その日、彼の姿はとても輝いて見えた。
公宮の中に設置されている練兵場。彼の姿はそこにあった――――。
レグニーツァの騎士達は、ここにて日々戦いの技法を磨いている。故郷である公国が何かしらの戦火に見舞われた時のために、彼らはそれを怠ることは許されない。
そして何より決戦の日は近づいていた。傭兵募集の触れ込みで集まった有象無象。山の者とも海の者とも知れぬ様々な人間達の中で彼は異彩を放っていた。
黒い異国の衣装に黒塗りの鞘に込められたレイピアとも、長剣(ロングソード)とも取れる得物。だがそれ以上に、彼は集まった人間達の中では若造だった。
その有象無象の実力を知るために設けられた丸太人型とでも言えばいいものをどれだけ斬れるかで受験者の技量を確かめていた。
「彼でしょうな。マトヴェイが乗せてきたヤーファ人というのは」
「うん。しかし……あれで丸太の人型が斬れるのか……」
カタナという武器はエレンなどから見せてもらったこともあったし、自分も何度か見たことがあったが、彼のは自分たちが見てきたものよりも―――細く、かつ薄い刃をしている。
傭兵達は前に出てきた若造を見てあざ笑う。矮躯とも言える彼に、携えた得物でその丸太が斬れるとは思っていなかったからだろう。
『それをもしもお前が斬れたならば、金貨十枚をくれてやるよ』
そんな挑発の言葉に、苦笑をしてから抜き放った刃を再び鞘に納めて腰だめに構える。
遠くから見ている自分にもわかるほど生と死の狭間に放たれる気が充満していき、抜き放つと同時に煌めく剣閃が、袈裟懸けに丸太を斜断した。
その上で抜き打ちの動きに連動して反対の手に握られた鞘が、丸太を殴打し木端に変えた。
(双剣―――いや、二刀流というものか!?)
文献でこそ知ってはいたが、ここまでの技巧とは思っていなかった。
一連の動作を終えた剣士―――リョウ・サカガミは嘲っていた傭兵に、手を差し出し。
『金貨十枚』
と短く催促をしていた。その様が少しだけおかしく思えた。先ほどまでは緊迫した闘気を発していたというのに、今では年相応の少年のような彼のギャップが本当におかしく思えた。
本当に同一人物なのかとおもうぐらいに、おかしかった。
だが丸太人型を叩き壊したのも彼ならば、いたずら少年のような表情をしているのも彼なのだ。笑みがこぼれる。
腹を抱えて笑いたくなる。あんな様を見れば隣の老執政官のように青ざめるのが普通かもしれないが、自分にはそうではなかった。
「東方剣士―――リョウ・サカガミか―――」
久しぶりだ。このような感覚は、他人に深くかかわりたいと思ったのは、本当に久しぶりだ。母の言から自分は少しそういうのを遠ざけていたが今は違う。
アレクサンドラ・アルシャーヴィンは何年ぶりとも言える初恋のような感覚で、見下ろした所にいる黒髪の少年とも青年ともいえる男の子の全てを知りたいと思ったのだ。
「煌炎の朧姫Ⅰ」
そんな風なアレクサンドラ・アルシャーヴィンの独白より時間は遡っていた時間。リョウ・サカガミは起き上がると同時に、何でこうなっていると疑問を感じていた。
「ティナ可愛いよティナ可愛いよ。世界中で一番美しく可愛い女の子だよ。その美しさの前では、華すらも恥じらいの蜜をこぼす―――」
「ていっ」
色んな所に謝らなければいけないことをする目の前にて押しかかっていた女性のでこを指で弾いた。悶絶というほどではないが、おでこを押さえるティナ。
「ちょっ、そのでこピンは少し痛いですよ。というか……リョウによって今、傷物にされてしまいました。責任を取って結婚してもらわなければ―――」
「はいはい。さっさと朝食に行こう。そして人の精神を支配するな」
「むぅ……」
身体を拭くのは後にしてティナと共に階下の食堂へと行く。というか色んな意味で朝は女の子の顔を間近で見ることは、不味いと思う。
「リョウの剣は、随分と立派でしたね。あれで貫かれる淑女に少し同情してしまうぐらい」
「やらしい表現するな」
「ああ、けど私には同情しなくてもいいですよ。望んでされることなんですから」
笑顔を見せながら、そんな事は言わないでほしいものだが、彼女に言うのはあまりにも無駄であった。
宿屋の女主人に軽い朝食を要求しながら水を杯に注ぐ。二つ分のそれを飲みながらさてどうしたものかと思う。
「今日、傭兵選抜が行われるそうだが―――君はどうするんだ?」
「ふむ、身分を隠してサーシャの陣営に潜り込むのも一興かと思いますけど、どうしたものですかね」
「仲悪いのか?」
「戦姫同士は確かに個人的に仲の良いものもいるし、領地経営の際の商売関係など様々です。最悪なのは―――顔を見るたびに、罵詈雑言の掛け合いから竜具を持ち出しての刃傷沙汰に発展するようなのも」
槍と剣の戦姫というものは領地を王直轄領を挟んで隣どうしでいがみあっているという。
その争いは時には兵士同士のぶつかり合いにも及ぶこともあるという。だが、これがリョウにとっては少し変に思えた。
「戦姫達は、忠誠心が厚くないのか?」
ヤーファのように封建領主制度ではない国家などいくらでもあるが、仮にも公国として封ぜられている領主が、好き勝手なことをするなどあらゆる意味で変に思えた。
「確かに序列としては王が一番であり、その下に戦姫というこの枠組みを超えることは憚られる。しかしながら、その下のことは各戦姫達に委ねられる。建国以来、戦姫達の争いも収まらなかったそうで」
「もともとは敵対していた部族だもんな」
「ところが、事実というのは小説よりも奇なり――この竜具という武器。実を言うと血筋とかではなく武器そのものが「主」を定めるのです」
「なんだって」
驚嘆しながらも大きな声を出さなかったのは、褒められてもいいと思う。だが確かに驚きの事実だ。
「女性が選ばれるのは当たり前なのですが……、先代の戦姫が死ぬか死ぬ前に後継者を定めて武器が、主の下に赴くのです。私は元々は貴族の娘でしたが、他の戦姫はどれも血統という意味では妙なのですよ」
騎馬民族の幼い子供が選ばれることもあれば、傭兵団の剣士、流れの旅人、貴族の落胤、その一方で「血統」に拘る武器もある。
意思を持つ武器。そう紹介されたエザンディスが少し揺れて蜃気楼のようにぶれるのを見た気がする。
「本人が知らないだけで建国王の妃の血が流れているという可能性は?」
「それは確かめようがないことです。どれだけの月日が流れていると思っているのですか」
