朝の目覚めは唐突だった。ティッタというアルサス領主の侍女が起こしに来る前に目が覚めた。
大軍が近づいている音、まだ距離はあれどもそれでも近づいてきている。
それを耳にした時から起き上がった。窓の外からは見えないが、間違いなく近づいてきている。
身支度を整えて、戦支度をしておく。かつてペレス村で戦った時は余裕が無さすぎた。しかし、今は少しだけの余裕もある。
(止めるヤツもいないしな……まぁこれでタラードが残ると言えばあいつの革命を助ける理由になっただろうが……)
お前の片腕にならなかったのは、そこだ。と此処には居ない相手に言う。
「ウラさん! えっ……どうしたんですか? その格好……?」
勢い良く開けた扉の向こうにいた男の格好にティッタは疑問が出る。
「ここを襲う鼠賊を切り殺すための格好だ。君は早めに避難した方がいい。若い娘が戦においてどうなるかぐらいは知っているだろう」
手甲と脚甲を着けて、肌に鎖帷子を着込んで羽織を纏いて全てを切り裂く覚悟を決める。
そんな格好を見たティッタは、呆然としつつも……拒否しようとする。
この問題は、アルサスの問題だというのに、旅人……それなりに武芸にも達者だろうが、それでも傭兵一人で何かが出来るわけがない。
しかし、何故か止められない。この人はどうやっても止められぬ戦で勝ち抜けるのではないかとーーー戦の神トリグラフの託宣を受けたかのように、ティッタはその人間を止められなかった。
「私は避難しませんーーーティグル様が帰ってくるまで、この館は侍女である私が守るんです」
心意気は買うが……と思いながら、リョウはティッタを止められないと感じていた。彼女は何処かで自分の母親同じく神奉る家系の人間であろうと感じていた。
恐らくその領主の帰りを受け止めるまで彼女はここを動かないだろう。
「分かった……だが、この家が一番大きいから狙われる……これを持っておくといい」
瞬間、取り出したのは守り刀。短刀に近いが女でも振るえるだろう重量の武器。
「これは……?」
「俺のお袋の形見なんだ。そいつでやってくるだろう賊を殺してやれ……酷かもしれないが、陵辱されそうになったらば、それで自害するぐらいの気概は持て……ただここの領主が帰ってくるまで生きようとはしてくれ」
この栗色の髪持つ侍女が想い寄せるものが誰かは分かっていた。だからこそ彼女を守ることは、ここに座していた王を守ることにも繋がる。
「そんな大事なもの……!」
「バターナイフよりはマシだろう……それでは行ってくる。行くぞプラーミャ」
ティッタに一礼したプラーミャは、己のやるべきことを分かっている。領主不在だからと船倉に巣くう鼠のごとくやってくる鼠賊共を殺すのに何の躊躇いもない。
館を出ると、やはり混乱が起こっている。避難も予定通り進んでいるとは言えないだろう。
そんな中、革鎧を着込んで鉄槍を持っている老人が、普段着……少しばかり素材良い服を着ている老人二人と話し込んでいる。
「……失礼、ここの兵士長とお見受けする。私をーーーーーー」
そうして鬼の侍は、「魔弾の王」の「国」を守る「騎士」として戦うこととなった。
† † † †
紅茶の馥郁たる香りが充満する。己の心身を緩ませるほどのものでありながらも、その場において二人の女性はぐったりして、すっかり貴人としての相好を崩して椅子に体重を完全に預けていた。
何とか入れた紅茶だが、どちらも口を付けない。というかそれをする余裕も無いというのが現実だ。
「まさか……ここまで疲れるとは思っていなかったわ…というよりもどれだけこの国はブリューヌと取引をしているのかしらね……」
「裕福な国ですからね……なによりここまで両公爵の動きが早いとは……」
金髪と黒髪の女性二人がここまで疲れたのは、簡単に言えばブリューヌの政変の動きが早すぎたというのもある。一つの国が二つに割れて、覇権を奪い合う。
それがジスタートまで波及した。しかし……どちらにせよ動けるようにしたのは大きかった。
ティナとしても、己の野望の為にブリューヌを利用するというのは考えていたからスムーズに行った。
特に自分の傍に「自由騎士」がいるのが気に食わないという連中の多くにはブリューヌを割譲することで、そこの太守にリョウを就かせようという意見を出すことで動かした。
非戦派には、ブリューヌを手に入れるメリットを話す。
また参戦派には、ブリューヌという火中の栗を手に入れることのデメリット、具体的には…反乱貴族、盗賊、現体制への不満分子―――特にガヌロン、テナルディエの政策の苛烈さによって生まれている反動勢力の大きさを話すことで、仮に両公爵に肩入れ、もしくは共倒れしたとしても後に残るは、ゲリラ共ばかりでまともな取引も出来なくなる。
そんな風な話でブリューヌに介入するデメリットを話した。
一見、逆の手法に見えるかもしれないが、これは人を動かすうえでの話術の一つだ。どちらも「利」を得て「損」をしたくないというのだから同じ穴の貉。
そんな彼らを自由に動かすには己の主意見の他に『そういうこと』もあるとして自由に動かすことだ。
そうなった時に話し方次第では反対勢力は同調勢力となり、逆もまた然りである。
(けれど……リョウを手元に置いておきたいんですよね。特にカザコフ様は、随分と熱心でしたわ)
理由は分かる。いまやオニガシマはもう一つの公国にして国だ。今の所イルダーはこちらにかかりっきりであり、領地であるビドゴーシュに対しては代官を立てて統治しているぐらいだ。
オニガシマが自由騎士リョウ・サカガミの領地にいずれはなり、彼がヴィクトールのもう一つの懐刀になると思っていた貴族は多い。
しかし彼は自由騎士の名に恥じぬようにブリューヌでも友好を結び、ヤーファの大使という枠を超えて動いている。
結果として得られた領地は、イルダーの公国として繁栄している。
