現れた男は、さなきだに気に食わない男であった。
黒い衣装に黒い長髪―――女のような男だが、その面貌は確実に男であった。
格好だけ見れば、街中で気取った色事師にも見える。しかし、その面構えは女どころか男も食うようなものだ。
まるで隙の無い蛇のように、昔、どこかで聞かされた壷の中の「毒虫」を思い出させる男であった。
「お初にお目にかかるフェリックス閣下、ご助力したく馳せ参じました―――」
「そなたが、魔人か……。一応、聞くが何が出来るかな?」
「剣を少々に妖術を少々といったところです」
妖術―――、何とも不気味な響きだ。そして言葉だけは丁寧ながらも慇懃無礼極まりない所が、どうにもフェリックスには気に食わない。
だが、その緩やかな所作ながらも蛇のような隙の無さが―――武人としてのレベルを物語る。
使える手駒、特に自由騎士と呼ばれるヤーファ人を倒せるだけの武人を欲していたのも事実なのだから。
「名は何と言う?」
「モモタロウとでも呼んでもらえば」
澱みない回答。まるでこちらが出す質問を分かっていたかのような速さ。それを感じながらも、まずは一つやってもらいたいことがあるとして伝える。
「南部の商業都市と縁深い貴族にして私の政敵の一人であるマルセイユというものがいる」
その男はテナルディエとは違い商人の不正な取引やそれらにまつわる目こぼし。賄賂の類を受け取らない男として有名であった。
清廉潔白な男といえばそうであり、ボードワンなどの王宮の臣からも信頼厚い老公である。
一部の商人からの受けは最悪ではあるのだが、その反面、テナルディエの保護している商業都市に比べて海賊からの襲撃も少ない。
それはマルセイユが、領土内の海洋都市に海洋騎士団を組織して航路守備を徹底させてあるからであった。
無論、こちらとてそれなりの軍備は整えているものの、元々の領土ではなく傘下に治めているだけなのでマルセイユのように直接指揮を取れるわけではない。
大きな襲撃あれば、その限りではないが……何にせよ治安維持を完璧にしている貴族なので商人も安心して商売出来るという側面もあった。
「大まかには分かった。だが被害はどれほどだ?」
「焼き払ってしまえ。無論、女は売り払い、貨幣あればそれは全て奪うことだ」
一瞬、一刹那にも満たないはずだが、モモタロウなる男が呟いたような気がした。聞こえぬほどの小声で「つまらん」と聞こえた。
しかしながらその後に聞こえてきた言葉は、従容としたものであり颯爽と身を翻して出て行くモモタロウ。
姿が見えなくなってから、隣に控えていた老人に問う。
「―――あの男、使えるのか?」
「ご安心を、それよりも先程モモタロウ殿が言っていた一兵も着けなくていいという約定は守られた方がよろしいかと」
「魔人とやらの実力を知りたかったのだがな」
「お戯れを」
言葉を最後に下がるドレカヴァク。マルセイユの領地を詳細に教えるためだろう。その様子は―――テナルディエには終ぞ見せない「配下」としての態度に近かった。
やがてそれでもマルセイユの辺りに潜り込ませていた斥候の知らせでテナルディエは知ることとなる。
魔人とは本当に化け物であり……自分はとんでもない悪魔と組んでしまったのだと思い知ることとなった。
† † † † †
戴冠式は順調であった。
円卓信仰の神官達を招き、全土の貴族達を招集して飾り立てた戴冠式。
そして各国のゲストを招いたそれは、冬が近づいているにも関わらず、暖かなものであった。
既にエリオット陣営は見限られたようなものなので、この反応は有り難かった。
しかしながらそんな戴冠式において非常に冷めた人間が一人いた。
各国の人間から様々な挨拶を受けながらも、その顔は朗らかながらも心はとてともなく冷めた人間。
これならば、いっそのことタラードのみが、あいさつ回りを受けていればよかったのではないかとも考えてしまうほどだ。
その冷めた人間―――女性は正統アスヴァール継承者「ギネヴィア」であった。
玉座に座りながら各ゲスト達の様々な秋波や要求をそれぞれ聞いている彼女の様はまさに女王と呼ぶに相応しい。
しかし纏っている蒼―――というよりは冷たい氷のような透ける様な白青のドレスが、彼女の心情を物語っていた。
「機嫌悪いねぇ姐御」
「分かっているならば口に出すな」
「こりゃ失敬……しかしまぁ気持ちは分からなくもないぜ。心は少し違うがな」
傭兵部隊の隊長であるサイモンは渇いた笑みを浮かべる。
今夜は盛装をして騎士風の衣装で宴会にやってきたが、どうにも歴戦の傭兵としての顔とのギャップで場に馴染まない男である。
ルドラーは、そんなサイモンに対して少しの同意をしておく。
あれだけ苦しい戦いの現場で共にやってきた仲間、同士だったのだ。そしてようやく一つの安定を取り戻して全土「島」奪還へと動こうとしている自分達。
それなのにあの男は―――来なかった。
招待状を出して一応、ジスタート王宮にも「出来うることならば自由騎士を」と念押ししたのだが、彼は今、ジスタートの代表として動ける立場にいなかった。
そしてやってきたのは「戦姫の色子」のいないオニガシマの公王閣下達だ。
「寂しすぎて、何より薄情すぎないかよ」
愚痴るような声を出すサイモン、その声の責任は自分にこそあった。
「……恨むなら私を恨め。あの男を遠ざけたかったのは私なのだからな」
「結果として、その紅葉は姐御の打擲ゆえか」
「言うんじゃない」
今でも頬に残る掌の形から残る痛みがぶり返してきたかのように感じる。笑うサイモンから目を離して、半眼で明後日の方向を見る。
見た方向では様々な話をしているタラードとイルダー、どちらも武人として身を立てる王―――武成王なだけに話も合うのだろう。
そんなタラードとイルダーの話の中にそれとなく出てくる男の話題にギネヴィアの耳が大きくなっているような気がする。
話が一段落した辺りでイルダー公王は、玉座にいるギネヴィアに向かって歩いていく。
警戒するほどではないが、女王の侍従が用向きを聞いていた。ダンスの誘いには少し早いが、予約(リザーブ)ぐらいはしにきたのかもしれない。
ギネヴィアもイルダーも独身なのだから、そういった用向きもあり得たが公王閣下は実直であった。
懐から出した便箋一枚。少し膨らんだそれを侍従に渡しながらギネヴィアに小声でどういったものであるかを伝えた。
瞬間―――ギネヴィアは、華が綻んだような笑顔を浮かべてから侍従に便箋であり彼女にとっては『恋文』に近いものを寄越すようにいってきた。
(分かり易すぎる……!!)
