剣呑な空間だ。こちらが気を緩めているというのにあちらは険しい顔でこちらを見ているのだからしょうがない。
あちら―――相手方の副官・男女両名は、何度目かになる嘆息をしてから申し訳なさそうな顔でこちらを見てくる。
「成程な。事情は分かった。どうせならばお前、ブリューヌ側に雇われてみたらどうだ。諸共に潰してやる」
「意気込みはいいのだがな。二万五千にも上る軍団だ。そうそう簡単に打ち破れるかよ。第一、パラディン騎士を侮ればお前でも命は無いぞ」
前半はやり方次第だと思いつつも、後半は金星、兜首を上げられるものはそうそういまいという思いで放った。
執務室に備え付けられているソファーに腰掛けつつ、そう言って書状を渡した相手―――ライトメリッツ戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアは、こちらの言葉に少しだけ考え込む。
「ではお前ならばどうやって二万五千を五千で倒す?」
「夜襲の背面突きだな。ディナントでぶつかるとしても海洋でぶつかるとしても―――あちらは負けるとは思っていないだろうからな」
勝ち戦を信じている軍隊程、士気が低く動揺が発生しやすい軍隊は無い。かつてヤーファで起こった戦でも水鳥の羽音にいないはずの軍隊を見て勝てるはずの戦から逃げ、来るはずがない方向からの奇襲というもので敗れ去った一大勢力はいた。
「その他には?」
「まぁ色々だな。火殺でも封殺でも―――問題は、その通りに動けるかどうか」
「忌々しいことに、お前と殆ど考えが同じだ。なぁリム。もっとこの男でも実行出来ぬ奇策・強策というものはないか?」
「エレオノーラ様、人類が文明を築いてからどれだけの血と共に多くの戦略・軍略が開発されたと思っているのですか」
「つまらん。ムオジネル商人から手に入れた火砲もまだ試験段階だから今回は使えないというのがまたつまらん」
諌めた方、諌められた方も微妙な顔をしている。エレオノーラは、このような気が乗らない戦をするのだから少しは面白みというものを求めている。
リムと呼ばれた副官リムアリーシャは、如何に戦費を使わずに勝てるというのならば、それを実行したいと思って、無茶振りに困惑している。
「ともあれ、お前さんの実力もライトメリッツの騎士達の実力も疑っちゃいない。だが一つ付け加えるならば、出来るだけ遺体の確認と貴室の人間は捕虜にしろよ」
「聞き捨てなりませんなサカガミ卿。我々は理性無き獣ではありません。戦場における道理と人道を守ることが出来る戦士です。そのような事は言われずとも行いますよ」
「申し訳ないなルーリック殿、ただ俺もヴィクトール王に言付かったことを言わなきゃ手落ちの責任を取られかねない」
黒髪を伸ばした美青年という表現が似合う男に返しながら、まぁそんなことは無いだろうなと思っておく。
それはこの部屋にいる「人間」には共通の認識であったようだ。もっとも視界の端で、丸まっている幼竜二匹には関係ない話だ。
「全くルーニエにはライトメリッツの竜としての自覚が無いのか、そのように敵と和睦するなんて主人に対する不義理だ」
視線をこちらから離して、絨毯の上にて寝転がっている火竜と飛竜の幼子を見たエレオノーラがそんなことを言い、それに対して反論をしておく。
「棲んでいる所が違うからといって何もかもが違う訳じゃないんだ。竜であれ、「人」であれな。なるたけ血を流さずに済むならばそうしていく。この場で一番賢いのは俺たちじゃなくてこの幼竜二匹なんだろうさ」
初めて見た同族に対してこの地にいた幼竜の取った行動はとりあえず無視であった。しかしながら自分よりも少しばかり大きい―――言うなれば「兄」のような存在に興味を覚えるのは即であった。