その隙を狙ってカザコフはビドゴーシュ及び北部地方に対して大きな影響力を得たいと思っている。無論、それを許さないのはエリザヴェータと自分である。
(イルダー様がいなくなるだけで、ここまでとは……あんまりにも度が過ぎるようでしたら)
自分の大鎌が遠慮なく振るわれる。それだけの話だ。無論、その際に出るものは残さず自分が「保護」しようとは思っているが。
「ところでソフィーヤ、外は任せてましたけれど、そちらは大丈夫なんですか?」
「ご心配なく。商会、組合、神殿……全て押さえてあるわ。残るは私が直接ブリューヌなど各国に向かうしかないでしょうけど」
後は大使としての動きだけだ。内部調整は、ここで大半は行われるが、外部調整は直接王宮などに向かわなければならないのだ。
しかしここまでお膳立てしておきながらも、どこかでこれを「壊してくれないか」という欲求がティナにはある。謀略・策略―――そんなものを全て無にしてしまう。
チェス盤をひっくり返すほどの何かが……。それをもたらすのは東方より来た「昇竜」
「――――――おや、随分と疲れているようだね。まぁ苦労は察するけれども淑女の威が欠片も無いよ」
「殿方が見ていないところでぐらい、こうしていてもいいでしょう。というか何をしに来たんですか?」
ソフィーヤとヴァレンティナ。二人が良く利用する王宮の執務室に入り込んできたのは、彼女らの同輩。数週間前までディナント平原での戦いの主役に同行していた焔の戦姫でる。
「知っている相手とそんなに知らない相手がもしかしたらば接点があるかもしれないなんて聞いたからね。少し意見具申しようかと思って」
知っている相手というのは恐らく「ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵」、そして知らない相手とは「戦姫オルガ・タム」だろう。
丁度いいと言えば丁度いい。どうやら彼女はヴォルン伯爵をそれなりに知っているようだ。
人柄、知略、武芸の程……それらを知れば、どう動くのか何となく分かるだろう。
「人柄は……リョウに似ているかな? まぁ彼の場合、与えられた環境が人格形成に影響したんだろうけれど…」
アルサスなる土地は山林多く、平地少ない所らしく村三つに街一つという場所だ。そんな辺境に住んでいれば、落ち着いた性格ではあろう。しかし、リョウの場合は牙を向けるべき時に向けるのだから少し違うような気もする。
「とはいえ彼も一角の武芸は持っている。そして領地を守るためだったらば、どんな手も使うだろうね」
大敗したディナントで生き残った一人の男。その男が、どう動くのか……。
「出来うることならばエレンには彼を解放してほしいわ。何せオルガの身柄預かり人だとすれば粗相があっては、どうしようもないでしょうし」
ソフィーヤが、そんな風に言ってくるものの、エレオノーラはアレクサンドラの言葉によれば、弓の武芸に惚れこんで彼を捕虜にしたとのこと。
可能ならば部下にしたいという思惑が見える。エレオノーラの思考をトレースするに、どうにも……不器用なスカウトをしているはず。
そんな相手が爵位や金銭で動くものか。そういう男が動くのは―――己の誇りを守るためだけだ。
「リョウをハーレムで釣れなかった私が思うに、その男性―――何が何でもアルサスに戻ろうとしているでしょうね」
「エレンのスカウトは不発か……けど、オルガがいる以上あまり拘束しているのも悪いだろう。働きかけも必要かな?」
執務室の椅子に座りながら、アレクサンドラは言う。しかしその前に事態は風雲急を告げそうなのだ。
三日前、カザコフに働きかけた時に…情報役の人間が、気になる話を持ちかけてきた。
テナルディエ公爵の軍勢がジスタート方面に向けて進軍してきていると…。
決戦を行うならばアルテシウムのガヌロン公にありもしない咎を着せて南下するはずだが、ランスに終結した軍勢は、真っ直ぐ北上しているとの話。
「……そう言えばヴァレンティナ、リョウはブリューヌにいるんだよね? どの辺に今いるかとか知らない?」
「知っていたとしても貴女には教えない…などと意地の悪いことは言いません。こちらも掴めてませんよ。ただ王宮とディナントを往復したところまでは把握しています」
アレクサンドラの質問に紅茶で喉を湿らせながら応える。しかし、確かにリョウの動きが把握出来ていない。
しかし、何かが一致してくるような気がする。
ブリューヌの内乱、領主不在の地、エレオノーラ、オルガ、ヴォルン伯爵、機能不全の王宮、自由騎士――――進軍中のテナルディエ公爵の軍団。
勢いよく立ち上がり、予想以下の推測の妄想……が自分を熱くした。このままでは……もしかしたらばという想いだ。
(……リョウは、アルサスに居る!)
しかし確信として言い切れる。何というか分かるのだ。自由騎士の考えが―――、彼が教えてくれたファーロンからの期待が。
――――――彼を戦に向かわせるのだ。
「どうしたの?」
何か探られるような目でソフィーヤが見てきたので、自然な笑顔を作り『急に花摘みしたくなりましたわ』と色々と台無しにしながらも、執務室を出る。
こちらの心の動揺を押し殺しながら回廊を歩いていく。王宮にいる人間達はこちらの早足に少しだけ驚いているが、そういう目は後で弁解出来る。今は不名誉を負ってでも向かわなければならない。
エザンディスの転移は、長距離を行くとしても……その場所の正確な所を思い浮かべなければならないのだが……。
(アルサス……というよりも、リョウのいる場所をイメージする……プラーミャも思い浮かべつつ…)
それしかない。
人目に付かない所を見つけると同時に、大鎌を呼び出す。封妖の裂空を杖のように持ち集中する。
己の髪も浮かび上がり、光が円状に広がる。ここまでの集中では、着いた時にはかなり消耗しているのではないかと思うも、眼を瞑りイメージするは一人の男性の姿。我が子の姿。
(見えた―――――!)