アスヴァール家臣、特にタラードと共に革命軍の中核を担ってきたクレスディル、ラフォールなどは内心呆れてしまうほどの変化である。
「やれやれ、ラブレターのメッセンジャーとして公王閣下を使うとは、やっぱりあいつは大物だな」
「……笑い事ですか? まぁ誰に言ってもしょうがない話ですが……」
諸国の物笑いの種になるのではないか? という質問をやってきた美麗の青年―――タラード・グラムに投げかけるが、それに対しても呵呵大笑している。
「これはある意味では脅しにも使える。正統アスヴァールを今後狙うことあらば、自由騎士は想い寄せる姫君のためならば、駆けつけるという、な」
「……それ本当ですか?」
「いいんだよ噂なんて尾鰭付く形で流言させればいいんだからな。そんな噂でびびっている所を強襲させればいいんだ」
事実、彼もそんな風なことがあったそうだ。
ヤーファでの主君の危機―――謀反を起こした逆臣を倒すために、残った主君の家臣と共に敵対勢力などに「主君」は生きていると調略で信じさせることで、逆臣の行動を封じ込めたそうだ。
結果として天下分け目の決戦―――『天海軍団』と『温羅軍団』の総力を結集させた闘いにて、一進一退の実力伯仲した合戦。
それの趨勢を決めたのは―――現れた主君である「魔王」の一軍の登場が、逆臣を壊滅に追い込んだ。
「あいつ曰く、『虚報や偽報というのは姿なき軍団』だって言っていたからな」
「それを有効に使えるのだから、あいつが率いてくれれば傭兵軍団は常勝だったんだよ」
「情けないと思わないのですかサイモン」
タラードの感心するような言葉、それに追随するサイモンを諌めるがルドラーも、それは無駄だろうと思えた。
しかし正統アスヴァールを包む問題はまだ多い。休戦条約の後も不気味な沈黙を続けているコルチェスター。
無論、傷が深いのはあちらも同じだが、革命の混乱期に襲ってくると思っていただけに、肩透かしを食らった気分だ。
(本当にリョウの影に怯えて震えてくれればいいんだが)
既にコルチェスターからこちらへの亡命者は多い。あちらも一応はエリオット配下の貴族・将などで統率を保っているが内部での瓦解は始まりつつある。
要請次第では、こちらから条約を破ることで宣戦布告することになるかもしれない。亡命者の中には、あちらに親兄弟を残してきた人間も多いのだから。
「まぁその前に内部崩壊が起こってくれればいいんだけどな。間諜は潜り込めているんだろ?」
「ええ、後々まとめた報告も上げますので―――今は、ギネヴィア女王の機嫌を取ってきてくださいよ閣下」
「一度ふられたってのに未練がましく誘えってのかよ」
「正統アスヴァールの柱はあなたとギネヴィア王女なんですから情けない男でもいいからやるんですよ」
私情など知ったことではない。王になりたければそこを飲み下せと言外に伝えると、本当にしぶしぶな表情でタラードは玉座の女王に踊りの誘いを掛けていき、それに上機嫌な様子で応じるギネヴィアである。
周りの人間は、その変節をどう取るかは賭けである。タラードの求婚が実りつつあるのか、自由騎士の恋文に機嫌を良くしたのか。
「半々で良いんじゃないか? 姐御だって本気でリョウと結婚出来るなんて思っていないだろうし」
王族としての責務であり戦乱の世における姫の運命を彼女だって知らないわけではないはずだ。としてお前の心配など杞憂だとするサイモンに、ルドラーは呆然とする。
「姐御だって年頃の女だからこそ好いた男性にまだ恋に恋したいだけだ……熱病みたいなもんだろ」
時と共に忘れるものだとするサイモンに、何故そこまで詳しいのか問い掛ける。
「―――聞いたのか?」
「それなりにな。ただアスヴァール全土を治めるまでは、一人の『ブレトワルダ』として『昇竜』を共にして戦いたいっては言っていた。あんまり気を張りすぎるなよルドラー、仮にもしも黒髪の子が姐御から生まれたとしてもそれはアスヴァールの血の継承者なんだからよ」
小姑かお前は。と呆れるように言ってからサイモンは火酒を口に含む。ジスタート製の上等なものだ。
話題に出ている人物は現在、ジスタートからブリューヌへと動いている。アスヴァールに近い位置に来てくれたといえばそうだが、来ることは当分無さそうだ。
「しかし、リョウが頼りにしているとかいうブリューヌ貴族……どんな人間なのか興味あるね」
「傀儡ということもありえるが」
「そんな奴をあいつが立てるわけ無いな」
つまりは、その貴族は後のブリューヌの指導者に近い人間ということだ。
興味がありつつも、当分は見ることが出来ないだろうとして―――その場はそういう結論で自由騎士の話題は終わった。
何よりあの男だけに構っても居られない。
自分達にとって必要なのはこれからのアスヴァールに支援してくれる人間なのだから―――。去っていった人間はどうあれ、頼るに頼れないのが普通なのだ。
(そう言えばあの詩人(バード)は、邪竜殺しの伝説を完成させるために出て行ったな……正直、残念だ)
ラフォール以上に技術屋な人間でありながらも、実用性よりも趣味的なものばかり作る人間であったが、その技術力は惜しかった。
そして彼にとっては現代の英雄のサーガを作り上げていく方が故郷の大事よりも重要だったのだ。
去るもの、残るもの、来訪するもの、と様々な人間が入り乱れるアスヴァール。それをまとめるのは自分達、残るものなのだから―――。
ルドラーは決意してから、葡萄酒(ヴィノー)で口を湿らせてから各国大使への口添えを行うことにした。
† † † † †
ガヌロン支配するアルテシウムは厳重な警戒態勢で支配されていた。正しく来て欲しくないもの達を拒むような様だ。都市自体に入るのですら、厳重な顔照合と割符の照合が行われており、ちょっとした長蛇の列が出来ていた。
ここで生活している者たちにとって、これはとても不便なものだろうが、領主であるガヌロンが王宮に行っている間に間諜の一匹でも入れては、自分達が殺されてしまうのだから衛兵達もそれらを厳にしなければならない。