仰る通りだ。としてスープを一口啜る。しかしそう考えると神宝というよりも呪具の類ではないかと思ってしまうほどだ。
「それで当代のレグニーツァの領主―――アレクサンドラ・アルシャーヴィンは、どんな人なんだ」
「年増です」
「一言で言いすぎだ。そして年増って……失礼だろ」
「しかし事実、戦姫の中では一番の年上ですし、まぁ私も三番目に上なのですが……最年長なのですよアレクサンドラは」
本人が聞いたらば竜具を持ち出しての闘争も厭わないほどに失礼千万なことを宣うティナ。
「まぁ歳のことはいいとしてどんな容姿なんだ?」
「それこそ言いたくありませんわ」
途端に不機嫌になりぷいっ、とそっぽを向くティナ。どうにも彼女の少女らしさが、野心家なところと相まって自分にはアンバランスな魅力に思えてならない。
物語の英雄達に憧れて、自らも伝説に語られる存在になろうとする子供らしさとでも言えばいいのか、それらが全てリョウにはティナの魅力に思えてならない。
とはいえ、今はその感慨を横に置いて彼女に理由を聞く。
「? 何でだ?」
「ご自分の胸に聞いてください。昨夜、私のプライドは酷く傷つけられましたから」
その言葉で、ああ。と納得してしまう。優雅に髪を掻き上げる仕草をするティナに苦笑してしまう。
つまりはアレクサンドラ・アルシャーヴィンという戦姫は短髪の装いの女性なのだということだ。
「ですが、彼女は見られないかもしれません。あまり身体が丈夫とは言えませんし、今回の海賊討伐も代官を立てて行われるでしょう」
「そんなか弱い女性も戦姫に選ぶのか、お前の同胞は随分と容赦ないんだな」
「エザンディスが心外だ。とでも言わんばかりにあらぶっていますわ」
残像を何回も発生させる彼女の大鎌。封妖の裂空という二つ名を持つ大鎌。確かにこの武器には意思がある。
自分が持つ「 」と同様なのだろう。
「まぁお目通りは叶わないでしょうし、サーシャはあなたの目的に関しては何一つ知らないですよ」
「そうか。となるとここでの海賊討伐を終えたら君の領地に厄介になるのもいいかな」
「来てくれますの!?」
「行くあては無いしね。君の所で食客をやるのも一つだ」
プリューヌ、ムオジネル、ザクスタンなどに行くにも準備が不足している。目の前で大声を上げた貴人の厄介になるのも一つだ。
「ただ、マトヴェイの依頼をこなしてからだ。彼の願いをこなさなければ俺はヤーファの剣士として情けなくて腹を斬りたくなる」
自分が持つ神宝ほどではないが、業物として知られる「鬼哭・真打」に誓ったのだ。
手に携えた黒い鞘込めの刀は、自分が元服と共に陛下より賜ったものなのだ。ある意味では神宝よりも大切なものだ。
「分かりました。では私は色々と情報を探ってみましょう。今回やってくる海賊の間諜などもいるかもしれません」
彼女は謀略を好む。というよりも謀略をめぐらすことを得意としている。無論、武芸も達者ではあるが、彼女の本領はこういう間諜戦に活かされるのだろう。
「頼む。それじゃ俺は傭兵に選ばれるように頑張ってくるよ」
「はい♪ いってらっしゃいませ。あ・な・た♪」
「なんか微妙にニュアンスが違うような気がするぞティナ」
「気のせいです。そしてお気をつけて」
言われるまでもないが、絶世の美女に言われるとどうしても張り切ってしまうのは男の悲しい性だ。
朝食を終えて、宿を出ると同時に方向を二つに分けて歩き出す。お互いにお互いの後ろ姿を気にしてしまうのは、どういった所でお互いに興味を持ってしまっているからだ。
だが、やるべきことをやらねばならない。公宮は質素な造りというか少なくとも領主が己の権威を示すためのものには見えなかった。
とはいえ、それなりの広さを持ったそここそが戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの居城なのだ。
「傭兵志願の者たちはこちらに並んでいただきたい」
勤めの兵士の一人が門の前でさし示していたのは、練兵場の一つであってそこでどんな試験が行われるかは知らないが、そこで振るいにかけられるはず。
「結構、広いんだな……」
何気ない感想を漏らしながら周囲を見ると色んな人種の傭兵がいた。肌が浅黒いムオジネル人が曲刀(シミタ―)を、ザクスタン人が槍を、人種の坩堝の中。見知った顔がいないかと見たが、どうやらアスヴァ―ルで見た連中の殆どを上手くタラードは繋ぎとめているようだ。
そしてそんな人種の坩堝の中においても、やはりヤーファ人は奇異に見えるようだ。敵意でもなし、さりとて好意でもない。あえて言うならば興味の視線。
四方八方からの視線には既に慣れてしまったが、それでも良い気分はしない。
「坊主、得物が立派なのは結構だが……お前みたいなのが来るところじゃねえよここは」
「あんたは?」
そんな気分でいた所に声を掛けてきたのは、一人の傭兵。古傷を多く刻みこんだ顔に歴戦の古兵者と思しき武具で身を揃えた男だった。
歳は三十前半だろうか、見るものによっては後半か四十にも見える。
「ドナルべイン。お前は?」
「リョウ・サカガミ」
こちらの言葉に眉を少し上げるドナルべイン。その反応だけでどうやらこちらの名前を知っているものはいたようだ。
「お前が……騙りということは無いだろうが、それにしたって若すぎる……いくら傭兵とはいえ、お前ぐらいの歳で俺はまだ芋剥きぐらいしか任されてなかった」
「実力があれば歳は関係ないだろ。それにどんな噂も尾鰭が付くものだ。あんたが俺に関して何を聞いているのかは知らないがな」
アスヴァ―ルでは大立ち回りしすぎたかもしれない。あの地に陛下の言う「妖」がいると思って、タラードに協力した。
それはその「妖」を焙り出すための行動だったのだが、狡猾に立ち回りこちらに影武者を斬らせるだけ斬らせて、斬ることが出来なかった。
(俺の勘じゃ、あの肥満将軍こそがそうだと思うんだが、なかなかこちらの太刀の範囲に入ってこなかったな)
無論、それ以外にも理由はあったが、仕方なくここに来る前にリョウはタラードに「今すぐにでもジャーメインの首を取れ」と進言するに留まった。
もしくは第三勢力として独立すべきだ。ということを言うだけ言ってきた。
焚き付けるだけ焚き付けておいて、無責任かもしれないが本気で王位を欲して本気で人々の為に剣を取るのならばまずは、ジャーメイン程度の首は、真正面から切り捨てるべきだ。