変化したのか巨竜となった我が子が街の前で門番のようにふさがり、それより前、500アルシンの所に、今まで見たことない東方の鎧を身に着けたリョウの姿。
かつてアスヴァ―ルにて「蒼金の騎士(エクスカリバー)」とも称された彼の姿は、これなのだと分かり胸が熱くなりながらも、そこに向かうために大鎌を振るい切り裂き転移をおこなーーー。
「待ちなさいヴァレンティナ!!」「抜け駆けとか随分と姑息―――」
刹那、聞こえてきた声に集中が途切れつつも王宮から彼女は即座に姿を消した。
彼女がいたのは、華の匂い漂う庭園の一つであり、少しだけ散らかる花弁が彼女の痕跡である。
執務室を出て行ったヴァレンティナを最初から、二人とも安穏と見送ったわけではない。
最初から疑っていたソフィーとサーシャだったが、彼女の転移能力の程が分からないので、少しだけ放っておいたのだが、探し当てた庭園にいたヴァレンティナが、今にも転移しそうになっていたのを見た時には―――。
「間違いない……リョウはアルサスにいるんだ! ヴァレンティナはそれを何かで理解したんだ!」
叫ぶサーシャを尻目に、犬か。という感想が卑しくもソフィーは思い浮かんだ。しかし、考えてみれば彼女の勘の良さと情報精査能力を考えれば、予想できた事態ではある。
それにしても、何たる行動の速さ。
「どうしようかしら?」
「今から僕たちが向かった時には、開戦には間に合わない……こういう時に彼女はずるいんだ……」
「拗ねないでよ。まぁとにかく一度はリョウも王宮に戻ってくるでしょ。その時―――いっぱい甘えたら?」
涙を浮かべ、少女のようにいじけるサーシャに言いながら、考えるに本当に忙しいのはアルサスでの戦いの後だ。
ティグルヴルムド・ヴォルン―――、リョウ・サカガミ―――。
二人が邂逅してどうなるか。それを考えつつソフィーは何か運命のようなものを感じていた。
一方とはまだ会ってもいないというのに、それでもこの二人の出会いが、この西方を席巻するものを生み出すと思えるのだ。
† † †
そんな虚影の幻姫の転移の数刻前に、リョウはバートランの話に付き合いつつも、この街を完全に守るのは無理だろうと思っていた。
「時間を稼ぐ。その間に神殿や山に逃げ込んでください。ティグルヴルムド・ヴォルン閣下がどうお考えかは分かりませんが、命さえあれば、この土地は生き残れる……なるたけ鼠賊共に痛撃を与えるつもりですが」
「……何故、わしらに御助力してくれるんで?」
一応、バートランには己が何者であるかは語った。信じてくれるかどうかは五分五分だったが、オードの貴族マスハスは、この老兵士とはかなりの世間話をしていたらしく、自分が自由騎士だと信じてくれた。
そして昨夜考えていた懸念は、ただの杞憂であった。これが一番の安心ごとであった。
「一宿一飯の恩義と……まぁ、俺の誇りが、奴らの所業を許しておけないんですよ。それだけです」
言うと同時に、鬼哭を握りしめる。
「……では予定していた通りで?」
「ええ、俺が裏切ることあれば、城門を閉ざしてしまって構いません。後ろから矢を射かけてしまって構いませんよ」
というよりも最初から門は閉ざす予定だ。そして門の前には人質として「息子」を置いておく。
最初に自分は軍使として奴らの幕舎へと赴く。最初はこの街の有力者が向かう予定だったが、最初から乱捕りをする予定の連中にそんなものは無意味だとして、自分が向かうことにした。
「……申し訳ない。わしらがやらなければならないことなのに……」
「本当に気にしないでください兵士長殿、あなた方はヴォルン伯爵の領民、それを自覚して今は動いてください」
バートラン以下、宿舎に集まったアルサスの兵士達を前にして、何も恐れは無かった。
この一戦で果てるつもりはない。しかし、ここの領民は伯爵閣下を本当に愛しているのだと理解して故郷を思い出させた。
義を見てせざるは勇なきなり。武士としてやるべきことをやる。
「じゃあプラーミャ、ちゃんと留守番しつつティッタさんを守るために頑張るんだぞ。父さんは、鼠共を駆逐してくる」
頭を撫でながら言い含める。不安げな視線を、自分に向けつつも頷く竜王の子息。
「いい子だ」
もう一度頭を撫でてから、焔の勾玉を渡しておく。
「では行って参ります」
兵士宿舎を辞してから、外に馬を走らせる。
大軍であり、噂通り―――竜を引き連れている。普通の人間であるならば恐慌してしまいそうな軍勢を、街から一ベルスタの所に見る。
「やれやれ我ながら神経がどうにかなってしまいそうだ」
しかし―――戦意は衰えない。己の使命はまだここで終わらない。
それが分かっているのだ。
† † †
幕舎では、今すぐにでも街を襲わせろという意見が飛び交う。それを聞きながらザイアンは心臓が思うように動かないのを自覚していた。
まるで自分の意思を持たないかのように……自分が無くなるかのような感覚を覚える。
「失礼します。セレスタの軍使と名乗るものがやってきていますが……如何しますか?」
「軍使だと……ヴォルンは、虜囚の身だと聞いている。何者だ?」
平静を装いながら幕舎に入ってきた兵士に尋ねる。旅の傭兵だと名乗り……蒼い鎧を着こんでいると言う。
「要求は何だ? 裏切り略奪の手伝いでもしにきたのか?」
「いえ……軍を退かせろ……さもなければ無駄な死人が出ると言っております……」
兵士の怯えたような、その言葉に、幕舎に大笑が湧き上がった。たかだか旅の傭兵風情が……英雄気取りか。そういう考えでのものだ。
ザイアンもそれには同意であり、笑いこそしなかったが殺して武器を奪い死体は街に投げ入れろと指示をした。
その指示を受けて兵士は戻った。誰もが勝利と獣欲を満たすことしか考えない場所。それに辟易しつつもザイアンは、次なる命令を出そうとした瞬間、悲鳴が聞こえた。
幕舎の外にて絶叫が上がる。悲鳴が上がる。しかしそれは一瞬、悲鳴も絶叫も一瞬で終わる。
「なっ……!?」
竜が制御出来なくなったかと思うもの、何か幻覚でも見て狂乱した兵士いたかと思うも、その考えは無くなる。