表向きの理由はそれだったが、裏向きの理由としてはそうではなかった。
そもそもアルテシウムは歴史ある都市である。詳しくは知らないが建国王シャルルが、ブリューヌ建国以前より存在していたこの都市を守るのにガヌロン家を登用したという話。
同時に、建国王は代々の王族にアルテシウムでの戴冠儀式を行うように言ったのだ。
それらの伝統が廃れてから、かなりの時間が経っている。どういった事情があるかは知らないが、それでもこのルテティアの都市アルテシウムには自分がブリューヌ王族として認められるべきものがあるはずなのだ。
「ただいま帰りました」
「ご苦労様」
木陰で休みながら、待ち人を待っていたのだが様子から察するに芳しくは無さそうだ。
この都市での名産である林檎酒(リンメー)を水で割ったものを、木陰に入ってきた自分と同じような旅着の女性に渡す。
駆けつけ一杯を飲み干した彼女。美麗な女性でありながらも、腰にあるべき得物が彼女をただの美人ではないと示していた。
「都市は言わずもがな。モーシアの神殿、共同墓地全てに厳重な警備を敷いていますよ」
もう一杯を注いで渡すと女性―――ジャンヌは飲み干した。
ジャンヌの報告を聞いてから、レギンは考える。これはつまりテナルディエ公爵への備えというよりも、自分を近づけさせないためだろう。
つまりガヌロンは自分達が生存していると知っているのだ。ディナントで幕舎に入ってきた手のものは、ガヌロン配下だったのかと思いつつ、これからどうしたものかと考える。
「このまま北部地域に留まるのは拙いですね。いつまた刺客を差し向けられるか分かりませんから」
少し視線を話した先にはアルテシウムがある。しかし、精々300アルシン先にある街。そこに入ることは至難の技だ。
五つの門全てが厳重な警備を敷いている上に、自分はそこまで卓越した運動能力を持っていない。
「王宮はガヌロンが居て重要決済に関して取りまとめようとしている。そして南部はテナルディエの支配地域……とはいえ、逃れるとすればそちらですか」
「南部……ならば私の故郷に行きますか。そこで『奸賊討つべし』で義勇兵を募りましょう」
「いいんですかジャンヌ?」
「私すらも死んだことになっているのです。パラディン騎士の偽者として追われた以上、汚名は濯ぎたいのですよ」
腰のドゥリンダナを鳴らして宣言するジャンヌのはしばみ色の目が闘志に溢れる。
彼女はあのディナントでの戦の後にある女剣士、黒髪の双剣士と打ち合って生き残った。
ロランのライバルが自由騎士であるのならば、自分のライバルはあの炎の双剣握る剣士―――恐らく戦姫だとしてきた。
「それとレギンの調べて欲しいこと『アルサス領主』。彼は生きていたそうです」
「!? 本当ですか!?」
そうして自分の懸念の一つを解消してきたジャンヌだが、その後には何とも「はらはら」するようなことを報告してきた。
生きていたアルサス領主。ティグルヴルムド=ヴォルンであるが、彼はジスタート戦姫の捕虜となっていた。
その後、アルサス領主は自領に迫るテナルディエ公爵の軍勢をジスタート……自分達がディナントで戦った戦姫の公国軍の力を借りて退けたという話だ。
「民衆の反応はどうなんですか?」
「……賛意が二、反意五、不明三といったところです」
どんなに裁量権ある戦姫の公国とはいえジスタートは外国なのだ。そんな連中が他国に踏み込んできたのだから、不安がる気持ちは分かる。
しかし公爵が何の理由も無く自国の貴族の土地を踏み荒らしたのだ。それに対する反発もある。
だが、アルサスなど辺境もいいところであるのだから人々の関心も薄い。
しかしながら、テナルディエ遠征軍がディナントでの国軍と同じく敗残の兵となって帰ってきたことは伝わっており、ジスタート恐るべしという意見もある。
「……どうにも要領を得ませんね」
「同感です。しかしながらこの後のアルサス伯爵の考えは分かります」
「ネメタクムへと兵を向ける……」
自分の領土に土足、鉄靴で入り込んできた賊に対してティグルは行動を開始するはずとしてきたジャンヌの言葉を否定できない。
あの伯爵に、そこまでの覇気があったとは少しだけ見くびっていた面もある。
しかし彼の心に従う強軍あれば公爵と戦うことは可能だろう。
「どうします? 今からならばアルサスに行けますけど」
「―――恋敵に啖呵切って出てきたんです……そんなかっこ悪いことできません……」
いじけるようなレギンにジャンヌも掛ける言葉が無い。溜め息を明後日の方向に吐く。
「とはいえ……状況が動けば、もう一度サングロエルに潜り込むチャンスがあるかもしれません……ティグルヴルムドには悪いですがジスタート軍と共に両公爵を引っ掻き回してもらいましょう」
「悪女ですねレギン。そんな方にお仕え出来て私はとても嬉しいです」
笑いながらの皮肉に口を曲げつつも、それぐらいしか今は出来ないのだ。
そして、この混乱状況の中で動く可能性がある国がある。
ムオジネルだ。あの砂の狼達が、南部から侵攻する可能性もあるのだから、そちらに対する対処も必要になるはずだ。
民に認められるためにも武功なども必要だ。何より南部には頼れる人間がいるのだ。
「マルセイユ公は、私のことを知っていますからね。ドンレミで義勇兵を組織しつつ接触しましょう」
レギンは自分の近親者以外で、公式に「知っている人間」の一人だとして身分保障は可能のはずだとした。
そして後々にティグルヴルムドの軍に入ればいいだけだ。
そこで己の身分を明かして、ティグルヴルムドを官軍として認めさせればいいだけである。
上手くいくかどうかはわからないが、今の自分にとって出来ることはそれぐらいだ。
休ませていた馬はどうやら回復したようであり、鼻を鳴らしてきた。
出発して向かう所は―――ブリューヌ南部。そこでこそ運命を変えるのだ。変えるためにも戦う―――未来の女王は、そう心に決めて馬に跨った。
† † † † †
―――あなたは中々に無理難題を仰いますな―――
