「山はいいものですね。死んだ母にもこんなところを見せたかった」
「そんな余裕かましていていいんですかね? 現実逃避しても現状は変わらないんですよ」
「分かってるよ。そんなことは」
幻想主義者にして現実主義者な戦姫の言葉に答えながらも、足を動かす速度は変わっていない。
サーシャの時とは違う意味でとにかくその健脚を動かしていた。動かさなければ―――死んでしまうからだ。
姫抱きで抱えているティナを気にしつつも後ろを振り向くと、どんな獣を数百まとめても届かないであろう遠吠えを上げるトカゲに似て非なる生き物。
百チェートはあろうかという朱色の鱗をした竜。一歩でこちらが数百歩を踏破する生き物相手に遁走をするなどあまりにも無謀ではあったが、現状。この山という地形が自分たちに利していた。
乱立する木々を利用して時に直角に、時に水平にと縦横無尽な動きをすることで竜を翻弄してきたが、そろそろ限界だ。
「人里にまでいけば竜とて下りてこないんですけどね。深入りしすぎましたよ」
「同感だ。とはいえ、そろそろ決着を着けるとするか―――」
言った瞬間に朱色の竜―――「火竜(ブラーニ)」という種は、辺り一面を焼き尽くす火炎を吐いて宣戦布告のようにしてきたが、寸前でティナの転移によって開けた場所に出る。
山の斜面を必死に下りてきたのは、ここに誘導するためであった。
「木は無く、岩もなく、あるのは土と草の平地―――。ここで決着を着けてやる火吹き竜」
木々の間からこちらを怒りの目で見てくる竜を挑発する。背中にはティナがいるのだ。負けられない。
(前にもこんな事があったな……)
思い出すのは昔のこと、死を覚悟する前にこんなことを考えるのは、まだ死ねないと考えているからだ。
後ろに幼い姫君。前には人食いの熊。引き抜くは当時の自分には重すぎた剣だ。自分の命だけではない重さ。
それでも守らなければいけないものがあるというのならば、男は戦わなければならない。
「其は、祖にして素にして礎 はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留まり坐す其の神より生まれ出ずる幾十もの神々、其は戦神、素戔嗚之神」
唱える呪によってリョウの周囲が明るくなる。緑色の光が彼の姿を照らすその緑色の光が集まりリョウの前に一本の剣を作り出した。
「それがリョウの―――、本当の得物」
後ろにて呆然としたティナの声に応える形で、その剣を握りしめて一振りすると周囲の草の殆どが、一薙ぎで倒れていた。
しかし斬れてはいない。「倒れた」状態のままでいる。
武骨な鉄剣。リョウの持つ刀に比べれば斬ることに特化していていないように見える。柄尻に何かを埋める穴のようなものがあるが、今は空洞のままである。
だがその剣を手にしたリョウを見て、目の前の巨獣は一歩退いた。だからこそ―――ヴァレンティナには、本当にこれがリョウの本気の剣なのだと実感できた。
「いざ参る」
構えたリョウが飛び出すと同時に、巨獣もまた意を決して飛び出した。
その姿は、ヴァレンティナにとっては自分が大好きな物語の中から出てきた英雄譚(サーガ)の英雄のようであり、目に焼き付いて離れなかった。
「虚影の幻姫 Ⅰ」
「で、お客さんの部屋を空けるようなんだよ。まぁ恋人同士なんだから一緒の部屋にいた方があたしゃいいと思ってるよ。というわけで四十秒で支度しな」
そんな無茶な。と思いながらも、自分の私物はそんなに無いので、部屋を空けるだけだったら自分が出ていき……ティナの部屋に行くことになる。
朝も早くから朝食を終えた途端に宿の女主人に言われたことは、「部屋」を空けてほしいということだった。
「こんなボロ宿屋に千客万来とかありえないような」
「今日の夕飯は覚悟しときなよ。塩っ辛いのと激甘のを用意してやるから」
怒られてしまった。とにもかくにもお金が心許ないのでやはり主人の言うことに従うほかなくなる。部屋の私物。旅袋一つを持ちティナの部屋をノックする。
「どうぞー。私たちの愛の巣にノックはいらず「おかみさん、少し金を高く積むからやっぱりその部屋、俺が使うよ」ちょっと!」
早くも掃除用意をし始めた主人にそんなことを言うと同時に、襟を掴まれて部屋に引きずり込まれた。
引きずり込まれて最初に見えたのは、怒った顔をしているティナの顔であった。こちらを見下ろしている彼女に悪いと言いながらティナの部屋の内装は随分と変わっている。
恐らくエザンディスの転移能力で色々と自分の城から持ってきたのだろう。だが一番には様々な衣装がクローゼットに納められていることだ。
一番手前に折りたたまれているは自分の買った服であることが嬉しい。
「一緒の布団で寝た仲なのに、何で嫌がるんですか?」
「変な言い回しするな。山に行く前に寝袋でも買った方がいいかな……いや、すまん。だからその大鎌の石突で喉を押さないでくれる」
笑顔のまま怖いことをしてくるティナに対して、両手を上げて降参をする。
「全く、ここまでの美女が誘っているというのに手も出さないなんて本当に……実は男色家なのでは」
「そんなわけあるか」
真面目な顔でこちらをのぞき見てくる戦姫に言いながら、今日の予定の準備をする。
その中でも標準的な装備として、山に行くのならば弓を持つのが相応だろうが……。少し考えてそれをやめにした。
だが、こちらの準備を見てティナは疑問を感じたようだ。
「弓は持たないので? 短弓程度ならばこの辺の武器屋でも売っていますよ」
「……まぁその色々あるんだよ。俺の秘められし過去というやつだ……」
「心底嫌そうな顔で言っていなければ影のある美形として見えましたけれど、そんな風には見えませんね」
ティナの言葉は間違いなく、今の自分は本当に思い出したくないことを思い出した顔。苦虫をかみつぶしたような顔をしていると認識出来た。
実際、それは自分の武士としての汚点の一つでもある。
「それじゃ山への道中はそれを話しながら行くとしましょうか。リョウの昔話を聞かせてください」
「ああ、それはいいんだけど……せめて向こうを向けとか色々言ってくれ。男に着替えを見せるな」
色んな意味で彼女と一緒にいることは自分の理性を試されるということだと今更ながら理解してきた。
・
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・