そうして一年間の休戦をもぎ取った。一年間の間に、タラードがどう動くかで自分も再びあそこに行くことになるだろう。
「間接的に手助けをしてやるんだから、お前もさっさと―――動けよな」
ドナルべインは疑問符を浮かべたようだが構わない。所詮は独り言だ。そしてその独り言の内容を実現するためにも、今は前に出る。
列を作っている傭兵達。どうやら試験内容は、丸太で拵えた人型をどれだけ斬れるかということらしい。
所詮は正規兵ではない雇われ兵に求められることなどどれだけの腕力があるのかということぐらいだ。
重い剣を力いっぱい振り回す腕力があれば、それだけでも戦力になるだろう。もちろんそれ以外の試験もあったようだが、リョウはこれを選んだ。
抜き身の状態で刹那の呼吸で振るえば恐らく一刀だろうとして他の連中と同じく抜き身の状態にした途端、視線を感じる。
上からの視線。公宮の執政館であり居城館であろう場所からの視線。それを感じながらも無視した。しかし、次には無視できぬものを聞いた。
「それをもしもお前が斬れたならば、金貨十枚をくれてやるよ」
嘲笑いの声。ドナルべインがあからさまにその嘲笑をした傭兵を馬鹿にしていた。愚か者を見るようなそれ。
名を売るつもりはない。だが、自分の実力を侮られるのも癪だ。抜き身を止めて鞘に込めた刀。
腰を落とし抜き打ち―――抜刀術の構えを取り丸太人型に相対して鯉口を滑らせる。鞘から閃光のごとき光が走ると同時に、袈裟懸けに崩れ落ちる丸太人型、だがそれだけではなく、動くと右手とは別に鞘を押さえていた左手。
左手に握られた鞘を動かして追撃を仕掛ける。
「素は重、背に野槌―――」
「御稜威」を使い己の身体に荷重を掛けた。本来的には相手に掛ける妨害のための術なのだが、使い方次第では、このように己の一撃の重さと速さを増すことも出来る。
鞘を振るう速さと重さが増して、横殴りの一撃が残っていた丸太部分を木端に変えた。風に攫われる木片の一つ一つを見ながら、残心。
一連の動きは数秒足らずで行われた。剣を鞘に納め、一際大きな金属音が静寂の練兵場に響いた。そうしてから後ろにて嘲笑いの声を上げた傭兵に手の平を差し出して。
「金貨十枚」
と短く言い己の言葉の責任を取らせることにした。呆然としていた男は気付き、震える手で金貨十枚を寄越してきた。
「己の言葉には責任を持たなければ、その身に納めた武も軽くなるぞ。眼を養いな」
――――その後、係の兵士から合格通知を貰うまで、たっぷり二刻。今度は少し恐怖を交えた視線に晒されることになった。
そうして帰ろうかと思った時に何やら騒がしくなっていた。先程まではいなかった老官の一人が兵士達に、何かを問いただしていた。
「いえ、我らも見ておりませぬ。しかしここから以外で出るとなると裏口など―――」
「料理人達も見ていないのだ。となると正面からなのだが―――」
「こんなむさ苦しい連中の中に戦姫様が来られればいくら我らとて気付けますよ」
何やらトラブルのようだが、あまり関係の無いことだと思って公宮の外に出る。
城下町には様々な人々がいる。異国人の中ではやはり自分は目立つのだろうが、少しの視線を浴びつつもこの後はどうしたものかと悩む。
合格通知を貰った傭兵は、後日様々なことを軍議にて決めるという。恐らく自分はただの一兵士という立場ではないだろう。
名前を聞いてきた時の兵士の驚愕の表情は、目に焼き付いていた。だが次の瞬間にはまた違うものが目に焼き付いた。
「まぁ適当に露店を歩いてみるか―――」
「君、ここは初めてかい?」
後ろから声を掛けられ振り向くとそこにいたのは白い上下の単衣―――この辺りではワンピースという名称のそれに身を包んだ―――女性がいた。
自分と同い年か一つ二つは上かという彼女の姿に一瞬、幻でも見ているんじゃないかと思う心地になった。
姿形もそうだが、その雰囲気が――――
「かあさ―――……いきなりだな君は、というか……あーその何というか危なくないか? いきなり帯剣している男に声を掛けるなんて」
己の出そうとしていた言葉を悟り、それをごまかすために声を掛けてきた女性の身を心配する。
質素な白のワンピースに身を包んだ黒髪を短く切りそろえた女性。見様によっては少女にも見える人は、心配いらないとでも言うように腰に下げている双剣を示してきた。
黒革の鞘に納められた双剣の刀身こそ見えないが鍔と柄から―――相当な業物であると見えた。
そんなものを下げた女性は旅人とも取れるし商家の淑女にも見える。アンバランスな人物だ。
「それよりさっきの見ていたよ。戦姫様の公宮であれだけの事をするなんてさ。あんまり目立つと暗殺者に間違われかねないよ」
「神殿には司祭や神官もいただろう。それに公宮にいる連中全員を殺して戦姫までいけるそんな離れ業を手際良く出来るわけがない」
「泥臭くならば出来るのかい?」
まるでそれが良い冗談であるかのように、手で口を押えながら微笑を零す女性。白いワンピースと肌の白さとの境目が分からなくなるほどに白い肌だ。
病的といってもいい。そんな雰囲気がリョウの母親を思わせてならない。
「それで案内をしてあげようと思うんだが、どうだい? これでも自分の容姿にはそれなりに自信があるんだが」
美人の案内(ガイド)はいらないかと言ってきた彼女に一瞬考えてから、既視感を覚えるのは昨日にも似たようなことがあったからだ。
彼女を全面的に信用するのはどうかと思うのでリョウは『探り針』を入れることにした。
「俺はサカガミ・リョウ。ごらんの通りヤーファ人だ」
「僕は『アレックス』だ。一応言っておくけど……男じゃないからね」
「流石に、名前がそうだからといって間違うわけがないな」
そんなことを言いながら「アレックス」と共に街の通りを歩く。彼女は自分に何で声を掛けてきたのだろう。
疑問を隣を歩くアレックスにぶつけた。
「にしても何で、俺に声を掛けてきたんだ?」
「ヤーファ人は珍しいというだけでなく……君のことを良く知りたいんだ。とりあえずご飯でも食べないかい? リョウ」
適当な料理屋が見えてきたので、そこに入ろうと言うアレックスの言葉に、「まさか」という思いだ。
だが今はそんなことを言うつもりはなかった。とりあえず美人と食事を共にするという大概の男にとっては至福の時間を無くしたくなかったからだ。
料理屋に入ると、そこには先程まで同じところにいた傭兵達もちらほらと見えたが、彼らはこちらに注意を払っていなかった。
