。
『うん。まぁ俺の方でプラーミャは守り鍛えとくよ。だから―――泣くな。いや今は泣け』
そうして、両親(?)は揃って子の成長に涙したりした。同時に、『この場にアレクサンドラがいなくてよかったぁ』と何人かが、指揮官の幕営にて安堵したりした。
結果としてヴァレンティナ・グリンカ・エステスは『竜星王』の子息を、我が陣営の幕下に加えてからいなくなってしまった。
彼女の動向は再び分からなくなってしまったが、少なくともリョウの邪魔をするようなことはなく、自分たちを害するようなことにはならないだろうと考えておくことにした。
「今のブリューヌは『混沌』としか称せられない状況だ。辺境伯が外国の軍の協力の下、大貴族に誅罰を加えんと動き、大貴族は皇太子の死亡と同時に、王宮の権力を握ろうと動き、南部では『ドン・レミ』村を中心に自治村運動が勃発、『奇跡の聖女(ラ・ピュセル)』なるものが扇動を働いている」
「最後は知らないな。何のことだ?」
「ああ、実は――――」
机に広げられたブリューヌ地図の上に次々と石を置いて状況説明をしていた自由騎士の言葉にアルサス伯爵は、耳を聞きとがめた。
しかし、それは突如入ってきた衛兵の報告で途切れることとなった。
「いやはや賑やかな所、突っ切ってきましたが、伯爵閣下とサカガミ卿だけにお伝えした方が良いと思えました」
「ハンスは中々の若武者のようだな」
この幕営の中にも聞こえてくる喝采の声と、ルーリックの悔しげな大声での注文『もう一回勝負だ!』の言葉に、それを感じる。
しかし衛兵の報告を聞き、喜びだけでもいられなくなる。
カロン・アクティル・グレアストなる侯爵位にある男がティグルとの会談を望んできたというのだ。
「どこの貴族なんだ?」
「又聞き程度だけならば、確かガヌロン公爵の『腹心』とか呼ばれている男だったはず」
「――――何故、そんな人が―――?」
色々と憶測は出来るが、とにもかくにもリョウとて人相を知らぬので、一番顔が広いオージェ子爵にも話をしてみることにした。
幕舎を出て、賑やかながらも金属音が響くフィールドを避ける形で老子爵のいる場所に赴くことに。
「少し顔が赤いですな」
「友人の孫があのような武勇備えし戦士になっていたのだ。嬉しくてつい飲みすぎてしまった」
その言葉でハンスのいる方向に目を向けると、剣ではリムを越えるのか、遂に二番手であるフィーネを引っ張り出すことに成功していた。
ハンスの姿を目を細めて見ていた子爵であったが、一度目を閉じてからこちらに問いを発してきた。その目は非常に真剣なものであって、事情は少し理解しているように見える。
「で、お主ら二人して何か用事があると見たが?」
そうして事情を説明すると、先ほどまでの好々爺な顔を歪めた。
「ガヌロン公爵の腹心。顔こそ知らないので、会談には確認の為にご老体にも来てほしいのですよ」
「――――この会談、受けるのかティグル?」
リョウの言葉に一度、瞠目したユーグであったが、ティグルは頷いてから何にせよ話を聞くことも必要だろうと思えた。
「とりあえず陣地ではなく、離れた所で会談をと、どういう用向きかは分かりませんが、一先ず話を聞いてみようとは思います」
「……分かった。サカガミ卿。この老骨はどうなってもいいので、ティグルの身の安全だけは確実によろしくお願いします」
「言われるまでもありませんが、老将軍もこの軍には必要なお方です。一介の騎士としてかならずやお二人を御守りしてみせましょう」
ユーグの言葉にどう考えてもろくな会談にはならないだろうなと若者二人して意見を一致させてしまった瞬間だった。
だが、そんな自分たちの行動はやはり注目を集めていたらしく、護衛を数名だけの会談と考えていたのだが、結局主要なメンバー全員が赴くことになってしまった。
「ティグルの護衛は私だ。お兄さんには悪いけれど、万が一の時でも、その刀が抜かれることは無いよ」
そんなオルガの言葉を皮切りに、隊長、将軍級の人間―――具体的にはティグルに近しい人間全員で『奸賊』の顔を拝見しに行くことになった。
敵になるか味方になるか、それは分からないが……。
「殺すかもしれない相手が大物かどうかぐらいは、この目で見ておきたいもんだ」
「悪い顔をするねアンタ」
フィグネリアの言葉に構わず、静かな殺意を燃やしながら、会談準備を整えるために奔走することになる。