訪れたオルミュッツ工房の中でも最高の鍛冶師を集めたもの達を前に放った言葉に対する反応である。
正直予想通り過ぎて、自分はこの後に言う言葉に苦労はしなかった。
オニガシマで見つかった稀少鉱物の塊―――これを溶かすには、「火の国」の「始原の炎」が必要だったが、それを解決したのはタトラとは違う山に住んでいる竜王の炎だった。
更にその火を持続することが出来る炉の設計を見せてオルミュッツの鍛冶師達を納得させた。
もっとも産出量がそこまで多くないわけで、作られるものは、炭素や他の金属と混ぜ合わせることで、売りつける予定であるが、自分が求めたのは純粋に―――。
「このミスリルだけで打ち鍛えた槍―――柄も刃も石突きすらもとは……贅沢なものを所望しますな」
慣れない敬語を使っているだろう鍛冶長に、二人の名工を思い出しつつ、俺も手伝うと言う。
それにこれは、其方にとっても夢の具現化であると伝える。
「あんたらジスタートの職人にとって超えたい理想があるはずだ。―――『竜で作られた武器』などという言葉で表現された『理想』」
『不可能なこと』の例えとして言われたものでありながらも、それを実際にジスタート人達は知っていた。
特に公国住人達は、それこそが外連味溢れる儀礼のものでないことを。
『竜具(ヴィラルト)』
詳しい事情は知らないだろうが、建国王が七人の妃に渡したという神秘の武器の伝説を。
そしてそれは現存している。見たことがあるものもいるだろう。だからこそ職人であるならば誰もが求めるはずだ。
目に見える限りでの最強の武器を越えたものを。
『竜具に匹敵する武器を―――作りたい、と』
一連の説明を聞かされた職人達は腕組みしながらも足を震えさせたり、拳を握り締めて震わせていた。
それは恐らく怒りではなく―――歓喜だろう。
「剣だけでなく口も上手いようですな自由騎士殿は……」
「しかし親方、戦姫様からも言われておりますから便宜を図りましょうや。それにレグニーツァやルヴーシュの連中だって似たようなもの作ってるはず……話によれば燃える鉄球を吐き出す兵器を作っているとかいう話も」
他都市に負けてられないとして、若手の職人が立ち上がり年配の人間達に詰め寄っている。
それに対して、鍛冶長も観念したのか了承をした。そして、要求をすると―――とりあえず実物を見せろといわれた。
『刃』だけであるが、それは彼らの考えの慮外にあるものであった。似たものとして斧槍などもあるが、それとも似て非なる武器。
ヤーファにおいては、勇将、猛将が愛用せし戦士の武器であった。
その名は―――――――――――。
・
・
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屋根が吹き飛ぶと同時に、窓の方に移動して外の様子を窺う。予想通りというか何というか既に展開が果たされていた。
屋敷の外、庭先である牧歌的な雰囲気の庭に黒ずくめの下手人が見える限りでは、七人展開していた。
エレオノーラの竜技で吹き飛んだのを含めれば八人。しかし格好から察するに、暗殺者だろうが――――。
思考を終えてから、二階の窓をガラスごと吹き飛ばして―――三人が躍り出た。
三つの窓から出てきた自分達に驚く暗殺者達。
ダイヤモンドダストにも似たガラスの雨にも構わず、暗殺者に得物を向ける。注意が自分達の落下店に向いた所で―――。
「くらいなさいっ!!」
先手を取ったのはミラであった。ガラスの雨に紛らせていた本物の「ダイヤモンドダスト」が、凍漣から放たれて落下点から外れていた一人を襲う。
完全な奇襲であり、降り注ぐだけであったはずのガラスが方向を変えたと見えただろうが、その中にあった氷の刃が一人を地面に縫い付けた。
そこを狙い済まして同じく長柄の武器が襲う。ヤーファ鍛造の達人武器―――3アルシンを越えた『槍』の石突を暗殺者の心臓―――背後から撃つことで気絶させた。
気は早いがまずは口を割らせるための捕虜を確保すると同時に落下点を読んでいた一人の暗殺者が、無手で向かってきた。
自信家かそれとも何かあるのかと思ったが、とりあえず風を切るほどの「突き」を放つ。
紙一重で躱して、自分に肉薄する前に槍を手前に「引いた」。
すると暗殺者の首は落ちて、持っていただろう毒物が死体ごとエレオノーラの庭園を濡らした。
そういう手か―――と思うと同時に、暗殺者たちの視線が、自分の持つ蒼黒の槍の―――形状に向けられた。
一本の槍刃、その根元から両側に枝葉のように三日月のような刃が出ていたから当然だろう。
ヤーファ銘『千鳥十文字槍』オルミュッツ銘『クローヴァ』と命名されたもの。
それが引くと同時に首を落としたのだ。
槍の要訣の一つ、『突く』からの『斬る』への変化が剣よりも予想できないからこその攻撃である。
(後ろの奴からしても鎖帷子を着込んでいる―――狙うべきは首元だ)
もっとも戦姫の竜具ならば、そんな事は杞憂だろうが『千鳥』を構えなおすリョウは手近な相手に再びの突をかける。
「ぐっ!!」
「重さはあまり無いんだが、切れ味がいいからな―――速さと切れ味の良さで死ね」
重さ自体は己の「五体」を十分に生かして発揮させればいいだけだ。ダガーで受け損なった一人はバックステップで逃げ、そこに左右から二人の暗殺者が迫る。長柄の武器の弱点を突こうと懐に入り込もうとしているが、横に構えて待ち受ける体勢を取ると、暗殺者の「意気」が分かる。
こちらの悪手を嘲笑っているのだろうが、しかし――――平行に持った『千鳥』の両端に重みが乗る。
赤と青の戦姫が同時で、槍に脚を乗せた。
女性二人の重みを受けても一瞬だけの重圧であり、槍を足場にして飛び上がると瞠目する暗殺者。己たちを飛び越えた赤と青に動揺する。
バックステップで逃げていた暗殺者も驚き、その一瞬の虚を利用して地面がめくれて土が吹き上がるほどの踏み込みと同時の突きは、喉元を真っ直ぐ貫き、血を噴出させる。