着席は淡々と行われた。昨日と違うのはどちらも流れの旅人と思われているからだろうか、それとも貴人とヤーファ人という組み合わせだったからだろうか。
判断は着かないが、とりあえず注文をするとアレックスは酒を遠慮してきた。
「すまない。どうにも苦手でね」
「では果汁水をお持ちしますので、お待ちください」
「ごめん。君と祝杯を「俺は気にしないぞ。そんなことを気にされる方がいやだ。言いたいことは遠慮せず言ってくれ」―――ありがとう」
色んな人に気を使って自分にも気を使って、身体が丈夫でなかったというのに、それゆえに早死にしてしまった母親のことを思い出してしまう。アレックスを見ていると、そんな気持ちが湧く。
果汁水と麦酒の入った杯と共に軽食―――油をそんなに使っていない料理がやってきた。
「では僕たちの出会いが良きものであることを願って」
「乾杯」
杯を打ち鳴らしてから口を付ける。一口一口ゆっくり飲む彼女に、安堵する。しかしあまり見ていると、変な意味での望郷の念に駆られかねない。
あら汁―――この辺では「魚スープ(ウハー)」というものを飲みながら、昨日とは違い少しばかり家庭的な食事にほっとしてしまう。
「君のことは知っていた。アスヴァ―ルにおいて万にも匹敵する軍を一人で食い止めた鬼のような剣士とのことだったのでね」
「実態はこんな人間だということだ。オーガ―のような大男でもなければ、化け物のような外見をしているわけでもないよ」
にしても万は言いすぎだ。第一、一人でそんなことが出来るものか。せいぜい乱戦で百を相手取る程度だ。
無論、神宝を使えればその限りではないが、それでもそんな噂が流れるとは、やりすぎたかと思う。
「他には娼館のご婦人方から人気だったり……随分と、『色んな意味で』英雄な人間だと、僕の誘いを簡単に受ける辺り本当にそう感じたよ」
笑う彼女に何とも言えぬ気持ちにさせられる。黒パンを口に放り込む彼女アレックスに自分はからかわれている。
「彼女たちにも生活というものがある。英雄を相手できたということが一種のステータスになるのならば、別に俺は彼女らに伽をお願いするのも構わないさ」
「ならば僕も相手してもらえば良かったかな。今みたいに剣士として大成する前は、色んなことをやって旅していたからね。ああ、けれども母親に似ている女の子を抱くのは君でも無理かな?」
見抜いてらっしゃる。せめて聞かなかった振りをしてもらいたかった。が、彼女はこちらをからかうネタが出来たとして喜んでいる。
「一応言っておくが、僕は生娘だ。いろいろ思うところあって男性には抱かれていないよ」
アスヴァ―ルでもジスタートでも、何というか女性が積極的すぎてリョウとしては戸惑うばかりだ。
無論、貞淑な女性がいなかったというわけでもないのだが、それにしたってジスタートに降り立ってからというもの女性関連のことが多すぎて色々と堪らなくなってくる。
「君は何を求めてジスタートにやってきたんだ?」
「ただの武者修行だよ。免許皆伝を師範からもらったから、見聞を広げるためとして西方までやってきた。アレックスは何故、旅をしていたんだ?」
「想像してみたらどうだい? 僕は他人が受けるイメージ通りの人間だと思われるのが、すごく嫌なんでね」
肩を一度竦めてから、挑戦的な笑みを浮かべるアレックス。それに応えるためにこちらも、本気でかかる。
「……住んでいた所を追い出されたという風ではないな。君の積極性から察するに自分で出て行ったな」
酢漬けの野菜を摘まみながら、アレックスに対する観察を開始する。
「双剣を持つ辺り、自らの非力さを自覚している。男の一人称を使うのは―――舐められないためだ。目的――は、正直わからないな。ただ君は必要に迫られて旅に出たわけじゃない」
「確かに努力すれば村にいることも出来ただろうけれども……僕は―――私は、長く生きられないと分かっていたから、目的のために故郷を出たんだよ」
思わず動悸が跳ね上がるのを感じる。先程とは違うアレックスの艶とでも言えばいいものが発せられる。
一人称を変えただけで、ここまで変わるものなのか。というよりも彼女の姿はこちらなのだろう。
「私の目的は私を力いっぱい抱きしめてくれる男性との間に『愛』を作りたかったんだ。それこそが私の生きた証になると思っていたから」
「今は―――違う。と」
「そうでもないかな。やっぱり当初の目的を果たしたい―――素敵な男性と恋をして子供を作りたい」
彼女の美しさや可憐さは、雨に濡れる紫陽花を感じさせるものだから引く手あまただと思う。しかしアレックスは長く生きられないと言った。
儚さと気丈さ。強さと弱さ。両極端な魅力を持つアレックスは、どうしてもリョウの母親を思わせて、そうして母性というのは原初の恋心ともとれるのだから。
―――このまま彼女を放っておけない。そういう気持ちにリョウはなっていた。
(ご先祖様―――『双葉』様と『梓』様もこんな出会いだったのかもしれない)
遠き日の自分の系譜―――「鬼剣の王」とその王の姫巫女であった女性の出会いを想像してから、目の前にいる女性に
「アレックス。俺が君の相手に相応しいかどうかは自信がないが……とりあえずこの街の案内を改めて頼むよ。俺は君と歩いていたい」
「――――、リョウ。君は自分のことをもう少し理解した方がいい。そんな真っ直ぐに見つめられて真っ直ぐに言われたら女の子は誰でもその気になってしまうんだ」
特に君みたいなかっこいい男の子には。と内心でのみ付け加えた「アレクサンドラ」は、どこに連れて行こうかと想像して、少し嬉しくなっていた。
こんな風なことが自分に起こるなんて思わなかった。アレクサンドラは恋というものを知らずに少女から女性になった。
その過程において、アレクサンドラは炎の双剣に選ばれてこの地の領主―――戦姫になるということもあり、その過程で青春時代というものが無かったようにも思えた。
だからこんな風に気になった男の子と一緒に街を見て回れるとは思えなかった。とても嬉しい。
(けれど……リョウが私のことを好いてくれているとは限らないんだよね)
そこを勘違いしてはならない。けれどもその嬉しさだけはアレクサンドラの気を軽くして彼女に付いて回る「血の病」を忘れさせてくれた。