プラーミャが行儀よくしているのを見てルーニエもまたプラーミャを見習う形になった。しかし本当に興味あるものであれば二匹そろってそれを知ろうとしていた。
(だが真似っ子して俺の頭に二匹同時に乗ってほしくなかったな)
プラーミャの憩いの場所となっている自分の頭。そこに乗ると同時にもう一匹分の重みはなかなかに首の維持がしんどかった。
「……事情は分かった。だがお前、何か隠していないか?」
「色々とあるさ。もっともこの戦いが懸念していることの起爆剤となってしまうのが一番嫌だな」
険のある視線を向けられつつも瓢と受け流しつつ事情の一つを話しておく。
エレオノーラの側に問題は無い。元々心配など一つもしていなかったのだが、それでもロランと一対一になればどうなるか分からないのだ。
「そろそろお暇するよ。そして今回の戦いに俺は加わらない。細かな事に関してはサーシャが監督役として付いていくそうだから、そっちに従え」
「最後に吉報をくれて感謝する。ではとっとと出ていけ♪」
「客人を遇する態度一つでお前の器が知れるんだから自重しろ♪」
笑顔で言葉の殴り合いをするとやはりというか何というか副官二人は嘆息五回分ほどをしていた。
立ち上がり、エレオノーラの執務室を出る。言うべきことは言った。これ以上は余計なお世話だろう。
そうしてプラーミャを連れてライトメリッツを出る。
それはディナントの戦いの五日前の話だった―――――。
† † †
「駄目だ」
「何でだ。私はティグルの客将なんだ。ここでこそ働かなければ私がいた意味が無い」
もはや出征まで二日と迫った時に、ティグルは目の前にいる斧使いの客将に対して頑として譲れぬことを話した。
それは向こうも同じで譲れぬとして迫ってきた。
「俺は君を将として雇ったわけじゃない。言っただろ相談役及び侍女としてな」
「そんな詭弁を言うなんてティグルらしくない……」
「……この戦はブリューヌとジスタートの戦いだ。オルガ、下手に君を連れて行けばどんなことになるか分からない。第一、君の国の兵士だぞ。それを斬れるのか?」
どんなに彼女が今の自分はジスタートと無関係だとしても、それを信じるもの、理解あるものだけではないのだ。
無論、自分は彼女の事を信じている。しかしながら人とは自分の考えと視点でしか物事を見れないのだ。
如何に在位期間が少なかったとしてもオルガの事を知っている人間が皆無だとは考えられない。ブリューヌ貴族の中には戦姫と取引をしているものも大勢いるのだ。
何より―――オルガにそこまでの責を発生させたくなかった。ただでさえ流浪の放蕩をしている領主なのだ。これで同族殺しなどという罪科まで背負わせたくない。
「公国ブレストにいる民は、今でも君の帰りを待っている。それなのに帰ってきたらば責任と懲罰を負わせるだけ負わせるなんていう事、君の心証は最悪だぞ」
「……待ってなんかいない。ブレストの民は私のいた民族(いえ)とも違うのに、そんな事考えていないよ」
不貞腐れるオルガ、しかしながらこればかりはティグルも譲るつもりはなかった。
彼女が帰るにせよ帰らないにせよ。
同胞殺し。内戦や領土争いでもない。国同士の戦いで彼女をーーー戦姫を使うわけにはいかない。
「心配するな。こちらは二万以上の大軍だ。確かにジスタートの兵は精強で知られてるし、君で戦姫の力も存じているけれど俺は生きて帰る。正面に出るのは、大貴族ばかり小貴族である俺やアルサス兵の出る幕じゃない」
「けれど相手の戦姫は、戦上手で知られる女だ。けしからん乳でも知られる相手で一度は見たことがある」
「その身ぶり手振りがまさか胸の大きさを示しているわけじゃないよな…」