「おかみさん。それじゃ俺たちはちょいと出るから」
「あいよ、気を付けて、そんじゃお嬢ちゃん。この台帳にサインをお願いできる」
「わかりました」
宿の逗留客だろうか。フードを重く掛けていてこちらからでは容姿の仔細はわからなかったが、二人の男女が自分の後ろを通って外に出て行ったようだ。
その時、少しだけ自分の持つ小さな戦斧が震えたような気がしたが、気のせいだろう。
「しかし一泊でいいのかい? 嬢ちゃんがどうしてそんな旅がらすをしているのか探る気はないが、それでもゆっくりしていけばいいのに、御代は勉強させてもらうからさ」
「……色々と事情があるんです。ごめんなさい」
「いいよ。こんな稼業だと色んな人を見てるから余計なお世話をやきがちになってしまうんだよ」
女主人の気遣いは嬉しい。だがここに長居することは出来ない。ここは戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの土地でもあるのだから。
自分は自分の領地を捨ててこんなことをやっている。己に課せられたものを投げ出して、他の戦姫の恩恵ある土地に泊まることはあまりにも不敬だ。
だから、こんな放浪の旅をしている。一泊だけなのはそういう後ろめたさもあったからだ。
(次はブリューヌにでも行こう。その後……お金を貯めてヤーファにでも行けば何かが掴めるかもしれない)
フードを外して、その薄紅色(ファニーピンク)の髪を晒してから女主人の案内で部屋に入る。
案内された部屋は上等とは言えなかったが、それでも自分の路銀ではこんなもんだろうとして、納得させることにした。
「注意点としてはこの階には騒がしい男女がいるんだけど、きっと身分違いの駆け落ちだろうからさ。あんまり気にしないでくれると助かるよ」
「問題ありません。親しい男女が騒がしいのは自然な流れですから」
「いやそういう意味じゃないんだけど……っていうか嬢ちゃん随分と耳年増だね」
宿泊するうえでの注意点に付け加えてさり気に失礼なことを言われたような気もするが、それよりも早くベッドに入って休みたいと―――戦姫オルガ・タムは思った。
・
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・
「? なんでしょうか? どっかで見た顔を見たような気がしたのですが……気のせいでしょうか?」
後ろを振り返り宿の方をしきりに見返すティナを少し急かす。レグニーツァの城下町を歩きながら、街道へと抜ける道へと足を向けていると自然と公宮の方へと目は向いてしまう。
ここからでは無論、見えないのは当たり前なのだが、それでもあそこには病床に伏せた一人の女の子がいるのだ。
(血の病か……呪いの可能性もあるが、やはり一番には内科処置からやっていくべきだろうな)
重い病人を治すには、まず粥を与えて穏やかな薬を飲ませ五臓が整い、体が回復するを待って肉食をもって元気をつけ強い薬を与えれば病気は治る。
現在、サーシャに処方しているのは苦いとはいえ穏やかな薬だ。これから山に入り取る薬草などは、全て劇薬とも取れるものだ。
(呪縛を解くにしても体の変調を解かなければいけないんだ)
そう考えていたのだが、考えを読んだのか不機嫌な面構えでティナがこちらを睨んできた。
「なんか凄く嫌です。何で公宮の方を見ていたんですか?」
「いや、まぁ色々と考え事を……というか近い近い」
上目使いに睨んでくるのが男であればこの上なく嫌であるのだが、絶世の美女がそれをやるとどうしても怒る気も起きない。
しかし「他の女の事を考えていました」などと正直には言えない。さすがに自分とてそのぐらいのデリカシーはある。考えていた時点でデリカシーも何もあったものではないのだが。
「にしても弓を持たないなんて本当にどういうことですかリョウ? シカなどが現れたらどうするのですか?」
「はっきり言おうティナ。俺は弓が大の苦手なんだ。武芸の師からも『お前は弓による射戦の際には射るな。その後の突撃戦で如何なく力を発揮しろ』とか言われてしまうほどだ」
げんなりしつつも、ティナに言うべきことを言う。少し呆然とした顔をするティナには悪いが、事実なのだ。
「それでも遠くの敵から矢を射かけられた時にはどうするのですか? アスヴァ―ルには長弓の兵団もあったはずですが……」
「確かにあれには苦労させられた。エリオットなんて愚物にはもったいない腕前の集団だったから良く覚えている」
ヤーファが誇る弓の名門『日置流』の弓術士にも負けぬほどの弓の腕前だった。しかしながら馬上から射る流鏑馬(やぶさめ)が一般的な武士との違いでもあるのだが、接近してしまえばそれだけで終わりだった。
第一、一発引くごとにあれだけの時間がかかってしまうと、多くの部隊を組織出来ていても――――。
「正面ではなく側面に回り込んでしまえばいいだけだ。騎兵の機動力を活かすわけだ」
「そんな簡単にいきますかね?」
「狙いを付けた時点で、弓を引っ張った。その間に照準を外せばいいだけだ」
短弓などによる面制圧の矢ではないのだから躱すのは容易だ。一発を打ち落とせば次の行動に対する余裕が出来る。
もっともそれを実践しただけだ。などとタラードに語ったらば、「言うは易し、行うは難しとはお前の故郷の格言だろう」などと皮肉を込めて言われた。
三百、四百アルシンの距離を踏破して側面に躍り出る。それが出来なければ打たれるだけだ。
「弓が使えないから剣や槍の腕を磨いた。もっともやっぱり一番使えるのは剣だな。だから弓上手には羨望を覚えてしまう」
正直怖いのだ。どんなに勇気があってもそんな遠距離から殺意の意思が飛んでくるというのは。けれど自分の弓は、十チェートも真っ直ぐ飛ばないお粗末なものだ。
「なんでそんな風なんでしょうね? 私もエザンディスに選ばれる前はサーベルや槍も使っていましたから、武は全てに通じると思うんですけど」
ティナの言葉は真理だ。だが世の中事実と理だけが全てを決めるわけではないということもままあるもので。
「予想はあるんだよ。俺の遠いご先祖様というのはヤーファともまた違う国の王族だったそうで、その先祖曰く『槍や弓は兵の武器であり、剣は王の武器である』とのこと」
「随分と狭量なご先祖様ですね」
「全くだ。それ以来、連綿と坂上よりも前の家の血が凝縮されて俺は弓が全く使えない器用貧乏になってしまったんだ」