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「東方剣士リョウ・サカガミ――――、随分とその子にぞっこんなのねヴァレンティナ」
「年甲斐もないとか思われたくないのですけど、ちょっと知り合う機会が出来まして、今はその剣士のお供をさせてもらっているわ」
ジスタートの王都―――シレジア。その王宮には贅と美を両立させたいくつもの庭園があった。その内の一つ、色とりどりの薔薇の美術品と花壇が作られた庭園。
そこはヴァレンティナ・グリンカ・エステスと戦姫ソフィーヤ・オベルタスが、お茶を飲みあう場所として何も言わずともそう取り決めていた。
庭園の中でも奥まった場所でソフィーヤの竜具の能力を使えば、盗み聞きは出来ない。
つまりはあまり人には聞かれたくない会話の場所ということだ。
「それにしても体力が無いあなたにしては頑張ったわね。サーシャの領地からエザンディスを使ってシレジアまで飛んでくるなんて」
「愛ゆえに、東方の格言の一つに「愛は万里を超える」というものがありまして、私はリョウのためならば、今すぐにでも海賊共の首を千は献上しますよ」
「そ、そう……」
身もだえするように自らの身を掻き抱くヴァレンティナの様子に若干、引きつつもソフィーははぐらかされた感覚を覚えた。
だが彼女が、その剣士に何か思うところがあるのは事実だろう。ここまで感情を露わにしている彼女は初めて見る。
「なんとリュドミラご自慢のトリグラフ・アーマーを五つ叩ききったのですから、尋常な実力者じゃない。私はその水飛沫のような剣の冴えに英雄を見たと言っても過言ではない」
「はいはい。リョウ・サカガミの噂は聞いているわ。万の軍を一人で食い止めたとか、アスヴァ―ルに現れた邪竜(イビルドラゴン)を殺したドラゴンスレイヤーとか、神秘の術を使う魔法使いとかね」
「それは全部事実です。疑うならば直接見るといいでしょう」
ソフィーはここまでヴァレンティナが入れ込むほどに、その剣士は超絶した実力なのだろうか。疑わしくも少しばかり信じてしまいそうになる。
「それであなたは、何を聞きに来たの? 私が知っていることならば教えられるけれど、知らないことは教えられないわ」
「エリザヴェータとアレクサンドラの領地を襲おうとしている海賊―――それに対する王宮の対処と各戦姫達の対応を」
飲んでいた紅茶(チャイ)のカップを下にテーブルに置いてから、本当にその剣士の為に動いているのだと確信する。
オステローデは、ジスタートの北東部にあり、賊がヴァルタ大河を朔上でもしなければ彼女の領地に直接の被害は出ない。
オルガや自分の領地も同様である。だからこそ彼女の本気が分かった。
「まずは、王宮としても―――援軍を出す構えはあるわよ。二人の領地はジスタートにおいても大きな貿易港を備えているから、ここに被害が出すぎるのはまずいでしょう」
海賊が王都にまで攻め込むことは無いだろうが、それでも荷卸しの場所として二人の領地は大きいのだ。
あまり被害が出ては困る。ヴィクトール王としては、公国の事は公国のこととして処理させたいが、事はジスタート全体の経済にも及ぶのだ。討伐軍を出すことも吝かではあるまい。
「他の戦姫達―――行方知れずのオルガは置いておくとして、エレンやリュドミラは―――救援する動きを出していたんだけど……ね」
「エリザヴェータはエレオノーラの介入を良く思わず、かつアレクサンドラもエレオノーラに来られて連携を崩されるのを嫌った。そんなところですか?」
ソフィーとしては呆れつつ首肯をするしかない。もっとも二人とも海戦になれていない陸の戦士を揃えているのだから、アレクサンドラが嫌うのも分かる。
確かに救援はありがたいが、慣れない戦場の兵士を揃えられるよりも気は合わなくても、熟練の兵士を揃えられる相手と共闘した方がいいだろう。
「そのエリザヴェータなのだけど、件の東方剣士殿が来ていることを陛下にお伝えしたらしいのよ。特に陛下は今は何も言っていないけど、今後次第では何か言ってくる可能性は高いわ」
次に紅茶を置いたのはティナの方であった。今後というのは現在、始まろうとしている海戦の結果如何によっては彼は、何かの駒にされる可能性があるということだ。
「私としては、二人の厄介ごとが済んだならば我が領地に来てほしかったのですけど……そうはいきそうにありませんね」
「ええ、隣国にも色々な火種ができつつある。アスヴァ―ルも休戦してはいるもののどちらかの体制が整えば条約は破棄されるでしょう。そんな中、東方からやってきた剣士は良くも悪くも台風の目になるでしょうね」
エリザヴェータが言わなくても、もしかしたらば気付かれたかもしれないが、その前に雲隠れという形でヴァレンティナの領地に来させることも出来たはずだ。
厄介なことをと、内心でのみ歯ぎしりをして、今後に関してどうするかだ。
(アレクサンドラは、どうせ体が重くて出てこれないでしょうし。彼女が、必要以上にリョウを歓待することもない。その点は安心。問題はエリザヴェータね)
あのコンプレックスの塊のような異彩瞳女のことである。自分の領地の安定と繁栄のためにリョウを誘うこともありうる。
色々あるが自分の人脈と策略を以てすれば穴など無くなる。まさに完璧な謀略が完成する。
「ところでソフィーヤ。あなたまた胸大きくなっていないかしら、私が王宮にあまり来ないからそう感じるだけでしょうか?」
「私からすればあなたをそんなに見ていないから、あなたのスタイルも良くなっていると感じるのだけど」
そんな風な殿方拝聴拝見禁止の会話をすることで、会話の質を変えていくことにした。
この時のヴァレンティナにはどうすることも出来なかったが、彼女の謀略は―――既に穴だらけのものとなっていた。
・
・
・
「本当にいい日だった。ここまで楽しかったのは本当にいつぶりなんだろうかな」
「大袈裟な。いつだってこんな事出来るだろ」
「そうとは限らないよ。それに君は本当にレグニーツァを気に入ってくれたみたいで本当に嬉しかったんだ」
リプナの街に降り立った時から感じていた。あの戦争ばかりを行っていた国とは違って色んな人々が泰平の世を謳歌しているとわかる。
本音で言えば、アスヴァ―ルの争乱は人心を荒れさせて娯楽というものが壊滅的だった。花魁、夜鷹の類以外は―――と付くが。
レグニーツァの首都を一望できる山まで上がり、夕焼けに染まる世界を二人して眺めていたのだが、本当に彼女は晴れやかな笑顔をしている。