幕舎の中に投げ込まれる十の飛来物―――。それは兵士の生首であった。
兜をつけていなければ分からなかったが、確実にテナルディエの兵士であった。中には先程伝令しに来た兵士の顔がある。その顔は死相で染まりきっている。
そして生首の後にやってきたのは蒼金の鎧を身に纏った黒髪の男。
まるで幽鬼のような、人ではない雰囲気を感じさせる。しかしその男の持つ剣が紅に染まっており、下手人がこいつであると理解出来た。
「やれやれ生首十を放り込んでようやく幕舎に行けるか……難儀なことだが、話し合おうじゃないか、平原の鼠共」
「貴様ッ!」
入り込んできた凶手くずれ。近くにいて激高した騎士一人が剣を手にしようとした瞬間、首が吹き飛んだ。
斬撃が見えぬほどに早かった。閃光が走ると同時に命脈は尽きた。
全員の血の気が引く。何たる早業。招かれざる侵入者は死神かと思うも一人の騎士が正体を見抜いた。
「じ、自由騎士! 東方剣士リョウ・サカガミッ!!」
全員の視線が一度だけ正体を見抜いた騎士に向けられてから、再び自由騎士に向けられる。
その視線は全て恐怖に彩られている。当然だ。何故そんな大人物がここにいるのだと……。
「お前が、鼠賊の親玉か……見たことあるな……」
真っ直ぐに総大将であるザイアンの方を眼で射抜く、見る者すべてを「ヒト」ではないとする眼。
声は謳うように軽い。僅かな殺意すら無い、殺す相手を「ヒト」として認識していない声。
「何故、あなたのような人物が……アルサスにいるのだ……!」
「それは、どうでもいいな。俺は言ったはずだ。軍を退かせろ。でなければ無駄な死人が出ると……こいつらはその代償だよ」
生首を毬のように蹴飛ばして机の上に乗せると、更に血の気を引かせる幕舎の人間達。
先程までの勢いなどどこに行ったのかだ。
「さて既に十一人死んだ。怪我人含めれば五十は下らんな。こちらの要求を受け入れるか否か。それだけだ。アルサスに一歩でも踏み入れてみろ。その時は全員がその死に様となるだけだ」
「あなたは……アルサスに雇われたのか!? ならば今からでもいい。そちらの要求するものを用意する! だから我々に雇われ―――」
自分の近くで、そんな愚言を吐いた騎士の首が、吹き飛んだ。血の噴水が幕舎を再び濡らす。刀を鞘に納める音が再びの静寂に甲高く響く。
「鼠賊の親玉……ザイアン・テナルディエだったか。要求を呑むか否かだ。お前たちが侵略行為としてここにいるのは分かっている。そして俺はアルサスを守るだけだ。今、退くならば俺は死体二つ分の金銭ぐらいは払ってやる」
十の死体は正当防衛だと主張する自由騎士。その絶技を見た後では、誰もが何も言えなくなる。
だがザイアンは納得いかずに怒りの言葉をぶつける。
「ふざけるな……ヴォルンのアルサスを守るために自由騎士が立ち上がるだと!? ヤツに何があるというのだ! あんなヤツのために……あなたは剣を捧げるというのか!?」
「そうだ」
余人には分からぬ理屈だとして即答すると同時に、激昂していたザイアンは驚愕の表情のままに、椅子に座りなおした。
座り直すと同時に、睥睨するように命令を出した。怒りの感情が全てを塗り替える。
「……殺せ……殺してしまえ!!!」
言葉の後には幕を突き破って槍衾が出来上がる。しかし、それを躱しつつ、御稜威を唱える。
「素は軽―――」
天幕を「上」に突き破りながら、飛び上がる。陣営を全て確認しなければならない。
どれだけの軍団陣容なのかを知る。
「飛竜が一、地竜が三、火竜が一。兵士の陣容はブリューヌ式。たかが領地一つに大層なものだが……!」
それで『鬼』を殺せるものか! 心の叫びと共に混乱している陣の真ん中に降り立つ。剣も構えず、槍も構えず頭上を見ていた連中の脳天に刀が突き刺さった。
その後は殺劇の開演である。混乱から立ち直りこちらに剣を向けようとした連中だが、既に「心の速度」で勝っていたこちらの剣の方が次から次へと遅すぎる相手の息の根を止めていく。
如何に剣の速度、身の速度で勝っていたとしても心の速度だけは変えられない。
得物を振るうと決めた瞬間にはリョウの剣は、のろまな敵を斬り捨てていた。しかも、御稜威の軽量化は、そのまま剣と身の速度を上げているのだ。
神域に達した剣客の絶技が、術理を知らぬ愚か者共を次々と斬り捨てる。
百人が死んだ所で攻撃が止んだ。次の一手は分かっている。恐らく弓による射殺である。
それを分かっていただけに、出来上がった死体の中でも屈強な人間を剣で突き刺して―――
「放て!!」
声と同時に人の壁として利用する。そしてその死体に矢が突き刺さりながらも、それを盾として突撃をする。
裂ぱくの気合いと共に弓隊の一角に突進をした。盛大な音と共に混乱が再び起きる。
「ば、化け物!!」
死体の圧で死んだ弓兵二人を見た誰かが叫んだが、構わずリョウは――――逃げた。
包囲網は、お粗末なものであった。そもそも幕舎が奥では無く前面にあった時点で、敗着の一手だった。
後ろに掛けられる罵声を聞きながらも、すぐには追ってこれないはずだ。
「火だ! 何処かに火を点けられたぞ!!」
そんな風な声が罵声の中に紛れるのを聞いて、作戦が上手くいったのを気付く。同時に口笛を吹いて馬を呼び寄せる。隠れていた馬が自分に並走してきたのを見て、それに乗り込み所定の位置に向かう。
バートランと示しあわせた場所は分かっている。鼠賊共の陣営は混乱続きだ。
(やれやれ彼女から贈られたものが、ここまで役立つとは…)
それはブリューヌに再び来る前に、オステローデにおいて渡されたものだった。
『リョウ、これを私だと思って懐にでも仕舞っておいてくださいな』
そうしてティナから渡されたものは造花の束、彼女が好んで服に着けている薔薇の意匠のものと分かった。
生花であれば、直に枯れてしまうから確かに贈り物としては最適だが、何か裏がありそうな気もしていたので、どういう用途のものであるかを聞くことにした。