タラードの技量に羨望を覚えたし、エリオット配下のハミッシュなる弓兵にも羨望を覚えた。
だが彼らではないとも思えた。この西方の真なる光は――――。自分の剣が閃光だとするのならば、その閃光に勝るとも劣らぬ弓技を見せてくれなければ困る。
「まるでブリューヌ王国の思想ですね。あの国も弓を蔑視して剣や槍での大乱戦こそが戦の正道としていますからね」
ジスタートとは山脈を挟んで隣り合っている王国。ブリューヌ王国の戦の作法とはそういうものらしい。
ティナに言わせればジスタートも蔑視とはいかずとも、戦の勝敗を決める要素ではないとしている。
「この西方では戦いとは手段であり儀式でもありますから、戦神トリグラフや神王ペルクナスなど天上の神々に対して恥じることのない戦いをせよという意味でも長距離兵器による蹂躙戦を忌避しているかと」
「なるほど」
ティナの説明は明快であり真理の一つであった。だが人死にを夥しく出すよりはいいんじゃないかと思うのだが、それが彼らのメンタリティなのだから、それに対しては特に何も言わない。
「けどそれだけならばただ苦手でいいじゃないですか? 何でそんな嫌そうな顔をしていたんですかリョウは」
「そこをツッコむのか君は……、様々な上役との付き合いの通例行事として王族や貴族なんかが集まっての獣狩りというものがあるだろ」
「この辺りでは狩猟祭などと言いますね。それがどうしたんですか? 本当に苦そうな顔をしていますよ」
その言葉と同時に門兵に見送られながら街道へと出た。空の色は変わらず晴天。あの日もこんな天気だったと考える。
―――坂上 龍がまだ十になった頃の話。武士の息子の殆どは己の武芸の鍛錬のほどを仕えている大名や将軍の前で晒す場を与えられる。
その場において龍は負け知らずであった。三段の斬りつけも、一太刀に全てを掛ける斬も、平突きも。同年代の卓越した剣士はもちろんそれよりも上の剣客相手にも勝てていたのだ。
剣術においては天賦の才があったであろう龍は、天狗になっていたのだろうか、いや今でもあの時の自分は天狗になっていたと思っている。
結果として、その後にもっと上の「帝」の狩猟会に招かれた際に―――失態を犯してしまった。失態というほどではないが、それでも得手があれば不得手もあるという好例となってしまっただけなのだが。
「俺の弓が射抜けたものは土と草だけだった」
「……悲惨な話ですね」
「野兎なり雉でも狩れればよかったんだが……というかそんなに同情した目で見ないでくれ」
思わず目を背けて穴があったら入りたい気分だ。いまのアタイを見ないで。
ティナはそれで納得してはいたが、続きを話そうかどうしようかという気分だ。
この話には続きがあった。失意の中、大人達が酒宴を開き慰めてくれるということを子供ながらの反発心で飛び出した龍。
そんな龍は「神熊」の住む山に入り、野生の熊を仕留めてやろうかという時に―――彼女が現れた。女とも男とも言える格好をした人。
今だから彼女と言えるが、当時の自分はその判別が出来なかった。そんな彼女は山に入ろうとする自分に問いかけをしてきた。
『その剣で熊を仕留められるのか?』
『仕留められる。俺はこの剣だけでなく他にも剣を持っているから負けない』
■■の剣客は不敗であり絶対必殺を誓っていると得意気に話し、これは「帝」様を守る剣だと自慢していた。
『そうか。ならばその剣で私を襲うだろう熊を撃退してくれるな』
と言い放つとその子は自分より先に山に入っていった。言葉の意味を斟酌していた龍であったが、それよりも先に危ないと思い、その子の後を急いで追った。
―――後にその女の子が自分が守ることになる「御館様」であり、ヤーファの最高権力者になることなど当時の龍には全く理解出来るはずもなかった。
そうして心の中で、陛下のことを思い出すとその姿が前を歩くティナの姿に重なって似ているような気もしてくる。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。さてとこのジスタートの山にはどんな獣がいるんだか」
視線を感じたティナに応えてから鹿か熊、猪の類でもいるかと思っていたが、一瞬にしてティナはこちらの予想を崩してきた。
「竜がいます」
「……は?」
呆然としたこちらに再度念押しするようにティナは繰り返す。
「ですから竜がいますよ。お隣のブリューヌにも度々現れるのですが、この西方では野生の竜が山に棲んでいるのです」
なんでもないことのように言うティナだが、つまりはあの巨大な獣がこの西方大陸では珍しくないとのことだ。
アスヴァ―ルでは腐敗の吐息を吐く邪竜を殺し思いがけず「竜殺し」の称号を得たが、この地ではそうでもないのだろうか。
「ああ、別に竜を頻繁に見るわけではないですよ。ただ山を入っていくとそういうのを見てしまうんです。ただ竜は街までは降りてきません。だから出会ったら不運としか言いようがない天災です」
「恐ろしいな。まぁ我が国でも神代の狼や猪を見ることもあるが、それでも竜か……」
武芸をするものにとってどんなものよりも恐ろしいのは、己の武器が全く通じない相手と戦うことだ。
「ちなみにこのジスタートでは黒鱗の竜と幼い竜は殺すことは許されません。とはいえ鋼の武器を通さぬ身体の前では殺すことも至難なのですが」
建国王の化身であったであろう黒竜を害することを許さない風習は根強い。だがそもそも黒竜自体見掛けることはない。
「まぁよほど運が悪くない限り、そんなことは無いですから安心してハイキングに行きましょう。青空の下で食べるご飯は美味しいですから」
「それはもっともだな。運が悪くない限りそんな不運はないだろうさな」
不安をかき消すようにティナと笑いながらレグニーツァ近郊の山の一つに入っていったのだが―――つくづく、自分は不運なのだとこの時ほど実感したことはない。
その山はこの辺りでは「火竜山」と言われ、レグニーツァの先住民族発祥の地であり、かつ「活火山」から「休火山」になっている山。
火の影響を受けたその土地は肥沃な穀倉地帯を形成しつつも、火竜にとっても住みよい土地だったのだ。
「で、これが死体を兵士に出来る玉というわけだよ。これさえあれば君たちは無限の兵力を得たことになる」
笑いながら語る青年の周りには、ムオジネルから買い入れたもしくはムオジネルの商船を襲って手に入れた奴隷達の死体が山と出来ている。