オルガの大袈裟な表現に真面目に考えながらも、そんな大きさで剣を振るうなんて、伝説に謡われるアマゾネス一族でもあるまいし、などと余計なことを考えてからオルガを止めるための方策はあるのだ。
「……ならば俺にもしものことあれば、オルガ君が俺を助けに来てくれ」
「ティグルのことだ。捕虜になるのも簡単だろうな」
ブリューヌの貴族でありながらも、ブリューヌの合戦礼法を出来るわけではないのだ。
「命あっての物種だ。それにマスハス卿も言っていたがこんな戦いに命を張るのは馬鹿らしい」
臣として禄を頂いている以上は、相応のつとめは果たすが、それでもやらなくてもいい戦いで命は落としたくない。
「俺に何かあれば、このアルサスは空白地帯になる。その際に信頼おける人間に何とかしてほしい……マスハス卿にも言っていたがオルガ、君にも動いてほしいんだ」
ここの領主は確かに自分だ。だがもしも自分が帰ってこれない時があれば、その時は……自分が帰れるまでここを守れる人に託したいのだ。
「オルガ、客将として君に頼むことはそれなんだ。頼めるか?」
「……分かった。けれども私は私の最善を尽くす。けれどティグルーーーいや、ティグルヴルムド=ヴォルン伯爵、あなたがこのアルサスの領主なんだ。ティッタさんもバートランさんも、みんなあなたの家族なんだ。だから……絶対に帰ってきて」
潤んだ瞳で、泣きそうな顔をしてオルガは、言ってきた。
戦に絶対はない。だからオルガの不安も良く分かる。
これ以上は、決意が鈍る。しかし、ブリューヌの貴族としての務め以上に皆を死なせたくない。ティッタやオルガのいるここで過ごしていきたい。
「だが、男子として戦いから逃げることは出来ないな」
そうしてーーーディナントでの戦いは始まろうとしていた。
† † †
ディナントでの戦いの経緯は、聡いものいれば本当にくだらない理由で始まる。しかしながらこれを好機と見るものもいた。
あるものは皇太子に武人としての箔をつけようとーーー。
あるものは戦闘の最中に重要人物を害そうとーーー。
あるものはこの戦いで盟主に対して顔を売ろうとーーー。
様々な思惑が渦巻くのがブリューヌ陣営であり、それを敏感にティグルは察知していた。
(なんだろう戦の前だというのに、この浮かれきった気分と殺意のごちゃ混ぜは)
周りにいる貴族達が口々にガヌロンとテナルディエの人道外れた所業を羨ましそうに言っている。それすらも耳に入らぬほどに、ティグルは緊張感に曝されていた。
「若、どうしたんですかい?」
隣の老人。自分の側仕えをしてくれているバートランが、聞いてきた。
「まぁ緊張しているだけだ。初陣以来だからなこんな戦いは」
「なぁに、我々は我々の役目をこなすだけですよ。ウルス様も仰っていたでしょう?」
「別に武功を立てたいわけじゃないさ。ただーーー」
バートランの笑いながらの言葉に救われる思いでいながらも、言葉が途切れたのは何人かの護衛。特徴的な細剣を携えた女騎士を伴った貴室のものがやってきたからだ。
思わずバートランも平伏して自分の後ろにて佇まいを正した。
「御変わり無いようで安心しています。武芸大会に来られなかったので何か重病の類いにかかったのではないかと心配しておりました」
「格段のお心遣い、臣として感極まります」
内心、何故このような場に、おまけに自分にレグナス王子が、挨拶をしに来たのか疑問もさることながら、いきなりな高室の登場にティグルは余裕を無くしてしまった。
こんな時に天幕の一つも用意してこなかった自分の浅はかさを恥じて、後ろにいるバートランは更に混乱しているだろうと思い、直ぐに領主としての応答を行う。