『これは、二つの芯で花びらを挟んで擦りあわせると良く燃えるのです。もしもリョウが、ブリューヌの馬の骨と懇ろになったらば私の嫉妬の炎が、心臓を焼くでしょうね♪』
懐から荷物袋に移動させることにした瞬間だった。入れておけ、危険すぎるという押し問答の末に、何とか服に縫い付けることで了承させた。
自分が『薔薇の炎』を仕込んだのは幕舎に投げ込んだ生首、脳天突き刺した死体、斬撃の死体の山の中に点在させておいた。……それは流れ出た血に混ざる黄色の液体、人体の脂を燃料として燃え盛る。
「ここで突撃でもかませれば最高なんだが……生憎、そういう戦術は取れないな」
街から500アルシンに一人陣取り、軍神の気持ちを取りつつ、考えるは最後の一手を与えてくれた女性のことだ。
「後でティナに礼をしなきゃならないよな。結局、彼女のお陰で何とかなったんだからな」
焔の勾玉の力で成竜となったプラーミャを一度見てから呟く。脳裏に浮かべるは黒髪の女性の姿だ。
「そうですね。私としてはまたリョウの郷里で出来たお酒が飲みたいです。あと猪を使ったボタンナベでしたか、それも食べたいですね」
「ああ、そんぐらいお安い御用だ。にしてもそんなに気に入った――――――あれ?」
おかしい……。独り言の呟きに返事がある。
声のする方向を見ると、大鎌を握った黒髪の女性の姿、自分の隣にいるのが不自然なようでいて自然な感じだ。
約一か月ぶりといったところだろうか。その美貌になんら変じることは無いも少しだけ疲れているようにも見えるは、先程まで脳裏に浮かべていた女性。
「ティナ!」
「はい。あなたの可愛く美しい妻のヴァレンティナ・グリンカ・エステスです」
「いやいや、あまりにも唐突すぎるだろう。というか結婚の事実は無いだろ!」
可愛らしく小首を向けつつ言う虚影の幻姫。何故、彼女がここにいるのか正直混乱してしまう。
「あの熱く想いを通じ合った一夜だけで私はリョウのお人形さんみたいなものです」
頬に手を当てながら、滔々と語るティナ。しかしそれであれこれ喚いても意味は無さそうだ。
取りあえず色んなものを飲み込みながら最初の疑問を解消する。
「どうしてここに……?」
「それを言うならば……先に言わせてもらいますが、どうしてこんな無茶をするんですか!」
こちらが冷静になるも、ティナは激昂する。正反対な応酬。正直、怒られる理由が分からない。
とはいえ、彼女の怒りを一度受け止める。
「あなたが万軍殺しをやったのはタラード将軍の部隊が駆けつけるまでの時間稼ぎだったのでしょう。今、あなたは何の援軍の当てもないのに、あんな大軍に戦いを挑むんですか?」
「いや、一応援軍の当てはある。アルサスの領主が帰還を果たすまで、自分が頑張ればいいだけだ」
それは遠い話ではない。今、領主はここに向かってきているのだ。
「だとしても……一人で戦うなんて……!」
後ろのセレスタの街を睨むティナ。彼女の怒りは嬉しい。けれどそれでアルサスの人に無駄な咎を負わせたくない。
「アルサスの人を恨まないでくれ。彼らは……領主がいなくて不安なんだ。近隣諸侯を纏める人も援軍として向かっているから、それまでの時間稼ぎを俺が引き受けたんだ」
「………」
沈黙しているティナ。その頭に手を当てて撫でる。
「ありがとう。ここに来てくれて……そして俺の為に怒ってくれて、だから……俺を助けてくれ戦姫ヴァレンティナ。俺はアルサスの人達を見捨てたくない。テナルディエの暴虐に晒したくないんだ」
こちらを見上げるティナの目が何回も瞬きされる。そうしてからため息が漏れた。
「そう言われると断れないです。リョウが私に頼みごとしてくるなんて、本当に……嬉し過ぎるんですから……」
「ありがとう。とはいえ今まで、宮廷であれこれやっていたんだろ? あまり勢い込まなくていいよ」
疲労があるにも関わらず、自分の為にここまでやってきてくれた一輪の華。それに楽な戦いをさせるためにも自分は気合いをもう一度入れる。
朱い顔をしているティナ。とりあえず彼女には馬に乗っていてもらう。彼女の疲労を取るためだ。
「―――動きありましたね」
「少し下がっていろ。五十人規模の騎兵で俺を相手取るなんて舐められたもんだ」
幕舎の混乱が治まりようやく兵を出すことなったテナルディエ軍。どうやら先程の挑発でむかっ腹を立てさせることには成功した。
全軍で押し立ててくればいいものを、報奨目当てで各隊の先手争いとするなど愚の骨頂だ。
「ではリョウ、あなたの万軍殺しの程……見させてもらいます。適度な所で私も参戦しますが……無茶せずにご武運を」
100チェート離れた所に移動したティナを見送る。そして正面からやってきた騎兵五十を見る。
槍を構え突進力を活かしたもの、しかしそれで一人を全て殺せるとは……愚か。
「もらったああ!!!」
突撃槍が身を貫かんとする前に、振るわれた斬撃が腕を落として落馬をさせた。何が起こったか分からぬ騎兵だろうが、構わず延髄を斬りおとして馬を奪う。
(流石は奸賊の騎馬……鍛えられている)
一人から馬を奪った後は簡単である。リーチに差はあれども、振るわれる剣戟の重さはこちらの方が上であり、擦り抜けるようにして五十全てを切り裂いていく。
騎馬に乗りし侍が刀を振るう度に血飛沫が飛び散り命の華が散りゆく。
全ては一瞬のこと。遠目から見ていた連中も何が起こったのか分かるまい。しかし五十の騎馬が全て死に絶えたのは分かった。
「どうした!! 俺はまだヤーファの剣術奥義の半分も出していないのだぞ!! 我が首欲しければ全力で、決死の覚悟を抱いてやってくるがいい!! 従軍の誓いを立て戦場に居ながら、その意志無くば今すぐ立ち去れ!!!」
どてっ腹から出した声は、向こうまで届いただろう。こちらの挑発に向かってくるは、百人規模の歩兵部隊。槍やポールウェポンの類だが、それでこちらをどうこう出来ると思っているのだから愚か。
馬の突進力。そして御稜威の力を利用して歩兵部隊を纏める。先頭にいた長槍持ちを引っ捕まえて槍を奪い取ると同時に切り裂く。