その中には自分の部下もいる。ぞっとするほどの手際であった。海賊船のまとめ役。船長フランシスは現れた男に恐怖していた。
だが本当の意味で恐怖するのは、その玉―――磨き抜かれた宝玉(オーブ)が光り輝くと同時に、死体は動き出した。
生気の無い目で死んだときの有様のまま動き出すそれは正に死体の兵士。オーブを持った相手に従っている様を見ると、確かにそうだ。
「お前は死神か……もしくはティル=ナ=ファが暗黒をまき散らすための使いか……?」
「女の使いっぱしり扱いされるのは性分じゃないね。ただ嫌いな女を殺すのは好きかな。そしてその女が泣き叫ぶ様もね」
ぞっ、としながらも自分に投げ渡されるオーブ。そしてそのまま気楽な様子で塒としていた祠から去っていく青年。
そして更に祠の外の砂浜には大量の食糧と―――青色の鱗の細長い蛇のような獣が三頭ばかり鎖に繋がれていた。
大量の食糧の内訳としてはこの獣のエサの割合の方が多い。どうあってもこちらがジスタートを襲うように必要な量を運んできたのだろう。
「待て、ここまでするお前の目的は何だ。俺たちに味方して何の利益があるんだ」
「だから言っただろ。女の泣き叫ぶ様が好きなんだよ。特に戦場に生きる誇り高き―――戦乙女のね」
つまりこの男は、自分たちが戦姫達の領地を襲うと踏んでこれらのものを寄越したのだ。
振り返りながら言ってきた男は、その後―――小舟でどこかに去って行った。おぞましき気配を身に沁みこませたその男が消えるまで安心は出来なかった。
「不気味な男でしたね頭ァ」
「だが有用なものを寄越してくれたのは間違いない。ジスタートの戦姫は一騎当千の存在。それを相手取るのに無限の兵士と竜というのはいい手段だ」
もっとも死体とてもとは人間なのだから、その人間の死体をどこから調達してくるのかが問題であるが、殺した敵の兵士も含めればいいだけだ。
更に言えば骸骨も死体なのだから、墓場を荒らすのも一つだ。
「食料は何日もつ?」
「五日は全員が腹いっぱいくえますぜ」
「ならば、それを一週間に絞れ―――適度な飢えを抱いた状態で勝利と欲求の発散の為に全員に禁欲令を発する。その上でジスタートを襲う」
「女はどうします?」
「それも禁止だ。どうせ一週間後には、もっと上等の女を手に入れられる。場合によっては戦姫も手に入れられるかもしれんぞ」
いやもしかしたらば領地そのものすらも奪えるかもしれない。それほどまでに今、自分たちの戦力は充実している。
「ムオジネルの火砲に、ザクスタンの新型投石器―――俺には勝利と栄光しか見えんよ」
風が運が向いてきた。そうとしか言えないと思い黒髭海賊団船長フランシスは高笑いを上げた。だが、その運命は容易く一人の剣士によって覆されることになる。
「で、どうしてこんなことになっているんだか……」
「本当、あなたって騒動とか不運とかそういう星の下に生まれているんですね」
「野望に塗れた腹黒女に絡まれたりとかも加えとけ」
と言った瞬間にこちらの頬を笑顔で引っ張るティナ。だからといって痛いだの何だの言うわけにはいかない。
後ろを振り返ると、そこには轟音を上げる獣の王。獅子ではなく―――竜が迫ってきていた。
しかも朱色の鱗。ティナの説明によれば、火竜(ブラーニ)という種類であり、その炎は―――。
竜の口中に溜め込まれていた炎が一気に吐息と共に辺り一面に広がり、木々と岩が炎に包まれていき――――。
「岩すらも溶かす―――か」
残ったものは炭一つ無かった。焼け焦げた大地一つだけがその熱量を物語る。
こちらからの有効な手段は無い。山の斜面はこの竜にとっては独壇場だ。逃げ切れるか逃げ切れないか。
掛けていた御稜威の力を解き、竜の方に御稜威を及ぼす。
「素は重、背に野槌、十重の大岩、二十重の大山、火圧し、地歪め、風鈍る」
媒介こそ無いものの、あれほどデカければ特に苦も無く重圧の負荷がかけられるだろう。しかしながら、行き足が少し鈍っただけでそれほどの影響は無かった。
(こういうのはどっちかといえば道士や陰陽師の領域なんだよな)
己の身体を変革することには慣れているが、他のものに対して影響を及ぼすのは苦手だと言い訳をしておいてから、再び軽量の御稜威をと思った瞬間に浮遊感が襲った。
「リョウの御稜威をもう何種類か見ておきたいところですが、まぁ命の危険には変えられませんね」
「ありがとう。おかげで距離が稼げた」
このまま下山できるかと思いたいが、この山の中ではなかなかにティナも集中力が削がれるということらしい。
どこを見ても同じ光景だからなのか、それともこの土地の霊力が関係しているのかは分からないが。
一番に考えられるのは「磁場」が狂っているのだろう。
「にしても随分と追ってきますね。余程気が立っているんでしょうか?」
木々に身を隠しながら木々の奥でまだ何か巨大なものが這いずっている音が聞こえてくる。どうやら追うのを諦めていない。
諦めていればその音が山頂の方に遠ざかっていくはずだからだ。
「竜にも繁殖期とかあるのかな」
あそこまで凶暴になるというのはそういう時期なのかもしれない。もっとも竜の生態というのはこの西方でもまだまだ分かっていないことが多いそうだが。
「リョウってば野外が好みだなんて趣味が危ないですよ」
この女の脳内でどれだけの意訳がされたのか若干興味がありつつも、どうしたものかと考える。
周りの木々は青々と生い茂っており、夏の季節に恥じない育ちっぷりだ。同じくあの竜も久々の肉の味に飢えているのかもしれない。
「とはいえ、いつまでも付き合っているわけにもいかないな。薬草も十分採ったし、これ以上はいる意味が無い」
「ごめんなさい。エザンディスの転移がここでは何故か短距離しか出来ないんです」
「気にしてないさ。ただティナその短距離転移を何回か繰り返して、何とか平地に出ることは出来ないか」
「平地……ですか?」
「ああ、見える範囲に収まればそこに転移は出来るだろう。そこで―――決着を着ける」
あの巨大な竜から完全に逃げることは不可能だ。どこかで痛撃を与えておく必要がある。それが出来れば安全に逃げられる。
出来うることならば殺したくないのだ。だがそうはいかないだろう。そしてティナに語った自分の本当の得物を晒すときかもしれないとして気を引き締めた。