「殿下、幕舎の一つも用意出来ず申し訳ありません。ですがブリューヌの臣下として全力を以て挑む所存です」
「お構い無く。今日は顔を見れただけで十分です。ですがヴォルン伯爵、どうか身を大事にしてください。私は私のために己の命を賭けてまで戦われてはそなたらの先祖や私の先祖に申し訳が立ちません」
殿下も今回の戦いの目的を存じているのかーーー。
当然か。この方が自分のことを分かっていないわけがない。
「だからヴォルン伯爵、生き残ってください。そして私に再び野鳥の料理を食べさせください」
「……お咎めなければ、ただ出来ることならば私の事業で出来た乳製品を召し上がっていただきたい」
あの時のことを覚えていてくださったとは……という感慨あったが、それ以上にレグナス王子の近づけてきた顔の端正さに違う人間を思い出してしまう。
だがそれでも男相手に内心、紅潮してしまうなど気恥ずかしすぎて周りに知り合いがいなくてよかった。
そうして、諸侯に対する激励だったのかレグナス王子は、自分から去っていった。名残惜しそうな王子の姿にやはり胸を締め付けられながらも、臣下としての礼を忘れずに叩頭しつづけた。
「若、いつの間に王子殿下とそこまで親しくなられたのですか?」
「いや、俺にも分からないんだ。ただ王都に行った時に殿下の御親族と少し話をしたからじゃないかな」
バートランの疑問に答えつつ再び歩きだそうとしたところーーー。またもや客が来る。
今度のは招かれざる客人というに相応しい。
「王子殿下と話したぐらいでいい気になるなよヴォルン」
「ーーー何故、こんな所にいるザイアン?」
ここは陣の中でも後ろの方だ。ザイアン……テナルディエ公爵ほどの軍勢ともなれば、ブリューヌ騎士としての威名を轟かせるために前の方で『たむろっている』はずなのだが、取り巻きの何人かの若手領内騎士…以前にみたのとは違うそいつらがザイアンに従容としているのを見て少しばかり怪訝な思いに囚われる。
今まではザイアンと同じ増長した貴族子弟がいたものだが、その取り巻きがいないことに不自然な思いを感じる。
何よりティッタと同じくメイド服を着た女性が一人ザイアンに従っている。
殺気を出していないようでいて、その実こちらを油断なく睨み付けている侍女だろう金髪の女性にーーー先程とは違う緊張感に曝される。
「お前を笑いにきた。そういえばお前の気は済むんだろう」
狩人領主を嘲笑いに来たと白状するザイアンだが、それでもそれが真実であるとは信じられなかった。
「以前、お前は言ったな民を大事にすることでこそ初めて領主としての資質があるのだと……」
「……ああ」
苦手でかつ嫌な相手のいきなりな発言。先程のレグナス王子と同じく昔の言動であり行動を持ち出されて、ぶっきらぼうな対応をしてしまう。
「……全面的に承知出来るわけではないが、お前の言いたいことは理解した。今回は己の分を守って領民の元に帰るんだな」
苦々しそうな顔の後には、隣にいる侍女を見て少し穏やかな顔をするザイアンを見て、本当にこの男はザイアン・テナルディエなのかと疑問に思う。実はザイアンには双子の弟で『ジャイアン』とかいうのでもいるのではないかとすら空想を逞しくしてしまう。
「心配してくれてるのか?」
「勘違いするな。おまえがいなければ色々と面倒になりそうだからだ。如何にお前がブリューヌ貴族として弱卒であっても国の禄で暮らしている以上、勤めは全うしろ」
おっかなびっくりの質問に鼻を鳴らしながらザイアンは捨て台詞のように言ってから去っていった。
「変わったなあいつ……」
「全くその通りだな。王宮でも度々話題に上がっているよ」
「マスハス卿!」
この陣の中で一番、親しい人物の登場にティグルは内心、救われた思いだ。