神流の術法は、剣を基本としているが何も槍に関して不得手というわけではない。長柄の武器こそが騎馬の突進力を活かせるのだから。
突撃、払い、反転。騎馬鎧を活かした体当たり。乱戦となりながらも、向けてくる長柄の武器だが、それを喰らうほどこちらものろまではない。
一連の動作を繰り返すとただでさえ重い鎧を着せられている歩兵なのだ。蹄の一撃が、衝撃を予想以上に与えて、打撃武器も同然になる。
完全鎧の弱点だ。そして何より槍を使った交差必殺。交わらず切り裂かれるだけの歩兵集団。
ただでさえ略奪だけを目的としていただけに士気も低かったのか七十を殺した時点で、陣に逃げ帰る。悲鳴を上げていく歩兵集団。撤退の合図を出しているのに、投槍をして絶命させた。
避けることさえ出来ぬそれはいとも簡単に、生命を奪う。
(戦力を小出しにすれば俺が勝つだけだ)
もっともこれで弓、騎、歩の三連一体を繰り出して来れば対応にも苦慮する。
鼠賊共が全員、馬鹿であることを願うも、流石に組織戦を展開しつつあるのを見て、リョウは「アメノムラクモ」を使うことにした。
「そろそろ私の出番ですね」
「大丈夫なのか?」
「ゆっくり休ませてもらいましたから」
馬を並べてくるティナの様子を見ながら整列し、進撃の時を待っているだろうテナルディエ軍。
あちらにもどうやら有能な人間がいるようだ。
そうしてこの戦いにおいて予想外の事が起きた。いずれはやってくるだろうと思っていた竜を使う戦術。
それは―――――――。
「突撃せよ!!!!」
叩かれる銅鑼、太鼓の音。中央に地竜を押し上げて、騎兵と共にやってくる集団。
しかしそれとは別に―――大きく迂回する形で地竜二頭が左右から―――セレスタを狙ってきた。
そしてその地竜の背中には多くのテナルディエ兵。単純。しかし考えてこなかったわけではない。
「プラーミャ!!!」
呼びかける前から息子は動いていた。まずは左の地竜を仕留めるべく翼を動かして上空から火を掛けた。
地竜の鱗と甲羅のような外殻はそれに耐えられずに、燃え盛る。当然、それに乗っていたものも炭となり、運よく生き延びたとしてもその熱量と延焼の速さに生きながら焼かれ死んだ。
敵をそれで仕留めたプラーミャは右に向かうも、城門及び柵を打ち破り侵入する兵士がいる。
(ギリギリまで竜を近づけて、その上で侵入か……考えやがる!)
如何に人馴れしていないとはいえ、最大の戦力をただの輸送手段としたのはある意味あっぱれである。
だが妙ではある。奇妙な点がありながらも、それが分からない。
「アルサスの兵士達は、応戦しないんですか?」
「……!」
騎兵を切り殺したティナが質問をぶつける。確かに本来ならばあの時点で、弓を射かけているはずだが……。
同じく騎兵を殺したリョウは街から火が上がるのを見て、別働隊がいたのだと気付く。
「やけに慎重なことを……挑発に乗っていると見せかけて、騎兵や歩兵の略奪部隊を迂回させてやがった……!」
自分達を越えても、火竜にして飛竜がいる以上、潜入工作をするというのは常道だが……。
なりふり構わない戦いに、少し意外な気分だ。今までの楽な戦いというのを改めたな。と思いつつも、対策は一つ。
(神速で全て切り殺して街に向かう!)
既に中央の地竜を引き戻しているテナルディエ軍。そして三軍連携の攻撃が放たれる。
「弓、放て!!!」
声と同時に放たれる矢の数々を風蛇剣で打ち払い、やってきた歩兵の群れを風蛇剣で瞬殺する。
「自由騎士に接近戦は挑むな!! 遅滞戦法でここに留めろ!!」
声が響く。総大将である男が三軍を指揮してこちらを街へと反転させない戦法に出た。
「随分と消極的ですが……有効な戦法ですね!」
「こちらに近付いてくるでもなく、離れるでもなく……仕事が分かっている連中だ!」
ティナの感想に、同意する。
完全な足止め。テナルディエ軍からすれば奪うもの奪って即逃走という手筈に変更しただけだ。
もっとも……人的資源。即ち娼婦などにする女を奪うことは不可能だろう。人間はものと違って動く。
時間は有限なのだ。時間を掛ければ自由騎士の超絶な剣技が軍団全てを終わらせるかもしれないのだ。
そういうことをザイアン・テナルディエは厳命していた。後は街に火を点けてしまえ。そういう指示を出していたのだが…それが完全に守られるとも言い切れないのが戦場のそれだ。
† † † †
セレスタの街に入り込んだテナルディエ軍の兵士達は思う存分の略奪を開始した。それは正に獣の所業であった。
金品を奪い、雄叫びを上げながら物品を荒らして、神殿を威嚇する。無人の街を想うまま荒らすその様に、スティードは辟易する。
自分とて戦においてそういうことがあることは理解している。とりあえず仕える相手が、それらを良しとしている以上は、それを実行する。
何よりここをジスタートが奪いに来るとも限らない。いや、既にジスタートの食客が、ここにいる以上、アルサスはジスタートの領土になってしまったかもしれない。
「あれがヴォルン伯爵の家か……誰でもいい。あそこに行ってモノを奪って来い」
見あげる先には、この街では一番大きな家があり、そここそが虜囚の身となった貴族の居館であると分かった。
スティード自身は兵達が神殿に手を出したりしまわないように見張っていなければならない。
この中に神を畏れぬ罰当たりがいないとも限らないからだ。
髭面の男が居館に向かうと同時に、時間はそれほどないことは理解していた。
(……何だ。馬蹄の音がする……)
外ではまだ人外魔境な英雄の殺戮が繰り広げられている。それの音だと思うが、ザイアンの戦法は遅滞であり、騎馬兵は温存されているはず。
伝令の兵士を物見に向かわせる。裏ではアルサスの兵士達の頑強な抵抗が行われている。そちらの方向から来るのだから変化が起こったと見るのが普通だ。
しかしその判断をスティードは後悔する。やってきたのは自由騎士に次ぐ「本隊」とも言えるものだったからだ。
外では大音声が響いている。その音はティッタの身を竦ませる。これが戦いで蹂躙される街の運命なのだと嫌でも知らされる。
(ティグル様……!)
