いかに栄えた町といえど、その中にも『格』というものは存在する。
富裕層は名津の中でも北の、奥まった場所に寄り集まっており、『北御殿』と通称されるほどであった。
六番屋本店は、その一角の中でも屈指の規模であった。
「まぁ、六番屋と申しましても、先代建てた倉が手前から六番にあったからでして。威勢の良さと扱う品数は一番を自負しておりますよ」
と、福々しい丸顔に似合わず強気な言を発したのは、六番屋の店主本人であった。
「既にご承知のこととは存じますが、あたしは六番屋の主人、史(ふみ)と申します」
ニコニコと愛想笑いを浮かべる女が、膝を揃えてちょこんと座る姿は、まるでどこぞの郷土土産の陶器人形のようでもある。
「世話になる……女将」
と、環は直々に頭を下げた。
ヘロヘロと、船酔いの抜けきらない頭がまだ重い。
その背後で、随伴した地田豊房は意外そうに 目を見開いていた。
「……? お連れの方は、どうかなさいましたか?」
「いえ、あの……まさか当代きっての豪商が、まさかこんなお若い女性とは……」
「まぁお上手なこと。今年三十になりますわ。それに、亡夫の遺産を引き継いだだけのことで、あたし自身はそれを守るのが精一杯」
「って割には代替わりしてから、蔵が三つ建ったという。どこぞの公子は城一つ守れなかったっていうのになぁ」
同じく随伴者である幡豆由基が、キツい目と言葉で自分たちの御輿を責めた。
「……なんでそこで俺をなじる必要があるの?」
うふふ、と付き合うように笑い声を立てる史に対し、地田が訝しげな顔をした。
その視線に気がついて笑顔を少し引かせた女店主に対して、彼は首を傾げながら言った。
「ただ解せんのは、貴女と環……いえ大将殿が知り合いであったということでして」
支店があったとは言え、逆賊の公子と天下の豪商。二人に接点などないはずだ、とこの陣営きっての常識人は言いたいらしい。
「あぁ、それ。それはですね、環様は常連なのですよ。ただ、ツケの方も常連でして、あたしが時折直々に取り立てに出なければいけない始末でございました」
「ツケ?」
由基が訝しげに顔をしかめ、環がギョッと慌てた、開こうとした口は地田に妨げられ、
「大将殿は借金するほどに何を買われていたのですか? この方には耽溺するような趣味はなかったはずだが……」
「借金ってほどじゃなかっただろ! ただ……ちょっと立て込んでただけで、賭けに勝てば払っただろ!」
「負けた時はお召し物まで質に入れて」
ふふふ、と笑みを含ませる彼女に、しかめっ面の巫女はずいと身を乗り出した。
「……で、何を買い求めたんで、コレは」
取りしましたような微笑を称える史は、少し口にするのをためらうそぶりを見せた。
環とて、それはなるべく明かして欲しくない。
だが彼の無言の懇願とは逆に、史は少し照れたように言った。
「……まぁ、亡夫が始めた仕事でして。これがまた重要な資金源となっていることも事実ですので……」
そう口を濁し、要領を得ない随伴者二人は、その真意を考える。
じっと幡豆由基に、意味ありげに注がれる視線によって豊房が気がついたらしく、「あ」と小さく声を立てた。
「女か」
転瞬、
ギッ! ……と、巫女が尖らせた目を環に向けた。
「…………ナンノコトカナ」
往生際悪くふっと視線を反らす公子を、面前にも関わらず由基は掴みにかかった。
「お前なぁ! 順門公子とあろう人間が、いー年こいて嫁も娶らず娼館で遊んでんじゃねーよ!? あぁ!?」
「わ、若気のいたり、若気のいたりなんだ!」
「ごく最近まで足繁く通ってらっしゃって」
「若気の至り現在進行中じゃねーか!」
襟をねじり上げられガクガクと揺さぶられる上客を庇うべく、史はまぁまぁと少女を宥める。
「お食事のご用意ができております。腹が減っては戦も商売もできません。まずは、腹ごしらえをなさいませ」
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六番屋が営む宿の一室を借り受け、鐘山環は饗応を受けることとなった。
そこには二人以外の、勝川舞鶴、亥改大州を筆頭とする各主要人物たちが在籍している。
「環様におかれては、お体の調子が優れぬと舞鶴様より伺いました。よって、特別に豆腐粥と香の物をご用意いたしました」
「おぉ、これは……ありがたい。しかし代金の方は……」
「いえいえ、元はとれるようになっておりますので、大丈夫ですよ」
「?」
とまれ、まるで脳みそをかき混ぜられたような心地だった。
もっともそれは船酔いだけに限らず、先ほどまで由基に揺さぶられ続けてきた故の不調だ。
箸で豆腐を細かく崩し、米と一緒にゆっくりと流し込む。
そうすると、薄味ながらも滋味が胃の腑にすんなりと入っていった。
ほぅ、と救われた気分で充足の吐息を漏らす。
その横で、
「舞鶴殿には当宿自慢、地酒と四季の懐石料理です」
「わーい」
「ババァァッッッッ!」
膳に箸を叩き置き、舞鶴に食ってかかる。
「お前粗食に甘んじている主君の横で何で躊躇なく高そうなもの食ってんの!?」
「あらあら、史殿のおられる前で失礼ですよ、殿。それに舞鶴だけではありませんよ」
ほら、と指と目で示す先、確かに他の幹部連中も鯛の造りやら、鮑の煮染めなどを、美味そうに食っている。
「お前ら……」
「急に慣れないもの食べると腹下すぞ」
と、由基は横目でジロリ、環を睨み、慣れた手つきで箸を運んでいく。
「えへー、このおさ……飲むと不思議とぽーっとするお水、美味しいですねぇ」
「さっき酒って説明されてただろうがクソ尼! 貸せ、俺が余さず飲んでやる!」
「ああっ、何をなさいますっ! 人間五十年、短い一生の楽しみを奪うおつもりですか!?」
「百年以上生きといて何言ってんだお前!」
……などと、主従が見苦しい争いをしている中に、
「公子さま! おくつろぎ中のところ申し訳ありませんっ!」
六番屋の番頭が、躍り込んできた。
だがその彼が見たのは、黒衣の美人を、その公子が押し倒している様子だった。
「……お楽しみ中、でしたか」
「これが楽しんでいるように見えるか!? 楽しいことなんて何もないっ!」
史は、その部下の乱入に
「なんですか、騒々しい」
と、白い目を向けた。
だが息を荒げた番頭の報告は、その場にいた人間を沈黙させ、瞠目させた。
「そ、それが……桜尾家より、公子様のお迎えが……それも羽黒圭馬(けいま)様、直々にお見えです!」