「にしてもティグル、お主いつからあそこまで殿下と親しい間柄になったのだ」
「親しくはないでしょ。陣中激励の類なんですから」
マスハスのからかうような言葉に返しながら、配給されている「果汁水」に手を伸ばす。
三人で乾杯をしてから焚き火の前で話を進めることにする。
「先程のザイアンが噂になっているとはどういう意味なのですか?」
「悪評・不評の類ばかり上がっているテナルディエ領ネメクタムだが、少しばかりいい噂もあるのだよ」
そうしてマスハスが語ってくれたのは、重税を課せられた村や街が離散したとしても、それをそのままにせずに他領に入植させたり、もしくは見舞金などを与えることで、彼らを流浪させないようにしているとのこと。
離散・崩壊させているのが父であるフェリックスならば、それを何とかしているのは、その息子という噂だ。
「儂も驚いているよ。あれが傲慢などら息子であったザイアン・テナルディエなのかとな」
「以前のあいつならば俺が弓を使うことをあからさまに嘲笑してきたでしょうからね」
もしくは自分の弓を踏みつけることもしてきた可能性がある。
そのぐらい嫌なヤツ。そして短慮に過ぎる男だったのだが…
「まぁ何はともあれ戦だ。ところでお主、今回のジスタートの主力が国軍でないと知っているか?」
「七戦姫の公国の一つとは聞いております」
「うむ。その中でもアルサスに近いライトメリッツだそうだ。こんな戦さえなければお主といい取引が出来たであろうに」
嘆くようなマスハスの言葉に反応したのは意外なことにバートランだった。
「マスハス様、お言葉ですが若の事業で出来たアルサスのチーズやバターはブリューヌで一、いや西方でも一番だと思いますぜ。それを考えれば、そんなことは些細だと思われます」
ライトメリッツという公国一つと取引するよりは西方全体での販路拡大を目指すべきだとするバートランの意見に成る程と感心しつつも、自分も確かにアルサスの食品は美味しいと思っている。だが、それでもそれは故郷故だからとも感じる。
やはり郷里の味というものが、一番肌にしみるのだから、ただの贔屓目にならないようにもしていきたい。
だが、そんな事を考えていると、この西方に拠るべき土地を持たぬ一人の騎士、英雄のことを考える。
彼はこの西方の文化と東方の文化を融合させた。否、故国の文化をこの西方で認めさせたのだ。
「マスハス卿、俺は出席しなかった武芸大会で自由騎士リョウ・サカガミを見たのですよね? どんな人物でしたか?」
「普通の青年じゃのう。剣の腕は氷雪のごとき凍てつくものだが、心根はお前さんと変わらんよ」
それになんというか緩むときは緩む。と言われるとまるで自分が怠け者のようではないか。
「もっと言い方があるじゃないですか、泰然自若とか神色自若とか」
「小難しい言葉を使ってもお主よりはサカガミ卿の方に似合ってしまうよ。そんなサカガミ卿の異名に関連してだが、今回のジスタート軍の総指揮官が戦姫であることーーーーーー」
言葉が途切れたのは、大音声が響き渡り、そして馬の嘶きがマスハスの言葉を消してしまったからだ。
† † †
上機嫌な様子で馬を進める。行軍の様を気づかれないようにするのは簡単では無いのだが、ブリューヌ陣営は、馬鹿ばかりなのか、それとも楽勝だとでも想っているのか、斥候の一人も放ってくること無かった。
それさえあれば、こちらの動きも少しは掴めただろうに…
「だが勝てる戦というのは嬉しいな」
「まだ一戦もしていない内から、そんなこと言っていていいのかい?」
「大丈夫だ。サーシャがいてくれるならば、私の力は十倍にまで膨れ上がる。逆にあの色魔がいると十分の一になってしまう」