絶命した暗殺者から槍を抜くと同時に、着地した赤と青は背後から左右の暗殺者を襲う。
「しまっ―――」
失態を悟った暗殺者の声に、燃え上がる『斬音』と凍てつく『薙ぎ音』が重なって焼死体と凍死体が出来上がる。
見える限りでは残り二人、庭園の一番外側にいて殊更警戒してくる―――こいつらは、先とは違いレベルが違う。
されどリョウは自分に意識を向けさせた。構えを取り先の高速突を放つという意識を向けて一歩を踏むと同時に、聞こえる風切り音。
飛来した矢は、暗殺者の鉢金ごと頭蓋を貫き絶命させた。上から飛来したそれは完全に無警戒であったらしい。
崩れかけの天井の梁に乗り、不安定な足場でも放った矢が一人を打ち倒すと同時に、もう一方にも殆ど時間差無しで向かうが、『矢捌き』をして暗殺者に掴み取られた。
ティグルの仕事は、ここまでだとして最後の一人に近かったサーシャが向かうも、暗殺者が懐から出した『何か』がサーシャに投げつけられる。
飛来物の形状に見覚えあり過ぎて、サーシャを制止しようとするも―――。
「べっ!」
「サーシャ!!」
飛来物を切った瞬間に吹き荒れる『煙』。シノビが持つ『鳥の子』という道具であり、いわゆる煙幕玉である。
原理としては単純な発煙装置なのだが、この鳥の子は恐らく『火薬』も多く使っているらしく、鼻を突く臭いがとんでもない。
煙を突っ切って、彼女の身の安全を確認する。もしも罠であったとしても問題は無い。
「アリファール!」
単純な呼びかけで、一陣の風が吹き荒れて煙が吹き散った。散った先には―――見える限りではなんら変哲の無いサーシャ。
肩を抱き、黒真珠の瞳や肌に変化が無いかを確かめるのだが……。
「そんなに見つめないで、濡れてしまいそうだよ……」
何がだ? という疑問はさておき、恥ずかしがる声を聞けた時点で、確認事項は全て終わった。
「さっきの煙玉に毒物でも入っていた可能性を探ったが、瞳孔に変化もないし、声も大丈夫みたいだ。ただ火薬を近場で吸ったから刺激臭で鼻がやられてると思う」
「そうだね。けどリョウの匂いだけは記憶に残っているよ」
熱っぽい瞳が、こちらに向けられたが、とりあえず離れて後ろでフォローを入れてくれた戦姫に礼を言う。
「お前を助けたわけじゃない。サーシャを助けたんだ」
「それで構わないさ……死んでいる……!?」
いつも通りなやり取りの後にエレオノーラの後ろ、口を割らせるための暗殺者一人が死んでいた。
「首横に毒針が刺さっていた。恐らくお前達が他の連中に構っている間に、こちらかの刺客に潜んでいた人間が口封じの為に。といったところだろうな」
嘆息して示すエレオノーラ、見える限りでは七人の内の六人が死んだことになる。一人を取り逃がしたこと。そしてこんな「こちら」に有利な戦場で戦った事と言い、お粗末な襲撃としか思えない。
「しかしまぁ派手にやったもんだな。この別荘どうするんだ?」
「柱はまだ大丈夫だろうが、まぁ燃やしてまた作ればいいだけだ。サーシャ頼む」
金持ちを羨むような目をするティグルの肩に手を置きつつ、自分達は死体処理だとしてスコップを渡すことにした。
必要なものやまだ使えそうで持ち出せる調度品を出していく女性陣を見つつ、自分達は埋葬。一応、身分を示すものを持っていないかと持ち物を探る。
「毒物が多いな……そして―――」
「腕に刻まれた鎖の刺青―――、蜂の紋様か……」
屋敷から離れた所に穴をこしらえると共に遺品整理をすると出るわ出るわと―――、蜂の紋様を刻まれたものは女であった。
そして女の大半は毒筒を持っていた。一舐めして芥子と附子を用いた調合だと分かる。調合の比率は一番覚えがあるもの。
(甲賀忍……歩き巫女か……)
母国の間諜の二大里の内の一つを思わせる調合毒であり、下手人の正体を看破した瞬間でもある。
あのザイアン・テナルディエの侍女が裏にいると分かった。
埋葬を終えると同時に盛大な焚き火になっている別荘の方へティグルと共に戻ると、この後にどうするのかを聞く。
「再びの襲撃があると見ていいだろう。その前に山を下りてロドニークの街に向かう」
ここはあまりにも暗殺者にとって有利な戦場だ。どこかの森からの不意の襲撃も有り得るので、さっさと人の集まる場所に赴くことで、襲撃を難しくする。
エレオノーラの提案は最適ではあったが、それならば調度品を持っていくのは落ち度になり得ないかと思う。
「安心しろ。お前の『ミイツ』とやらで馬の速度を上げてもらう。輸送作戦の要だ。頼むぞリョウ」
「満面の笑みでとんでもないこと言うね。おまけに個人の力におんぶにだっこだし」
それは作戦とはいわない。と内心でのみ愚痴る。
嫌になるほどの笑みを浮かべるエレオノーラを半眼で見ながらも、それが最善だろうなと感じてその提案を受けた。
「何か悪いなリョウ」
「もう諦めたよ。あの年下からの意地悪に対抗するのはさ」
溜め息突きながら、荷物を馬に下げていく。そんな中、ティグルは先程の武器は何なのかを聞いてきた。
「義兄様が我が領地の鍛冶師達に特注で頼んだミスリルスピア、形状はヤーファで使われてきたものらしいけれど、私たちは「クローヴァ」と呼ばせてもらってるわ」
「何でそんなものを、刀だけじゃ駄目なのか?」
ティグルは純粋に聞いてきている。特に嫌味でもなく本当の疑問として聞いてきた。
結局の所、確かに刀は良い武器だ。
達人が使えば馬上でも難なくだが、やはりどんなに戦術や防具が優秀でも古代から現代にいたるまで戦争において優秀な装備というのは、槍などの長柄武器なのだ。
時と場合にもよるが、多対一が発生することもある戦争において多くの者を相手取るには相手に近づかせない武器が必要になる。
「ゆえに俺は欲しくなったんだよ。それ以外にも原因はあるが……」
自分は「有名」になりすぎた。刀を差している武芸者、それもヤーファ人が珍しいからなのか、簡単に身分が割れることが多い。
ジェラールが自分を知っていたのもそれだとして、出会いの経緯をティグルに話す。それこそが最大の原因でもあるとして―――。