「そうですね。このエザンディスは集中力もそうですが何より体力をかなり使いますので」
「ので?」
その続きは、ティナはこちらの首に手を回してくることで言葉の代わりとした。耳元に吹きかけられる甘く切なげな吐息が、言葉を代弁しているように感じた。
――――私を物語に出てくるヒロインのように姫抱きしてください――――。
「では、この内容でよろしいですね」
大きな机を境に、瞳の色が左右で異なるドレス姿の少女は、取り決めにサインをした書状を見せながら了解したかどうかを聞いてくる。
「僕としても異存はない。ただこの場合、君達の割り当てが少しばかり多くなるのだけどいいのかな」
机の境の片側にていつもの平服ではなく戦装束。何年も着ていなかったのではないかと思われるぐらいに、久しぶりな服に袖を通した黒髪の少女が疑問を呈する。
ジスタートが誇る七戦姫の内の二人。エリザヴェータ・フォミナとアレクサンドラ・アルシャーヴィンは、この時、海賊討伐の戦場での取り決めに関して喧々囂々(むしろエリザヴェータのみ)の争いをしていた。
「ルヴ-シュの兵は精強であり何より私に心より従ってくれる信の兵です。傭兵募集をしているあなたの領地の軍よりもよく働きますわよ」
鮮やかな赤い髪を掻き上げながら言うエリザヴェータ。それはあからさまな挑発だった。
公宮務めの武官の一人が顔を赤くしてサーベルに手を掛けようとしたが、その武官を振り向かずサーシャは手で遮る形で抑えた。
一触即発の状態を手の平一つで鎮めたサーシャであったが、彼女が態々苦しい戦いをしてくれるというのならば、レグニーツァにとっては不利益は無い。
だが、それ以上に何かしらの事情が見え隠れもする。実際、彼女も当初は傭兵募集を掛けていたはずなのに、一度雇った連中に違約金まで払って、追い返したのだ。
(間諜でもいたのかな。どうにも焦っているように見える)
詳しい事情は分からないが、レグニーツァ側としては作戦行動に不満もない。戦利品の分配にかんしても異論は無い。不測の事態が起きた場合はお互いに協力してこれを打ち払う。
不測の事態というものが、どのようなものかと仮定する必要もあるが、海賊が邪神と契約していて訳の分からん呪術を使ってきたり、海の竜がいきなり現れて襲って来たりと。
考えれば馬鹿馬鹿しいものから、ありえそうなことまで何でもござれである。そんなことまで考えていては何も出来ない。
「ところで起き上がっていて大丈夫なの?」
「心配してくれるのかい?」
エリザヴェータの言葉に、微笑を零しながら言う。自分が起き上がって、しかも戦装束で現れたことが彼女にとってはとても想定外だったようである。
「病人は病人らしく寝ていた方がよろしいかと」
彼女の言葉は挑発もあるが、心配も含まれているだろう。彼女とエレンに起きた顛末は何気なく聞いている。だからこそだろう。
「苦い薬ばかり飲まされてね。良薬は口に苦しという言葉の通りで―――今は、この通りだ」
戦場に出れるかどうかは分からないけれどね。と含みを持たせた言葉でエリザヴェータをけん制しておく。心配を少しはしてくれた彼女には悪いが、自分とてこの土地を治めている領主なのだ。
甘い考えばかりではいられない。
(リョウが何かしら良い薬を取ってきてくれるらしいからね。にしてもここまで身体が動くとは)
無茶をすれば剣を振るえるだろう。だが無茶をしなければ普通に生活することは可能となっている。
「……あなたの雇った傭兵には随分と毛色の違うものがいると聞いているけれど、彼が余計なことをしてくる可能性は無いのかしら」
「誰のことだい? 申しわけないが君の軍と違って僕の軍はいい加減でね。どんなに卓越した腕でも傭兵風情は傭兵風情として雇わせてもらっているよ」
「………」
こちらのはぐらかしに怒りの表情で押し黙るエリザヴェータ。十七歳の少女に対して少し意地が悪かったかと思いながらも、自分に仕えてくれている武官を侮辱されたのだ。この程度の仕返しはさせてもらう。
そうしてからこちらの少しの器の大きさを見せつける。
「冗談だよ。東方剣士リョウ・サカガミのことだね」
「彼がヤーファの意を受けた間諜の可能性は無いといいきれますか?」
琥珀色の右目の眦を上げながらエリザヴェータは問いかけてくる。
「言葉から察するに彼は、故郷ではそれなりの地位にいるようだ。ただ彼の言葉を信じるならばヤーファにはそんなつもりは無いらしい」
西方侵略という脅威の可能性をサーシャも考えたが、彼の言葉にはそんなつもりは無さそうだった。
それならば、アスヴァ―ルの争乱を完全に納めた上で親ヤーファ政権を樹立させて西方侵略の橋頭保にしただろう。
「額面どおりにそれを受け取ったのですか」
「まだ断定は出来ない。ただ彼が暴走した時は、僕が責任を以て食い止めよう。彼を雇ったのは僕だからね」
言葉でそう言いながらもそんな疑うようなことはしたくない。彼には大きな借りもあるし、何よりどこか好きになってしまったのは事実だからだ。
「……いいでしょう。ではお互いにどちらかが敵を発見したならば、これを撃滅するために全力を尽くす。お互いの物見の目と間諜の実力に期待しましょう」
「同感だね。見送りはいるかい?」
「結構です。ではアレクサンドラ、出来うることならば戦場で武を競い合いましょう」
踵を返して己の武官と文官を伴い退室をするエリザヴェータ・フォミナを見ながら、あれぐらいの歳のころの自分はこんな感じだったろうかと思う。
自分としてはもう少し落ち着いていたかもしれないが、それはただ単に自分の運命を自覚していたからだけにすぎない。
(考えてみたらばわざわざ他の戦姫に自分の実力で黙らせるなんてことをやっている時点で僕もエリザヴェータと変わらないのかもしれない)
苦笑してから、現実に対処をする。地図に記されている近海の島々。この中に海賊共の塒があるはずなのだ。
それを発見出来ればいいのだがという思いで見入ろうとした時、文官の一人が声を上げた。
「しかしアレクサンドラ様、よろしいのですか? このような条件をお受けになられて」
「なんだみんなそんなに血に飢えていたのか? それは気付かなかったな」
「人をまるで殺人鬼のように言わないでください」
「わざわざ大変な役目を他の奴が率先してやってくれるんだ。後方支援だけはきっちりやれば文句は無いよ」
文官にその旨を伝えると渋々ながらも引き下がる。本当の所は戦利品の分配なのだろう。