風で飛ばされそうになっている麦藁帽を抑えているアレックスの表情は本当に可愛すぎて―――正直、ヴァレンティナに対してものすごく後ろめたくなってしまう。
だが本当に後ろめたくなってしまうのは、ここからだった。いきなりに手を握られる。驚愕してしまう。
そして彼女の生きる目的を思い出す。この行動の意図を。
『子供が欲しい』
待ってくれ。それはいくら何でも早すぎる。俺はまだ君のことを全て知っているわけじゃない。リョウの内心の叫びに反比例するかのように。
熱っぽい視線がリョウを見つめてくる。寄り掛かってきたアレックスの表情に、どうしようもなくなり、そしてそのまま―――――彼女は肩で息をしていた。
熱っぽいどころか熱がある。反対に自分の体温が下がるのを感じる。
「―――『戦姫アレクサンドラ』殿!! しっかりしろ!!」
「な、なんだ……分かっていたのか。結構、ウソは上手いと思っていたんだけど……君は最初から分かっていたのか……」
身体を支えながら、意識の有無を確認するとしっかりとした返事が返る。
すぐにでも山を下り、公宮へと向かわなければいけない。かかりつけの医者もいるはず。急がなければならない。
リョウの判断は早く、そして行動も早かった。
「首に手を回していろ。怖ければ目を瞑っていろ。ついでに言えば、口も開くなよ。舌を噛むぞ」
「……!!」
軽すぎる身体に、悲愴を感じながら戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの身体を抱きかかえて、山を下りる準備をする。
先ほどよりも顔が赤くなっているアレクサンドラの顔を見て、本格的に不味いと考えて更に身体を密着させて彼女の身体を離さないようにしなければならない。
途中で弛緩されると、正直彼女を『振り落してしまいかねない』。
「意図は分かるんだけどさ………本当に君は、自分が分かっていないよ。ずるいよリョウ……」
その言葉を最後に意識を飛ばしたアレクサンドラを見て山を下りる
『素は軽。肩に風実―――』
己の身体に軽量化を果たして地面を蹴り、そのまま跳躍をする。するとその跳躍は普通のものではなく、山から飛び立つかのように空中に上がった。
腕の中で意識を無くしたアレクサンドラを見て、彼女に気遣いつつも早く公宮へと向かわねば。焦燥と不安を混ぜながら街へと降り立つとその足を尋常ではない速度で早めていったのだが――――。
その姿を多くの人に見られてしまい、色々とレグニーツァの住人達には誤解を招いていくことになるのだが、それはまた別の話である。
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「鬼剣の王? 初めて聞くねぇ。それに関しては―――」
「他の事ならば何でも知っているような口ぶりはやめろ。お主には口利きをしてもらいたい」
「その鬼剣の王を倒すためにかい? 随分と慎重じゃないか、そいつは今はジスタートにいるんだろ。ならば、まだ手は下さなくてもいいはずだけど」
緑色のバンダナを垂らした短い黒髪の「青年」は、話し相手である「占い師」に対して疑問を呈する。
軽い調子で聞いてくる青年とは反対に、その疑問に重い空気を含ませながら占い師は語る。
「最初は、わしもただの東方剣士が分不相応なものを持っているだけだと思っていた。だが「将軍」の報告で危険性を認識した。剣士自体もまさしく「妖刀」一度抜けば眼前の魔は斬られるが道理の真の鬼剣だ」
「そこまで。けれどどうやって殺すんだい? 直接対峙すれば「将軍」みたいになるんだろ?」
感嘆とも驚嘆とも取れる反応をする青年は、暗い部屋の中で聞かされた通りならば将軍は当分の間。動きを封じられたようなものだということを思い出していた。
直接斬られたわけでもないのに将軍は、鬼剣の王によって牙と爪を叩き折られたようなものとなっているのだ。
「だからこそ「人間」を使う。『屍兵』の玉と海竜(パダヴァ)の船をジスタートを襲う海賊に与えろ。首尾よくいけば戦姫の一人と共に潰せるはずだ」
自分たちは人間ではないといわんばかりの占い師の言葉に特に反論せずに青年は続ける。
「邪竜を殺した相手に通じるかねぇ。まぁ所詮、死ぬのは人間だしね構わないか。それで、あんたがさっきから机に揃えている『果実』は何なんだい?」
「わしも雇われの身だ。仕えている方の勝利を願うもので、閣下には少々毛色の違う兵士を用意してやろうと思っているのだよ」
欠片もそんなことを願ってもいない口調で言う占い師に対して若者は占い師の新たな「実験」に対しては興味を無くして渡された礼金を「胃袋」に納めてから早速動き出す。
(鬼剣の王ね―――またの名を「神剣」。一度ぐらい戦っておきたいよねぇ。戦姫とも戦いたいけど――)
今回に関してはそこまでのものを望めないだろうということを青年は己の身を溶けさせながら思っていた。
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目が覚めた。暗い室内に自分はいて、見慣れた天井がそこにあった。公宮の自分の寝室だ。
先程まではとてつもなく熱くて幸せな気分を味わっていたのだが、今はそんな気分が無かった。
抱きしめられた胸板の厚さも無く、回した腕から伝わる硬さも何もかも夢だったのではないかと思っていて、不意に泣きそうになったが、嗚咽を零しそうになる寸前に自分の手が握られた。
「気が付いたか。気分はどうだ?」
握りしめていたのは、自分に戦姫としてではなく女としての行動を起こさせた一人の男の子だった。
「それなりに良いよ。なんていうか夢ではなかったんだと思えたから―――すごく幸せだ」
起き上がりながら自然に笑顔が出来たが、今はこの嬉しさだけに浸っているわけにもいかず、あの後どうなったかを聞くことにする。老従僕を呼んで来ようとしたリョウを引き留めてリョウに説明させた。
「君はどんだけの健脚なんだ。そんな事が出来るなんて」
「御稜威という一種の呪術を俺は使えるんだ。詳しいことは省くがそれを使って移動速度を速めた」
何気ないことのように語るリョウではあるが、それを使えば自分を手際よく暗殺することも出来たのではなどと邪推する。
だがそんなことはしないだろうとサーシャは思えた。リョウの人格はそんなことをしないと思えた。
(まぁ少し「旺盛」ではあろうけど…それも年相応かな?)