どういう精神構造してるんだ。という目で隣で馬を歩ませている白銀の戦姫を見ると、少しばかり浮かれているようだ。
まぁ気持ちが上がっているのは、いいことだ。指揮官が弱気でばかりいたならば、どんな作戦も成功はしない。
そしてエレンには慢心は無く、油断もない。
遠回りをして、ブリューヌ軍の後ろを取った。前進を開始すれば簡単に背後を突ける位置にまで来て、エレンは姿勢を正して、大声では無いが張りのある声で連れてきた千の軍勢を前にして宣言した。
「突撃だ。我々は一本の槍、一陣の風となりて、二万以上もの軍勢に痛打を与えなければならない。だが恐れるなーーー我々は勝つ。ライトメリッツの騎士達よ銀閃の風になれ!!」
符丁と宣言の数々後には、全軍が戦闘態勢に入る。
「シュトゥールム・プラルイーフ!!」
「エレン、女の子が使う言葉じゃないよ」
たしなめつつも軍隊が男社会である以上、そういった同一化も戦姫には必要なのかもしれない。
サーシャの感想を余所にライトメリッツの別動隊はブリューヌ軍の背後を突いていき、その攻撃は呆気なく全てを食い尽くしていった。
背後に混乱巻き起こる現状で、前線でも混乱が起きた。
正面の四千の軍勢が動き出したのも一つだったが、一番にはーーー総指揮官であるレグナスの幕舎で血飛沫が待っていたからだ。
お飾りのような総指揮官とはいえ、此処こそが、全ての諸侯に号令を発する場所なのだ。
ここが潰されては、各前線指揮官も各自の判断で動くしかなかった。
中でもザイアン・テナルディエは、襲いかかるジスタート軍と刃を合わせつつ、愛しき一人の女性の名前叫んでいた。
そしてその女性こそが、この混乱の一端を担っていた。
レグナス皇太子の幕舎に現れた黒ずくめの暗殺者集団。その中に彼女はいたのだから。
「ブリューヌ王家第一『王女』レギンだな?」
重装鎧の戦争装備の騎士三人を床に死臥せた暗殺者の中でも中央にいたくノ一の言葉に言われた当人と、護衛である女騎士ジャンヌは、身を震わせる。
敵は外ではなく内にいた。迂闊だったのだ。このような状況下での襲撃こそが暗殺者を使う好機だったのだ。
「何処の手の者だ。テナルディエか、ガヌロンか?」
「外敵であるジスタートの刺客を疑わない辺りに、同じ女として尊敬しますが……これから死ぬものが知るべきことか?」
言うと同時に、短い得物を構えるアサシンの集団、この王族専用とはいえ、狭い幕舎の中での戦いを心得た選択。
そして見るものが見れば、そのアサシン、特にくノ一が持つ得物はクナイの中でも業物の類いであり、ジャンヌは小剣『ドゥリンダナ』をそのままの状態で、アサシンと正面から向かい合うことになった。
(レギンだけでも、ここから逃がす!)
決意を込めて、ジャンヌはテナルディエ家最強の暗殺者サラ・ツインウッドに挑みかかった。
ーーーディナントの戦いは夜明けと共に、終結していた。
夜襲の奇襲。五千の兵で二万五千が打ち破られるという惨憺たる有り様は、総指揮官である王子が死んだという『報告』が闇の戦場に飛び交うと共に、重要諸侯は勝手な行動を取り、それに同調するものも多く……結果として、潰走の敗走。
ジスタートの兵士の白刃による殺害よりも逃げ回る味方に踏み潰される方が多かったなどというぐらいだった。
平原に死屍累々と横たわる鈍色と赤色を墓標とした死体の数々の中から一人の英雄が立ち上がる。
傍から見れば幽鬼が死体から出来上がったのではないかと思うほどの立ち上がり。粉塵で薄汚れた身体を持ち直して、遠くを見つめる。
英雄は男だった。ありとあらゆる重要な場面で女が主役であったこの戦いにおける終幕を告げる男。
知己の名前を叫ぶも、応答は無い。味方は全員死んだのではないかと思うほどに、とびっきりの悪夢を想像しつつも男は歩みを進めた。