海賊共が何を持っているのかは分からないが、金銀財宝を溜め込んでいた場合。あちらが多くを持っていくことになるだろう。
「僕が戦場に出る以上。第一の軍規を定めるとしたならば「利得」よりも「命」を大事にしろ。それだけだ」
どんなに財貨を大量に得たとしても心臓ひとつ人間ひとり失えばそれは財貨以上の損失となるのだ。
用兵上手の将が一人失われればそれは金貨一千枚でも賄えまい。兵士一人にしてもそうだ。
公国の兵は「常備軍」でありブリューヌなどのように、領民を徴兵しているわけではないのだ。
練度もそうだが、かかった金の額が違う。だが、それ以上に―――命を大事にしなければ戦には勝てない。
「死んでは勝利の美酒も何も無いんだ。それが承諾できないというのならば、この場を辞してくれ」
故郷を蹂躙する蛮夷を倒す義憤は結構だが、それで死んでしまっては元も子もない。
だからこその言葉であることはこの中にいる全員が理解している。そしてこの戦姫が示した軍規がどういった心情で発せられたのかを理解しないものはこの場にはいなかった。
頭を低くして改めて自分たちの領主を拝跪した部下たちに頭を上げるように言うサーシャ。
「さて、では現実に対処するとしようか。場合によっては上陸作戦もするようだからね」
地図にあるどこかで海賊共が英気を養っていると思うと腸が煮えくり返る思いだ。
「マトヴェイに一時的に海軍総督の地位で探らせますか?」
「それはいい。しかし見つからないだろうね。彼は何度もあの辺りの航路を取っているから海賊がどこら辺にいるのかを探っているそうだ」
アスヴァ―ルとジスタートまでの航路の間にもある全ての小島をまさか探るわけにもいくまい。
「こういっては不謹慎ですが楽しそうですな」
紙の報告書を携えた老従僕がいつの間にか自分の側に来て、そんなことを言う。
「まさかマトヴェイが『連れてきた特効薬』がここまでアレクサンドラ様に効くとは思いませんでしたな。心身…いえ、心の部分だけでもあなたを全快させたことは勲章ものですよ」
「……そういうのは下種の勘繰りだと思いませんか?」
平素の小娘な感覚で発した言葉に老従僕は、『竜具で蜃気楼を作ってまで、男に会いに行くなど年頃の乙女にしか思えませんよ』と小声で言われて顔が赤くなるのを隠せなくなる。
紙の報告書にさっと眼を通してから老従僕が言う心の部分を全快させた特効薬は、今何をしているのだろうかと思い窓の外の景色に眼を移した。
体当たり。その重量を活かした攻撃に特に何をするわけでもなく前に出ながらリョウは体捌きで躱す。だがその速度は尋常ではなかった。
横で見ているティナはそう感じた。土砂が吹き上がって世界が茶色に染まった。それを遠吠えで消そうとしたのかそれともただ単に吠え猛りたかったのかは分からないが、火竜は轟音を上げた。
鼓膜が砕けそうなそれを前にしながらも、リョウの動きは変わらなかった。火竜の尾が接近しようとする剣士を打擲しようかという時に、その尾が宙に舞った。
(尾を斬った!? あの剣で……)
だがリョウの目は尾には向いていない。まるで鬱陶しい虫を追い払ったかのように、剣を振り上げていた。そのままに火竜に接近している剣が腹を斬ろうかという時に、身体を回転させてリョウに牙を向けて噛もうとする。
巨大な頤が、太すぎる牙がリョウに食い込む。そんな予想は一瞬で無くなった。身体を回転させてリョウを視界に納めようとした竜からは消えていたのだ。
また横かという時に、リョウは空から降ってきた。その剣―――直刀、太刀というものを下にしながらの急襲。巨大すぎる竜の首の付け根。そこを狙ったのだろうが、身じろぎした時に外れて背に突き立ち盛大に血液を流す火竜。
痛苦に身を捩り、背中にいるリョウを振り落そうと滅茶苦茶に動く火竜。粉塵が舞い上がり時折吹かれる火炎が草を燃やしていく。
だがリョウはそんなことに頓着せずに、背に刃を突きたてながら尾の方まで走っていく。
「はっ!!!」
途中で固い何かに当たったのか、気合い一声で背開きの作業を終えて刃を抜いて地面に降り立つ。
火竜は復讐の好機として、遠吠えを上げながら火炎を吹いた。
「リョウ!!」
その火炎は完全にリョウを包み込んだ。最悪の想像がヴァレンティナに過った。その火炎の過ぎた後に―――リョウはいた。
「大丈夫だ。問題ない」
「いや、問題ありますよ!! 何ですかその剣は!?」
思わず突っ込まざるを得ないのは、その剣の形状が少し変形していたからだ。直刀を基点にして大きな刀身―――氷で出来たものが形成されていた。
その剣が炎を無力化したのだと気づくと同時に、良く見ると空洞であった柄尻の穴に何かが埋め込まれていた。
「氷蛇剣と俺は読んでいる。これが俺の持つ神宝にして神剣―――「クサナギノツルギ」の力なんだよ」
血振りをするように氷の刀を下にしたリョウ。その様子に火竜はたじろぐ。
まさか自分の火炎攻撃が無にされるとは思っていなかったのか、だがその答えはリョウが出してくれた。
「そうだな火竜。お前にとっちゃこいつは同胞みたいなものだな。黒竜の化身が与えた竜具と何が違うかは分からないが、こいつはお前と同類だ。だからお前は―――恐れている。オロチの力を」
言葉に舐めるなとでも言わんばかりに火竜は爪を振るってきた。リョウはその攻撃を受け止めて、受け流す。力の移動が絶妙だ。
武を嗜むティナだからこそその動きの精妙さ技術の高さに惚れ惚れしてしまう。だが、なぜリョウは先ほどのように体で捌かないのか少し気になった。
これに関しては火竜の作戦勝ちであった。先程までの一連の攻防は火竜が無謀な突撃をする「前」からの読みで動いていたのだ。
リョウの剣とは始点から終点までの道筋を描くのと同様であり、それが成されなかった時に再び始点を作ることが必要となる。
神速にも思われたリョウの速さとは「剣速」「身速」「読速」の三つを以て行われる。左右の竜爪の攻撃は単純だが、それが竜の膂力を以て行われれば必定リョウでも難儀する。
(豪剣の使い手を何度も相手しているようなものだ。だがまぁ力だけに頼った動きでは俺を倒すことは出来んよ)
氷の剣の面積が減っていく。ヴァレンティナは飛び出し、援護をしようかと思ったがリョウが目で制してきた。
(私の方の動きも読めている―――リョウにとってこれは窮地ではないの?)