姫抱きをされた時にそれとなく腰と尻の辺りに手が回ったことを考えるに、少しばかり「男の子」らしいと感じた。
「なんか不愉快なことを考えていないか?」
「さぁ? まぁとにかく改めて自己紹介させてもらうよ。ジスタート王国の公国が一つレグニーツァを治めている戦姫(ヴァナディース)アレクサンドラ・アルシャーヴィンだ。周囲の人間からは『煌炎の朧姫』などと呼ばれているよ。以後お見知りおきを」
(戦姫達には初対面の相手には自らの素性を隠すとかっていう約束事でもあるのか?)
自己紹介をしてきたアレクサンドラには悪いが、少しばかり悪態を突きたくなるというもの。
「にしてもリョウ。君はいつから僕が戦姫だと気づいていたんだ? 何もボロを出した覚えは無いんだけど……」
「名前だよ。西方では「名」を先に「姓」が後に来るんだろ。俺は君に自己紹介をした時に、東方式の呼び方をしたんだ」
姓であるサカガミを先に、名であるリョウを後に。そうして語ったというのに、この戦姫は何の疑問もなくこちらの名前を呼んできたのだ。
無論、彼女が事情通でそれなりに東方文化に対する教養を持っていたというのならば別だが。
「失態だね。浮かれすぎていたよ。名前の呼び方だけでそれを看破するなんて」
「そのぐらいの茶目っ気があった方が女の子は可愛いと思うけど、完璧すぎる女の子はスキが無さ過ぎて男が近づけない」
「身持ちは固くても男への門戸は開け放つか、まぁやってみようかな―――とりあえず私のことはサーシャと呼んでほしいよリョウ。アレクサンドラなんて呼び方はいやだ」
まだ熱があるのか、少し頬を紅潮させているアレクサンドラもといサーシャに対してティナもそうだが、こうして見るとやはり普通の女の子にしか見えない。
何故このような乙女達に戦う宿命をこの武器は与えるのだろうか。ティナはいい。彼女には最初から確固たる野望があった。
それに対してメザンティスは、それを実現させるだけの力として彼女の手元に来たのだから。だが目の前で茶目っ気を出している彼女は違うだろう。
炎を上げる金と赤の双剣は何を求めて彼女を選んだのか――――。
「煌炎バルグレン―――討鬼の双刃という名を持つ戦姫の武器だ。知っていたかい?」
「一応はな……建国神話を知っているから。サーシャが持つ武器がその一つだということは知っていた」
「どうにもこの子は悲しんでいる。どうやら君に嫌われたことが、ひどく嫌なようだ」
「朝にも似たようなことを言われた」
サーシャの掛け布団の上に置かれた双剣の炎の揺らぎはどことなく不規則だ。メザンティスは自己主張が激しかったが、どうやらバルグレンは楚々とした性格のようだ。
(『鬼』を討つ刃か)
皮肉な名前だ。自分にとってはである。
「ここからは真面目な話をするがいいかな。東方剣士リョウ・サカガミ。君は何を求めてジスタートに来たんだ? ヤーファには西方進出の野望でもあるのかい?」
「俺もやんごとない方と話す機会があるが、とりあえず今の最高権力者にそんな意思は無いな。そして俺の目的は昼間に語った通りただの武者修行だ。アスヴァ―ルであんな大立ち回りをしたのは…まぁ気紛れだ。戦争ばかりやられていると嫌気が差すんだ」
「それも君の本心なんだろうけど、本当のことを言っているようには思えない」
細い目でこちらを見抜いているサーシャに、どういったものかと悩む。誰にでも言える内容ではないし、場合によっては彼女を無用の危険に晒すかもしれないのだ。
ティナに対して言ったのは、あちらもそういったことを知っていそうだったからだ。神秘的な所が陛下と似ていたから自然と口が滑っただけかもしれないが。
「まぁいい。君にも語れないことがあるだろうことは理解しておく」
「すまない。ただ俺の剣は人の為に振るう剣だということだけは信じてくれ。俺が君の領地の傭兵選抜に参加したのもマトヴェイの依頼もそうだが、俺自身、そうしたかったからだ」
「それは信じる。そして僕はこの通りの身体だ。情けない話だが戦場には出られないかもしれない。リョウ―――僕の民達を守ってくれ。頼む」
「言われるまでもない。依頼を受けたからにはそれをこなす。ただサーシャお前も戦場に出ろ。ここはお前の土地だ。どんな経緯があれどお前が治めてお前が繁栄させてきた土地だ」
無責任とまでは言わない。ただ戦場に出て、味方を鼓舞することだって出来るはずだ。それすらも彼女には無理な注文かもしれないが―――。
「今日見た光景は全て君の治世の賜物だ。その輝きを失わせたくなければ君は戦姫として戦場に出ろ。実際に動くのは俺だけでもいい」
握りしめた細い手。その手で敵を殺さなくとも、その声で味方の戦意を上げることは出来るはずだ。彼女が本気で生きようとするのならば、己に課せられたものを全うさせなければならない。
「マトヴェイから聞いたはずだ。一応、君の病に対する処置はある。完治は『今』は難しいだろうが海賊討伐の日には五体満足で動けるようにしてやるよ」
「……ありがとう。嬉しいな。ここの文官、武官も私を戦場に出したくないというのに、君は逆のことを言うんだな。私自身も領民の危機に対して動けない領主であることに情けない思いでいたところだ。力を貸してくれ。私が領主としての責務を全うするためにも」
大切な姫君だ。そう考える人は多かろう。しかしそれ以上に戦姫と共に戦場を駆けたいと思っているものも多い。マトヴェイや老従者のように。
「それじゃゆっくり寝といてくれ。侍医の方の指示には従ってくれ。色々と苦い薬も出るだろうが耐えられるか?」
「君が側に居てくれるなら―――なんてことは言わない。ただ……また僕に会い来てくれるか?」
不安げな顔をする年上の女性。その顔を晴らすためにも虚言は交えずに、ただ誓う形で言葉を吐いた。
「必ず。お休みサーシャ」
「お休みリョウ」
振り返ったサーシャの顔は安堵に満ちていて、それに安心して彼女の寝室を出た。
またここに来る。それだけは確かだ。その約束だけが彼女を安らげる良薬であるというのならば、何度でもここに来る。
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「随分と遅かったですねリョウ」
「すまない。夕飯食べていて良かったんだぞ? 別に待っていなくてもよかったのに」
「一人で食べるご飯ほどさみしいものはありません」
もっともともいえるし、それに慣れるのも旅だとも思えるが、サーシャはそれを何年間もやってきたのか。
少しさみしいものではないかと思う。宿屋の女主人が温めなおしてくれたシチューとパン。それと果物数種類を部屋で食べる。