前に出なければならない。生きるならば止まっていては駄目なのだ。
そうして見ると、目の前―――300アルシン先を悠然と横切る一団がいた。
七人の騎馬兵の一団。その中に目立つ人物を見る。銀色の輝き。鈍色の空の中でも燦然と輝く白銀の戦姫。
長い銀髪を振り乱して、何かを探している彼女こそ―――敵方の総指揮官。思わず見とれてしまうほどの美しさは、武器を持つよりも、社交界で花束でも受け取っていた方がいいのではなどと思ってしまう。
(オルガの言う通りならば戦姫の持つ竜具は超常を司る神秘の武器だ……)
相手にしようなどと考えてはいないが……この後に、同じく騎馬兵。特にもしも今以上の集団に見つかれば自分の命はないだろう。
つまりは幸運を求めようとすれば失敗する可能性もあるのだ。
七人の中から誰か一人だけでも出てきて打ち落とせれば、馬を奪える。
(賭けに出るしかない……)
周りに味方は居らず、これ以上留まっていては、どうなるか分かったものではない。
まずは相手の意気を釣る―――。こちらから見える最初の騎馬兵の馬に矢を放つ。
狙い通り空気を裂いて相手の馬を狂乱させることに成功する。振り落される仮面の騎士の正体が女騎士であることを確認した後にーーー予想外のことが起こった。
こちらを警戒して手勢を最初に寄越すと思ったというのに、爛々とした顔。まるで面白いものを見たかのような目をして、真っ先にやってきたのは戦姫だった。
もはや覚悟を決めて、戦姫を打ち落とすことで馬を手に入れるしかない。
弓弦を引き絞り、剣を握らない手綱を握る手を狙う。
(風と嵐の女神エリスよーーー!)
御加護を、という内心の言葉と同時に放たれる銀色の矢は銀色の長剣によって「斬り払われた」。
だが、それは織り込み済み。相手の動きを予測しての二射目を放つ。既に弓弦を引き絞られている。英雄の眼が斬りはらい伸びきった腕の、手甲を狙っていた。
甲を貫き、剣を落とすと思っていただけに次の瞬間に驚いた。
風が吹いた。まるでこちらに加護を与えずに戦姫に加護を与えたのではないかという程に、その少女の周囲に風が吹き荒れて、矢を在らぬ方向に飛ばした。
そしてその風の加護は馬に通常以上の跳躍力を与えて伝説にある天馬のようなそれを見せつつ、二百アルシンを跳んできた。
もはやこちらとの距離が五十アルシンあるかないか……。
(終わりなど呆気ないもんだな……)
死ぬつもりは無かった。だが、これ以上はどうしようも無い。
五十アルシンの距離を再び跳んでこちらの目の前にやってきた戦姫。弓を下げて一応の降伏をしておく。もはや生殺与奪はあちらに委ねられた。
「どうしたもう抵抗しないのか?」
物語の続きの読み聞かせをねだる子供のようだ。と戦場に似つかわしくない感想が生まれた。
そのぐらい彼女は面白がるように言ってきたのだ。
「俺の距離での戦いは終わった。あの必殺の二射を止められたら抵抗する気も無くなる」
「周りにある槍でも剣でも使えばよかろう」
「これは俺も知らぬ戦士達の墓標であり誇りの証だ。おいそれと使うことは出来ない」
第一、自分は剣も槍も苦手だと……自分の末期の言葉を聞くだろう相手に答えていく。
それにしてもすらすらと答えられるものだ。
恐らくこれで終わりだと思っているからだろうか。それとも―――彼女の美しさを前にして頭がおかしくなったかだ。
「ふむ。ブリューヌの戦士としては失格かもしれないが、その弓の腕は正に天地に並ぶものはないだろうな……。私はライトメリッツ戦姫 エレオノーラ・ヴィルターリア、お前は?」
殺すまでは行かなくとも自分を狙った相手を賞賛するなど、少しばかり予想外だった。そして名前を聞いてきたことに関しては観念する思いでティグルは全てを答える。