守り刀……あのヤーファ人の男性からのものを握りしめながら思い出すは、自分の想い人。脳裏に現れた男性を迎えるためにも自分は、ここを離れなかった。
そしてその想い人の為になるならば―――『宝』を守らなければならない。
「家宝の弓……あれは奪われてはならない……!」
ティグルがそれに祈りを捧げているのを自分は見ている。それぐらい重要なものなのだ。直に弓を取る。瞬間―――ティッタの意識が遠くなるのを感じた。
(えっ……)
まるで自分が無くなるかのような感覚。何か見えぬものの手で首筋を撫でられたような感覚。それが、ティッタを自失させた。
しかしそれから覚めるような音が響く。扉を乱暴に破られる音。遂にテナルディエ公爵の略奪の手がこの屋敷に伸びたのだ。
階下を窺うように見ると、そこには髭面の男。鎧で覆われた中年の男が剣を乱雑に振るいながら入り込んできた。
「ふん。やはりテナルディエ公爵ほどではないか。貴族の館だから何か金目のものがあると思っていたが―――」
階下を見上げた男とティッタの目が合う。瞬間、生理的嫌悪感をティッタは感じた。
「とはいえ、侍女にこのような娘を据えるとは……流石は貴族の子弟……」
舌なめずりをしながら上がってくる男。身を翻して小刀を抜く。両手で握り……切っ先を階段を上がってきた男に向ける。
「出て行って下さい……」
「俺は略奪をしに来たのだ。出て行けと言われて出ていくわけが無い……ザイアン様は女は捕える暇はないといったが……これはいい褒美になる。その小刀も中々の業物のようだからな」
「出て行け!! ここはアルサス領主の館だ!! 留守を狙ってやってくる鼠賊にくれてやるものなんてない!!!」
「小娘がっ!!!」
こちらの意気を込めた言葉の後に、激昂して斬りかかってくる中年男。しかし、その剣がティッタを切り裂くことはなかった。
見えぬ壁。透明な光の壁がティッタと中年男の狭間に降り立ち、剣は届かない結果となる。
「なっ!! き、貴様……ええいっ! 妖術師がっ!!! 斬り殺してやる!!」
その時、中年男の脳裏には街の外と陣で、怪物のように何人もの兵士を斬り殺したサムライの姿と同調された。
この女もその一人かと思い、厳命及び売り物になるかどうかすら考えず殺すことだけを考えて振るう。
ティッタも、その現象に眼を丸くしつつも、逃げなければならない。この壁がいつまで続くか分からないのだ。
バルコニーに出ると同時に、壁が砕けた。
「……!」
「逃がさんぞ……!」
逃げ場が無い。今度こそ小刀を向けて凌辱されるというのならば自害、もしくは殺すのみだ。
しかしティッタにはどちらも―――。
振り下ろされる剣、しかしそれが下されることは無かった。
飛来する閃光―――銀の一矢が、男の腕を貫くだけでなく、消失させた。
「飛べティッタ!!!」
声が聞こえる。あの人が帰ってきたのだとバルコニーの下に身を投げた。馬を走らせて自分を受け止めるべく、駆けるティグルの姿が見えた。
受け止められた。受け止めてくれたと同時にその首に抱きつく。
「ティグル様……ティグルさまぁ!」
「ごめん……本当にごめん。怖かったよな……ティッタ」
抱きついた自分を抱きしめてくれる男性。その暖かさが忘れられないほどに、抱きつき自分の匂いと感触を与えつつ彼の匂いと感触を忘れられないようにしたい。
そうして、二人の無事を確認すると同時に後ろをついてきたオルガは驚異的な跳躍で、バルコニーに飛び上がった。
「あ……あ……」
失われた腕を見て、呆然自失しているテナルディエ軍の兵士。中年の男をオルガは冷たい目で見降ろしつつ身を上下に断ち、見える範囲にいたテナルディエの兵士に投げ捨てた。
悲鳴が聞こえる。賊の位置を分かったライトメリッツ兵士が、向かう。
ティグルの屋敷と庭を下郎の血で汚してしまった。という後悔の念を感じつつも、オルガは次の指示を仰ぐべく屋敷の前に向かう。
「賊は街中に展開して更衣兵になる可能性がある! アルサスの兵士を助けつつ見つけるんだ!!」
エレオノーラの張りのある声が響く。指示を受けたライトメリッツの兵士達が、整然と賊を追い落していく。
指示を出した後に、やってきたのはメイド服の少女を抱いた赤毛の貴族だ。
「すまない。先行してしまって」
「気にしていない。それにしても……この娘、一人で屋敷に居たのか?」
ティグルの謝罪を聞きながらもエレオノーラは、少女が怯えた目でこちらを見ているの確認した。
「ティグル様、こちらの方は……?」
「詳しく話せば長いんだが……ジスタートで雇った姫君だ。アルサスを守るために力を貸してくれる」
「公国ライトメリッツ、戦姫エレオノーラ=ヴィルターリアだ。色々と私の同輩が世話になったそうで」
自己紹介をされてオルガの同僚なのだと認識しつつも、何たる美貌だとティッタは場違いにも嫉妬心を感じた。
しかしその後には雇ったという言葉でティッタも話さなければならないことがあるとして、口を開こうとした時に銀光が、走った。
矢が放たれてそれはエレオノーラに向けられていた。しかし、それをアリファールが砕く前にティグルは手で掴み取った。
返礼として弓に番え、引き絞り向かってきた下手人を貫こうとした時には、その下手人の気配が消え去る。
何者かが下手人を殺したのだ。短い悲鳴が聞こえる前に、何かが走り込んだのを見ている。
「なっ……!」
そんな次の瞬間には、影が自分たちを覆い尽くす。まるで巨大なものの下に隠れたかのように日陰に入る自分達。見上げるとそこには竜がいた。
朱色の鱗の飛竜。それを見て全員が恐慌しつつも、その飛竜から一人の女性が下手人のいた茂み。今は刺客のいる場所に落ちてきた。
そして飛竜もまた体躯が小さくなっていき……カーミエ、ルーニエと同じぐらいの幼竜となって、茂みに落ちた。
「なんで二人してここに落ちてきた!?」
男性の声が響く。声色だけならば自分と同じような年齢だろうか。
「出る時は、家族揃って出たいんです。仮面でも持って来れば良かったですね。正体不明の助っ人とかミステリアスでいいです」
面白がるような声、それは女性の声だ。飛竜から落ちた人だろう。