「そうだな。ありがとうティナ」
「お気になさらず。ところでどうしてここまで遅くなったのですか?」
ティナは邪気の無い珍しく裏が無い顔で、聞いてきた。純真な少女の如き問いかけに、内心冷や汗ものだ。
という刹那の思考の後には。
「って聞くまでもありませんね。リョウほど卓越した剣士様であれば、色んな武官・文官にあれやこれや言われて遅くなったのですね。ここの領主は病床で動けませんから、そのぶん本当の意味で官僚制が生きています」
ティナが、そう勝手に解釈してくれた。ここで正直に「アレクサンドラ・アルシャーヴィン」と会っていたと言えば―――。
(まぁ宿の人に迷惑を掛けるわけにもいかないよな……。うん、そういうことにしておこう)
女というものは嫉妬深い生き物であることは、身を以て知っているので、とりあえず黙っておくことにした。
「それで明日はどうするんですか?」
「傭兵選抜には合格した。そして多分、海賊共は殲滅出来る。俺も「遊撃剣士」として自由に動ける立場にしてもらえたからな。問題は……ルヴ-シュの方だと言われたよ」
「エリザヴェータの方ですか、何かするようにでも言われましたか?」
「いや、ただ単にそちらとの連携などは武官・文官でやってくれるそうだ。ただ機会があれば準備の間に行っておいてもらえるかとも言われた。ティナはどう思う?」
サーシャが目覚める前に、城の武官・文官に一通り挨拶をすると同時にそれらの諸々のことを詰めていく過程で出来た問題。
それは河を挟んだ先にある違う戦姫に関してであった。話によればかなり好戦的な性格のようで、場合によってはこちらの領地を侵すこともあるし、領海に関しても色々とあるそうだ。
「薦められただけでしょ。あなたは今はレグニーツァに雇われている立場なのですから、ルヴ-シュに気を遣わなくてもよろしいかと、第一行ったところで何を話すのですか? 戦いは船上。即ち海戦なのですから」
「まぁそう言われればその通りなんだが……何事にも万が一というものはあるだろ。その際に俺の自由行動を咎められたくないな」
シチューに浸したパンを咀嚼してから、このまま海賊退治が順調に行くとは思えないのだ。何かしらの盤のひっくり返しがあるのではないかという疑念もある。
しかし、ティナの意見ももっともだ。下手に雇われ兵ごときがその協力者に会いに行くというのも間が悪い。
(騙されたかな……)
病床のサーシャが戦場にいないという仮定であの武官たちは、自分を万が一止める存在としてエリザヴェータを利用したかったのだろう。
これがサーシャの意思を代弁する使者としての立場だとしたらば、ルヴ-シュの戦姫も無下にはしないだろう。
「優れた英雄とは見方を変えれば冷酷な殺人者ですからね。武官たちの危惧もわかります―――全く、リョウをそんなことで害するなんて、せめて私が王位を獲るまではそんなことされては困ります」
「王位を獲ったら俺は殺されるのか……」
「もちろん剣士としてのリョウではなく私の夫として生きてもらいますが」
「……本気なのか?」
その言葉に一笑してから、人差し指を自分の唇に持って行ったティナに何も言えなくなる。その艶めかしさは彼女のドレスと相まって、本当に魅力的になってしまう。
とはいえ、明日の方針を打ち出さねばなるまい。ルヴ-シュに行かずともとりあえずやることはある。サーシャの身体のための薬や様々な戦支度。
この辺りの植生を見てからでなければ決められないが、一般的な薬草程度ならば作れるだろう。故に――――、
「明日は山に行こうか。どうせ数日後には腐るほど海を見ることになるんだからな」
「バイキングを殺す前にハイキングとか洒落が利いてますね」
そういうことではないのだが、まぁとりあえず方針は決まり食事も終わったので寝るという段になって、やはりティナは自分のベッドに入り込んできた。
「今日ばかりは、ベッドで寝たいんだけどなぁ……」
「ではどうぞ」「だからどいてくれ。そして自分の部屋で寝てくれ」
昨日と同じ様な問答。しかし今回ばかりは彼女の瞳と顔に怯えは無い。ある意味、覚悟を決めているとも言えるが、そんなことを軽々しく出来ない。
「女性の身体は最高のクッションなのです。それを使って寝るは男の本懐。さぁ、私は逃げも隠れもしません。どこからでも―――」
「素は夢、微睡の中に揺蕩う―――」
呪言を全て唱え終わると、いきなり来た睡魔にティナは行儀よく眠りに着いた。
昨日からそうしておけばよかったなどと後悔先に立たずではあったものの、何とか自分が寝るスペースを確保して、ティナの顔を間近にしながらも眠りに着く努力をする。
背中を向けて眠れば眠ったでその大きな胸の感触が否応なしにリョウの体温を上げる。仕方なく正面にする形で眠ることにした。
(胸板ならば、まだ理性を保てると思っていたんだけど……)
ティナの美貌と発育良すぎる身体に見当違いの悪態を突くと、リョウにも睡魔がやってきた。眠りは近いようであり、その流れに身を任せていった。
「リョウから……違う女の匂いがします……酷いですよ……あんまりです……」
―――だから、眠りに着いて悲しき涙混じりのティナの寝言を聞くことは無かった。
あとがき
星刻の竜騎士、機巧少女は傷つかない、ディーふらぐ!。とメディアファクトリーは流石にメディアミックスの分野に明るいだけあって、声優を変えるということをなかなかしないな。
などと無駄な感心をしつつ、ドラマCDは出てなくコンピレーションアルバムのイメージソングぐらいという魔弾のキャラCVがどんな人になるのか少し期待している。
個人的にはサーシャが沢城さんとかだと凄くいい。色欲さんはどうしても大原さんとかをイメージしてしまうなぁ。
とまぁ、そんな無駄な事を想像しながら第二話をここにお送りします。PVが一話で2000を越えるとか少し驚きである。そして感想が四つもありがとうございます。
ちなみにこの作品のクロスは、基本的には「川口士」先生の作品とクロスするので、全く関係の無い異種クロスSSとはならないと思っています。
感想にもありましたが、「ライタークロイス」「星詠図のリーナ」などは読んでいませんので、今の所予定はありません。可能性としては「千の魔剣」は一巻を読み始めたところですね。
他の作品はまぁ機会があって読めたらば、何かしかの形で出るかとも思います。(劇中劇程度かもしれませんが、悪しからず)
この場を借りて感想及び要望に対する回答とさせていただきます。
ではでは今回はこの辺で締めとさせていただきます。お相手はトロイアレイでした。