おそらく会談は決裂する。だが、その決裂は決定的であり、『恐怖』を与えるようなものでなければなるまい。
奸賊と和するような男であればティグルとは、ここでお別れだろうが、そうはならないと確信があった。
† † † †
「こっ酷くやられたようだな。バーバ・ヤガー」
「油断していただけ―――などとはいわん……が、遠く東の地はいまだに霊力が強いものが多すぎる……」
あの島国からどれだけの『実力者』がやってくるのか分からないが、七人の戦姫に応じて七の妖魔として存在している自分たちなのだ。
それ以上の数がいれば、簡単に殺されるだろう。
ドレカヴァクの言葉に返しながら最悪の未来を予想するが……そのようなことは、目の前の魔神の前では言えない。
言えば如何なヤガーと言えども殺されるだろうことは見えていたからだ。
「それでモモ様―――どうするのかな?」
「どうするも何も無かろう水魔。小勢である内に叩き潰す。それだけではないか」
「ご尤も」
戦の妙味は将軍―――トルバランほど熟知していないヴォジャノーイと言えども、そのぐらいは分かる。しかし案外、神の一柱というのも我慢が利かないタイプのようだ。
「このままテナルディエの動きに歩調を合わせていてはな。祭りに出遅れてしまう―――ドレカヴァク。貴様は帰ってきたならば予定通りにせよ」
窓に佇んでいた闇の化身の男は、業物の剣を掴んで外へと出ようとする。
「では―――」
「魔剣を奪うついでに『ロラン』なる騎士と遊んでこよう」
「ならば僕も着いていきましょう。婆さんをここまで連れてきただけじゃ少しばかりつまらないからね。婆さん。モモ様からの『贈り物』でちゃんと養生しときなよ。もう若くないんだから」
言いたいことだけ言って部屋を出て行く侍ととその従者たる盗賊にも見える男二人。
見ようによってはサーガにも出てくるかもしれない二人であったが、彼らが刻むのは悪漢としての伝説だけだろう。
その身にあるべきものは世の安寧ではなく世の混沌だけなのだから―――。
† † † †
銀の竜星軍の陣地から二百アルシンは離れた場所に簡易な会談場所が出来上がった。
お互いに伏兵などを潜ませないように周囲に隠れられるような場所は無く、会談も幕中ではなく外で行うことにした。
しかし居並ぶ諸将、諸戦士の数が多すぎた。傍目には年端もいかぬ少女に見えるものもいるが、それでも見るものが見れば、それがどれだけの実力者なのか分かるはず。
だが、残念ながらやってきたグレアスト含め、グレアストの護衛達の中には、そうした武に長じたものはいなかった。
「オージェ子爵」
「うむ。間違いない。グレアストだの」
ティグルが老将軍に確認を取り、やってきた灰色の髪の、如何にも貴公子然とした顔立ち―――しかし、どうにも後ろ暗いことばかりをやっている男の性なのか化粧だけでは隠せぬ『陰気』さが顔に滲んでいた。
そんな男が前に出てきたのを見て、ティグルは前に出て自己紹介をした。それと同時にグレアストもまた自己紹介をしてから銀の竜星軍の人間たちを観察していき、その中にオージェ子爵を確認して意地の悪そうな笑みを浮かばせる。
「オージェ子爵。隠居したと思っていたが、まだまだ元気そうだな」
「息子に爵位をゆずっていきたいところだが、あいにく世の中が平穏ではないのでな」
「せっかく健康なまま老いることが出来たのだ。無理せぬ方がいいだろう」
皮肉の言い合い。それに対して、同席していた息子であるジェラールが抜き差しならない表情でグレアストを睨む。
憤激しては不味いし、かといって父を侮辱されて何もせぬは不孝者というものだ。
ジェラールの顔も既知であったグレアストは父子もろとも鼻で笑った。
―――それだけで、諸将のグレアストの印象は最悪に落ちた。自分たちを幕営させもらっているのは、この子爵家なのだ。
店子として大家に対して義理を果たすは当然。故に―――全員の視線が険しくグレアストに向けられた。
そして次に挨拶したエレオノーラに対する態度は露骨すぎた。そして次々と述べられる言葉の羅列は、ティグルを貶め、エレオノーラの美しさを称えるという―――セクハラと同時に行われるエレオノーラの逆鱗撫でに気づいているのかいないのか。
「そこまでにしておけ。竜殺しの栄誉は俺にもあるのだからな。エレオノーラだけを褒め称えるのは、お門違いだな」
鞘込めの刀をグレアストとエレオノーラの境界に差し出す。殆ど重みを感じぬが当てられた得物の剣呑さにグレアストは視線をやっとのことで、こちらに向けた。