「ブリューヌ王国アルサス領、領主ティグルヴルムド・ヴォルン……国王陛下から賜りし位は「伯爵」だ」
「いいだろう。先程の勇戦に応えて―――お前の身柄は私が預かる。―――。今日からお前は私の『モノ』だ」
まるで新しいおもちゃを手に入れたように言ってくるエレオノーラの笑顔に何も言えなくなる。
―――お前は私の『モノ』だ。どうとでも解釈出来る言葉を吐かれながらも、自分には選択肢など無いのだと諦めの境地に達しつつ、エレオノーラに『自分に色子の真似事は出来ない』と伝えるべきかどうか少し悩んでしまった。
もっとも、言えば彼女の逆鱗に触れていただろうと後に思えたので、ティグルはこの時の自分の幸運を心底感謝した。
こうしてディナントの戦は―――大きな利益を生むことなく、ただ多くの人死にを出したままに終結を迎えた。
だが後の戦史研究家はこう述べている。
「この戦いこそが後の西方の戦役全ての発端であり、そして英雄ティグルヴルムド・ヴォルンが起った日なのだ」と―――。
そして戦史研究家は知らないが、この戦争には多くの英雄の友人であり、ティグルヴルムド・ヴォルンが、生涯を通じて『盟友』として信じた男が来ていたのだ。
兵どもが夢の跡を見に来た一人の男。東方の刀を携えて、戦跡を俯瞰するように見ながら―――目的のものが無いかと探る。
それを見てからでないと男は戻ることは出来なかった。明確な痕跡を探すべく男―――リョウ・サカガミは戦跡に降り立った。
戦跡を去っていく英雄。戦跡を探っていく英雄。
二人が邂逅する時、全ての運命は幕を開けることとなる。
あとがき
新たなワープロソフトを使い途中から、早くに書くことが出来ましたが文章の質が下がっていないかどうか少しばかり心配になりながらも、今話をお届けします。
特にあとがきで書けることは無いかな……まぁ来月に予定通りならば第三部開始の魔弾11巻が出ますね。
後はマシンドールも15巻が出るのか、おおっ多分だがどちらも原田ひとみさん演じたキャラが大活躍だな。
とはいえ『大活躍』と言っても正負の違いはありましょうが……。まぁ何はともあれ来月のMF文庫のラインナップは期待せざるを得ない。
では感想返信を
>>>almanosさん
もはや常連さんですね。感想ありがとうございます。まだソフィーは明確な竜技を放っていませんからね。とはいえ、ロリコンのような肉体が頑強な相手には「効かない」みたいに言う辺りあり得そうですね。
結局やはりオルガは連れてきませんでした。まぁ考えはしたんですけど、ここでエレンと会ってわちゃわちゃやった上に、更にサーシャに「何でここにいるんだ?」と怒られるなんてのだと描写的に、「誰が主役か分からん」という微妙なfate/zero現象を引き起こしかねなかったので没にしました。
ガヌロンが使った毒ですが、既読かどうか分かりませんが、ジスタート王位継承者「狂って幽閉された」というルスラン王子が「盛られた」と思われる毒と同じかもしれませんし微妙ですね。(もしかしたら呪いとか掛けた可能性もありますけれど)
まぁ何にせよあまり原作でも明確にしていない所は想像で書くしかないので、その辺りはご容赦願いたいです。
「ひとの世が覆ればいい」「然るべき時に、然るべき地に、誰か一人がいればいい」。最新刊でドレカヴァクが語っている言葉ですが、彼らにとってはガヌロン以上に「数」は問題じゃないんですねよね……正直言うと魔物関連が謎すぎる。ソフィーが調べた女神の代行者「魔弾の王」以上に謎だらけ。まぁその辺も三月新刊で語られるだろうと期待していますね。
ではでは今回はここまでお相手はトロイアレイでした。