馬に乗り込みミラのラヴィアスで鎮火された別荘を後にしつつ、そうしたことを話すとティグルは考え込む様子を取る。
「槍か……」
思うところあったのか、ティグルは考え込んでからエレオノーラを見て、少し紅くなっていた。
何があったのかは知らないが、セクハラじみたことを考えたことは間違い無さそうだ。
同様にエレオノーラも紅くなっていたのだから。
「僕としては槍だからと何でその形状にしたかが気になるよ。ヤーファの槍だって直刃が殆どなんだろ? 何でそんな「三枚刃」にしたのさ」
「言いたいことは分かるが、あまりにも胡乱過ぎるぞサーシャ」
千鳥の形状は、丁度どこぞの両刃の大鎌に対になるよう両端の刃の切っ先が上向いている。
これは、確かに鎌と同じく引いて首を掻き切るという「突」からの「斬」を容易にする機構でしかないのだが、サーシャのふくれっ面の原因が察せられないわけではない。
柄に使われるミスリルの軽さ故に、バランスを崩してもいいから大型の「十文字刃」を頼むと頼んだが……そこは埒外であった。
「僕も『反射炉』で作ったレグニーツァ製の特殊武器贈るから絶対受け取ってよ。約束だよ」
「分かったから、あんまり顔近づけないで、愛しくて抱きしめたくなる」
「馬上でサーシャといちゃつくな!! ほらロドニークが見えてきたぞ!! というかお前の御稜威は便利だな。馬が速すぎ軽すぎて殆ど時間がかからなかった!!」
「怒るか、褒めるか、どっちかにした方がした方がいいと思うぞエレン。語気が混ざっている」
そんなこんなしつつライトメリッツ領の一つ。ロドニークの街が見えてきた。
入って見ると、そこは街というよりもすこし大きめの村といった感じであり、露店も並んでいるが数は少ない―――しかしそれなりの活気には溢れている。
何か主要な産業でもなければ、ここまでの賑やかさは生まれないはずだが……。
「ここは温泉が湧き出ているんだ。街道から外れた湯治場といったところであり、宿場町としても賑わっている―――要は、観光産業で成り立っている」
ティグルも同じ疑問を感じたらしく、エレオノーラに問い掛け、その答えが自分の耳にも入ってきた。
それを聞いて、温泉と言えば、「甲斐」と「越後」だよなと考える。
最初に考えたのは甲斐の方であった。
『色んな温泉に入れば、『天上天下』しなくても「ぼいんぼいん」になれるはずー。だから私の目的は『天下湯一』といったところー』
などとのたまっていた女の子を思い出すと同時に――――。
『ふふん! 私のところの温泉は弘法大師が見つけた由緒正しき名泉なんだから、身体の発育でアンタに勝つのも当然よねー♪』
などと身体をくねらせて挑発した女を思い出して――――。
その後の戦いが怖かった。伝説に語られる獅子人(ナラシンハ)と戦う阿修羅仏(アスラ・マズダ)といった風であり、戦姫同士の戦い以上にとんでもない余波が―――両国の間に新たな温泉が出来上がることで一応の決着を見た。
今更ながら我が国の『姫将』達の実力とは『神器』の力に己の『血』の力を重ねるからこそなのだろうと考える。
余計なことを考えていた自分に老人―――昔は吟遊詩人だっただろう人物の古びた「翼弦琴(グスリ)」の音が響き、この後どうするのかをエレオノーラが話す。
「私は、あの別荘の管理をしてくれていたものに給金、退職金を支払ってくる。その後、再びの工事の手配をしておく」
ライトメリッツに帰ってからでもいいだろうが、荷物である調度品を適当な所で換金してそこに己の路銀を加えるといったところか。
別荘を建て直せば再雇用の旨も告げるはずだろう。
エレオノーラの決断の早さと行動の早さは、いずれ来るだろう「魔王」を思わせる。
「荷物持ちが必要だな」
「俺が着いていこう。ティグル、お前とミラは『旅館』まで私物を頼めるか?」
「ああ、けどそれならば―――」
自分が調度品を持つのが筋ではないか? というティグルの躊躇いを切り捨てたのは、ミラの言葉だった。
「いいわよヴォルン伯爵。あなたに私をエスコートすることを許可するわ」
「俺もこの町は初めてなんだけど……まぁ目的地は分かるしな。ゆっくりしながら向かうか」
お腹減ったと言わんばかりに腹を鳴らすミラ、それに付いて行くティグル。三人が分かれて目的地へと向かうルートを取る。
まだティグルのミラへの交渉は続いているのだから、それは当然だが……やはりティグルを女の子と二人っきりにさせるのは独占欲が強いエレオノーラにとっては容認しがたいものなのだろう。
睨み付けるようなエレンを促す形で歩き出すサーシャの苦笑を見つつ、果たしてどうなるやらと考える。
† † † † †
「ありがとう」
「何に対する礼なんだ?」
「色々よ。今食べている麦粥(カーシャ)もその一つだけど」
大きなものはもう一つあるのだろうと考えられるリュドミラ・ルリエの言葉。
露店から離れた所にあるテーブルに掛けつつ、麦粥を食べる彼女の様子を見る。
熱いものを良く冷ましながら食べるリュドミラのそれはやはり年頃の少女にしか見えなかった。
「女性の顔をまじまじと見るのはどうかと思うわ」
「いや美味しそうに食べてくれるんで、買ってきた甲斐があったと思ってね」
取らないからゆっくり食べてくれと言うと、顔を少し赤らめつつも麦粥をスプーンで掬って食べていく。
そうして何度目かで掬った麦粥のスプーンをこちらに差し出してきた―――リュドミラがだ。
「え」
「あなたのお金で買った麦粥なんだからあなたにも食べる権利はあるはずよ。ほら『あーん』しなさい」
いきなりな行動と年頃の少女な言動に呆気に取られつつも、リュドミラも少し恥ずかしいのだろうと思いつつ早めに口を開き近づく。
(というかこれって間接的な接吻―――)
胡乱な考えに思い至った時すでに遅し、樹のスプーンごと白濁の粥を飲み干した。
「美味しい?」
「―――ああ、美味かった」
今ならば、土塊を放られても食えそうな気がする。至近に迫ったリュドミラの顔の端正さに見惚れてしまったのも一つだろう。