「戦姫殿の他に聞こえてきた噂だが―――まさか真実だとはな。お初にお目にかかる東方剣士リョウ・サカガミ」
「婦女子に対する接触が過ぎるな侯爵。女の扱いは間違えば―――男の地位を簡単に貶める」
挨拶に対して挨拶を返さずに、警告を発する。それに対してどう出るか。
「……肝に銘じておこう。少なくとも戦姫の色子などと称される貴卿だからな」
こちらの視線と言葉でようやく接触を終えたグレアスト。それでも止まらなければ手を斬りおとすぐらいはしていたかもしれない。
そんな自分に笑みを一度浮かべたティグルは表情を真剣なものに変えてから口を開く。
「グレアスト侯爵。我が家の客将が無礼をしたが―――我々は、あなたの口説き文句に時間を浪費したくない。時は金なりという格言をご存知のはず」
「中々に言う……ヴォルン伯爵……」
「リョウ・サカガミの『剣』は私の言葉と同義だと思って『会談』に挑んでいただきたい」
脅すつもりか? と言外にティグルを睨むグレアストだが、ティグルはそれを受け流して、着席するように促す。
リョウとしては一触即発の場にガス抜きをするつもりだったのだが、むしろ―――。
ジェラールとルーリックが自分の両肩をそれぞれで叩いてから、こちらの顔を見ながら親指を立ててきた時には、『お前ら実は仲良しだろ?』などという皮肉を言う間もなくオルガ隊の面々、リムアリーシャ、フィグネリアまで親指を立ててきた。
グレアストに見えぬ位置にて無言で『よくやった!』と言ってくる面々……。
(ガスを『吸い込む』までは予想していなかった……)
皆が手を出せぬ中、自分だけは己の積み上げてきた『威』で、やり返すことだけを考えていたのだが……予想以上の『悪漢』ぶりにみんなの心は一致していたようだ。
とはいえ、その数分後には自分も爆発することになるのは、やはり自分も皆と一緒だったということだ。
着席して酒を銀杯に注ぎ飲み干した後には潤んだ喉が滑らかに舌を滑らせて会談が始まった……もっとも、その実、殆ど喋っていたのはグレアストであった。
要約すると……。
一、テナルディエ公爵と戦うならばガヌロン公爵に着け。
二、ガヌロンの陣営に組すれば、褒美としてテナルディエ公爵の中心都市『ランス』略奪の権利を与える。
三、ただし、協力する以上こちらが要求するものは全て差し出せ。無論、どんな事情であっても拒否は許されない。
四、二番目の条件であるランス陥落のための先陣を斬るのは、銀の竜星軍。
ざっと挙げれば、こんな所だ……しかし、ランスという街に立ち寄ったこともあるリョウとしては、その失陥が容易ではないことも分かっている。
エルルもアルルもあまり良い顔をしていない。数年程度とはいえ住んでいた街なのだ。そこに獣の如きことをやられては良い気分ではないだろう。
「お話は分かりました。同盟者の皆と話し合って明日にでも返事を出させていただきたいと思うのですが」
「いや、返事はいまこの場でもらいたい」
その返答を予想していなかった訳ではないが、随分と性急だとも感じた。
「貴殿に与えられているのは、恭順するか否か―――無論、日和見の中立など許さぬ。仮に汝らが先にテナルディエ公爵を打破出来たとしても、こちらに着いていなければ我らは貴殿らを撃破する」
冷血な視線と共に二者択一だけを求めるグレアスト。それに対してティグルの―――『腹』は既に決まっているだろうことが、老従バートラン、そしてオルガも分かっていた。
一度だけ目を閉じて、射をする際の呼吸、射抜くための集中の動作にも似たことをしてから一言。放った。
「リョウ、グレアスト侯爵に返事を―――」
「―――委細承知」
望んでいた言葉。同時に―――会談場所に鍔と鞘が打ち鳴らされる音が響いた。
「成程、私も東方文化にそれなりに教養ありますので分かるが、曖昧だな。『金打』で返すとは、これでは……」
「あなたが何を言っているのか分からないな」
グレアストの言葉を遮り冷ややかに告げる。呆けた顔をするグレアストだが、次にはその顔のまま『後ろ』に転げ落ちた。
「なっ……!?」
背中に感じる痛みに耐えつつ起き上がるグレアスト。
ことが、ここに至り気づく。先ほどの鍔と鞘が打ち鳴らされたように『見え』『聞こえた』行為。
寸分たがわず斜断されて後ろに転げ落ちるようになった椅子。肘掛すらも斬られていた。
(斬ったというのか、あの一瞬で!?)