竜具に選ばれた戦姫には、人間を超えた超抜能力とでも言うべきものが与えられる。中でも己の体力などを消費して放たれる竜技(ヴェーダ)は、放たれれば尋常の者には容赦なき死を、超常の者にも痛撃を与える。
(百チェートを超える竜相手では一撃では無理でしょうけど私の竜技とリョウの刀でなんとかなるはず)
けれども、危機感が無くなる。リョウはここで死ぬような人間ではない。そんな直観が存在している。だから本当に彼が窮地になった時に自分のとっておきを晒す。
ヴァレンティナの決意と共にリョウの動きに変化が起きた。爪の鋭さと手の大きさを利用した叩き付けに負けて剣が地面突き刺さる。
狂える巨竜は、そのままに体を動かそうとしたがそれは為されなかった。身体が動かないという現実の前では―――。
(凍っている!)
見ると朱色の鱗の竜手が青く変色して、そして、突き立った爪の地面には霜が降りていた。
「氷の剣の面積が減っていたのは、溶けていたのではなく火竜を凍らせるためだったのね」
「そういうことだ!」
最後の仕事として地面を凍らせたクサナギノツルギを引き上げたリョウは「剣速」「身速」で首を横に移動しながら斬ろうとしたが、炎を自分の手に吹き付けた竜はそのまま――――「空」に飛び上がった。
「んなっ!?」
「びっくりですよ。こればかりは流石に……私も見たことありません」
あの火竜は―――混血だったのだ。「飛竜(ヴィーフル)」と「火竜(ブラーニ)」の二つの特性を持つ竜であったのだ。
「あの時、斬れなかったのは――――翼の骨。―――肥大化した肩胛骨から伸びる翼だったってわけか」
迂闊とはいえ、これを予測出来るという風なのが難しい。何せ、あの竜の翼は今しがた生えたような気もする。
「しかし不味いことになった。あの竜だがどうにも正気じゃないっぽい」
「わかるんですか?」
遥か高みまで上昇を続けていく火竜を前にしてティナもこちらにやってきて詳しく話を聞く。
「原因は分からないが、何かしらの施術をされて狂わされている。このままだとレグニーツァに被害を出すかもしれない」
だが、火竜は既に空高く舞い上がり、こちらを睥睨している。その顔がこちらにだけ向いていればいいが、もしも街の方に向かえば。
「ここで仕留めなければいけない―――けれど……」
弓でもあれば、いや弓でも届かない距離だ。あそこまで高く上がってしまった存在を倒すものはない。せめてこの剣を撃つことが出来る「魔弾の使い手」がいてくれれば。
無いものねだりは出来ない。一か八か軽量化の御稜威で地面の縛りから解放されてあの竜に肉薄するのも一つ。
「エザンディスの転移で空中に出ますか?」
「まだこの山の影響から逃れられていないんだろ。下手すれば激突死だ」
「じゃあどうするのですか? このままでは大勢が死にます。そんなことは容認出来ません。私は戦姫である前にジスタートの貴族なのです」
彼女の悲痛な叫びに、最初の案で何とかしようとした時に、甲高い音が響く。何かが鳴り響く音。それはどんどん高くなっていく。
「これは……」「鳴り響いているのはお互いの武器か」
こんな現象は初めてだ。そして埋めていた「氷の勾玉」が外れて、「虚無の勾玉」が自動的に剣に嵌め込まれた。
瞬間。自分たちの脳裏に「出来ること」が直接伝わった。頭痛すら伴うそれを行うのに迷う暇は無い。狂える火竜は今にも街に向かいそうだ。
視線でのみお互いに応答しあい空中にいる火竜をはったと睨みつける。お互いにお互いの攻撃が出せる間隔を置いて、行動を開始した。
同時にエザンディスが光輝き、またクサナギノツルギも光を発する。
光り輝く得物を手に、お互いに虚空に向けて見えぬ敵。悪霊を打ち払うかのように凄烈な斬撃を放ち。お互いに虚空に居ない観客。祖霊を称えるような剣舞を披露する。
ヴァレンティナとリョウの舞は光の粒を周りに振りまきながら終わりがないかのように思えたが、終焉はあっけなく来た。
今まではお互いに周囲を付かず離れずの踊りを披露していた男女はお互いを正面の視界に納めた瞬間に、ヴァレンティナは上段からエザンディスを振りおろし、リョウは下段からクサナギノツルギを振り上げた。
鎌刃と刀身がぶつかり合い、甲高い音が鳴り響く中、二人はこの剣舞に対する名称を叫んだ。
『天之瓊矛=天之逆鉾』
上空を飛ぶ火竜にとってそれは予想外の「攻撃」であった。
二人が斬を虚空に向かって放つ度に、火竜の身体は切り刻まれた。それだけでも致命傷ではあったが、最後―――天空より放たれる光柱の圧力と地上より放たれる光の砲撃は既に致命傷であった竜にとってとどめの一撃となった。
自分たちの後ろに落ちた火竜の音で夢を見ているような心地から解放されて現実に戻る。
「今のは……いったい…」
「とにかく今は火竜の方を見に行こう。死んでいるとは思うが……」
呆然としつつも自分たちが先ほどまでやっていたことの結果を見なければならない。離れた所に落ちた火竜の身体はやはり鋭利な刃物で切り刻まれていかのようにずたぼろであった。
(斬撃を「転移」させたということか……)
自重で出来上がった穴の中に落ちている火竜はそれでもまだ生きているようだ。この山の主としての貫録かそれとも。
「リョウ……どうします?」
「介錯するのも吝かではないけれど」
ティナもここまでの「技」であったとは想像していなかったようだ。何より自分たちがこれをやったという感覚が無い。
しかし、自分たちの行いの結果であると認識して、この竜を楽にさせることに――――。
『その必要は無い。いずれ我が肉体は滅びるだろう。この苦痛もまた生きている証拠だ』
「ッ!!」
「竜が喋った!?」
『頭の中に直接伝えているだけだ。我がヒトの言葉を介しているわけではない』
まさに驚きである。ここまでのことが出来るとは、やはりこの剣が何かをしている。クサナギノツルギをみやると同時に、竜が言葉を発している。
『そうだ。その剣。我らが始祖の一つでもある八つ首の大蛇の現身ともいえるその剣が、汝らに言葉を伝えている』