「なんて名乗るんだよ、そん時は?」
「『セカンドラスト』とその妻『ヤヤ』とでも名乗りますか」
最後には非常にレイ○先生に失礼な言動が聞こえてきたので、エレオノーラは茂みをアリファールで吹き飛ばして、そこにいる人間二人と一匹の幼竜を確認する。
「ティグル様! あの方…男性が先程までテナルディエ軍と戦ってくれていた方、ウラ・アズサさんです!」
「自由騎士リョウ・サカガミ! ティグル、あの人が私をティグルに導いてくれたんだ!!」
「好色サムライ! 遂にその野望を向けて統一王になる手始めにティグルの領地を奪いに来たか!」
三人三様の答えが向けられて、さしものティグルも混乱してしまう。しかし、何故か同情するような視線を向けられつつ、こちらに近づいてくる血塗れの鎧を着ている男性と女性に幼竜一匹。
「あなたがティグルヴルムド・ヴォルン伯爵?」
真っ直ぐな視線。射抜くようで全てを見通す目がティグルに向けられる。
「ああ。そちらが……東方剣士にして『竜殺し』リョウ・サカガミなのか?」
生ける伝説となり、この西方を席巻する人物は、確かにマスハスの言う通り、自分と同じ若造だ。
「巷ではそう呼ばれているな。大したことはしていないつもりなんだがっ」
兜を脱ぎながら、そんな風に言うリョウ・サカガミの姿にティグルは緊張ではなく、何故か親近感を覚える。
「ティッタが言っていたが、本当にありがとう。ここを守るために戦ってくれたみたいで」
「結局、俺は賊の侵入を防げなかったんだ。礼を言われる筋ではないな」
「けれど、あなたが獅子奮迅してくれなければ被害はもっと増えていたはずだ」
ティグルの言葉に、被害の程を見たリョウは、どちらにせよ負け戦だった。と言う。
「自分に厳しいんだな」
「別に……そういうわけじゃない。それより怪我しているんじゃないか?」
言われて、ティグルは手を見ると手袋を裂いて先程掴み取った矢ゆえの血が滲んでいた。
「問題ない。それよりこれから―――」
「戦わせてくれ。俺は伯爵閣下の為に戦いたいんだ。俺に使命を全うさせてくれ」
全員が驚愕の表情でリョウを見る。ここにいる全員がリョウ・サカガミの武功を知っている。
だからこそ何故―――ティグルだけの為に戦うのだと考える。その思いは言われた当人も同じだ。
「何で、俺に」
「詳しいことは後で話す。だが俺にとっても貴卿は、光なんだ」
先程と同じくまっすぐな視線がティグルに向けられる。その視線を逸らすわけにはいかない。
そうして自分の下に就くと言った騎士に「頼み」をする。
「……分かった。まずはテナルディエ公爵の軍を追い落とす。俺に力を貸してくれリョウ・サカガミ」
「了解した。ティグルヴルムド・ヴォルン」
こそばゆい。そんな感覚をティグルは覚える。自分と同じような年齢の若武者だ。そんな人間が自分をまるで「今生の主」であるかのように敬ってくるのだ。
(もうちょっと明け透けな事を言える関係になりたいんだけどな……)
そんなティグルの願いは、すぐさま叶えられてしまう。お互いに無い物ねだりをしていた二人の若者。
――――――古き時代に袂を分かった黒竜と赤竜は出会うべくして出会ったのだから。
あとがき
11巻発売ーー!!! うぉおお失礼ながらティグル記憶喪失の段は中だるみ的に感じていたので、今巻は本当に面白い。川口先生すいませんでしたぁあああ!
まだそんなに日が経っていない、それなのにネタバレもどうかと思うので詳しくは語らない。ただ一言言わせてもらうならば「ティグルはロードス統一王の気質あったナシェルか?」と言わんばかりだ。(その場合、暗黒騎士団を率いるはベルドならぬリョウの役目)
しかし不満点は……「すっぽんぽん」の挿絵が無かった点だろう。MF文庫JのKKコンビに何つうこと言っているんだ俺は……いや、これはみんなが思うはずだ! 次巻に期待!!
では感想返信を
>>刀さん
二度目の感想ありがとうございます。
とりあえず戦場においては一度でも協力関係にあれば協力し合いますよエレンとリョウも、不倶戴天の敵であっても。
みんな仲良く賊の「首刎ね」していきますよ。(笑)
実を言うと当初は援軍を呼ぶ予定はありませんでした。前回のalmanosさんへの感想返信でもティナは「王宮」でじっとさせているつもりでしたが、話の流れと、11巻を見た私の気持ちが一つになって彼女をアルサスに向かわせました。
戦力過剰すぎますが、それでもザイアン改変のこともあり、こうなりました。
腹を括った朝倉義景、斎藤龍興のような活躍は一度きりです。何度もやってくる反信長ならぬ反ティグル的立ち位置でもおもしろかったでしょうけれど。
二次創作は、気が向いたらお願いします。
>>almanosさん
感想ありがとうございます。
まず一番書いてほしい人ですね。というかいつも後半感想で書かれていることが俺じゃ受け止めきれない。(泣)
いや私も、他の方の書く二次創作で「こういう展開」どうだろうというのを考えたり、そこに「変な妄想」を加えたりもしますね。ただそれはやっぱり人それぞれなんで、納得いかない展開(主人公にあまりにも厳し過ぎる展開が殆ど)で落胆することもありますが、そこは各作家さんの考えだとしていました。
だから寧ろ、ここの感想で書かれている展開を望まれてるならば私としては「書いてほしい」そういうことです。生意気言って申し訳ないですが、それを全て受け入れたら「俺の二次創作」ではなくなるので本当に申し訳ないです。
リムが厳しいのは、まだティグルの格を見定め切れていないからですね。グラナートをくれたのはまだいいですが。彼女からすればまだティグルは「見込みあるなし分からぬ青年」という印象ですから。
ロリの汚名。それは原作でも既に襲名完了してしまったものである……。詳しくは11巻をチェック!
ではでは今回はここまで……今月は読みたい作品多すぎる。俺ガイル、まぶらほ(最終巻)、アルデラミン……そんな訳で次の更新がいつになるか分かりませんが(ただ11巻の勢いはあります)、お待ちいただければ幸いです。お相手はトロイアレイでした。