知らず嫌な汗をかき、ぞっ、とするグレアスト。ムオジネルにて『協力』しあうことを約束した『男』も語っていた事実。
―――一度、剣が閃けば地獄行き。―――不心得者ならば気づかぬうちに獄卒と対面―――。
神流の剣士は―――そういう『鬼人』だ。その言葉を思い出した。
「侯爵、これがティグルヴルムド・ヴォルン閣下のお心だ。国王の沈滞を好機と見て、乱賊猛々しく王宮の威を着る貴様らに着くことなど我が殿にはあり得ぬわ!!」
「……!! 本気か?……分かっているかどうか知らないが、お前たちの旗を王宮がどう見るかすらわからぬのだぞ…!」
「盗人たけだけしい! 王の領分を犯すさえ重罪だというのに、あまつさえ何の咎もない閣下の土地を狙っていたのは貴様らもテナルディエと同賊! 領民の安堵と国のために立ち上がった閣下の旗を誰が『不義不忠』と言えるものか!!」
理屈、というよりも言葉の勢いでグレアストは呑まれている。
返そうと思えば返せる弁舌だが見事に叩きつけられるそれと、見せ付けられた絶技ゆえに言葉が出てこないのだ。
「後悔するぞ……!」
立ち上がり逃げ腰な姿勢での捨て台詞。しかし、その言葉は全員の心に――――『火』を点けた。
『やれるものならば―――やってみせろ!!!』
ティグルの旗に様々な思惑、感情で集った将星のもの達。
だがそれでもその『旗』にこそ自分たちは『命』を預けたのだ。利害だけではないその『心』に従い誰もがグレアストを睨み己の武器を打ち鳴らして、決意の心とした。
「お引取り願おうグレアスト侯爵。私を信じてくれた人々の為に、ガヌロン公の『旗』に就くことは無い」
最後を締めくくるようなティグルの威厳を込めた言葉。
家臣含めての、その『威圧』に負けたのか、護衛を引き連れて逃げるように、情けない表情を見せながら去っていくグレアスト。
そうして嵐が止むと同時に―――誰もが息を突いた。次いで、張本人ともいえるリョウが愚痴るように言うと皆であれこれ言い合う結果に。
「やってしまったな」
「だがスカッとしたのは間違いない。お前にしては中々に助かった」
イイ笑顔をするエレオノーラ。そうとうあの男のセクハラに辟易していたと見られる。
「サーシャやユージェン様から頼まれていたからな」
―――エレンに寄ってくる蛾。ティグルではどうにも出来ない蛾ならば打ち払え―――。そんなのを受けていたのだ。
しかし、誰もが表情に明るい所を見ると……不満が溜め込まれていたのは事実。
グレアストの要求が緩やかであったならば、陣営内には不満が残った可能性もある。となれば爆発させたのはある意味、必定だったかもしれない。
「いつも冷静な貴卿にしては随分と感情的な声だったな勘定総監?」
「私とて情のある人間なのでな。あの男には非常に我慢ならなかった」
ルーリックのからかいの言葉に、あさっての方向を向き、気恥ずかしいのか、そんなことを言うジェラール。
そんな二人を見て老将軍は穏やかな笑みを浮かべていたりする。
とはいえ、みんなの心情を代弁するように放っていた斥候の一人が陣地にやってきた。
それは待ち望んでいたものでもあったからだ。
斥候の報告を聞いた老将軍は、今度は人の悪い笑みを浮かべてはき捨てる。
「北に一日ほどの距離に緑地に金色の一角獣の旗か、ガヌロン公爵め。最初からそのつもりだったようじゃ」
老将軍の言葉を受けて全員が慌しく動く。中でも先陣務めの「オルガ隊」は早かった。
「エルルとアルルに凶賊の仕業に見せかけて殺させるのは無しの方がいい。真正面から打ち破ってティグルの武威を見せ付けてやる」
『ちぇー』
「やりたかったの!?」
双子の残念そうな言葉にハンスは驚いたが、作業の手は緩めない。
まさかり担いだ金太郎ならぬ『馬太郎』を筆頭にオルガ隊は先手となるべく準備を開始する。