ティグルは通常以上の美味さをその麦粥に感じていた。そんな様子に満足したのかリュドミラは語りだす。
「こうして知らぬ街を見て回るのも良いわね。少しだけオルガの気持ちが分かった気がするわ」
意外な人物の名前が出てきて、少し驚くがお互いに何度かの「咀嚼」を終えてから、皿とスプーンを店主に返そうとするリュドミラの立ち上がりに同じく対応する。
「ご馳走様。美味しかったわ―――チーズを入れてリゾット形式にするともっと美味しくなるかもしれない」
「仰るとおり。しかしこの辺りに良質なチーズを提供できるブリューヌ貴族がいないもので……」
リュドミラは店主に気軽な提案をすると、店主もそれは考えていたらしく肩を竦めつつ返した。
「春先には良いものが入ってくるわ」
その言葉の意味は分かる。つまりはまぁそういう事だ。
ちょっとしたお礼を受け取ってからロドニークの町の主要産業―――大浴場に行くことにした。
「行きましょうティグルヴルムド卿」
「ティグルでいいよ。呼びにくいだろうし」
「まだあなたの格を私は定めてはいないわ。だから節度を守らせてもらう」
手強いな。と思いつつも姫君のエスコートをしていく。
だが、陰謀とかそういう生臭いもの関係なく、この少女と一緒にいることが悪くないと思う自分がいることにティグルは―――戦姫の色子に感化されすぎだろうかと真剣に悩んでしまった。
† † † † †
「待てと言っていたはずだが……何故動いた?」
「も、申し訳ありません! サラ様が一度だけ自由騎士を地に伏せさせたということを聞いていたので、功を焦りました!!」
森の中で待てと言ったにも関わらず、その命令を無視して戦いに赴いた愚か者の生き残りを睥睨して言うサラの形相は命令を忠実に実行した連中をも戦かせていた。
しかし、戦姫が三人に自由騎士一人に弓持ち一人……恐らく最後の弓持ちが件の「伯爵」だろうが。
問題は『誰』がザイアンを『殺した』か、だ。
それに辿り着いたとしても、どうやって殺すかだ。正直、戦姫が三人もいるなど予想外だ。戦力の厚みが違いすぎる。
「連中はロドニークに逗留しているのは確かだな?」
「も、もちろんです! 八蜂(ユイップ)の一人として、それだけは確認しておきましたゆえ!!」
「分かった。ならばロドニークからライトメリッツに戻る街道で仕掛ける。木々の枝の如く、森に住まう獣の如く襲撃まで気配を殺す」
その言葉を受けて、生き残った暗殺者集団は今度こそ失敗など出来ないと感じた。そして散らばる。ロドニークの近くの森から最適な襲撃場所へと「鎖の蜂」は向かう。
そうしつつ、合流までに時間がかかったものの、上手くいったこともある。
『剣士には暗殺者、戦姫には戦姫をぶつける』
大旦那の言葉を脳内で再生させつつ、戦姫に戦姫をぶつける手筈は整った。あの別荘とロドニークでどれだけ懇々と論を説いたとしても、『彼女』は確実に自分達の思う通りに動く。
いや動かなければならない。動かなければ喪われるものがあるはずなのだから。
「情というものは時に力にもなりえるが―――時に、弱点にもなりえる」
冷たい言葉を吐きながら、情を捨て去った女忍は決戦の時を待つことにした。その行動理由が―――『情』によるものだという矛盾を抱えたままに――――
† † † † †
「やれやれ、こんなに立派ならばオルガ達も連れてくるんだったかもな」
「今のアルサスからの山道だとヴォージュの行きと帰りでチャラになりそうだけどな」
汗を流したはいいがまたもや汗を掻く結果になってしまえば意味は無さそうだ。もっとも湯治の主目的は故郷と同じで療養目的だが。
そして―――三つある大浴場がちゃんと区切られていることに安堵する。レグニーツァのようなことにはなりそうにない。
安堵もそこそこに旅館に泊まれるかどうかを確認する。部屋数をどうするかという段で―――。
「エレン。僕がリョウと同部屋になるから、後の二部屋は君らで決めなよ」
「いや待て!! 何でそうなる!? とりあえず私とサーシャで一部屋、ティグル一部屋、リュドミラと色魔で一部屋でいいだろう!」
「普通に考えて俺とリョウが同部屋。女子は……まぁ部屋割りは任せるけど二部屋取ればいいんじゃないかな?」
私欲満々なサーシャの提案。それを閃光のような言で封じ込めたエレオノーラ、それに対して男同士で楽にしようぜ提案をするティグル。
まともな提案はティグルだろう。一応、義兄と慕ってくる女の子がいるので、そういった『豊かな場面』は見せたくない。
多数決及び人間関係を重要にした結果、変則的ながらもティグル案が採用されることになった。
「一人で大丈夫かい?」
「問題ないわ。自分のことは自分で出来るわよ」
サーシャの気遣いはそういうことではないのだが、とりあえず彼女のプライドを気遣ってそれ以上はサーシャもいわなかった。
そうして三部屋取り、男二人でとりあえずリラックスする風になれたのは幸いだったのかもしれない。
「しかしまぁエレンとリュドミラの仲の悪さはとんでもないな」
「王宮にも伝わっているよ。あの二人の犬猿っぷりはな。触らぬ神に祟りなしとばかりに皆諦めている」
事実、仲裁することはあれども改善させようという気はサーシャにもソフィーにもない。
こういうのは当事者間で行うことでもあるからだが、まぁこれ以上は憶測である。
「襲撃は―――テナルディエ公爵の手のものと考えていいのか?」
寝台二つの内の一つに己の荷物を置きながらティグルはそう聞いてきた。
推測を交えながらも、それで間違いないとする。敵と同じような装備、同じような戦い方の人間が公爵の家にいたことを伝える。
「だが戦姫相手には不十分だ。如何に妖術、呪術にも精通しているシノビだとしても……奇襲で先手こそ取れても勝てはしない」
問題はないはずだとして、ティグルを安心させる。問題は、どうしてここが分かったかである。
「―――リュドミラが尾けられた可能性は?」