「……そうか。何というか色んな意味で驚きだぞ。黄泉の国に行く前にいくつか質問させてもらってもいいか?」
『構わん。人と話すなど我にとっても初の事だ。冥途の土産を作らせろ』
随分と人間的な事を言う獣だと苦笑しながら思うが、とりあえず今は質問を優先する。
「お前を狂わせたのは何者だ?」
『気付いていたか……だが我は狂わされたのではない。支配から逃れようとして狂ってしまったのだ』
「支配?」
不穏な言葉にティナも眉を顰める。古来よりどの国でも竜というものの調教及び騎馬とした例は無いのだ。そんなことが出来るやつがこの巨竜を従わせようとしたのならば、それは大変な脅威だ。
『そうだ。黒ローブの「老人の擬態」をした邪の者に同じく「青年の擬態」をした魔の者―――この二人が、我を支配しようとしてきた』
竜の思わぬ言葉に背筋が寒くなる思いだ。探し求めた忌むべき者の存在を確認出来たのだ。
『黒い巨大な鎖だ……それを嵌め込まれた竜は、二人に従わされた。事実この「火竜山」の火竜の一頭は、奴らに連れて行かれた』
だが、この巨大な竜は山の主であり、そのような醜態は晒さなかったそうだが、呪いを掛けることで自分を衰弱させてきた。
『その強力な呪は私を蝕み、灰や炭という食糧ではなく山の獣を全て食い尽くさんとする強烈な飢餓感であった』
この竜が山の主でありそのような行動を起こさないということを分かっていて、そのような呪いを掛けたのだ。
悪辣な。と吐き捨てたくなる。その後、随分と衰弱したところで再び来てとらえに来る手筈だったのだろう。
『さて、どうやら我の命もここまでのようだ―――死に行くものの言葉を聞いてくれた礼だ。これをこの地の焔の姫にくれてやれ。無論、お前たちが使っても構わないがな』
死力を振り絞った遠吠えの後に火竜は、口から紅に輝く綺麗な球形に磨かれたオーブを寄越した。
体液に塗れたそれは、形見分けのつもりだろうが正直もう少し幻想的に寄越せないのかと見当違いの悪態を突く。
その時、竜の幼生が小さな羽を動かしながら、こちらにやってきた。朱色の鱗をしたそれは、死に行く巨竜の頭に頬を撫でつけている。
「あんたの息子か?」
『そんな所だ。次のこの山の主として育ててきたのだが……その責任は果たせなくなってしまったな』
己の炎が燃え上がり荼毘に付していく巨竜の命はもう終わるのだろう。頬を撫でつけている幼竜に炎を移さないために、身じろぎして押しのけた巨竜。
「……あなたを殺したのは私たちです。だからこの子は我々が立派に育て上げましょう」
未だに親に頬を撫でつけようとしていた幼竜を抱き上げたティナ。その腕に爪が入りながらも構わずそれを宣言した。
親から引き離された幼竜の切ない鳴き声が耳に辛い。
『すまない。そしてありがとう―――良い山の主となれ』
その言葉を最後に、巨竜の身体が完全に燃え上がった。その炎は誰かを害することも山を焼き尽くすこともなく数刻後に消え去り、その焼け跡に多くの獣たちがあつまりつつあった。
「……そろそろ行こう。ここからは彼らの見送りだ」
「ええ、では行きますよ」
親の死骸を見ていた幼竜は、その羽をはためかせてティナの腕の中に再び納まった。
「気に入られたな」
「どうでしょう。ただ単に、寝首を掻く機会をうかがっているだけかもしれません」
「それはそれで将来有望だな」
からかいながらも、考えることは一つ。この地にいる邪なるもののこと、あの肥満将軍だけでなくジスタート、もしくは大陸のどこかにその存在はいたのだ。
見過ごすわけにはいかない。となると、今のままでは我を通して様々なことは出来ない。タラードの時と同じく、自分に必要なもの。それは実力をみせつけることで作られる地位。
もしくはそういう高い地位にいる人間の力で何とかこちらの思惑を通すことだ。今後の方針を定めると、その高い地位にいる人間がため息交じりに言う。
「何というか早く沐浴がしたい気分です。山を下りたらば一気にメザンティスで帰りますよ」
「俺もそんな気分だ。風呂に入ってさっぱりしたい」
「一緒に入りますか?」
ティナのからかい混じりの言葉に、何と返したらばよいやらと思いながら、疲れる身体を引きずりながら下山をしていくことになった。
そして自分たちが下山をすると同時に、ここに入山していく連中がいたことは、この時のリョウたちには全く気付けぬことであった。
そのことが後々に禍根を残すことになるなど、その時は思いもよらなかったのだ。
あとがき
今更ながらジスタートがロシアなどの東欧系国家をイメージで、ブリューヌがフランス、アスヴァ―ルがイギリス、ムオジネルがイスラムというかアラブ系。
ではザクスタンは、どの辺りをイメージして作られた国家なのか。とりあえずブリューヌと領土を隣合せていたりして戦術レベルも低くないことから、恐らくドイツをイメージしているのだろうかと想像。
今回の話の中でムオジネルから買い入れた「火砲」というのがありますが、魔弾世界においてはまだ火薬兵器の実用化はされていないのではないかとおもいつつも、ロランという騎士を倒すために、ザクスタンの投石器と同じく少しばかり技術が進んだと想像しておいてくださいね。
けどロランは西方の守りだからムオジネルの国境付近では噂にはなっていないはずなんですけどね。その辺もまた今作の独自設定ということでご容赦ください。
更に言えば川口先生が描かれるヤーファと今作のヤーファの違いがどんなものになるかもまた不安ですが、今作のヤーファはイクサオニの頃から時代はかなり経っています。
もっともイクサオニ自体が、古代日本の頃を描いていると思われるので魔弾の時代を現代的に擦りあわせるならば、産業革命以前の中世の辺り――鎌倉・室町程度になるでしょうか。
いずれティグルが訪れるだろうヤーファの実像がどんなものかは分かりませんが、今作はもう少し先んじて戦国辺りまでになっているとしておきます。
ではでは、2013年ももう終わり。聖なる日に新刊発売とか本当にメディアファクトリーは鬼すぎる(笑)などと思いながら、お相手はトロイアレイでした。