簡易的な会談場所を引き払いつつ、陣地に命令を発するために伝令を出す。
そんな中、総大将であるティグルは、一時命令を中断して自分の侍女である幼馴染に向き直った。
「ティッタ。バートランと何人かを着けるから陣に戻っていてくれ」
主の言葉を聞いたティッタは、少しだけの寂しさを覚えハシバミ色の瞳を濡らし、されどそれを乱暴に拭ってから、主であり想い人である男性を見て、一言を言うことにした。
その一言に己の想いを込めることにした。
「ティグル様……私はティグル様の―――『ご武運お祈りしています』―――」
「―――ああ。絶対に『帰ってくる』―――」
そんな二人の様子にオルガは「しくじった顔」をするも、ティッタはオルガ隊の面々に向き直って口を開く。
「皆もティグル様を頼んだよ」
「任せてくださいなの!」「王様は必ずお守りします」「僕は新参ですが、ヴォルン家の家臣として奮闘します」
「―――うん、任せてティッタさん。ティグル―――私が『ティグルの武運』になってみせるよ」
一度は少しの嫉妬をしたオルガだったが、心の底が一緒であったのを再確認して、そんなことを言う。
「ああ、頼りにしているよオルガ」
そうして家臣たちからの頼りある言葉を聞いてから、全員を見回してティグルは総大将としての務めとして―――号令を発した。
「敵はガヌロン公爵!! 銀の竜星軍の初陣―――勝利で飾るぞ!!」
言葉と同時に天を突かんばかりの意気を上げた諸将。
そうして―――オーランジュ平原の戦いの火蓋は切って落とされたのであった。
あとがき
リム「おめでとう」
ティッタ「お、おめでとうございます!」
サーシャ「お目出度う」
ミラ「お、おめ、おめでとう(涙)」
ソフィー「おめでとう♪」
タラード「おめでとう」
ルーリック「めでたいですなぁ」
ジェラール「お目出度うございます」
ダーマード「おめっとさん」
ルーニエ「(鳴き声で祝福)」
イルダー「おめでとう」
ナウム「おめでたいですね」
リーザ「お、おめ、おめでとぅうう(涙)」
マスハス「目出度いことだ」
ウルス・ティグル母『おめでとう』
ヴィッサリオン・フィーネ『おめでとう』
ティグル・エレン『――――ありがとう』
万雷の拍手喝采の中、二人の想いは通じ合った。
―――父にありがとう。母にさようなら―――。
そして、全ての子供たちに―――。
―――おめでとう―――
……自分で書いていて何ではあるが、まぁBGMは出来るだけ最終回のものを掛けながら読んでみてくれれば、などと考えます。
最新刊の内容に私からも「おめでとう」と言いたくなった。それゆえのSSの原点ともいえるものを書いてみました。それだけ!(苦笑)
ようやく新刊の発売が決まったゼロ魔も似た風な『卒業』シーンがあったからなぁ……。
では、いつもの感想返信を
>>almanosさん
最新刊は大方の予想通りだったとはいえ、まさかそこまでいくかぁ。とか思って原作準拠ならば今作のミラパパの策謀台無し。
まぁ対外的にはともかくティグル的位置づけで『一番』は無くなってしまったわけですからね。
ちなみに魔王御一行は、そろそろブリューヌ南部のドン・レミ村に到着しそうな勢いです。
そんな魔王御一行の一人ネコ侍は、ロランから『妖猫ご師君』などと言われたりします。高い塔の上に住むカリン様みたいなもんです。
合流することになるだろう。いわゆるムオジネル戦は原作以上に苛烈なものになる予定です。
今のところ、ロランはロム兄さんみたいな登場をする予定です。ご期待ください。
ではでは、今回はこんな所で、一迅社文庫からの川口先生の新作を楽しみにしつつ、残り少ない2015年を過ごして生きたいと思います。
お相手はトロイアレイでした。