「有り得る。俺が襲撃されたのも彼女の屋敷から出た後だったからな……まぁ間者なんてどこに紛れているか分からんよ」
街の大小に関わらず、居るところには居るのだ。それが分かるかどうかは勘でしかない。
もっともティグルの領地にそんな奴はいないだろう。セレスタの街の住人の結束は強く余所者を独特の嗅覚で見つけ出して、報告するぐらいは出来るはず。
今から放ったとしても、ろくな活動は出来ないだろう。
「んじゃ早速、風呂に行って『モノ』の大きさ勝負でもするか?」
「何でだよ!? というかリョウ、お前そんなことするの!?」
「ジスタートに来てからは殆ど女の子としか主要な関わりなかったからな。こういう明け透けなことが出来る男友達が出来て嬉しいよ」
「そんなことで嬉しがられても……」
おどけるようなこちらの言葉に驚き苦笑するティグルだが、アスヴァールではそんなことばかりであった。
男として絶対に持っている「剣」がどれだけの「業物」であるかを示すは男子の沽券の一つだ。
単純に―――男同士でバカをしたいというだけだが……武士というよりも貴族なティグルは乗り気ではないのかもしれない。
「気が向いたらというか、本当に男だけの時にしよう。流石に女の子と一緒の宿泊でそれは拙いと思う」
「……言われてみると似たような経験がある……」
アスヴァールでのことを思い出して自戒する。ただあの姫君はそういったことに興味津々すぎて逆に引いてしまった。
「そして俺は、リムに全裸を見られたことがある」
「んなことがあったのかよ……」
どういう状況でそうなったのかは不明だが、顔を真っ赤にしているティグルを見るに、かなり「良い思い出」のようだ。
にやけてなければ真逆の感想だっはず。
「それじゃ俺は先に風呂頂いとくよ。ちゃんと窓は開けて匂いが篭らないようにしておいてくれ」
「おい待て。別に一人になったからとそんなことするわけないだろ」
「溜め込まない内に吐き出しとけ。魅力的過ぎる女性三人ともう少し一緒にいるんだからさ」
こちらの笑いながらの言葉に不貞腐れるように『弓の手入れをしている』と応えたティグル。からかいすぎたかと思うも、時折、顔を真っ赤にしてにやけたりするのを見ると、「発散」はするだろうと確信出来た。
バートランさん達、セレスタ住人の切なる願いという『依頼』。
ティグルが勢い余ってエレオノーラと『にゃんにゃん』という状況は回避できたはずである。として部屋を本当に出て湯治場へ向かうことにした。
―――もっとも、そんなやり取りの最中に黒弓が「歓喜で震える」ように見えたのが、幸か不幸か自分だけであったのは秘密である。
あとがき
まず最初に言いたいことがあったりする……
ルイズ!ルイズ!ルイズ!ルイズぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!! あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ルイズルイズルイズぅううぁわぁああああ!!! あぁクンカクンカ!(以下 略)
もはやご存知の方がいること間違いなしの、あれが帰ってくる! ゼロの使い魔が帰ってくる! 病床にありながら、後世の為に最後までの「物語」を託したヤマグチノボル先生の作家魂、いや漢意気に俺は感動している。
改めて冥福を祈りつつ前文のコピペを少し申し訳なく思う。だって感動を表すには、それしかないのだから。
では感想返信を。
>>放浪人さん
原作だと低レベルな言い争い。子供過ぎる嫌がらせの応酬と、どちらかといえば年頃の女の子どうしの『お前は生理的に気に入らない』と言わんばかりの醜いことになっていますね。
あんまり原作なぞった流れや言葉を書き写すというのは二次創作以前に創作家としてどうなのかと思いますからね。(というか首と手が疲れる……既存の言葉を写すというのは)
……まぁ他の作品で参考にした言葉、策なんかもあるにはあるんですが、ご容赦ください。
エレンの動揺の代わりに今作では、リュドミラが弱さを見せます。
エレンからすればリムは副官以上に姉みたいなものですからね。今作では「情」による動揺は「ミラ」に移りました。
そう考えると、ティグルにとってのバートランと同じく、エレンが病んで「戦姫」でなくなる時は「リム死亡」なのではないかと思う。
史実でも謀反人として知られるミツヒデにとって一番『良く仕えた』のは同じく『下克上』を得意としてきた人間だと私は思っていますからね。
油売りから大名とか、すごすぎだろ。きっと当時でも妖怪ウォッ○なみに大人気だったに違いない。(笑)
>>almanosさん
ええ、モチーフとしてはそれですね。いずれこいつは、山田先生の伝奇小説の如く蘇った「英雄」と戦うことになります。
まだまだ先の話なんですけどね。そこまでいけるかどうか、それまでに新しい展開が思いついてしまっているかもしれないです。
呪いは、後々どういった理由でかけられたか説明します。具体的には『悪妻だなんだと言われてもワシは妻を心から愛しているのだ』といったところですね。
ちなみにカズサだけを「女」と認識出来ないのは、リョウにも「母からの愛」という名の「呪い」をかけられているからです。
松永久秀に相当する人物―――いれば、原作のティナと気があいそうで怖い(笑)
ミラは、ある意味リョウに突き放されて少しぶすっとしていた所に『馴れ馴れしいが、核心突いているなコイツ』と言う風にティグルを原作より早く見直しています。
ただ領主としてはいいかもしれないが「男」としてどうなんだ? というのを測っている所です。
まぁ次話でエレンちゃん大激怒、ミラ苦衷の日々と題されるような展開が出てくるはずです。ご期待ください。
とそんな所ですかね。しかしゼロの使い魔の続巻が決まって、本当に嬉しかった。
志半ばでこの世を去る創作者がいる中でも一つの物語の「最後」を後世に託すと言うのは一大の偉業でしょうね。
ゼロ魔の続巻と七月の12巻を期待しつつ、今回はここまでお相手はトロイアレイでした。